2006年06月

銃士フィリニオンのスコープの先

以前、西洋系外国人に接する機会があり、宗教の話になったことがあった。僕が無信教者だと言ったら、彼は(たぶん)納得のいかない顔で、『カンガエルのスキなキミなのに、なぜシュウキョウにはいらないの?ソレに、ドウシヨウもならなくなったトキ、ナニにタヨルの?』と言った。自分の無知さ浅はかさと同時に、こちらも納得がいかないという感情でとても気持ち悪い思いをしたことを覚えている。
もちろん、日本にも宗教に非常にのめり込む人がたくさんいる。ぼくの知り合いにも何人かいる。だからというわけではないが、僕は宗教自体を否定はしない。むしろ面白いものとして受けとめている。哲学的な理論を読むのも好きだし、武道を習っていたので精神修業のようなものもやってきてはいる。ただ、神の存在を信じていないことと、信ずるものに全てを懸けること、土足で人の家に上がり込むように勧誘することもしばしばあること、がどうしてもいけ好かない。それで結婚まで行き着けなかった人たちも見てきている。既に僕の歳で、だ。こんなことを書き出すのは自分が悩んでいる証拠なんだけど…。
世の中には格好いい奴がいる。知り合いに言われて説明会に行って来たという友人の話である。入信はしなかった。自分で体験したことしか信じないという奴で、宗教も例外ではなかったらしい。『あれはみんな入りたくなるわな〜』と言い放っていた。入らなかったお前は何なんだ、と言いたかったが、そいつを格好いいと思ってしまっていた僕には言えなかった(>_<)。
かつて芝居、とくに演劇には宗教や政治と密接にからんだ時代があったらしい。よくは知らないが、芝居を使って民衆を動かそうとする流れがあったようである。今も少し残っているようだ。それを知っていて演劇と聞くとちょっと…という人もいる。淋しいかぎりである。こんな風に書いただけで、もしかすると煙たがられるかもしれない。
今の僕にはどうしようもないが、一演劇人としては、いつかは舞台に対するそうしたことも含めた、一種の先入観を何とかしたいと思っている。シンが通ってさえいれば問題ない。先に紹介した、あの友人のような、カオスで格好いい人間になりたいものだ。

修正してやる!

昔の友達に会う用がありました。そいつらの中ではダーツやビリヤード、ボウリングなんかが流行ってるみたいです。古いのか新しいのか。
これらやってて思いました。人間、何にしろ失敗しないと修正できません。時には何度も。それでも想像が現実に伴う人がいます。そういう場合は経験の賜物か、残念ながら才能ということになりますね。
話は少し変わりますが、スタッフがアーティストであるといいました。が、僕はアーティストが好きで職人が嫌いという訳ではありません。
クライアントの要望に応えるのはプロの仕事ですから、それをストイックに実行するのは当然です。プロの人たちは職人の部分と芸術家な部分をあわせもっているものでした。言い方は変ですが、どこかしらマジメにやり、どこかしら遊んでます。こんなことを今になって思うのは、やっぱり一度失敗したからですね(T_T)。そしてその失敗は時間がかなり経たないとよく理解できないのが致命的(T_T)。せめてその能力くらい欲しかったです。
誤解の話で思い出しましたが、芝居がうまいのはどういうことか、という話で、言葉のニュアンス的に『嘘臭い演技が好きな人もいる』みたいな表現があったと思いますが、あれは僕のことです。決してそういう人が嫌いな訳ではなく、むしろ好きです。竹中直人さんとか、生瀬勝久さんとか、ともすればリアルでない芝居と思われることもありますが、僕は彼らの芝居が大好きです。誤解があるといけないので補足しておきます。
ちなみに僕は人生の収支がプラマイ0になるという能力保存の法則?は信じていません(懐疑主義者だから(- .-)y-~~~)。ので天才があまり好きではないです。何故そうなるのかは、失敗が重要だから…詳しくはまた。と言ってまとまらない話から逃げる僕でした。とほほ(>_<)

