2011年01月29日

58.ラムネの小瓶

ラムネプラスチックのラムネの小瓶。
多くの人が一度(一粒)は口にしたことがあるであろうお菓子の容器。
出先で目にとまり、持ち帰ってきた。
100円程度のお菓子の入れ物(失礼!)ながらも丁寧に作られているなあ、などと思ったのだ。
目映り涼しげで、掌への収まりが優しく、久しぶりに口にしたら、かつてのままの味がした。
ボトルの形状も、記憶の中のアイコンに重なる。
素材は柔らかな樹脂で、仕上げはとりわけ丁寧というわけではない。
それでも、造形、選材や色合い、触感など、元のガラスのラムネ瓶をうまく編集してある。

たいていは、中身がなくなれば捨てられるだろうから、寸胴型のプラスチックでも実用と演出面で困らないだろうし、むしろ製造管理上のメリットがあるだろう。
しかし、それでもこうせずにはいられなかったことが伝わってくる。
きちんと物に正対して作ったであろうこと、机上のデザインだけではなさそうなこと、職人仕事の匂いや作り手の思いが伝わってくる気がする。
その意図ゆえに、長年に渡って多くの人の手にとられ、作られ続け、記号となりえているのだろう。
ただし記号ではあっても無機質なそれではなく、もっと体温に近く、語りかけるような親しみがある。
そこにこの瓶の意図を感じた。
また、それによって掬われる私の心もあった。

これは現代の事務機器の並ぶ空間の中にあって、無機質な材質と形の間で、よい意味での違和感を放っていた。
そのコントラストが目についた。
だから、もしこれが時や場を違えて、茶室にあったらどうだっただろう。
また、前もって鑑賞の対象物として臨んだらどのように目に映っただろう。
物の見え方は、環境やシチュエーション、比較する関係性、見手の心持ちに応じて姿を変える。
見え方もまた一つの「物」だ。
物と見手が働きかけ合う間で相対的に形作られる。
だから、名品と言われる物でも、置かれた場所や見る人、または時を違えたら見向きもされないことがある。
そのために、時間の中に消えていったものがたくさんあったはずだ。
だから、残ったものは氷山の一角として、裾野に広がる風景を束ねるようにして味わい深かったりするのだろう。
そうして形ある物は営みを支え、形作りながら、風景の見えざる奥行きを背負わされ描き出しているのだ。

ラムネ 2物が単に物質としてだけ捉えられても意味がない。
しかし、形ある物は、いつか必ずなくなる。
それゆえに、立派なものであるほどに失われることへの恐怖を必然的に孕んでいる。
しかしこのラムネ瓶は、営みへの優しさや、形を滅することを当初から踏まえている。
そして、人通りの多い道の上で、一息をつかせてくれている。
そうして形なき心を伝えようとしているように見える。
だから、目にとまったのも手を伸ばしたのも、私個人の趣向ではない気がするのだ。
見た目や出来のことはあくまでも入口で、目についたのも手にとったのも、作られたことへの共感、つまりは「縁」と思う。
もちろん、物自体の力も周りにあった物との対比具合にもよるけれど、けっきょくのところ「縁」でしかないと思うのだ。
目につくところにあったのも、これが作られた事自体すらも。

すべては何かとの「縁」によって形になっている。
価値基準はさまざまでも、命と営みのベースには縁がある。
縁が命を支え、営みを形作っている。
だからこのラムネ瓶はこれを手にした私の営みを現している。

これは、現代的な素材と造りによって、多くの人のアイコンとして、日常に浸透し、人と人をつないでいる。
簡易な作りの中に意図と技が練り込まれていて、よく知られていながらも手にとられる機会は意外に少なく、前を通り過ぎて行かれることが多い。
しかし、時に足を止めて見れば、一息つけられる場でもあるのだ。
いわば現代版の茶室の一端だ。

このラムネ瓶を通して感じたのは、良心や潔さだ。
その雛形やモチーフとして思い浮かんできたのは「水」だった。
命と営みはそれを育む心の中にありながらも、その反意と相対に挟まれている。
水はその底流として形なく存在し、命を育むべく流れ、そうでないものを洗い流し、行く先に応じて姿を変える。
その移り変わりが命を形にし、つないでいる。
このラムネ瓶は、その心を汲むために流れ、流れ行く先と収まり所があることを示しているように見えるのだ。

物を見ることは、作り手の心とその源を見ることであり、つまりは心の通り道になることだ。
それというのも、人が命を生み育む心から生まれてきたからだ。
人は心をよりどころに、命の器替えをしながら心を運んでいる。
だから、営みの根本は、命を生み育む心を形にあらわすことにある。
実体感の薄いものほどに、根本的な変わらぬものをあらわにしていたりする。
大切なものは隠れていたり、ごくごく当たり前過ぎて気がつかなかったりする。
だからこそ楽しい道行きなのだ。
ラムネ 3  

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2010年08月13日

57.One Little Press-小さな旅

1アメリカのハンティングジャケットの写真で構成された小冊子。
狩猟用の作業着は、日本に置き換えれば野良着だ。
実用のための造りと落ち着いた色合いに親しみを感じる。
また、ファッション性が鳴りを潜めつつ顔をのぞかせているのが可愛い。
「ほらみてくれよ」と言いげな気持ちが見え隠れしているようだ。
この延長線上に安土桃山の派手な甲冑がある気もしてくる。

これらのハンティングジャケットは、すでにわびさびの中にある。
狩猟も農耕も「命を育むため」という点で同じだし、派手も地味も時間がたてばみんな行く先同じ道なのだ。

アメリカでは、比較的新しい国のためなのか、日本における民芸の類が最近のものの中に見られる気がする。
アメリカに行ったことはないけれど、その隣国のカナダ北部では、薪を割るための斧は必要不可欠だし、野生動物から身を守るためのライフルは実用品だった。
ログハウスは、おそらく現地で採れた木で作られていた。
現代のとりわけ都市部においては、そのあたりのところが対比的によく見える。
そんな中で目にとまり編集されたのだと思う。

ここで話は転じて遡る。
私が一人で遠出をするようになったのは小学生の時だった。
私はよく打撲や捻挫をし、そのたびに祖母の代から付き合いのある先生に診てもらっていた。
その病院は千葉の松戸にあり、当時の私は東京の西側に住んでいたから、ケガをするたびに親に連れられて東京を横断して通った。
それが小学3年生になると、一人で電車を乗り継いで通うようになった。

2一人での道行きと移動は気楽だった。
乗り換える電車が分からなくなっても、だれかに尋ねれば丁寧に教えてくれたし、行き先には顔見知りの先生がいた。
その先生はやがて高齢のため、おもだった診察をご子息に任せるようになり、それから早20年、現在どうされているのかは知らない。
昨年、その隣駅に越してきたからすぐにでも伺えるはずだけれども、足取りは軽くない。
ともあれ、当時の往来の中で、一人で遠方に行くのは楽しいことだとすりこまれた。
その流れで中部地方に住む祖母の家に行き、中学高校時代には一人で旅に出たり山を登るようになり、海外にカヌーで川下りに行ったりした。

旅先では様々な人との出会いがあった。
道を聞いたり色々な話をしたり、時に知り合った人が家に泊まらせてくれてご馳走にあずかったりした。
時に船のチケットを頂いたり、お金を落したために借りたこともあった(後日にもちろん返した)。
というわけで、行く先々で出会う人はみないい人だから、旅に出ることは会ったことのない友人にでも会いにいくようでワクワクしたものだった。
遠出や旅は、引越しが多い私にとって、不慣れな現実の息抜きにもなっていたと思う。
息抜きを通して私は日常にフィードバックされ、旅と日常の間を心地よく往来していた。
その中でこのジャケットをみたら普段着に見えた気がする。

3しかし次第に旅が日常と感じるようになり、日常もまた旅なのだと気がつくようになると、一人では旅をしなくなった。
以降の旅は友人などとの連れ合いだった。
ただし、ヒッチハイクをしたり、時に旅先で出会った人の家に宿泊したりという点での変わりはなかった。
数年前に富士に行った折も現地でヒッチハイクをした。
たまたま森林パトロールの人だったものだからキノコ狩りに連れていってくれ、おすすめの「ホウトウ」を売っている店に案内もしてくれた。

想定していなかったことが起きるから旅は忘れ得ぬものとなる。
浮き草のような旅だからこその出会いや経験があった。
対象と私の間にフィルターが介在しないほど、肉迫できるものがあるから、今もその時の記憶は他に換えられないものとして胸の内に息づいている。

不確定要素に身を委ねることには心もとなさがあるかもしれない。
また、続けていられることにかぎりもある。
それでも身一つの道行きは風通しがよく、そこには時に必要と感じる「開放」があったりする。
だから旅の心はずっと持ち続けていたい。

旅には自分の来し方行く末や、生きることの命題も含まれていると思う。
生まれた時は手ぶらだったし、いつか何も持たずに去っていくことになる。
要は、来し方と行く末の間の出来事を、いかに胸内の輝きに置き換えていくかが旅の本質であり生きる命題だと思う。
言い換えれば、どのような心持ちに至るかという宝探しのようなものだと思う。
そのためにも、飾り荷物は少ない方がいい。
基本的には身軽な方が足取り軽く、心持ち晴れやかになれる気がする。
かさばらず、壊れにくく実用的なもの、そんな目でアウトドア用品を見たし、そんな理由からアウトドア用品が好きだ。
その見方が日用品を見る目ともなった。

4しかし機能だけを追求すると何か味気ない。
物には飾り立てがなくとも、心持ちを潤わせてくれる親和性も必要だと思う。
機能と親和性の間の落ち着きどころが、民芸と言われるものになったのだと思う。
求められた用を果たしながら、営みに溶け込むようになじむこと。
身に添い対話を重ねるほど磨かれていくもの。

この小冊子で編まれているハンティングジャケットもその一つだと思う。
本来の民芸が、作られ使われる中で磨き上げられていったのに対し、これらはある程度見られることをすでに意図されているように見える。
そこには対象を俯瞰し編集する“近代のまなざし”を感じる。
逆に、この今日的なものが「民芸」と言われるものに見える分だけ、時計の針が進んだわけでもあるのだろう。

時代を遡るものをそのまま現代に移項することには無理がある。
しかし、変わらないものは移り変わる中にある。

日常の中に味合い深さを見出だすことや、多様性の面白みを味わうことは「旅をする視点」に根差していると思う。
豊かなくらしを作る「旅を楽しむ」視点。
私にとって、かつて旅は現実の「里」から離れた「庵」だった。
それが、日々の営みを楽しく見ようとする視点が、旅を日常のものとした気がする。
ハンティングジャケットの写真で構成されているこの冊子をみて「楽しい」と感じた時にそう思った。
これもまた、今のところは行く予定のない場所への、着ることがないだろう物への小さな旅だ。
コトコトと馬車の上で揺られるように。

5ちなみにこの小冊子の次号では「ホースブランケット(馬にかける毛布)」を予定しているらしい。
それにもまた様々なパターンの柄があるだろうから楽しみだ。

※ご関心のある方はこちら↓で取り扱われています。
「COW BOOKS」http://www.cowbooks.jp/
  

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2010年08月04日

56.製本と手帳の物語2(ラージ版とスリム版完成の巻)

ラージ版1ようやく手帳のラージ版が完成しました。
当初の予定より大幅に時間がかかってしまいました。

今回サイズが大きくなったことで、重量に耐えうる強度アップが必要でした。
頑丈でも見た目はすっきりするように、嵩張らない収まりどころを探るのに時間がかかってしまいました。
半面、新たに素晴らしい材料と機械に出会うこともできました。
結果として、時間を要しても、よいものにすることがよいと思ったのです。
以下、簡単ながら仕様の紹介です。

まず表紙の芯材を補強することで、厚みをほぼ現状に留めながらも、欲しい強度を得ることができました。
また、本文の綴じ数を3ヵ所に増やすことで耐久性をもたせることにしました。
そして、見返しにギャルドブランシュという製本技法(というより造作名称)を取り入れ、裏打ちにキャラコ(布)を貼ることで、しなやかな強さを確保することができました。

ラージ版2今までに引き続き、私は材料探しをしたりあれこれと口を出したり、吉野さんと話をしながらラージ版開発を進めました。
その過程で「こんなのがあったらいいなあ」から「スリム版」は誕生しました(画像では文庫本と比較するために重ねてみました)。
自分でいうのもなんですが、スリム版は薄手でスリムで可愛いいです。
小さいながらも凝縮感があって「パンチの効いた山椒のよう」にといったら訳がわかりませんが。
ラージ版はこのサイズ(横11.3cm・縦17.7cm・厚さ1.6cm)までなら持ち運びもしやすいかと思いました(画像のラージ版は横12cmですが)。

その他の変更点は、表紙の革に山羊革を用いたことです。
元来、革製本には山羊が最適と言われています。
山羊革はしなやかで張りがあって、表面がスレに強く加工をしやすいのが特徴です。
このたび、探していた革を安定供給してもらえる問屋さんに出会ったことで実現しました。
他に山羊探しに拍車がかかった理由には、今までのトスカーナ革が先日のアイスランド火山噴火により、輸送に大幅な滞りが生じていることや品質面での不安定さに一因もあります。
という訳で、トスカーナ革は「黒色」のみを製作することはできますが、「茶色」については時期未定で保留とさせて頂きます。

ラージ版4あと、紙を断裁する機械に以前より大型のものを導入したことで、大判厚手サイズを断裁しやすくなりました。
断裁面もより綺麗な仕上がりです。
こちらの機械は製本愛好家の方からお譲り頂いた、現在では製造が終了しているものです。
他に、小口染めの染料を変色に強いものに変更したことや、角の丸みをほんの少し角張らせたことで面持ちが少々すっきりしたことも挙げられます。
また、開きやすさを今までの「180°開きやすく」から「出来るならば360°開きやすく」と欲を出しはじめてもいます(スリム版は薄手なため、少々かためですが)。

以上が主だったところです。
細かすぎて分かりにくい点もあるかと思います。
材料に中性紙や自然素材に限定しなければ難なくクリアできる点はいくつもありました。
しかし、そこは吉野さんと私の譲れなかったところでした。
基本的に求めるものとしては、道具として健全に全うしてくれる上で、自然なたたずまいに着地することでした。
飾りや演出は可能なかぎり抑えて、静かな姿の中に充足できるように、などと引き続き思っています。
欲しいのは、“それらしさ”ではなく“そのもの”です。
物である以上いつかは消え行くにしても、ひとときお手元に添えれば幸いです。

ラージ版5■ラージ版の特徴
・サイズ:横11.3cm・縦17.7cm・厚さ1.6cm
手帳としては大きめながら、携帯も想定した手に収まりやすいサイズかと思います。
書籍の新書や全集などでもほぼ同サイズがあります。
(現行レギュラー版よりタテ方向に4センチ長く、ヨコ方向に2.5センチ広くなります)
・ページ数:336ページ
・見返し:薄クリームの無酸性紙
・革:山羊革(タンニン鞣し)
・革色:黒色か茶色(ワインレッドがかった渋い茶色です)
・オプション:しおり紐の色をお選び下さい(なし仕様もできます)
      :小口染めあり・なしをお選び頂けます

■スリム版の特徴
・サイズ:横7.9cm・縦13.5cm・厚さ1.2cm
レギュラー版のヨコ幅を1センチ少々狭くして、ページ数を減らすことでかなりスリムになりました。
男性のYシャツの胸ポケットや女性のハンドバッグにスッと差し込みやすいサイズです。
・ページ数:216ページ
・見返し:薄クリーム色の無酸性紙(ラージ版とレギュラー版と同じ)
・革と革色:山羊革(ラージ版とレギュラー版と同じ)

ラージ版3■価格
・ラージ版:9135円(本体8,700円、消費税435円)
ゴム紐:+200円、小口染め:+315円(税込)、しおり紐なし:−200円
・スリム版:3780円(本体3,600円、消費税225円)
ゴム紐:+100円(税込)、しおり紐なし:−100円、小口染めはありません
・レギュラー版:4750円(送料サービス)
※送料込みの価格です(定形外郵便にてお届けします)。
※画像は、しおり紐・小口染めゴム紐すべてを「なし」にした仕様です。

■お支払い方法
みずほ銀行・ゆうちょ銀行への先振込となります。
お振込先等はメールにてご案内いたします。

倉石公太郎
skyworks@softbank.ne.jp
tel:090−1793−1004

ラージ版6■しおり紐の色:上から「黒・茶・クリーム・チャコールグレー」

  

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2010年06月05日

55.孟宗竹と畑の花

孟宗竹 1近所の図書館でもらってきた孟宗竹。
年が明けた頃、図書館で花入れに使われている竹筒を見て気になっていた。
前々から竹の筒に花を活けたかったが、なかなか目にする機会がなかった。
あっても、意外に手をかけて作られていて、基本的に何かが別物に仕立てていた。
「素っ気ないくらいの造りの方が花に合うのになあ」などと思いながら、探すでもなく探していた。
とはいえ、切り出しただけの竹はそこかしこにあるわけがない。
または、探し物は見つかりにくいようにできているのだ。
だからか、実際に目のあたりにしたとき、「茶の先生かよほどの花好きの人だろうか」と思ってしまった。
というわけで、前々から花を活けたかった“うつわ”を見つけた。
ご覧のとおり、全くもって見事という類のものではないけれど。

竹の線はきれいだ。
真っすぐに伸びようとする力を、自然なゆらぎの中にごく自然に取り込んでいて、意図するとなかなか引けない線をあっさり一息に描いている 。
だから、切り出したままに近い姿に、花はよく映える。
そこで、「以前目にしたときから気になっていて・・・」と図書館に告白したところ、「欲しけりゃあげる」とあっさり了承された。
そして、畑の傍らに咲いていた花とともに、期せずしてわが家にやってきた。
話を聞くと、年の暮れに正月用の竹を切り出すらしい。
のこぎりで切り出したままの仕上げで、しかも切るときに刃を入れ直してあり、切ったあとの乾燥もさせておらず、湯にくぐらせも火であぶりもしていない。
でもそれがいい。
何の気なしにこうなったというぞんざいさに気を許せる気配がある。
だから、「虫がつきやすくないか?」とか「耐久性は?」といったことはさておき、まずは使うことにした。

茶に使われるようなきっちりかっちりと仕上げられた竹の花入れには仕事の密度の高さや背筋の伸びる気持ちのよさがある。
一方、こうした大して手をかけられていないものは“野原”の雰囲気がとどまっているようで屈託がない。
自然な落ち着きや風通しのよさが気楽だ。
石垣のように堅牢な物にも、破れ障子の部屋にも、それぞれの場所で安らぐ気持ちがある。
その安らぎが“花”なのだ。
風のとまる場所も風通しのよい空間も、くらしには両方あった方がいい。
つねに衆人監視とスーツ姿では息が続かない。
少なくとも、花はどちらの風景の中にも咲き、よく映え、和みと酸素を供給してくれている。

孟宗竹 2対比関係は一体となるべく「つがい」でもあり、ともにあることでハーモニーとなる響きもある。
落ち着き所や収まり所は、いつも何かと何かの間にある。
人も物もドラマも、何かと何かの関係性を孕みながら収まりどころに向かって線を引いている。
そして、どの道を辿ってみても、行く先々の風景の中に落ち着き所があることを示すように、道途中にもおさまり所があることを示すように、太陽は昇り花は咲いている。

花のあるおかげで、道々は知らず知らずのうちにも和みを恵まれている。
あっさりとした程のよい収まり所が見つかれば、「ベスト」と言わずとも、少なくともかなり程度のよい「ベター」なのだ。
そして、花が咲くタイミングは、ひとえに“季節”の都合だ。
いつどこで、何の花がどのように咲くか分からないから、目に鮮やかに映える色がある。
贈り物の嬉しさは、“意外性”にあったりする。
どの季節にも、咲く花散る花はあり、それによらず心のたがをゆるりとおろせるように花を活けられる時もある。
大切なのは、咲いた花を受け止めることだ。
花は根本的にその姿で円を描きながら、縁あるものを丸くおさめようとしている。
竹は身の円筒を空に打ち上げて放物線を描いている。
花がどこにでも咲くように、弧は伸び行く先で結円する。
たとえばこの花のように、気がつけば竹筒にストンと活けられてしまっていたりする。
本当は、ただ季節の風に身を揺らし、ただ花と咲くために存在していれば、きれいな線を引けるのだろう。
ところが、そうは簡単にいかないから様々な山と谷がある。
だから季節があるのかもしれない。
それでも、振り返った時に目に入るのはなだらかな稜線なのだろう。
だからこそ、こうして流れる言葉もあるのかもしれない。
徒花ならぬ時の埋め草として。
  

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2009年12月25日

54.インド・ワルリ族のくらしと絵

仲直りの樹 昨冬、あるギャラリーでインドの少数民族であるワルリ族の絵を観た。
雑誌に掲載されていた絵に目がとまったことがきっかけだった。
今までインドに行ったこともないし、それまでワルリのことも聞いたことがなかった。
でもなぜか親しみを覚え、素朴さと繊細さ、底深さにひかれた。

ワルリの絵はもともと新婚夫婦の家の壁に村人の手によって描かれ、今なお現地で受け継がれる風習だ。
絵は、モチーフとなる人や動植物、自然や神さまといった森羅万象が骨格を抜き出すように抽象され、家畜である牛の糞や泥を塗った上に、水に溶いたお米で描かれている。
絵の中では、神話や民話、儀礼ごとが順繰りに展開されている。
くらしの中に絵があるというより、絵の中にくらしがあると言った方が近いほど、絵とくらしは密接に結びついている。
いわばくらしの絵であり、くらしの見取り図や展開図のようだ。
そして、営みの中から生まれてくる表現に、物や表現、芸術の本来の姿を感じた。

ワルリと日本のくらしには相通じるものが濃厚にある。
稲作、太陽信仰、アニミズム、絵を見て話を聞くほどに日本のことのようで、とてもよその国には思えない。
文明化の度合いや風土や気候、民族の血といった違いを越えて、絵と話を通してみる風景は懐かしく、ふるさとはさもありなんといった眺めになっている。
それが、今の日本に活かすべくものに見えたのだった。

仲直りの樹   もともと壁に描かれていたワルリの絵が、綿や麻、絹などの布にも描かれるようになったのには理由がある。
ワルリ族は文字を持たないので、伝達手段は、空間軸においては口伝えで、時間軸においては絵を介して行われる。
そして、ワルリ族は穏やかで優しい気質ということもあって、他民族に隷属させられたり土地を奪われたりといった不本意を被ってきた。
その中で、独自のくらしと文化を受け継ぎながらも尊厳を失いつつあった。
簡単に言えば、とてもいじめられたので元気をなくしていた。
20世紀半ばになり、ようやくその現状が国際社会に知られると、解放と自立、尊厳を取り戻すべく支援活動が始まった。
そこで、あるときドイツのギャラリーの発案で、ワルリという民族と文化を各国に紹介するために、絵は持ち運びのしやすい支持体に描かれるようになったのだった。
そして現代では、事態はかなり改善に向かいつつあるということだ。

しかし、そこで新たな問題も孕まれつつある。
ワルリ絵画という“プリミティブアート”の一人歩きだ。
少数民族によるプリミティブアートが国外に持ち出され、先進国で美術品として評価され売買されるケースは当たり前に行われている。
たとえばアフリカの各部族、アメリカのインディアン、アラスカのイヌイット、日本のアイヌ、インドネシア、オーストラリアのアボリジニーというように。
それぞれの物は、各地の営みと民族性が相まって、力強く必然的で無二の造形物となっている。
いずれもその地のくらしのために生まれてきたものだ。
ワルリの絵もその一つだ。
くらしの中で描かれてきた絵にスポットがあたれば、絵とくらしが分離する可能性もでてくる。
しかし、問題の本質はそこではない。

