クリン&美ら(ちゅら)&琉那(るな)日記《保護犬ポメラニアンの成長記録》と預かりワンズの本当のお家探し。

2月の寒いときに保護され動物愛護センターへ連れてこられたポメラニアンの女の子。 彼女にお迎えは来ませんでした。この子の運命は『殺処分』へと進みます。そんなとき、『CATNAP』さんに助けられ、命をつなぎました。 2005年3月7日、センターよりレスキューされ暖かい預かりママさんファミリーのお家で『クリン』と名前をもらい新たな出発を経て我が家の娘になりました。 2006年3月妹『美ら(ちゅら)』が仲間入り♪骨折したまま放置されていた彼女。2008年3月『琉那(るな)』も仲間入り。彼女は持ち込み処分犬です。彼女たちの成長と犬猫たちをとりまく『現実』を綴ります。 また、一時預かりのボランティアも時々しますので預かりっ子の様子も綴ります。

一か月がすぎて・・・

母が先月手術をしたことは前回綴りましたが・・・。


10月28日に一般病棟へ移りました。
声をかければ、目が開くようになり、少し言葉らしきものも出るようになりましたが、それはうわごとのような発声で、
言葉とは言えず。
簡単な内容は、はい、いいえ、が首を少し動かせるので出来るくらいです。
でも、すべての内容については理解できていません。


前回のブログを綴ったのが23日になってすぐ。
その日の日中に、今度は美らがリンゴを喉に詰まらせました。
琉那はすでに歯がないので、みじん切りにしていますが、美らは歯があるので、いつもシャリシャリと音を立てて食べています。
もちろん、丸呑みするのが怖いので、薄くし、逆に飲み込まないようにある程度の大きさにして噛んでもらうようにしていました。
ところが、ガッツキの美ら。。。飲み込んじゃったみたいで・・・。

吐きだそうとしているけど、出来ない。
苦しそうな顔をしてウロウロ。呼吸が出来ないわけではないけれど、胃液も吐き出してしまいました。
その中にリンゴも少しあったので、吐いたかと思ったけれど、やっぱりおかしい・・・。
ちょうど、動物病院の午前の診療が終わるときだったので、まずは電話して様子を伝えました。

吐けるということは、詰まっているわけではない様子。
苦しそうでないかと聞かれましたが、しっぽを振ることも出来るので、少し様子をみることにしました。
私は本当は母の病院へ行く予定でしたが、風邪っぽいこともあり、また美らのことも心配だったので、母のところへはパパに行ってもらうことに。。。
面会時間は限られているので、面会が終わり、家に戻ってくるとちょうど動物病院の午後の診療時間の始まりの時間なので、そのまま美らを連れて今度は動物病院へ。
造影剤を使ってのレントゲンなどを撮った結果、やはり胃の近くの食道に何かある様子。
先生は当然ながらリンゴ以外を食べていないかと確認しましたが、琉那のお薬をあげるためにあげていたリンゴなので、何か拾って食べたなどは考えられないと伝えました。
そして、結局は全身麻酔をして、胃カメラを入れ、詰まっているものを確認し、リンゴであればそのカメラで胃に押し込んでしまうという処置をしていただくことに・・・。
メスを入れないとはいえ、全身麻酔。。。
母の手術がよぎります。

腎臓が悪いので、点滴の処置をするためお預け・・・。

もう、私の頭はいっぱいいっぱい。
冷静でいようと必死に思い、意識をしっかり持とうと思うことで精いっぱいでした。

そして午後の診療が終わって8時半過ぎてから処置をしていただくことになりました。
麻酔をかける前に会わせていただきたいとお願いしました。
万が一、万が一があったら・・・・それがどうしても怖くて。

信頼している先生方なので、とにかく美らをお願いし、近くのミスドで待っていました。
無事に終わったとの連絡がありまだ麻酔から覚めていないのでもう少し時間がかかるとのことでしたが、
病院の駐車場に戻ると看護師さんが出てきてくださり、股関節の脱臼がある美らなので、目が覚めてフラフラしてしまうとまた脱臼してしまうかもしれないとのことで、院長先生が麻酔から覚める美らを抱っこしたままでいてくださいました。

胃カメラでの映像も録画して下さっていて、見せてくださり、詰まったリンゴも発見。胃カメラのおかげで、食道も胃の中も見れたことで、腫瘍などないことがわかりました。

リンゴの一欠けらが6万円となりましたが、辛そうだった表情はなくなって、家に帰ってきたらほどなくすっかり元気な美らに戻りました。

心労が重なる・・・と思った翌日の月曜日。
今度は母の病院から連絡があり、一番恐れていた脳血管攣縮が少し起きているとのこと。
状況によってはカテーテルで直接細くなった血管を広げますと連絡が入りました。
月曜日は、私も熱があり、母の病院へ行くと風邪をうつして肺炎にさせてはよくないと面会はお休みしていたのですが、
結局再度病院から「今からやっぱりカテーテル処置を行います」と連絡があり、8時半過ぎからまた1時間かけて母の病院へ・・・。
9時半過ぎにつくと処置はもう終わっており、良い結果が得られたようだとのお話を伺いました。
翌朝、また再度MRなどを撮って経過をみるとのことで、先生からのお話を聞いて母には会わずに帰宅。

翌火曜日。
ランチの営業はとても忙しく、私の代わりに入ってくれているアルバイトさんは新人さんもいるので、バタバタだったのですが、前日にそんな状況だったので、とにかくバタバタしているお店をあとにして母の病院へ。
先生からは、新たに起きていた脳梗塞の影も消えているし、カテーテル処置をしたタイミングとしては良かったとのこと(国の保険の決まりで一度の疾患に対し、一回しか処置できないのだそうです)。
とりあえずホッとし、風邪気味だけど、熱は下がったようだからと、少しだけ母に声をかけてICUをあとにしました。

病院から最寄りの駅へ向かう途中で携帯に電話が。
バイトの子からです。なんだろう?嫌な予感がしました。
とりあえず、バスの中なので、メッセージを送ると、主人が体調不良を訴え救急車を呼んだとのこと。

何が?
心臓?
それとも倒れたの???

メッセージできくとどうも心臓らしい。
主人からも「ごめん、体調悪い」とメッセージが入りました。

バスを降りてとりあえずバイトの子に電話。
意識はある様子。もう一人パートに入ってくれているママ友の方が対応して下さっていました。
とりあえず、学生のバイトではなく大人がついているので、救急隊がきたら私の携帯を伝えてほしいと言い、
私は主人のかかりつけにしている病院の内科の先生へ連絡。
休診日でしたが、携帯に出てくださり、主人の心臓の担当医が杏林大の先生なので、そこへ救急搬送してもらったほうがよいのか確認。
杏林までは遠いので、おそらく近くならここかここに行くと思いますと言われ、またあとで連絡することに。
とにかくそこからお店までは電車で30分はかかるところ。
救急車が行く病院によっては途中の駅からタクシーで行くほうが早いので、病院がどこなのかと救急隊の回答を待つけどなかなか決まらず。
ギリギリのところで決まって、検索をし、近くの駅からタクシーを飛ばしました。

救急車がついてほどなくして私がついたようで、救急車にはママ友の方が乗ってくれていたので、
待合室で会い、荷物を受け取り・・・・。
ママ友のお家にもワンちゃんがいるので、帰るのが遅いと心配しているだろうと思い、お礼を言って家に戻っていただき・・・。

私は主人がどうなっているのか全く分からず・・・。

でも、途中で検査に向かう主人をみつけ、意識があることは確認。。。
顔色も悪くないし、看護師さんと話もできる様子。

検査を受けている間に、救急外来の先生に呼ばれ、飲んでる薬について説明。

その後、処置室に戻った主人とやっと会うことが出来ました。
先生からは、現状は問題あるところはないですとのことで、あとは今検査した内容があがってきたら・・・と言われました。

主人に心配させまいと、どんな感じだったのかを聞き、今、落ち着いている様子から、一過性のものだったのかなと話しながら、問題なく動いているバイタルの数値を見ていました。

レントゲンも血液検査も結果は異常なく、先生からは帰宅して大丈夫との診断をいただきました。
もちろん、何かあったらすぐに来てくださいとも言っていただき、お薬のことなどもいろいろとお話しいただきました。

帰宅したとはいえ、まだ本調子でないのは当たり前で、元気のない主人はそのまま寝室へ。
とにかく心臓の主治医の先生に診ていただくのが木曜日だったので、そこまで仕事を休み、診察していただきました。

結果は心臓には問題はないとのこと。
でもそれじゃなんで???となります。
主治医からは、心因的なものでは?との話がありました。
主人は、春に増やした飲んでいる薬の副作用も考えていたので、まずはその増やした薬をやめてみました。

本人は心臓に疾患があるので、ちょっとでも心臓がおかしい気がすると、そのまま心臓が止まってしまうのではないかと不安に思ったりするようで、実際に心拍があがったり下がったりの変化もあり、不安になることはわかります。
でも、心臓に関しては悪化は見られないことから、心臓のドキドキ感は心因的では?と言われたことで、今度は精神的に弱いのでは?とそっちを気にし始め・・・。

そうなると私もどう声をかけてよいのかわからず、なんとか心療内科へ行ってもらうよう話をし、行くだけでもと予約を入れました。

心療内科の先生はかかりつけ医の先生のお知り合いで、とても話をよく聞いて下さる先生です。
私も父や義理の両親の介護のことなどが一度にたまった時に、疲れすぎてしまい、そこをご紹介いただき診ていただいたことがありました。
話を聞いてもらうだけでもホッとするし、かかりつけ医とも通じているので、何かあれば情報も共有できることから行かせました。
話を聞いてもらった主人は落ち着いたようで、お薬も一応出ましたが、薬に頼る感じではなく、気分的なものだったように思います。

主人のそんなことがある間に、母は2週間の大きな合併症が発生する時期を乗り越え、一般病棟へ移りました。
元々持っている気管支の疾患がもとで熱があるため、肺炎気味ですが、熱が低ければずいぶん起きている時間も増え、話そうとしている様子も増えました。

