海を渡った近江門徒

日系カナダ移民のあゆみを主に浄土真宗の仏教会および日系キリスト教会を中心に記したブログです。そして、日系人の宗教を知る上で必要となる、たとえば数的にもっとも多かった滋賀県湖東地方の民俗など、周辺の事象についても述べています。

 つづいて先行研究が二つ紹介されています。


 郷土史家ロナルド・E・マグデン(Ronald E. Magden)は、豊富な史料をもとにシアトル仏教会の戦前から現在までを詳細に検証しています。これによると、1920年代から二世が増加し年齢的にも組織のなかで存在感を持つようになったといいます。二世の組織の代表はロータス仏教青年会です。この会は、1.呼び寄せ(日本生まれなので一世と考えられる。しかし、幼少期に父親の住む移民先に呼び寄せられるので本人は自分を二世と見なしている場合も多い。以上、藤岡注)、2.帰米(アメリカで生まれ、学齢期に達した後に日本で教育を受け、アメリカに帰った二世)、そして、3.生まれも育ちもアメリカという3つの背景を有した二世が融合した組織でした。それぞれ精神性を異にしていると言われてきた3つのグループが同じ世代でかつ日本生まれの一世の親を持つ日系人であるという理由で同じ組織に属したわけです。この会についてのマグデンの論考はたいへん貴重なものなので、本多先生も以後の論述の一部をマグデンの論考に依っておられます。
 社会学者テツデン・カシマの研究は、アメリカ仏教研究のもっとも主要な先行業績とされます。1924年の移民法以降は日系仏教徒(藤岡注、キリスト教とも)にとって排除(exclusion)と適応(adjustment)の歴史だとカシマは結論づけます。仏教会や個々の仏教徒の活動が変化していくのは、アメリカ国内および日本の法律や制度に強く影響を受けている。仏教徒であることはアメリカ国内では常に否定的にみられ、社会的に不利でした。こうしたなかで仏教組織および仏教徒個人はどうにかして適応していかなければなりませんでした。その適応の主役が二世であった、と言います。

 元カナダ開教総長の生田亨成先生と弟の真さんは、日本生まれであることから「一世」であるともいえます。しかし、幼いころに真成先生と一緒に渡加なさったのでご本人たちの意識では、「二世」です。日本語と英語の両方を駆使し、日本帝国の臣民そのまま一世とホスト社会との調整役を担ったのは、主に一世の「呼寄せ二世」と同じく日本で教育を受けた帰米二世だったでしょう。アメリカで生まれ育った生粋の?二世は日本語を少なくとも読み書きにおいてはあまり使えません。しかし、実際には調整役を務めなければならなかったのdしょう。「二世」の寄り合い所帯がどんなものであったか、これから読み進めてみたいと思います。
 

 それでは、本多彩先生の論文「ワシントン州における日系二世の仏教教育」の序論のところからご紹介をはじめましょう。

 ワシントン州の首都がシアトルである、ということはイチロー選手が全盛期のころ所属していたマリナーズの本拠地であることから注目するようになった人も多いでしょう。やはりニューヨークはもちろん同じ西海岸でもサンフランシスコやロスアンゼルスに比すれば注目度が小さいからです。
 しかし、はやくから日本人街が形成され戦前には1万人弱の日系人が住んでいました。1930年代にはアメリカ生まれの二世が台頭するようになり、老境に達しつつあった一世にかわり日系人社会の社会・経済活動のなかでの存在感を高めていきました。1936年の時点で日系人全体の40パーセントが二世でした。
 この論文は、1930年代を中心に二世を対象とした浄土真宗本願寺派北米開教区(BMNA)シアトル仏教会で行われた日曜学校とこれに関係するいくつかの教化団体を考察の対象としています。
 シアトル仏教会は一世男性の仏教青年会が中心となって1901年に創設なれました。この仏教会はワシントン州およびオレゴン州の仏教会の中核的存在で規模も最大でした。
 1930年代の日系移民社会と仏教の関わりについて社会学と歴史学の分野からの先行研究としてフランク・S・ミヤモトの論考が挙げられます(1939年発表)。これは日系人社会のキリスト教と仏教を比較しており、1936年の時点で、キリスト教徒1200人、仏教徒650人としています。ミヤモトはアメリカにおける主要な宗教はキリスト教であって、東洋の宗教で日本のような先祖崇拝のなくなったアメリカの日系人社会では困難な将来像が予見されるとします。子どものための日曜学校にはそれなりの役割があるとしながらも、仏教は静的で集団主義である(relatively immobile, collectivist, and non-active culture)ことから、日系人社会を内向き(inward)にするであろうとしています。したがってミヤモトは仏教会の二世や日系社会への影響はキリスト教に比して限定的で、二世児童と仏教会日曜学校には親和性が認められるものの、アメリカ仏教の将来について悲観的な見解を持っています。

 同志社大学の吉田亮先生編、『越境する「二世」』(現代史料出版、2016年)に収録された、本多彩先生(兵庫大学)の「ワシントン州における日系二世の仏教教育」という論文を要約してご紹介したいと思います。

 私はカナダにおいてある程度の数の二世にインタビューを行ってきました。熱心な仏教徒の二世は口をそろえて「お父さんがお寺に連れて行ってくれた」等といい、両親が外国で生まれ育っても子どもは仏教徒として育ってほしいという強い願望を持っていたことを知りました。

 また、その二世たちが長じて日曜学校教師となりました。彼らはSouthern Alberta Buddhist Sunday Teachers Leaugeを結成し、各仏教会間の連絡と協力をとりつつ三世に向け仏教の伝道活動を行いました。その様子は百数十ページにも及ぶ議事録に残されています。通読してみて深く尊いものを感じました。
 カナダのアルバータ州南部とは異なり、合衆国本土のような日系人人口の大きい地域でどのように二世に仏教教育がなされていたのかを考察する上掲論文に深い関心を寄せます。
 そこで、ほとんどは私自身の学習のために、そして、少しでもこのブログを読んでくださる方々に資するために本多先生のお許しもなく、勝手に取り上げさせていただくことにしました。

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