仲直りの樹  物が、生まれた背景と切り離され、くらしと分離しているケースはよくある。
そして、物の意味合いや価値、見え方はシチュエーションに応じて変わる。
物には「強さ」が必要だし、くらしには近代性も必要だ。
しかし、橋渡し方によっては民族性のスポイルもありえる。
問題は、くらしの健やかさが損なわれることにある。
現代的なくらしの中では、プリミティブアートは目に鮮やかに映える。
しかし、物を見ることはコミュニケーションのとり方を探ることだ思う。
プリミティブアートとの付き合い方の一つは、今のくらしや物作りに活かそうとする視点で見ることだと思う。

そうした中、日本の「KANSARI(カンサリ)」という民間団体では、ワルリのくらしと絵を併せて紹介されている。
そして、ワルリの絵を生むくらしを継ぐために、民族性と近代化とを柔らかく取り結ぶ“橋”であろうとしている。
たとえばメンバーの一人、高梨瑞穂さんはかつてインドにくらし、学生時代からは専攻と重なるところもあって、ワルリの地を訪れながらまわりの人に紹介し続けてきている。
メンバーの方々は現地を訪れると地元のように「くらし」てくるらしい。
一人一人が自然体で関わられていることがとてもいい具合に働きかけられていると思う。
ワルリにとって、カンサリは橋渡しであり、「活け手」であり「器」だ。
地道な活動ながらも、続けてこられていることに意図の確かさと意義の大きさがあると思う。

仲直りの樹    ワルリの絵はくらしの中で描かれ、くらしは絵のごとく営まれ、現実と表現は手をつなぐようにして歩んできた。
その表現と現実の主題は、太陽の下で地に根ざした、底暖かで和みあるくらしだと思う。
現地のくらしを他所に移すことには無理があるし、そのままの形で維持することも不自然だ。
しかしその心を汲むことには、ワルリにのみ言えることではない営みのエッセンスがある。

かくいうワルリのくらしでは、未だに野生のトラに襲われることもあるそうだ。
それでも「トラは神様。そういうこともある」と捉えられている。
また、こうした絵をくらす彼の地でも、やはり諍いごとは起きる。
しかしその都度、みなで話し合いの席と“仲直りの儀式”が設けられている。
そこでは、生じる違和を和みに溶け込むべく、個々が全体の一環として活けられている。
そうしてくらしは今なおアニミズムの森の中で営まれている。
あたかも“パンドラの箱”が未だ開かれていないかのように。

ワルリと日本、かたや近代の「分離」を孕み、かたや物と営みが一体となった姿がある。
信じることを朴訥なまでに信じきることや、現実の中に充足を見いだそうとすることが、ワルリと日本におけるくらしと物の違いだと思う。
しかし、現実がどのようなものであろうと、過去からの系譜と、季節の実りの上に存在できていることにかわりはない。
ワルリの絵は、営みの「舵」を切り、現実を当たり前と捉えることによる反作用を回避している。
そして、かけがえのないものを守るため、言葉なき意思を表明している。
その心と表現が、今日に長らえ、今日に現れ出た理由に見える。
今、その心を汲み、活かせるかどうかと問われているのだ。
その問いの中に、現代のくらしや営みの命題が込められているように感じられる。
一枚の絵があらわすのは一つの民族だけのことではないものを孕んでいると言っては大げさだけれども、現実に、“今”が「くらしと絵」「民族性と近代化」を併せ活ける器になっている。
そして、その“今”を活ける器として、“ふるさと”が現われでてくれている格好になっているのだ。


Kansari 歩みをのばし、際限なく広がろうとする傍らでは、当初からそこにあり続けている風景がある。
その風景の中に季節の花が咲いている。
「その花を活けてごらん」と差し出されているのだ。
花をいかに活けるかが、今日のくらしだ。
花は、受け取って、その流れを汲んで一輪ずつ活けるしかない。
ワルリの絵は、営みの拠って立つ根を確かめるべく現れた青い鳥のようなものだと思う。
そして「ほら、君の足元をごらんよ!」と親しげな笑みを浮かべながら指し示してくれているのだ。
「あ、ほんとだ」と頭をかきつつも言葉を返すことができれば、肩の力の抜けた表情を返してくれるのだろう。
つまりパンドラの箱はただの箱として、なすすべなく口をあけているのが真相だ。
物は日々健やかなるくらしのため、そんな視点で物とその心を見ていきたい。



山・田んぼ以下、絵の説明です。

■一〜四枚目:「仲直りの樹」;もめごとや問題ごとが起きると、村人たちは話し合いの席をもうける。
当事者が村人たちの前で言いたいことを言い合った後、みんなで「仲直りの儀式」をおこなう。

■五枚目:「KANSARI(カンサリ)」;豊穣の女神。
昔々のこと、神様が集まって「人間は何を食べたら良いだろうか?」と話し合われた。
その結果「お米にしよう。そのために豊穣の神・カンサリにおでまし頂こう」と決まった。
「KANSARI」の名前の由来でもある。


田んぼ・牛 ※ワルリにご関心おありの方、より具体的にお知りになりたい方は、KANSARIホームページをご覧になられるとよろしいかと思います。 
KANSARIホームページ→http://warli.jp/index.html

なお、画像はお借りしたものです。転載はお控え下さいませ。


  

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2009年11月28日

53.竹の柄杓

柄杓1竹の柄杓。

以前、茶の先生の茶道具をいくつか頂いた中にこの柄杓があった。
先生の持ち物と言っても「捨てるなら誰かにあげようか」といったことでまわってきた物。
また、「茶」と言っても嗜みの練習から公のセレモニーまで幅が広い。
さいわいなことに(?)その縁はほぼ前者なものだから気がねがない。
ひとまず形がきれいだと思って頂いていたものを、最近になって使い始めた。
茶を入れる際は(といっても茶道のそれではなく)、この柄杓で鍋から湯を汲んでいる。

我が家ではお湯を「鍋」で沸かしている。
やかんは掃除がしにくいので使わなくなってしまった。
鍋なら中をひと目で見渡せるし風通しもいい。
しかし、お湯のたっぷり入った片手鍋はけっこう重くなるので、一服の気分に滑らかに入って行きにくくもある。
そこで、柄杓で湯を汲みはじめたのだった。

柄杓2湯を汲むたびに、竹の持ち手がしなやかにたわむ。
細い持ち手を通してお湯の重みが指先に柔らかく伝わってくると、気持ちがホッと和み、背筋が自然と伸びてくる。
そうしてお湯を汲むごとに、シーンの色調は動から静へと切り替わっていく。
湯が柄杓を通ることで空間に奥行きと趣きが生じ、ひとときの時間がより味わい深くなってくる。
現代の集合住宅の中に、潤いを含んでしっとりとした岩肌や、林に敷き詰められた木の葉の気配が漂ってくる、気もする。
実際の道具として「よくできている」と思うし、一つの物として「キレイな形」だと思う。
隙なく作られていながらも窮屈でなく、気持ちを和らげつつ引き締めてくれ、ひとときを豊かなものにしてくれる。
単純なものではあるけれど、一朝一夕にできたものにはない良さや奥深さがある。

造りを見ると、まっすぐな持ち手が膨らみ狭まりして伸びた先で、扇状に広がり、水を受ける胴に差し込まれている。
ちょうど、竹の棒が腕となって水を汲む掌を支える格好だ。
真っ直ぐに伸びようとする材料を汲み、造作のおさまりどころを探り、枝葉を払いした後に、川下る石の自然な丸みに至ったといった印象だ。
鉈ではつり、小刀で削り出して仕上げた風でありながらよくよく計算され洗練されている。
キッチリ決めた細部の収まりとメリハリのきいた小気味よいテンポ、全体一つで揺らぐようなのバランスのよさが心地よく、見ても使っても気持ちがいい。
机上のデザインではなかなかこうはいかないだろう。

柄杓3こんな小さな物が不思議なほど時間と空間を作り出してくれる。
そして、舞台の空気が静かに切り替わる中を通って運ばれてくるものがある。
形あるものは、大小形が様々でありながらも心を同じくする相似形だと思う。
様々な姿形は、その時々に姿形を変えて移ろう心を活かすためにあるのだろう。

夜空には、当節変わらぬ一点を軸にして周る柄杓もある。
反時計周りにぐるりぐるりと円を描いている。
そのぐるり円が描かれることで巡る季節があり育まれるものがある。
柄杓は、竹林のすがすがしさを無為な心に乗せて運んできてくれた。
ひとつのかたちとして。
  

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2009年11月21日

52.NOTE&DIARY Style Book vol.4

NOTE AND DIARY 1このたび発売された「NOTE&DIARY Style Book vol.4」で吉野さんとの手帳のことを取り上げて頂いた。

以前、エイ出版社編集部の井浦さんから「何かあったら声かけてください」と言われたことがあった。
「何か」とは、「実店舗を開店したり、面白い物を取り扱う時には教えてね」ということだ。
挨拶代わりだったかもしれないし、井浦さんはとっくに忘れていることかもしれないけれど。

ともあれ、手帳が出来上がったら報告しようと思っていた。
数多くの国内外の万年筆やノートなどの文房具に接してきている編集部の人たちの「目」と「手」に適いたいという気持ちもあった。
その手帳が出来上がり、井浦さんや編集部の方々の計らいで、このたび取り上げて頂けた。
一年前には予想だにしなかったことだ。

NOTE AND DIARY 2「趣味の文具箱」シリーズではおもに万年筆を、「NOTE&DIARY」ではおもにノートと手帳を、「物」とそれに関わる「人」を幅広く取り上げ、実に丁寧に掘り下げ掬い取っている。
「人」には、読者の方々も含まれていると思う。
今回、あらためて人と物にとっての「うつわ」であり「活け手」なのだと思った。
手帳と吉野さんと私、それらを活ける「NOTE&DIARY」。
活け手としてまだまだ及ばないけれど、井浦さんに接するたびに励みとさせて頂いている。
カメラマンと編集の方々、読者の方々、本当にありがとうございました。
  

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2009年10月24日

51.預かりもののテーブルと椅子

テーブルと椅子1どこかの工房で製作された机と椅子。
名前は分かっているけど調べていない。

十年以上前のことだ。
あるとき友人と道を歩いていると、どこからかネコの鳴き声が聞こえてきた。
声のもとをたどってみると、ネコは道端の草陰に横たわったままでニャアニャアと鳴いている。
よくよく見ると下半身にケガをしているために動けなくなっている。
おそらくは車に当て逃げをされたのではないかと思われる姿だった。
鳴き声は助けを呼ぶ声だったのだ。

とはいえ私と友人にできることは限られている。
手当てをすることは出来ず、近くの病院に連れて行けるだけの持ち合わせもない。
動物愛護協会に電話をしたところ、あっさりと断られた。
せいぜいミルクを買ってきて飲ませたり、傍らで見守るくらいのことだった。
しかし、目の前のネコはとても弱っていて、ミルクを飲む体力すらないほどだ。
ほとんど目を閉じたまま、ときに目をうっすらと開けてささやくように鳴きかけてくる。
それでも、時にミルクをピチャピチャと飲んでくれると「もしかして」と思わずにはいられなかった。
そんなこんなで小一時間くらい経ったあとだろうか。
前足が片方しかない犬を連れた女性が通りかかった。
「どうしたのよ!?」と言って立ち止まった面持ちはすでに我々と同じだった。

間もなくネコは介護者と一時的な身元引受人によって動物病院に連れて行かれた。
とはいえ、事態は当初からすでに一線を越えている。
先生曰く、この状態では応急処置の痛み止めを打つくらいしかできず、愛護協会に話をしてはみるけど期待はしないように、とのことだった。
半ば予想できていたことだ。
みな頷くだけだった。
我々はネコを託し、動物病院をあとにした。
それが出会いだった。

時に出会いは別れとともにやってくる。
それ以来、私と友人はその女性に何度か会うことになる。
お茶を飲んで話をする、茶飲み友達としてのお付き合いがはじまった。
話を聞くと、彼女は亡くなったご主人の跡を引き継いだ会社を営んでいた。
経営状態は決して楽ではないけれど、どうにかやりくりできていて、自分の趣味にあてる時間を持つこともできている、とのことだった。
話はそんなところから始まって、会うたびに互いの好きな映画や絵などの話をした。
と言っても、私と友人はおおむね「聞き役」として、お茶を飲みながらの話を楽しんでいた。
彼女が週に一回通っている声楽の発表会や、すすめられたクラシックコンサートに行ったりもした。
お付き合いは数年続いた。
あるとき問題が起きた、というか発覚した。
彼女の会社の経理による「使い込み」だった。

テーブルと椅子2彼女の会社は親族経営で、経理は亡くなったご主人の弟だった。
事態を知った彼女は即座に彼を退かせ、自らも退くとともに自分の後任に息子を据えた。
親族以外の従業員はみなパート、手持ちの札は限られている。
主人の興した会社を手放すのはしのびない。
20代半ばの息子は、はじめ拒んでいたものの、けっきょく事態が事態であるだけに引き継いだ。
そして、会社の万が一の事態に備えて、家財の一部を私が預かることになった。
その一部が画像のテーブルと椅子だ。

その後、会社は事態を乗り越えたと聞いた。
しかし彼女はその時以来ふさぎこんでしまった。
何度か彼女に連絡をとろうとしたけれどつながらない。
でも、長い目で見ればそんなときもあるのだろう、と思う事にしている。

これらのテーブルと椅子を今まで実家で保管していた。
それをこのたびの引越し先に運び入れた。
今までは、あくまでも預かり物ということで、10年ほどの間使わずに取り置いてきた。
たまに拭かれはするものの、ほとんどの時をホコリをかぶって過ごしてきた。
しかし、使われようとなかろうと、物も年をとっていく。
すごした季節は何らかの形で形に刻まれ、やがていつか消えて行くことになる。
そこで、使うことにした。
木製品のばあい、ある程度使われてこそ生きるだろう。
過ごした歳月が生じた甲斐になるかもしれない。

形あるものはふるさとからふるさとへの道の上にある。
しかし、たとえ行き先は同じでも、少なくとも辿る道は人それぞれだ。
親しき間柄でも重ならない時はある。
出会いは、道を共にすることだ。
時に、物を介して同じ道を歩くのもいいだろう。
物は心の姿であり、通り道でもある。
物を通して交わされ育まれるものもあるかもしれない。
もしかしたら切れ切れになったものを結び、重なる時がまたくるかもしれない。
たとえそこになんの期待がなくとも。
  

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2009年10月07日

50.紙の米袋

紙の米袋紙製の米袋。

厚手のビニール製が主流となっている今でもまだまだ現役だ。
昔々はわらを編んだものだったらしいけど、じっさいのところ現物を見たことはない。
我が家にはこの紙の米袋が着々と増えていっている。

以前、我が家でのご飯は無洗米だった。
“要”洗米に比べて、お米の栄養素が削り取られていない上に、研ぐ際も軽くすすぐだけでいい。
だから環境・経済面でいいことずくめだった。
だった、というのもここしばらくは白米から五分づきに切り替えているからだ。

五分づきには米屋で精米してもらっている。
ストックがなくなっては精米に行き、なくなっては精米に行くたびにお米はいつも新しい袋に入れられて運ばれてくる。
家にやってきたお米は虫がつかないよう、すぐに大きなタッパーウェアに移し替えられる。
いわば米袋は米屋と我が家とを結ぶパイプラインだ。

五分づきのお米米袋は、他の物と同じく、必要のない時には見向きもされない。
しかし必要とされるシーンでは、これなくして成り立たない。
水に強く丈夫なクラフト紙の二枚重ね、口のところには丈夫な紙製の平紐がついている。
紐を結わいておけば米粒はまずこぼれない。
他に換えられないものの一つだ。
だからなのか空き袋はなぜか取っておかれる。
しかし使われたためしはなく、米粒をこぼすかわりに自らがここにあふれ出してきた。
活躍の場がなく、体をもてあましているのだ。

米袋は今日に至るまで素材と造作を変え、代を重ねてきた。
移り行く命を受け継ぐために、あくまでも“素々”として自らの分を代々貫いてきた。
そのときどきの「今」をあらわしながら、産地と人、命とふるさととをつなぎ、袋の底で歴史の小さな一端を受けとめてきたのだ。
こうした実直な姿に正対できる物は本物だと思う。
ひとときの眼福となる贅沢な物も虚飾の美も、その根ではこうした実直な骨格に支えられているのだろう。

季節の色彩は豊穣の輝きに、輝きは様々な色に置き換わり、器に収められていく。
稲穂と米袋、輝きの輝度を落とした黄土色に一つの落ちつき所があるのだろうか。
最近引っ越した先の米屋では、米袋は使いきりではなく使い回しとなった。
しばらくのあいだ米袋が増えることはなさそうだ。
  

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2009年08月30日

49.製本と手帳の物語

288 1森の手帳。
手製本(手かがり)による手帳。
杜の都、吉野の山からやってきた。

吉野浩さんに出会ったのは昨年の暮れだった。
吉野さんは、グラフィックデザインやCM製作の合間を縫うようにして革を縫い、物作りをしている。
作る物にはペンケースや手帳などがあった。
自分に必要なものを自分なりに、といったスタンスで、肩に力をいれずに楽しむような姿勢に「ホッ」とするものを感じた。
作られた物のベースに、必要だから、作りたいから、そんな素直な気持ちが見える気もした。
また、趣向する物や作る物に骨太な骨格を感じもした。
そして、作る人と見る者との付き合いがはじまった。
当初わたしは、使用上の堅牢さを確かめるための“テスター”だった。
それがいつのまにか、仕様や造作について意見し、紙などの材料を探しはじめることになってしまった。
口を出すのははばかられる。
でも、黙って見てはいられなかった。

288 2作る以上はいい物にして頂きたい。
それは、作る人にとっても、使う人にとっても、使われる動物にとっても、植物にとってもいいことだろう。
命には成仏する義務と必要がある。
ということで、結果良いものとなることを想定し、憎まれ役もまたいいのではと感じることにした。
乗りかかった舟に乗りきっていかずにはいられなかった。
好きになった人に告白しないことでの後悔、失敗したことでのしょんぼり、大げさだけど、生きるとは選ぶことだ。
とはいえ、吉野さんから見れば、作りもせぬ者から口を出され手を出されてはたまったものではなかっただろう。
ともあれ、何故か作るようになった吉野さんと、何故か口を出すことになった私、手帳作りは手と言葉の双方から働きかけられた。

手帳作りの根本的な技法として、西洋の古典製本「ルリユール」が採用されている。
そこで、本を読み、中世ヨーロッパの糸かがりの製本の現物を見、現代の製本家に話を聞きに行った。
同時に使用する材料を探し、紙に関しては計30社ほどの製紙会社から集められた。
要は、製本手帳を通して何を形にするかだ。

288 3あらためて手帳というものを手にすると、何故か思い浮かんできたのは「聖書」だった。
調べてみると、もともと製本というものは、ヨーロッパでのキリスト教の聖書作りから始まったそうだ。
そして近代に至るまで、ヨーロッパでは、各地で食される動物の革が紙として使われていた。
その、堅くて厚手の革を本に仕立てるために、製本の技術が編み出された。
そして、聖書で著されたキリスト教は、ヨーロッパのくらしの根となり文化を生んできた。
製本はくらしを取り入れ、くらしに取り入れられながら練り上げられ、継承されてきた。
日々流された汗、湧き起こった感情の数々、製本はそれらを綴じこんできた。
やがて紙が作られるようになると、材料は革から紙へと移っていく。
しかし、ヨーロッパで作られる紙は厚かった。
近代になって、日本で作られた薄手の洋紙と出会うことで、当初より格段に薄い今日の聖書となることができたのだった。

そうすると今回の手帳作りとは、「キリスト教を通したヨーロッパのくらしと文化」と「日本の技と素材」の“取り合わせ”と“しつらえ”だ。
とても大げさなことだけど、どうやらそれが今回の手帳というものの根っこにあたるもののようだった。
それがコンセプトを通って伸びていくことになる。
果たしてどれだけ形に結びことができるか、そんなことを私は感じた。

288 4とはいえ手帳はやはり手帳だ。
手帳は、文字や記号、線や絵を通して、「時間」と「心」を受け止め活ける「器」であり「家」のようなものだと思う。
表紙という門扉を通り抜け、見返しというアプローチから玄関へ向かい、本文紙という家の中に入っていく。
手帳という家は、パラパラとページを繰ったり、何かを綴ったりして過ごす時を通し、現実を編集する仮想空間だ。
だから、手帳作りは家作りだ。
そして、出来上がった無地の手帳から、オリジナルの福音の書が作られていく。
宗教は、本質的にはくらしのあり方、つまりは、心のあり方だ。
鍵は「わたし」の心の中にある。
手帳は、その時の事を通して、わたしの心を受け止める掌であり、心を映す鏡のようなものだ。
そして、人にとっての肉体と同じで、いつかは消えてなくなっていく。
変わりゆく中に変わらぬものを浮かべていく器だ。
なくなることを踏まえて完成に向かい、その身を全うしていければさいわいなのだ。
その移り行くひとときのあいだ、「傍にいてくれたらいいな」と感じられるものにしたかった。
そんなことは吉野さんにとって訳がわからなかったかもしれないけれど。

288 5それでも私は口を出し、材料をさがした。
吉野さんにとっても、当初から長期に渡ることを想定した素材や造作、根の確かな適切な技法を取り入れることは自然で必然の選択だった。
使いやすく携えやすい一枚の板として、歩む道々の時を受け止め、人の傍らで用に添うために。
こだわりつつも、シンプルで何事もない平明なところへの着地に向かって。
自然さが手帳の静かなる象徴性につながればいい、などといったことを作らぬ者に言われながら。

■手帳という道具に求められるものを整理すると、
・万年筆による筆記に適した、「きめ細やか」で「滲みの極力少ない」「薄手」の紙を使用
・開閉スムース(開くときペターッと開くこと)
・崩れにくい丈夫な構造
・堅い表紙
・手に馴染み携帯しやすいこと
・紙面比率、程よいサイズで造作の収まりがよいこと
・小口を染めることで汚れに強く

■イメージを言うなれば、
・使い勝手のよい道具であり、使い心地よく、単純明快で奥行きある物
・材料や造作にこだわりつつ、落ち着きある自然なたたずまいで、素朴なほどに何事もなく
・洗練に向かい突き詰めつつも、あくまでも、くらしに根ざした本来の民芸に位置する物
・服でいえば“作業着”、人と実用に寄り添ってこその物
・川の流れで丸まった石のように落ちつきのあるやさしい物
・底暖かく健やかなこと 
・作っていて“楽しい”こと

■そのための材料として、
・天然の素材(革・のり)、中性紙を使用。
・上記特性の本文紙
・裂けにくく手ズレに強い見返しの紙
・堅くハリの強い表紙の芯材
・しなやかでスレに強い革

■技法と仕様として、
・製本技法は、頑丈かつスムースに開閉できるように、西洋古典製本(ルリユール)をふまえた糸かがり製本「パピヨン綴じ(製本家・栃折久美子さん考案)」を採用。
・栞紐(スピン)を脱着可能にすることで、好みの色に変えることや、長期保存に適した仕様とすること。
などが挙げられる。

試行を繰り返し、匙加減をさぐり、造作を重ね、吉野さんはひたすら作り続けた。
紙を束ね、折り、裁断し、穴を開け、ひと針ずつの糸かがり、張り合わせ、くるみこみ、張り合わせ、を繰り返した。
時にどん底に陥りつつも、指摘はし続けられ、その都度立ち上がって向かっていった。
私は「何とかなるはず」と旗を振り続けた。
そして、試作の山と孤独の谷を越えて、ようやく手帳は仕上がった。

288 6一つの使いきりの手帳としてはかなりのところまで到達しているのではないかと思う。
材質にしても、造作にしても、一つのまとまりのある物としても。
それでも100%ではない。
だから、今後も材料の変更や仕様の改め、価格の調整はあるかもしれない。
それでも、そのときどきにおいて「これでいいじゃないか」という充足感にたどり着ければ半分成功なのだと思う。
今後、作り手が作り続け、使う人が手にし続けることができたならとても幸福だと思う。
この形あるものの根っこに、「素直さ」や「健やかさ」があれば今後も伸びていけるのではないだろうか。
その点において、吉野さんを信じてしまっていたからここまで来ることが出来たのかもしれない。
いい迷惑だったかもしれないけれど。
各製紙会社・東京製本倶楽部の方、その他、ご協力いただいた方々のおかげで出来た。
私としては、こうした機会に恵まれたことはとても幸せだった。
先行きが見えにくいときもあったけど、やはり結果として見れば「とても楽しかった」。

