2010年10月01日

映画感想「ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士」


いよいよ壮大な三部作のミステリーの完結編。


すべての謎が次々に解決されていって、物語が収束に向かう展開なのでおもしろい。二時間半あるにもかかわらず片時も目を離せないほどにストーリーに引き込まれてしまいました。


「ミレニアム2 火と戯れる女」のラストで、瀕死の状態で助け出されたリスペット、そしてその父ザラは病院へ搬送、かろうじて逃げた不死身の巨人ニーダーマンは車を盗んだりしながら現場から離れる。


こうして今回の物語は始まります。病院で身動きのとれないリスペットにかわりミレニアムの編集者ミカエルがことの真相を追求し始めます。それを阻止し、リスペットを亡き者にしようとする秘密組織の魔の手が迫る中、ハッキングや様々な手段を用いて証拠を固めていくミカエルとその妹の敏腕弁護士アニカ。一方、秘密組織はかつてのリスペットの精神科医テレボリアンやリスペットの裁判の担当検事を抱き込んで、ふたたびリスペットを精神病院へ隔離してしまおうとします。


ザラは組織に病院で射殺されるも、かろうじて難を逃れたリスペット、彼女を守るアニカ、そして担当の外科医、など入り組んだ人間ドラマとミステリアスな謎解きの展開が次々と集まってくる証拠の裏付けのおもしろさも相まってどんどん深みにはまっていく。そこへ政府の警察組織が裏で秘密組織の撲滅のためにミカエルたちに近づいてきて、物語はいよいよクライマックスに突き進んでいく。


ラストは傷がいやされて法廷に立ったリスペットと彼女を精神病院へ送ろうとする秘密組織に加担した検事、テレボリアンとの法廷劇になっていきます。一方で証拠をそろえた警察組織、ミレニアムの特集号で今回の一連の事件を明らかにしようとするミカエルの行動が交互に挿入されて一つ一つが解決され大団円へと進んでいきます。胸のすくと言うほどのすっきり感とはちょっと意味合いが違いますが、物語の終焉を迎える溜飲の下がるラストが好感でした。


そしてリスペットは無実釈放、そして最後にニーダーマンと対決し、彼もバイククラブのメンバーに殺させてハッピーエンド。


一人残ったリスペットのところへミカエルがやってきて、すべて終わったことを告げます。自分を救ってくれたミカエルへのほのかな恋心がみえるリスペットの微妙な心の動きが見られるラストシーンでした。


三部作として一度に見ても内容の濃い充実したミステリーであり、見応えのある秀作だったと思います






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2010年09月30日

映画感想「ランジェ公爵婦人」


バルザックの原作を映像化した作品ということだったので、覚悟はしていたが、正直かなり退屈な映画でした。


延々と、なるようでならない恋の物語が、繰り返されるせりふの数々で舞台劇のごとく展開する様はしんどいの一言につきる。


もちろん、ジャック・リヴェット監督の美的感覚に研ぎすまされた演出はろうそくの燭台を巧みに画面に配置したり、古い修道院の建物の美しさを効果的に画面に生かしたりと芸術的であることこの上ないが、いかんせん演出に抑揚がないというか、文芸大作を意識した格調高い映像を目指したか、淡々と進む恋の物語は「シラノ・ド・ベルジュラック」のあのせりふの応酬劇を思い出しました。


映画はナポレオンの配下で英雄になった主人公モンリヴァー将軍が修道院に立ち寄り、そこで礼拝をしているものの気分が悪くなり、一人その島に残るところから始まります。


実はその修道院にはかつての恋人ランジェ公爵夫人が修道女となって住まいしているのを知り、会いに来たのです。


しかし、格子越しに面会したものの、かつての恋人と知った院長は二人を引き離してしまいます。


時はさかのぼって五年前、モンリヴァー将軍とランジェ公爵夫人が舞踏会で出会うところへ場面は変わります。そして、時にサイレント映画の字幕のように時間がたつ様や状況の変化を文字ショットで挿入しながら、ランジェ公爵夫人がモンリヴァー将軍と離れ修道院にいくまでのいきさつが語られていきます。


