2009年08月30日

49.製本と手帳の物語

288 1森の手帳。
手製本(手かがり)による手帳。
杜の都、吉野の山からやってきた。

吉野浩さんに出会ったのは昨年の暮れだった。
吉野さんは、グラフィックデザインやCM製作の合間を縫うようにして革を縫い、物作りをしている。
作る物にはペンケースや手帳などがあった。
自分に必要なものを自分なりに、といったスタンスで、肩に力をいれずに楽しむような姿勢に「ホッ」とするものを感じた。
作られた物のベースに、必要だから、作りたいから、そんな素直な気持ちが見える気もした。
また、趣向する物や作る物に骨太な骨格を感じもした。
そして、作る人と見る者との付き合いがはじまった。
当初わたしは、使用上の堅牢さを確かめるための“テスター”だった。
それがいつのまにか、仕様や造作について意見し、紙などの材料を探しはじめることになってしまった。
口を出すのははばかられる。
でも、黙って見てはいられなかった。

288 2作る以上はいい物にして頂きたい。
それは、作る人にとっても、使う人にとっても、使われる動物にとっても、植物にとってもいいことだろう。
命には成仏する義務と必要がある。
ということで、結果良いものとなることを想定し、憎まれ役もまたいいのではと感じることにした。
乗りかかった舟に乗りきっていかずにはいられなかった。
好きになった人に告白しないことでの後悔、失敗したことでのしょんぼり、大げさだけど、生きるとは選ぶことだ。
とはいえ、吉野さんから見れば、作りもせぬ者から口を出され手を出されてはたまったものではなかっただろう。
ともあれ、何故か作るようになった吉野さんと、何故か口を出すことになった私、手帳作りは手と言葉の双方から働きかけられた。

手帳作りの根本的な技法として、西洋の古典製本「ルリユール」が採用されている。
そこで、本を読み、中世ヨーロッパの糸かがりの製本の現物を見、現代の製本家に話を聞きに行った。
同時に使用する材料を探し、紙に関しては計30社ほどの製紙会社から集められた。
要は、製本手帳を通して何を形にするかだ。

288 3あらためて手帳というものを手にすると、何故か思い浮かんできたのは「聖書」だった。
調べてみると、もともと製本というものは、ヨーロッパでのキリスト教の聖書作りから始まったそうだ。
そして近代に至るまで、ヨーロッパでは、各地で食される動物の革が紙として使われていた。
その、堅くて厚手の革を本に仕立てるために、製本の技術が編み出された。
そして、聖書で著されたキリスト教は、ヨーロッパのくらしの根となり文化を生んできた。
製本はくらしを取り入れ、くらしに取り入れられながら練り上げられ、継承されてきた。
日々流された汗、湧き起こった感情の数々、製本はそれらを綴じこんできた。
やがて紙が作られるようになると、材料は革から紙へと移っていく。
しかし、ヨーロッパで作られる紙は厚かった。
近代になって、日本で作られた薄手の洋紙と出会うことで、当初より格段に薄い今日の聖書となることができたのだった。

そうすると今回の手帳作りとは、「キリスト教を通したヨーロッパのくらしと文化」と「日本の技と素材」の“取り合わせ”と“しつらえ”だ。
とても大げさなことだけど、どうやらそれが今回の手帳というものの根っこにあたるもののようだった。
それがコンセプトを通って伸びていくことになる。
果たしてどれだけ形に結びことができるか、そんなことを私は感じた。