288 8やっぱり形あるものの根にあるのは「心」だと思う。
きっと、糸がかがり、紙が織り成すであろう「心のかたち」を見たかったのだ。
でも、どんなに作りこんでも、物は使われることではじめて息づき、歩み始めることができる。
そのための気がかりの一つが「価格」だ。
どうしても一日に数冊しか作ることはできない。
シンプル、ミニマムを求めても越えられない一線がある。
使われることで歩き始める使いきりの製本手帳、一冊4500円。
物として価格として、作り手と使い手の折衷する着地点としてはどうだろうか。
いろんな意味で和らぎの一端ともなれば。

それが私から見えた景色だった。


<モデル288仕様>
1:サイズ/横9cm・縦13.5cm・厚さ1.4cm(レギュラー版)
2:表 紙/イタリア産ショルダー革「トスカーナ(色/黒 吉野さんオリジナル版では茶色もあります)」
3:本 文/「トモエリバー52手帳用」クリーム
4:頁 数/288頁(見返し含まず)
5:見返し/マーメイド紙・栗色(吉野さんのオリジナル版で使用)
     /中性紙・薄クリーム色(くらしの空版で使用。
       この中性紙は「特種製紙株式会社製・AFプロテクトH」という無酸性紙です。
       手触り良く堅牢で、本来の用途は写真や文書の長期保存のための特殊紙となります)
6:罫 線/あり(横線)・なし(無地) をお選びいただけます
7:バンド/あり(“なし”をご希望の際はお申し付けください)
■ 価 格 :4,500円(税込4,725円)/一冊
■オプション:小口染め(黒) 200円(税込210円)

<ご注文の際は下記項目をお知らせください>
1.表紙色 :黒・茶
2.罫線  :あり・なし(無地)
3.しおり紐:黒・茶・クリーム・チャコールグレー
4.ゴム紐 :「なし」をご希望の場合は仰ってください。
5.小口染の有無:黒革には黒、茶革にはこげ茶色になります(税込み210円)
6.ご注文冊数:

・お名前:
・送付先ご住所:
・ご連絡先:
・振込先:ゆうちょ銀行・みずほ銀行

ご連絡いただきました後、合計金額とお振込み先口座をメールにてお知らせいたします。
発送は定形郵便(送料無料)となります。

■サイズは、現状「レギュラー版」のみです。
上記掲載の画像とスペックは「レギュラー版」についてです。
(いずれは約2倍サイズの「ラージ版」も予定しています。
サイズ以外は概ね同スペックの予定です。
ちなみにリフィル版なども検討しています。
しかし、何年かかるか、果たして出来上がるか、一切は未定ですが。

■本文紙に使用しているトモエリバー紙の説明として:
辞書などに使われる薄葉洋紙の一つ。
きめこまやかで滑らかな肌質。
スムーズな筆記感。
薄手でもインクの滲みや裏抜けが少ない。
ただし、インクの乾燥に少々時間を要したり、油性ボールペンでの筆記時にはスキップすることもある。
筆記感として、滑り易すぎると見る向きもあるが、A5程度のサイズまでであれば「よし」と判断しました。


288 7<お問い合わせ先>

■製作者・吉野浩さんの工房「Design.Y」  
http://www.ab.auone-net.jp/~design.y/index.html

■当ギャラリー「galleryくらしの空」倉石公太郎
tel:090-1793-1004
mail:skyworks@softbank.ne.jp
もしくは、コメントへの書き込み(Eメール送信されます。内容は非公開ですのでご安心を)

  

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2009年08月05日

48.ステンレスの洗濯物干し

洗濯物干しステンレスの洗濯物干し。
現代の工業製品。

洗濯物を干すとき、以前はよくあるプラスチック製のものを使っていた。
しかし、かさばる上に寿命は短く、どうにも馴染めなかった。
太陽光に脆いからか、使っているうちに洗濯ばさみが次々と割れ、いつのまにか葉をまばらに残す榊のようになってしまっていた。
榊は葉が落ちきる前に新しいものと交換しなくてはならない。
取替えのサイクルが短いのはさておきとしても、プラスチッキーでよそよそしい付き合いと腑に落ちない別れには割り切れないものを感じていた。
日々接する相手とは心を通わせていたい。
地面はしっかりと踏みしめて歩きたい。
というわけで、このステンレスの登場にいたった。

ミニマムで頑丈な造りは、割れることなく、曲がりもしない。
汚れやホコリ知らずでいつもすっきり顔でいてくれる。
見た目涼やかで場所とらず、実質的にも風通しがよくなった。
日々接する時間は短いけれど、以前より体温の通う付き合いができるようにもなった。
今のところ僕たちの関係にヒビの入る余地はない。

こうした、普段はさほど目を留められないものによってくらしは形作られている。
いわば屋台骨だ。
骨組みだけに目立たない。
しかし、屋台を組む部材一つが変わるだけでも空間の表情は変わる。
表情が変われば心持も変わる。
くらしは心のあらわれだ。

心をかたちにするのは簡単のようでむずかしい。
目に前に透けて見えているのに、意外なほどピントが合いにくかったりする。
ピントが合ったと思いきや、次の瞬間には薄布が揺れるように的は移動していたりする。
そうして人と物は追いかけ追いかけられ、掴まえすり抜けのイタチごっこを繰り返しながら二人三脚でやってきた。
ときに成功し失敗を繰り返しながら、物は人とともに生まれては消えしながら歩んできた。

そんな道具は、ときに抽象芸術、コンセプトアートのようだったりする。
これはいわば“ワイヤーアート”だろうか。
しかし、ここにこじつけの説明はなく、語るべきは身をもってあらわされている。
コンセプトが材料を選び、構造となり、構造はそのまま意匠となっている。
無駄を排し、必然を積み重ねたらこうなった、という面持ちだ。
面にピントが合えば、心が通い、息づきリアルに感じもする。

そうした物ではあるけれど、くらし全体から見れば小さな物だ。
それでも、くらしに血を通わせて生かしてくれる寸鉄でもある。
多くの物がある中で、しっかりとしたくらしの屋台骨となる物ははたしてどれだけあるだろう。
日々はその骨組に肉捲かれた生き姿だ。
骨は頑健に、身は軽くに歩んだ方がいいだろう。
心は指先にまで通っていた方が体はポカポカと温かいだろう。
道々は楽しく、後々に後ろ髪ひかれないために、風通しのよい気持ちをはりめぐらせていきたい。
洗濯物干しは、今日も光と風の海にそよいでいる。
季節の息吹を衣にはらみ、身にまとわせてくれるために。
  

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2009年07月17日

47.木っ端のトラック

木っ端のトラック 1木っ端製のトラック。
製造元は匙屋さん。

なんとエンジンまで木で出来ている。
無塗装の簡素な作りではあるけれど経費削減のためではない。
車輪は革製だが、雨の日でも意外に滑らない。
車検いらずの手間いらず、メンテナンス等の維持諸費用もかからずによく走ってくれている。
やはり頑丈さを求めるならシンプルな構造にかぎるのかもしれない。
ただし、積載量は少なく、走ることのできる道もかぎられている。
カーブにはきわめて弱い。
しかし、それでも手放せないこの一台だ。

それはさておき、柾目の木材はたしかに見映えがよく気持ちがいい。
柾目の木材は、筋のよさを買われたフォーマルの場でのプレイヤーといったところだろうか。
一方、こうした木っ端にはほっと一息つける安心感がある。
気兼ねのなさは、陽のあたる縁側でのくつろぎだ。
双方それぞれは、見る「目」によって切り離された、元をたどれば一なる木だ。
四方柾目のすがすがしさは節々あってこそ伸びえたもの、その時々の方向に伸びた枝葉はそれを活かす目があってこそのもの。
つまり、柾目も節も、命を活かす目によって活かされている。
目は心に根ざしている。

木っ端のトラック 2柾目を「ハレ」と見れば、節や木っ端は「ケ」になるだろう。
くらしはフォーマルとカジュアルとを織り交ぜて営まれる。
日常はハレ舞台を必要とし、非日常は地に足つけた日常に根ざしてこそだ。
命の営みは「ケ」と「ハレ」があることで健やかさ保たれ映えあるものとなっている。
結果から見れば、日々は「ケ」と「ハレ」の分離と融合を繰り返すことで丸くおさまっている。
「ケ」も「ハレ」も必要ということだ。
双方ともに愛でられる美がある。
双方をうまく取り入れることが命のまるきに添うのだろうか。


物事の根にある心、心の底に広がる安らかなる和み。
物事は安らぎの掌の上でつくられている。
折にふれて、心は琴線をはじく音符として、糸をつたう雫として形に現れ、生のひとときを潤した後、ふたたび形なき所へと溶け込んでいく。
それまでしばしのお付き合い。

今日もトラック運ちゃんは車を走らせる。
用を離れてなお、トラックは時の中をゆるやかに駆けてゆく。
進む道は気ままでも、心を担うその道はふるさとに通じているからなのか。
然るべきところに根ざす心は強く明るく、
行く先の定まった心は足取り軽く身を運ぶ。
  

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2009年06月26日

46.鶴首の徳利

鶴首1鶴首徳利。
長野県在住の現代作家による焼き締め。
とあるギャラリーでの売り物兼備品として10年ほど花入れに使われていた。
その間、花に目を留める人こそいたものの、その器にまではいたらなかったようだ。
なぜ誰も??と疑問はあるが、器に目が向かなかったのは、それだけよく花を活けていたということだろう。
私としてはよくやって来てくれたの気持ちだ。
もともと徳利は花入れではないけれど、花の“命を活ける”という心が素直に形になっている気がする。
花映りが自然で、器と一体となった“風景”はとてもいいのだが、ただ今手ごろな花が見当たらない。

この花入れだけの話ではないけれど、用途に添いながらも用の中に身を溶け込ませ、よくよく見てみればよく出来た物というのはなかなかない。
これが完璧とは思わないけれど、これ以上ふっくらとしても、ほっそりとしても趣きは変わる。
細部をきっちり収め、全体をバランスよくまとめ上げた匙加減は自然で潔く緊張感がある。
やりようによっては、また別の収まりどころもあるだろうが、これはこれで十分、という気になる。
素材と手と物が一つに結ばれている。
この充足感を感じるものというのがなかなかない。

鶴首2結局、物作りは自らがこれでよしと頷ける心地に向かって歩んでいるのではないかと思う。
技術なくして歩めない道でありながらも、行く先は技術を越えた心の充足、それが難しいところなのではないだろうか。
それは人づくりや教育、子育てにも通じるのだろう。
愛情転じて過保護になれば素材を活かさなくもなる。
何かを作るにおいて、よりよき物をと求める気持ちは欲に転じやすい。
それだけ、丸く収まった心を何事もなく保つことや、素材を活かすことは難しいということでもあるだろう。
人は営みや物作りを通じてそんなところを学んでいるのかもしれない。
実際、形あるものを見ている時、視線の先にあるのは、物を形を為す心のありようである気がする。
そうして向かう先にあるのが、たとえばこの鶴首徳利のように、何事もなく素材を活かし命を活かす自然なたたずまいではないだろうか。
枯淡も“味”も、それを意図すれば虚飾となりやすい。
工業製品も手工業製品も作品も、心のおさまりどころを求めて歩んだ心の足跡だ。
心の収まりどころを見出せたとき、物もまた収まりどころとなりえているかどうか、ともあれ物の軸にあるのは心のありようだ。


鶴首3心の底には“和み”が広がっていて、人はその海のようなところからやってきたのだろう。
そして再び海の水たらんと、日々を営み物を形作っている。
くらしはふるさと作りだ。
くらしは、ふるさとからふるさとへと向かう道を旅するようなことだと思う。
楽しまなくては勿体ない。
どれだけ心落ち着く場とできるかは心次第。
スケールはさておき、素直さは心を落ち着かせ、スケールを越えた風景を見せてくれる。
  

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2009年05月28日

45.コンパス

コンパス1小学生のとき、算数の授業で「円を描く」というのがあった。
その時に親に買ってもらったのがこのコンパス。

かつての仕事で使われていたと思しき父のものを見てはいたが、やはり自分のものとなると身近に感じ嬉しかった。
身近に感じるものであれば、自分のものと言えてしまうのかもしれない。
逆に、いかに「良い」と言われている物でも、身に添わなかったり身近に感じなければ、印象はずいぶん変わりもする。
同じ物でありつつも、ときに印象は相対するほどの違いとなる。
こんな、円に似つかぬ風体の中から、真ん丸い円がくるりころりと事もなげに生み出され、紙上に転がり出てくるのだ。
水面を滑るアメンボや、広がる水紋の源にこのような姿があるようにも思えない。
いずれも当たり前のことではあるけれど、やはり不思議だ。

円を描けたとてどうということでない場合も多いけれど、なくてはならない場面も多い。
幾何や建築、その他諸々、複雑と言われえる構造物の多くはこうした物によって支えられていたりする。
形あるものも歴史も、その底辺ではシンプルで堅牢な仕組や組み合わせで支えられている。
時を遡ってみると、室町の頃には、円を描くことは一つの位置付けもされていたようだ。
大人たちが真面目な顔で円を描いたり見たりしていたのだ。
不思議な光景ではあるけれど、それはそれで何か“わけ”もあるだろう。
小中学で身につけられたことにはそれだけのことが含まれていて、その先で今がこうしてある。
根っことは、たわいなくも、かけがえのないものだ。

ともあれ、このコンパスに関してはさほど使われることもなくここまでやってきた。
それでも、大した数ではないけれど、大小さまざまの円を描いてきた。
今にして思えば、描かれた円は、みな中心を同じくする同心円だったのだろう。
円の中心深くにはコンパスの針先の指す地軸があり、地軸が伸びた先には動かぬ一点がある。
すべてはその一点を中心にしてぐるぐると回っている。
だから、円の全ては、ふるさと同じ子供たちだ。
そして、それぞれはそれぞれの相対に心身を挟ませ、揺り動かされながら、各々の縁の中で、一円を描き営んでいる。
円の大きさも形もさまざまでも、みな心は同じ円の上、というわけだ。

コンパス2くらしを挟み込む相対は、円を一つ一つに切り離している。
その相対の根は、「命を産み、育むこと」と「そうではないこと」に二分されている。
ただ、命あるものとしては、命を健やかに育むべくことが自然な営みだと思う。
そうして描かれるものが、命の本心である「平和」というものなのだろう。
そのために、人も物も形なき心の円を形にするために相対の中にやって来て、縁をつなぎくらしを営むのだろう。
そして、「平和」の反意語とは「命が健やかにあるため、ではないことの全て」と言えるのだろう。
円を描くことは相対の世界の中で丸き心を現すことに通じていて、かつてより描かれてきた円相とは、そんなところに中心があるのではないだろうか。

形あるものは、それを生んだ源を映した姿だ。
円の源は、人の心と体を通して様々な円を描き、同心円は、弧を描きながら季節の幹を昇っていく。
そして、いつしか花を開き、命を生み出す。
コンパスは、そんな営みの抽象として、相対をこともなげに束ねるように円を描き出す。
ふるさと同じ花を描き継ぎ、弧を、起点に結円しようとしている。
そうして継がれた線の枝先にいるのが今の私たちだ。
そして、自らの心を描くようにと、幼い手にコンパスが手渡されたのだ。

このコンパスは、ときに使われ、多くの時を引き出しの中で過ごしてきた。
コンパスにとってみれば、日々の光陰のめぐりがその時々の空模様であり、巡る季節の移り変わりだ。
いかなる線も、円を描く弧であるようにと、四季の移りを越えてきた。
コンパスは、いかなる日にも、命を照らし育む輝きを雛形とした一片だ。
そして、陰日向に散りばめられた子供たちに、隔てなく等しく注がれる心の一端だ。
コンパスを手にしたときの嬉しさは、手元の線を円につなぐ満足感に通じるのではないだろうか。
そして、道すがら、円から伸びた弧は文字となって、一つ一つのカケラを円につなぐべく、こんなことを綴りもする。
ひさしぶりに目にとまったコンパスを手にそんなことを思った。
  

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2009年03月15日

44.クレヨン画

クレヨン画クレヨン画。

あるときに見た光景を、傍らにあったクレヨンで画用紙にグリグリと描きとめた。
昨日のことのようだが、もう10年ほど前になる。

私は大学4年になった頃、写真をぱったりとやめてしまった。
まるで、それまでの3年間をかけてつき物が落ちたかのようだった。
気持ちが、動くドラマを作りたいという方向に切り換わってしまったのだった。
だから、残りの1年間近くは半ば余生のような感じだった。
しかし、年度末の卒業行事を一つの節目と考えてこなしていたところ、期せずして写真業界に就職が決まってしまった。
同期が広告代理店に推薦してくれたのだった。

これもせっかくの機会、一年くらいならなんとかなるかと思いもしたが、はやる気持ちを抑えることはできなかった。
行くあてはなかったが、かといって不安もなかった。
そんな中、この映像が浮んできた。
一見脈絡のない光景をとりあえず描きとめた。
そして、作品に仕立てる前に折りたたんで捨てたところ、家族が拾い、家人が額に納めた。

その後、身は二転三転以上して今に至るわけだが、何がどうなっていくのか、先行きというものは分からないものだ。
しかし、自分にとって当たり前の何てことはないことでも、人にとっての“価値”である場合もあるようだ。
それが“プレゼント”というものでもあるのだろう。
きっと、人生も社会もプレゼントの贈り合いで丸くおさまるようになっていて、そのために、みんなが“ひとカケラ”となって、“欠け”を分かち合っているのではないだろうか。
だから、あるものを持っていても、またあるものを持っていなかったりするのだろう。
だから、出し惜しみも遠慮も、おこがましく勿体ないことなのだ。
しかし、贈り物を受け取るのはけっこう難しかったりもする。

春が来る。
これも心のこもった贈り物だ。
季節は、人が贈り物を受け取り、贈ることを学ぶために巡ってくれているのかもしれない。
季節の色彩や境界は、あいまいなものとなりつつも巡っていく。
変わらずに巡り続けることもしんどいのではないだろうか。
季節も生きている。
いつまでも巡り続けてくれるものではないだろう。
せめて彩りある恵みを味わい、愛で、自分の担うヒトカケラの種を育むのだ。
せめてもの返歌として。
  

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2009年03月09日

43.弥生?の土器

弥生?の土器1弥生?の土器。

古い物好きの親戚が数十年前に手に入れたもの。
弥生の土器との事だが実際のところはどうだろう。
素性はさておき、せっかく土器として生まれ、縁あって我が家のやってきたということで、楽しむことにした。
口のところがお決まりの形に欠けているのは、伯母が掃除中にやってしまったため。
残っている破片を継げば「あらもとどおり」である。
歴史を圧縮してたどってみてもやはりこの姿に落ち着くということだろうか。

弥生の土器と一口に言っても形も大きさも土も様々だ。
ちなみに、日本列島を下から上へと上がっていくにつれて、弥生の土色は白から赤っぽくなっていく、と聞いたことがある。
基本的には、縄文のものと比べて、こんがりふっくらとして、おおむねこのようなものだと思っている。
この弥生(?)の土器を見ていたら、とりわけ縄文の土器との相違などについて感じるところがあった。
縄文の厚ぼったく山谷がうねるような装飾(と言われているので)と、なだらかで薄く膨らんだ弥生の姿は、それぞれの「くらし」と「場」のあらわれなのだろう。
その頃に思いをめぐらせてみた。


むかしむかし、今日ほど人が幅をきかせていない頃、人は半ばよそ者だったことだろう。
植物が生い茂り、様々な生物が跋扈し、現代の里山とは様相を異にする環境の中で、人の立場は非常に危うかったのではないだろうか。
日々の営みは他の存在との場所取り合戦であり、戦国絵巻以上に逼迫した時も多々あったのではないだろうか。
人は、油断すれば命と居場所の一切を奪われるほど膳弱で、存続はさぞかし危ぶまれたことだろう。
そうした状況下での「間」とは、人の存続を危うくする「魔」の侵入を許す場ではなかっただろうか。
だから、居場所を確保し、自らの存在を明確に打ち出すために、物の表面に鬼瓦のような紋様を隙間なく刻み込み、彫り込み、描き込んだのではないだろうか。
紋様のうねりと深さ、密度は、人の存在と居場所を守るための必死のアピールに感じられるのだ。

そうした先人の思いを汲み取るようにして、人は野を切り拓き、なだらかな広がりを住まいとし、行動を定型化し、居場所を広げていった。
おもな営みを稲作農耕へと移す中で、弥生の土器は生まれていったのだろう。
縄文の深く隙間なく掘り込まれた紋様は、人と居場所を守り、狩猟採集を主としたくらしをあらわし、穏やかに膨れた弥生の様は、稲作農耕によるくらしの広がり、住まいへの安心安堵、収穫の喜びといった人心地をあらわしているようだ。
というように、住まいの場や「間」の使い方、営みの姿が形や紋様にあらわれるのだと思う。


弥生?の土器2かつて、紋様はどうしても必要な「用」の物だったのだろう。
そして、当時のくらしを乗り越えた後、かつての名残として「飾り」ともなったのではないだろうか。
そうして、かつて恐れられたかもしれない「間」は、今や「余白の美」ともなった。
余白とは、もともとそこにあったものではなく、人がようやくにして獲得し、守護し続けてきた聖域にも思える。
そして、弥生の穏やかな広がりと膨らみは、卵のようにも見える。
その卵は、人の世の出来事、幾あまたの闘争や、やがて至る和みをも孕んでいるようで、つまり卵はパンドラの箱であり、命とその営為が収まる姿をも宿しているように見える。

人は、空間を切り拓き、物を作り、レイアウトし、未来を見通そうと今の結びどころに向かって営みを捧げてきた。
居場所を築き、物を作るのは、存在を確固たるものとすべく、人が自身を模索しているからなのだろう。
そのために、縄文の紋様は街に転写され、スプロール現象ともなって広がり続けているのではないだろうか。
その軸は何なのだろうか?と思う。

その、人が求めているものは「心」ではないだろうか。
心とは、人の核たるものではないだろうか。
そして、人は心をあらわすために、居場所を確保し、物を作っているのではないだろうか。
心ある物を作ることで、自身のたしかな心をたしかなものと感じようとしているのではないだろうか。
心とは「真心」であり、真心こそ人そのものだと、人はどこかで信じてきっているように見えるのだ。

だから、物=心であり、すべての物事は心の内の景色なのだろう。
そして、物も世界も胸内から生まれ、様々な風景を経て、いつか胸内に収まっていくものなのではないだろうか。
だから、物に問うべきは、物の核となる心なのだろう。
人が核たる心を見出せた時、心は人の骨格や物の芯となり、場や街に整合性をもたらすのではないだろうか。

形ある物は、姿を移し、やがて消えていく。
咲いては散る花の移り変わりが、花の変わらぬ姿だ。
花と同じように、物も、作られては消えてを繰り返してきた。
弥生の土器は、移り行く中で変わらぬものをつなぐために現れた。
素性より生き方が大事だ、この心を見よ、と欠いた身は語っている。
もののあはれがここにもある。

移り行くものの丸き姿を見出すことは、まろやかな物や現実を作り、命のはかなきを越えていくものだと思う。
春の風、秋の空のごとくに移ろいながらも、それでもあてにすべきは心しかない。
くらしはその心を育み運ぶものなのだろう。
心を忘れなきように、と物はあちこちに瞬きながら点在している。
  

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2009年02月28日

42.木の椅子

椅子1木の椅子。

きっと、椅子は家のようなものなのだろう。
身と気持ちの収まりどころは、衣食住の住、“建築物”でもあるのだろう。
だから、椅子探しは一種の住まい探しだと思う。
住まいを転々とするのは落ち着かない。
その心ゆえに、これぞというところになかなか行き着かない気もする。