最初はランジェ公爵夫人からこの将軍に興味を示したものの、一目で彼女に惹かれた将軍はいわれるままに毎夜公爵夫人の家に。しかし、まるでもてあそばれるような対応に次第に耐えられなくなり、婦人を拉致、募る思いをうち明けて婦人の前から姿を隠します。しかしあえなくなると愛しいのが恋人同士、公爵夫人はなんとか将軍に会おうするも取り合わず、最後に決心して、8時に将軍の家の前で待つと告げる手紙を出しますが、ふとした行き違いで将軍が外出できず、時間の行き違いのままに婦人は修道院へ。


嘆いた将軍の気持ちを察して、知人たちが彼女を捜し、そして冒頭のシーンへつながります。


どうしても、もう一度手に入れたい将軍は仲間と修道院へ忍び込みますが、すでに命を絶った婦人の姿を目にするという悲しいラストを迎えます。


壮大なラブストーリーですが、やはり私にはあいません。






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2010年09月29日

映画感想「樺太1945年夏 氷雪の門」「ラブコメ」


「樺太1945年夏 氷雪の門」


いわずとしれた第二次大戦直後、すでに終戦していたにも関わらず樺太侵攻してきたソ連軍の銃火の中、最後まで電話交換局を守った9人の女性交換手の壮絶な最後の物語である。


制作当時1974年、超大作として完成しながらも公開間近にソ連側の圧力によって公開できず、その後、地方で短期間上映されたもののそれっきりでフィルムも散逸していた幻の作品。今回、散逸していたフィルムをかき集めデジタル処理して119分に再編集し、ようやく36年ぶりに日の目を見た幻の映画である。


もちろん、映画としての質の善し悪しはこの場合語られるべきものでもなく、歴史の真実を丁寧に描いていくことに終始したきまじめな作品であるが、物語が始まってからラストシーンまで、全編クライマックスと呼べるほどスタッフ、キャストのこの物語に対する鬼気迫る迫力が伝わってくる力作でした。すでにソ連領だった樺太の町並みを再現した木村威夫さんのセットも圧巻。


物語は1945年8月8日、すでに本土では原爆も投下され敗戦の色が濃くなった頃、舞台となる樺太ではまだのどかな日々が続いているところから始まります。しかし、時をへずして、次第に不可侵条約を結んでいるソ連軍の動きが不気味になってくる様子が描かれます。樺太は半分がソ連領のため、いわば陸続きなのです。


そしてまもなく終戦、にもかかわらず国境付近まで迫っていたソ連軍はそのまま侵攻、国際法など容赦なく日本軍に砲火を浴びせ、民間人にさえ銃を向けてきます。その様子は、かなり日本の一方的な描写のようでもあるので、当時ソ連の圧力があったのはわからなくもありません。しかしこれは当たらずといえども遠からずの歴史的事実であり、それを元に壮絶な最期を遂げた女性たちの物語は決して日本人が忘れてはいけない出来事なのだと思います。


日本パッシングしている「ザ・コーブ」や自分の国を平気でを見下している「キャタピラー」などに喜々している今の観客に、是非拡大公開して見てほしいと思います。


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「ラブコメ」


最近、このラブストーリーものにはまっている感じである。この映画も原作は人気小説。うまくいきそうでいかないもどかしさと切なさをコミカルに描いていく映画である。


映画が始まると、画面いっぱいに花、物語の舞台が花屋さんであることからカメラが引くと北乃きい扮する涼子と香里奈扮する真紀恵が花屋さんでおふざけ中、そこへ道の向こうから一人の青年見晴がのぞいている。


小学校以来17年近く思いを寄せる真紀恵の今の姿に惚れなおしてのぞきにきた青年見晴である。


この見晴はアニメの脚本家で、アテレコのスタジオで声優の渡部篤郎扮する西島と大の仲良し、ところがこの西島の通うキャバクラで働くのが涼子、密かに西島に思いを寄せる涼子のラブストーリーと見晴と真紀恵、真紀恵と元彼江島のラブストーリーが交錯してストーリーが展開して、アニメシーンを挟みながらコミカルかつ軽いテンポで映画は進んでいく。


