521b2ba3.jpg八柏龍紀(やがしわ・たつのり)「日本史論述明快講義」。☆参考書タイトルに「明快講義」とは、著者の八柏氏、自身の論述指導の「明快」さに相当な自信ありますね(^^;)。

本書では東大、一橋など国立二次の日本史論述の過去問を扱ってます。☆確かに一読して日本史論述の背景知識、解答アプローチ、模範解答など「明快」良著な読後感の好印象が鮮やかに残る(^^)。

今現在はどうなのか知りませんけど(^^;)、著者の八柏龍紀氏は代ゼミ(代々木ゼミナール)の日本史講師の方で、以前には「この指とまれ!日本史」のタイトルにてサブノート式のオリジナル・テキストで解説する日本通史を代ゼミの衛星講座「サテライン・ゼミ」で代々木本校から全国支店の代ゼミ各校舎に講義映像を生中継で飛ばしたり、また「この指とまれ!日本史」の一般書店売り参考書を代々木ライブラリーから出したりしてた。

私は八柏氏とは、もちろん直接の面識はありませんが(^^;)、何となく氏のことは知ってて、秋田の出身の方で代ゼミに移籍する以前は秋田で高校教師やってたとか、進学の受験指導以外にも定時制高校で仕事帰りに酒呑んで学校に来る(笑)社会人に勉強教えてた、高校で元は紀元節に当たる「建国記念の日」の祝日に戦前の天皇制教育復活の反動を感じ反対して、学校内で気まずくなった…といった話。

というのも、この人は予備校で日本史の受験指導やるのと同時にエッセイや日本の戦後史、現代批評の一般書を結構・出してて(「セビアの時代」、「戦後史を歩く」など)、八柏さんの本が好きで一時期・連続して読んでたので、予備校の大学受験指導以外で個人的に間接的に、もちろん一方的に勝手に非常に親しみ持てる、それとなく昔から知ってる人(^^)。

また氏の本の帯に「思想の科学」の鶴見俊輔が推薦の言葉を書いてたり、氏の執筆の本が、九州が生んだ偉大な哲学者で、東大でマルクス主義研究やった廣松渉が資金出して設立した共産主義者同盟(ブント)の「情況出版」から出てたりして、八柏さんの思想背景のバックボーンが鶴見の「思想の科学」や雑誌「情況」を愛読してた私の思想的好みに不思議と合うんだ、これが(笑)。

「この本は、東京大学や一橋大学など、受験科目に日本史の論述を課している大学に合格するための手引き書です。いわゆる受験参考書として出版されるものですが、わたしとしては、この本を『歴史を学ぶための入門書』と位置づけています。その意味で一般の読者の方にもお読みいただければ幸いと思っています」。

以上は「日本論述明快講義」の「はじめに」の文章の一部ですけど、「いわゆる受験参考書として出版されるものですが、わたしとしては、この本を『歴史を学ぶための入門書』と位置づけています」と氏みずから書いて、大学受験生のみならず「一般の読者の方にもお読みいただければ幸い」とあるように、この人は単に受験生への入試対策で日本史を教えるだけでなく、現代批評の思想論壇にまで踏み込んだ、明らかに大学受験指導の日本史を逸脱した歴史を教えたい、時に大学受験生以外の一般の人に向けて日本史を本格的に幅広く教えたい志向が、もともと氏の中に一貫して強くあるため、巻末の「読書案内」にて、まだ10代の大学受験生に時事的で政治的な思想論壇著作を前のめりで、お薦めしてしまう(^^;)。☆大学受験の若い学生を高度に政治的で党派性ある歴史認識問題や思想論争の類いに、安易に誘導し動員しようとするところが…。