でも、現実的に梗塞の起きている部分はあるので、前のような会話やましてや家に戻れるようなことはおそらく無理です。

毎日母のところへ行き、ホンの一欠けらの回復を見ては喜び、でも翌日にはまた戻っていることに凹みと繰り返しています。

母は、私の名前を言ってくれません。
「言ってみたら?」「看護師さんに私の名前教えてくれた?」など言ってみていますが、言いません。
「言いたくないの?」と聞くとうなずきます。

母の目線からは手術が失敗したんじゃないか?という疑いの目線、または、本当は違う手術をするのに、いかにも簡単に説明して嘘を言ったんじゃないか?という疑いの目線を感じるのです。
主人はそんなことないよと言いますが、それこそ親子ゆえに感じる目線なのです。

何度もウソ偽りなく、今回の手術についても一応説明していますが、おそらく母の脳の状態では内容は理解しきれず、それゆえ疑念があるのではないかと思うのです。

その、疑う目線と娘の私を信頼できないと思うような目線は日々通うからこそ分かる視線です。
もちろん、いつもその目線だけではなく、会話にうなずくこともありますが、フッとしたときにその視線があるのです。
だから、私の名前を言わないのではないかと・・・。

助かった命。
でも、母はどう思っているのだろうと。
私だったら・・・
自分の思うように動かない体を知ったら、生きていたくないと思うのではないかと・・・。

そんなことを考えられることも出来ないくらい、母の意識レベルが低いのであれば、それはそれでまた救いでもあります。


先週の11月21日くらいから、急に言葉をしゃべろうとするようになりました。

うわごとのように、小さな声で何か言っているのですが、囁くような声なのと、おそらくろれつもきちんとしていないので、聞き取れないことがほとんどです。

それでも、フッとしたときにとてもまっとうな言葉を言ったりするので、意識がしっかりとしてきたのだろうか??と思うと、帰り際にバイバイと言っても知らんぷりになったり・・・。

今はそんなことの繰り返しです。

明後日の月曜日に、主治医の先生とお話があります。

今後のことをお話しすることになります。

リハビリの病院へ移れるくらいだったらそれは最上級の回復。

でも、それが難しい場合、口からご飯を食べることもおそらく出来ないままになるのかと思います。

なんて言われるのか・・・。


やっぱり親ですから、思う気持ちは特別です。特に母親ですし。。。

でも、時間も限られ、私の体は一つなわけで、例えばお手伝いさんを雇って住み込みさせられるような余力だってないわけで。。。

毎日、朝起きて、ワンズのお世話をし、日によっては点滴をし、その後仕事へ行って、夕方には1時間かけて病院へ。
母の状態を確認し会話の時間を1時間くらいとってから、また1時間かけて戻ってきてワンズの世話をして仕事。
もちろん、アルバイトの子にお店を任せているときもあるので、今日も夜は時間があるけれど、当然、買い物に行かなくてはならないこともあるし、諸々手続きの記入やら調整やらもたくさん。
母のことを心配して下さる方へは病院の行き帰りに唯一メールやお電話が出来るだけ。
息つく間が無いほどのスケジュールです。

そんな折、長年パートでお店のお手伝いしてくれていた方が辞めることになり・・・。やはりそこへフォローも必要となり、、、
体がいくつあっても足りず、一日が24時間でも足りず、考える脳の余力も足りず。。。
十数年やっている学年の同窓会の幹事も今回はおりました。
ちょうど30年の節目だったので、やっと連絡がついた子もいたし、とにかく同窓会は裏方がたくさんいないととても大変なことなので、私がおりれば、残る人に負担になることはわかっていたのですが、ちょっととても無理と思い、同窓会も欠席しました。

こんなにも色んなことが起きる一年ってあるんだろうか?と思うこの頃です。

 

でも、

もちろん、やることや考えることの多さに、押しつぶされそうになるけれど、それでも、どうしたって変わるものではないので、目の前のことから一つ一つポジティブに考えていこうと思っていました。

 

そんな時、フッと目にしたテレビで永六輔さんの言葉このような言葉が取り上げられていました。

『文句を言ってても一日。ニコニコしていても一日。だったら人あたりのいい一日のほうがいいんじゃないかい?』

 

そう、私もそう思います。人あたりのいい・・・ということは、私はできないかもしれないけど、同じ一日ならイライラしていたり、ムカムカしているより、楽しい気持ちでいたいし、笑顔になることがあるほうがいいなぁと思うのです。



実は、今日、母の病院へ行くバスを待っているときに、幼稚園生くらいの女の子を連れたお母さんが列に並ぼうとしました。
女の子が「いちばんがいい」とお母さんに言うので、どういうことなんだろう?と思っていたら、お母さんは「じゃ、一番に並ばせてもらいなさい♪」と言いました。

並んでいたのは私を含め3人。
その前に女の子は並びました。
まぁ、一番がいいってことなのね・・・とは思いつつ、まさか一番にバスに乗らせようとはしないよね?と。。。。

そこにバスが来ました。
乗り口が、並んでいる先頭より、少し後ろに下がったあたりになったので、先頭の女の子はちょっと立っていましたが、一番に並んでいた女性の方が乗り口に進むと、その女の子はあたり前のように私や私の前にいた高齢の方より先にバスに乗り込もうとしました。
それも、一人では上手に乗れないほどの背丈。
床に手をついてです。
その乗り口のすぐ前あたりに、私もそしてその女の子のお母さんもいましたが、まさかのお母さん・・・何にも言わなかったんです。
いつ「〇〇ちゃん、だめよ、順番よ!」と言うのか、または引き留めに入るのかと思いきや、そのまま・・・。

思わず後ろにいたその若いお母さんに「ちょっと、お嬢さんの順番は間違ってませんか?待っている人いるんですよ」と優しくでもキッパリと言いました。
その若いお母さんはバツが悪そうにすみませんとは言いましたが、ちょっとビックリしてしまいました。確かにバスは始発なので、座れなくなることはありません。でも、そういう問題ではないと思うんです。
順番で乗ることももちろんですが、いくら一番が好きとはいえ、『順番に待つ』ということは、小さな子供でもとても大切なことです。
こんなことを許してしまうお母さんでは、そのお子さんが今後恥をかくことになってしまうのに・・・と思いました。

人に注意をすることは、たとえ相手が間違っていることでも気持ちの良いものではありません。
でも、私の声が他の並んでいる人にどこまで聞こえていたかわかりませんが、間違ったことを言ったとは思わないので、ほかの方の心を代弁したかな?と思い、また、そのお母さんはきっと今までは子供という存在で許されてきたであろう物事について、常識として「そうよね」と思ってきっと今後はこういった間違った行動をしないと思えば、言わないで悶々としているより良かったのかな?と思いました。

とはいえ・・・

何となくモヤっとした気持ちで帰ってきた私。
玄関を開けると、
「ワンワンワン〜♪♪」
この声を聞くだけで、ニッコリとしてしまいました。

どれほど、私の心がこの子たちで救われているか・・・。
パパもタクミもきっと同じ。
笑顔になれること・・・。それを自然にさせてくれる環境にいることに感謝です。

今はグーグー寝ています。
もう少ししたらパパの帰宅。
そしたら、琉那の活性炭サプリの時間で美らも一緒にヨーグルトの時間。

この子たちに感謝。
そして、この子たちとの出会いをくれたクリンにもクリンに出会わせてくれたパイスにも感謝。
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先週の14日の金曜日、母が緊急入院し手術を行いました。

今、ほぼ意識は戻っていない状況です。


今年83歳になる母は、3年前に父が他界した後も一人で生活をし、どこに行くにもタクシーも使わず、電車やバスで都内はもちろん、2時間以上かかるような場所へも出かけている人間でした。

ただ、2012年に脳動脈瘤が見つかっており、経過を見ていましたが、大きさがだんだん大きくなってきているので、
2年ほど前には担当かかりつけの脳外科医から私を含めての話があり、今後のついて話をしていました。

母は牧師の仕事をしています。
教会に属しての専任ではありませんが、まだ専任の牧師先生がお休みをとるときに代わりに日曜日の説教をしたりもしていましたし、講演の依頼をいただくこともありました。また知人より冠婚葬祭も頼まれることはありましたので、まだまだ現役でした。
それゆえ、脳動脈瘤が見つかり、大きくなってきたときに手術を…との提案に、母が真っ先に気にしたのは『牧師として話をすることが出来なくなること』でした。
80歳を過ぎていましたから、そこでの脳を開けての手術は大きなリスクを伴います。
しゃべれなくなってしまうことが何より母は嫌だと思っていたので、現状として生活に不都合が出ることもなかったため、脳動脈瘤はそのまま温存することを選択しました。
それは、逆言えばいつか母がどこかで倒れてしまうとか、自宅で一人でいるときに倒れて、数日たって発見されるなんていうことも考えられることでしたが、母は「症状がないのであれば手術はしない、もし倒れた時はそれは神様が与えた時だ」と言っていました。