特に映像にこっているわけでもないし、ストレートに展開する作品は、非常に見やすくて、さわやかで楽しい。挟まれるコミカルなアニメーションがスパイスになって、甘酸っぱくもハッピーな物語はつぎつぎとクライマックスへ進んでいくのが本当に好感。特に、北野きいがなかなか良い演技をしている。


ラストはそれぞれがハッピーエンドになるという楽しい結末で、映画って楽しいなぁと思わせる一本でした。






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2010年09月28日

映画感想「恋愛戯曲〜私と恋におちてください〜」


監督が鴻上尚史なので、もう少し独創的な映像化と思いましたが、これといってとり当てるほどでもないたわいのない映画でした。もともと鴻上尚史さんのオリジナル戯曲なので舞台の面白さはいかほどかなんともいえないのですが、あえて、映像にするにあたって特殊な加工をしなかったのでしょう。


まぁ、この映画を見に行った目的は大好きな深田恭子さんを見たかっただけなので、それ以外はどうでもよかったのです。


全編に彼女の出ないショットは無いというほどの大活躍で、アップからロング、奇抜な化粧から、主婦姿、ど派手な女性役など多彩な彼女を堪能できました。しかも、さすがにスクリーン栄えする彼女、どのショットも彼女のかわいらしさがまったく見劣らないほどに素敵。ただもう、それだけを楽しんでいたのですが、ラストシーンはじんわりと感動している自分もいたので、決してつまらない映画でもなかったのでしょうか。


物語は単純、いまや落ち目になった人気シナリオライター。とはいえいまだに俳優たちにも絶大な信頼と、ファンの多い作家です。そんな彼女にある有名化粧品会社のタイアップの企画が飛び込み、いまや締め切り間近という状況。そこへプロデューサーとして彼女にシナリオ原稿をもらいに行くことになったのが、テレビ局の墨でビデオ整理をしている落ちこぼれ社員向井(椎名桔平)。とにかくひたすらお願いするも対する谷山真由美(深田恭子)は「私と恋に落ちてくれたら書く」と無理難題。


こうして幕を開けるコミカルな物語なのですが、どうもコメディドラマにチャレンジしているのか椎名桔平、がんばっているのですが、どうも間がうまく取れてなくて笑えない。それでもとにかく物語は進んで、紆余曲折の末、原稿は完成、真由美と向井は本当に恋人になってキスシーンで映画は終わります。


と、実はこの向井、この業界に入ったときに敏腕プロデューサーとしてとあるテレビ局でホープでしたが、その後落ちぶれて名前を変えて今の局に入っていたことを製作部の部長が知っていての抜擢だったという落ちもある。


全体に、いまひとつ笑いがこみ上げないのはそれぞれのキャストに笑いの間がうまく取れていないのもあるが、やはりもう一歩踏み込んだ映像世界を演出してほしかった。劇中劇の主婦の物語もいまひとつ面白みにもかけるし、編集の組み立ても平凡なのが残念。


鴻上尚史という個性的な劇作家の才能を期待していただけにちょっと期待はずれでした。


でも、何度も書きますが、深キョンが最高だったので、それだけで十分に見た甲斐がありました。だからラストもちょっとジンときたのかもしれませんね






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2010年09月27日

映画感想「君に届け」


映画が始まったとたんに、全編切ないラブストーリーが始まる。やるせなくて、どうしていいかわからないもどかしさが多部未華子扮する爽子と三浦春馬扮する翔太との間で展開する。


誰もが、ほんの一昔前に、経験した切ない高校時代の恋の思い出が次々とストーリーを運んでいく。もちろんいま現在同じような恋を経験している人もいるかも知れない。


こういう作品に演出がどうのこうのというのは絶対言ってははいけないし、そういうことをいうのは本当の映画ファンではない。この映画は、物語をピュアに楽しむためのエッセンスだけが詰まった真っ白なラブストーリーなのです。


