松田政男著 新版・増補『風景の死滅』を読む

 「本書を増補のうえ復刻することができたのは齢八十を過ぎた私としてはまさに冥土への土産と申すほかなく」と、「あとがき」の「追記」に松田政男は書いている。その本を齢八十六の私が書評するのは、老人どうしの茶飲み話に堕す恐れなしとしないが、そこはこころして筆をすすめよう。
 松田政男に出会ったのは、今を去る六十年ほど前、大井広介家の座敷の一隅でだった。判官贔屓の大井さんは、党中央から迫害され除名処分を受けた私たち「神山派」に肩入れして、『左翼天皇制』などの本で私たちを援護してくれていた。そういうなかでの対面となったのだったと思う。それから今日まで、彼とは時に対立しときに協働して、背中合わせの友情とでも言おうか、そんな関係をつづけてきた。
 カバーの袖に、中平卓馬が撮った大きく見開いた目の松田の顔を配した、初版(一九七一年一〇月、田畑書店刊)の『風景の死滅』を私は愛蔵している。松田の最高の著書であるだけでなく、「東京戦争」以後の運動が突破すべき方向を模索した試みの重要な一つとして、私は珍重した。そしていま、それが増補のうえ再刊されたのを機会に、また熟読した。私の評価は変わらなかった。
 私がまず第一に強調したいのは、この本で松田が先駆的に展開した「風景論」なるものが、書斎のなかから生まれたものでなく、また一般的な「実践」から生まれたものでもなく、後に〈略称・連続射殺魔〉と題されることになる、永山則夫の足跡を追った映画の製作過程そのもののなかから生まれ育ったということである。これは、一映画評論家が映画の製作現場に、観察者としてではなく制作者としてかかわった結果が生み出した希有な産物といえるだろう。だからこの本を本当に読み解くには、あわせてこの映画作品をも見ることをすすめる。さいわいなことに、いまではYouTubeで簡単に見ることができるのだから。
 さて、それでは、風景論とはどんなものなのか。本書の巻頭にかかげられ、風景論の序章ともいうべき「密室・風景・権力」(これは第二評論集『薔薇と無名者』に収録されたので本書の初版には再録されなかった。)で、松田はそのモチーフの起源をこう述べている。「ところで、足立正生らとともに〈連続射殺魔〉永山則夫の全足跡を追って、網走から札幌・函館・津軽平野・東京・名古屋・京都・大阪・神戸にいたる日本の東半分、さらには香港と、くまなく歩きまわった私たちが、ドキュメンタリー映画とは言いながら、ただひたすら永山則夫の眼もまた見たであろうところの各地の風景のみを撮りまくって、いわば実景映画とでも自称するほかはない奇妙な作品をいまつくりつつあるのは、ひとえに、風景こそが、まずもって私たちに敵対してくる〈権力〉そのものとして意識されたからなのである。おそらく、永山則夫は、風景を切り裂くために、弾丸を発射したに違いないのである。国家権力ならば、風景をば大胆に切断して、たとえば東名高速道路をぶち抜いてしまう。私たちが、快適なドライブを楽しんだとき、まさにその瞬間に、風景は私たちを呪縛し、〈権力〉は私たちをからめとってしまうのだ。」
 もう一つだけ引用を重ねよう。——「そして、戦士たちは去り、風景だけが遺った。ひとがイミテーション・ワードで語るのをやめる時、情況はおろか、情け無用の状況さえも消え失せて、忽然と、風景が出現するのだ。〔中略〕不可視の情況に浸っていた時は、イミテーションだろうと何だろうと、大仰な身ぶり手ぶりで饒舌になれたというのに、可視可能なる風景のなかでは、なぜ、苛酷なる、或いは、甘美なる沈黙に身を委ねてしまうのか。」(「映像・風景・言語」)
 まさに「六〇年代以後」という時代の運動論的なアクチュアリティのなかから、風景論は登場したのだった。一九五六年のスターリン批判にはじまり、六〇年安保闘争から六八年を頂点とする世界同時的な解放闘争とその終熄への過程で、一方で明らかになってくるソ連の実態、他方で急激に進行する社会の情報化に挟撃され、私たちの国家理論、革命理論は大幅に訂正・改変を要求されることになった。反権力、コミューン、アナーキズム・リヴァイバル、国家のイデオロギー装置、文化革命、生活を変えよう⋯⋯。
 松田政男は本書の最終章「風景の死滅のために」で、津村喬の「松田政男の〈風景論〉の小さくない意義は、ヴォワイヤンとしての近代人にとって、風景が国家権力のテクストとしてあることを提起した点にある。しかし敢えて言えば、松田の問題提起は常にキレイすぎる。国家のテクスト、その自然的態度への強制的メッセージは、たいへん多様で錯綜した〈雑音〉につつまれている。風景(エクリチュール)の彼岸にあるものは国家だと松田はいうが、その此岸にあるこの〈雑音〉もやはり国家である。それは、単純な暴力装置などではありえない国家、恐怖(テロル)の構造としての国家、国家の現存である」という文章を引き、「津村喬の私への批判は余りにも正当だったのである」という。
 私は、嘗てもまた今回も、この本を読みながら、竹内好の日本では「一木一草に天皇制がある」(「権力と芸術」、一九五八年四月)という卓抜した箴言をしきりに思い出したのだった。ここから出てくる結論は、風景を国家たらしめているのは「国民の意識」だ、ということである。この松田の本は、われわれに、四十余年の時を隔てて〈文化革命〉を呼びかけている。
 松田政男よ、おたがいに老いた。君はおもわぬ災難にもあった。おたがいに足腰不自由な身になったけど、たとえ口舌の徒に身を窶しても、もう少しノオと言い続けようじゃないか。(『図書新聞』2014年1月18日号)