かかりつけ医からはもし頭がとても痛くなったり、気分が悪くなった時には救急車を呼ぶようにと言われていました。

先週の11日火曜の夜、母は夜ご飯の調理中に今までにない強い痛みを感じたそうです。
座り込むほどだったようですが、痛みはしばらくすると落ち着き、それでも気持ち悪いような感じと、生あくびが何度も出るのでおかしいと思ったそうです。
でも、しばらくするとそれらも落ち着き、何となくおかしい感じはあっても、家事は出来たので、そのまま休んだそうです。
翌日12日、母はやはり前夜のことが気になり、一人でかかりつけの病院へ行きました。
いつも診てくださっている担当の脳外科医の先生は休診だったため、他の女医の脳外科医が診察しました。
MRを撮った結果で私の携帯に病院から電話がかかってきました。
電話は最初看護師が出ましたが、その後母に代わり、女医さんから娘さんに話があるから来てほしいとのことを言われたと言われました。
電話の話では、脳動脈瘤のことではないようでしたが、何かあったのだと、お急ぎで1時間ほどかかる病院までいきました。
女医の先生から話があったのは『慢性硬膜下血腫』との診断でした。
「8月にMRを撮ったときには見られていないので、おそらくそのあとにどこかで頭をぶつけてはいませんか?」と聞かれました。
母は、頭についてはとても気にしているので、ぶつけた記憶はない、と言いましたが、女医さんからは「この慢性硬膜下血腫はぶつけたこともわからないくらいの軽い打撲でもなってしまうので、覚えていらっしゃらないのでしょう」とのことを言われました。本人が覚えていないくらいの打撲でなってしまうのであれば、わかるわけないなぁと話を聞き、「この硬膜下血腫は脳動脈瘤とは関係ないですか?」ということも聞きましたが、「まずかんけいありません」との答えでした。また、「打撲以外で慢性硬膜下血腫になることはないのでしょうか?」とも聞きましたが「打撲などぶつけること以外でこのような状況になることはまずあり得ないです」との説明でした。
幸い、脳を圧迫していないとのことだったので「これなら血腫をなくしていく漢方があるので、それでよくなると思いますよ」と言われました。
もともと金曜に脳神経外科の担当医での予約が入っていたので、女医さんからは「金曜日にまたお母様と一緒にいらしていただき、先生から今後のことについてもお話を伺ってくださいね」と言われ、母と一緒に薬局へ行き、薬をいただいて帰りました。
私は夜も仕事があったので、母が住んでいる駅で母と別れ、帰ってきました。

私の中では、脳動脈瘤以外に、また脳に関しての疾患が増えてしまったなぁと思っていました。

そして、金曜日。
診察の予約は11時だったので、10時半過ぎに待合室で母と待ち合わせていました。
待合室で会った母は右目の瞼が開いていず閉じたまま。
「どうしたの?」と聞くと「昨日から開かなくなってきちゃったのよ」と。
熱も38度5分くらいまであるようだと言っていました。
でも、母は待合室で順番を待ちながら、自宅に送られてきた先月遊びに来てくれたご家族の写真を見せてくれたり、他愛のない話をしていました。
診察室に呼ばれ、母の眼の様子を診た担当医はいつもと表情が違っていました。
そして私に「これから本院(手術のできる病院)へ救急車で行ってもらい、おそらくそのまま入院になるから。手術になると思う」と言いました。
瞼が開かなくなっていることは、脳動脈瘤が大きくなって動眼神経を圧迫していることは私でも想定できました。
母は、動脈瘤との関係はないだろうと思っていた(信じたかった)と言っていましたが、あれよあれよと救急車が到着し、そのまま本院へ移動となりました。
移動する前も母は念のためということで横になったのですが、「え〜?横にならなきゃならないの?大丈夫なのに・・・」と話すほど。
本院につき、救急の脳外科の先生か診てくださいました。
幸いにも2012年の最初の時に脳動脈瘤を診断とした先生だったようです。

MRを見る限り、脳動脈瘤はかなり大きくなっており、MR上ではその動脈瘤からとても大切な血管である後交通動脈も出ているようなので、詳しく検査をしたいとのこと。カテーテルでの造影剤を使って術前検査をしました。
母とはその間話すこともできず。。。
検査をするので、あっという間に私の手元には母が着ていた服や靴が渡されました。
検査の結果、やはり後交通動脈は動脈瘤から出ているけれど、思っていたほど最悪の場所ではないとのこと。
この動脈を残しての手術をお願いすることにしました。
手術にはいくつかの方法がありましたが、回頭しての手術は他の脳を触ることでリスクはあるけれど、おそらく瞼が閉じてしまっていることは回復の可能性が高いと言われました。
カテーテルでの手術を選ぶと、瞼が開くことは非常に難しいと・・・。
本来は、手術を受ける本人には、血圧が上がってしまって動脈瘤が破裂してしまう可能性もあるので、手術の詳しいことは話さないそうなのですが、ずっと手術しないことを選択していた母だったので、
私だけで決めることは出来ず、母にどの手術にするか、または手術をせずに最悪の事態が起こることも受け入れるかを話しました。
私は、本来なら、どこかで動脈瘤が破裂して意識がなくなって・・・ということが想定することだったのが、たまたま瞼が開かないという症状が見つかったことで、破裂する前にこうやって検査もでき、手術できる環境にいられることは、神様が与えてくださったことだろうと思い、母にもそう話しました。
母はやはり牧師として仕事をするには目が開いているほうがいいと言って、「それなら回頭手術をするしかないわね・・・」と半ばあきらめモードと私におされる形で心を決めました。
お医者様としては10分も無駄にできないとのことで、すぐに手術の準備が始まりました。

母が手術をすると決めて、30分後くらいにはもぉ手術室へ行くという状況になり、ベッドのまま手術室へ向かう母に「頑張ってね」と言うと「頑張るけど、ちゃんとお祈りしていてね」と言われ、そのままバイバイと手を振って別れました。

それが母と話せた最後になりました。

手術は大変な手術になるということを聞かされていました。
7時間ぐらいかかるかもしれないとも言われていましたが、5時間ちょっとで手術は終わりました。
そして術後のお話を先生から聞きました。

回頭したところ、すでのクモ膜下出血が起きていたそうです。
それも術前とかではなく、数日前に起きたようで、その破裂したところにかさぶたが出来、周りの組織と癒着もしていたそうです。
つまり、、、11日の夜に母が強い頭痛を感じた時におそらくクモ膜下出血を起こしていたのだということでした。
でも12日の診断は慢性硬膜下血腫。でもそれは急性硬膜下血腫であり、原因は動脈瘤が破裂したことでその血液がクモ膜下ではなく硬膜下へ流れ出ていたというとてもレアなケースだったとのことです。
この時になっては、もうタラレバですが、水曜日に女医さんに診てもらっていた時にもう一歩検査をし、クモ膜下出血となって手術をしていれば、癒着などは起こっていなかっただろうとのことでした。
難しいケースではあるけれど、結果的には誤診と言えば誤診ともなります。

状況として、クモ膜下出血となったため、手術は生命が優先されました。
麻痺など後遺症を残さないでほしいとのことで術前に話していた太い血管の後交通動脈も残そうとして下さったそうですが、残そうとすると結局また出血が別の場所から起こってしまい、その血管も含めて動脈瘤をクリップで留めるしかなかったとのことでした。

それゆえに、おそらく間違いなく麻痺は残ってしまうとの話でした。

思ってもいない手術の内容に驚きもしましたが、命が助かったことと、麻痺も父が脳梗塞で右半身に麻痺がありながらも生活することは出来ていたので、リハビリしながらどんどん良くなっていくものだろうと思っていました。

でも、その2日後の検査で、術後に動きのあった左手の麻痺は進んでほぼ動かない状態であること、
また意識をつかさどる脳の部分が手術自体の影響で脳梗塞を起こしていることがわかり、それによって意識障害が起きていることを説明受けました。
脳梗塞が起きているということは、その部分の脳の働きはゼロではありませんが、まず働きの回復は見込めません。
まして意識の部分となると、たとえ言語の部分の脳が問題なくとも話もできませんし、リハビリも自ら自発的に動かすことが出来ません。

先生からは「まだまだ、この状態から復帰した人もいますからわかりませんし、可能性はまだまだありますが、現状では寝たきりになる可能性が高いです。」と言われました。

その時は主人も一緒に話を聞いていましたが、私はメモを取っていたペンを投げつけるか折ってしまいそうな、一気に早くなった心臓の動きに、落ち着け、落ち着け、と冷静でいようと思うことが精いっぱいでした。

術後2週間がヤマと言われるのがクモ膜下出血なのだそうで、そこまではICUで管理されます。
先生からの説明を診察室で受け、廊下へ出てきた私は発狂したくなる気持ちを自分の両手で髪の毛をわしづかみにしてこらえるのがギリギリでした。出た言葉は「何で・・・」でした。

何で??
元気な様子で話もできていた母が、もぉ話せない?意識も戻らない?
それなら手術をしたことは間違いだったの??と・・・。

今もまだ、さまざまなことを受け入れきれない自分がいます。
それでも、現実を受け入れていかなくてはならず、昨日も術後1週間後のお話を先生からいただきました。

母は手術室に入る直前まで、美らと琉那のことを一番心配していました。
夕方に近かったので、手術になったらワンズの「晩ごはんは大丈夫なの?一度帰ったら?」とか
「点滴は今日はいいの?薬もあるでしょ?」と・・・。
看護師さんは母の家にいる犬の話かと思ったのに、私の家にいるワンズの心配だったので「ワンちゃんのこと大好きなんですね」と言っていたことを思い出します。

美らは我が家では『治癒ワンコ』と言われています。
体調の悪い人に寄り添ってくれる子です。
わらにもすがる思いで、ワンズの写真を印刷し、病院のベッドに貼らせてもらいました。

母は無理やり目を開けさせたりすると、少しの間目を開けることが出来るようになり、何か話そうともしますが聞き取れません。
何となく「おはよう」とか「ありがとう」と言っているような感じとしか聞き取れていませんが、こちらの言うことはぼんやり理解できているようです。

19日はパパと琉那の誕生日でした。
20日に「昨日は琉那の誕生日だったよ。琉那は14歳になったよ」と言ったら、何か言いたそうにしていました。
私との会話の中では、やはりワンズのことが一番のようです。
大きな進歩はありませんが、今は見守るしかない状況です。

私は一人っ子なので、父もいないですし、母のことは私がすべてやるしかありません。
正直なところ、精神的にいっぱいいっぱいです。
でもそれを誰より癒してくれるのは美らと琉那の存在です。
この子たちがどれほど癒してくれているか・・・。

