クリン&美ら(ちゅら)&琉那(るな)日記《保護犬ポメラニアンの成長記録》と預かりワンズの本当のお家探し。

2月の寒いときに保護され動物愛護センターへ連れてこられたポメラニアンの女の子。 彼女にお迎えは来ませんでした。この子の運命は『殺処分』へと進みます。そんなとき、『CATNAP』さんに助けられ、命をつなぎました。 2005年3月7日、センターよりレスキューされ暖かい預かりママさんファミリーのお家で『クリン』と名前をもらい新たな出発を経て我が家の娘になりました。 2006年3月妹『美ら(ちゅら)』が仲間入り♪骨折したまま放置されていた彼女。2008年3月『琉那(るな)』も仲間入り。彼女は持ち込み処分犬です。彼女たちの成長と犬猫たちをとりまく『現実』を綴ります。 また、一時預かりのボランティアも時々しますので預かりっ子の様子も綴ります。

お礼

皆様へのブログでのご報告が遅くなりすみません。


お願いしておりました、柴犬ジャニーくんのご支援ですが、無事に成立いたしました。
保護して下さった方のブログなどにもありますが、ジャニー君はフィラリアも陽性でその治療も必要となりました。
実際に完治するまでには、その時々でのプラスアルファの検査などが必要になってくるかとは思いますが、
当面の完治までの治療費も概算をだし、クラウドファンディングで継続してのご支援を募りました。

現在は、トレーナーさんのもとで噛み癖を直し、里親さんを探すことが出来るようにトレーニング中です。
おそらくもともとは人が大好きなジャニー君。
それゆえに人にスリスリと寄ってくるのだと思います。
でも、触られるということに対してはおそらく何かのトラウマがあってスイッチが入ってしまうのでしょうね。。。

多くの方に支えられて助けられた命です。
心ある方に保護してもらって、皆様の支えがあってこその命。
それらがなければ、おそらくジャニー君は今この世にいません。

助けたいと思ってご寄付下さった皆様、そして情報拡散して下さった皆様、本当にありがとうございます。
またよいご報告が出来る時を、私も楽しみにしています。

しばらくTOP固定です。下に日常ブログがあります。柴犬を助けてください。

【柴犬を助けてください!】

緊急拡散お願いしたいです。

殺処分されてしまう柴犬を救いたい。。。
クラウドファンディングでの募金を募っています。
『柴犬ジャニーの"噛み癖"をなおし、新しい家族の元へ送り出したい』
https://readyfor.jp/projects/hokuto-shiba

(クラウドファンディングのやり方を下記に追記しました)

私の保護犬猫仲間のラビペンさんが迷子の柴犬を保護してくださいましたが、噛み癖があり、このままでは殺処分となるため、トレーニングをして助けるための募金をスタートしました。
これまでの経緯はこちらのブログに綴られています。
『八ヶ岳ワンニャン物語』
https://ameblo.jp/4wan3nyan2/

今回、何か問題なのか…を私の友人でもあり、クリンの預かりママさんのうーちゃんとママさんがブログでまとめてくれましたので、コピペします。

⬇︎
………………………………………
今、ラビペンさんが放浪犬ジャニーくんのためにクラウドファンディングを募っていらっしゃいます。

『柴犬ジャニーの"噛み癖"をなおし、新しい家族の元へ送り出したい』
https://readyfor.jp/projects/hokuto-shiba

迷子だと思って保護したわんちゃん。
「飼い主さんが探していらっしゃることだろう」そう思いますよね。

ところが、飼い主も現れず、
噛み癖があるために新しい飼い主さんも見つからず、
でも、自分の家はもうキャパ超えで迎えることもできない。
行政に行けば致死処分は避けられそうにない。

そんな時、どうする?
注意: 悪徳引き取り業者に渡してはいけません!
どんな目に遭わされるか分かりません!

ラビペンさんは致死処分だけは避けたいと
新しい家族の元へ送り出してあげられるよう
送り出した後、新しい家族もジャニーくんも幸せに暮らせるよう、
心ある訓練士さんにジャニーくんを預かって頂きながら適切な訓練を。
という道を選ばれました。
そのための費用をクラウドファンディングで募られています。

たくさんの保護猫さんを抱えながら
具合の悪い猫さんの看病もされながら
ジャニーくんのために一番良いと思われる道を考え
力を尽くしていらっしゃいます。
なかなかできることではありません。

どうか、このクラウドファンディングが成功しますように。

              

クラウドファンディングのページにラビペンさんが次のように書いていらっしゃいました。

「移住して2年が経ちますが、この期間に出会った放浪犬はなんと10頭以上。
我が家の敷地に迷い込んだ子は今年に入って既に3頭もいます

別荘に置いていかれた子、猟犬として不要になって捨てられた子など、
元は飼い主のいた子ばかりです」

捨て犬がいるということは、捨てた人がいるということです。
0から突然に捨て犬が発生することはないのですから。

あの美しい神々しい景色を瞳に映した時
一瞬でも「捨てる」などという考えが浮かんだ自分を反省しないのでしょうか。
人の心の恐ろしさ、身勝手さ、冷たさを思い知ります。
(中略)
都内で迷子に遭遇したら
保健所に通報するのに躊躇はあまりありません。
よほどでない限り、致死処分されることはないと思えるから。

でも、これが他府県に行けば、通報が致死処分につながる現実味を帯びた恐ろしさがあるわけです。
致死処分の方法にしても、人道的なものである保証はありません。
たとえ致死処分ゼロと言ってもそこが生き地獄であってはならないことで。

とにもかくにも、最後まで愛情を持っていっしょに暮らせない人は
動物を飼わないでください!

うーちゃんママさんブログ
http://blog.livedoor.jp/eastland2010-memo/archives/1070187440.html
……………………………

我が家にいる子も皆保護犬といわれる子です。
私たちと同じ人間の身勝手で捨てられた子です。
噛みグセのある犬は脳の病気が原因の子もいます。トレーナーさんによってはそう言う子は人間に危害を加えるからと安楽死させる人もいますが、今回のジャニーくんは人間が大好きなのでそのような病気ではありません。トレーナーさんも全て理解され引き受けてくださっています。

私は思うのです。
人間も障害をもって生まれてくる人もいる…
でもその障害を理由に命を奪われてしまうことはありません。
人間も動物も『命』の重さは同じ。
そして人間は多くの命を生きる糧としていただいています。
そのことに感謝し、命の大切さを改めて感じて欲しいです。

100円程の募金でも構いません。
お気持ちある方はご連絡くださいませ。

また、少しでも多くの方にこのクラウドファンディングを知っていただけるよう、拡散できる方はお願いいたします。


追記です。
過日お話した大学生の主催で募金箱ができました!

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主催の子のお友達が「僕も協力しますよ!」と。
彼らの人望のおかげで「チャリン、チャリン」と募金してくれるお友達や後輩たち。
有難いです。

ジャニーくんの命が繋がった時、彼らの心の中で「あの時の…」と思ってくれるはず。

他にも大学生がSNSでこの募金箱の拡散をしてくれています。

募金箱としたので、期日までに集まった額をクラウドファンディングの額面まで増額して手続きします。
万が一、クラウドファンディングが不成立の場合は実行者さんの保護猫基金口座へ振り込みさせていただき、保護猫犬達のために活用いただきます。

募金箱を開ける際は、主催の大学生立ち会いのもと箱の解体、計算する予定です。



ご質問の多かった
クラウドファンディングのやり方をザッとご説明致します。

まず、サイトへ行っていただきますと
『柴犬ジャニーの“噛み癖”をなおし、新しい家族の元へ送り出したい』のタイトルと
【プロジェクト概要】または【概要】があります。
そこにこれまでの状況やクラウドファンディングに至った経緯が綴られています。

【このプロジェクトを支援をする】または【支援する】というところがあります。

まず登録が必要となります。Facebookでの登録も可能です。
お名前はニックネームで構いません。
メールアドレス、パスワードが必要です。

登録のアドレスにメールが来ますので、そのメールにあるURLにいくと登録完了です。

ご支援できるリターン(金額)と数量を選びます。5種類あります。

お支払い方法を選びます。
カード払いか銀行振り込みです。

リターンのお届け先としてご自身のお名前や住所などを入力します。
この個人情報は目標額達成したあとに実行者さんへ提供され、リターンの郵送のみに利用されます。今回のプロジェクトは、目標額達成時に実行者さんよりリターンの種類によってお礼のメールか白州米のお届けがあります。

入力情報の確認後、支払い完了となります。
クラウドファンディングについてのアンケートもありますのでお時間がある方はよろしくお願いいたします。

期日は4月27日金曜日の午後11時までです。

クラウドファンディングのサイト

よろしくお願いいたします!