もし受け継ぐものがあったなら、それも一つの流れなのだろうが、現実は違う。
また、目の前に流れて来たものを黙って使い込んでいられればいいのだろうが、気になるところがそこここに見えてしまう。
そして、家を見るようにして、ここはこうした方がいいのではないか、などとイメージの中で組み替えては水に流してきた。
そうして、しっくりと感じられるものを気長に探している。

住まい探しは回転寿司の皿選びであり、連れ合い探しでもあるのだろう。
つまるところ、探しているのは物であり、自分の分身なのだ。
そして、すべては流れ来て去っていくものであることを分かっていながらも、末永く変わらぬものをと願う心もまた湧いてくる。
でも、きっと、その時々において、ああでもないこうでもないと思いを巡らせたことは“楽しかった”の一言に尽きるのだろう。
だから、いっそのこと、いつまでも見送り続けることも気持ちさっぱりするかもしれない、とも思う。
でも、やっぱり椅子は必要だ。

というわけで、目にした幾つかの椅子に腰をかけてきた。
名のある物もそうではない物もあった。
今のところとしては、椅子だけではないけれど、何かを見て選ぶ時は「第一印象」に尽きる気がする。
結局は、「何とどのような」付き合いをするか、をふまえて見ているのだろう。
そうした中、この椅子に目がとまった。

椅子2大げさな物ではないけれど、なかなかの佳作ではないだろうか。
少々野暮ったく重いけれども、全体から細部までよく練り上げられ、おさまりの綺麗なものに見えた。
一見、変化球のような出で立ちだが、実を踏まえたシンプルで力強い意匠だと思う。
いつ、どこの誰が作ったものなのかは知らないけれど、素材と椅子をよく知る人が作ったのではないだろうか。
でも、もしこれが値の張る、名の知れたものだったら見方が変わる。
無名無銘であると物の実が見え易く、くらしに取り込み易い。
物が「いい物」であることはいいけれど、付き合いやすさも大事だ。
付き合いやすさは親密さに通じる近道だと思っているからなのだろう。

物作りのコンセプトにもよるけれど、自然の風景の中に、物のひな型がある気がしている。
もし、人が自然を含みきる物を作れていたら、現実は現状と違っていたはずだ。
だからなのか、物を見るとき、野の中での自然と感じられるたたずまいであるかどうかを見てしまう。
しかし、物を見、付き合うにおいては、その用もさることながら、愛で楽しむところに実がある気がする。
移り行く目の前の景色をいかに味わうか、それは物を見るにおいてのみ言えることではないだろう。


ところで、下に掲載した椅子はスペイン製の白木の椅子。
探し中の物の一つ。
今のところ、これが椅子の原型に近い気がする。
手作りの量産品で、民芸と言われる以前からの実用品として、沢山作られていたものであるらしい。
しかし、しばらく探し続けているけれど、今まで一つしか見たことがない。
それは西洋民芸の店先で、雨風と日の光に晒され白骨化し、半ば崩れかかっていた。

椅子3この簡素な造りと素朴なたたずまいの中に、椅子としての要素は簡潔に含まれていて、足すもの引くものの間でのごく自然なおさまりどころに感じられる。
この自然さは、日々の営みがそのまま形となっているもののように感じられる。
材質を選んだのも、造形を形作ったのも、くらしだからこその必然性と説得力ではないだろうか。
その自然な出で立ちと落ち着きに親しみを感じる。

見方によっては不足を感じる向きもあるだろうが、原点はまた行き着く姿でもあるだろう。
そして、始まりと終わりの間に存在する様々な姿形を包み込んでいるように感じられる。
シンプルでミニマムで、鷹揚な出で立ちを見ていると「これでいいじゃないか」と思えてくる。
大らかなることが、物の形や大きさを越えた器となっているのだろう。

ちなみに、木工師の故・黒田辰秋氏は、皇居宮殿(千草・千鳥の間)の椅子を製作するにあたり、彼の地までこの椅子を見に行ったらしい。
そして、あらゆる木工の頂点として、この椅子と中国の曲木椅子を挙げている。


物作りは、完成度の高さもさることながら、程よさの加減が、難しいながらも結局求められているものだと思う。
料理の味を決めるのは、匙や火の加減であり、「美味しそうに見えるかどうか」だ。
それは、世界がどのようにあると住み心地がよいか?ということにもつながるのではないだろうか。

全ての物は、全体が投影された断片であり縮図でもある。
全体は、個々にあらわれる。
きゅうきゅうとしてしまっては住みづらい。
「程よさ」とは「楽しむ心」に通じやすいだろう。
そして、住み心地の良さとは、結局のところ目の前の景色を楽しめるかどうかにかかっているのだろう。
心の内に広がる風景が、作ること、見ること、選ぶことに現れ、物に現れ、営みの姿となるのだと思う。

椅子は、人心地をつくことの出来る文明の始まりだ。
なくても生きていけるが、どうしても通らなければならない道でもある。
この椅子から見える眺めはどうだろう。
ちょっと楽しそうに感じ、手にとってみたのだった。
  

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2009年01月17日

41.金のネックレス

金のネックレス 1金のネックレス。

「これ、あんたにあげる」と、あるとき思い立ったように身辺整理をはじめた祖母から差しだされた。
装飾品に対する好みはさておき、ありがたくいただくことにした。


アクセサリーは、男性にとってのネクタイのようなものなのだろう。
様々なバリエーションがそれぞれたくさんある中で、自分にしっくり合うものはなかなかない。とはいえ、物の収まり先は胸元だけではない。
形ある物を通して何かを感じ、ある人を感じる。そう思えるものならば、くらしを支え、生を彩る価値だろう。
物の向こうには人がいる。
作る人、それを手に取り渡す人、そうして物は人から人へと渡り、形なきものが形を介して伝わっていく。

アクセサリーは衣服と同じく身に合うことも大切だが、そもそもは「衣食住」を含むものにも感じられる。
相当遡る話ではあるけれど、そのルーツは人の誕生にまで遡り、人そのものとも言えるのではないだろうか。

多くの場合、物は「実質」的な役割を担う部分と、その実質を「支える」部分の双方とで構成されていると思う。
例えば、道具におけるノコギリでは刃という実質を柄が支え、芸術作品における絵では、絵の具を支持体(紙や布など)が支え、描かれた絵は表具や額縁に支えられている。
人とアクセサリーの関わりにおいては、アクセサリーは人という実質を支える物とも言えるのではないだろうか。

絵について、画家ピカソは「かつて絵は、魔を除けるものとして壁に描かれていた。絵は強くなければならない」というようなことを言っている。
つまり、かつて絵は人のくらしを守護する「お守り」でもあり、守る力の強さが内面に訴える豊かさともなって“美術”品という「富のあらわれ」になったのだろう。
その絵が壁から分離するときに「額縁」は生まれた。
額縁は絵にぴたっと寄り添い、保護し、絵を映えあるようにと盛り立て、周りの空間につなげるべく働きかけている。
そんな親心のかたまりのような額縁や表装は、絵を装う装飾やアクセサリーと言えるのだろう。

金のネックレス 2人における装飾の話は飛躍するが、人は「人→仏→菩薩→如来」へと進むにつれて飾りは少なくなる。
実体が光を放ち始めるために必要でなくなる、と言う方が近いのだろうか。
それはあたかも子供が自立し親元を離れていくようなものかもしれない。
そのことを踏まえると、人にとっての装飾やアクセサリーは、神人の分離に伴って生じた「光の物質化」であり、光なき今を「支え」、自他の関わりを「つなぎ」、来し方行く末とを橋渡す「お守り」と言えるのだろう。
つまりアクセサリーは、人の実体をあらわし、本来非現実的なものを現実に存在させる親心のようなものではないだろうか。
だからアクセサリーのそもそもは、人と切り離されたものではなく、人そのものと言えるのではないかと思う。
例はさておき、やはり贈り物やエンゲージリングに適しているものだとあらためて思う。


一方、最近の祖母は、少女還りをはじめているようだ。
何を話してもおおむね微笑むばかりで、別れ際などは只々寂しそうにする。
そんな祖母が色々なことを忘れつつあることは、彼女にとっての安らぎなのかもしれない。
過ごした日々の中には、思い出すだにつらいこともあったかもしれない。
だからなのか、忘却はようやくここまでやってきた彼女へのプレゼントのようにも思えるのだ。
プレゼントの箱の中には、まぶしい陽射しの中、無邪気に野を駆ける幼子の姿が見えているかもしれない。
懐かしさの中で、過ごした日々は輝きとなって見えているかもしれない。
そしてそれは黄金に輝いているものかもしれない。
そう思ったとき、その輝きは人みなの原風景にも通じているのではないかと思えてきたのだった。

金のネックレス 3この世の実体は金色に輝いていて、生ある日々のことごとくは、それを原型として枝分かれしてきたものではないか。
だから、色々のまじわりが金色に輝く中にこの世の色彩は溶けきっていて、人はその輝きを自らに取り戻すべく各々歩み出し、往時の記憶をたどるように彩りの道を進んでいるのではないか。
そして、懐かしむこともまたその輝きに通じていて、さかのぼる記憶の中の色彩が洗い流されるとき、輝きは取り戻され、金は笑みとなってこぼれるのかもしれない、と思えるのだった。

とはいえ、この世の実体が金色に輝いているとしても、見方を変えれば現実は金が剥落したような「寂び」しきものでもあるだろう。
それゆえに、色々を通して金の輝きを見出す「わび」は生まれたのかもしれない。
そして「わび」は色をたばねる「金」を愛でることだから、一等の席を与えられ、その席は「和み」を大切にするのかもしれない、と思えるのだった。

そう考えれば、目に入ることごとくの眺めは愛でられ、「笑み」に浮かべられるためにあるとも言えるのだろう。
そして、人は出会いを通して別れに向かい、同時に、別れを包むふくよかな輝きに向っているのだろう。
しかし、本当は黄金のかたまりであるはずの日々が「くらし」と言われるのは、輝きを育む道ゆえに秘められたということだろうか。
そうした中において、物質としての金とは、身の内の闇と道々の暗がりを照らす輝きの手本ということだろうか。
であれば、それを活かし、色の実を見出すことが、金にとっての喜びなのではないだろうか。

そうして与えられ贈られた輝きは、豊かな富のもととなり、命を育み、ひいてはすべての命が生き合い、笑みを交わすためにあるのだろう。
すべての色々が笑みに浮かべられるとすれば、この世は祝福の海とも言えるだろう。その海の広がりが黄金に輝くものの実体ではないだろうか。
人はその海から生じたのだろう。
だから、祝福の笑みを互いに交わすことが、人の本然だと思う。
そうして人は、くらしの道を通して金を見出し、自らの輝くところへと向っているように思える。
しかし、こんなことを話しても、祖母は微笑むどころか「大げさなことを言いなさんな」とただ笑うだけなのだろう。

金のネックレス 4ところで、こうしたネックレスの構造は小さい頃からの疑問だ。
ときにこれ以上に細かく規則正しく組み上げられているのは、あれは人の手で作られているのだろうかとよく思ったものだ。
先日、宝飾品の細工職人に話を聞く機会があった。
造りについては聞き損ねたが、彼は自身で工業製品のごとく組み上げていた。
そして「陶芸家はキライ」とのことだった。
その理由は、一個一個の形のゆがみや大きさのばらつきをよしとすることや「味」と見ることが許せないらしい。
やはり、立場が変われば捉え方は逆転もするようだ。
とはいえ、こちらとしてはどちらも好きだしどちらも必要だ。
黄金は様々な色彩あっての輝きだ。
さすれば、いっこうに光らない孫を祖母は見かね、その眺めを「あんたにあげる」ということだったのかもしれない。
父母もそのまた父母もそうして育まれ、つまり輝く海とは祝福であり、親心そのものなのだろう。
このネックレスはその切れ端なのだろう。


  

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2009年01月04日

40.一里塚

こんにちは。
年が明けて間もない中、いかがお過ごしでしょうか?
しばしお休み中の方も、すでに仕事を始められた方もおいでかと思います。

昨年も実に色々なことがありました。
亡くなる人も生まれる人もいました。
そうした中、新たな年の切り替わりに立ち会っています。

今更ではありますが、一昨年から始まったgalleryくらしの空をご覧頂いてありがとうございます。
あいかわらず私は何事かを勝手に書き綴っています。
これでも、おかげさまで、書くことを通じて少しずつながらではありますが前に進めている気がします。

三輪車それは、形あるものを通して紡ぐ何がしかには、くらしや、何かを作る糸口があると感じているからだと思います。
そこには、形あるものが移り変わっていく中での変わらぬもの、姿なき「花」とでもいうべきものがある気がするからです。
そして、「花」の姿に“安心”を感じるからだと思います。

いつまでも咲き続ける花はありません。
植物は、春夏秋冬の中で、芽吹きから結実へと向って姿を移してゆきます。
季節の流れの中で、浮んでは消え、浮んでは消えするように花は咲き、散っていきます。
花はそのとき、水面上に顔を出した氷山のようにも見えます。
そして、水面上で明滅を繰り返す花の水面下には、花を花とする「本体」があるように感じます。
それが、もうひとつの姿なき「花」と感じるものです。

物にも同じことが言えるでしょう。
いつまでもそのままの姿を保ち続ける物はありません。
ゆっくりではあっても、着実にその姿を移していて、いつしかその物はなくなります。


星そうして、花も物も、絶え間なく変化しながら何かを語り、示している気がします。
それが、花を咲かせ、物を形作る、変わらぬものである気がします。
そして、それが花や物が見て欲しがっている「花」と感じるものです。
「花」とは“安心”とも言えるのではないでしょうか。

何かが形作られるにおいて“安心”以上のゆるぎない土台はないように思います。
そして、世界は安心を土台にして形作られているように感じられます。
だから私は目に映る景色の中から“安心”を紡ぎたいのだと思います。

とはいえ、それは結局のところ、この現実そのものなのでしょう。
しかし、私がなかなかそれと見出せないために、分かりやすいようにと、花や物を通して現れ出てくれているのだと思います。
だから、目に見える花や物の、目にとまるところをきれいだなと詠むことがその心づくしに通じる道なのだと思うのです。
きっと、花や物のことは、人にも通じることでしょう。


パレットそこで私は、目線が低く、どれだけスピードの出せるかは分からない三輪車に乗って、この道に漕ぎ出しました。
これからも、道々に繰り広げられる風景を楽しみながら、石を拾ったりしていくことになると思います。
しかし、いつまでもノロノロと走っているわけには行かない気もします。
それでも、目の当たりの風景を紡いでいかないことには、次の道に進ませてくれないようです。

というわけで、今しばし、くらしと物を通して、感じることを書かせて頂きます。
願わくば、それがお手にお渡しできるものであればいいなあと思います。
私なりにでしかありませんが精進してゆきます。
引き続きご覧いただけるとうれしいところです。

さてどうなるかの本年ですが、まずは常々ご覧頂いてありがとうございます。
励みとさせて頂いております。
だからこれからも何とかなる気がします。

新たな年、皆様にとってよりよき一年でありますように。
生きておればこその日々を健やかに過ごせるならば、まずは何よりではないでしょうか。
遅ればせながら、本年も宜しくお願い申し上げます。


galleryくらしの空 倉石公太郎


  

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2008年12月30日

39.引き出物の皿

皿1結婚式の引き出物として頂いた皿2枚。

のっけからこう言うのも何だが、安づくりで絵付けはプリントの量産物で、見どころ以前の物だ。
しかし、今以上に生活用具のなかった我が家の食卓に登場して以来、いまだ現役だ。
それをここで紹介するのは、これもひとつの「侘び」と思うからだ。
この皿もまた、制約と枠組みがある中で作られたのだろう。
食事を映えあるものとし、食卓を華やかに彩り、いかに侘しくないようにするか、と意を凝らされたのだろう。
その心使いが「侘び」だと思う。
そして、その意が物の前面に押し出され、皿が「侘び」あるものとして見えている気がする。
というところからこの話ははじまる。

「侘び」といえば、渋みのあるイメージや茶の道が思い浮かぶ。
しかし、本来の「侘び」は、私がそれと思っていたものとはちょっと違うようだ。
渋みあるイメージは「侘び」の一面のようなのだ。
もともとは「簡素な漁師小屋が建つ夕暮れ時の海岸の眺めに、さきほど見た、もみじの紅葉の色鮮やかな印象を重ねて見る」といった見方であるようだ。
それは、目の前の寂しげな風景に色鮮やかな風景を重ね合わせ「断片を通した二面性、全体性を感じる」見方のようだ。
つまり、世界の豊かさ、奥深さを見ようとするものではないかと思える。

茶は、主の「ミニマムにしつらえた個別のもてなし」と、客の「それをどれだけ豊かに感じ取ることができるか」という、両者の働きかけと交感で作られる「和みの席」と言えるだろう。
茶における「侘び」は、かぎられた枠の中に様々なものを取り込み、奥深さと洗練とを求めて活け込む中で見出された、時間と空間の「果てしなさ」ではないかと思う。
茶は、その「侘び」に「充足と落ち着き所」を見出したのではないだろうか。
そこにおいて「侘び」は「和ぎ」を見出すための、“ツール”とも言えるのだろう。
そして、茶は現実の「和み」の雛形と言えるのだろう。
「茶」や「侘び」の根本は、現実の偏りやゆがみを溶かし、現実の中に「和」を見出す行為だと思う。

皿2ところが今言われている「侘び」は、かつての権力者の絢爛豪華に相対してしつらえられた「渋さ」の一人歩きにも見える。
もともとの渋さには、相対するものとの対比によって浮かび上がった鮮やかさもあり、その取り合わせによる全体的な表現が、時間というフィルターを通るうちに、度を強め、偏りを帯びつつある気もする。
とはいえ、個々の断片を通して全体を見ようとすれば「和」を見出し、中庸の精神につながりもするだろう。
そして、それが「侘び」の果なき広がりの底にある真意だろう。

表現においては、人に伝わるか否かが命題だ。
その切り口が目に映え心に響くか、鮮やかな印象であるかどうかだ。
それは、その内容を構成する相対要素の扱い方、しつらえ方によるところが大きいと思う。
対比がうまく決まれば互いに生き生きとして響きあい、転ずればあいまいなものになる。
また、対比関係を人口的に作れば新たな拮抗を生みだすことにもなりえる。

そこで、日本的な表現では、すでに存在するものを生かし「活ける」という意識が、新たな相対によって生じえる拮抗を避けることにも繋がっている。
それは表現にとどまらず、現実のくらしにおいても、雛形が自然の中に即しているためだと思う。
まるくおさまった自然の姿を見ることが、命を生かし和をなす方向にはたらきかけることとなり、日常と切り離してでも“作品を作る”方向とは逆ベクトルを向いているのだと思う。

こうした、個々の命を「生かすこと、活けること」、全体の「和」をなそうとするルーツは“神道”にあるのだろう。
その根本は、全ての存在に根源の息吹をみることにあり、ひいては「今ここに生きること、和んでいること」というところに集約されると思う。
それが、日本における様々な基準や美意識、「道」の形態の根となっているように感じられる。

茶も花も侘びもその一つとして、現実の「和らぎ」の雛形となるべく、高められていったものなのだろう。
そして、現実の多種多様を活け込む中で、取り合わせの美や「道」を生み出し、全体調和に向かっているのだろう。
その根本にあるものが、人が求め続けている心の平安だと思う。
茶も花もくらしに根ざしてこそ、「和み」は日常の風景の中に見出してこそ、ということだと思う。

皿3「侘び」とは「円の残欠」を通して、丸い円の全体像を見出すことでもあるだろう。
その円をなす弧は、現実の中に向って伸びていて、わたしとは、その弧を橋渡す一片の扇とでも言えるだろうか。
そうして人は、完全な円を描こうとし続けて来ているのかもしれない。
しかし、現実は美しいものばかりではない。
むしろその逆だったりする。
だからこそ人は何らかの形で美を求め、心の拠り所や営みの雛形として見るわけでもあるだろう。
しかし、当たり前のごとく身に添う日常ゆえに育まれ、必然的に生まれてくるものがある。
「侘び」はそうした日常の美を見い出すゆえの和らぎの一端なのだろう。
「侘びを見出す」とは「和らぎを思い出す」ということかもしれない。

新しいものが生まれ、過去の懐かしきものの中へと組み込まれていく。
やがて未来に立って過去を眺めるとき、過去を未来の必然の足がかりとして眺めることは生を肯定することになる。
生を肯定する以上に強い力は果たしてあるだろうか。
そして、過去をやさしいまなざしで見つめることができるようにあることが人のつとめではないだろうか。

今は未来の土壌の中だ。
だから、この中で紡げるものを紡ぐことこそが未来の花につながっていくのだろう。
しかるに身の回りを見渡しても、弧を描く扇の形がごく自然に身に添っているからなのか、それと気がつかなかったりする。
しかし、それでもその一端は現実のそこかしこに顔を出していて、もしかするとすでに目の前に悠然と花開いているものもあるかもしれない。
何をもって「侘び」とみるか「和らぎ」とみるか、その一つはこうした皿にもあらわれているのではないかと思ったわけだ。

現実は動き続けている。
その中で、国内において争乱は過去のものとなり、少しずつでも着実に和みつつあると言える。
それこそが『わび』つつあるということだろう。
今でこそ「侘び」た建造物や様々な物品も、もともとはぴかぴかだった。
つまり、現実は「侘び」つつ「和」に向かっている。
だから「侘び」はいまだ大成していないのだ。
しかし、「侘び」はいつまでも咲ききらない花のようなものかもしれない。
おそらくは、野に咲く花のごとく、いつまでも野に生き続けるものなのだろう。

だから、季節の花を、未完の器に活け続けるよりほかはない。
この器は、目の前に差し出された物だった。
和ぎのめでたきをあおぐ席に同席した一片の扇だった。
この両円を「わび」の片割れとして活かすことが、わたしの「えん」を継ぐことだ。
  

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2008年12月22日

38.急須・加藤財

加藤財 1急須、加藤 財(たから)作。

茶碗と急須は「あ・うん」のツガイだ。
あうんの呼吸は、相手との関係に応じて役割が入れ替わる。
お湯を急須が受け、お茶を茶碗が受け、それを人が受ける。
都度の受け渡しの場が器となり、通り道となり、命を活けながら巡っていく。
急須は、道々の境界線上で、「あ・うん」を同居させ、「和み」を受け渡している。
その急須が壊れた。

物が壊れるのはしょうがない。
物にとっては、物であり続けることもしんどいはずだ。
だが、それでも腑に落ちない別れを余儀なくされる場合もある。
いつものように持とうとしたら、取っ手がポロッと取れた。
突然の呆気ない別れに「あ!」と叫ぶ間もない。
茶碗だったら継いで使えばいいが、修理の仕様のない場合もある。
とはいえ、さっぱりした壊れ方は、別れもまたかくのごとしだ。
というわけで、この2代目の登場に至った。

「なくなる」とはどういうことだろう。
たしかに目の前にあったもの、今ここでこうしている私、なくなるとは一体どういうことか。と、話は転じ、広がっていく。


幼い頃、曾祖母の死によって、初めて人の死を目の当たりにした。
そこで不思議を感じた。
つい先日まで感情を織り交ぜながら話を交わしていた人が、目の前で物言わず横たわっている。
生は口をつぐみ、親しげな表情は静まり、安らかに、無言で、何かを雄弁に語っている。
雄弁の沈黙が彼女を中心にして広がり、あたりを包み込んでいた。
みな、各々の別れの中で何かに向き合い、見知らぬ海にでも投げ出されたかのようだった。
とっかかりの糸口を探しあぐね、しかし何事かを感じるためなのか、頭を垂れ沈黙していた。

加藤財 2言葉はなくとも、沈黙が全てを語り、生の営みが如実にあぶりだされているようだった。
今まで絶え間なく流れていた生は、絶対の沈黙の中で流れを止めていた。
その光景は、凍りついた滝の様子を目のあたりにするようで、生と死をニュートラルな位置から眺めているようだった。
そこで、自身の日々のあり方に、白々とした祭りを贈るがごとき後ろめたさを感じたのだった。
その言葉なき言葉によって、白々と感じなきように、と思ったことに今の一端を感じる。
ものを見る試金石の一つも、“そのとき白々としなきものを”というところにある。
そして、人の生とは、死と生がしまい込まれた引き出しを探すための旅にも見える。