288 4とはいえ手帳はやはり手帳だ。
手帳は、文字や記号、線や絵を通して、「時間」と「心」を受け止め活ける「器」であり「家」のようなものだと思う。
表紙という門扉を通り抜け、見返しというアプローチから玄関へ向かい、本文紙という家の中に入っていく。
手帳という家は、パラパラとページを繰ったり、何かを綴ったりして過ごす時を通し、現実を編集する仮想空間だ。
だから、手帳作りは家作りだ。
そして、出来上がった無地の手帳から、オリジナルの福音の書が作られていく。
宗教は、本質的にはくらしのあり方、つまりは、心のあり方だ。
鍵は「わたし」の心の中にある。
手帳は、その時の事を通して、わたしの心を受け止める掌であり、心を映す鏡のようなものだ。
そして、人にとっての肉体と同じで、いつかは消えてなくなっていく。
変わりゆく中に変わらぬものを浮かべていく器だ。
なくなることを踏まえて完成に向かい、その身を全うしていければさいわいなのだ。
その移り行くひとときのあいだ、「傍にいてくれたらいいな」と感じられるものにしたかった。
そんなことは吉野さんにとって訳がわからなかったかもしれないけれど。

288 5それでも私は口を出し、材料をさがした。
吉野さんにとっても、当初から長期に渡ることを想定した素材や造作、根の確かな適切な技法を取り入れることは自然で必然の選択だった。
使いやすく携えやすい一枚の板として、歩む道々の時を受け止め、人の傍らで用に添うために。
こだわりつつも、シンプルで何事もない平明なところへの着地に向かって。
自然さが手帳の静かなる象徴性につながればいい、などといったことを作らぬ者に言われながら。

■手帳という道具に求められるものを整理すると、
・万年筆による筆記に適した、「きめ細やか」で「滲みの極力少ない」「薄手」の紙を使用
・開閉スムース(開くときペターッと開くこと)
・崩れにくい丈夫な構造
・堅い表紙
・手に馴染み携帯しやすいこと
・紙面比率、程よいサイズで造作の収まりがよいこと
・小口を染めることで汚れに強く

■イメージを言うなれば、
・使い勝手のよい道具であり、使い心地よく、単純明快で奥行きある物
・材料や造作にこだわりつつ、落ち着きある自然なたたずまいで、素朴なほどに何事もなく
・洗練に向かい突き詰めつつも、あくまでも、くらしに根ざした本来の民芸に位置する物
・服でいえば“作業着”、人と実用に寄り添ってこその物
・川の流れで丸まった石のように落ちつきのあるやさしい物
・底暖かく健やかなこと 
・作っていて“楽しい”こと

■そのための材料として、
・天然の素材(革・のり)、中性紙を使用。
・上記特性の本文紙
・裂けにくく手ズレに強い見返しの紙
・堅くハリの強い表紙の芯材
・しなやかでスレに強い革

■技法と仕様として、
・製本技法は、頑丈かつスムースに開閉できるように、西洋古典製本(ルリユール)をふまえた糸かがり製本「パピヨン綴じ(製本家・栃折久美子さん考案)」を採用。
・栞紐(スピン)を脱着可能にすることで、好みの色に変えることや、長期保存に適した仕様とすること。
などが挙げられる。

試行を繰り返し、匙加減をさぐり、造作を重ね、吉野さんはひたすら作り続けた。
紙を束ね、折り、裁断し、穴を開け、ひと針ずつの糸かがり、張り合わせ、くるみこみ、張り合わせ、を繰り返した。
時にどん底に陥りつつも、指摘はし続けられ、その都度立ち上がって向かっていった。
私は「何とかなるはず」と旗を振り続けた。
そして、試作の山と孤独の谷を越えて、ようやく手帳は仕上がった。

288 6一つの使いきりの手帳としてはかなりのところまで到達しているのではないかと思う。
材質にしても、造作にしても、一つのまとまりのある物としても。
それでも100%ではない。
だから、今後も材料の変更や仕様の改め、価格の調整はあるかもしれない。
それでも、そのときどきにおいて「これでいいじゃないか」という充足感にたどり着ければ半分成功なのだと思う。
今後、作り手が作り続け、使う人が手にし続けることができたならとても幸福だと思う。
この形あるものの根っこに、「素直さ」や「健やかさ」があれば今後も伸びていけるのではないだろうか。
その点において、吉野さんを信じてしまっていたからここまで来ることが出来たのかもしれない。
いい迷惑だったかもしれないけれど。
各製紙会社・東京製本倶楽部の方、その他、ご協力いただいた方々のおかげで出来た。
私としては、こうした機会に恵まれたことはとても幸せだった。
先行きが見えにくいときもあったけど、やはり結果として見れば「とても楽しかった」。