感謝の気持ちと切ない気持ち

柴犬ジャニーくんの事、ご支援くださった方、また拡散に協力してくれた方、ありがとうございます。

今回はいつも個別に連絡させていただく友人以外に、ラインのタイムラインを使わせてもらいました。
学生アルバイトを使う我が家にとってはラインが必須。
タイムラインは使い方もよくわからず、でも「多分、私のお友達は見てくれるのよね??」の気持ちで投稿しました。
最初に里親、預かり先を探していた時に投稿した際、思わぬ反応がありました。
それはうちのお店でアルバイトしている野球部大学生の男の子。
お家に数年前からジャックラッセルの弟分が出来た子でワンに対する気持ちも強いですが、何事にも一生懸命で熱い子です。
彼の気持ちは、何とかジャニー君を助けたい!という気持ちでした。
保護ボランティアなどは関わった事はないこともあり、色々状況について質問もあり、それぞれに答え、彼なりに考えてくれました。
今回のグランドファンディングが始まった時は、私からすぐ連絡を入れ、今の若者なりのパワーでSNSで拡散してほしいとお願いしました。

学生にとっては1,000円の寄付も大きな額です。
スタバのコーヒーを飲むのをペットボトルにして数百円浮かせる…なんてことくらいしか出来ないかもしれません。
それでも、自分の目線で気がつき、私へ問い合わせをし、何とかしたいと思ってくれた事が何より嬉しいことでした。

今やブログはすっかり休眠状態だったので、お読みになっている方もあまりいないだろうと思っていますが、若者たちの気持ちは記しておきたいと思います。

………………

ジャニー君を保護してくださったラビペンさんは沢山の保護猫さんをお世話してくださっています。
そのメンバーの中のお兄ちゃんが体調が良くありません。
ラビペンさんは、「ジャニーの資金集めに奔走している私を見て、自分が迷惑をかけてはいけないと、身を引くつもりのようです」「私なりに精一杯頑張っていたけれど、きっと不安そうで疲れた私の顔を見て助けなきゃと思わせてしまったのかもしれません。」そんな風に綴られていました。

状況は少し違いますが、私も琉那の突然の旅立ちは、琉那が翻弄する私にこれからの介護の時間を作らせまいと時を早めたのでは?と思うところがあります。
ラビペンさんも「私のことなんて心配しないで」と綴られていますが、そんなこの子達の不思議な優しさや配慮は心を打ちます。

思えば、旅立つ前の琉那はずいぶんと私に甘えてくることが増え、まさかそんな日が来ると思わずに試しにはじめてみたTwitterには私に寄り添う琉那が多く登場しています。

年齢のいった子達は間違いなく想像のつく未来の時間に旅立つ日が来てしまいます。
それを思うととてつもなく切ない気持ちになりますが、避けられないこと。。。
最近、美らは元気のないお顔です。大好きだった琉那がいなくなり、そこだけはいくら私がそばにいても代わりにはならないようです。
体調的にも少し気になる感じがあり、病院で検査をしたところ、やはり腎臓の数値が悪くなっていました。
すぐに皮下輸液の間隔を2日に一度に変えましたが、その後もだるそうで、約1ヶ月くらいして再度検査したところ、さらに悪化。
皮下輸液は毎日、リン吸着剤、活性炭も服用することになりました。
ここ数日はすこだるさがとれたような表情ですが、悪くなった腎臓は治るものではないので、少しでも状況が良くなるように、私も出来うる限りをしたいと思っています。
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昔は若かったなぁ↓
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でもたくさんの手術を受け、痛い思いを何度もして、頑張ったよね。

今度の検査、少しでも良くなっていますように。。。

琉那。

琉那がお空に引っ越しして、もぉ2週間が過ぎました。

18日の土曜日に、琉那の体を神様のところへお返ししました。

かわいいかわいい琉那。
寝ているようにしか見えない琉那。
朝、琉那の体に手を乗せたまま横でうつらうつらしていたら、動いた気がして。。。。でも当り前だけど、そんな気がしただけ。

11FC2D26-31FA-49CA-B01E-4813AED4088Dクリンの時と同じ棺を用意していただいていたので、そこに入れ、かわいい琉那に似合うようなお花をたくさん入れてあげました。
写真もいっぱい。
琉那のために必死にパパが探してくれてみつけた北海
道のボイルとうもろこし。
にぃにぃが北海道のゼミ合宿で買ってきてくれた女満別のジャガイモ。
いつものミルク、ヨーグルトにはちみつ。
今の季節だからフルーツは梨。パンも入れてあげて、もちろんフードも入れてあげて。
小さな紙コップに少しずつ、琉那が好きだったものを入れてあげました。

お別れの時間。。。パパの「琉那!」と叫んだ声が今も耳に残っています。

琉那はぽやんとしていた子だったから、ちゃんと迷わずお空に行けるか心配で心配で。。。

待っている間に、クリンの預かりママさんだったうーちゃんママさんのお家の子達のお墓へ手を合わせに。
そして琉那のことをお空にいる子達にお願いする・・・。

琉那のお骨はとても小さくて、いかにも琉那らしいかわいいお骨でした。

ただいま〜と帰っても扉から出てくるのは美らだけ。
まだまだ夢の中にいるようでした。
たくさんのお花に囲まれて・・・
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たくさんのお花と、琉那を思わせるキャンドルと・・・。
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。どれほどお花に癒されたことか・・・。


日曜日は前から約束していたラグビーの試合の4年生引退試合応援。
イケメン好きな琉那だから、カッコいいお兄ちゃんたちを見てくるねと言い残し、都内のグランドへ。

写真撮影をしながらも、心は琉那を思ってしまう。。。
何で朝一番に、設備の整った病院へ連れて行こうという判断が出来なかったのだろう?
かかりつけのお医者様に診ていただこうと、何で考えたんだろう?
琉那の表情で、どうしてこんなギリギリの状況を感じ取ってあげられなかったのだろう・・・。
一番近くにいた私。ひょうひょうと状態が顔に出ない琉那だけど、何でわからなかったの?と。

私が琉那を死なせてしまったんだ・・・。
そんな風に思ってしまい、琉那への申し訳なさで、涙が止まらず。。。。。

謝っても謝りきれない・・・。
病院に向かう車の中で、私の顔を見ていた琉那。その瞳が忘れられないのです。

主人に伝えると、「俺だって朝の時点で病院へ行こう!と言わなかった。同じだよ。ママだけが背負うものでない。俺だってずっと一緒に背負うから。」そう言ってくれたけど・・・。
でも、琉那を残して家を空けた自分が本当に情けなくて・・・。

翌日、月曜日。
本当なら仕事だけど、主人が薬がないから自分の病院に行くというので、ランチタイムはお休み。
その日まで、ほとんどちゃんと食べてなかった私。1日に一回主人が買ってきたサンドイッチを食べたくらい。
夜から仕事しなきゃならないし、琉那はきっと私たちがちゃんと仕事を休むことが無いようにとあの時間を選んだのだと思って、ちょっと何かちゃんと食べないと・・・・と、主人と2人でファミレスへ。
2人とも美味しく感じる食事が何も美味しく感じられず。。。
付け合せのコーンを見ては、琉那の話になり・・・。
ファミレスでウルウル・・・。

家に帰り駐車場に車を停め、主人は仕事場へ、私はいったん家へと別れ際にフッと呼び止めた主人が振り返った先にあった車のリアガラスに・・・
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え?

虹?冬に??