「歴史をイデオロギーの道具のように用いている歴史家や評論家もいます。しかし、歴史とは、そうしたものを跳びこえて、なぜそんなことがおこったのか考えることで、今の自分自身の立っている地点を考える。そして、自分自身の水脈がどこから流れているか、…つまり、かつての飢えや戦争のなかで苦しんできた人びとがいるわけで、そうした人びとと現在のわたしたちが時間という流れのなかでつながっていること、それを意識することにこそ歴史を学ぶ意味があるのではないかと思われるのです。その地点から考えると、…単純な謀略史観にとらわれて歴史的事件をおもしろ可笑しく、あるいはいくつかの歴史事象をつなげて、こうなんだと断言してしまう歴史観もよくないと思います。まずは、どうしてなのかと疑問を持つ、そのうえで考える、あるいはさまざまな読書などの体験を通じて社会を見る眼を養う。歴史を学ぶとは、そうした真摯な態度を身につけることにつながるように思います」。

以上は巻末での、氏による「読書案内・あとがきにかえて」の文章の一部。☆なるほど、情況出版から「戦後史を歩く」といった時事的で政治的な著作を出しいてる八柏氏だけあって(笑)、特に「単純な謀略史観にとらわれて歴史的事件をおもしろ可笑しく、あるいはいくつかの歴史事象をつなげて、こうなんだと断言してしまう歴史観」に対する氏の警戒心は相当に強く、ゆえに学生に・お薦めする「読書案内」の本も見事に・ことごとく、そういった国家主義者や復古の保守右派反動や歴史修正主義者らの単純な謀略史観(近代日本は欧米列強や中国共産党の謀略に見事、はめられたとする類いの歴史観)に対する、高度で時事的・政治的な対抗言説の歴史研究や思想論壇の著作群になってしまいます(^^;)。

例えば、テッサ・モーリス=スズキ「批判的想像力のために」、ジョン・ダワー「敗北を抱きしめて」、本橋哲也「ポストコロニアリズム」、野田正彰「戦争と罪責」…など。

その他、時事的思想論壇的なもの以外でも、中世社会史研究の網野善彦や、近世思想史研究の尾藤正英を氏は、よほど気に入ってるようで(^^;)、特に尾藤正英に関しては、本論の論述解説にて「職の構造」に対置される、必ずしも日本史研究の場では未だ定着してるとは言い難い、尾藤提唱の「役の構造」に何度も・しつこく言及してて、八柏氏の個人的な歴史研究嗜好の好みが前面に出過ぎる↓↓。

私自身の個人的な感慨として、これから大学入試を控え日本史論述の勉強をやってる、まだ10代の受験生に、そんな時事的で政治的な日本史著作を読むよう前のめりに勧めたり、自身の歴史研究の嗜好の好みを前面に押し出したりするのは、「とりあえずは自身の中にある知識や嗜好を総動員して、学生に対し自分が教えたいことを自由奔放に無闇に教えたがる年長者の・はた迷惑な無邪気さ」で、大人の教師の教育者として「禁欲」が足りない、早計で軽薄で無責任な印象が強く残る(^^;)。

10代の若い学生には、もっと堅実な歴史の古典の基本な名著を読むよう促すべきで、例えばテッサ・モーリス=スズキの「批判的想像力のために」なんて、あんな左派論壇的な飛び道具的(?)刺激の強い本は無事に志望校に合格して、めでたく大学生になってから、もしくは学校卒業して社会人になって手にして読んでも十分に間に合います。

昨今の世間一般や私の周りでは、若い時期に日本史の歴史学の古典の基本を・じっくり学ぶ習練の鍛練を積んでなくて、時事的・政治的な歴史解釈書や論争の思想論壇書に安易に手を出し、歴史認識に関し結局は学問的基礎が全くなっていないのに、歴史論争的言辞を・やたら周りに振りまく好戦的で恥ずかしい大人、「トンデモ歴史」語りの見るに耐えないヒドい有り様な人、多いですから(^^;)。☆若い高校生や大学受験生には、せめて学生時代には、時事問題や政治的党派に左右されない基本の基礎の歴史研究の古典(日本史概説、史学概論、比較文化論、伝記・評伝など)を腰を据えて、じっくり読んでほしいと私は思う。

そんな・ほろ苦い思いが去来する、若い高校生や受験生に対し適切な歴史教育の難しさを改めて痛感させられる、八柏龍紀「日本史論述明快講義」読後の個人的感想(^^;)。