母が最後まで気にしていた美らと琉那。
だから、美らと琉那のケアも私はしっかりやらなくてはなりません。
それが母の望みでもあると思います。

今、母自身もぼんやりした意識の中で、「どうしてこんなことになってしまったの?こんな風になるなら手術しなきゃよかったのに」と思っていると思います。
そして母の思いの中にはきっとマリアの手術をしたときに、そのままマリアが旅立ってしまったことも思い出されていると思います。
手術前にはちゃんと立って母を見つめていたマリア。手術が終わったらまた抱っこできるからと、ケージの柵越しに会って「手術頑張るのよ」と言ったのが最期になってしまったマリア。
同じようになってしまったじゃない。。。と思ってもいると思います。
そんな風に母が思っていることが、私としてはとても辛いです。
それこそ、完全に昏睡状態であれば、左半身が動かないことを気が付くこともないかもしれないのですが、ぼんやりある意識の中では、左側が動かないことに気が付いていると思いますし、私も状況は耳元で話したので理解しているかもしれません。

なぜ、母に手術を受けさせたのだろう?受けたことは母にとって幸せなのだろうか?
そんなことも考えます。
そして、もしどこかで倒れて…の上での手術だったら、私も母も想定していたので手術をして後遺症がこうやって残ることも納得できるのにと。
母も倒れる寸前に「あぁもしかしたらこのまま死んでしまうかもしれない」と一瞬でも思う時間があって納得できたのに・・・と。

でも、今日になってやっと少し違う考えが出ました。
もしかしたら、11日の火曜の夜に母はそのまま倒れて、気が付くこともなくいたかもしれないと。
それを、その病状のことで水曜日にも母と会って話すことが出来、さらに金曜日にもまた話す時間があったのは、覚悟していたとはいえ、いきなり動かなくなった母を私が見つけるようなことがないようにと、神様が導いて下さったことかもしれないと思う気持ちが出ました。

少なくとも、手術ということ自体はリスクが伴います。
全てが成功して結果がよいということばかりではないと了承していても、そんな万が一は無いだろうと思うのが普通なのだと思います。
だから、母も成功することを信じていたとしても、手術室に入るときに万が一ということも心のどこかで持っていたのでは?と思うのです。

でも、これは私が自分の気持ちを少しでも楽に考えられるようにするために生み出した考え。

現実は、もぉ動くこともできず、大好きな料理をすることもできず、どこかに美味しい食べ物を食べに出かけることも出来なくなってしまった母です。

今度の金曜日までは2週間のヤマの中でもよりリスクの高いヤマとのこと。
それさえ乗り切ってくれると、意識の覚醒ももっと積極的にやっていくことが出来るのだそうです。

母の病院までは自宅から約1時間。
面会時間も限られていますが、この後の1週間は仕事はどうにかみんながサポートしてくれて、面会時間には行くことが出来るようになっています。

あとは、83歳ではありながら、そのバイタリティは60歳くらいと思えるほどに活動的だったので、そのもともとの体力や気持ちにかけていくしかありません。

主人もとても支えてくれています。
感謝の気持ちです。

でも、主人も心臓の疾患を抱えていて、決して健康ではありません。
母の経過は報告しますが、私は精神面で主人に甘えることはできない、というか心配をかけたくないので、「辛い」とか「疲れた」とかは言わないようにいるつもりです。

そう、私はそういう意味では一人です。

でも私や母を心配してくれて連絡をしてくれる人もたくさんいます。
元々、私とのつながりはそれほどなかった人でも、母の人望もあってか、母のことをお祈りしてくれて、私のことも心配してくれます。
なんでもいってこい!と言ってくれた友達もいました。
話を聞いてくれたり相談に乗ってくれる人がいるだけでも幸せなのだとは思います。

でも、もっともっと現実的なこと・・・お金のことや実家の管理のこと、保険のことや税金など公的なことについては、母が自立して行って管理していたので、ほぼわからず、それらを考えると気が遠くなりそうです。
でもやらないわけにいかない・・・。 
そんなことを考えている時、トコトコとやってくる美ら。
ずっと私の顔を見つめている琉那。
この子たちをなでることで、私の気持ちは本当に落ちつきます。

感謝してもしきれない気持ちです。
もちろん、クリンにも話をして助けてもらっています。

神様は乗り越えられない試練は与えない…と言います。
だから、今の状態も乗り越えられると。
そしてきっと意味があることなのだと・・・。

頑張りすぎるなと言われても・・・・
頑張らないわけにいかない・・・

きっと、いつか・・・
明かりが見える時が来ると信じて。


美ら、琉那のその後と、我が家の近況

気が付けばもぉ9月。
めまぐるしい日々が過ぎています。
仕事で時間がとられることもあるけれど、お誘いを受けた木管のアンサンブル、
ご縁あってご依頼受けた中学校の吹奏楽フルートさんへの指導、
母校の野球部の吹奏楽応援や9月末の演奏会の練習など、楽器を吹くことでの忙しさもあり、
それはそれでひとつ息抜きになるので、拘束される時間はあっても、日々の活力となります。

美らと琉那ですが、夏の始まる前にステロイドで咳はほぼ消えていました。
美らの股関節脱臼は週に何度も外れては病院で整復してもらうということを繰り返し、
頻発していたので、今後の美らのQOLのためにも手術するかを相談するため、
足のことではお世話になっている、整形外科の専門の先生の所へ。
レントゲンを確認し、手術はしなくてもよいのでは?との判断もありながら、手術することも想定して説明を受けました。
美らはかつてリウマチ因子が陽性だったこともあり、先生が念のためにと血液検査をして下さったところ、
まさかの尿素窒素が90越え・・・。腎臓の疾患ありです。
この数値では、とてもでないけれど手術は厳しい・・・とお話しいただきました。
足は。。。たとえ三本足だとしても生きていける、命に影響があることではない・・・という判断ということです。
血液検査も定期的にやっていたのにと、信じられず、かかりつけ医にも相談しようと思っていたらまた脱臼・・・。
ところが病院へ向かう間に自然に整復・・・。
血液検査の結果だけみていただき、やはり手術は厳しいとの判断でした。

美らの股関節脱臼は、3日に一度くらいの割合で起こって、その度に病院へ連れて行き整復してもらっていました。(もちろん麻酔無しです)
手術できないとなれば、この脱臼が整復しても帰り道には脱臼するようになってしまうまでは、歩いたりするためにも、整復をお願いしようと思っていました。
腎臓の数値はやはり悪く、琉那と同じく、点滴をすることになりました。
それをわかってか??またはサプリメントが効いたのか、ほどなくしてから股関節の脱臼は見られなくなりました。

腎臓の数値も50台になり、安定してきたところ、減薬してきていたステロイドの副作用なのか、
今度は抜け毛と油脂分のフケがひどくなり・・・。
調べていただいたところ、やはりステロイドの影響で増えてしまうニキビダニが活発に動き、マラセチアもあるとのこと。薬用シャンプーでの治療が始まりました。

IMG_6420いつもの美らは、こんな感じなのに。。

(お鼻にちょっと仕込みを付けててパパを笑わせる準備完了のお顔)









IMG_6515こんな状態に。
このあと、もっと毛が抜けてしまい、先生も心配くださって甲状腺ホルモン検査もして下さいました。
結果はグレーゾーン。
このあと毛が生えてくるか??をみて治療をどうするか考えます。


皮膚と毛がこんな状態になったので、もちろんステロイドは終了。
お咳も出てなかったので、大丈夫!と・・・。
ところがステロイドを切ったら、最近また咳が出始めました。
あまりにひどくなると、また肺炎になってしまうのでステロイドを使わないわけにいきません。


IMG_6524琉那は、腎臓は相変わらずですが、右の後ろ足の脱臼(もともとパテラのグレードは3くらいでした)が内側に外れたままになっている感じで、ちょっとかばいながら布団の上を歩いたりする様子が見られました。
それでも後ろ足で立ったりもするので、痛みはないのだと思います。
診察の結果は、やはり外れているけれど、もちろん手術もできないし・・とのこと。
琉那は美らより食べていないのに、体重が重く、それが原因で足が悪くなってしまったのかとお聞きしたのですが、肥満でもないし、琉那の場合、腎臓が悪く今後食べられなくなってくる可能性があるので、これくらいの体系のほうがよいのでは?とお話しいただきました。
IMG_6528琉那は本当に不思議な子で、犬らしい喜怒哀楽がほとんどありません。
そして女の人が苦手・・・。
呼んでも来る時と来ない時があって、まるで猫みたいに気分でスリスリしてきます。
最近は、耳も遠くなり、前のクリンにもみられていたように、私たちが家に帰ってきても気が付かずに寝ていることも・・・。
ぽんやり〜としているので、慢性的に出ている咳も苦しそうに見えないのです。

そんな表現方法があまりない琉那でしたが、先日遠出した先でトウモロコシを買ってきてネットの袋のまま台所の柵のあたりに置いておいたら、柵越しにクンクン!
美らは全く興味なし。。。
生でもいただくことのできるトウモロコシ。
よほど良いにおいがしたようです。
レンジで皮ごとチンして、実を取って包丁で細かくしてあげたところ大喜びでした。

やっぱり採れたてのお野菜は美味しいよね。
琉那はスロージューサーでのリンゴジュースも好き(美らはなぜかスロージューサーのジュースは苦手)
自然派な琉那です。

昨年は主人が心臓を患い、この病気とはカテーテル手術をしたとしてもお付き合いしていかないといけないようで、主人も自分で無理しすぎないように・・・とだいぶ気にかけて生活するようになりました。
一時は良くなったから「もぉ大丈夫!」と言って、控えていたお酒の量が少しずつ少しずつ増えていったりもしていましたが、今年の春の終わりごろに、仕事の忙しさからか、体調に不安を感じ、仕事も無理しないようにペースを落としたり、お酒も控えるようになりました。
ただ仕事柄、懐かしいアルバイトの子などが夏休みだからと、わざわざ顔を出しに来てくれたりすると、お付き合いとしてのアルコールが必要となってしまいます。
自分で、「今、心臓を患っているから、コップ2杯までね」等が言えればよいのですが、そこはオトコとしての面子もあるのか注がれるビールを断れません。
私が横で「もぉやめておいたほうがいいよ」と言っても「大丈夫、大丈夫!」と言い、結局翌日体が重い。。。となります。
断りにくい主人の気持ちもわかるので・・・、私がそばにいて「今日はお酒は無しね」と言えるのがいいんですけど・・・。
そこは一緒に働いている者同士なので、フォローするしかありません。