生あればその時々において何かを欲し、何がしかの事態に身をおきながら、その海をわたっている。
何かを得、失い、私を通り道として色々は流れ込み、流れ出ていく。
しかし、永遠の所有物は一つもない。もともと何もなかったものだ。
とは言え、苛烈な肉体感覚や湧き起こる感情、物やエネルギー、胸にひびく関係性はまごうことなく存在する。
何もない、ということもまた決してない。
過去、人の歩みによって道が出来、田畑が耕され、物が作られ、滅び、失われながらも受け渡されてきた営為がある。
連綿と育まれ、受け継がれてきたこの現実は確かに存在する。

人の営みは、様々な存在に支えられている。
生命の根底には命の水脈のようなものが流れていて、水脈から伸びた枝葉の先に人はいる。
人は、切れ切れに分かたれながらも水脈を介して一つに結ばれている。
物は、水脈と人のさまざまな境界に位置し、命の通り道となっている。
物が生まれるほどに、この世は細分化し、分化は「文化」と言われていく。
しかし、何が生まれ増えようと、それを包む全体の総量は同じだ。
きっとそれは、大きく見てしまうと、姿の移しかえであったり、密度を変えながらの色々の循環なのだ。

加藤財 4そうした中において、生まれて間もない物は、人と同じように、うぶでぎこちない。
しかし、時を経ながら、風雨と時間経過と人の手で馴らされ、複雑を加味し、抽象を重ね、より洗練へと向かって発達していく。
やがて人の手を離れて作られるようになり、刷新を重ねていく。
そして、物は、それを作る仕組を含めて、多様を身に取り入れ、身の幅を広げ、世界を狭きところへと結んできている。

つまりは、形ある物もない物も、洗練の先でなめらかにつながり、境界をなくし、一つに結ばれる方向へと向かって進んでいるように見える。
また、一つの意思による、物質とシステムとを駆使した同一化にも見える。
その中で、人はバランスをとるための舵取りと言えるのだろうか。

命は、その時々の季節の投影された姿なのだろう。
個々の命が合わさることで季節となり、季節が合わさって時間と空間の総体となる。
季節は命のありようで、その総体は、時空が一つに融け込んだ海のようなものではないだろうか。
流れはじめは個々万葉に湧いた清水は、小川となり、幅と深さを増し、互いの境界をにじませ、身を合わせた先で海に注ぐ。
その海に、あまねく個々は境界をなくし、混然と溶け込み和んでいる。

急須は、道々の境界で「和み」を受け渡している。
茶という行為の中で、茶葉を身に受け入れ、湯に親しませ、漉し、注いでいく。
もともと、私たちは「和み」という大きなかたまりから線引きをされて生まれてきたのだろう。
きっと、各線が引かれた内には各々の「和み」を宿しながら、新たな線引きをし、修正し、消し書きしているのだ。
その中で急須は生まれてきた。
命という水が、スムースに、健やかに流れるために生まれてきた。
そして、細かな心配りと端正な手技の造作とで取りまとめられ、練り上げられてきた。
そのおかげで私たちは、より命を活けられ、ひとときを彩られ、渡る海に「和み」を得ることができている。

加藤財 6物の多様性は、物の発展の途上とも言えるだろう。
しかし、境界線あるがゆえの物であり、浮かび上がる「和み」の鮮やかさでもある。
境界線もまた生きている。
しかるに必要なのは、物質面での完成度もさることながら、いかに川の流れの身に添うかなのだと思う。
人は境界の線引きをしながらも胸内には分けられぬ思いを抱いている。
そして、季節の水や風の流れに乗じて、分かれた時をつなぐために、一なる海を泳いでいる。

「この世は“あうん”の産物だ」
「“あうん”の呼吸が、線引きされた世界を、万葉の溶け込む和みの海にする」
「必要とあらば、いつだって目の前に現れ、生かし続けてやる」
と、唐突な別れは、海の渡り方を告げた。
言葉なき叫びに、沈黙は身を投じることで応えてくれた。

海の中には、喜びと悲しみの涙が溶け込んでいる。
この海は悲しいほど豊かに潤っている。
旅は存分に楽しまなければいけない。
行く道々の和みのため、あうんの息継ぎをしながら。
  

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2008年12月16日

37.パレット

パレット1水彩絵の具用のパレット。

色を活ける無彩色の掌。
パタパタと折りたたみ式の色工房はくらしの展開図とも言えようか。
ちなみに、木箱は母経由でやってきた、かつて伯母が使用していたもの。

このパレットを小学校の入学当初から使い続けている。
このパレットを使って、風景・人物・静物などの絵を描いた。
幾度となく絵の具をこびりつかせ、そのたびに反省しながら洗い落としてきた。
その結果、じんわりと絵の具の色がしみ込んでいる。
さすがにアクリル絵の具の際は、油紙のような素材で出来た、都度の使用後にノートのページをめくるように切り離していくタイプのものを使うが、水彩の際にはいまだこのパレットを手にすることもある。
とはいえ、しまいっ放しの時の方が多い、ただ今お休み中の物だ。

使用する上で、サイズがちょっと小さいなどのストレスを感じるたびに色々なパレットを試したが、これぞという物にはまだめぐり合っていない。
工業製品物は、多数の人と使用法の万別の公約数をねらって作られる。
それだけにいかに経験とカンと度胸に基づいて作られようとも、個人の使い手にとってぴったりフィットすることや、かゆいところに手が届くようなものを求めるのは難しい。
というよりも、おそらくそれを望むことはナンセンスなのだ。
一品一品作られるオーダーメイドとライン物との差は、“似ず”非なるものだと思う。

パレット2それに、必要に迫られて手にとる道具なのだから、自らが作らない以上、ある程度ガマンするのは仕方がない。
製造側もそれを見越して作っているのだろうが、ガマンはいわば甘受すべき“マナー”のようなものなのだろう。
多分にもれずこのパレットもそうして使われてきた。
それでも、使用上の違和感は、そのときの行為に入り込むほどに視野の内からはずれ、物は使い手の内に入りこむこととなった。
その結果、いつのまにか長年を共にしている。
長続きの理由としては、相手の非をあまりつつかない、気にしないようにする、ということもあげられる。
このパレットにはこのパレットなりの形ある存在としての主張が否応なくあり、それが両者の間の明確な溝として横たわっているのはしょうがないことだ。
とりわけ親しく仲のよい相棒というわけでもないが、好き嫌いを越えた仲として付き合い続けてきている。

道具である以上、使い勝手は大事だ。しかしそれだけでは測りきれないこともある。
長年の付き合いによる親和度は、ときに形ある者同士の隔てを超える。
そして、身の回りをちょっと見渡せばそのように関わっている物はたくさんある。
そのような物だらけ、と言って過言ではない。
逆に、生活の隅から隅に至るまでまで完璧な物でそろっているということの方が不自然だ。
だからこそ、取り合わせの美が育まれもするのだろう。

パレット3日々のくらしでは、接する存在との関わりをどう取り交わし結ぶか、ということがとても大きい。
そして、その対象は物だけでなく、対人、対出来事においても、たとえ、不協和音を発する間柄においても同じことが言える。
だから、その反動として、クラシック音楽や自然の波のゆらぎに身をそよがせたくなる気持ちも、また、パンクやヘヴィメタに身を浸したくなる気持ちも起こるのだ。
ただ、それでも人は向日性の存在だ。
相対的な関わりの中にありながらも、営みの核は外在する何かに対する反応によって為されるものではない。

絵では、様々なものが色を通じて描き分けられる。
多様なものは色を通じて切り分けられ、抽象され、取りまとめられ同居している。
パレットはそれを支える。
パレットにおいて色の極が混ぜられ、練りあげられる。
世界を抽象するもう一つの切り口と言えるだろう。
であるからこそ、色を出すことも、そのためのパレット作りもそう簡単にはうまくいかないものなのかもしれない。


パレット3現実は苛烈な色彩であふれている。
現実を落ち着かせるためにも、生の色を和らげるこうしたクッション空間は必要だ。
その色作りは、くらしの根本に、人への命題として横たわっているものである気がする。
どのような色であろうとも、全体を描く一端を担っていることに違いはない。
問題はその色の置き所、扱い方なのだろう。
しかるに今どのような色が必要なのか。
パレットにはまだ働いてもらわなくてはならない。
  

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2008年12月10日

36.粉引き・吉田喜彦

粉引き・吉田喜彦1一足はやい雪景色。

抹茶碗、現代作家・吉田喜彦作。
ある骨董店での個展に出展されていた内の一点。
今のところ抹茶碗には手を出していないので写真を複写してのご紹介。
画像は「粉引き」、他には「志野」「瀬戸黒・黄瀬戸」「灰釉」などもあった。
作風は技法問わず同じ印象で、内側からお餅がぷっくり膨らんだようにふっくらほっこりとしてやさしい。
色々な技法の作品が並ぶ中で、粉引きは掌で包みたくなる底あたたかな雪景色のようだった。

これは抹茶碗だが、この感じで汲み出し茶碗にスケールダウンしたものがあればぜひ見たい。
ところが、いいなあと思う煎茶碗や抹茶碗を作る人は、湯呑みや汲み出し茶碗のサイズを意図して避けているようだ。
同じ印象のものであっても、大きさがひと回り変わることによって価格が数倍から数十倍変わってしまってはアンバランスすぎるのだろう。
それにしてもこうしたケレンミのない物をなかなか目にする機会がないのは不思議だ。
と、同行した妻に絡んでもラチがあかない。

ともあれ、それは焼き物だけの話ではなく、個人によって作られる物にも、工業製品においても同様のことが言えるだろう。
煎茶碗と抹茶碗の間にあるのは意図的な「余白」であり、手が伸びる物がなかなかないのは半ば「欠落」のようなものに思える。
物を違和なく一貫性に取りまとめるのはそれだけ難しいということでもあるのだろう。
しかし、ビートルズのホワイトアルバムのデザインが、ビートルズなればこそ有意義で目に鮮やかに映えるものであることを考えれば、この場合の余白や欠落は双方の領分を守り、価値立て、差異を鮮やかに浮き立たせるために必要な線引きであり、またクッション空間になっているとも言えるだろう。


ところで、今回の展示で花活けをされたのが上野雄次さんだった。
以前、友人の工芸作家の展示会での活け姿の記憶はおぼろげだが、活け手の方は憶えていた。
花とはそういうものなのかもしれないと思った。
花を活けることは、型を通じ、形あるものを通じながらも、形に残らない、いわば形なき美を紡ぐことと言えるだろう。
花を活けるとは、仕切りなおしを繰り返し、絶えず目に鮮やかな様を繰り広げてくれる季節に同化することである気がした。
そして、移り行くものの美を紡ぐことも、美の変わらぬ一つの姿と感じた。

粉引き・吉田喜彦2花満開の間に、花なき季節が余白として点在し、心の大きさに比例反比例をしながら、花々をつないでいく。
余白は花に至るまでの枝々の広がりを受け止め、浮かべ、花が鮮やかに映えるために必要だ。
花も生き物だ。やがてまた来る季節の中に鮮やかな色彩を浮かべるためにも、形なき世界に入る必要がある。
未だ心には、花咲く種は余りある。
そのためにも、そうそうに踏み込めぬ聖域は残されてしかるべきものなのかもしれない。
そして、近代という季節だからこその余白が必要なのかもしれない。

季節は、個々の形にあらわれ、全体像を描いている。
枯れ姿と雪景色、満開の間に咲く余白という白い花。
そうみると、色鮮やかな花々が咲き同居しているさまも浮かび上がってくる。
目に見える世界とバランスをとるように、世界の見えざる一面は可視世界の逆対象として存在し、つがいの片割れのごとく不可視の泥中に息づきながら次の季節に備えている。
その片鱗がこうした雪景色の中にももしかすると垣間見えているのかもしれない。
一足はやい雪景色の間に、やがて花に至る種は点在しているのかもしれない。  

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2008年11月09日

35.柿

柿 1柿の実。
アパートの大家さんが、「鳥が突きはじめちゃってるから」と、部屋前に立つ柿の木の実を摘み取って届けてくれた。
つい先日から、今年はたくさん実をつけているなあ、と感じながら窓越しの景色を眺め楽しんでいた。
その矢先のことだった。

本来柿の実は食べない。
でも、身近にあって、季節の中での移り行く様を見知っていた柿の木だし、今年80歳になった大家さんが枝打ちし、ニコニコとしながら足取り軽く届けてくれた季節の実りだ。
秋の贈り物は思いがけず嬉しかった。

すでに幾つかを美味しく頂き、おすそ分けし、残ったうちの色づきの良いところを撮影した。
まだこれから熟しそうな色合いだが、採れたてはみずみずしく、すでに鳥は食べはじめている。
ともに秋の味覚を賞味することにした。
なんだか楽しくもある。

柿2晩秋の柿の葉や、実の色づきはとてもきれいだ。
もう間もなくしたら、このときを待っていたとばかりに、春夏にたくわえた陽の光があふれ出るようにしてにじみ出てくる。
それが実に味わいのある深い色なのだ。
その色の一つ一つが柿の実を通した陽の光だ。
この実の向こうに日輪が浮かんでいるからなのだろう。

見て美しく味わい深い木は、日本の各地で枝を伸ばし、葉を生い茂らせ、実は甘みの尺度となり、国外からも「KA・KI」と呼ばれもしている。
柿の木は、太陽からの贈り物として、陽出ずる国のシンボルと言えるのではないかとおもう。
そんな柿の木が、我が家と大家さんの住まう母屋、子供夫婦の家屋、借家、計4棟の田の字型に囲まれるようにして立っている。
そして、ここに住まう住民は、大なり小なり無意識のうちに、柿の木を通して季節を感じ、移り行く季節の中でこの柿の木に意識を向けているのだろう。
柿の木は、我々のコミュニケーションを目に見えない形で取り交わしている。
いわば共同体の意識の拠り代であり、間接的に交流の場となっているシンボルツリーなわけだ。

この一見安上がりで他愛のない豊かな実りは、様々な存在によって支えられている。
土の中のことにせよ、空気のことにせよ、あまつちの恩恵を受け、心尽くしに育まれて結実している。
今目の前にあるのは、あまつちの風土と人の心づくしのたまものだ。
お陽様が、柿の木を通して「生の営みは根本的には、いや、丸ごと底暖かなものだ」と現れている気がする。

柿3そして、その風土ならではの形というものがあるとおもう。
たとえば、ヨーロッパのバイオリンを日本に移行すれば、より丸みを帯びた琵琶の形となり、果物であれば洋ナシは丸い梨となる。
その最たる姿として抽象したものが、書の円相や真円の日の丸と言えるだろう。
つまりは、日本の風土、そこに住まう民族の性として、まろき姿がその実をあらわす形なのではないかとおもう。
それはまた、欠落を抱えて成り立つ世を渡る先のありようが現れているのではないかともおもう。
少なくとも、ここに住まう住民をつないでいる一つだ。

ところで、隣家である大家さん宅からは、ときおりものすごい夫婦ゲンカが聞こえてくる。
大声で怒鳴りあっているものだから、越してきた当初は何事かとおもったものだ。
しかし、考えてみれば、80歳になっての夫婦ゲンカは元気のあかしだろう。
日々の活力の元となっているかもしれない。
だから、あれは音量調節のできないBGMとして、耳内に響かせ通り抜かせていくことにしている。
これを味わえるのもまた、生きておればこそだ。

南関東の平地の秋は穏やかな日和のうちに過ぎている。
遠からずして訪れる、白々とした日々を前にして。

  

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2008年10月31日

34.白磁・黒田泰蔵

黒田泰蔵1器を遍歴するなかで出会った現代の白磁。

はじめて作品が立ち並ぶ光景を目の当たりにした時、置かれた空間は実にすがすがしく感じられた。
あたかも、山に立ち並ぶ木々によって空気が洗い流されているようだった。
シンプルで、シャープで、ふくよかな姿は洗練されていて、現代の住まいに合う「モダン」なものだ。
しかし同時に、「モダン」というものが、本来いかに多くの意味を内包しているものかとも思った。

焼き物は、それを作る人にとっての、収まりのよい空間作りのようなものではないかと思う。
自らのあり方とその収まりどころ、つまりは命を活けるための器作りと言える気がする。
そして、人は命の収まりどころを求めて旅をしているようなものではないかと思う。
それは、作る人も作らない人も同じだ。
つまり、器を作る人とは、使い手を自らに置き換えて制作する人と言えるだろうか。


黒田泰蔵2暦日、器はくらしの中から押し出されるようにして作られてきた。
土器、陶器、磁器などの全ての焼き物と器は、その時々の営みに応じて作られたものだ。
様々な人に応じるためにも、焼き物もさまざまあるのだろう。
そして、器は営みを支え、器もまた営みによって支えられてきた。
それは物全般に言える。
「モダン」である物もまた、かつて作られた物に支えられた暦日の産物だ。
しかし、連綿とした流れから切り離されるようにして作られている物がとても多い気がする。

現在こうした物を作っている黒田さんは、かつてはポップな造形と色とりどりの色づけをした器を作っていたらしい。
経過はさておき、今は真っ白でシンプルな造形の磁器を制作している。
キメ細やかで柔らかく硬質な白は、ニュージーランドと日本の天草の石をブレンドしたもので、時に金属製のヘラを使用することがあるとはいえ、可能なかぎり道具を使わず、回転速度が極端に遅められたロクロを使って制作されているそうだ。
真っ白でミニマムな造形を得るためには、一つ一つの制作にとてもシビアな作業を要求されるのではないかと思う。

黒田泰蔵3そうして作られた焼き物の一つ一つは、空にたなびく雲のような幾筋もの線の中で、膨らまされ、絞り上げ、引き締められ、明確な形に取りまとめられている。
地肌が薄くのばされ、緩やかに、かつ緊張感を伴って立ち上がり、風船のように膨らませられ、端に向かうほどに更に薄く、やがて宙に溶け込むように切り離されている。
その線には、甘やぐ感情の断片を摘み取るような優美さと鋭さがある。
柔らかな白は、まっさらなキャンバスのようであり、色づけをはね返すような硬さがある。
造形は、作為を凝らしたデザインの産物のようであり、貝殻や、木の葉や木の実のような自然味がある。
ふくよかな身は、豊かに実るべく種を宿しながら、相対しあう様々を内に包みあらわしているようだ。
それは内側から湧き起こり膨らもうとする命と、外から内に向かって切り込む力との間で形作られているように見えるからだろうか。
そうして可視と不可視の間で形となって現れている物に見える。
内から湧き出でようとする力が読まれ、外から加減よく働きかけられ、そうして物が形と為され、作り手として、国の境界を越えていることにつながっている気もする。


黒田泰蔵4最近、活動のマネージメントをあるギャラリー一つに委ね、作品は壺や花器などの美術品に絞って制作されているそうだ。
とはいえ、「作るものは今までと同じで、変わったものでなく、とにかくいいものを作りたい」と言われていた。
そうした今に至れたのも、作品が生活の場を通して練り上げられていったからではないだろうか。

“ギャラリー”とは、“教会の入り口”が語源らしい。
教会とは、あちら側とこちら側、日常と非日常の境界線上にある場所だ。
作品は純粋美を愛でる空間にとても合うだろう。
個人的には中国の宋の磁器がお好きらしい。
しかし、そうした非日常的な鑑賞陶器もまた、日常と分断されたところにあるものではなく、日常の延長線上で練り上げられていったものだ。
食卓はその根の一つだろう。


黒田泰蔵5そうして、色々を辿った果てにたどり着いた白だからこその味わい深さなのだと思う。
奥深い白は、たどった時間の長さを内包しているように見える。
時間とは、焼き物の歴史であり、人の営みの歴史だ。
焼き物は人に寄り添い、人と同じ時間を辿りながら今日に至っている。
その道の一つがここで結実していると感じる。

※ 画像は、ボウル(径:約22cm×高:約7cm)と白磁盃(径:約7.5cm×高:約5cm)。
  

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2008年09月07日

33.崖の上のポニョ

ポニョ  

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2008年07月28日

32.らんちゅう箸

箸利休箸の中でも“らんちゅう箸”と呼ばれる白木の箸。

利休箸とは、かつて千利休がその日にもてなす客のために、吉野の山から取り寄せた赤杉の板材から、一本一本の箸を自らの手でこの両細の形に削り出していたことから呼ばれている。
“らんちゅう”とは、真ん中がぷっくりとふくれている形が、“らんちゅう”という金魚の姿を思わせることから呼ばれているそうだ。
今日でも、懐石料理の席や食事処、そして我が家で使われている。

杉の木地そのままの仕上げだが、使い方は塗り箸と同じで、使って洗ってを繰り返し、一年は持つものであるらしい。
らしい、というのも、使いはじめてから一年経っていないからだ。
ひとまず、汚れをつきにくくするために、使う前はしばらく水に浸すことにしている。
この箸に到るまで、いくつもの箸を渡ってきた。
しかし、それらはどうにも物としてしっくりこなかった。
そうして胸中に抱えていたモヤモヤとしたわだかまりは、とある箸屋さんで話を伺うことで解消されたのだった。


けっきょく、物を形となしているのは、そうなるに至るまでの水面下によるところが大きいということ、そして、その目に見えていないところが、水面上で物を作り出しているものだということをあらためて知った。
今までの箸に抱いていた違和感の理由が、腑に落ちるように理解できたのだった。
つまり、現在流通しているほとんどの箸は、産地の不確かさであったり、原材料や製材、加工、製作といった各工程における、不自然さを根に生み出されているようだ。

それは様々な物にも言えるだろう。
物が作られるのには理由があるだろう。
物の如何だけでくらしが決まるわけではない。
だが、ここは形あるものを通じて営みとしていくところだ。
私としては、必然によって生じた物、違和なく身に添う物を取り込みたい。

たとえばこの箸は、昔から、吉野の山の間伐材や、丸太から角材を切り出して残った端材から作られてきた。
箸作りのためにその時勢しのぎ的に体制が整えられるのではなく、もともとそこで生まれ根付いていた、山と木の営みの中から生み出された物だ。

箸それは、生産体制と産地とをまあるく包み込む仕組として営々と引き継がれ、今ここに到って、作られた物にあらわれている。
人の営みだけでなく、産地とその環境をひっくるめて健やかに和ませる思いやりや知恵を感じる。
そうして産地の丸みを帯びて生まれた一片は、同時にその全体をあらわしている。
ふっくらとしてゆるやかな曲線は、円を描く弧の一端にも見えてくる。
物として綺麗な形におさまっていることも、道具として手におさまりがよいことも、当然のことである気がした。
叡智とは大げさなものではないのだろう。
というわけで、胸内のモヤモヤが解消されるどころか感動すらおぼえたわけだ。


利休箸の特徴である、両端が細くすぼまっているのは、一方は人が食すため、もう一方は神様が食すためであるそうだ。
というのも、食という行為は人と神が合一する場であり、その橋渡しを担うのが箸のそもそもの役割と意味らしい。
そこで、一方は人のため、もう一方は神様のため、と二つに分かれていることでおもったことがある。

それは、双方は合わせて一つであり、それを切り離すように分けたところに、近代とその様々な問題の根がある気がしている、ということだ。
分けたこと自体ではなく、分け方に、と言った方がいいだろう。
目に見える姿としては、人は人であるわけだが、姿形あるものは目に見えないところから形作られていて、その根ではつながっている。
神と人とは表裏一体の二人三脚のごとくに根を同じくして、共に関わり合いながら歩んでいるものである気がする。
それを二つに切り分けたところから近代というものが形成されているように感じる。
近代とは、もうちょっとさかのぼって考える必要があるのかもしれない。
それはさておき、そもそもは天地が生じたところに端を発していて、その先で人自身の意識が生じたゆえでのことだから、こうなるべくしてなっているわけでもあるのだろう。

