2007年08月

2007年08月28日

今夜は皆既月食

今夜は満月。そして皆既月食が全国で見られます。
関東地方のお天気はちょっとあやしいけど、でも夏の天気は変わりやすいし見られるかもね。
「天文ニュース」に今夜の状況が載ってます。

「地球の影」を映す月。
蒸し暑い夏の夜、橙色の月に何を想う?

kupmo at 07:33|PermalinkComments(0)TrackBack(0) つらつら 

2007年08月24日

夏の名残り

夏の名残り

夏の花火、楽しみましたか?
私は東京の花火は今年は見なかったけど、地元の花火は見ましたよ。

大きい花火大会は遠くの土手から、その辺の近所の人たちに混じって、
家から持参した胡瓜やトマトや買って来た焼そばなんかを食べながら
これまた持参した小イスに座ってのんびりと楽しみ、
時には、遠くに上がる花火の音と姿のズレを家のベランダから楽しみ、
それから灯籠流しの花火を楽しみ。

その灯籠流しでの花火はうちの母親がまだ嫁入り前の頃から続くものだそうで、
昔はドーン、と一発上がると次が上がるまで随分と間があったそうですが、
今はそんなことはなく、ポンポンとたくさん上がります。
でも上げる時間はほんの30分で、
しかも狭い川原で上げるので玉もそんなに大きいものでもない。

でもね、打上げ場所から間近で見られるの。
5月の工業山神祭より間近で♪♪ フフフ。

間近で下から見る花火はホントに美しい。
昇っていく様、開く様が空間的にハッキリと分かる。

花火は美しい。心が震える。
(オーバー? いえ、ホントにそうなのヨ)

今年はお盆に入る頃に伯母が他界。伯母を連れて見に行こうと思っていた
その灯籠流しの花火、軽い体になった伯母も楽しんでくれたに違いない。


短い花火が終わってすぐの道路には
美しく散った花火を包んでいた「カラ」がば〜らばらと散乱していました。
写真はそれを拾ってきたもの。
夏の名残りの一枚。

kupmo at 07:32|PermalinkComments(0)TrackBack(0) つらつら 

2007年08月23日

カイ・フランク

KAJ FRANCK

これが私の持ってるKAJ FRANCK(カイ・フランク)のショートグラス。
(でも右斜め後方3個はカイ・フランクではありません)
IITTALA(イッタラ)というフィンランドのブランド。
真ん中の透明なのが先日買ったもの。

色の種類はもっとあります。
このショートグラスの他にも色々な食器があります。

シンプルだけど、見ても使っても飽きないし、美しい。
これを持ってるだけで幸せな気持ちになれる。
これを持ってるだけで豊かな生活になる。

でもそれは、例えば道端で拾った綺麗なガラスの破片でも同じ。
貝殻でも、布の切れ端でも、昆虫の顔だって。
みんな同じ。

じっと眺めてみると、すべて、完成された美しさを持っているのだ。

kupmo at 20:48|PermalinkComments(0)TrackBack(0) つらつら 

2007年08月22日

星グラス

一昨日、高円寺の古道具屋(アンティークショップね)で掘り出したグラス。
その時はただ色の綺麗さに惹かれて買ったのだけど、家で見たら底が五角形!
カワイイ☆

これもとってもお安かったのだけど、一緒に買ったカイ・フランクの
透明なショート・グラスはナント50円だった。超お得♪
一見、何の変哲もないコップだもんね〜。
きっと近くに住んでたフィンランド人が帰国する際、売っ払ったものに違いない。
(ちょっと考えてみ、ンなワケない)(^^;

4年振りに行った高円寺。駅前も立派になって随分変わったし、
新しいお店もたくさんできてたけど、商店街の雰囲気はまったく変わっておらず、
やっぱ面白い、懐かしい心地のする高円寺なのでした。