2人で見上げた空に。。。。
70A489FC-3043-4F5B-A00A-C285AE3DB496雨も降っていない冬の空に、縦に伸びる虹が・・・




虹だ・・・。







「琉那が、虹の橋のたもとにちゃんとついたよ・・って教えてくれたのかな・・・」と主人。

冬の空にのびる虹は西の空から我が家の上のあたりまでで消えていました。

琉那が見せてくれた”奇跡”だと・・・。

2人でまた泣きながら、でも、きっと琉那が泣いてばかりいる私たちにメッセージを送ってくれたような気がして、
不思議とそれまでの重く苦しい気持ちが少しだけ軽くなりました。

もちろん、琉那の苦しさをわかってあげられなかった後悔はありますが、申し訳ないと思うその辛い気持ちが、私が受けるべきものでもあって、ちゃんとそれを受け入れ、また、今後は同じことを繰り返さないということにするべきなのだろうと思いました。

翌日の火曜には、かかりつけ医へ行き、救急の病院での血液検査結果とレントゲンを見ていただいて、原因を考えていただきました。
つい10日ほど前にも診察したばかり。
琉那の方が心臓の雑音は美らより早くみられていましたが、その状態は変わらず、美らの方が雑音が聞こえ始めたと思ったら、短い期間で進行がみられ、心臓のエコー検査、そしてお薬を投与となっていました。
そんな状況の診断もして下さっている先生だったので、当然琉那の状態はエコー検査を必要とするまでにもいかないレベルでした。
救急での先生から聞いた聴診上の様子もお話しし、かかりつけ医から言われたのは、腱索の断裂ではないかとのことでした。
心臓の僧帽弁につながっている紐のような腱索ですが、伸びたり断裂となれば、僧帽弁はほぼ機能しなくなり、一気に肺水腫が進みます。
先生も、「そういう子は、本当に見る見るうちに様態が悪化していきます」とのことをお話しくださり、朝ご飯を完食したことを思うと、その時点では何も起きていなかったであろうということでした。

腱索の断裂の疑いは、琉那のお顔を見せに行ったときに聞いていたので調べていましたが、
人間でも緊急手術になることもあるとのこと。
先生に「ワンちゃんでそういった手術をしているところはあるのですか?」と聞いたところ、あるにはあるけれど、
それこそそういった設備の整った専門の病院で僧坊弁の異常を疑って診察していて、その場で断裂が起きたとなればすぐに診断も出来て手術になるかもしれないが、普通は難しい・・・とのことでした。

琉那、腎臓のことばかり気にしていて、心臓は安定しているからよかった・・・と思っていたのに、まさか心臓がそんな急変を起こすなんて。。。

でも、もしも、琉那の調子が悪いと思ってかかりつけ医がやっていて、朝に連れて行ったとしたら、おそらくそのまま入院となり、様子をみながら治療をして・・・としているうちに、みるみる様態が悪化していたかもしれないと思うと、琉那にとって安心できるお家にいられたことは苦しかったかもしれないけど、少しでも良かったのかもしれないと思えました。
救ってあげることが出来ない状況だったのなら・・・と。

人間なりに、物事を理解して、そして解釈して・・・。

でも。。。。
美らは違うようで・・・。

C5827211-C000-443B-AD31-5BD5F972FC9Cさすがに何日もいないことを不思議に感じたのか、寝室で琉那が寝ていた布団の場所にわざわざ行ってホリホリしていたと、主人から聞き、その後は琉那のいるところを見つめてばかり。
こんな風に床にいる美らなんて見たことはなく・・・。



B553159F-DCD3-4FB2-8FF0-9AB6DCCFBB48こんな風に見ていたり、






F7BDF570-F18D-4D9A-A0EA-B3FF8E1D1201こんな後姿を見ることが多くなりました。
私なりに美らに説明してみたけど。。。。。
私達よりずっと長くお留守番も一緒にいて何より若いころはじゃれあって仲良しの美らと琉那なので、さすがにさびしく思うようです。








AF94B7D9-CBFF-4EAB-BA0E-F317834AA9FB当り前だけど・・・・。
お散歩も一人。
ミルクやヨーグルトで琉那の活性炭サプリをあげていたので、変わらずに美らにはミルクやヨーグルトだけあげているのだけど、
美らはいつも自分が終わるとすぐ琉那のところへいって横取りしようとして私に注意されたり、私の目を盗んで琉那を追いやって、琉那がまだ食べきってないヨーグルトとかをなめていたので、自分のものが終わると琉那のお皿があった方へ行ってみるけど無い・・・、を何度か繰り返し、次は終わってから琉那のお皿の方を見つめて、無いと思ってハウスに入るようになりました。
同じお薬を飲んでいたりもしたので、お薬の減りも少ないし、点滴も美らだけになって減らないね。。。

F6E908F4-DA97-47C3-BBC9-A3E1F6EE39A5ワンコに笑顔ってあるのかとは思うけど、美ら、すっかりさびしいお顔になってしまいました。
そんな美らがかわいそうに思えて、今は少しでも美らが楽しい気持ちになれるように・・・と思う毎日です。

琉那のために買ったモニターも美らのために使ってます。
ビックリするほどの高画質。
でも、今までは家に帰るまで間違いなく寝ていたと思われていたのに、モニターで見ると寝てないことも多くて吠えていたり・・・。

ずっと誰かがいる生活だった美らなので、一人ぼっちはさびしいよね。

D1A0A412-128E-458C-9257-E27A21EB24A0琉那に作ったカラー。
一つは使わぬままだった。

一生懸命琉那の色は??なんて考えながら、ベースの色、留め具の色、印刷の文字の色を考えたっけ。







琉那のことで介護できることへの感謝の気持ちを改めて考えさせられました。
母は入院生活になって1年が過ぎました。
自宅介護ではないけれど、母のことで動き回る日々でもあります。
でも、それも感謝の日々・・・。
そんな気持ちに思わせてくれた琉那に感謝。


琉那がお空に旅立った時に頭に流れていたのは
エルガーのエニグマ変奏曲の『ニムロッド』
 
そして、お空の上でみんなと遊んでいると思えるときから流れているのがマスカーニの『カヴァレリア・ルスティカーナ間奏曲』
 


最後に病院からの帰りやお空へ体を返しに行ったとき車の中で流れていたのはチャイコフスキーの『悲愴』だった。



秋に私がよく練習していたのはチャイコフスキーの『くるみ割り人形』とボロディンの『だったん人の踊り』。
ピッコロでガンガン練習しても近くでスースー寝てたよね。

だからか、琉那にはクラシックが似合う気がして・・・。
最初の2曲は琉那のイメージになってしまった。
チャイコフスキーも肺水腫で他界したとのこと。
高貴な琉那。チャイコフスキーと一緒なのね。
かわいいニコニコして見上げる琉那と、クラシックの似合う琉那。


琉那、うちの子になってくれてありがとう。

また会えるよね。

かわいい琉那。
クリンとお空で待っていてね。

お心を寄せてくださいました皆様、琉那を愛して下さった皆様、本当にありがとうございました。
続きを読む

琉那の最期

夕方4時から診察が始まるけれど、その前でも時間外として見てくださるとのことで、病院についたのは3時半ごろ。

大きな病院のため酸素室にいってしまった琉那の様子は見ることが出来ず。


しばらくして、担当して下さる先生から呼ばれ診察室へ。

これまでの経緯、これまでの血液検査の結果、投与している薬の内容、皮下輸液の状況、など改めてお話しする。
先生は当然ながら聴診器で診察して下さっていて、そこでのまず最初の見解は、心臓の音がかなり悪いということだったようで、これまで心臓は何か言われていなかったのか、エコー検査をしたことはあるのか、咳はどうか、などを聞きました。
心臓は数年前から悪いとは言われているものの、軽度のレベルで、当然お薬を使用するまでのものではないこと、それ故まだエコー検査をするレベルでもないためやっていないこと、咳も心臓からくる咳ではないことを伝えました。
もちろん、もう一頭の子(美ら)は心臓が一気に悪くなり、エコー検査もし、お薬も飲んでいる状況ということも説明。
その説明をしないと、琉那に対してエコー検査をする気がなかったのでは?とか、お薬をケチっているのでは?なんて思われるのも嫌だったし、何より、2頭とも同じかかりつけ医に診ていただいていて、そこでの比較もあって、琉那がそこまで心臓が悪くないということを伝えておきたかった・・・。
そして、腎臓の数値に関しても、ここまで悪化したから(BUNが113)皮下輸液を連日にしたけれど、食欲はずっとあって、最近は嘔吐も見られないことを伝えておきました。
心臓の音から、肺水腫を起こしている可能性を言われ、それ以外に腫瘍や肺炎の疑いもあるので血液検査とレントゲンをすると言われ、お願いしました。
酸素室に入ったことで、「楽になったようですか?」とお聞きすると、舌の色もピンクになっているとのこと。
でもまだ呼吸は苦しそうとの話から、「やっぱり酸素があると楽ですよね。酸素があれば家に連れて帰ることもかのうでしょうか?」とお聞きすると、「お家に帰った時にやっぱり酸素があるほうが楽だと思います」とのことだったので、「酸素室はあるので、すぐに酸素をレンタルできるように手配します」と伝えました。
前に美らのネブライザーで使用した酸素レンタルのあるユニコムさんへすぐに電話。
取りに伺っていいかを聞くと営業時間後でも構わないとのご配慮あるお返事をいただく。