ただ、目に見えないつながりを切り離して考えれば、和らぎは諍いへと転じ、現実が形作られている成り立ちの解釈を違えれば諸問題も生じえるだろう。
その縮図の一つは、「産地」と「そこに住まう人の営み」との関係にもあらわれている気がする。
今ここにおいては、おさまりどころのよい今日を作るにはどうしたらよいのかと、人は問われるとともに、その判断を委ねられているように見える。


箸この箸の本意は、もてなす相手への思いやり、心づくしにあるとおもう。
そのもてなしの心がこの箸の形を生み出しているものにおもえた。
だから、これはこれで、ありがたく頂戴する物だとおもったのだ。

自らを含めて人人とが健やかに過ごすことが、その心づくしへの返杯にあたるのだろうか。
一対の箸を通して食事を頂くことで生かしているのは、この体であり、それはこの体を作ったところのものをもてなしていることである気もする。
もてなすということは、その相手を生かすことだろう。
つまりは、両細の対称形で食事を頂くふた方ともに、根を同じくし、互いにもてなし合っている図に見える。
私はすでに生かされもてなされている。

そうして目に見える形で、互いに心を尽くす営みがあるならば、なんだかんだとありながらも、まあるくおさまっていくのだろう。
仮に、今日が時の端に位置しようとも、枝先には実りがあり、その先では新たな息吹きが芽生えるはずだ。
仕切りなおしは常のことだ。
昨日今日の橋渡しを繰り返してゆけば、形となってあらわれてくるものがあるのだう。
それは、このふっくらとゆるやかな曲線の続きとして描かれるものかもしれない。

つまり、箸とはそうした役を担って生まれ、茶の湯を通してこの形となり、今日に受け継がれてきた物だった。
目にも手にも胸にもおさまりがよいとすれば、それが生み出された背景を含めてもが、まあるくおさまっているからなのだろう。
こうして色々が受け継がれてきている日本とその風土に、恵みとありがたさを感じずにはいられない。
  

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2008年07月18日

31.麻の布

麻麻の布。

食器拭き用にと求めたものだが、縁を仕上げるためのロックミシンがないため、切りっ放しのままで寝かせられている。
そもそものはじまりは、既成品の中で納得のいくものが見当たらず、それなら自分で作ろうとおもったからだった。

しかし、手縫いや通常の家庭用ミシンでは縁が分厚く野暮ったくなってしまうので、ミシンを新たに手に入れるか、誰かにしてもらうより他に手立てはない。
これも予測していた事態ではあるが、とりあえず駒を進められるうちに進めておこうとおもった上でのことだから仕方がない。

今までは、食器屋で頂いた綿のものを使っていた。
蚊帳生地を幾重にも重ね合わせたガーゼ状で、それはそれで実用的なのだが、どうにも気持ちがおさまらなかった。
やはり麻の清潔さと質感にはかなわない。
しかし、麻といえば、常用している薄手のハンカチは糸が細いために水の含みが弱く、このたびの実用としては当初スルーしていた。
それでも、あのすがすがしい清涼感と、くったりとして薄光りするようなつややかさが好きだった。
そこで、少し厚出で、目が摘んでいるものならば水の含みもよいだろうし、用にも適う気がしたのだ。
というわけで麻に目をつけ手を伸ばしはじめたのだった。

麻ところが、イメージに合う既製品どころか、素材となる布地すら見当たらない。
ボソボソとした糸で布地がガサついていたり、目が粗かったり、刺繍が入っていたり、幾重にも重ね合わせられていたり、つまりは各要素の一つ一つが大なり小なりイメージと実際とのピントが結び合わなかった。
しなやかで光沢のある、目の摘んだ無地の中厚手、そんな見たことのないデジャブを探した。

けっきょく、麻製品の輸入販売元で、これならとおもえたのがこの布地だ。
実際に形に起こして使ってみないと分からないが、ひとまず気持ちはおさまった。
何よりも、いい布というのは見ているだけで気持ちがしっとりと和らいでくる。
きっと身にも添うだろう。

やはり麻はいい。
しゃっきりとしてすがすがしく、てろんとして、くったりとはんなりとした風情は目にも肌にも心地がいい。
いずれは、ハンカチやタオルも麻で仕立てたいとおもっている。
その前にはまずこの食器拭きからなのだが、この布が目を覚ますのはいつの日になるのだろう。
その頃にはいい塩梅に枯れているのも一興かもしれない。
ひとまずは既製品と腰を落ち着けて付き合っていきたい。
あまりに急いては別れも早い。
ゆっくりと味わいたい。
要は、気持ちのおさまりどころなのだから。


  

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2008年05月31日

30.雑巾

雑巾雑巾。
使いこんだタオルを半分に切って手で縫ったもの。
これで床などを拭き掃除をしている。
くらしの根っこにあたるもの。

それまで、掃除には掃除機を使っていた。
だがどうも身が入らなかった。
掃除は“仕方なく”することだった。
掃除をした後は気持ちよかったが、それでも“億劫な”ことだった。
そうおもいながら掃除をする自分もいやだった。

あるとき、雑巾を作り、久しぶりに雑巾がけをした。
掃除機では気がつかない発見があった。
なによりも“ホコリの量”だ。
掃除機ではホコリの量をあまり感じなかった。
それまでは、掃除とは、汚れ(ホコリ)をとるものだとおもっていた。
それが、掃除とは“拭く”というより“磨く”もので、今まで以上に“きれいにしようとする”ことではないかとおもうようになった。

そんなこんなで、今では掃除は雑巾一本だ。
こまめに洗わなくてはならないし、時間もかかる。
しかし、雑巾がけの方がキレイになる気がする。
床は曇りを取り払われ、辺りの景色を映し出すようになった。
掃除を終えると達成感もあるし気持ちもすがすがしい。
大げさだけど、自宅にいながら森林浴をしている心地にもなれる。

掃除をしたくてしょうがないわけではないけど、少なくとも身は入る。
掃除を始めると、体がポカポカとして額に汗が浮かんでくる。
掃除機は、今のところ“保険”として取っておいてある。

今更のことで恥ずかしいが、これがようやくの現状だ。
雑巾には安心がある。
清濁を併せ呑む懐の深さはキレイキレイとしたものを超えている。
床を磨きつづけた先で、浮かんでくる景色もあるのではないだろうか。

  

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2008年04月15日

29.星

hoshi星のはじまり、星のたまご。


通常は、“石”とよばれている。
大気を持ち、水を持ち、天候をつかさどり、生き物とその営為を宿し育む星のもと。
進化というものがあるならば人のもととも言えるだろうか。
色々なものがあるのだから、そのもととなるものにも様々な姿があるだろう。
この石は、大き目の栗のみサイズで丸くふっくらとしていて、焼きたてのパンのよう。
その身をけずって今の姿に落ち着いているわけだが、同じく引き算でできあがったようなジャコメッティの彫刻とは趣がことなる。
その身の内に宿すもののちがいが現れているのだろうが、ずい分とちがう姿になるものだ。
ふくよかでさまざまな粒々を身に取り込んでいて、ちょっと固いけど滋養がありそうだ。
まだ食べられないから、せめて見て味わい、手のひらにのせるばかりだ。

とりたてて石好きなわけではないけれど、身近に石があると落ち着く。
もちろん、何の石でもいいわけではないし、そういくつもなくていい。
丸くてふっくらとした石を探している。
そのふくよかでずっしりとした重みにひかれるのだ。
そよごうとする眼やソワソワとする身に落ち着きを与えてくれ、なんだか豊かさも感じる。
漬物石なんて、実用としても欲しいところだ。
森のイスキアの佐藤初女さんは、漬物の重しには自然石を使う方が美味しく漬かる、と言っていたっけ。

というように、丸い石には何故かひかれる。
小学生の時の遠足や、家族との遠出の際、海岸や河原に行くと、いつの間にか探しはじめていたものだ。
茨城の大洗海岸では、真ん丸いピンポン球大の石を見つけた。
本当に真ん丸でコロコロと転がるほどだった。
家に持ち帰り、愛玩犬ならぬ愛岩石として箱に入れて大切にしていた。
特に何に使うわけではないので、つきあい方はかぎられている。
せいぜい、ときおり取り出されては手に乗せられたり眺められていた。
それでもお気に入りのひとつだった。
ところが数年前から姿が見えなくなった。
どこを探してもみあたらない。
宝石と同じで、持ち主から姿を隠してしまったのだろうか。
それとも身のおもむくまま、コロコロと転がりたくなったのだろうか。
いずれにしても残念だけどしかたがない。

hoshiその代わりと言ってか言わずか差し出されたのがこの石。
庭を耕していたら土の中から現れた。
地中からポロッとこぼれ落ちるようにして泥にまみれて姿を現した。
そして、いそいそとゴシゴシと洗われて、部屋の中を棲み家とすることになった。
今度のはやや平べったいので、そう簡単には転がりにくいだろう。
たいしたおもてなしこそしていないが、居心地はどうだろう。
ちょっと気になる。
どこをどのように転がってこれだけ身を丸めたのか。
これからまたどこを転がっていくのかわからないが、ここにいる間は大切にしたい。


こうした石に対する感情は、人の祖先に通じるものがあるとおもう。
今さらだが、石は、家の土台から生活用具、身に添う小さな物にいたるまで様々な形でくらしに取り入れられてきた。
チベットの天珠や宮古島の石庭のように、ある種の力を宿されたものもある。
社のご神体のように、巨石や、棒状や丸い石が、何事かを感じせしめる対象としてあがめられ鎮座されるものもある。
いずれもみな、なにがしかが凝り固まってひとつの塊となったものだ。
その姿はやすやすと変わるものではないし、動くものでもない。
そうして石によって、くらしは物質・非物質面から支えられ、作り出され、育まれてきた。
おもえば、人為ならざるところからやってきているのだ。
何事かを感じるのも自然だろう。
なにもキラキラと輝くものだけが価値ではない。
本尊は本堂の裏手にあったりもするのではないだろうか。

また、多様の粒子を取りまとめ、内実をあらわにしたその姿は、人の雛形とも言えなしないだろうか。
よくよく手にとって見てみれば、個人や地域を越えて、国、ひいては人と星をつくっているそのものとは言えないだろうか。
星の相似形として、星はここからはじまると言ってはどうだろう。
飛躍はあるかもしれない。
でも、人の喜びや悲しみは、星の喜びや悲しみだともおもうのだ。

人が一見とるにたらないことで一喜一憂し、幸不幸を感じるように、星も同じなのだとおもう。
人も星も、実に他愛のない心の持ち主だとおもうのだ。
心うちには様々な景色がある。
それは、春の風、秋の空のごとくに移ろうものだろう。
なかには、疑い迷いや妬み嫉み、とがめなどもあるだろう。
しかし、その様々な空模様の奥底には、風にゆらがぬまっさらな地平が広がっているとおもう。
なんだかんだとありながらも、その根には実にすがすがしい景色が広がっているのだとおもう。
それがまごころと言われ、まあるい形をしているものではないだろうか。


  

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2008年04月07日

28.桜の花

sakura今回は物ではなく桜の花。


桜の花は朝の早いうちがよい、と聞いたことがあった。
たしか、桜の専門家がそのようなことを言っていた。
そのときは、ああそうなのかとおもいつつも腑に落ちきらず、今まで気にとまっていた。
それがさいきん分かった気がする。


今まで、桜を写真に撮るのはなかなかうまくいかなかった。
とりわけ桜を撮ることに力をそそいでいたわけではないが、撮影するたびにがっかりもしていた。
現実を写真でうまく再現できないと感じることはいくらでもあったが、桜に関してはすでに写真との相性のせいにしている節もあるほどだった。
撮影してみると、ぼんやりとしらっちゃけ、目に鮮やかな印象が損なわれてしまうことが多いのだ。
そうではない時もありはしたが、正直なところ敬遠気味だった。


sakuraたしかに、色は淡く、作りは細やかで、一つ一つは小さいから、目を引く存在でありこそすれ、歌舞伎役者のメリハリの効いた出で立ちとは趣がことなる。
いつだって何だって、この世は分かりやすさを一つの主にして回っている。
桜の花を撮ることは、カメラにとってもフィルムにとっても微妙な注文なのかもしれない。
しかし、メリハリの強い表現ではあざとさが鼻につくし、あまりにぼんやりとした映像もしまりがなく歯切れが心地よくない。
そして、何とかうまくかないものかとおもうと同時に、桜を撮ることは、目の前の現実をではなく、撮り手の“情緒”を歌に詠むような行為だとも半ばおもっていた。
その長年にわたる(といっても数年だが)宿題がなんとかなる気がしたのだ。
けっきょく、要は光だというところに落ちついただけのことではあるが・・。

桜は春の花、冬夏の寒暖の間にある季節の花だ。
春を一日の中での時間帯におき換えれば、昼夜の間、朝だろう。
その朝のまだ早い時間帯が桜の花にとってのゴールデンタイムではないかとおもった。
早朝の澄みわたった空気と透き通った光が、桜の花をすくいとり、浮かび上がらせてくれるのではないか、と。
というわけで、光をもとめて早朝の街をウロウロと歩きはじめた。
花を活けるには手間も時間もかかるかもしれないが、うまく活けられればそれで満足だ、などとすでにおもっていた。


sakura一年ぶりの桜の花は相も変わらずだ。
岩肌のような幹から伸びた枝に、自らを覆いつくさんばかりの真綿のような花を一面に結んでいる。
幹内の樹液が細枝に流れ込み、待ちわびた春の空に向かって花々を押し広げている。
陽の光を透き通し、照り返し、その間で淡い色が胸をすくほどの光を放っている。
風に吹かれれば身を揺らし、ひるがえし、キラキラと光りながら宙を舞う。
そして、ひとときの春の爛熟は早々に木々からこぼれ落ち、風に運ばれていく。

芽吹きから散り際までが、走馬灯かくあらんとおもえるほど、滔々とした流れのごとくに繰り広げられている。
その花姿の下を歩いていると、すでにこの世ならぬ光景のようで、白昼夢の心地すらする。
そしてときに切なくなる。

この季節のはじまりのひとときの中に、四季のはじまりから終わりまでの姿ひとつひとつが含まれている。
また来ん春の邂逅の中に、すでに別れの線が引かれている。
そうして、身を呈して、せめてこの季節、ひとときながらおだやかに和まれよと言われているようだ。
誕生を祝福し、移りゆくすがたを讃え、鎮魂の絶唱を捧げているようだ。
散華は人人の間を埋めるように降り注ぎ、別れをつなぐ海のよう、と言っては大げさだろうか。
いずれにしても、この花姿は和みにあふれている。

sakura苛烈なドラマでなくとも、相対を橋渡し、昇華することはできるのだ。
明暗のコントラストの強い明かりではなく、舞台一面をやわらかく包み込むような素明かりでも、相対のドラマを浮かべることはできるのだ。
その光景は、観手の心を和みのうちにすくいあげることができるのではないだろうか。
その是非はさておき、そんな和みの空気を感じる。
風は、花々をもといた所へと帰すべく紡いでいく。
その根では淡緑の若芽が顔を出し、すでに次の季節の兆しを垣間見せている。


  

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2008年03月07日

27.竹の匙

竹の匙竹製の匙、戦前の日本のもの。
アイスを食べるのに使われたものらしい。
竹材から糸ノコのようなもので形をくりぬき、先端あたりを軽くヤスリがけしたような作りと仕上げ。

当時のアイスとはカキ氷のことだろうか。
サクサクとすくえるものでないと、この細い柄では折れてしまいそうだ。
先端がとがり気味なのはそれを考慮してのことだろうか。
いずれにしても、この粗っぽいところに好感がもてた。
丁寧に仕上げる余裕がなかっただけかもしれない、そんな生活背景が見えてくるようだ。
素性を包み隠すことも取り繕うこともどこ吹く風、意に介していないように見える。

この匙に魅かれたのは、その粗っぽい中から、実直で根が素直な正直者が顔をのぞかせている気がしたからだとおもう。
遊び心やユーモア、茶目っ気や優しさも感じる。
見ていて安心で、ホッと人心地がつく。
そして、その顔はカキ氷売りのおじさんの顔と重なって見える気がする。

竹の匙それは、この匙が誰かの依頼によって作られたのではなく、使い手自身によって作られた道具に近いと感じるからだとおもう。
夏の炎天下、おじさんの作るカキ氷を食べにやって来る人のために作られた物。
カキ氷をよく知るおじさんの手によって、使いやすくあれと作られた物。
だから、作りは粗くとも用に適った物として目に映るのだとおもう。
頼りないほどの細い柄と、とがり気味の肉厚の先端、全体のバランスは作られ使われる中で形を得たものだろう。

さながら、来る日も来る日も耕されることで描かれた地模様であり、同様にして彫り上げられた彫像のようだ。
それが無為であれ作為であれ、目には自然な眺めとして映り、手になじむものとなっている。
もしかすると、すでにあった物をひな型として写したものかもしれない。
もともと金属製で、戦時の物質難による苦肉の策で、こうして竹で作られたものかもしれない。
その憶測はさておき、物が生まれる背景はなるほど単純なものでもあるだろう。
作られた背景が何であるにせよ、こうした物が生まれたことに人の世の救いを感じる。
透き通った精神性を感じる。
大げさかもしれないが、物がなくなってなお残るものが現れているとおもう。
「物」は「人」と言い換えることもできるだろう。

竹の匙それにしても、竹という素材は見近にあって馴染み深いものなのだとあらためておもう。
結局、地面から離れることはできなくとも、見近にあるもので必要十分、それで完結できるということも言えるだろうか。
青い鳥はさまざまな姿で、かたわらの地をついばんでいる。
人もまた青い鳥なのだろう。
  

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2008年02月16日

26.真鍮スプーン

真鍮スプーン韓国の真鍮スプーン。
スッカラと呼ばれる、数十年から百年ほど前の物。

木の枝に貝殻をつけたような形。
皿(すくうところ)が浅く、柄が長く、ペラペラに薄いが硬くて頑丈。
スープ用には物足りないかもしれないが、ご飯ものなどをすくいとるにはとても使いやすい。
柔らかいものならば切り分けることもできる。
見てよく、使ってよい実用的な物だ。
工芸の一つと言えるのだろう。

現在、同様のものが作られているが趣が少々異なる。
昔と今とでは、コンセプトも作り方も異なるからだろう。
以前の物は、真鍮材を叩き伸ばして作られていて微妙に波打っている。
柄の長さと太さ、皿の形と大きさもそろっていないが違和感はない。
この、装飾をそぎおとしたシンプルは作りは現代のデザインに通じるが、ちょっとちがう。
この“ちょっと”というのが大きな違いであり、同列に並べたときの違和感を生んでいる。

これはデザインされることなく、作り手から直接生まれてきた物だ。
素材と作られた物の間に距離がない。
材と用とが薄い真鍮板で一つに打ち付けられ、重なっているようだ。
見ていてもピントの合う、心ここにある物と感じられる。
“板についた物”と言えるだろう。

柄の長さや、皿の形と大きさが同一でないことは、木の実や葉っぱ、貝殻を並べたときの気分に似ている。
自然の波々のゆらぎに身はおさまるようにできているということだろうか。
この差異は意図して作るものではなく、同一形状に精度を出すことが困難であったり、
それをよしとせざるを得ない背景から生まれた必然なのだろう。
そうしたところが、物から緊張感と鷹揚さが感じられる理由ではないだろうか。

真鍮スプーンこれは波模様が形となった物なのだとおもう。
自然の波は作り手を通して、物に打ち寄せ、その身に波紋をとどめている。
とはいえ、こうした物をよしとできるか否かは受けとめ手次第だ。
このゆらぎを許せないという見方もある。
自然物である野菜にだって均一性は求められているのだ。

だから、時として個々のちがい、差異が問題となったりもする。
好みと資質は越えられぬ隔たりとして、ときに厳然とした巌のごとく立ちはだかりもする。
同じものであっても、たしかに違う物も資質もあり、それを只飲み込むことが必要とされることもある。
相反するものでさえ紙一重でつながることがあり、ささいな差異でも消化できないことがある。
それを、答えの出せない問いとして見つめることが一つの解であるときがある。
「見方」には色々ある。

このスプーンは掌の上に空を浮かべながら、色々多様なるものをすくいとることと、切り分けることを同居させている。
そういえば、食は人を和ませてくれるためものでもある。
そして、用を通じてその身を全うしていく。
人を通じることで一つに結ばれ、再び分化されていく。
作為と無為の匙加減が心地よい。

  

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2008年01月24日

25.毛糸の手袋

手袋・ハンガロテックス 1毛糸の手袋。
ハンガリー生まれの、ハンガロテックスという物。
日本では、おもに登山の際に使われている。

ひと昔前は、どこの登山用品店にでも置いてあるような、山登りの定番品だった。
購入の際、他の類似品と比べた記憶こそないが、迷う余地はなかったとおもう。
じっさい使ってみると、防寒と保温にすぐれ、耐久性があり、柔らかな風合いの中でバランスがとれている。
もしこれが化学繊維だとしたら、耐久面でおよばず、味気ない風合いとなるのだろう。
だからか、これ以上の防寒手袋があろうとはおもいもしなかった。
それは、この手袋がもともと日用品として生まれてきたからではないだろうか。

ところが、現在では生産体制が失われ、入手できなくなったらしい。
そうとは知らず、冬場の普段使いとしていたところ、ある人に教えていただいた。
今は、他の物がとって代わっているのだろう。
それは、似て非なる物だったり、ずい分と様変わりした物になっているのではないだろうか。
そのうち、色違いの紺色のものを入手しようとおもっていたが、贅沢な望みとなってしまった。

これを入手したのは高校生のときだ。
当時、ドラムを叩く合間をぬって、旅に出ては登山をしていた。
ゆくゆくは冒険家になりたかった。
卒業を控えた頃には、担任の教師や親に、当たり前のこととして話していた。

現在その道からはなれているが、たまには、山の緑や自然味のある風景を見ないと落ち着かない。
不思議と、そうおもう対象は海ではなく山の方がつよい。
まあ、それは冒険家にかぎった話ではないだろう。
というわけで、現在では活躍の舞台を移し、冬の街で使用されている。

毛質は未脱脂のウールで、粗く編まれ、ぶ厚くごわごわとしていて、はじめはとっつきにくかった。
生まれ故郷の地模様は野暮ったく、街なかでは浮いても見える。
だが、用として頼りになることこの上なく、いつの間にか手になじんでいた。
この作り手のおもいは、人の親心にも通じるものがありそうにもおもえてくる。

手袋・ハンガロテックス 3これは、その土地の「風土」「人」「くらし」が一つの規格となって生まれた物だ。
人の営みがこの物を形とし、必然の産物としている。
生活の中から湧き起こり、人の手とくらしを通じ、角を丸められ、形となった。
人と一体となるべくして生まれ、人に近しく、親しみあるものとなっている。
それは、物である上で大切なことだとおもう。
胸を突くような鮮烈な感動とは別の、底あたたかいものがある。
そのぬくもりは人心地として、日々をくらす上でなくてはならないものの一つだ。

寒さにかじかむ手をあたため、守ってくれるのは、地に根ざし、地を踏みしめる力強さなのだろう。
それが何よりも好ましく、身につける頼りや安心ともなっている。
そして、他の土地や風土にも通じる物となりえている。
実直さと素朴さ、愛らしさと親しみ、野太い力強さが、半ばノーブランドの実用品のよさだ。

その半面、物はゆるぎなくそこにあろうとも、生い立ちゆえの儚さも宿している。
あり様が美しいものにかぎって、潔く姿を消してゆく。
それはよくある話だとおもう。
今や、そのときそこに咲いていた、一輪の記憶となりつつある。

なくなることも美しいことだとおもう
何もかも、なくなりながら、おのずと記憶の中に生き続けてゆく。
記憶は、姿なき物として伝播し、やがて、姿かたちを変えた新しい物として生まれてゆくのだろう。
この手袋も、今またどこかの土地で、新たな芽生えとなっているのだろうか。

物の見方として、その物を「ない」物として見ると、見えやすい気がする。
そう見てもなお、やはり物はそうでしかありえず、なくてはならないと感じられる物が必要な物なのだろう。
しかし、そうおもえる物はとても少ない。
逆に言えば、物は、さほど必要ではないとも言えるのだろう。