グラス

グラス五角形


kupmo at 08:17|PermalinkComments(1)TrackBack(0) つらつら 

2007年08月20日

言葉は生きもの

でもね、私にとって「修行=大変なこと」、ではないのだ。

私が「修行」と言う時、まあ多少、おちゃらけ自虐的な感じが含まれていることは確かだが(^^;
それは「自分が体験するもの」、といった感じかな。
「はぁ〜、こりゃ修行だねぇ〜」って感じで(笑)

で、大切なのは、その場で軽く楽しく考えられた時も、そうでなく
辛く苦しいと感じてしまった時も、その瞬間に、またはその後で、
落ち着いて静かな心でその体験を自分のものとしていく作業をすること。
自分の感情を素直に認めながら、同時にそれをすっぽり包み込む
おおきな光みたいな視点で見つめてみる(感じてみる)こと。

たとえどんなに酷い感情を抱いたとしても、そう感じた自分を認めてあげること。
否定しないで。
「あの人のあの行動に対して怒ったんだねー」
「自分の思ったように行動できなくてイライラしたんだよねー」
なんて感じで。

そうした、自分の中を静かに見つめる作業ひとつひとつが積み重なっていく。
突然変わる、ってこともあると思うけど、少しずつ変わっていくってこともある。
行ったり来たりの波を繰り返しながらも、少しずつ、螺旋を上昇していく。。

     * * * * * *

それにしても言葉って人それぞれ使い方(意味づけ)が違うよね。
しかも私は結構、世間的に使われている意味じゃないふうに
自分で勝手に使っちゃう時があるから、そのへんのところはも少し気を遣った方がいいね。

同じように以前「勉強」という言葉も、私はとてもポジティブに使っていたのだけど、
多くの人にとっては「勉強」というと「苦労してやること、身を削ってやること」
のように採られることが多いようで、私は好きで楽しくやっていた「勉強」も
「そんなに堅苦しくなく、楽しんだ方がいいよ」と助言を頂いたこともあった。


言葉は生きもの。
ある一定のルールでみんな使っている。
でも人それぞれ、全ての肉体がみんな違うように、使う言葉もみんな違う。
でもそれぞれの人の魂は本当はひとつ。
同じように、それぞれの言葉も本当はひとつ。

言葉は生きもの。
言葉は神。
言葉には魂が宿っている。


私は「私の」「修行」という言葉を説明したけど、
本当のところ、深いところではお互いにちゃんと
理解できているということも知っているような気がします。 ☆

kupmo at 12:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0) こころ 

2007年08月17日

♪しゅぎょうという名の〜(古い?)

この世は修行だ・・・

いつだったかなぁ、2年くらい前?も少し前?かな、
ふと、そんな事を思ったのは。
ま、岡野『陰陽師』を読んでからには違いないのだが(^^;

自分のこの世の人生、日々の生活、全てのことが修行なんだわ〜、と思った。
そしてそう思うと、自分にとって嫌なことも
「くそっ、修行かぁー」と諦めがつく(笑)のだ。

その体験を通して得るものがあるということ。
体験しなければ得られないということ。。



さて、「修行」と「苦行」。
似てるね。でも違うね。

苦行は当人ではなく他人から見た言葉。
「あの人は苦行をしているね」「あれは苦行だよね」

または自虐的な嘲笑の言葉。
「こりゃ苦行だよ〜」

そして、自らの修行をネガティブな心で捉えた時、それは苦行になる。

でも、その苦しみは自らが「苦しいものだ」と判断しているから。
苦しみだと思っているその事柄は、ただ「ある」だけ。
どんなに苦しく辛く悲しい出来事でも、それはただ「ある」だけ…。
それを「苦しく辛く悲しい」ことだと自分の心が判断しているだけ。

大きな気付きだった。
このことを本で読み、その通りだー、とストンと腑に落ちた時、
私の人生の全ての出来事は私に必要な「体験」だったのだと理解できたのだった。
体験は体験としてある。
私はその時々でそれに様々な心の判断をしてきた。