検査の時間は長く感じ・・・。
やっと呼ばれ・・・。
「酸素の手配はどうでしたか?」と先生。
「大丈夫です。」と答え、主人と二人、血液検査とレントゲンの結果の説明を受ける。

血液検査は、かなり細かくやってくださって、白血球の数値から、肺炎の疑いはないこと、
ただし、胆管や膵臓に炎症があるとあらわれる数値が高く、その疑いも言われる。
でも、レントゲンでみると肺がかなり白い。
そこから、やはり肺水腫だろうと言われ・・・。
肺水腫と思われる水のポコポコいう音も肺から聞こえるとのこと。
心臓の大きさも大きくなっているようだ。
その他大きな胆石も見つかった。
便は詰まっているようだけれど「さきほど少ししていました。いつもあんな感じで固いですか?」と聞かれ
状況もお伝えする。


て説明を受ける。
琉那の場合、腎臓が悪いので、肺水腫だからと言って簡単に利尿剤を使えないとのこと。
利尿剤の使用は腎臓に大きな負担を与える。それは死に直結することもあるほどのこと。
といっても、利尿剤を使わないわけにいかないので、腎臓への負担が極力少なくなるよう、腎臓のために静脈から点滴を入れ、心臓の負担も考えながら利尿剤の量も少しずつにしていきながら・・・としましょうとのことで、
静脈への点滴をしながらなので、入院は必須とのこと。
もちろん、点滴を考えず、利尿剤だけの使用で自宅に連れて帰る案も一応提案下さったが、24時間体制の病院なので、今夜はここにお任せしよう・・・と、身を切る思いで決断した。

入院の手続きをするため、そのまま診察室で待つ間、今まで避妊手術くらいしか入院したことの無い琉那だけど、環境の変化はあまり動じないタイプだから、美らのように入院することでパニックにもならないだろうし、かわいそうだけど入院だね。。と主人と話していました。

入院はとりあえず翌日まで。
朝にはピックアップに来て、かかりつけ医に連れて行くつもりでした。
もちろん、先生からは、朝の時点で動かせるかどうか?ということによります・・・とのお話も聞き、それは勿論とお伝えしました。
丁寧に入院費用についての説明もいただきました。
万が一のことが起きた場合、延命の対処はご希望しますか?とのことも聞かれました。
深夜に必要な処置が出来た場合は、琉那が辛くないのであれば検査もお願いしたいともお話しし、万が一の時の延命はお願いしたいと伝えました。
もちろん、そんなこと起きるわけないと思って・・・。

「帰る前に、琉那に会えますか?」と聞くと
「もちろん会っていってください。今酸素室ICUでの面会が出来るようにしてきますね」
そう言って先生が部屋を出て数分。ずいぶん長く待つなぁ・・・と思っていた。
やっと先生が来たと思ったと同時に、先生の口から信じられない言葉が出た。

「今、琉那ちゃんの状態が急変して心拍も弱く、意識も遠のいている状態で、挿管して蘇生をしてます」

「え?」





挿管してる?蘇生してる?


「どんな状況でも構いません、直ぐ会わせてください!!!」

「少しお待ちください」と言われ、主人と「どういうこと?何?」と言っているところに先生から「どうぞこちらへ」と。

そこには、もぉ自らの意志では動いていない琉那が心臓マッサージを受けていました。
「琉那!琉那!」声をかけても何も反応は起こらず。

ついさっき、酸素室に預けたのに?
舌もピンク色になって少し楽になったようだと聞いたのに?

え?なんで?
これ、心拍が弱くとかじゃない・・・もぉ取れないっていう状態じゃない。

思わず「あの!何でこういう状況になっているのか私理解できないんですけど!何でこんな状況になる前に私に伝えてくれなかったんですか!!」
声が荒げてしまいます。
担当した先生が「まずは蘇生を先にと思って、ご家族に声をかけるのが遅くなってしまいました・・・」と言い、主人も「先生だって一生懸命してくれてるから、ね、落ち着いて」と言ったけど。。。

確かに医療の現場に一般人がいるのは見せたくない治療もあるし、そんな状況をみたくない飼い主もいるのだと思う。
でも、私はすでに息絶えていると思われた琉那を目の当たりにして、その瞬間に家族が一緒にいられなかったことが何より悲しく思ったのです。

ただただ心マで揺さぶられる琉那を見るのは辛く、「先生、もぉ無理ですよね・・・」と言うと
「いや15分は蘇生の可能性があるので、やらせてください」と言って下さった。
心マをしながら、おそらく強心剤などを何とか静脈から入れようとしたのか、二人の先生が前と後ろの足両方でなんとか静脈に針がさせないかトライして下さった。でもただでさえ血管も細い琉那。。。「取れない!」との先生の声。「〇〇先生、呼んできて!」「〇〇して!」
そんな声が飛び交い「肺の水が抜けるかチューブを入れてみていいですか?」説明して下さって、挿管のチューブから細い管を入れてみたけど「抜けない・・・」と。
15分経ち、先生が聴診器で心臓の音を確認。

「残念ですが・・・」

急に肺に水がたまって肺水腫になり、心肺機能が停止してしまったようでした。

「連れてくるときに、体勢が悪くて呼吸が苦しくなっちゃったとか痰がのどに詰まってとかではないですか?」と涙声で先生にお聞きしたが、そんなことはないと思うとのこと。
琉那の心臓は、ずっと強いと思っていたのに、急に耐えられなくなってしまったようです。

「お身体をきれいにしますので。お時間大丈夫ですか?」と言われ、
「ある程度していただけたら、あとは自分でやりますから」とお伝えしました。
少しでも早く抱いてあげたくて・・・。

待っている間、信じられない思いで主人といながら、まずはタクミに連絡し、その他酸素もお断りし、仕事関係の人にも状況を伝えた。

しばらくして先生に呼ばれて、診察室に行くと、小さな琉那はまだ寝ているような顔でタオルにくるまれていた。
かわいいクッキーとお香を供えてくださっていた。

今まで病院通いの少ない、お金のかからない子だったことを話し、最後まで予定していた入院費さえ、なくしてしまった親孝行な琉那。
でも、そんな親孝行ならしなくていいのに・・・。

病院から帰るとき、まさかこんな状況で帰ることになるなんて、思いもしていなかったと主人と話し、家に向かいました。
病院に行くときは、お膝の上のベッドの中で苦しい呼吸をしながらもずっとママを見ていた琉那。
帰りも同じように抱いてるのに、まるで寝ているようで、息をしていないことが信じられない・・・。