私はこの夏に自宅階段で滑り落ちてしまいました。
何度かやっているのですが、いつもは尻もちつくところが、今回は体が斜めだったのか、お尻が付く前に左腰部から階段のヘリに着地したらしく、強打してしまいました。
寝る前だったのですが、歩けたから大丈夫と思ったものの、翌朝ワンズのご飯をあげてから痛みが増してこれは仕事はできない。。。とお店は休業して病院へ。
運悪くお盆休みで、いつも行く整形外科はお休み。。。近場の整形外科もお休み。。。
救急ダイヤルに電話をし、病院を紹介してもらいました。
ここでも、お盆休みなので診察はしているけれど先生は代理の先生。。。
そのため、かえって病院は空いていました。
レントゲンを撮ったところ、異常はないとのことでしたが「ぶつけてから時間がたってないから、もしかしたらヒビとか入っていると、これからみられるようになるので、痛みが強くなるようだったらまた来てください」といわれました。
内出血もそんなにないし、まだ動けたのですが・・・
次の日にはぶつけたところの内出血は10兒擁くらいに濃くなっていました。
痛みは増し、トイレも着替えも四苦八苦。。。
ベッドのほうが立ち上がりやすいだろうと、2階の寝室で休んでいたのですが、階段を上がるのにも腕の力だけであがる状態。。。
翌朝には階段から下りようとしても激痛が走ってしまい、うめきながら時間をかけてやっと下りてきました。
こんな状態の私なので、主人はお店も開けられず、再度病院へ。。。
今回はちょうど2日前の診察のとき対応くださった看護師さんがベテラン先生についていてくださり、
2日前はもぉちょっとサクサク動けていた私との明らかな違いに驚いて
車いすを用意してくださいました。そして内臓の検査も・・・とのことでCT検査。人生初の車いすとCT・・・。

結果は骨にも腎臓にも異常はありませんでした。ただ、打撲といっても筋肉を損傷しているのと
落ちた時に腰自体を痛めているようで、痛みはまだしばらく残るとのことでした。
骨折などないのであれば。。。と「とにかく一番よく効く痛み止めを下さい、湿布もたくさん貼るのでもぉ少し下さい!」とお願いして、強めのお薬をいただきました。

そう、私は寝込んでられないんです・・・。
人間の食事は主人が作ってくれますが、美らは薬浴をさせなくてはなりません。ただの薬浴なら主人でも出来るかも?なのですが、美らは股関節を脱臼していることもあり、獣医さんからも「お風呂、気を付けてくださいね〜」と言われているので、主人は「無理」と。。。そして美らも琉那も点滴が必要。
点滴の用意も針を刺すのも、主人は出来るわけなく・・・
主人に「私がもし骨折で入院だったらどうするの?」と聞いたら「病院で全部やってもらう」と言っていました。

薬が効いたのか、翌日には痛みもかなりひきました。
半月が過ぎましたが、まだ前のように自由に動いたり、重いものを持ったりが出来ません。
もぉしばらく、この怪我とおつきあいです。


この夏は、我が家のワンズにとっては昔からのお付き合いのあった世代の子たちが、お空へずいぶん引っ越してしまいました。
シニアの年代になれば、いつ何が起きるかわからないことだけれど、たとえ覚悟しているつもりでも、喪ってしまう寂しさは、胸の中から心を引き抜かれてしまうようだと思います。
まして、ケアを日々しながら、レントゲンも、エコーもと、健康診断もしっかりしていたのに、元気な様子での健康診断で悪性腫瘍が見つかり余命いくばくと言われてしまうことや、突然の体調の変化での旅立ちは、本当にお辛いと思います。
かける言葉がみつからないです。

でも・・・・
看取るまでが私たち人間の使命。
どんなに辛くても、それを乗り越えることが、この私たちを心からたよっている小さな命を迎えるときに神様のよって結ばれた『契り』なのだと思います。
そぉは思っていても・・・
気が変になってしまいそうです。

推定1歳半で迎えた美らも年明けには12歳です。
5歳で迎えた琉那は間もなく14歳になります。
すっかりシニアさんの年齢。。。。
でも、私たち家族にとってはいつまでも小さなお子ちゃま。
美らも琉那も食欲はあるし元気そうなので、シニアとは思えないけれど、
本当はそれなりの年齢なのよね。

息子は大学2年に。。。
前期のテストもなんとかクリア。でも検定がまだ取れず、このままだと来年度教職課程を履修できないことに。。。
でも、良い仲間に恵まれて、部活も硬式野球を続けて頑張っています。
車の免許もとったので、ワンズを病院へ一緒に連れて行ってくれたり・・・。
免許は役に立ったけど、車を岩にこすって3年目の新車がサヨウナラ・・・。
相手が岩で保険も下りず、修理代がバカ高くなるので、仕方なく買い換えました。
本人の怪我もなく、また相手もいないことで良し!としようと思いましたが、仕事上、車がないわけにはいかず、
車を見ることもなく、最短で納車できる車を・・・と、購入。。。
早く社会人になって自分で車買ってください(泣)


私たち夫婦も病気や怪我でちょっと年齢を感じずにはいられない近頃。
ワンズと一緒に体に良いものをとりながら、健康でありたいと願います。

続き・・・美らの災難。気管支炎から肺炎へ。。。

咳が気になり撮影したところ、前回のレントゲンで異常はみられていなかったのに(股関節脱臼の際、お世話になった病院のレントゲンでも)、まさかの気管支炎・・・・。

そりゃ、咳も出るよ・・・・。
幸い、熱もないし、食欲もある・・・。
とにかく効くであろうと思われる抗生剤を出していただき、1週間様子を見ようとなりました。
ところがまたまた咳はひどくなる一方。
レントゲンは変わらず・・・。
先生から吸入(ネブライザー)をすすめられ、とりあえずそれで咳が軽くなるならと、毎日病院へ通いました。
でも・・・夜も寝られないほどの咳・・・。

かわいそうになり、先生へ症状をお伝えし、もう一度レントゲンを撮ると・・・左の肺上部が真っ白。
肺炎になっていました。
抗生剤・・・効かなかったのです。。。

さすがの進行の早さに先生も飲み薬での抗生剤2種、吸入での抗生剤1種を前の薬と入れ替え。
これ以上進行していけば、肺炎も命とりの病気。。。
何が原因の肺炎かがわからないので、抗生剤にしても抗菌剤にしてもおそらく・・・という範囲で使うしかありません。

ここで、私が不安になることが・・・・。
肺炎とわかったのがGW前の26日水曜日。
動物病院は翌日の木曜日と祝日はお休み。
つまりは…28日、29日が連休。。。そして当然、5月の3日4日5日も連休・・・・。
抗生剤はきちんと続けなくては意味がないし。
飲み薬はともかく、吸入(ネブライザー)で使っている抗生剤がもし美らの肺炎に効くものだったら、このGWの連休で合間に吸入をしても意味がないのでは???と。。。

吸入器については、毎日通っていたので購入を検討していました。

事前に吸入器を使われたことのあるラビペンさんにもお伺いしていましたが、吸入器もタイプはいろいろ。そしてお値段もいろいろ・・・。

獣医さんにも相談し、薬がきちんと気管支の中まで浸透できる粒子を保てる超音波式で購入することを決めました。

ネットでとにかく急いで探し、翌日の配達が可能なところとして吸入器.COMさんのこちらの吸入器http://item.rakuten.co.jp/kyunyuki/10000012/を購入。

美らは病院のアクリルかプラスチックかで作られているいわゆる酸素室には大人しく入って、そこで吸入をしているので、酸素室のレンタルを考えたのですが、そこで目に留まったのが株式会社ユニコムさんの酸素室http://www.unicom-co.jp/shop/products/view/193/category:34でした。

もともとは酸素室として販売されており、酸素自体のレンタルもされている会社ですが、とにかく明日の配達が可能か、配達が無理なら、取りに伺えないかを聞くためにお電話したところ、明日到着での発送が可能とのこと。


吸入器の購入に際しても、酸素室の購入に際してもどちらのショップの方にもとても快く対応をしていただきました。

病院へも吸入するための用意が整ったと連絡をし、お薬を用意していただきました。

翌日、諸々が宅配でとどき、吸入がスタート

BlogPaint吸入薬はこの5種。もともとシリンジでいただいたもの以外はすべて注射針を使って用意します。

 

 

IMG_5990写真右奥にあるのが吸入器。

酸素室にホースを入れていざスタートすると、やっぱり出たいとがりがり。。。

 

でも真っ白になってしまうと見えないからなのか、落ち着く時間も増えました。吸入時間は約30分。

初日は無事に終わったものの、吸入器のホースを下から入れるとあまりよくないことがわかり。。。

翌日は、上下を反転させてみました。

IMG_6028ご覧のようにチャックで開け閉めできます。

酸素吸入の時はきちんと酸素チューブがジョイントできるように穴とジョイントの部品が側面についているのですが、吸入器のホースはそこからというわけにはいかず、その穴はテープでふさぎ、また、本来空いてしまう一面(今は上部)にはビニールの袋を取り急ぎ取り付けて、テープで留めました。

IMG_6029完全密閉は酸素がいかなくなるのでほどほどの密閉です。

吸入の薬が漏れてしまうと、抗生剤も含まれているので、人間にもあまり良い影響はないとのことで(抗体が出来てしまうことも考えられるので)なるべく漏れないようにとしましたが、ホースを入れている隙間などからどうしても漏れてしまうので、100%は無理かと思われます。

吸入が終わって出てきた美らは雨に濡れたワンコ状態。。。

いつも病院ではドライヤーで乾かしてくださっていましたが、表面が濡れている程度なので、タオルドライしてあげます。

 