そしてその判断は、こうしている「今」でも、変えられるのだ。。
面白いね。
うまくできてる。。

すべては私の判断。
人それぞれ、それぞれ違う判断。

「私」はその「それぞれ」を「認める」。
ただ、それだけ。


※タイトルの音楽、ナツメロなんだけど、「修行」じゃなくてホントの歌詞が思い出せない〜

kupmo at 07:45|PermalinkComments(1)TrackBack(0) こころ 

2007年08月10日

身近な環境

近所のうちで毎朝ゴミを燃やしている。
縫製の残布だ。
今朝は特にひどい臭い。

田舎はいい、と私はよく言うが、田舎は同時に恐ろしい。

ポリやプラスチック、ビニールなどなど、所謂ケミカルなものを燃やすと
多量の有毒汚染物質が空気中に撒かれる。
それを出さないために、高温で焼却できる施設で燃やすのだ。
でもそれも完全ではない。

石油系の物質は石油に戻すのが一番。
そして、その機械を作った人もいる。数ヶ月前、TVで紹介していた。
でもまだまだ一般には知られていないようだ。
企業は自分たちが作り、売ったものの後始末は何もしない。
今はまだ。
作りっぱなし。売りっぱなし。
これって、恐ろしい考えだと思いませんか?


話は戻って、田舎の話。
みんながそうやって家庭のゴミを庭で燃やすのは、今までもずっとそうだったから。
「ゴミだから燃やしてるんだよ」

そこには環境や地域や地球のこと、そして自分の孫子の代のことにすら考えが及んでいない。

これだけ環境破壊、地球温暖化が情報として伝わっても、そこには自分は含まれていないのだ。

ただただ、今日の生活をするだけ。
毎日、仕事をして近所の人と取り留めのない話をしてテレビを見てお風呂に入って食べて寝るだけ。

恐ろしくないか?
何も知ろうとしないのは恐ろしくないか?
・・・・



毒ガスから逃げて川原に行って、「どうしたらみんな気付くの?」と問うてみた。

みんなでやらないと。
ひとりだけでやるのではなく、ひとりだけを攻撃するのではなく、
ひとりひとり、みんなが少しずつ気付いていき、みんなに浸み渡るようになればいい。

最近のTVCMで

「しっている、から、している、へ」

というのがある。いいコピーだ。

点が少しずつ集まって線になることは実感として知っている。
ますは、役所に電話して聞いてみよう。
啓蒙活動としてどんなことをやっていますか?と。
そこからまた、考え、行動しよう。

少しずつ、そしてスピードアップして行く。良くなっていく。

kupmo at 08:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0) つらつら 

2007年08月06日

まるで龍の目

昨日は夕立。
激しい雷雨のあと、前回の虹と同じような虹がまたでました。
残念ながら写真はなし。

今回は空に雨雲が多く、虹の左側の一部だけがくっきり。
で、そのあたりを時々稲妻が横に走る、という、この世とは思えない美しさ。

夕立はうちのあたり(栃木県)では夏の風物詩。
夕立の後は蒸し暑かった熱気が去り、とても涼しい。夕べは気持ち良く寝られました。

でも夏の夕立は大抵一日だけでは収まらず「夕立三日」と言われるほど、2〜3日続くことが多い。
今はまだ日陰では涼やかな空気だが、夕方までには昨日降った雨が多量の水蒸気となって再び入道雲を作り、今日もまた夕立があるかな。

写真は昨日の激しい夕立が一段落した仕事帰り、まだ黒雲が空を覆い雨が降る中、西の空にその一点だけ、白い太陽の光、というより龍の目のような光。
「うわ〜、きれ〜い!」
と稲妻が縦に走る中、車を停めて写しました。

光


※ そうそう、先日、クリスタルヒーラーのSERAさんとエナさんが主催した榛名でのグループワークに参加してきました。その内容は後ほどアップします。

kupmo at 08:24|PermalinkComments(0)TrackBack(0) つらつら