こんなにも急に、私たちの心の準備をさせることもなく逝ってしまうなんて。。。

かわいそうで、かわいそうで、涙が止まりません。

これから、介護生活が始まると思っていたのに。。。
これから一緒にいる時間がもっともっと増えると思ったのに・・・。

琉那は手のかからない子でした。
甘えることを知らず、だから遊んで〜!かまって〜!もない。
人間が食べているものも下から見上げるけどピーピー言うこともない。
皮下輸液は寝たままさせてくれるので、輸液をしながら洗濯物を横でハンガーにかけることも出来ちゃう。
目に潰瘍ができた時も、目薬をちゃんと嫌がらずにささせてくれる。
嫌がるのは、食糞癖があったので、その時に口を拭こうとすると歯がないのにかみつこうとしてきたり・・・
女の人が苦手だから、ハウスの中で寝ているのを点滴で起こそうと手を入れると怒ったり、それくらい。。。
手がかからない子だったけど、きっとこれから手をかけられると思ってました。
それなのに、琉那は最期の時まで私たちに手をかけない子でした。

保護犬仲間の大先輩、ミドリさんが言って下さったけど、きっと病院で一人になるのが嫌で連れて帰ってほしかったんじゃないのかしら?と。
確かにつれて帰ったけど・・・・。

どんなお別れも寂しいもの。
そして後悔のない別れもきっと無いモノ。
自宅にいれば「病院に連れて行っていたら、持ち直したかも?」と考えてしまうし、
病院で最期となれば「腕の中で最期を迎えさせてあげられなかった、一人ぼっちで逝かせてしまった」と考えてしまう・・・。それは仕方のないことなのだけど、少しでも後悔の無いように最期までお世話をしてあげたいと思うのも事実。
でも、もしそれが苦しい状況をお世話するっていうことなら、それって人間の自己満足なのかもしれないなぁとちょっと思ってみたり・・・。
だって、人間は自分の最期について「周りに迷惑をかけないように、ずっと元気でいて、ある日ぽっくり死ねたらいいな」と言うのが多いと思う。
私も今、入院している母のところへ日々通いながら、少しでも母との時間をと思うけれど、自分だったら、介護されるようにはなりたくないなぁ・・・、入院なんてお金のかかるようなことにはさせたくないなぁ・・・・と、思うのです。
もちろん、残される人にとっては、ぽっくり・・・は辛いモノ。
でも介護生活も長引けば嫌気もさすし、ため息も出てしまうのが現実かなと思うので、そういうことが子供孝行だとなるのだと思います。

そう考えると、琉那は人間でいうと理想的な最期を選んだのかもしれません。

でもね・・・
うーちゃんママさんも言ってたけど、この子たちは、本当はおばあちゃんでそういう年齢なんだけど、私たちにとってはいつまでもいつまでも幼稚園児のようで、いつまでもいつまでもかわいい盛りの天使のような子。
だから、やっぱり残された家族としては辛いのです。

琉那はずーーっとひょうひょうとしている子でした。
だから体調の悪いことも顔に出ないし、喜怒哀楽もほとんどない。
それゆえ、ストレスに感じることもきっと少ないだろうから、ひょうひょうとこのまま長生きして、ひょうひょうと気が付けば20歳かも?なんてよく話してました。

でもまさか、こんな最期を選ぶなんて。。。

ボジョレー解禁日に旅立った琉那。
セレブな物好きだったからワインも似合うね。
よく、私やパパのコーチのバッグを見つけては乗り、ユニクロのダウンには乗らないけど、ラルフローレンのダウンには埋もれ、安いセーターには乗らないけど、高級ブランド?(我が家的には)のセーターには乗って・・・。
不思議な子でした。
そしてとても自然派。
リンゴをスロージューサーで絞ったジュースが好き。
生のトウモロコシを買ってきたら、ネット越しに大興奮してクンクンしていたっけ。
細かく刻んであげたら、すごく喜んでたよね。
美味しいはちみつも好きだったね。フルーツも好きだったよね。
でも、ごみ箱からお菓子やパンの袋をどうやってなのか取り出してあさってたよね。後ろ足で立っても琉那の背丈ほどしかないごみ箱だから、琉那は首が伸びるんじゃないか?って言ってたね。

たくさん、たくさん、琉那との思い出がある。。。

琉那が寒いだろうと思って買った温かく感じるっている毛布、1週間も使わないで逝っちゃった。
お部屋を見られるようにって、昨日の朝、直ぐに注文したモニター、明日来るけど琉那には使えないね。
足が悪くなって歩けなくなるかな?と買ったお散歩用の小さめのカート。
結局使わなかったね。だから今日、琉那を乗せていつも行っていたお散歩コースを一周してきました。

琉那のために大量に買ったヤギミルク、美らが飲んじゃうよね。

琉那・・・
なんでこんなに急いで逝っちゃったの?

先月の10月19日
琉那、15歳の誕生日。
お顔を正面から撮ったのはこの日が最後になっちゃった。

IMG_8939かわいい琉那。
ママ、もっとお世話したかった。
琉那との時間をもっと作りたかった。

本当は甘えたかった?
最近はママにくっつくこともあったよね。
遊んで〜って、手でちょいちょいってやれるようになったよね。

ママのこと、嫌だったよね。
ごめんね。


明日、琉那の体を神様の元へお返ししてきます。
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琉那が神様の元へ旅立ちました。

母が倒れてからのこの一年、嵐が駆け抜けるように日々が過ぎていきました。
私の体調もいよいよ限界が来て、今まで病院にお世話になったことの無いような私が、MRIを受けたり、病院通いも増えています。

琉那は、先月の19日に、15歳を迎えました。
夏ぐらいから、高齢犬らしい衰えがみられるようになりましたが、それでも血液検査上かなり悪い数値の腎臓をものともせず、食欲もあり、パテラの足も上手に使って大好きな布団の上を行き来していました。

それは今朝までも同じ。
いつも通り、パパを起こし、おしっこをして・・・。
昨夜寝た時間が遅いからか、ご飯を欲しがる時間になっても寝たままでした。
さすがに。。。と、美らも起こしていつもより1時間遅くにご飯。
でもちゃんといつものようにゆっくりだけど完食しました。

その時は何も気が付かなかったのだけど・・・・
10時ごろみると息が荒い。
たまに息が荒い時がみられるけど、今日はさらに強い感じ。
とりあえずいつもの点滴をする。
点滴が終わると、自分で起きてオシッコシーツまでちゃんと行ってオシッコ。
でもそこで口からよだれが出ていることに気が付く。
これはちょっと普通ではない・・・。
でも今日は木曜日。かかりつけの獣医さんはお休み。
琉那は腎臓や心臓が悪く、いろいろお薬も投与しているし、経過もみているものが多いので、新しい病院へ連れて行くのはリスクがあると思い、明日まで待とうと。。。

とはいえ、目が離せないと思い、仕事の代わりがいないか探すけどいず・・・。
食間の活性炭をあげるためにミルクを作るけど、いつもはその音でキッチンに来るのに来ず。。。
寝たままなので、活性炭を入れたミルクをもっていくが、2,3なめしただけで、いらなさそう。

無理はかわいそうと思って、心配になりながらも仕事へ行きました。

仕事をいつもより1時間以上早く切り上げて急いで自宅へ戻ると、呼吸は荒いけど、寝場所はいくつか変えた様子。
舌の色はまだピンク色。
寝ていたところはよだれのせいか濡れている範囲がかなり広くあり、呼吸の感じから、このままだと明日まで心臓が持たないような気がして、前に美らでお世話になった夜間救急のある少し遠いけれど設備の整った病院へ行くことに・・・。
そこは色々な先生もいるけれど、どの先生も真摯に診てくださっている心象があったので、そこへセカンドとしていくことを伝え、車を走らせました。

向かう途中、琉那は私の顔を見ながら膝に乗せたベッドの上で横になっていました。

「大丈夫、大丈夫、きっと呼吸が楽になるお薬をもらえるから・・・。もぉ少しで病院だからね。大丈夫だよ」

そんなことを言いながら、病院へ到着。
時間外なので、パパのお膝に琉那を乗せて、インターホンで先生をお願いし、琉那の呼吸をみてもらうと、すぐに酸素室へ連れて行ってくれました。
琉那が入っているベッドのまま、連れて行ってくれました。

それが、琉那との別れになるとは。。。

思いもしませんでした。

一か月がすぎて・・・

母が先月手術をしたことは前回綴りましたが・・・。


10月28日に一般病棟へ移りました。
声をかければ、目が開くようになり、少し言葉らしきものも出るようになりましたが、それはうわごとのような発声で、
言葉とは言えず。
簡単な内容は、はい、いいえ、が首を少し動かせるので出来るくらいです。
でも、すべての内容については理解できていません。


