日々妄想 -書籍と家電の個人的記録-

一介のサラリーマンの日々の読書記録と家電レビューの覚え書きです。 文庫本を中心に、時々家電の衝動買い、さらにはへっぽこ登山まで?

カテゴリ:著者別(か行)

限界集落株式会社 (小学館文庫)
黒野 伸一
小学館
2013-10-08



 都心から中央高速道で2時間、さらに下道で1時間以上。仕事を辞め、都心から逃れるため祖父の家にやってきた主人公の多岐川優。そこは殆どが老人の、まさに限界集落と呼ぶにふさわしいド田舎…。田舎の風習と現実に戸惑いつつも、ふとしたことから集落存続のために動き出すことに…。


限界集落とは、65歳以上の高齢者が50%以上となり、冠婚葬祭等の社会的共同生活の維持が困難である状態(Wikipediaより)。


こんな環境の中、集落生き残りのために集落営農を掲げ、効率化と収益の改善を始めた優。当然のように変化を受け入れない抵抗勢力、自治体との確執、そして恋愛…。やがて経営は軌道に乗るが、とんでもない事件が待っていて…。


と、読み物としてはいろいろな要素が盛り込まれ、ストーリー展開も良く大変楽しめる内容になっていると思います。個人的には中央道で2時間、そこからさらに1時間ということで山梨県、しかも南部のほうか! と勝手に舞台を具体的に決めて一人盛り上がって読み進めておりましたw。


舞台設定の巧さもさることながら、本書の一番の魅力は、個性豊かな登場人物にあるように感じます。主人公の優は実は優秀なファンドマネージャー、どことなく影のある正登、あかねに代表される農業研修生の面々、そして頑固な正登の娘、美穂。あれっ、限界集落たるべき(?)ご老人があまり出てきませんねw。そうです、主役はあくまで若年世代です。限界集落の存続には、継続的な若年世代の流入が不可欠なのですから、納得出来る話です。


しかし老人達も、集落に活気が出てきたことで活き活きと変化していく様子が随所に描かれ、地域活性化には経済的な面のみならず、精神面での充実が必要であることを認識させられます。


私自身、市町村合併により広大な面積となった自治体の(どちらかと言えば)中心部に住んでおり、この辺りの事情は何と無く分かるのですが、実経験から考えるとここまで都合良く農作物が売れるか?、とか、優の完全無欠な完璧さが鼻につくよな?、等ケチをつけたくなる部分も有るわけですが、まあ小説ですからw。あくまで読み物として考えれば、コンパクトシティ構想、ゆるキャラ(?)によるイメージ戦略等、トレンドもきっちりと押さえられており総じて良く出来た小説であるように感じました。

モップの精と二匹のアルマジロ (実業之日本社文庫)モップの精と二匹のアルマジロ (実業之日本社文庫) 
著者:近藤 史恵
出版:実業之日本社
(2013-04-05)


近藤 史恵の人気シリーズ、清掃作業員キリコシリーズの4作目。今回は初の長編となります。夫である大介と同じオフィスビルで働き始めたキリコ。ある日、見知らぬ女性(真琴)からオフィスビルで働く美形男性(キッチン王子・友也)について調査を頼まれて…。これがきっかけで大介共々事件に巻き込まれて行き…。

このモップシリーズ(と勝手に呼んでいます)、基本は短編でキリコの清掃中に発見した小さな証拠から事件を解決してゆくキレの良さがありましたが、本作では長編ということもありキリコと大介の夫婦生活等も織り込んだ、少しゆったりとした展開となっています。これが非常に良かったです。

今までは短編ということもあり、掃除大好き、料理も完璧なギャル風の女の子、という少し謎めいた(?)設定のままで私生活等は分かりにくく、個人的には掴み所のないキャラクターというイメージがありましたが、本作を読むとああ、キリコも普通の女の子だったんだなあと少し安心(?)してしまいました。