登場人物やそれぞれのキャラクターはある意味リアリティに欠け、理想すぎるものかもしれない。物語もあまりにもうまくいきすぎているかもしれない。現実はこうではないと声を大にする人もいるかもしれないが、これが映画、夢の工場としてスクリーンに展開する夢の世界なのです。


出てくる少女たちは美少女ばかり、特に今回の目当ては「七瀬ふたたび」以来大ファンになっている蓮佛美沙子さんが出ていること、そしてちょっとかわいい多部未華子ちゃん、対する男子も三浦春馬をはじめ目も覚めるイケメンばかり。熱血漢で人間味のある先生や物わかりのいい親たち、そこには離婚の危機や家庭内暴力も存在しないのです。


誰だって、この映画の主人公たちのような気持ちになったことがあると思います。それは、人によって多少の違いはあってもっだれもが経験した切ない恋の感情ですよね。


二時間あまりひたすら繰り返されるなんともいいようのない出口の見えないようなプラトニックなラブストーリーは見ていて、終始、胸が締め付けられる思いで登場人物にのめり込んでしまいました。


登場人物たちが哀しいときは素直に涙して、うまく事が運べばいっしょに喜んで、少しずつ接近していく主人公たちを応援して、そして、ラストシーンでは拍手したくなるほどに感動してしまいました。


flumpoolのテーマ曲とエンドタイトルの中でハッピーエンドがうれしくて自然と笑顔が漏れてきました。そしてエンドタイトルの後、エピローグで見せるプラネタリウムのチケットを握りしめて翔太についていく爽子のすがたが素直に応援してしまいました。






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2010年09月26日

映画感想「メッセージ そして、愛が残る」


映画が始まると一羽の白鳥が湖を飛び立とうとするショット、カメラは一人の少女の姿、湖の桟橋をこちらへかけてくるかと思うと突然底がはずれてかろうじて開いた穴にしがみつく、そこへ少年時代のネイサンが駆け寄るが少女はママを呼んでと叫ぶ。その声で一目散に森を駆け抜けるネイサン、道路へでたとたん走ってきた車にはねられる。駆け寄る家族。いきなりショッキングなシーンから始まる。ドキッとするファーストシーンがみごと。


場面が変わると大きな会社の会議室、そこへやってくる一人のケイ医師、彼には人の死の直前の姿が見えるメッセンジャーであると告げる。その意味をネイサンは自分への死の宣告と思い物語が進んでいく。自分の限られた寿命に悩む一方でケイ医師の執拗なアポイントにうんざりする。


信じられないネイサンにかつての勤め先での同僚であるアンナの寿命についてケイ医師から説明され、何とかその運命を変えようとするが、結局偶然が偶然を呼んだように彼女は必然的に死んでしまう。ケイ医師の語ることが正しいと信じ始めたネイサンは別れた妻クレア、娘とのよりを戻した生活をもう一度取り戻そうとする。


この映画は一見、ファンタジックな不思議な物語であるかのように始まるが、実は夫婦の愛の物語なのです。


自分の限られた寿命のことを告げようとするネイサンの前に、まもなく死を迎える輝きが妻の周りに光るのを目撃。実はネイサンこそがメッセンジャーで、かつて少年時代に死に瀕して戻ってきた理由がケイ医師の口から明らかにされる。そして、映画は突然暗転してエンディングを迎える。


ネイサンは最愛の妻に人生の最後を幸福に暮らせるように死を伝えなければならない。


途中に挿入される、不治の病に悩む少年のエピソードや外国語で依頼される訴訟を断るエピソードなどがどうも作品の展開にどういう意味があるのか理解できないままにどんどんストーリーが進んでいくのがなんともわかりにくかった。


疲れていたせいもあるかもしれませんが、導入部が見事であるにも関わらず、また、画面展開のカットで突然の横の構図や劇的なテンポの曲の挿入などの工夫が見られるにもかかわらず、眠かったのはどうなのだろうか?