前回のブログを綴ったのが23日になってすぐ。
その日の日中に、今度は美らがリンゴを喉に詰まらせました。
琉那はすでに歯がないので、みじん切りにしていますが、美らは歯があるので、いつもシャリシャリと音を立てて食べています。
もちろん、丸呑みするのが怖いので、薄くし、逆に飲み込まないようにある程度の大きさにして噛んでもらうようにしていました。
ところが、ガッツキの美ら。。。飲み込んじゃったみたいで・・・。

吐きだそうとしているけど、出来ない。
苦しそうな顔をしてウロウロ。呼吸が出来ないわけではないけれど、胃液も吐き出してしまいました。
その中にリンゴも少しあったので、吐いたかと思ったけれど、やっぱりおかしい・・・。
ちょうど、動物病院の午前の診療が終わるときだったので、まずは電話して様子を伝えました。

吐けるということは、詰まっているわけではない様子。
苦しそうでないかと聞かれましたが、しっぽを振ることも出来るので、少し様子をみることにしました。
私は本当は母の病院へ行く予定でしたが、風邪っぽいこともあり、また美らのことも心配だったので、母のところへはパパに行ってもらうことに。。。
面会時間は限られているので、面会が終わり、家に戻ってくるとちょうど動物病院の午後の診療時間の始まりの時間なので、そのまま美らを連れて今度は動物病院へ。
造影剤を使ってのレントゲンなどを撮った結果、やはり胃の近くの食道に何かある様子。
先生は当然ながらリンゴ以外を食べていないかと確認しましたが、琉那のお薬をあげるためにあげていたリンゴなので、何か拾って食べたなどは考えられないと伝えました。
そして、結局は全身麻酔をして、胃カメラを入れ、詰まっているものを確認し、リンゴであればそのカメラで胃に押し込んでしまうという処置をしていただくことに・・・。
メスを入れないとはいえ、全身麻酔。。。
母の手術がよぎります。

腎臓が悪いので、点滴の処置をするためお預け・・・。

もう、私の頭はいっぱいいっぱい。
冷静でいようと必死に思い、意識をしっかり持とうと思うことで精いっぱいでした。

そして午後の診療が終わって8時半過ぎてから処置をしていただくことになりました。
麻酔をかける前に会わせていただきたいとお願いしました。
万が一、万が一があったら・・・・それがどうしても怖くて。

信頼している先生方なので、とにかく美らをお願いし、近くのミスドで待っていました。
無事に終わったとの連絡がありまだ麻酔から覚めていないのでもう少し時間がかかるとのことでしたが、
病院の駐車場に戻ると看護師さんが出てきてくださり、股関節の脱臼がある美らなので、目が覚めてフラフラしてしまうとまた脱臼してしまうかもしれないとのことで、院長先生が麻酔から覚める美らを抱っこしたままでいてくださいました。

胃カメラでの映像も録画して下さっていて、見せてくださり、詰まったリンゴも発見。胃カメラのおかげで、食道も胃の中も見れたことで、腫瘍などないことがわかりました。

リンゴの一欠けらが6万円となりましたが、辛そうだった表情はなくなって、家に帰ってきたらほどなくすっかり元気な美らに戻りました。

心労が重なる・・・と思った翌日の月曜日。
今度は母の病院から連絡があり、一番恐れていた脳血管攣縮が少し起きているとのこと。
状況によってはカテーテルで直接細くなった血管を広げますと連絡が入りました。
月曜日は、私も熱があり、母の病院へ行くと風邪をうつして肺炎にさせてはよくないと面会はお休みしていたのですが、
結局再度病院から「今からやっぱりカテーテル処置を行います」と連絡があり、8時半過ぎからまた1時間かけて母の病院へ・・・。
9時半過ぎにつくと処置はもう終わっており、良い結果が得られたようだとのお話を伺いました。
翌朝、また再度MRなどを撮って経過をみるとのことで、先生からのお話を聞いて母には会わずに帰宅。

翌火曜日。
ランチの営業はとても忙しく、私の代わりに入ってくれているアルバイトさんは新人さんもいるので、バタバタだったのですが、前日にそんな状況だったので、とにかくバタバタしているお店をあとにして母の病院へ。
先生からは、新たに起きていた脳梗塞の影も消えているし、カテーテル処置をしたタイミングとしては良かったとのこと(国の保険の決まりで一度の疾患に対し、一回しか処置できないのだそうです)。
とりあえずホッとし、風邪気味だけど、熱は下がったようだからと、少しだけ母に声をかけてICUをあとにしました。

病院から最寄りの駅へ向かう途中で携帯に電話が。
バイトの子からです。なんだろう?嫌な予感がしました。
とりあえず、バスの中なので、メッセージを送ると、主人が体調不良を訴え救急車を呼んだとのこと。

何が?
心臓?
それとも倒れたの???

メッセージできくとどうも心臓らしい。
主人からも「ごめん、体調悪い」とメッセージが入りました。

バスを降りてとりあえずバイトの子に電話。
意識はある様子。もう一人パートに入ってくれているママ友の方が対応して下さっていました。
とりあえず、学生のバイトではなく大人がついているので、救急隊がきたら私の携帯を伝えてほしいと言い、
私は主人のかかりつけにしている病院の内科の先生へ連絡。
休診日でしたが、携帯に出てくださり、主人の心臓の担当医が杏林大の先生なので、そこへ救急搬送してもらったほうがよいのか確認。
杏林までは遠いので、おそらく近くならここかここに行くと思いますと言われ、またあとで連絡することに。
とにかくそこからお店までは電車で30分はかかるところ。
救急車が行く病院によっては途中の駅からタクシーで行くほうが早いので、病院がどこなのかと救急隊の回答を待つけどなかなか決まらず。
ギリギリのところで決まって、検索をし、近くの駅からタクシーを飛ばしました。

救急車がついてほどなくして私がついたようで、救急車にはママ友の方が乗ってくれていたので、
待合室で会い、荷物を受け取り・・・・。
ママ友のお家にもワンちゃんがいるので、帰るのが遅いと心配しているだろうと思い、お礼を言って家に戻っていただき・・・。

私は主人がどうなっているのか全く分からず・・・。

でも、途中で検査に向かう主人をみつけ、意識があることは確認。。。
顔色も悪くないし、看護師さんと話もできる様子。

検査を受けている間に、救急外来の先生に呼ばれ、飲んでる薬について説明。

その後、処置室に戻った主人とやっと会うことが出来ました。
先生からは、現状は問題あるところはないですとのことで、あとは今検査した内容があがってきたら・・・と言われました。

主人に心配させまいと、どんな感じだったのかを聞き、今、落ち着いている様子から、一過性のものだったのかなと話しながら、問題なく動いているバイタルの数値を見ていました。

レントゲンも血液検査も結果は異常なく、先生からは帰宅して大丈夫との診断をいただきました。
もちろん、何かあったらすぐに来てくださいとも言っていただき、お薬のことなどもいろいろとお話しいただきました。

帰宅したとはいえ、まだ本調子でないのは当たり前で、元気のない主人はそのまま寝室へ。
とにかく心臓の主治医の先生に診ていただくのが木曜日だったので、そこまで仕事を休み、診察していただきました。

結果は心臓には問題はないとのこと。
でもそれじゃなんで???となります。
主治医からは、心因的なものでは?との話がありました。
主人は、春に増やした飲んでいる薬の副作用も考えていたので、まずはその増やした薬をやめてみました。

本人は心臓に疾患があるので、ちょっとでも心臓がおかしい気がすると、そのまま心臓が止まってしまうのではないかと不安に思ったりするようで、実際に心拍があがったり下がったりの変化もあり、不安になることはわかります。
でも、心臓に関しては悪化は見られないことから、心臓のドキドキ感は心因的では?と言われたことで、今度は精神的に弱いのでは?とそっちを気にし始め・・・。