この手袋を持って、色々なところに行き、使った。
山登り、カヌーの川下り、スキーのグローブとして、なくてはならない物だった。
いつも、何も考えずに荷物の中に放り込まれていた。
そして、凍てつく寒さの中で励ましてもくれた。

出会いから20年ほど経ち、はじめて名前を知った。
今後、いつまでの付き合いになるのかわからない。
失われゆく、ということはかけがえのなさを教えてくれる。
過ぎし日は記憶として、今につうじてゆく。

こうして、地に住まう八百万は、互いの姿をあらわしながら、棲み分けている。
称賛のあるところに繁栄はあるのだろう。

  

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2008年01月19日

24.革製ペンケース グリマルディ クロ−ド・ノワール

クロード・ノワール 1革小物司・TAKUYAさん(TAKUYA MADE BY HAND)に、あらためてペンケース(グリマルディ クロード・ノワール)を作っていただいた。

以前にはフラップ付きを作っていただいているので、
フラップありを「機廖
フラップなしを「供廚箸靴泙后

いずれも“革糸ともに黒色”、一本一本の万年筆のサイズに合わせて作られるペンケースです。

クロード・ノワール 2クロード・ノワール機淵侫薀奪廚覆掘烹核2千円(首から下げられるように紐をつけられます)
クロード・ノワール供淵侫薀奪廚△蝓烹緩円

<お問い合わせ>
galleryくらしの空 倉石 公太郎
Mail skyworks@softbank.ne.jp
下記、「Comments」からのEメール(公開されません)
  

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2008年01月09日

23.漆椀

佐藤さん現代の漆芸作家、佐藤阡朗さんによる漆椀。

正式には、眞塗懐石四ツ組椀。
入れ子式の四椀一組で、真塗りという、艶消しの黒色。

以前、個展に伺ったところ、あるジャーナリストが来ていた。
佐藤さんが、「若い人が使うことは嬉しい」と話されたところ、
「彼らにとって、伝統工芸は新しいものでもあるようです」と答えていた。
どうやら、私も社会現象の一つとして見られたようだった。

佐藤さん2ただ、私は器がほしかった。
普段使いの物として、何の衒いも虚飾もない、普通の器がほしかった。
そのとき、この漆の器に目が向いた。
本来の用途は懐石料理だが、毎日の生活に取り入れたいとおもった。
普段の食を支えてくれる用の器として、日々手にしたかった。

そのときは、出来上がって間もないようで、漆の香りがずいぶんと残っていた。
漆は、塗られてから一年ほどかけて硬化し続け、それが落ち着くとともに香りが薄くなる、と耳にしたことがある。
より硬く締まった方が、磨り減りにくく、傷がつきにくいかとおもい、まだ数えるほどしか使っていない。
すこしでも長く使いたいとおもうからだ。
とうに一年が過ぎ、最近では香りも薄まり、心なしか硬くなってきた“気”もする。
そろそろ、頻繁に登場して頂こうかと考えているこの頃だ。

佐藤さん3漆でなくとも、器としての用は足りる。
しかし、私は食事を命をつなぐための半ば儀式のようなものだとおもっていて、料理人を聖職者とすらおもっている。
その食を受ける器が、アニメのキャラクター物ではどうしてもそぐわない気がする。
食という行為と、命に対する冒涜とさえ感じられる。
この点において、アニメにもキャラクターにも他意はない。

どのような器がよいのかは一概に言えないが、自然でオーソドックスで簡素なものがほしかった。
飾りも、衒いも、古道具のような味もなくてよかった。
何事もなくありながら、しっかりと用を果たし続けて頂けるものが欲しかった。
そのとき、目にとまった一つが、この漆椀だったのだ。

手取りは軽く、ずいぶんと薄手で、取り扱いもおのずと慎重に丁寧になる。
毎日でなくともよいが、背筋を伸ばしての「いただきます」は、心地よい儀式だとおもう。
作られた人の手を通じ、使い手の手を通じて育まれる物こそ、かつての息吹を伝える「家宝」となっていいのではないだろうか。
それが社会現象ならば素敵だとおもう。

  

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2007年12月14日

22.寒菊と紫陽花

820b73de.jpg寒菊と紫陽花。

季節の花を活けてみた。
壷は田宮亜紀さん作。

菊は近所の家からわけていただき、紫陽花は駅にむかう遊歩道の植栽からの花盗人。
いただいたのはひと握り。
その程度はさておき、花盗人が罪になるならば、甘んじて身を投じたい。

ほんとうは夏冬それぞれの花を活けたかったし、枯れた紫陽花の花もほしかった。
しかし、郊外の住宅地に咲く花はかぎられていて、ちょうどよいものが見当たらなかった。
遊歩道の紫陽花は、すべての株がまあるく刈り込まれていて、肝心の花はひとつも残されていない。
枯れた花を好む人がすくないにしても、なんとも心ない光景となっている。
いったい何のために植えられているのだろうと疑問におもう。

菊も同じようなものだ。
道すがらの秋をたのしんでいても、いつのまにか、その家の人によって根っこごと引き抜かれている。
なにかの理由があるのかもしれないが、まるで雑草を刈り取るかのような扱いだ。
毎年その光景をみるたびに不思議におもう。
実にもったいないことだとおもう。

今さらだが、秋草や紅葉、冬の立ち木、枯れた草花が好きだ。
春夏のあざやかな色彩も心地よいが、秋冬のしっとりとした、鈍く輝くような色調と風情にとてもひかれる。
毎年、晩秋から冬にかけての風景をたのしみにしている。
寒暖の間で色づく草木をみるにつけ、なんだか得した気分になる。
目が素直によろこんでいる。
これを眼福というのだろう。

滋味あるながめは目にしみこみ、心落ち着き、身のうちがざわめいてくる。
野の道小道を気のおもむくままに散策したくもなる。
そして、いよいよ冬の到来を実感する。

色づく葉も、葉を落としはじめた木も、小さな花も、きれいとか美しいなどと単一には語れない、重層的な美しさがあるとおもう。
その姿に、身の落ち着きどころをみるおもいがする。

四季の終焉を迎えようとする中、草木は移りゆく季節を含んで、静かに輝いている。
陽射しに輝く風景をながめていると、無数の色のひとつひとつが金色にみえてくる。
各々の色が輝き、響きあい、黄金の旋律を奏でているようだ。
いま渋みを帯びた色は、もともと黄金に輝いていたものだとおもえてくる。
色を経たのちに、やがて黄金の中にとけてゆくということだろうか。

季節のはじめは淡かった色も、その移りかわりとともに濃度を増してゆく。
やがて色に満ち、命を生み、崩れおち、色なき世界へと入ってゆく。
色なき世界とは、輝けるところでもあるのだろうか。
去り行くものも背景から、黄金の輝きがみえてくようだ。
つまり、色々の実体は、色なき輝きとでもいえるのだろうか。

いずれにしても、陽射しは色を育み、洗い流し、その姿をあらわにしようとしている。
生死を讃え、栄枯盛衰を包む黄金の掌のようだ。
陽射しに照らされて輝く風景は、それひとつで荘厳な伽藍にもみえる。

ときに、秋から冬にかけての風景は、飛び込んでしまいたくなるほどに美しい。
なんでこんなにもうつくしいのかと涙がでそうにもなる。
美しいものを目の当たりにできて、深く息をつくたびに、幸福を感じる。
通りすがりの景色を見過ごすことができないとき、手ごろなひと握りを持ち帰る。
そして、瞼に焼きついた景色にむかう。

ものをみるとともに、自然の風景にそよいでいたい。
海の波、川のせせらぎ、山の木々、道の野草に目をむけていたい。
そこに吹く風とともに、目に入る景色を心ゆくまで味わいたい。

花は風にゆれながら、色々を奏で、結実を果たし、ものならぬところへと向かう。
ただ季節の風に身をまかせていればよいではないかと、その姿は示している。
くらしは花の活け姿だ。
野に立つ姿に、何がしかのヒントがありはしないだろうか。

枯れ紫陽花と寒菊と、ともに今咲く旬の花。
寒暖の双極の間にねざす、生死一如なるこの世界。
その断片としてながめようとおもった。

  

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2007年11月25日

21.オーク材のテーブル

テーブル4ひとめぼれの、オーク材のテーブル。18Cフランス。

オークとは、西欧では樫や楢の木を指すらしい。
大きさは、たたみ一畳がせりあがったほど。
木工室の作業机のように朴訥として、手引きの鋸で切り出された材には、粗いノコ目が残る。
支柱の角材、側板と天板の板材は木釘で組まれている。
設計図をもとに製材したというよりは、材を掘り出すように切り出し、組み上げたようだ。
天板の中ほどは窪んでいて、脚の裾には腐食もある。
だが、歳月の進行は半ば止まったのだろうか。
板はたわまぬほど硬くしまり、ところによって炭化しつつある。

2-300年という年月は、木のテーブルにとっては長い時間だろう。
歳月は、今ここに到るための羊水のようなものだろうか。
テーブルは、幾百の季節とわが身とを入れ替えながら、数々のドラマをすくい取ってきた。
その時々の凪や時化を、あたかも穏やかなもののごとく身に描き、鷹揚として安寧を築いている。

身持ちのよさには、堅牢な造りや存在の自然さによるだけではない、自らの意思を感じる。
そうして、テーブルは自他一体となりつつ、今や鈍い光を放っている。
食べこぼし飲みこぼし手垢、その他もろもろによる経年変化が美しい。
その景色は、見つくすことのないドラマのようだ。

重厚で奥ゆかしく、静かなたたずまいにひかれる。
古いものだからいいというわけではないが、この感じは新しいものにはなかなかない。
新旧によらず、よいものは心も現実をも豊かにするとおもう。
「みる」ことは、形あるものを生み、くらしをつくるとおもう。
時空の相似形の一つとして、私はこのテーブルという風景の中に住んでいるようにおもえた。


テーブル3この世は、大きな一なるものを切れ切れに切り離すことで出来上がっている。
木の実がはぜ、一粒一粒の種の芽生えが「わたし」となった。
時が生じ、空間が生じ、それぞれが隔てられることによって「わたし」は誕生した。
「わたし」は、根っこでつながっていながらも離れ離れだ。
そして、心をともしびとしてかかげ、また別の「わたし」を求め、時空を渡っていく。

心は、「わたし」を一なるところに結ぶものだろう。
そうして、「わたし」は失ったものを取り戻そうと、追い求めているようだ。
戸惑いながら、おぼつかぬ足取りで、泣き所をもとめて、歩み続ける旅人のようだ。
日々、涙の海に身を浸しているようではないだろうか。
海は「わたし」の涙のすべてを渾然とたたえている。
テーブルは、その海をわたってきた。

いずれ、いかなる思いも感情も、つまり、「わたし」は浮かばれていく。
花が空に色づき実を結ぶように、ドラマはその流れの果てに空に昇り、切れ切れなるものは結ばれる。
空は、色々なる「わたし」の収まりどころだ。
成仏は生の営みだ。


テーブル5テーブルを運んでくれた赤帽のおじさんは、実に嬉しそうだった。
いい物を運ぶのは嬉しいことなんです、とのことだった。
物も人も、つまりは歓びにいたるのだ。
歓びを全なる感情として、この世もあの世も作られている、とおもった。


しかし、地上にあふれる色とりどりの花々は、少し息苦しそうにも見える。
それでも、空という大きなパレットに比べれば小さいが、テーブルは空へのきざはしを示している。
まずは安心して、ゆるやかに力強くあれ、と言っているようだ。

ここに、くらしが立ちあがった一つの姿がある。
やはり、生活の中にテーブルがあると人心地がつく。
よい物というのは、おのずと花を添えたくなるものらしい。
それは、ひとめぼれもくらしも同じだ。
どちらも、まごころ一つで育むものだろう。

  

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2007年11月22日

20.百壷展・田宮亜紀

0fdb714d.jpg展示会のご案内。

先に紹介した陶芸家・田宮亜紀さんの個展です。
「百個の壷」がテーマです。
これだけのまとまった展示がされる機会もそうそうないと思います。

「田宮亜紀 百壷展」

2007年11月22日(木)〜30日(金) ※水曜休廊
AM11:00〜PM7:00 (最終日 PM4:00迄)
会場:亀山画廊 http://www2.wbs.ne.jp/~kame-g/
住所:静岡市葵区鷹匠2-4-40サンサウス静岡1F
連絡先:054-252-5040

  

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2007年11月04日

19.焼き締め・田宮亜紀

田宮さん1現代の陶芸家、田宮亜紀さん。
おもに焼き締めの器、皿、壷を作られている。

田宮さんの焼き物は、不思議なほど様々な住まいや食卓にあう。
それは、土を通じて人もくらしもつながっているというだけではないとおもう。


田宮さん2はじめてその焼き物を目にしたときのショックは大きかった。
余韻はいまだ鳴り響いている。
もちろん、心打たれたのは作られた物がいいからだ。
同時に、私に衣食住にわたってしっかりと身がおさまるくらしを作りたいという気持ちがあるからだともおもう。
くらしに根付き、そこから生まれ、立ち上がってくる確かなものがほしい。
人の営みを真っすぐに打ち抜いたようなものこそがどうしても必要だ。
田宮さんの焼き物は、胸にまっすぐに飛び込んできて、一気に腑におちた。
くらしを作るにおいて、はずすことはできない物にみえたのだ。

田宮さん3器にとって大事なことは、その中に入るものにとって、その場がどうあるかということだとおもう。
作られた器や壷は、器に入る食にとっても、壷に入る花という命にとっても、安らかに健やかに存在できる場に感じられた。
命の受け渡しをつかさどる器にとって、それは一番大切なことだとおもう。
それだけの場を取り持つことのできる器の類ははたしてどれほど存在するだろう。


釉薬をかけない焼き締めは、焼く温度が低ければ土器ともいわれる。
焼き物の原点に近い姿は、くらしの原風景をほうふつとさせる。
あたかも、まだ生活が立ち上がっていない原野の軟泥を形におこしたようだ。
くらしの原型のような姿は力強く、源なる素朴さと、素顔の営みに根ざしたすがすがしさがある。
荒々しさとやわらかさ、命を包んでいるかのようなふくよかさやみずみずしさもある。
日々の営みに根ざし、この世に根ざし、宇宙に根ざしているようにみえる。
その上で、地上の清と濁をあわせのみ、昇華した様をあらわにしているようだ。
その眺めは、さながら命のふるさととも思える光景になっている。
とてもなつかしく、郷愁を呼び覚まされる眺めだ。
目の当たりにすると、体の中を風が吹き抜けてゆくとともに、深い安らぎをおぼえる。

田宮さん5だが焼き物は、それだけの風景を走馬灯のようにかけめぐらせながら、あくまでも風にそよいでいる風だ。
あたかも、宇宙は安らかなところだと言い、心を安らかに命を健やかに育むためにあるのだと語られているようだ。
そうして焼き物は、作り手の表現を越え、時間の垣根を越えている。

そうみえる物は、心と体を結ぶだけでなく、生死をもまたいでいけるのではないかとおもう。
しかし、そもそも命も器も同じ所からやってきているものではなかっただろうか。
来し方の源なる風景が焼き物を形作っているものだとおもえた。
そして、たしかなところに根ざすものはたしかなものをつくる、とおもった。

田宮さん4と、田宮さんの作られた焼き物を通じて感じた。
おもった、というよりも呼び覚まされたという方が近い。
総じて言えば、とにかく焼き物に感動したということに尽きるから、ずいぶんと勝手なことばかり言ってしまってはいないか心配だ。
言葉より、実際に目の当たりにした方が断然いいにきまっている。
そこで感じたことが本当のことだ。
ぜひ、機会があれば直接ご覧いただければとおもう次第だ。

田宮さんのまなざしには、どのような風景が映っているのだろう。
ぜひ、作り続けていただきたい。

※写真は上から順番に、器、片口、蓋物、いずれも撮影は田宮さん。

下の壷の写真2枚は他の方が撮影された写真です。
田宮さんの了承を得てホームページからおかりしました。

今のところ、当galleryでは直接ご覧頂くことはできませんが、田宮さんのホームページでは取り扱い販売店や個展情報について掲載されています。
作家HP http://tamiya-aki.com/

  

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2007年10月27日

18.サンドペーパー

22db85b3.jpgサンドペーパー(約10×14cm)。

大井町の万年筆屋さん「フルハルター」の森山信彦さんが使われている職人道具。
万年筆を一人一人の使い手にとって書きやすくするために、ペン先を研ぎ磨くという細やかな作業から生まれた物だ。
同じ道具でも、使われる人によって趣が変わる。
とりわけ職人道具にはその人となりがダイレクトに表れるのが面白い。

緻密な作業と、注がれる愛情によって、一筆一筆に意味のある端正な抽象画のように「仕上がっている」。
万年筆画家と言ってはどうだろうか。
作為のない美しさとぬくもりがあると思う。

こま切れの放物線の軌跡がペーパー一面に広がっている。
池の水面に渡る風のようだ。
風は何を運ぶだろう。

研がれた万年筆を手にするとき、幸福を感じはしないだろうか。  

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2007年10月04日

17.ガラスのコップ・昭和 日本

bbdd9e80.jpg ガラスのコップ。新しくなく、古くもなく、よくある量産品。

 全体の大きさ、重さ、厚みから、縁の玉縁にいたるまでが、揺らぐガラスの中でバランスよく収まっている。コップにも色々あるけれど、結局のところ、飾りのないプレーンな物に落ち着く。実際、日常生活に溶け込み、飽きもこない。生活は素顔の営みだ。物が素の姿に戻ったとき、物の背景に広がる景色も、人の営みも見通しがよくなると思う。

 ガラスは、憧れが投影された物なのだろう。

 あて所あるなきにかかわらず、とりとめもなく湧き、めぐり続ける心、そんな心をよそに、光を呑み込み、はね返し、空を泳ぐごとくそこにある。その空々しさが時にもどかしかったりする。だが、色付けなく、明確な形を変えることなく、はかなさを根に堅固を身にまとっているところにひかれているのだと思う。

 もし、人が透き通る存在ならどうだろう。もちろん、それはあろうはずもないが、大変な事態だ。だが、一時的な混乱を通り過ぎてみれば、その身のままに自らを委ねるよりほかにはないことに至るのだろう。気も心も、それそのままにあることでしかなくなるのではないだろうか。そのとき、今ある、何がしかの労苦の幾ばくかは多少なりとも、いや雲散霧消し、きらきら輝く陽の光と同化するのではないかとさえ思えてしまう。

 が、そんなことは少なくとも今のところは起きるべくもない。だが、人はそうして浮かばれていくことにちがいはなく、それは少なからず望まれていることだろう。しかし、現実はといえば、白日の下で否応なくその身をさらしているわけだ。

 つまり、人は目に見える肉体を通してではなく、目に見えない、たとえば心を通って行くことで浮かばれる存在だということなのだろう。そうした人にとってこそ、ガラスをその一つとして、透き通りきらきらと光る物は、行く先を映す憧れとして作り続けられているのだろう。

 飾りも名もなく、シンプルに帰着すれば人との距離も近くなり、親しみやすい。営みもその素の姿に近づくと思う。目に見えるところを抑えに抑えたとき、素の姿が見えやすい。そこで見えてくるのが、営みの素の姿だと思う。
  

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2007年10月02日

16.伊万里・湯のみ茶碗

5a9f0f70.jpg 伊万里の湯のみ茶碗。江戸中期〜後期くらいだろうか。5客組中の2客。

 煎茶に合う茶碗を探している。
 白磁や青磁にはお茶の色が映えるかと思うが、これと思うものにはなかなかめぐり合わずにいる。

 もともと、柄物にはなかなか手が伸びないが、これの絵付けからはほどほどに気負わない感じが伝わってきた。さらに、すべてにヒビやカケが入っている。気楽な普段使いには合う。柄物、伊万里はむしろ避けて通っていたけれど、目にとまった。

 やはり、物は他とのバランスが大切だ。良いと言われるものでも、使い手、生活と一体となっていなければ浮いてしまう。物と使い手と生活がひとつながりになっているのが自然だ。くらしにおいてはそれが一番大切なことだと思う。それでも、意外な物と付き合うことになったりする。人と同じだ。不思議なものだと思う。  

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2007年09月08日

15.錆びた缶

1c372785.jpg 道端で拾った錆付いた缶(高さ14cmほど)。

 錆のざらつきと金属のてかりのコントラストが目に鮮やかだ。茶葉か海苔が入っていた物だろうか。ふたはすでになく、子供たち(中身)がとうに巣立った後、風雨にさらされ味がついている。肌は過ごした年月をあらわしているが、背筋はシャンと伸びている。この錆は寂びの風情だ。ジャンクと言っては可哀想だ。花を活けたいと思ったが、道端にはちょうど良い花が見当たらなかった。目につくのは、そろそろ実や種をつけ始めた秋の野草だった。

道の缶 夏の花 秋の草

 このままにしておけばいつか崩れ去る。だが、崩壊の果てでは何かが生まれる。錆止めはかけず、錆という釉薬の歩みを楽しみ、なくなる事を愛で、見届けたい。生死の相対をのみ込む、心の落ち着き所はそこにある。  

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2007年07月26日

14.中華のスープ碗

1e2b1ca9.jpg スープ碗。中華食堂や大衆食堂でよく見かける小ぶりの器。

 白い無地の器というだけでもはやお腹いっぱい気味かもしれない。誰もが一度はお世話になっているであろう器だ。手取りはちょっと重く、頑丈で日常使いの頼りになる道具だ。形もバランスがとれていてきれいだと思う。実に安い。これが、現場でガチャガチャとあわただしく使われ、たいして大事に扱われていない。かざりっけのない姿は、住まいを選ばぬ働き者だ。絶賛される物でこそないが、今ある日々はこうした物によって作られてきた。えてしてこういう存在に限って、正当な評価を受けていないことが多い気がする。とはいえ、多くの場で実際に使われ続けていることが、何よりの賛辞だろう。そうした器なのだが、見ても見ても何事もなく見所もなく、実に素っ気ない。

 物には作られた背景がある。器であれば、その原型はすでにどこかにあったものだ。今回は、器の昔々に遡る話ではないが、この器の向こうには「昭和」という年号が見えてくる気がしている。裏づけも根拠もないのだがそんな匂いがする。あながち外れてはいないだろう。

                                     + 

 昭和といえば、父母がまだ若く、祖父母がまだまだ元気で、実に色々なことのあったあの昭和だ。なぜかその響きから思い起こされるイメージは、真夏の照りつける太陽だったり、宙に抜けていくような青い空といった、暑い暑い夏の日々だ。その昭和というものが、それ自体一つの大きなかたまりのように感じられる。たしかに今住まいとするところ、目に入り、手に触れる多くは昭和期に作られたものも多い。たとえ、年号を越えて作られた物でも、その根は昭和に根ざしていることが多いだろう。それは物にかぎってのことではない。今あるこの日々それ自体が、あの過ぎし日があったからこそと感じられてならない。

 かつて、野に焼けたところから今日が築かれてきたことを思うと、自分が作ったわけでもないのに感慨を感じる。さらに、汗と涙と心身の労苦によって作られてきた今日なお、厳然とした巌のごとくに屹立し続け、姿を変えつつある中で、かつて生きていた魂が大きなかたまりとなって息づき、この現実を支え続けてくれている気がしてならない。逆に言えば「おちおち安心して見ちゃおれない」からなのかもしれない。そうした産みの親を背景に、押し出されるようにして生まれた一つがこの器だと感じる。かつての、額に汗する中から生まれ、そうした日々をまちがいなく支え、こうして涼しげな顔で立っている。

 今や国宝とあがめられる茶碗だって、時代を違えこそすれ、かつて同じように生まれてきたのではなかっただろうか。生活の中での普段使いという点で見れば同じはずだ。名もない陶工によって、生活に根付き、生活のために作られ、そうしたものがあったからこそ、人は今日に至るまで、時をつないで来れている。名も功もなく、純粋にくらしのためにあれと作られたものは、手仕事のぬくもりといったやさしげな言葉をとうに超えている。今やガラスケースの中とはいえ、収まるべきところに収まったまでの話なのだろう。

