cef780c5.jpg(前回からの続き)原武史「滝山コミューン」は、「国家や政治権力と対決する、民主政を標榜する自治集団が、なぜか同質的な全体主義になってしまう逆説的な社会ファシズム現象」を描いていて、非常に優れていると思う。

読んでて、滝山団地の第七小を席巻する「滝山コミューン」の全体主義、確かに憂うつなのだけど、しかしながら、同時に私は「滝山コミューン」の実態以上に、著者の原武史氏の自己愛が入った書きっぷりに・かなりの憂うつを感じた↓↓。

5組の担任の片山先生を始め、5組の生徒、その他クラスの児童に関し、原氏は本名ではなく全て仮名で書いてます。☆しかし、この本を普通に当時5組だった片山学級の卒業生が読んだら気分悪いだろう…。☆事実、本書の執筆にあたり、元同級生らに連絡とって、こちらの趣旨を説明したが、「相手の了解を得るのは至難のわざであった」。当たり前(笑)。☆「滝山コミューン」の理論的指導者、5組の担任・片山先生(仮名)は、本書執筆時の2004年の時点で、「いまでも大阪の公立小学校に勤める現役の教員」で現職で教師をやってるわけです。☆いくら仮名とはいえ、関係者が読めば一発で誰だか分かるし、こんな一方的に書かれて、片山先生も生徒同様・気分悪いでしょう…。

結局、これは・まだ皆が子どもで児童の小学校時代の話なので、「大学生や成人した判断力ある大人が、自分の意志で共産党などの政治運動に参加したら、思いのほか組織が旧式の全体主義でヒドくて参った。それで自分が経験して味わった、組織内部の暗黒な暴露話をやります」とかの類ではないです。☆「たまたま滝山団地に住んでて、義務教育で第七小学校に普通に入学して行ったら、なぜか学校が滝山コミューンになってた児童らの話」で、自覚的な入党とか離脱などの選択余地がない(義務教育の地域の小学校に通うため)子ども集団の話なので、後々になって扱うこと自体が非常にデリケートな話だと思う。

また著者の原武史少年は、実は4年生の時からから都心の学習塾「四谷大塚」に通い始め、中学受験を目指します。☆やがて私立の中学に合格し、地域の公立中学には行かず「滝山コミューン」から脱出する。☆彼は「滝山コミューン」の第七小の中では、圧倒的な少数派。☆むしろ、中学入試や進学主義に否定的な片山先生を始めとする「滝山コミューン」の面々から批判される立場です。☆しかしながら原氏、「自分は滝山コミューンから距離を取っていたが、同様に当時から学習塾が旗振ってやってた中学受験やら進学主義やらの学歴信仰に決して自分は心酔していたわけではない…いや決してなびいていなかった」という自己イメージ救出の操作を非常に・しつこく姑息に周到にやる。

例えば、自身が学習塾の四谷大塚へ通い始めた記述の後に「いまから思えば、七小の授業に不満があったとはいっても、全くいい迷惑であった。私はいまでも、この時点で中学受験戦争の権化というべき四谷大塚と関わりをもったことを恥ずかしく思っている」(単行本、65・66ページ)といった現在視点からの自己救出の文章を抜け目なく・はさむ。

原武史という人は、これまでの氏の研究の著述仕事からして、「天皇と鉄道の人」なわけですが、学校内でのウンザリする「滝山コミューン」との関わりと新しい世界である四谷大塚への塾通いとの間に、鉄道が好きで当時、都心や地方に鉄道を見に行ったエピソードを・しばしば入れて、「確かに自分は塾通いして中学受験をやるが、私は決してガリ勉ではない。進学主義にも屈服してない。趣味の鉄道もあり、バランスがとれた健全な子どもであったこと」を何気にアピールする。

そして、著者の原少年と同様に四谷大塚の塾に通い、中学受験をやる小林次郎(もちろん仮名)という同級生がいるのですけど、彼に関しては自分に対し周到に丁寧にやるような、「塾通いで中学受験やっても、決して進学主義や立身出世主義に心酔・屈服していたわけではない」イメージの救出とか一切ない↓↓。☆むしろ、当時・小林少年の母親が書いた中学受験体験記の本を今更ながらに持ってきて引用する。☆しかも、「私たちが、なぜ、地域の公立の中学校を避けて、遠くの国立や私立の中学校へ子供を入れようとするのか。それは、一口に言って、それが有名大学への、最も近道だからである」など、教育ママぶり全開の・現在の読者が読んだら確実に・ひくであろう極端な文章を載せる…。☆「イメージが大切な自己の救出」とは対照的に、他者の小林少年はイメージ操作の救出なく、容赦なく奈落の底に突き落とす(笑)。

だが自分に関してだけは、以下のように続けて・またまた手堅く救出↓↓。☆「それはおそらく、四谷大塚に子供を通わせていた多くの親たちの本音でもあったろう。しかし少なくとも私の場合、受験の動機がいい中学に行き、いい大学に進学したいという立身出世的なものとはかなり異なっていたことだけは確かである」(257・258ページ)。☆つまりは、「少なくとも私の場合、私だけは当時の中学受験をやる立身出世な子どもたちとは違っていた…」。☆仮名ですけど、第七小学校で同級の小林少年に当たる人が今この本読んだら、他の同級生らと同様・これまた気分悪いでしょうね。

結局、「滝山コミューン」を問題にする著者の視点や問題意識は・そこそこ優れていて、まずまずなのだけど、自分以外の他者、例えば5組の片山学級の生徒、片山先生、同じ塾通いしてた小林少年に対する、著者の原武史氏の容赦ない書きっぷりが・えげつない…感心しない…正直・好きになれない。☆そのくせ、小学校時代の自分のイメージを大切にする、自分だけを執拗に救出して・よく書こうとする自己愛が入ったナルシシズムが非常に鼻につく↓↓。

あまり言うと何ですけど(笑)、その他にも「自分が中学入試の第一志望に不合格だったのは、この試験の結果如何で滝山コミューンから逃れられるか否かが決まる緊張感のプレッシャーから本番の試験では実力が出せず、そのため事前の模試で合格判定圏内だった第一志望の開成中学受験は、不合格で失敗した」みたいなこと書いてます(263ページ)。☆「何だ…この人は自身の個人的な中学入試の失敗の原因まで滝山コミューンなのか…こいつは、滝山コミューンのせいにするのか(怒)」っていう。

「滝山コミューン・一九七四」は社会ファシズムの全体主義の話で、普通に読んでて興味深い話だし、著者も研究者としては優秀なのですけど、私は・こういうタイプの人とは多分・絶対に友達にならない。☆仮に・この人と小中高で同級であっても、この人が呼びかける同窓会には、少なくとも自分は絶対に出席しないし、関わりは持たない…。そんな読後の感想。☆著者は研究者としては確かに頭がキレて優秀なのだけど、何か本の書きっぷりが自己愛入ってて・えげつない…というか、ズバリいうと「未熟で小児病ぽい大人」の悪印象が読後に残る…。

原武史「滝山コミューン」は、「半分が個人史、残りの半分が社会史」な著作。☆そして「個人史」の自伝やエッセイなど記述の際には、人はどうしても過去の自分のことを現在視点からイメージ救出して良イメージで出来る限り・よく書こうとし、他方、自分以外のの他者に関しては比較的冷淡で意外と容赦ない。☆この辺り「個人史」の自伝を執筆する際の難しさ…本書「滝山コミューン」を読むと、ひしひしと私は感じます。