そうなると私もどう声をかけてよいのかわからず、なんとか心療内科へ行ってもらうよう話をし、行くだけでもと予約を入れました。

心療内科の先生はかかりつけ医の先生のお知り合いで、とても話をよく聞いて下さる先生です。
私も父や義理の両親の介護のことなどが一度にたまった時に、疲れすぎてしまい、そこをご紹介いただき診ていただいたことがありました。
話を聞いてもらうだけでもホッとするし、かかりつけ医とも通じているので、何かあれば情報も共有できることから行かせました。
話を聞いてもらった主人は落ち着いたようで、お薬も一応出ましたが、薬に頼る感じではなく、気分的なものだったように思います。

主人のそんなことがある間に、母は2週間の大きな合併症が発生する時期を乗り越え、一般病棟へ移りました。
元々持っている気管支の疾患がもとで熱があるため、肺炎気味ですが、熱が低ければずいぶん起きている時間も増え、話そうとしている様子も増えました。

でも、現実的に梗塞の起きている部分はあるので、前のような会話やましてや家に戻れるようなことはおそらく無理です。

毎日母のところへ行き、ホンの一欠けらの回復を見ては喜び、でも翌日にはまた戻っていることに凹みと繰り返しています。

母は、私の名前を言ってくれません。
「言ってみたら?」「看護師さんに私の名前教えてくれた?」など言ってみていますが、言いません。
「言いたくないの?」と聞くとうなずきます。

母の目線からは手術が失敗したんじゃないか?という疑いの目線、または、本当は違う手術をするのに、いかにも簡単に説明して嘘を言ったんじゃないか?という疑いの目線を感じるのです。
主人はそんなことないよと言いますが、それこそ親子ゆえに感じる目線なのです。

何度もウソ偽りなく、今回の手術についても一応説明していますが、おそらく母の脳の状態では内容は理解しきれず、それゆえ疑念があるのではないかと思うのです。

その、疑う目線と娘の私を信頼できないと思うような目線は日々通うからこそ分かる視線です。
もちろん、いつもその目線だけではなく、会話にうなずくこともありますが、フッとしたときにその視線があるのです。
だから、私の名前を言わないのではないかと・・・。

助かった命。
でも、母はどう思っているのだろうと。
私だったら・・・
自分の思うように動かない体を知ったら、生きていたくないと思うのではないかと・・・。

そんなことを考えられることも出来ないくらい、母の意識レベルが低いのであれば、それはそれでまた救いでもあります。


先週の11月21日くらいから、急に言葉をしゃべろうとするようになりました。

うわごとのように、小さな声で何か言っているのですが、囁くような声なのと、おそらくろれつもきちんとしていないので、聞き取れないことがほとんどです。

それでも、フッとしたときにとてもまっとうな言葉を言ったりするので、意識がしっかりとしてきたのだろうか??と思うと、帰り際にバイバイと言っても知らんぷりになったり・・・。

今はそんなことの繰り返しです。

明後日の月曜日に、主治医の先生とお話があります。

今後のことをお話しすることになります。

リハビリの病院へ移れるくらいだったらそれは最上級の回復。

でも、それが難しい場合、口からご飯を食べることもおそらく出来ないままになるのかと思います。

なんて言われるのか・・・。


やっぱり親ですから、思う気持ちは特別です。特に母親ですし。。。

でも、時間も限られ、私の体は一つなわけで、例えばお手伝いさんを雇って住み込みさせられるような余力だってないわけで。。。

毎日、朝起きて、ワンズのお世話をし、日によっては点滴をし、その後仕事へ行って、夕方には1時間かけて病院へ。
母の状態を確認し会話の時間を1時間くらいとってから、また1時間かけて戻ってきてワンズの世話をして仕事。
もちろん、アルバイトの子にお店を任せているときもあるので、今日も夜は時間があるけれど、当然、買い物に行かなくてはならないこともあるし、諸々手続きの記入やら調整やらもたくさん。
母のことを心配して下さる方へは病院の行き帰りに唯一メールやお電話が出来るだけ。
息つく間が無いほどのスケジュールです。

そんな折、長年パートでお店のお手伝いしてくれていた方が辞めることになり・・・。やはりそこへフォローも必要となり、、、
体がいくつあっても足りず、一日が24時間でも足りず、考える脳の余力も足りず。。。
十数年やっている学年の同窓会の幹事も今回はおりました。
ちょうど30年の節目だったので、やっと連絡がついた子もいたし、とにかく同窓会は裏方がたくさんいないととても大変なことなので、私がおりれば、残る人に負担になることはわかっていたのですが、ちょっととても無理と思い、同窓会も欠席しました。

こんなにも色んなことが起きる一年ってあるんだろうか?と思うこの頃です。

 

でも、

もちろん、やることや考えることの多さに、押しつぶされそうになるけれど、それでも、どうしたって変わるものではないので、目の前のことから一つ一つポジティブに考えていこうと思っていました。

 

そんな時、フッと目にしたテレビで永六輔さんの言葉このような言葉が取り上げられていました。

『文句を言ってても一日。ニコニコしていても一日。だったら人あたりのいい一日のほうがいいんじゃないかい?』

 

そう、私もそう思います。人あたりのいい・・・ということは、私はできないかもしれないけど、同じ一日ならイライラしていたり、ムカムカしているより、楽しい気持ちでいたいし、笑顔になることがあるほうがいいなぁと思うのです。



実は、今日、母の病院へ行くバスを待っているときに、幼稚園生くらいの女の子を連れたお母さんが列に並ぼうとしました。
女の子が「いちばんがいい」とお母さんに言うので、どういうことなんだろう?と思っていたら、お母さんは「じゃ、一番に並ばせてもらいなさい♪」と言いました。

並んでいたのは私を含め3人。
その前に女の子は並びました。
まぁ、一番がいいってことなのね・・・とは思いつつ、まさか一番にバスに乗らせようとはしないよね?と。。。。

そこにバスが来ました。
乗り口が、並んでいる先頭より、少し後ろに下がったあたりになったので、先頭の女の子はちょっと立っていましたが、一番に並んでいた女性の方が乗り口に進むと、その女の子はあたり前のように私や私の前にいた高齢の方より先にバスに乗り込もうとしました。
それも、一人では上手に乗れないほどの背丈。
床に手をついてです。
その乗り口のすぐ前あたりに、私もそしてその女の子のお母さんもいましたが、まさかのお母さん・・・何にも言わなかったんです。
いつ「〇〇ちゃん、だめよ、順番よ!」と言うのか、または引き留めに入るのかと思いきや、そのまま・・・。

思わず後ろにいたその若いお母さんに「ちょっと、お嬢さんの順番は間違ってませんか?待っている人いるんですよ」と優しくでもキッパリと言いました。
その若いお母さんはバツが悪そうにすみませんとは言いましたが、ちょっとビックリしてしまいました。確かにバスは始発なので、座れなくなることはありません。でも、そういう問題ではないと思うんです。
順番で乗ることももちろんですが、いくら一番が好きとはいえ、『順番に待つ』ということは、小さな子供でもとても大切なことです。
こんなことを許してしまうお母さんでは、そのお子さんが今後恥をかくことになってしまうのに・・・と思いました。

人に注意をすることは、たとえ相手が間違っていることでも気持ちの良いものではありません。
でも、私の声が他の並んでいる人にどこまで聞こえていたかわかりませんが、間違ったことを言ったとは思わないので、ほかの方の心を代弁したかな?と思い、また、そのお母さんはきっと今までは子供という存在で許されてきたであろう物事について、常識として「そうよね」と思ってきっと今後はこういった間違った行動をしないと思えば、言わないで悶々としているより良かったのかな?と思いました。

とはいえ・・・

何となくモヤっとした気持ちで帰ってきた私。
玄関を開けると、
「ワンワンワン〜♪♪」
この声を聞くだけで、ニッコリとしてしまいました。

どれほど、私の心がこの子たちで救われているか・・・。
パパもタクミもきっと同じ。
笑顔になれること・・・。それを自然にさせてくれる環境にいることに感謝です。

今はグーグー寝ています。
もう少ししたらパパの帰宅。
そしたら、琉那の活性炭サプリの時間で美らも一緒にヨーグルトの時間。

この子たちに感謝。
そして、この子たちとの出会いをくれたクリンにもクリンに出会わせてくれたパイスにも感謝。
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先週の14日の金曜日、母が緊急入院し手術を行いました。

