2006年10月

★オカシネマ特別企画(おかしな監督映画祭)

かわさき、間宮、蘭子、しん、広治が所属している映像集団「オカシネマ」のベストセレクションのお知らせ!当日、しんと広治が司会を!どうなる!どうなる?オカシネマ!
見に来て下さい。
★オカシネマ特別企画(おかしな監督映画祭)
■10月27日(金)19:00開演(開場は開演の30分前)28日(土)19:00開演
両日とも監督、出演者によるトークショーあり
■料金:前売り、当日共に1500円
■ 場所:池ノ上シネマボカン(井の頭線池ノ上駅徒歩1分)
■問い合わせ080−5082−9918(オカシネマ)
シネマボカンバナー

内職ラプソディ

本日は、映画祭と舞台『どん底』のチラシやチケットの配布の打ち合せでした。
地味な作業ですが、大切です。できれば沢山の人に見てもらいたいですから。これは映画も芝居も同じですね。
昨日反応が気になるって話をしましたが、みなさんはいざ作品の反応を聞かれて言うときに、どんなことを言いますか?
本当に感動したなら勿論そういえばよい訳ですし、問題はそうでもなかった時ですね。否定的意見をスパっといえるなら問題はないです。が、そこで本当のことを言いにくい時もありますよね。凄く困ってしまっていた時期もありました。
以前書きましたが僕は最近はなぜか、どんなものを見ても楽しめるようになりました。スキなものはあっても完全にキライなものはないです。むしろ僕にはできないから凄い、と思います。だから実を言うと問題はないといえばないです。ちょっと首を傾げるような作品でも、よい部分は無理せず確実に見いだせます。
故に結論としては、見る側の態勢の問題ですね。変な先入観や知ったかぶりなんかで認められない部分があるので困ったことになる。そういうのとっぱらってしまえば面倒臭くなくなるんです。
勿論作品をより良くしたいというのは僕も同じだから、僕も聞かれれば批評はしますが。言いにくい部分も、自分が言っていけば相手も言ってくれるようになるものです。
だから僕は、好きな部分と嫌な部分を半々に言うようにしていますね。
そんなことを思いながら、せっせと封筒詰めをしているのでありました。

ビリーブ・イン・ザ・マジック?

どうでもいい話なんですが、なんだか僕の話は、面白味がないと言われます。これまでのブログもそうだったと思いますが、笑いの要素はそれほどなかったと思います。
このブログではマジメに芝居の話を考えようと思っていることもありますが、それ以前に、僕がもともと考えるタイプなんだと思います。短所でもありますね。文章で表すとトゲトゲしてるので、厳しい表現だと感じる人もいるらしいです。
しかし、むしろそれを面白いと感じてくれてる人もいるようです。僕としては、そう感じてくれたら嬉しい限りです。青臭いなと感じるからかもしれないし、知識のなさを呆れてるのかもしれないですが、良くも悪くも話に対して何か反応があるというのは、良いことだと思います。
僕の芝居もそうです。なんだか固すぎて、面白くないと言われてきました。単純に笑える意味で面白いことを考えるのは苦手ですね。
ただ、誰か演出してもらって面白いことをやると、笑ってもらえます。いまいちやらされてる感があるのが否めないですが、面白いことは面白いんですね。マジメそうな奴がバカやるのが面白いのか、そのいっぱいいっぱい感が面白いのか。とにかく、僕が笑わせたのを見てそれまでの見方をかえてくれた方もいます。
僕としては、その辺の微妙な面白さをわかってないのが悔しいので、自分の面白さを分析して、こうすればつかめる、ってのを出せていけたらとは思っていますね。
何にしろ『格好つけて格好ついてない』のが格好よいと思っていて、やっぱ僕の芝居観の根底にあるので、笑いの要素もそこにつながればよいと思っています。

