cef780c5.jpg前回、岩波新書の赤、原武史「昭和天皇」を取り上げたので、今回は岩波新書ではないが、同じく原武史氏の著作「滝山コミューン」についての書評記事を2回連続で、例外的に特集「岩波新書の世界」として。☆念のため、原著「滝山コミューン」は岩波新書ではありません…。

正直、読み返すと我ながら著書の原氏には大変に申し訳ないほどの人格毀損な痛烈文章に、結果的になってる(笑)。☆ただ書き手の原氏が、わざとなのか、それとも無意識で・たまたまそうなっただけなのか、私にはよく分かりませんけど、この「滝山コミューン」に関しては、「半分が個人史、残りの半分が社会史」で、非常に自身の人柄・性格や人格がにじみ出るような手法の記述で、あえて筆を進めていることも確かで、氏が自身の人柄・性格や人格に乗せ割合・無防備に奔放自由に書いているので、本書を読む方も、その点に触れツッコまずにはいられない…。☆到底、スルーの看過はできません。

最初に・このように述べたところで、おそらく誰にも信じてもらえないかも知れませんけど(笑)、実は私は原武史ファンで、自伝やエッセイ関連はともかく、氏の一連の近代日本史研究、とくに近代の天皇制に関するもの、例えば「可視化された帝国」などは相当に屈指な名著と思い、日々・読み返しては陰ながら氏を尊敬しております。☆そんなわけで、「岩波新書の世界」の番外編、原武史「滝山コミューン」に関する記事を以下2回に分けて。

先日の、NHK教育「ハートをつなごう」の番組再放送で、「脱・孤育てのススメ」やってました。☆内容は、子育てを家庭内のみで孤立してやるのではなく、地域の大人たちが協力して皆で育てる、ある地域の取り組みを紹介。☆課外活動とか野外教室など(行事、レクリェーション、実験学習…)地域の大人たちが協力して精力的にやると、自分の両親以外の大人と接し・ほめられたり、時に叱られたりして、自主性・積極性やコミュニケーション能力が育ち、子どもたちがイキイキしてくる…という、まさに「脱・孤育て」な内容。☆番組では司会者やらコメンテーターやら全員が、地域一体となってやる、協力した子育てを肯定・賞賛するような流れだった。

しかし、このとき私は、番組内の「野外学習や課外活動を、ふんだんに盛り込んだ、地域の大人らによる自主学習・積極教育への取り組み」を観ながら、原武史の書いた「滝山コミューン・一九七四」を反射的に思い出したりしてた…。☆そんなわけで、今回は「滝山コミューン・一九七四」の話。

場所は東京郊外の多摩地区にある滝山団地、時は1974年、「滝山コミューン」とは、著者いわく、「国家権力からの自立と、児童を主権者とする民主的な学園の確立を目指した地域共同体」のこと。☆1974年の70年代前半は、いよいよ大学闘争の学生運動をバリバリやってた大学生が大学を卒業し、社会人として社会に出てくる頃。☆滝山団地の子どもらが通う第七小学校にも、大学出た若い先生、片山先生が赴任してきます。☆日教組教育の理論的実践者である、彼が指導する「滝山コミューン」。☆「自由よりは平等、個人よりは集団を重んじるソビエト型教育が、偶然にも同質的な滝山団地の環境と適合的であった」。☆ゆえに第七小では、そういった「滝山コミューン」の旧ソ連型の集団主義教育が学校全体を席巻します。

もちろん、それは「団地環境との適合性」や「片山先生一人のごり押し」だけでなく、当時の第七小には20代の若い教員が比較的多くいた、以前からの文部省の言うこと・よく聞く国の言いなり的立場の校長が退任し、学校自治や教員組合の活動を黙認する新しい校長になった、児童の増加で校舎が応急的なプレハブだったため、その改善要求を学校に突きつけるPTA組織の力が・もともと第七小学校では強かった…などの複合的要因があります。

具体的には「学級集団づくり」で、児童を班に分けて、班競争させて点数をつける。もちろん切磋琢磨の向上もあるが、かたや点数の低い「ボロ班」や「ビリ班」のあぶり出し。☆学校行事や課外活動なども大人の教師でなく、子どもたちが自治的に進める。☆選挙にて立候補・演説やって児童らが主体的にアピールして、係を決めてルールやスケジュールを自分たちで作って活動する。☆集団を乱した児童に対し、皆で自己批判の反省を迫る「追求」の実践もある。☆学習も、算数の「水道方式」に象徴されるような、皆に分かりやすい教授法の授業展開で、脱落者を出さないようにする。☆だから、一部の出来る子どもだけを、さらに伸ばす能力別指導とか、中学受験を目標にした学習塾の詰め込み式教育なんかには、第七小全体で批判的なわけ。☆また日教組ですから、当然・第七小では学校行事式典での日の丸掲揚・君が代斉唱には反対。

著者の原武史少年は、「滝山コミューン」の中心学級の片山先生が担任の5組ではなく、日教組に入ってない教師が担任の3組の生徒で、端からみて5組の片山学級が引っ張る「ソビエト型集団主義教育」に違和を感じている。☆4年、5年のうちは他学級のことなので・そんなに気にしてなかったが、6年生になり、課外活動の林間学校を経て、5組の片山学級の生徒が児童委員会への組織的・積極的な立候補を行って、いよいよ5組が第七小全体の「中心学級」になっていく。☆やがて5組以外の他のクラスの生徒も、大いに片山学級の影響を受ける。☆著者がいうところの、「片山のもくろみは見事に成功し、…6年5組による絶対的支配が確立した。独裁体制の確立と言ってもよい」。☆そして、著者の原少年は、学校全体が「滝山コミューン」化していくことに不快や嫌悪を募らせていく…。

著者の原武史氏の不快や嫌悪というのは、「滝山コミューン」における、ソビエト型の集団主義です。☆これは政治学などで、割りかし昔からよく指摘される逆説の陥穽(かんせい)なのですけど、「国家権力と対決する民主主義や自由主義を標榜する集団組織が、その闘争性ゆえに、集団内部での引き締めで平等や規律が極度に重んじられ、その結果・個性や自由が排除され非常に風通しが悪くて重苦しい、同質的な全体主義的集団になってしまう…」という。

本書を読むと、原少年の小学校時代の回想を述べた後、必ずセットで日教組の研修プログラムやテキストとか機関誌、学級づくり・指導法の関連書籍よりの引用がある。☆そこから「当時の第七小学校の滝山コミューンは、かなり忠実に日教組による旧ソ連型の集団主義教育をやっていたのだなぁ」と、読み手に分かるようになってます。☆それで原少年は、そういった「滝山コミューン」の、「自由や個性が認められない同質的な全体主義」に、以下のような反感の感慨を持つ。☆おそらく、この部分が著者の核心の思い…まさに「心の叫び」というか、本書での一番の読みどころ。

「滝山コミューンに対して、当時の私が抱いた最大の違和感は、なぜ子供が背伸びして大人のまねをしなければならないのかというところにあった。何が『民主主義』だ、何が『民主的集団』だ。子供は子供らしくすればいいではないか」(単行本・151ページ)

この本は、「国家や政治権力と対決する、民主政を標榜する自治集団が、なぜか同質的な全体主義になってしまう逆説的な社会ファシズム現象」を描いてて、非常に優れていると思う。

この記事、次回へ続く…。