錦織圭氏の国際試合での活躍は日本人として嬉しいニュースですが、かつて1970年代迄の日本は、未だテニスは「お坊っちゃま」「お嬢ちゃん」のやる「お遊び」スポーツみたいなイメージが強く、今の若者達の持つテニスイメージとは、ほど遠いソレでした。
そのイメージを一蹴してのがスウェーデン出身で、1974年に若干18才の若さで全仏オープンを制し、1976年にウィンブルドンを制し、このあたりから日本のマスメディアも注目、紹介しだしたビョルン・ボルグ、その人でした。
全仏オープンは1978~81年迄、 ウィンブルドンは1976~80年迄!連覇したボルグは、後に日本で「バブル」と命名される時代に突入するかなり前から、「バブル文化」は既に芽をだし花を咲かせていたわけで、、、
1970年代後半はその真っただ中だったので、長髪と髭のルックスのボルグとテニスは、そんな時代の寵児に、日本でもなったわけです。
当時のプロ野球選手はゴルフプレイヤー同様、髪は短く(パンチパーマは勿論)ゴルフウェアが私服で、アメ車のリンカーンコンチネンタルに乗るのがステータスみたいな所があって、、、
これプロレスラーやボクサーもしかりで、当時の日本のスポーツ選手は、顔を知られてなかったら暴力団だかスポーツ選手だか、区別がつかないような時代だったんです(笑)。
そんな時代に長髪に髭のスウェーデンの若者、ボルグが世界のテニス界の頂点にたっていたわけです。
今は韓国企業が買収したようですが、元々はイタリアンブランドだった「FIRA」を、日本でも有名にしたのも、「FIRA」とスポンサー契約してた、そのボルグ。
外人とはいえ、パンチパーマ含む短髪でゴルフウェアじゃないスポーツ選手のボルグは、とても!当時の日本の若者達には新鮮に、そして洒落て見えたもんでした。
そしてボルグより少し前に一時代を築いていたアメリカのジミー・コナーズも、ボルグが人気になった事で、その対戦相手として日本でも注目されるわけです。
が、このコナーズも、1980年前後から日本の若い男のコに人気になった髪型「サーファーカット」(要はおかっぱ頭)だったので、女のコ達の間で人気者に。
で、、、
1980年のボルグの、ウィンブルドン5連覇達成の相手だったのが、ボルグより更に若いアメリカのジョン・マッケンロー。
3時間55分にも及ぶ、この激戦、試合こそが!日本人の「お坊っちゃん」「お嬢ちゃん」のやる、お遊びイメージだったテニスイメージを、完全に変えさせたと言えるでしょう。
テニスは男らしい、カッコいい。
そして、F1レーサーと同じように、莫大な富を有む、、、。
日本人は、気づくんですねー。
まあ、この後マッケンローにボルグは勝てなくなり、テニス界はマッケンローの時代になり、日本でもサーフィンと共にテニスは、「もはやブームではなく」今のように普通に生活に密着した人気スポーツになるわけです。
ちなみに「赤いカード」の丸井が、それまでの「月賦屋」の負のイメージをぬぐい去り、急激に売り上げを伸ばし、今のような存在になるのは、、、
この頃の丸井のバイヤーの功績で、テニスラケット、スキー用品、サーフボードにウエットスーツ、そしてそれに伴う高額な各種ブランドの服等を店に取り揃え、それに当時の若者達が飛びついてからであります(笑)。