 この器の肌はうすい水色を帯びている。焼き物の白磁や青磁は、何にも色づけされていない無垢なるものへの憧れとして、未完の完成とも言われている。往々にして、人は原初への回帰を、誕生から遠ざかるほどに憧れを募らせているようだ。やがて、それは浄土への信仰へと結びついていくのだ。結局、望まれるのは、この世を悔いなく渉り終え、きれいさっぱりと去り行くことなのだろう。焼け野を通じ、新たな時を築く中で、そうした祈りとも似たものが、作られる物に込められていたとしておかしくないと思う。そして、そうした想いというのがいまだ脈々と息づいているように感じられるのだ。

 かつて、極が極を生み、焼け野から再生しながら次へ次へと歩みを進ませている。暦日を俯瞰しても、いまだ枠組みを作り出せないのが現実だ。何をどう作るかという答えが求められるが、問いの答えは答えそのものにはない。違和のない営みが、違和のない現実を自ずと導き作り出すだけだ。正直な営みから生まれたものならば、命を健やかにあらしめ、形を作り、やがて街をつくる。いっそのことリセットしたいという気持ちは理解できるにしても、起きたことが在りえることだからとしても、避けて通りたい道もある。できることならば今をスムーズにつないで行くに越したことはない。

 器にその役目があると言っては大げさだろうか? 器といえば、その物自体は空っぽでただそれだけの物だが、その存在と意義は大きい。命は宿る器を必要とし、器は日々の食を支える。互いなくしては用をなせない。双方が結ばれたところからくらしは形作られる。命が活かされ継がれる中で、器は今日を明日へとつなぎ、橋渡しをし、そうして世界は、日々食す命と、食を活ける器から生まれてくる。器を手にするのは一人だが、その一つ一つの手から世界も明日も生まれる。器もまた、今日も明日も作るといって過言ではない。

 そして、くらしを橋渡しとして、心や魂といった見えざるものが形となり運ばれ、諍いや平安が内面の延長線上に形作られる。いつしか人の手によって、自然と人為とが違和なく結ばれるのだろう。器も物も、そうしたところにまで影響を及ぼすと思う。世界を一足とびには作れないにしても、一歩一歩を確実に支えている。人が彼岸に向かう中で、物はまた偶像として、天国行きのキップのように、行く道を支え示唆している。

                                      +

 器の中には、名を持つものもある。それはそれとして、無名であろうとも、無垢な物、必然を背景にして生まれた物の向こうには健やかな風景が広がっている。その風景から押し出されるようにして生まれた物が作る現実は信じてもいい気がする。向かうのは喜怒哀楽のドラマを越えたところだ。本来、当たり前にあって然るべきものがなかなかに有り難しなのが現実だ。それでも、それがあることで場が和らぐものもある。心の落ち着きを得られる物がある。そうした物というのは本当に何事もなかったりするが、道しるべは意外なところにあったりもする。ニュートラルな心が世界を全き姿に描き出す。決してそれは向かう先にあるものではないはずだ。この器も、いつの日か役目を終える時がくるのだろう。いや、ぜひとも来なければならない。

  

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2007年07月19日

13.煙突のタイル・16〜17Cオランダ

a534ec7b.jpg オランダの煙突に貼られていたタイル(16〜17世紀頃。10×10×1,5cm)。

 オランダのタイルというと、デルフトの、白地に青絵が描かれたものが有名だが、これはそれよりも前の物らしい。そのためか、素焼きは枯れたような風合いだが、素朴でほかほかとした滋味がある。そして、煙突の煙で燻されたような、干からびたような肌に可愛げな図柄が「顔」として彫られている。

 馬に乗った人が、路上にいる人(おもらいさんか)にほどこしを与えているその図柄は、描かれたというよりは、型でおこされたような印象だ。彫りが浅くなっているので陰影をつけにくく、分かりにくいかもしれないが、実際は、あげるもらうというやりとりが分かりやすく描かれていると思う。ギブアンドテイクという行為は古今東西同じ姿になるんだなあと納得し、簡潔に描かれていることに感心してしまった。

 こうしたタイルが、一枚ごとに図柄を変えられて寓話化され、いくつもあるそうだ。何でこの内容だったのか、他のタイルではどのような図柄なのかと興味もあるが、この一枚にとどめおいた方がいい気もする。どうせ、フタを開けてみれば説教くさいお話なのだろう。もはやイソップ物語のブドウを見上げたキツネのようだが、楽しみは忘れるほどに取って置くのも華だ。

 しかし、煙突に貼るためにこうしたタイルをぺったんこぺったんこと作っていたことを考えると、何でこんなに手間のかかることをしたのかと思う。たしかに、手仕事でしか作れなかったとはいえ、また、全てに図柄がつけられたわけではないにしても、数は沢山あったことだろう。時間があったのか、同型の無地レンガを作る手なぐさめだったのか、煙突の鬼瓦か、暖炉に貼って子供に語り聞かせるためかと勝手に考えてしまう。日常で必要に迫られ、程よく手を抜かず、気負わずに作られているだけに、作られた背景や量産された作業の流れが見えてくるようだ。

 一度貼ったタイルを割れないように剥がすのだって骨が折れる作業だろう。その家に住まう家族が記念に取り置いたか、骨董屋さんが剥がしにやってきたのか、いずれにせよ、そのおかげでこうして見ることが出来たのだからありがたい。

 こうした一片一片で組まれ、守られた煙突があり、その先では世界が何事もない物の集積で組み上げられている。逆に言えば、世界はこうした一つ一つに切り分けられ、別れ別れの切なさをもとに作られているのだ。

 地域から、生活から、押し出され湧き出るように生じた物は素朴で一途だ。営みへの信仰も感じられる。飾りっ気なく、作った人の心や精神というものがそのまま鋳抜かれるように形になっていて、時に胸を打たれる。そうして作られた物というのは作為とは対局に位置する。そういえば、宗教美術の残欠にも見えてこないだろうか。ただし、人に色々な表情があるように、時としてぞっとするような怖い物や事があるのもたしかだ。それでもいずれにしても、やがては成り行くものであることもたしかだ。

 作った人も使った(?)人も、今やとうにいないがこれはここにある。この物の向こうには彼岸の景色が広がっている。人も物も、彼岸と此岸を行き来し、別れと邂逅をくり返すなかで、こうした物は双方を橋渡しするように、何事かの名残りをその姿にとどめている。

 さまざまな風に吹かれてここまでやって来て、からからに干涸び、煤にまみれたような顔でいったい何を語ろうというのか。あっちの世界もなかなかにいいところだよ、こうしたギブアンドテイクで世界を作ったのだと、酸いも甘いもかみわけた上で屈託もなく語っているのだろうか。用を終えた今、日向でその身をほころばせながらそんな声が聞こえてくるようだ。何を語るにせよ、何だか懐かしいことである気がする。

 切れ切れの悲しみを埋めるのは、ほかほかとした太陽のようなぬくもりや、何でもないような物事なのだ。たとえそこが枯れ野であろうとも、その果てで世界は始まる。始まらざるを得ないのだ。
  

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2007年06月21日

12.書 副島種臣(そえじま たねおみ)

ad117d1d.jpg 明治時代の政治家、副島種臣の書 「紉蘭 (じんらん 68.5×130.0cm)」。

 8年ほど前、雑誌で副島種臣の書を初めて見た。オーソドックスな作品や、前衛絵画のような作品それぞれが見事で、息をのむ思いをした。6年後、京都で催された副島種臣展では、欲しかった絶版の作品集を入手した。最近、没後100年にして東京初の個展が催され、とりわけ「紉蘭(じんらん)」に感動した。目の当たりにすると、思わず涙がにじんできた。その作品は、この世の営みへの鎮魂歌に感じられた。
                               +

 副島種臣は、外交を主として活躍した政治家だ。彼の発案が実現されていれば(邪魔されていなければ)、北方領土問題も「なかった」とも言われている。幼少期から儒教、漢文を徹底して学び、その素養は中国と対等にわたりあえたほどだったという。書には、幅広い作品を通じた一貫性があり、さしずめ書の絶対物と感じた。そのイメージは大木か森のようで、幹は天に向かって伸び、枝は四方に生い茂っていて深々と豊かだ。作品群は、さながら森羅万象を包む宇宙のよう、と言って過言ではないと思う。それほど作品の一つ一つは広がりと深みと、重力を持っている。

 その表現は、現実の中でのせめぎ合いと闘争の中から生まれてきたようで、生々しく切実だ。あふれるほどの鬱屈した感情が、抑圧の先で滲むように吐露され、書に乗じて昇華されている。墨色の滲みは、胸内に流された涙に見えた。そうして、心は作品ごとに姿を変え、ドラマとして展開し収斂されている。あらぶる感情をなだめつつも、背景には儒教が山々のごとく一貫して見えてくるようだ。

 対照的な一人は良寛だと思った。書の向こうには、風に揺れる竹林、ゆるやかにたなびく雲、飛ぶ鳥の姿が空に溶け込んでいるような景色が広がっている。無為に活けられた野の花の親しみがある。しかし、牧歌的ではあるが散文詩ではない。その細く伸びやかに引かれた線描は、この世から離れ、見えざる世界から筆を下ろして書かれているようだ。そうした行為が、彼にとっては「経」を現実に落としこんだものだったように思える。だから、背景にある、経や風景が現れた宗教画と捉える方が自然な気がする。作品から、老荘の思想が見えてくるようだ。
                                     
 儒教も老荘も、山々や田園の風景も、営みの「経」だ。「経」は死者への供養であり、現世の営み方だ。儒教は官のあり方を、老荘は野辺の民のくらしを語る。その経が縦に伸び、日々を暮らす風景が地平に沿って広がっている。その縦横の糸が重なったところにくらしがあり、くらしを包む空がある。両人の書を通じて見えてきたのは、書の背後にある風景だった。風景は、彼らの住まう日々のくらしだった。儒教も老荘も表向きのことであって、結局見ていたのは、くらしを通じての心が織りなすドラマだった。
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 どのようなドラマも、最終的には結ばれる。生い茂る枝葉が一粒の種から生じるように、紙上の一点から生じたドラマもいずれは丸く収まるものだろう。書は、副島種臣にとっては日々の武装からの開放の場であり、良寛にとっては地に足を下ろし、見えざる姿が現れた場だった。また、それは現実とのギャップの埋草であり、表には見えない骨格にあたるものだった。この世もまた、見えざるところから形を組まれている。その現れでもある。今としては、両人ともに、心の風景から生まれた書の中に息づき、彼岸から支えていることだろう。

 暦日を手繰り、ひも解けば、人のあり様、心が現れる。自然を見れば営みが見えてくる。ドラマを観ることは、その先の開放された景色を眺めることだ。そこで見える景色は、何がしかの経となり、物やくらしを作る一助となるだろう。この世は、神にしたところで八百万だ。根ではつながっていても、現実は万葉極まりない。渋滞や諍いが起きない方が奇跡だ。それでも、不思議と調和がとれているところも時にはある。そこでは花が咲いていて、見る人の心を和らげてくれる。それが何らかの「物」であったり、「表現」であったりする。それが愛でたいものであり、時に摘み取り、活けたいと思えるものだ。

 仏陀もキリストも、形ある「物」を作らなかった。だが、「経」は営みを語り、その中で物は作られ、くらしを継いできた。もしも、経も宗教もなくなったとして、それはすべての物の中に宗教が結ばれたときだろう。そのとき作られる物もくらしも、何だかいいものである気がする。形ある物はやがてなくなるが、物も人も、形あるなしにかかわらず開放されていることが幸せだ。決してそれは死後のことではない、万事の収まり所だと思う。くらしは、心から作られる。今昔を問わず、花を愛でることは、パンドラの箱の底に残っていたものを形にすることだと思う。
  

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2007年05月31日

11.写真 ヨセフ・スデック

b81c7cc6.jpg チェコの写真家、ヨセフ・スデックのパノラマ作品。

 先日、御茶の水のギャラリーで催されている田中長徳氏の写真展に行って来た。チェコ、プラハの写真があるとのことで興味があった。東欧にはなにか惹かれるものがある。石造りの建造物が作る影、差し込む光、様々な造形物やデザインは日本のそれと異なりながらも親しみを、野の広がりには郷愁を感じる。この一見何もないとも捉えうる風景にそのように感じるのはなぜだろうか。ロマネスク洋式の建造物が残るためでもあろうが、石作りの建築は立派でありながらも生活の中から立ち上がってきたようで親しみと共感を感じる。北欧の造形の、耕され舗装され尽くされた取りすました面持ちではなく、素顔の営みに根ざしているようだ。

 写真は、コントラストが抑えられ、黒く焼かれた印画が実際の雰囲気をあらわしているように見えた。使用された機材も田中氏が敬愛するスデックに捧げるかのようなセレクトがされていたようだ。光は石壁が作る暗がりに溶け入るように差し込み、マイルドな闇とでもいうべき影を生じさせている。こう言ってはなんだが、選択肢が限られた暮らしの中に滲む涙のよう、と言ってしまってはあまりにひどい言いようだろうか。

 現地を訪れたことはないので分からないし、築かれた文化を見れば実際そうではなかっただろうが、かつて東欧と呼ばれた土地は肥沃とは言いがたく見えた。もちろん、さまざまな景色の中の一部分がフレームに切り取られているわけだから一概には言えない。チェコにも四季があるそうだ。野の中に、生活、政治、国が築かれているかのようにも見える。野に生える木の立ち姿は、暮らしの原点、原風景となっているようにも思えた。そして、そうした風景を根にして伸びた「線」が物を作り、枝葉を伸ばし、くらしを形作っているのだろう。

 「線」はその土地でのくらしの骨格、素にあたるものだろう。「線」は、美術、建築、政治にわたって引かれ、その先で今日は描かれているのだろうか。チェコの線は、恵まれた自然の中で生を謳歌した風ではなく、抑えられに抑えられた営みの中で引かれたように見える。それが地理環境によるものか政治状況によるものなのかは分からないが、引かれた線は、ミニマムで過不足なき素直な形に結ばれているようで、平面デザイン、グラフィックアートはその最たるものとしても腑に落ちる気がする。私は、くらしや街、物に現れた東欧ならではの「線」を見たかった。

 チェコの風景に、くらしの原風景を見た思いがした。風景を通じて見えたのは、物の生みの親、物が形作られる上で始まりに位置する文字という「物」のふるさとだった。野の風景は、文字の生みの親ではないかと思えた。野に立つ木は紙上に置かれた文字であり、群生する野草は紙上のレイアウトのようだった。木や草の営む姿はグラフィックデザインであり、町や都市の相似形であり、くらしの形の原形に見えた。それはチェコだからというわけではない。くらしも物も土地に根ざしてしかありえないが野に境界はない。必然的に為され、作られる物には境界を越える言葉があるだろう。
  

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2007年05月27日

10.ガラス瓶

33040d21.jpg 庭から出土したガラス瓶。

 畑仕事をしていたら出て来た。地面を掘り返しているとスコップの先にカツンッと当たり、地下30センチほどに黒光りする丸い物体が顔を覗かせた。戦前からある祖母の家の庭だけに不発弾かと頭の中をよぎったが、なんてことはない泥だらけの瓶だった。いそいそと泥を洗い流すと、久し振りに日の目を浴びてのご対面。しばらくのあいだ日向ぼっこをしてもらった。割れもせず、よく今まで埋まりきっていたものだ。

 今のビンと基本的には同じ作りだろうか。表面は波打ちながらも吹きガラスではない。真ん中を境に、縦に張り合わせたと思われる線が走っている。やや肉厚気味なのと、口のねじ切りの仕上げが時代をさかのぼるように感じられる。とはいえ、せいぜい数十年くらいだろう。庭は、ここしばらくはそれほどまで深くに掘り下げられた感じもないし、誰が何のためだったのだろうか? 親族にアル中もいないので隠し酒でもないだろう。投げ捨てたなら埋まる前に割れただろうし、捨てるために埋めたにしては面倒な作業だっただろう。

 こんななんてことはないビンも好きで何本か持っている。昔の陶製の瓶だったり、現代の酒が入っていたものだったりする。いずれも実用のためにのみ作られたが、そうした物の中にはシンプルで何事もないながら、なかなかに素敵な物があったりする。それは瓶に限ってのことではない。何をするでもなく並べ置いたり、時に花を活けたりしている。花を活けるのが好きだが、花を活けるために作られた瓶だとどうしてもしっくりこず、「ういて」見えてしまうことが多い。

 本来の用途を超えて転用できるような物がしっくりくる。転生に人の営みをなぞらえて見ているのだろうか。生まれたての物は清々しくもあるが落ち着かない場合が多い。で、昔の壺や土器に惹かれる。しっかりと活けるにはガラスは「軽い」かもしれないが、「ちょっと」活けようという時には丁度よいのではないだろうか。気持ちも楽だ。

 五月晴れの空の下で汗を流して耕していたら、透き通った瓶が出て来た。土物もいいが、晴れ渡る季節には涼しげなガラス瓶もすっきりとする。心もガラス瓶のように透き通っていればというのはナンセンスだが、一輪の花に心は和むようにできているようだ。大した物ではないが、私にとってはご褒美のプレゼントだった。

 他のテーマで執筆していたが、どうにも手こずり遅筆甚だしい状態だった。ここでちょっと一服しろ、と言われたのだとおもいたい。
  

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2007年04月23日

9.革細工 TAKUYA・岡本拓也

クロード・ノワール 2 物は神様のようだ。休みなく仕事をしながらも寡黙だ。見返りを求めることなく勤めをこなし、傍らで見守るかのように寄り添い、身を捧げてくれている。私たちが何気なく過ごす毎日は、いかにそうしたハードワークに身を投じた存在に支えられているだろう。にもかかわらず、物は生活に寄り添うように生まれてくるためか、挨拶もされず、目の前を通り過ぎられがちに見える。時に語る言葉は控え目なためか、聞き届けられにくいようにも見える。そして、素直な物ほどいたいけだ。

 しかし、語られる言葉があるとすれば、日々を暮らすための叡智と勇気とにあふれているだろう。私たちのくらしを箱入り娘のように、また、老兵を迎え入れる場所が心地よくあるようにと心を配ってくれている。そうした存在の語る声があるならば聞きたかった。その延長線上には、くらしを通じた本来の営みも見えてくるだろう。と、そんなことを考えていたら、画家の古山浩一さんを通じて、「TAKUYA」こと革細工師の岡本拓也さんに出会った。そして、時たたずして意気も投合し、店舗に先んじて商品が生まれた。
                         
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 私は舞台作りを考えた。出演者には、素明かりの舞台でありのままに演じ、または心に浮かぶ事々をただ語って頂く。実際どうなるかはその時次第。私としては、飾りのない姿を見ることが出来ればそれでよかった。とはいえ、名もなき物というわけにはいかず、「グリマルディ(フランスにある洞窟名)」にちなんでか、「クロード・ノワール(黒とクロ)」とさせて頂いた。物自身に黒子になっていただくことで、その姿もあらわになるが、素顔も、黒服の立ち姿も素舞台に映えるとおもえた。まつりごとではない日々をこそ、議事儀礼の気持ちで臨むのもよいのではないだろうか。TAKUYAの銘は洞窟の中に刻まれている。

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 先日、制作工程を見学しに拓也さんの工房へとお邪魔した。無知を承知で、あれやこれやと半ば迷惑であろう質問をした。すると、「それもこれも、すでに試した上でのことなんです」と、次々と試作の品を取り出しては語られた。試作は、作品をより高めるための踏み台であり、目的にかなう部分だけが実際に選ばれていた。つまりは作品へと至るために通った川なのだと合点がいった。予想通り、私は拓也さんの掌の外へ出ることはなかったが、いずれ、「TAKUYA工房展」という企画も面白そうかと勝手に考えながら手元を眺めていた。

 ―革(leather)という名の川(river)が海に注がれていく。様々な川が流れ込む海は、渾然と溶け合ったスープとなり、そのスープを私たちは口にする。素材の一つ一つは、木や金属、紙や布、ガラスや土、すでに作られた物だったりする。衣食住の暮らしは、様々な素材と在り様から生まれ、支えられている。物なくして暮らしは立たず、もはや日々を潤す滋養そのものとなっている。そして、日々の営みもまた、川として海に向かう。やがて、空の下にはくらしの風景が広がる。物を通り越して、空が見えてくれば、ドラマは半ば描かれたのだろう―などと勝手に考え、現れるドラマを紡いで行ければとおもっていた。

 作業はピノッキオのジョゼッペ爺さんの様相を呈しつつ、慣れた手つきでてきぱきと進められていく。どの工程も、最善の物に組みあげるという目的に向かい、律儀としか言い様のないプロセスで丁寧に積み重ねられていく。線を描き、カットし、縫製し、と言葉を並べるのはたやすい。しかし、そう言い含めることが出来るということはまた、いかに誤魔化しがきく作業とも成りえるだろう。いかに効率化とコストカットにあふれた中で暮らしているかと考えると、冒瀆を犯しているとさえもおもえてきた。理由はあるが理屈ではなく、結局、人は生理で生きている。

 何時間経っても完成には至らず、とうに日も暮れ、最後まで立ち会うことはかなわなかった。それだけ手の込んだ物だった。しかし、そうして組み上がったものは、そうあるべくして生まれてきたとでも言うように、当たり前の顔をして形の中に納まっている。物として見た時、素材や技術が形に結実しているのは言うまでもない。私がそれを語るのはおこがましいと言うわけにもいかないので、手短にまとめることにした。

 ・商品名:グリマルディ・クロード・ノワール 
 ・用途:万年筆ケース  
 ・材質:イタリア トスカーナ産 タンニンなめし牛革
 ・成型:オーダーメイドの靴と同じく、使用する万年筆に合わせて木型から起こされる。
 ・すべての箇所で、革は表を外側に向けられて重ねられる。その数は5枚にもなる。
 ・ベルトの裏側とクリップが挟まる部分に、摩擦に強いリザードを使用。
 ・縫製:すべて絹糸の手縫い。ステッチは細かく、ふっくらと整然と並んでいる。
 ・価格:4万円(税込)

 つまりは、「用」に根ざす民芸の精神と、人目にさらされるブランドの「オートクチュール」とを併せ持つ物、と言えばよいだろうか。民芸もブランドも、もとをたぐればこうした物ではなかったのだろうか。民芸本来の実直さも、ブランド本来の品質もここにはある気がする。民衆に育まれたもの、貴族に育まれたものとが昇華されている。だが、もはやそれはどうでもいいことだ。

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 一見、木や布などの素材に比べると、革は日本人にとって馴染み深いとは言いにくい気がする。これだけの物を、個人で作るのも保ち続けるのも大変な作業だろう。しかし、こう言っては失礼だが、彼にしてみれば、そうせずにはいられない自身の方が難事なのかもしれない。物にしてみれば、そこにおいてようやく線を引かれ、面に切り出され、形に起こされることが出来た地平だ。難産には、そうなるに至るやむをえない理由があるのだろう。安産へと転ずる日まで、母体を案ずるとともに見つめていきたい。

 これだけ作り込まれていれば、ヨレヨレになっても当分使えそうだ、と私はひそかに楽しみにしている。物の真の姿は、使い込まれヨレてきた時に現れてくるだろう。そして、使い手と一体となり、TAKUYAを離れて過ごした年月がずらりと並んだ姿も見てみたい。私には立派すぎやしないかと心配だが、これは私たちへのプレゼントだ。贈られていく架け橋になればよいと思いなおした。きっと、万年筆にとってのよき器となるだろう。


※受注制作につき、ご注文を頂いてからの制作となります。現在は非店舗につき、申し訳ありませんが、お見せ出来る場に限りのある状態です。お問い合わせは下部の「Comments」からお入り頂くと、くらしの空へのEメールとして送信できます。ご興味ご関心おありでしたらご連絡を頂ければと思います。

galleryくらしの空 倉石公太郎

  

Posted by kurashinosora at 06:01Comments(0)TrackBack(0)