288 8やっぱり形あるものの根にあるのは「心」だと思う。
きっと、糸がかがり、紙が織り成すであろう「心のかたち」を見たかったのだ。
でも、どんなに作りこんでも、物は使われることではじめて息づき、歩み始めることができる。
そのための気がかりの一つが「価格」だ。
どうしても一日に数冊しか作ることはできない。
シンプル、ミニマムを求めても越えられない一線がある。
使われることで歩き始める使いきりの製本手帳、一冊4500円。
物として価格として、作り手と使い手の折衷する着地点としてはどうだろうか。
いろんな意味で和らぎの一端ともなれば。

それが私から見えた景色だった。


<モデル288仕様>
1:サイズ/横9cm・縦13.5cm・厚さ1.4cm(レギュラー版)
2:表 紙/イタリア産ショルダー革「トスカーナ(色/黒 吉野さんオリジナル版では茶色もあります)」
3:本 文/「トモエリバー52手帳用」クリーム
4:頁 数/288頁(見返し含まず)
5:見返し/マーメイド紙・栗色(吉野さんのオリジナル版で使用)
     /中性紙・薄クリーム色(くらしの空版で使用。
       この中性紙は「特種製紙株式会社製・AFプロテクトH」という無酸性紙です。
       手触り良く堅牢で、本来の用途は写真や文書の長期保存のための特殊紙となります)
6:罫 線/あり(横線)・なし(無地) をお選びいただけます
7:バンド/あり(“なし”をご希望の際はお申し付けください)
■ 価 格 :4,500円(税込4,725円)/一冊
■オプション:小口染め(黒) 200円(税込210円)

<ご注文の際は下記項目をお知らせください>
1.表紙色 :黒・茶
2.罫線  :あり・なし(無地)
3.しおり紐:黒・茶・クリーム・チャコールグレー
4.ゴム紐 :「なし」をご希望の場合は仰ってください。
5.小口染の有無:黒革には黒、茶革にはこげ茶色になります(税込み210円)
6.ご注文冊数:

・お名前:
・送付先ご住所:
・ご連絡先:
・振込先:ゆうちょ銀行・みずほ銀行

ご連絡いただきました後、合計金額とお振込み先口座をメールにてお知らせいたします。
発送は定形郵便(送料無料)となります。

■サイズは、現状「レギュラー版」のみです。
上記掲載の画像とスペックは「レギュラー版」についてです。
(いずれは約2倍サイズの「ラージ版」も予定しています。
サイズ以外は概ね同スペックの予定です。
ちなみにリフィル版なども検討しています。
しかし、何年かかるか、果たして出来上がるか、一切は未定ですが。

■本文紙に使用しているトモエリバー紙の説明として:
辞書などに使われる薄葉洋紙の一つ。
きめこまやかで滑らかな肌質。
スムーズな筆記感。
薄手でもインクの滲みや裏抜けが少ない。
ただし、インクの乾燥に少々時間を要したり、油性ボールペンでの筆記時にはスキップすることもある。
筆記感として、滑り易すぎると見る向きもあるが、A5程度のサイズまでであれば「よし」と判断しました。


288 7<お問い合わせ先>

■製作者・吉野浩さんの工房「Design.Y」  
http://www.ab.auone-net.jp/~design.y/index.html

■当ギャラリー「galleryくらしの空」倉石公太郎
tel:090-1793-1004
mail:skyworks@softbank.ne.jp
もしくは、コメントへの書き込み(Eメール送信されます。内容は非公開ですのでご安心を)



Posted by kurashinosora at 08:50│Comments(0)TrackBack(0)

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