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2010年09月24日

映画感想「ミックマック」


ジャン=ピエール・ジュネ監督のファンタジックな反戦映画というべき一本を見る。例によってあの独特の映像感覚、色彩感覚、画面構図に引き込まれてしまう。まるで現実がおとぎ話になる瞬間を味わうのに十分なシュールで独創的な画面はさすがに何度見ても魅力的ですね。ただ、今回の作品はそんなファンタジックワールドにブラックな風刺が効いた反戦テーマに終始したにも関わらず、ラストシーンでとってつけたようなラブシーンをもうけたのはちょっと失敗ではなかったかというのが感想です。


映画が始まるととあるアラブ?の地雷探索のシーン。一人の兵士が今にも地雷を撤去すべく発見している。カメラが引いて俯瞰で彼らの姿をとらえた瞬間に地雷が爆発。そして画面は一人の少年バジルの姿に。そこへ電話がかかってきて母親らしい人が電話口へ、そして愕然とするショット。この少年の父がさっきの地雷撤去隊で死んだ男であることが示され、時間はこの少年の30年後へ。


ビデオ店で働くバジル、テレビでモノクロのボギーの映画を見ている。テレビのギャング追跡シーンにかぶって外でもギャングらしいカーチェイスが、そして銃撃。なんだろうと外にでたバジルに流れ弾が命中、さっきのテレビの下に倒れカメラはゆっくりとテレビ画面からモノクロのタイトルシーンへ続く。さすがにジャン=ピエール・ジュネらしいテクニカルなファーストシーンですね。


タイトルが終わると、バジルの手術シーン、そして玉を取り出さないと決めたドクターの決断、退院してホームレスになって、コミカルにお金を稼ぐシーンへ続きますが、どこか毒のあるショットの数々は正直嫌いな人には鼻持ち成らないシーンかもしれませんね。


そんな生活の中である男に廃品回収を業とする仲間のような家族の元へつれて行かれ共同生活するようになる。


ものづくりが得意な男、体が異常に柔らかい女性、数字の記憶が天才的な少女、人間ロケットのギネス記録保持者などなど、一風変わった人たちの中で、やがて男は自分を撃った銃弾の製造会社と父を殺した地雷の会社への復讐を決意、しかし、一人ではままならないために家族の人たちの協力をえて、実行していくのが物語の本編。


ですが、この展開が非常に抑揚がないせいか、ストーリーにメリハリのない脚本のせいか、なんともポイントが見えてこない。しかも、ジャン・ピエール・ジュネならではのエログロ趣味も随所にはいってくると、コミカルであるはずのシーンやにんまりとさせられるシーンも笑えない。この映画の弱さは本編にはいってからもう一歩練り込んだプロットの組立が不十分に終わっている点でしょうか。


成功作品の「アメリ」も展開は非常に似ているのですが、それぞれのプロットに強弱があって、全体にメリハリが生まれていましたが、今回は、ひたすらあの独特の演出の繰り返しがかえって面白味を打ち消す結果になってしまっているのが本当に残念。


とはいっても、夢見るような画面の構図や、シュールで遊び心満載の美術セットの美しさはさすがに群を抜いて個性的であり美しい。グロテスクな小道具を無視さえすれば非常に小気味よいおしゃれな映像が次々と展開するめくるめくファンタジーワールドは必見の値打ち十分。


ラストに向かって反戦を訴えていこうとするも、この軽妙な語り口が重くなりがちなテーマを笑い飛ばす。


しかし、ラストがいけない。すべて終わって、今時のごとく暴露された映像が動画サイトで全世界に広がったり、例によって仲間内の中でカップルが生まれていく下りはちょっと安易なエンディングすぎるような気がしました。それがジャン=ピエール・ジュネだと言えばそうなのですが。