琉那の点滴も含め、あちこちに医療器具のある我が家・・・。

それでも、この酸素室と吸入器があったことで、私の気持ちも少し落ち着きました。

 

GWあけまで吸入をつづけ、咳はだいぶ良くなった美ら。
でも薬がいろいろあるからなのか、なんだか元気もないような気がして。。。
レントゲンは真っ白になっていた肺が少し快方へ向かってきていたので、おそらくどれか薬は効いたのだろうと。。。
先生から「一度、吸入をとめてみましょう」と言われました。

ところが、吸入を止めた途端、やっぱり咳が出始めてしまい・・・

2日後に病院へUターン状態・・・。

先生から「大学病院へ行ってみますか?」と言われました。

大学病院へ行き、麻酔をかけて気管の組織を採取すれば、おそらく病原体を特定でき、その病原体に適した薬の投与が可能となることはわかっていましたが、この年齢でのまたの全身麻酔と、何より病院のケージが大嫌いでトラウマを抱えている美らに、ただでさえ体調が悪いところ連れて行っても、どうなのだろう?と、先生にステロイドのことをお願いしてみました。
先生からは、ステロイドも選択肢としてあることはお聞きしていましたが、やはり副作用などは心配するところです。

ステロイドを使って、それでもダメなら大学病院へ行くしかないだろうと、ステロイドを始めました。
ステロイドと、喉の潤いのために生理食塩水のみでの吸入。

すると。。。
今までの咳が嘘のように消えていきました。
そしてレントゲンも、ほぼ影がなくなるところまでになりました。

キャンキャン吠える声も、足取りも、いつのころからか忘れてしまうほどお年寄りになったと思っていたけれど、ステロイドの副作用もあってか、元気いっぱいに跳ね回れるようになりました。

レントゲンも良好、吸入も終了となり、今はステロイドの減量へ入っています。

琉那も咳がちょっと気になり、レントゲンを撮ったけれど、琉那はレントゲンは特に問題もなく、ただ呼吸音から、慢性的な気管支炎だろうとのことでした。
吸入器があるのだから・・・・と、吸入も試してみたのですが、効果はなく、さらに腎臓でみられる嘔吐を酸素室の中で吸入中にしてしまうので、ストレスなのかも?と思い、琉那は現在、ラビペンさんにご紹介いただいた漢方のラッセラを飲ませて咳は経過をみています。

毎日、今日は吸入、今日は点滴、薬はこれ。。。とバタバタで〜

それでもやーーっと咳が落ち着いたので、数か月ぶりにお風呂にも入れてあげられてやっと一息でした。

1年中お休みのない動物病院へかかっているなら良いのでしょうが、病院がお休みの時にかぎってこの子たちの体調って悪くなったりするもの・・・。

病院嫌いなワンズ達・・・、家で何とかできるものならばやってあげたいと思うまりにゃんです。

我が家のワンズ、今年は狂犬病の注射も病気があるため打てず・・・。手続きもしました。

まだまだ経過観察ですが・・・。

皆様の少しでもお役にたてるならと情報としてもアップしました。

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美ら、災難続き。股関節脱臼と気管支炎

3月末に琉那の輸液のことをつづったのもつかの間。。。
4月1日の深夜12時前。。。
パパのちょっとした喜ぶ一言で美らが椅子の上に座っていたパパのお膝から大ジャンプして飛び降り、大悲鳴!
右後ろ脚は伸ばせることなく、悲鳴を上げ続ける美らにパパもオロオロ・・・。
とくかく骨折している可能性もあるので、レントゲンのある夜間救急病院を探し、相模原の夜間動物病院へ駆け込みました。
すでに12時半すぎ・・・。
悲鳴はなくなったものの、ギュッと固まったようになっている美ら・・・。
とくかくレントゲンを・・・とみていただいたところ、右股関節の脱臼でした。
万歳の形でレントゲンを撮影した状態で上方向に脱臼することはあるらしいのですが、美らの場合下方への脱臼。
診察して下さっている先生はまだ2年目の若い獣医さんでしたが、とても丁寧に診てくださり、今後の選択肢を示してくださいました。
パパは今すぐにでも治してあげたい・・・とのことでしたが、美らはあごの骨が片方骨折しているので、私としては麻酔をかけることで気管へチューブを入れる際に反対側の骨折もありえるリスクと、何より担当獣医さんはこの下方への脱臼については例がないので(おそらく教科書上に載っていない)、おそらく骨格の構造として上方への脱臼と同じように整復すれば元のようにはまる可能性がある・・・という未経験でのことだったので、
私としては、痛み止めを注射してもらい、朝までなんとか痛みを我慢してもらって、かかりつけ医での処置をお願いしたいとお伝えしました。
美らの場合、リウマチ因子の問題、パテラの問題、腎臓には結石・・・とこれまで色々手術なり、検査なりをしてそれ相応のリスクは持っていることもあり、獣医師さんも「私もかかりつけの先生に診ていただくことが美らちゃんの場合は良いように思います」とおっしゃって下さいました。

痛み止めの注射を打ってもらい、翌朝までは3本足で何とか過ごしながら夜を越し、朝一番でかかりつけ医へ。
昨夜伺った夜間救急の先生からは状況についてかかりつけの病院へ連絡を入れてくださっていました。

かかりつけの獣医さんはこの下方への脱臼を整復することはこれまでにもあるとのこと。
気道を確保するためのチューブでのあごの骨のリスクも大丈夫とのことで、午前中の診察が終わってから、全身麻酔での整復となりました。
この日、診察で初めて言われたのが、美らの心臓の雑音。。。
先生も、割と短期間の中で診察を何度もしている美らだったので、いきなりの雑音に「もしかしたら急激に心臓が悪くなっているのかも?そぞいうこともありますから。」との見解。
今まで一度も言われたことがないのに、まさかの雑音に、愕然としながらもまずは股関節。。。

無事に整復の処置が終わり、麻酔からも目が覚め・・・。
問題はここからの「2週間安静にさせてください」です。

元にもどったことで、美らとすれば若干の痛みはあっても、歩けるし、日に日によくなり元気に・・・。
でも先生からは「一度外れているので、また外れてしまう可能性がありますから。もしそぉなると骨頭を切除して・・・という手術になります。」と言われていたので、いつもの嬉しい時のクルクルをさせないのが大変!
パパがずっと甘やかしてきたので、パパが動けば何かおやつがもらえると思って、喜んでしまうため、とにかく大人しくさせるのが大変でした。

それでも1週間もすれば、歩き方もしっかりして、生活もほぼ日常へ。。。
そんな中、脱臼で一時消えていた咳がまた目立つようになってきました。
心臓のことが気になっていたので、もしかしたら心臓が一気に悪化して咳が出るようになってしまうレベルになったのかと、先生に股関節の状態を診てもらいながら咳のことを伝えると、
心臓の雑音は、咳が出るほどまで悪くはなっていないとのこと。
そこで、まずは前にもいただいた鎮咳薬を処方してもらいました。
そしてレントゲンでのチェック、場合によっては心臓のエコーを月末くらいに・・・・とお話ししました。

ところが。。。
数日しても咳は収まるどころか、ますますひどくなり・・・。
薬も残っていたけれど、あまりの咳のひどさに「レントゲンをお願いしたい」と病院へ。。。
すると気管支炎になっていました。

続く
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とてもお久しぶりです。

すっかりご無沙汰しております。

このままでは1年放置?となりそうで、たまに「見てるよ〜、更新ないねぇ」との声に少しだけこの一年の近況を・・・。

昨年は、主人が救急車にお世話になることが2回。

最初はソフトボールでの開放脱臼。

簡単に言えば、ボールが当たった時に骨が中から(皮膚の下から)飛び出してしまい、最初は骨折化も?とのことで救急車。。。

数か月後、今度は心房細動・・・。

これは、薬で治らなかったので、本来はカテーテル手術が必要なのですが、

まだ若いとのことで(この病気になるには…ということですが)電気的除細動といういわゆる電気ショックを与える治療を入院して行い、今は薬を飲みながら安定した毎日を送っています。

そんなこともあり、主人の仕事の負担を少しでも軽くするために、仕事へ手伝いに出ることも多い一年でした。


何か頼まれるとどうしても断れない性格の私・・・。

そして人の喜ぶことが好きなので、ついついなんでも引き受けてしまい、いつもあれもやってない、これもまだ終わっていないと追われてしまうので、すっかりブログ更新もおろそかになってしまいました。

でもそれはもちろん、ワンズ達が元気だからこそ・・・。

小さな心配はあるものの、年齢的なことと思っていたのですが・・・。


今年になって、まずは美らがある朝突然震えており、獣医さんに見ていただくと左下あごが骨折しているのでは?とのこと。

レントゲンの結果、やはり骨折していました。

前夜に琉那とケンカをしたので、そのときに当たり所が悪かったのか、もっと前から折れていて、その朝から痛みが出たのか・・・。

手術で治すことはもぉ難しいとのことで、痛み止め、抗生剤をいただき様子見。

幸い、痛みが引いたらご飯少しゆっくりだけど食べられるようになって、折れたところの周りの肉がしっかりとしてくれているようで、しばらくしたら、いつもの元気な美らに戻りました。


2月ごろから美らも琉那も咳が気になり始めました。

2頭ともなので、もしかしたら何かに感染しているのでは?と思ったのだけど、美らは気管に炎症があるようで、まずはその治療を・・・。

琉那は、咳については経過観察(少し心臓の雑音もあったので)していたところ、嘔吐がよくみられるようになりました。

琉那は食ふん癖があります。そのため、食べ過ぎると吐くことが前からあり、最初はいつものことと思っていたのですが、さすがに連日で嘔吐物に便らしきものはないし、水もよく飲むので病院へ。