物語の展開は、依頼者である真琴が夫である友也の浮気を疑い、キリコに依頼を行います。友也には夜な夜な通うマンションがあり、浮気の疑いが濃厚。そんな中、友也がひき逃げにあい、過去3年分の記憶が無くなる記憶喪失になる…。そして徐々に明らかになってゆく友也と真琴の夫婦の関係…。

今回はキリコの名推理が冴え渡る、という感じではありませんが、キリコと大介、そして友也と真琴という2組の夫婦の対比を鮮やかに描き出し、そして心がホッコリとするラストへと繋がってゆきます。そしてタイトルにある、2匹のアルマジロの意味も明らかになります。

今までのモップシリーズとは少し展開が異なりますが、登場人物のプロットを活かしつつ長編小説に仕立て上げており、今までのモップシリーズを読んだことがある人には強くお勧め出来るかと思います。

死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日
著者:門田 隆将
出版: PHP研究所
(2012-11-24)





東日本大震災・福島第一原発事故から2年。福島第一原発事故については各種報告書、ルポが出版され、東京電力の事故予測の甘さ、政府対応のまずさ等指摘されていますが、本書は吉田昌郎氏を中心とした免震重要棟、中央制御室といった"現場"サイドの動きを莫大な証言を元にノンフィクションとしてまとめたものです。

読み進めていくと、現場で起こっていたことの重大さ、重圧感にただ圧倒されます。中央制御室内での動向は、例えばTV番組(NHKスペシャル 東日本大震災から2年)でも恐らく同じ証言を元に構成したと思われる場面がありましたが、本書と比べて何と無く薄っぺらく感じました。

それは、文章の持つ"余韻"であったり、我々読者の想像による補完等あるのかもしれませんが、一番の要因は現場で働く人たちのバックグラウンドがTVでは語られなかった点にあったのではないかと感じます。

中央制御室で働く人達は、地元福島の人々が殆どです。非番の日であっても地震後には駆けつけ、何とか原子炉の冷却を試みようとする背景には職務を超えた、何とかして故郷を守ろうとする使命感を強く感じました。

特に放射線量が上昇した後に原子炉建屋に入るための人選の場面には言葉を失います。原子炉・放射能をよく知る彼らをして"決死隊"と言わせることは、最悪の事態を想定していることでもあり、まさに"死"を賭けてでも任務を遂行しようというわけで…。

もちろん現場を指揮する重要免震棟の吉田所長の奮闘ぶりにも目を見張るものがあり、特に最低限の人員を残して全員が後方に撤退する場面には鬼気迫るものがありました(いわゆる"フクシマ50"誕生の瞬間)。

それに対して、時折顔を見せる本店、政府の対応ぶりには怒りすら覚えます。ヘリから降りたとたん、怒り散らす総理大臣。正規の除染工程すら破る総理大臣。一言も労いの言葉も無く帰る総理大臣。もはや後からいくら弁明しても遅いかと。

まさに日本のお家芸とも言える、上層部の無能さを現場が補うパターンがここでも展開されていたことが良く分かります。東京電力は事業者として強く糾弾されてしかるべきと思いますが、一方で現場でまさに"命"を賭けて奮闘した人々には最大限の賛辞を送りたいと感じました。

この"現場"が上層部のグダグダを補うというパターン、東京電力に限らず日本のどの現場にもあるパターンかと思います。サラリーマンである私にも心当たりはあります。上層部の無能、と批判するのは簡単ですが、本当に大事なことはキッチリと粘り強くボトムアップを行わない現場サイドにも問題があると私は感じています。例えば製造業であれば一番長く装置・現物に触れているのは現場なのですから現場が一番良く分かっているのは当たり前の話なのですから。

そんな訳で福島第一原発の事故は決して他人事ではなく、我々自身も日々の働き方を再度見直して行かなければということを強く認識しました。福島第一原発事故の教訓は、社会で働く全ての人が感じなければならない。そうで無ければ今も避難生活を送る人々に申し訳がたちません。

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