よしながふみ対談集 あのひととここだけのおしゃべり


よしながふみさんの対談集です。
読みたい対談があったんで、だいぶ前に買ってましたが、その読みたい記事を半分くらい読んでそのままにしてました。

内容が面白くなかったからではなくて、感動というのとは違うんだけど、ああ、でも感動なのかなあ。
物を作るって、すごいんだなあと思って胸がいっぱいになって読めなくったのですよ。イヤン。お恥ずかしい。(?)

でも、今週も引き続き「勝手に読書週間」中なので、思い切って読んでみました。
そんで、やっぱり胸がいっぱいになって泣きました。
羽海野チカさんとの対談の「メディア化するということ」なんですけどね。

私もそうですが、誰でも、自分の好きな作品のメディア化は、楽しみな反面、好きであればあるほど、イメージ壊れたらどうしようってマイナスな気持ちにもなりますよね。
で、実際メディア化されたものを観て、ガッカリすることも多いわけです。
何故、作家が自分の大事な作品を、まったく違う方向のものにされて怒らないのか、いつも不思議に思ってました。
作家や出版社が許さなければ、そういう表現は出来ないわけですから、許したわけですよね。
それまでのファンを置き去りにしてるみたいで、悲しく思ったりすることもありました。

でも、作品が作家だけのものではないように、また原作ファンだけのものでもないんだって当たり前なことを、この対談読んで分かったのです。

メディア化をきっかけに、新しい読者が生まれたり、本が売れたり、好きな役者さんや声優さんが、台詞を言ってくれたりというメリット以上に、作家さんにとって、もっと大きな意味があるものなんだってことが、ここで語られていました。

ネタバレになるので、この先記事をたたみます。
同じクリエーターだけど、別の業界の人が、たくさんある作品の中から自分の作品を選んでくれたことが純粋に嬉しいとか、その人がどの部分を映像化したいと思ったのかが知りたいとか、そういった気持ちが作家さんの中にあるのだそうです。
映像を作るために、用意も含めて1年近くもその人たちが、自分の作品のために割いてくれるということがありがたいって書かれてまして、ほんとに目からウロコでした。
結局、ファンであるはずの自分がその作品の可能性や、違う角度からの見方を否定することになってたんだなあと思いました。
そして、何がそんなに嫌なんだろうと思ったら、作家さんがメディア化されたことで、作風変わったりするんじゃないかってことが、1番の心配だったんだって、分かりました。

わざわざ、作家さんたちが弁明してまわらないのは、「大丈夫だよ」っていうのを作品に残してくれようとしてるんだなと思って、泣けたわけです。

でも、まあ、そう言いつつも、嫌なもんは嫌なんですけどね。
別物として楽しもうと思っても、別物でも、これはアカンよ〜なものも、ありますからね。(笑)

そうそう、羽海野さんが、書店の人にも助けてもらったって話をしてくれたとこも、泣けました。
他の出版社で続きを出すのが難しい状態だったときに、それを助けた書店の人たちも凄いけど、売ってもらうことを当たり前だと思っていない羽海野さんの「普通」なんだけど、「普通」の作家さんには見られない(気がする)社会人としてのしっかりした目線が、素晴らしいと思いました。
いえ、よく、本のあとがきに担当さんや製作に協力した方や読者へのお礼はあっても、卸しや書店への感謝の言葉ってないな、って思ったので。

あと、三浦しをんさんとの対談で、「自分の作品をけなされるとへこむ」というお話が面白かったです。
けなされたことで傷付いたわけではなく、自分の書いたもので、人を不快にさせたことが、辛いのだそうです。
でも、それは物を書いていく以上、ずっとついてまわるということだと、お二人とも理解してるんですね。
いいお話だなあと思いました。

他にも、オタクは何もしなくても、楽しいことばかりで退屈しないとか、同人誌は究極の(?)学説本だとか、面白いお話がいっぱいでした。