最初は消化管の改善薬で様子を見ましたが変わりなく、血液検査をしたところ腎臓の数値が少し悪いことがわかりました。

本来なら食欲不振などが見られてもおかしくないのですが、琉那は元気いっぱい・・・。

この元気いっぱい・・・が先生も診断を迷ってしまうことに・・・(^_^;)

自宅での皮下輸液治療となりました。

まりにゃん、人生初の自宅輸液・・・。

でも琉那は針を刺しても嫌がらず、点滴中もお利口にしているので、とても助かります。

輸液を始めたら、嘔吐はスッカリ止まり、水分摂取も通常になりました。

何気に年齢を重ねている我が家のワンズたち。

今後も経過を見守ります。

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まりにゃんは、3月21日に出身高校の吹奏楽創立50周年記念定期演奏会にOBOGステージで演奏させていただきました。

(↑美らがフルート吹きそうな写真は練習中ものも)

たった3日間の練習での本番は、なかなかの緊張感ですが、運動系部活と違い、年を重ねても、若い高校生とも一緒に演奏ができることはとても幸せで贅沢な時間でした。

昨年も芸術劇場で演奏させていただきましたが、日常では味わえない緊張感は心を元気にしてくれます。

あわただしい3月が終わり、気が付けば4月も間際・・・。

どうにか進級できているらしいタクミのお勉強を見守りながら、また新たな年度に突入です。


 

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高齢の子、病気の子のためのケアハウス設立に向けて

皆様ご無沙汰しています。

我が家でクリンを迎えた時からのお付き合いがあるお仲間のラビペンさんが、保護猫たちのためにケアハウスを設立されています。
多くの方へ周知いただければと思いますので、ご案内下さいませ。

気持ちとしてこのようなことをしようと思ってもなかなかできることではありません。
ラビペンさんはこれまでにも、多くの高齢の子、病気の子を保護されケアされてきてくださっています。

以下にラビペンさんのブログ内容を転載いたします。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

6月30日13時「保護猫キャットラン建築プロジェクト」のクラウドファンディングがスタートします!
https://readyfor.jp/projects/hogoneko-catrun

以前より構想していた八ヶ岳の土地に、現在、「保護猫ケアハウス」を建築中です。
{0CF66FBE-7BAB-4BB5-B705-631D1B0237AD:01}
(猫の保護部屋1)

個人で猫の保護活動を始めてから10年。
現在、約20匹の保護猫たちのケアをしています。
10年の日々の中では、福ちゃんのように皆様から医療費をご寄付いただいたり、フードのご支援をいただくこともありました。
本当に感謝しております。
鎌倉は海がありお寺が多い土地柄か、本当に野良猫が多い土地です。
その中でなぜか我が家には子猫ではなく、病気だったり高齢だったりの猫さんばかりがやってきて、現在の家では手狭になってきました。

数年前から土地探しを始めましたが、美しい自然とおいしい水と空気の八ヶ岳南麓に800坪の土地を購入することができました。
ピッコロ、マル、ノンばあちゃん、ドナと、病気になる子が続き病院を変えることができなかったため、計画は遅れに遅れてしまいましたが、やっと、7月中〜下旬に移住する目処がたちました。
{501240F4-980B-4592-9803-DB52A440CB4C:01}

住居には猫専用の保護部屋を作り、エイズや病気の子、人馴れしていない臆病な子も、安心して過ごせるようにします。
また、花や緑に囲まれた自然の中で安心してストレスなく保護猫たちが暮らせるように室内だけでなく、屋外でも過ごせるように、キャットランを建築したいと考えています。
もちろん、安全性を重視し、周りは逃走防止のフェンスやネットで囲います。
しかしながら、非常にコストがかかるため、費用が不足しております。
できうる限り、自分たちで作りたいのですが、どうしても費用が足りません。
そこで、クラウドファンディングを始めることにしました。
保護猫のキャットラン建築部分のみのご寄付のお願いです。
キャットランにかかる費用は全部で約250万円ですが、整地、フェンスの設置費用部分の100万円を目標にご支援を募ります。

クラウドファンディングは、目標金額に達しないと、全額返金になってしまいます。
どうか、多くの方にご支援をお願いいたしたく、お願いする次第です。

詳しくは
を、ご覧ください。(6/30  13時スタートです。)
どうか、保護猫たちが豊かな余生を送れるよう、ご協力お願い申し上げます。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

我が家も少しですが支援させていただきました。
初めてバイトを始めたタクミも理解した上で一部支援。

社会人になるために大学生として学びだしたタクミにとっても、良き学びになると思います。

皆様よろしくお願いいたします。

幸せなこと

あっという間に2015年も2月を終えようとしています。

いつものことながら、ハードな日々を送っているまりにゃんですが、ヘロヘロ疲れ切っていることはありません。
私はパパのお店の仕事をメインとして働いていますが、
これ以外に、フルート吹きの一面も持っています。
今月は・・・確定申告という年に一度の大仕事を終え、プラス、今頃まだ去年の息子の部活の追い出し会の動画編集をやっている状況・・・なのに・・・
フルート吹きとしての本番を2本も入れてしまいました(録音の仕事も・・・)

15日には北千住で本番。まぁこれは何とかなったものの・・・
今週末、『東京芸術劇場』で本番を迎えます。

演奏会に行かれたことのある方ならご存知の通り、芸術劇場といえばそりゃー大きなホールなわけです。。。
当然、プロの演奏家たちのコンサート会場としても普通に使われるようなホールです。

今回は母校の大学での吹奏楽団記念定期演奏会ということで、OB,OG達にも一部のステージで演奏させていただく機会をいただきました。

お話があった時には、素晴らしいホールなので諸先輩方をメインにと思いながら、それでもお声をかけていただいたことに感謝してエントリーさせていただきました。
といっても・・・大曲3曲やるのに練習は4日間だけ・・・。
そこらへんの小さな講堂で吹くわけではないので、プロでもない私は当然練習に全日参加。。。。
IMG_3156かつて、大学時代に実技(フルート)の試験などもやった母校の奏楽堂での練習。
ここでは、大学一年生の時には第九の練習もしています。
高校時代も演奏会前にはこの奏楽堂で最終練習をさせていただいた思いで深い場所。

ここに上は60近いオジサンオバサンからついこの間大学を卒業した子達までが集まり練習をしました。

全員がプロではないので、音は外すし、音程もあやふや・・・。
でも指揮者の指導をいただき、サウンドが美しく奏でられると、鳥肌がたちます。

指揮者の方も私にとっては大先輩の一人で、もちろんプロで楽器も吹き、吹奏楽指導もされています。
指揮者が構え、奏者が構え、指揮が動くと全員が一緒にブレスをする・・・。
「音をためて吹く、切らずに前へ、ここはホルンを聴いて、ユニゾンあわせて・・・・」
さまざまな指示を受け、音楽用語も含め、楽譜に鉛筆を走らせる・・・。
すでに50になろうとしている私なのに、中高生時代に戻った気持ちになります。

そして指導くださる指揮者の大先輩の方の表現の素晴らしさ。。。これに感動!
頭が固くなってきているオジサンオバサン達にもわかりやすいように絶妙な言葉で音や奏法を表現して下さるので、もぉ脱帽です。

演奏会の本番はただ一度の演奏のみ。
もちろんそれは最高の感動でもあるけれど、私はこうやって練習している、音が変わっていくその時間がとても幸せでした。

あと2日で本番。。。
追い込みのように隙間の時間を練習に充てています。

美らは長い棒は嫌いなので私が練習をし始めると消えます。
琉那は天然ちゃんなので、私がピッコロを吹いてめちゃくちゃキンキンする高い音を吹いてもスピスピ寝ています。

ワンズにとっては楽器の音ってうるさいのかな(笑)

そんな練習の合間にも中学時代のクラス会。(もちろん幹事
恩師を囲んでの3時間はあっという間。
お支払いのことがあるので、お気楽に飲めないのが幹事の残念なところ。。。
でもみんながこうやって集まって楽しいと思ってもらえるなら、まぁいいか・・・と。
2次会に行くときに「もぉ2次会は幹事やらないよ。やってね」と男子一人をつかまえてたのんだけど、
結局1次会の残金やら何やらでまた幹事・・・。
でも誰かがこれやんなきゃダメだから・・・・。
みんなが楽しく過ごしてもらえるよう、気を使うことは確かに疲れることだけど、残る思いは幸せな気持ち。

タクミの部活のスライドショーも、まだ追い出し会が出来上がっていないけど、とりあえず試合までの2枚(40分と1時間半)とディスクケースは出来上がったので、部員の皆様にはお渡ししました。
制作するのも、何千枚もの写真の中から画像を選ぶのでそれも大変だし、映像に各人が登場する回数のバランス、曲のバランス、もちろん、各画像ごとのパンズーム(写真をアップしたり右から左に動かしたり)などもチェックするので、簡単な作業とは言えないのが事実。
でも、、、、、
必死に頑張っている高校球児とマネージャーたちの姿は、感動出来るものだし、誰でもがこの作業を出来るわけではないので、やれる私がやらないわけにもいかず、でも、自分としての楽しみもあって3年間制作してきました。
IMG_3068これがとりあえずの今年分。
ディスク3枚セットになります。
ちょっと売り物の納品前みたい・・・。

(3枚目の追い出し会の分、やらなきゃ・・・)

これもめちゃくちゃ大変だけど・・・
出来上がりは幸せな気持ち。。。

こうやって何かをやらせていただけること、たのまれることはきっと幸せなことなんだと思います。

日々、充実した毎日を送っているまりにゃんです。

今日は…

image 美ら、9才最後の夜。

 

 

 

image 足が不思議だね(笑)

 

 

 

 

 

 

ママはちょっと無謀な予定を入れすぎ… パソコンがフル稼働していて、処理したい仕事に手がつけられずです。

image 琉那の足もカワイイ。 足裏の毛、カットしなきゃ。

 

タクミは大学決まったけど、検定取らなきゃいけないので遊んでいては困る… とはいえ、タクミにとっても今日は17才最後の夜。

 

ワンズに救われる毎日。 もちろん、いつもそばにいるクリンにもたくさんたくさん救われてる。

 

クリン、何してるかな〜

ドナちゃんと会えたかな〜

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炎天下の犬の繋留

やっと、いろんなイベントが一段落しました。
あとはいつもどおりの夏の仕事がありますが、時間に追われる日々はとりあえず終了です。

本当は、いろんな感謝や幸せなことを綴るつもりでしたが、本日、ありえない(私にとってはですけど)光景があったので、皆様にこれだけはご報告と思いました。

今日、私の住んでいる街は最高気温33℃だったようです。
その気温が出た日中になる手前11時ころ・・・。

私は仕事へ向かっていました。
すると、スーパーの前に白黒のロンチーが繋がれています。

それも・・・

思い切り炎天下!!!

