山川旅人日記

富山県を中心に、歴史・読書・山川めぐりetcを書き込みます。

オリンパス事件えがく映画『サムライと愚か者』


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『サムライと愚か者―オリンパス事件の全貌―』(ほとり座)は山本兵衛監督によるドキュメンタリー映画。

政財官の隠蔽捏造事件が相次ぎ、口を開けば「コンプライアンスが大事」と言いながら、不始末が絶えないこの頃です。「嫌になる」と言いたいところですが、(そこを我慢して)事実関係を知るべく、映画に行ってきました。上映は10/19(金)まで

オリンパス社は消火器内視鏡では世界シェアが7割の優良企業です。それがどうして大きな罠に陥ったのか、裁判の結果どういうことが明らかになったのか。今年も検査でお世話になった医療機器というのも関係がありました。

まずWikipediaより

オリンパス事件とは、オリンパス株式会社が巨額の損失を「飛ばし」という手法で、損益を10年以上の長期にわたって隠し続けた末に、負債を粉飾決算で処理した事件である。

2011年(平成23年)7月、雑誌FACTAの調査報道によるスクープと、イギリス人社長の早期解任を契機に発覚し、大きな注目を集めた。株価も急落、会長らは辞任,オリンパスは上場廃止の瀬戸際に立つことになった。

「サムライ」とは勇気をもって事件究明のためにイギリス人社長ウッドフォードに協力した一部の人々、「愚か者(イディオット)」とはウッドフォードを追い出して粉飾決算を続けた日本人経営者と大多数の社員。また、事態を見て見ぬふりをして放置したマスコミを含めた日本社会です。

この事件に海外では「一人ひとりは優しくて優秀だが、集団になると腐敗して暴走を始める」という日本人観ができあがったという。7年前、私が丸裸にしたのはオリンパスではなく、日本人と日本社会だった。オリンパスは日本社会そのものだった。(FACTAで報道した山本義正/ジャーナリスト)

映画の進行に連れて、「サムライ」と「愚か者」がダブってきます。映画は、これが日本社会だ、しっかり考えよ!と訴えます。隠蔽捏造の絶えない社会情勢を考えると、説得力のある映画です。

日本史上でも最大級の隠蔽捏造事件の可能性のある「東電強制起訴公判」で被告人質問が始まりました。全世界の注目を浴びる裁判です。事実の徹底解明を期待します。


企画展「堀田一族と伏木」(高岡市立博物館)

【高岡古城公園】紅葉開始し、人出の多い土日でした。

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13()博物館の展示説明会参加。興味深かった展示を数点紹介します。

 堀田善衛(1918~1998)は、高岡市伏木出身。1951年、『広場の孤独』で芥川受賞。今年が生誕100年にあたります。

〇船中名号

船名が記され、六字名号「南無阿弥陀仏」(祐天大僧正)の刷物が貼ってある。祐天は徳川綱吉・家宣らの帰依を受けた増上寺第16世大僧正、生き仏として熱狂的に崇拝された。

 

〇引札「諸国廻船問屋 越中国伏木港 堀田善右衛門」(1886年)。
取引先へ配ったもので暦がついていた。善衛の母・クニの『堀田家の昔話』に、このような堀田家引札を善衛が北海道礼文島の宿で見たことが記されている。『昔話』の該当部分などの複写が展示されています。

〇野口家の人々

堀田善衛の父・勝文の堀田家婿入りによって親族となった。父の次兄・淳吉の不慮の死、またその夫人の死により、子どもたちは親戚へ分散して引き取られた。一族では、日窒コンツェルン率いる野口遵(したがう)が有名。

〇野口三兄弟写真

淳吉(18801919)は警視庁警務部部長、のち朝鮮総督府警務部長に赴任の途中、列車内で死亡。元・部下であった正力松太郎が淳吉の子の務と清の手を引いて駆けつけたという。

野口務(190793)は二つの顔を持っていた。プロ野球・巨人軍の礎を築いた人、左翼社会主義運動の記録者であったこと。「後者の研究が待たれる」(展示解説)、参考に四高ビラ「全学生諸君に檄す」(1926)写真展示。

 

【氷見市西念寺】南大町。堀田家菩提寺。

翌日に近くへ寄ったので、写真撮影しました。
法事中のようでした。先を急いで36会へ駆けつけました。

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①彰義隊と江戸・富山藩邸、②氷見市「36交遊会(旧称)」

①大河ドラマでは、上野戦争における彰義隊敗北、北越戦争・越後五十嵐川付近において西郷吉二郎戦死など、悲惨なシーンを放送していました。
関係して、先日の上野公園ウォーキング時の写真を紹介します。

【上野公園・彰義隊の墓】西郷隆盛像のすぐ近くです。

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【お化け燈籠】高さ6m、付近にあります。

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この戦争の様子について、『幕末動乱と富山藩』(特別展、富山市郷土博物館)に、興味深い指摘がのっています。
彰義隊が寛永寺に籠り抵抗する中、新政府軍が加賀藩邸に侵入し、さらに富山藩邸との境を「破り入り」、邸内の高台2,3カ所に大砲を据え付けた・・・富山藩邸は不忍の池に面して、上野山を見晴らす高台に位置していたため、佐賀藩隊がアームストロング砲を据え、上野山に向けて砲撃したのです。
テレビ放送では、西郷は鹿児島へ帰郷しました。しかし、西郷らが立てた会津殲滅方針に従って戦争は継続します。従って、これ以後の戦争の悲惨さには西郷は関係なしとはいきません。
この戦争の呪いは戦争後までついて回ります。1877年の西南戦争は、会津の「西郷・薩摩に対する仕返し」とする説が消えない理由です。

このような歴史を考えれば、今さら「新・薩長同盟」結成など時代錯誤も甚だしいことになります。

②本日は氷見市内にて「36交遊会(旧称)」開催。何とか猛暑の夏を生き延びたことを喜び合いました。
次回は翌春、越冬のスタミナ、元気をつけることが出来ました。
連絡網にラインなど。「孫に聞き、メガネ外してラインの登録」。
世話役の皆さん、有難うございました。
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  • オリンパス事件えがく映画『サムライと愚か者』
  • 企画展「堀田一族と伏木」(高岡市立博物館)
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  • ①彰義隊と江戸・富山藩邸、②氷見市「36交遊会(旧称)」
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  • コスモスと永田和宏『あの午後の椅子』2016
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