熟考戦隊タクティカレンジャー

W杯がはじまりました。日本は強豪チーム揃いのリーグですが、どこまでやってくれるでしょうか。楽しみですね(^O^)
とはいうものの、僕はサッカーを見るのはそれほど好きではないです(;^_^Aサッカー部だったのですが、やっぱりやる方が好きですね。僕の現役時代はウイングバックではなく、ウイングとサイドバックに分かれたポジションが主流で、足の速さだけが取り柄の僕はOFでもDFでもそこで走って上げることをひたすら考えてましたね。今のサッカーも変わったと思います。
僕は、そう好きでもないことはほとんど集中できないので弱点なんですが、好きなことの集中力は高い方です。拡散視能力よりも一点凝視能力の方が優れていると思います。サッカーではあまりよいことではないですが(・_・|どうやったら自分の足を活かせるか、そればかり考えました。『使ってもらう』ポジションだったんです。結果はあまりともなわなかったですが…(T_T)でもそれで考えるのがとても好きになりました。
以前石橋を叩いて渡る話もしましたが、あれは僕が臆病者であることの例えと同時に、作戦を寝るのが好きだという意味も含まれていました。その人の戦術観には本質があらわれ、それで全てが推し量れると信じています。
例えばサッカーもそうですが、初対面など情報が少ないときはイメージや性格でとりあえずポジションを分けてみることが多いです。血液型を参考にするのもそういうわけです。それをきっかけにして、得手不得手を考えパズルのようにあてはめていくのです。
いま役者をしている僕は、自分がどのポジションで攻めていくか模索中です。どんな役もできるようにしておくことは勿論です。しかしミスキャストはどうしてもあります。武器は有効に使わなければ。
何だか、書いているうちに言いたいことが全く変わってきてしまってつながってないですが、これも僕の心に確かに存在していることなので、よしとしましょう(>_<)
ニッポン、がんばれ!

録画とライブの間

まえに舞台と映画の話をすると言っていてしてなかったので、そろそろしようと思います。まずは舞台から考えてみます。舞台側から考えた時に、映画よりも楽しんでもらえるところはどういうところか。
始めに言えるのは、ライブであること。目の前で役者が動いているリアルさは映画とは比べものになりません。
客とからんで色々なことをする、いわゆる客いじりは、客と一体感がもてる手段としてつかっているところもありますね。円形舞台で、客同士でジャンケンをさせて勝った側にむけて見やすいように芝居をしたりするところもみたことあります。役者がプロのタレントさん達なのでバラエティー的なノリでした。
花道を使ったり、客席の後ろから出てくる、また客席で芝居をするのも舞台ならではです。やりすぎはまずいけど、客の視線を変えられるのも面白い効果です。
あとは、小屋にお香を炊いて、嗅覚からもアクセスしてる舞台もありました。池の中の足場でやったり、ただの廃屋でもいい。芝居はぶっちゃけどこでもできます。ライブみたいに風船やシャボン玉、スモークをたく、屋外なら花火うちあげたり、色々とやってるとこをみましたね。
視点を変えてべつのはなしをすると、舞台はカット割りでないので前のシーンの気持ちを引きずったまま次のシーンを見てもらえる。前のシーンと違うものを期待する場合は多く、すると暗転やカット割りなんかが有効に思えます。そしたら逆に考えれば引きずりたいときは舞台の方が効果的なはず。もちろん流れを考えて場転をする必要はあります。うまくやれば自然に前のシーンを思い出してもらえると思うし。
とりあえず今回はここまで。まだまだあると思います。まあ、また思い出した時に言いますね。

脳内サバイバー、アドレナリンの川へ

だいぶ復活のしんです。ご無沙汰してすみません。体を壊しまして、暫く気が滅入る生活でしたね…。
気というものは不思議なもので、気の持ち様で結果が左右する。余命半年の末期ガン患者が毎日必要に笑いながら過ごしたら完治した、という話も聞きました。更に気は人それぞれに違い、互いに影響しあいます。その人が醸し出すオーラ、目に見えないけど何故かわかりますね!そういえば雰囲気という単語にも気という字が使われていますね。
ちょっと話を変えまして芝居の話をしますと、これまで僕は『舞台上で会話をしろ』と先輩に腐るほど言われてきました。色々な先輩から言葉をかえて何度も言われました。器用な人(=天才?)には始めからできることなんですが、非常に難しい。何となくわかってきた今でも、うまくいかない時も多いです。
これを気に置き換えて言ってみれば、気を感じて応える、という表現になる。何だか大それたイメージで少し胡散臭くなってきましたが、結局は同じところへいきつくことになるんです。相手がどんな感情をぶつけてきているのか敏感に察知して、更に相手にわかりやすいように出す。どっちが欠けてもダメです。会話にならない。昔話したスタッフさんの話と似ていますね。でも両方うまくいくのはそれなりの経験や何かが必要です。自分の感情が普段から相手に伝わらない僕には大きな壁です(;_;)
遥か昔から気というものを取り上げてきた東洋医学はともすれば催眠術などの洗脳・妄想に近いものとして扱われてきました。それが90年代になって、体内に秘める気というものがアドレナリン等の脳内麻薬だったと科学的に証明されました。それでは体外に放出している気はいつ解明されるのか。それが現実になったとき、芝居の上達へのアクセス方法も変わっていくのかな、そんなことも思いつつ、芝居を続けている僕です。その日が生きてる間に来るといいな〜

謝罪

先日僕は、役者の大先輩であります三人の方を待たせてしまいました。遅刻ではなくとも先輩を待たせることはありえないと教えられました。自分の覚悟が足りなかった結果です。申し訳ありませんでした。
Recent Comments
QRコード
QRコード
Recent TrackBacks
  • ライブドアブログ