楽しい映画ですけど、辛口で書けばラストが残念という感想でした。






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2010年09月22日

映画感想「彼女が消えた浜辺」


ベルリン映画祭で監督賞を受賞した話題のイラン映画。エリという一人の女性が姿を消したことから巻き起こる心理サスペンスを淡々と描いていく。


手持ちカメラを中心にしたカメラ演出と、次々と登場人物たちが繰り返す会話のうねりの中で進んでいく物語、抑揚のない映像リズム、一つ、また一つと隠された真実が表になるとともにわきおこる夫婦の確執や友人同士の諍い、心の葛藤は正直、ある意味、退屈という言葉さえも当てはまるほどしんどかった。


小さく光る横長の隙間のような映像をバックにイラン文字のタイトルが続く。そしてオープニングが終わるとその光の隙間はトンネルの出口であることが明らかになり、カメラが引くと、これからヴァカンスに向かおうと車を連ねて走る男女の姿がとらえられる。セビデー夫婦とその友人たち、そして誘われたエリというセビデーの保育所での同僚、彼女を紹介しようとする相手アーマードたちが乗っている。


ところが、予定していた宿は三泊の予定が一泊しか開いておらず、仕方なく海辺の空き家のような別荘で過ごすことになる。一泊しかとれないことを予約したセビデーは知っていたというあたりの伏線から、この物語のキーパーソンがこの女であることがわかる。しかも、海辺の別荘で過ごすものの、エリは翌朝には帰らなければならず、そこでも強引に、というより嫌みなくらい強制的に引き留めるセビデーの姿に、正直不快感爆発寸前でした。


そして、事故が起こる。息子がおぼれ、間一髪で助けたものの、今度はエリがいない。どうやらおぼれたらしいということで警察沙汰に。


この事件の後、少しづつ彼女のことが表になり始める。実は婚約者がいて、彼と別れたがっていた。それを知ったセビデーがエリをアーマードに紹介するつもりで誘ったこと。そしてそこへ婚約者からの連絡が入り、一気にこれまでの謎が坂道を降りるように明らかになっていく。そして物語は終盤へ。


子供が海におぼれるシーンへ入る直前の凧が飛ぶショットなどはなかなか秀逸なワンカットである。


結局、二日後にエリの溺死体が発見され、それを婚約者が見聞して映画は暗転、エンディングとなる。


果たして本当にエリはおぼれたのかは結局不明であるが、めくるめく登場人物たちの舞台劇のような会話の応酬はこの作品の見所なのかもしれない。終始音楽が挿入されず、エンディングショットで初めて流れるエリへの曲と呼ばれるテーマが見事な効果を呼んでいる。


と、全体に決して凡作ではないのですが、個人的にしんどくて、困りました。好みではないといえばそれまでですが、そういう感想です。






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2010年09月20日

映画感想「BECK」


この手の映画が好きではない上に、これといって好きな俳優も出ていない。もう見に行くまいという予定でしたが、あまりにヒットしているのと、特に見る映画もなかったので、一応堤幸彦監督のファンでもあるので見に行きました。


145分という長尺、とにかく長い。脚本にメリハリがないのか前半と後半に完全に別れたストーリー展開が散漫、今ひとつ芸達者な役者をそろえていないまどろっこしさ、これといって特筆するほどの堤幸彦調も見られない、人物描写も天才ギタリストとして登場する竜介(水島ヒロ)が天才にみえないし、コユキ(佐藤健)も今ひとついじめられっこの高校生にみえない。平(向井理)が変に老けてる。周りの女優に魅力がない。ただ一つ光るのが千葉(桐谷健太)のみという状態で、元々期待していなかっただけにうんざりしながら見始めた。


しかし、しかしである。こんなに欠点だらけの作品にもかかわらずいつの間にかその物語にのめり込んでしまう。


荒削りなストーリー展開と、つっこみ所満載の適当なシーンの連続にもかかわらず、ハイテンポで繰り返され展開するストーリーテリングのうまさはまさに堤幸彦ならではの職人芸である。


クライマックスのグレイトフルサウンドのステージシーンはおそらくいままでの日本映画のステージシーンのイメージを塗り替えるだけの傑作シーンでした。このシーンを見るだけでもこの映画を見た価値があると思います。