日陰なんて全くない歩道脇のポールにリードを結んでありました。

一度、通り過ぎたけれど、今日は昨日までと違って間違いなく暑い・・・。

そして、ロンチーがいるツルツルのタイルの上はおそらく60度くらいにはなっているでしょう。。。

ロンチーはキャンキャン言いながら、クルクル動いています。
もちろん飼い主さんを呼んでいるのかもしれません。

私はどぉしても見過ごせず、近くに行きました。
ちょっとビビリながらももの、すごくハァハァしています。
足をあげたりしているので、どうにか抱っこしてこの灼熱タイルから離したいと思いましたが、ビビってしまってガウガウしてしまいます。(お利口さんで本気ではかみつきませんでした)

とにかく私が体で日陰を作りました。
すると・・・私のそばにやってきて日陰にいます。
ビビりんな子です。人恋しさでは無いはず。

暑いんです!


すでに私が到着し、5分が過ぎていました。
私は近くにいる主人に仕事に遅れることを伝えました。
主人は「お水を持っていく?でも余計なお世話って言われるよね」と気にしましたが、目の前にいるこの子が私はいつ倒れてしまうのかと思うほどハァハァしていたので、「持って来て」と頼みました。

主人が来てお水を置いていきました。でも飲みません。
きっと慣れていない器で怖いのかもしれません。
手にお水を付け、どうにか口元に持っていこうとしたとき、飼い主が現れました。

飼い主は50代くらいの小奇麗な奥様。素敵なお帽子とサングラス。
きっと私が可愛い我が子のロンチーにかまっていると思ったのでしょう。。。

違いますよ!

私が「あの、いくらなんでもこの暑さの中、可哀想です。日陰もないし。お水もって来ちゃいましたよ〜」と言いました。
すると「お水飲まないんですよ」と。「大丈夫ですから」と。

何にも大丈夫ではありません。

私が「お水を飲まないのなら、なおさらこんなところに繋いでおいたら死んじゃいますよ。私が来て、もぉ10分はここにいるんですよ!」というと、今度はリードを解き、スタスタ歩いて行き出しました。

私には、なぁんにも言わずに。。。

もちろん、ロンチーは散歩です。

私が「ちょっと!この地面がどれくらい暑いか知ってますか?裸足で歩いてみたら解りますよ!」と言っても無視。
カチンときて「ワンちゃんに何か言うことないんですか?私に何かおっしゃることがありません?」と聞いたら

「余計なお世話です」でした。

はい。結構です。余計なお世話してますから。。。
でもね、こういうことで体調崩したり、死んじゃっているワンコの話を私は何十回と聞いています。

私は「ワンちゃん、可哀想です!こんな時間に繋ぎっぱなしで、お散歩して、死んじゃっている子を私は何回も見てるんですよ!」と言ったら

「よかったですね(怒)」と返してきました。

は?意味がわかりません。

私は「ワンちゃんのために、ちゃんと考えてあげてください!何かあってから後悔しても遅いんですよ!」と言い放ちました。

そのオバさんはそのままずっとそのロンチーを散歩させながら住宅街へ消えていきました。

繋留していた場所は、もともと犬を繋いではいけない場所なので、スーパーの方も注意しますし、
特に最近は繋いでいることは見かけませんでした。

まして・・・

この炎天下・・・

それも小さなロンチー

私がいくら余計なお世話だと文句言われても、無視されても構いません。
でも、あの小さい命にはそれは関係ないことです。

サングラスをしていたから表情もまったくわかりませんでしたが、
これで、また繋いだら・・・動物虐待です。

オバさん、家に帰ってよく考えてみていると思いたいです。
散歩仲間に私のクレームを話してもいいと思います。

失礼な物言いだ!と同情する方もいるかもしれません。
でも、犬にとって私は間違ったことは一つも言っていません。

我が家の初代ポメは今から40年近く前とは言え、熱中症で死んでしまっています。
犬は、暑さに弱いのです。

繋留自体、危険がたくさんある世の中です。
もぉ2度と、あの可愛いロンチーをこの炎天下に見ることがないようにと祈ります。


家に帰り・・・
クーラーの程よく効いた部屋でぐっすり寝ていたところを、私の帰宅で起こされたワンズたち。
ただいま〜と言い、なでなでして「今日、こんなことがあったよ〜」と話しました。

チワワとポメ、違うとは言え・・・

私はこの子達をあの炎天下に繋ぐなんて想像すら出来ません。
うちの子たち、多分確実に倒れちゃいます。
いや死んじゃうかもしれない。。。

ロンチーちゃん、肉球火傷してなきゃいいな・・・。続きを読む
クリン あたちクリン♪ レスキューされた『ママ命!』のポメラニアンの女の子。よろちくね♪ 誕生日:登録日にあわせて1997年8月2日にしました。 クリンはスーパーワンコです。クリンにお願いごとをすると叶います〜
美ら(ちゅら) あたし美ら。動物愛護センターからレスキューされて妹になりました。(前の飼い主は、右前足を骨折させたまま2ヶ月くらい放置していて、レスキュー時3本足で歩いていました。でも脅威の力で4本足で歩けるようになりました。)誕生日は2005年1月18日にしました。にぃにぃと同じ日よ。 よろしくね♪ 2008年、3月5月に膝蓋骨脱臼の手術をしました。 リウマチ因子陽性です。 URLに手術の様子を綴っています。 ポメラニアン『美ら』の闘病記
Profile

琉那
あたしは2007年10月26日にロンチーのティダくんと一緒にレスキューされました。
ずっと一緒に飼われていたんだけど、お家の人の事情でお家の人がセンターって言うところにつれて来ちゃったの…。
ティダくんに里親さんが決まった後、すっかりこのお家のお兄ちゃんが大好きになっちゃったので、ここのお家の三女に迎えてもらいました。
おトイレ失敗率はとっても高いけど、フレンドリー度も高いのよ。ただし、相手はお兄ちゃんと一緒の男の子が一番よ♪



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↓これって大切です♪

パイス(παιζ) 14年前に迷子になって我が家にやってきたパイス。 ギリシャ語で『子供』って言う意味です。だから『παιζ』。 推定7ヶ月のポメの女の子でした。ママの青春時代をすべて知っていつも励ましてくれたパイス。 2005年6月虹の橋にお引越ししました。 その後出会ったクリン。運命的なものを感じました。クリンの中にパイスの魂が入っているように感じています。 今の私があるのもパイスのおかげ。感謝してます。 在りし日の愛するパイス
クリス ぼくクリス。14歳になるおじいちゃん。 クリンちゃんのママの実家でレコママ、ジジと暮らしています。もぉ足腰が弱くて歩いてのお散歩は難しいけれど、レコママに溺愛されてます。1993年7月24日生まれ。 2008年3月26日、お星様になりました。
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幸せになった子♪

ブリーダーの崩壊現場からレスキューされた瑠璃海。最初はボイルのササミさえ食べる物ということがわからなず、お散歩もまったくできませんでした。9年間、狭いケージの中だけで生活し、交配するためだけに生きてきた彼女。彼女の子供たちは、ライトをあびながらショップのケースの中で売られています。バックヤードの現実です。
日を重ね、瑠璃海が犬としての本当の幸せを感じ始めた頃、パパママたちが瑠璃たんを見つけ出してくれて、本当のお家へとお嫁入りしました。
ブログ『瑠璃海 風を感じて』
(画像をクリック♪)
幸せなお姫様生活を送っていましたが、2009年10月13日可愛い可愛いその笑顔の瑠璃たんは、命の炎を消してしまいました。



幸せになった子♪

名前『ティダ』
沖縄の方言で太陽という意味です。
ロングコートチワワ♂推定5歳、体重2.7キロ
2007年10月26日にセンターからレスキューしました。我が家の三女になった琉那ちゃんと一緒に飼われていた子。持ち込み処分でセンターに収容されました。
2007年12月、正式譲渡となり妹も出来ました。今はラブラブ恋人同士かな?
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幸せになった子♪

2009年7月10日からお預かり。
推定2歳前後と若く、やんちゃさいっぱいの一平君へは多くのご希望をいただきましたが、人間と共生するためのマナーを学んでいただくことや膝蓋骨脱臼や前立腺肥大などのケアが必要だったため、我が家で長期のお預かりとなりました。
まるで幼稚園児の男の子とような一平君。
約9ヶ月の預かり期間を経て、一平君のために5ヶ月近くも待ってくださった優しい里親様と所へ巣立ちました♪
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迷子から幸せになった子♪
4月18日に町田市内で保護されました。 ♀・生後6ヶ月くらい(保護当時) 3ヶ月を経ても飼い主が見つかりませんでしたので(遺失物法の拾得物扱い)、保護してくださったご家族が正式に登録の手続きをし、苗字ができました。 ありがとうございました。
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チャル 我が家、初代のワンコが迷子で我が家に来たポメラニアンの女の子チャルでした。 私が高校1年生の夏、虹の橋へ旅立ちました。 当時は、知識もなく、情報もなく、今思うともっとできることがあっただろうに・・・と思います。 引越しで飼えず、里親になった狆のアンジュも私が大学生のとき虹の橋へ。彼は最期まで面倒をみてくれたおじいちゃんと虹の橋を一緒に渡っていったでしょう。
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