アクト思春期: 石は堅くて一人よがり

ものをつくる(表現する)方の人間にとってお客の反応というのは当然ですが、非常に気になります。どの台本をどのように書き替え、演出し、その中でどう役者が動いたらよいのか、客は何を求めているのかよく考えますね〜。最近は何となくですが、わかりやすく、後味の良いものが好まれるような気がします。そして、それこそ僕が表現の世界に入る頃から比べて、好みが細分化してきていて、客みんなに楽しんでもらえるのは困難かとも思っています。絶望はしませんが。
以前僕は、僕ら作り手が見たいものは、客も見たいものなのだ、と考えていました。今はとても一致しないな、と思っています。技術力の問題もあるけど、自分が見たいものを自分で表現するのも苦しいし、見る側とやる側は所詮違う人間で、好きなものが絶対違うんですね。
ちなみに、僕はアマチュア劇団に所属していた頃に実験をしてみたことがあります。自己満足の極地が面白いものに繋がるという考えのもと、役者が演じたい役を書いてきて持ち寄り、それを一本の本にする。ストーリーはありません。一本まるまる書いた人はいないのです。作り手側ではつながっていますが、見てもらいたいのは役者であり、それをいろどるスタッフの表現だったのであえて分からなくさせました。自分のよい部分の見せ方を考え、自分の見せ場をつくるためバトルしました。勿論引くところはありますが、みんな対等です。役者は勿論、スタッフですら自由にやってました。僕はこれのどこがダメなのか疑いもしませんでした。
結果は、あまり良くはないが、悪くもない反応でした。いつもと少し変わっているとはいわれましたが、要するに反応が大して変わらないのです。ということは、今までの公演はあまり伝わっていなかったということで、その公演も同じ結果だったということですね。アイデア以前に、僕らの技量がなかったということです(T_T)。実験になりえなかった。今思うと苦い思い出です。
まあ、アイデア的には問題ないと思うのでいつかやってみたいとは思いますね。機会があれば。時間が掛かりすぎるのが難点かな。
とりあえずそんなことも考えています。また結論がないですが、僕の話はいつも結論らしい結論の出ない話しなんで、これでよいのです!…そういうことにしといてください。

刄は溶かせば弾にもなるか

好きな芸能人や有名人は?と聞かれた時に誰と答えますか?僕は困ってしまいます。僕にとってはすごい人でも、聞いてくる人にとってはそうでもない、ひどいと名前も知らない場合が多いからです。でも、今日はそういう話ではないです。
僕には目指す俳優がいます。外人です。名前はここでは言いません。なんで?と聞かれても…理由は言ったし、知ってる人は知ってるし(あと、こういうの探し当てるの楽しくないっすか?)。
日本人で外人の名前をあげる人は、たぶん外人の、日本人にない表情、仕草、考え方その他イロイロに珍しがってるところあると思います。僕自身も否定しません。東洋に来たら西洋人がモテるのと同じ理由です。それ自体は悪くないと思います。そういう風潮を嫌悪するのがよくない。
逆にそれを利用しようとする姿勢に共感を持ちます。そういう役者さんがいて、すげえ!と思いました。外人の動きとかしゃべり方の、大袈裟だけど自然さギリギリの部分をずっと研究してたと(トリビアとかで出てる有名な人ですね、僕も大好きな役者の一人です。単純におもしろい)。
ある最近のコラムに、『日本人の特徴とは大和魂なんかではない。武士道とは外国人が発見したもので、我々には自国の誇りなど存在しない。どこへいってもそこに染まって信じてしまうカメレオン気質こそ、我が国の特質だ』とあり、まさにそうだと感心しました。だから戦後より今まで、米の腰巾着みたいな行動しかないし、古くは代々大陸覇者の僕であり、戦時中シベリアへいけば左翼になり、宗教にはまればムチャクチャなことも平気でやる。日本人大部分に通る筋なんてないわけです。
ならば、ならばです。その適応能力こそが外国人より秀でている能力なのではないか!日本人にはもともと、信じる力が備わっているのだ。外人に憧れるのは恥じることではない!とこういうわけで、一番好きな俳優には外人である彼の名をあげるわけです。女性はあんまり好きな人いませんが。それは日本人でも同じか。
ではなぜ彼なのか、はまた別の話です。今回とのつながりで言えば、日本人なら絶対にああいうことにならない芝居をするから、ですかね。僕のマイナー好きも自分でひどいとは思うが…でもそれほどマイナーじゃないですよ。あ、これもまた別の話か。
次の話しのネタができたところで、終わります。逃げすぎだな、僕。気を付けます(;^_^A
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