ダイナミックなカメラワークで縦横にとらえるステージ、細かいカットで主要キャストを挿入し、さらにこれまでのシーンの数々をアクセントに挟み込む。無意味に浪花節調に涙を誘うことはせず、これがイメージだと言わんばかりの編集をこれでもかと繰り返す。これぞ映画である。


それと、原作の音楽のイメージを映像として表現するためにコユキが歌う歌は歌声をださない。唯一クライマックスでは歌詞が字幕になるけれども終始歌声を聞かせず、ただ観客がうっとりと引き込まれる演出によって曲のすばらしさを伝える。ここはなかなかのオリジナリティである。というか、音楽映画で歌声を出さないという発想を思い切ってした堤幸彦監督に拍手したかった。


まるでデビュー作かと思わせるほどの稚拙な展開かと思わせられて、実はこれぞ職人監督の腕の見せ所とうならせる映像展開の冥利を十分堪能する一品でした。あえて、傑作とか秀作という言葉が当てはまらない読者選出のベストテン入選というムードの映画だったと思います






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2010年09月19日

映画感想「セラフィーヌの庭」


少し、知能が遅れているものの、純粋に自然を観察し、天使の名を受け個性的な絵を描いた画家セルフィーヌの半生を描いた作品。映画としては取り立てて優れたところもない凡作という感想ですが、フランスセザール賞7部門独占の作品ということです。ただセラフィーヌという未知の人物の姿を知るには十分な作品でした。


ロラン・ブリュネのカメラは全体の画面を抑えた色彩で描かれて、グリーンに霞をかけたような色調でシーンが展開していきます。


映画が始まると、一人のみすぼらしいお手伝いさんのような女性セルフィーヌの姿が映されます。雇われる主人たちに偉そうにこき使われながらもひたすら床を磨いたり、料理をしたり、洗濯をしたりの毎日。ちょっと彼女が知能が足りないことがこのあたりの仕草で紹介されます。


しかし、時に肉屋で血に染まった液体を瓶に詰めたり、植物をすり込んだりして、なにやら絵の具を調合している姿をかいまみせ、カメラはセルフィーヌの部屋に入っていきます。


折から、セルフィーヌの働く家に一人の間借り人ウーデがやってくる。彼こそが、ピカソやルソーなどを見いだした画商でした。ふとしたことでセルフィーヌの絵を見初め、その才能に驚喜します。


こうしてセルフィーヌが世に出ていきますが、時は第一次大戦。ここで物語は約10年あまり時間が飛びます。


そして、久しぶりにセルフィーヌと再会した画商ウーデは、さらに磨きがかかったセルフィーヌの絵に驚き、あらゆるバックアップで彼女を支援し始めますが、お金が自由になったセルフィーヌは次第に常軌を逸した浪費を始めます。そこへ世界恐慌。一気に資金が滞ったセルフィーヌはやがて次第に狂いはじめ、個展の開催にあわせてウェディングドレスをきて町を徘徊します。当然、異常を感じた近所の人に警察へ通報され、彼女は精神病院へ。


そして数年後、ウーデはかなり落ち着いたものの未だ療養所暮らしの彼女に庭に続いた広い出口のある部屋をあてがいます。かつて、毎日のようにしたように、セルフィーヌは一客のいすを持って庭にでて、大きな木の下で座り映画は終わります。


淡々と進むストーリー、次々と暗転していくシーンのつなぎなどかなり静的な画面で、正直、しんどいですね。さらに画商ウーデの半生とセルフィーヌの半生を平行して描いていくのですが、いずれにポイントが置かれるわけでもないどっちつかずが作品を散漫に仕上げてしまったようです。これを個性と呼ぶのはかまわないし、実際セザール賞を受賞してフランスでは評価されているので優れた作品でもあると思います。でも私個人としてはそれほど賞を取れるものかと思える程度の作品だったというのが印象です。ただ、こういう人物がいたということを知ることができただけでこの映画を見た甲斐があったと思います






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