今、ほぼ意識は戻っていない状況です。


今年83歳になる母は、3年前に父が他界した後も一人で生活をし、どこに行くにもタクシーも使わず、電車やバスで都内はもちろん、2時間以上かかるような場所へも出かけている人間でした。

ただ、2012年に脳動脈瘤が見つかっており、経過を見ていましたが、大きさがだんだん大きくなってきているので、
2年ほど前には担当かかりつけの脳外科医から私を含めての話があり、今後のついて話をしていました。

母は牧師の仕事をしています。
教会に属しての専任ではありませんが、まだ専任の牧師先生がお休みをとるときに代わりに日曜日の説教をしたりもしていましたし、講演の依頼をいただくこともありました。また知人より冠婚葬祭も頼まれることはありましたので、まだまだ現役でした。
それゆえ、脳動脈瘤が見つかり、大きくなってきたときに手術を…との提案に、母が真っ先に気にしたのは『牧師として話をすることが出来なくなること』でした。
80歳を過ぎていましたから、そこでの脳を開けての手術は大きなリスクを伴います。
しゃべれなくなってしまうことが何より母は嫌だと思っていたので、現状として生活に不都合が出ることもなかったため、脳動脈瘤はそのまま温存することを選択しました。
それは、逆言えばいつか母がどこかで倒れてしまうとか、自宅で一人でいるときに倒れて、数日たって発見されるなんていうことも考えられることでしたが、母は「症状がないのであれば手術はしない、もし倒れた時はそれは神様が与えた時だ」と言っていました。

かかりつけ医からはもし頭がとても痛くなったり、気分が悪くなった時には救急車を呼ぶようにと言われていました。

先週の11日火曜の夜、母は夜ご飯の調理中に今までにない強い痛みを感じたそうです。
座り込むほどだったようですが、痛みはしばらくすると落ち着き、それでも気持ち悪いような感じと、生あくびが何度も出るのでおかしいと思ったそうです。
でも、しばらくするとそれらも落ち着き、何となくおかしい感じはあっても、家事は出来たので、そのまま休んだそうです。
翌日12日、母はやはり前夜のことが気になり、一人でかかりつけの病院へ行きました。
いつも診てくださっている担当の脳外科医の先生は休診だったため、他の女医の脳外科医が診察しました。
MRを撮った結果で私の携帯に病院から電話がかかってきました。
電話は最初看護師が出ましたが、その後母に代わり、女医さんから娘さんに話があるから来てほしいとのことを言われたと言われました。
電話の話では、脳動脈瘤のことではないようでしたが、何かあったのだと、お急ぎで1時間ほどかかる病院までいきました。
女医の先生から話があったのは『慢性硬膜下血腫』との診断でした。
「8月にMRを撮ったときには見られていないので、おそらくそのあとにどこかで頭をぶつけてはいませんか?」と聞かれました。
母は、頭についてはとても気にしているので、ぶつけた記憶はない、と言いましたが、女医さんからは「この慢性硬膜下血腫はぶつけたこともわからないくらいの軽い打撲でもなってしまうので、覚えていらっしゃらないのでしょう」とのことを言われました。本人が覚えていないくらいの打撲でなってしまうのであれば、わかるわけないなぁと話を聞き、「この硬膜下血腫は脳動脈瘤とは関係ないですか?」ということも聞きましたが、「まずかんけいありません」との答えでした。また、「打撲以外で慢性硬膜下血腫になることはないのでしょうか?」とも聞きましたが「打撲などぶつけること以外でこのような状況になることはまずあり得ないです」との説明でした。
幸い、脳を圧迫していないとのことだったので「これなら血腫をなくしていく漢方があるので、それでよくなると思いますよ」と言われました。
もともと金曜に脳神経外科の担当医での予約が入っていたので、女医さんからは「金曜日にまたお母様と一緒にいらしていただき、先生から今後のことについてもお話を伺ってくださいね」と言われ、母と一緒に薬局へ行き、薬をいただいて帰りました。
私は夜も仕事があったので、母が住んでいる駅で母と別れ、帰ってきました。

私の中では、脳動脈瘤以外に、また脳に関しての疾患が増えてしまったなぁと思っていました。

そして、金曜日。
診察の予約は11時だったので、10時半過ぎに待合室で母と待ち合わせていました。
待合室で会った母は右目の瞼が開いていず閉じたまま。
「どうしたの?」と聞くと「昨日から開かなくなってきちゃったのよ」と。
熱も38度5分くらいまであるようだと言っていました。
でも、母は待合室で順番を待ちながら、自宅に送られてきた先月遊びに来てくれたご家族の写真を見せてくれたり、他愛のない話をしていました。
診察室に呼ばれ、母の眼の様子を診た担当医はいつもと表情が違っていました。
そして私に「これから本院(手術のできる病院)へ救急車で行ってもらい、おそらくそのまま入院になるから。手術になると思う」と言いました。
瞼が開かなくなっていることは、脳動脈瘤が大きくなって動眼神経を圧迫していることは私でも想定できました。
母は、動脈瘤との関係はないだろうと思っていた(信じたかった)と言っていましたが、あれよあれよと救急車が到着し、そのまま本院へ移動となりました。
移動する前も母は念のためということで横になったのですが、「え〜?横にならなきゃならないの?大丈夫なのに・・・」と話すほど。
本院につき、救急の脳外科の先生か診てくださいました。
幸いにも2012年の最初の時に脳動脈瘤を診断とした先生だったようです。

MRを見る限り、脳動脈瘤はかなり大きくなっており、MR上ではその動脈瘤からとても大切な血管である後交通動脈も出ているようなので、詳しく検査をしたいとのこと。カテーテルでの造影剤を使って術前検査をしました。
母とはその間話すこともできず。。。
検査をするので、あっという間に私の手元には母が着ていた服や靴が渡されました。
検査の結果、やはり後交通動脈は動脈瘤から出ているけれど、思っていたほど最悪の場所ではないとのこと。
この動脈を残しての手術をお願いすることにしました。
手術にはいくつかの方法がありましたが、回頭しての手術は他の脳を触ることでリスクはあるけれど、おそらく瞼が閉じてしまっていることは回復の可能性が高いと言われました。
カテーテルでの手術を選ぶと、瞼が開くことは非常に難しいと・・・。
本来は、手術を受ける本人には、血圧が上がってしまって動脈瘤が破裂してしまう可能性もあるので、手術の詳しいことは話さないそうなのですが、ずっと手術しないことを選択していた母だったので、
私だけで決めることは出来ず、母にどの手術にするか、または手術をせずに最悪の事態が起こることも受け入れるかを話しました。
私は、本来なら、どこかで動脈瘤が破裂して意識がなくなって・・・ということが想定することだったのが、たまたま瞼が開かないという症状が見つかったことで、破裂する前にこうやって検査もでき、手術できる環境にいられることは、神様が与えてくださったことだろうと思い、母にもそう話しました。
母はやはり牧師として仕事をするには目が開いているほうがいいと言って、「それなら回頭手術をするしかないわね・・・」と半ばあきらめモードと私におされる形で心を決めました。
お医者様としては10分も無駄にできないとのことで、すぐに手術の準備が始まりました。

母が手術をすると決めて、30分後くらいにはもぉ手術室へ行くという状況になり、ベッドのまま手術室へ向かう母に「頑張ってね」と言うと「頑張るけど、ちゃんとお祈りしていてね」と言われ、そのままバイバイと手を振って別れました。

それが母と話せた最後になりました。

手術は大変な手術になるということを聞かされていました。
7時間ぐらいかかるかもしれないとも言われていましたが、5時間ちょっとで手術は終わりました。
そして術後のお話を先生から聞きました。

回頭したところ、すでのクモ膜下出血が起きていたそうです。
それも術前とかではなく、数日前に起きたようで、その破裂したところにかさぶたが出来、周りの組織と癒着もしていたそうです。
つまり、、、11日の夜に母が強い頭痛を感じた時におそらくクモ膜下出血を起こしていたのだということでした。
でも12日の診断は慢性硬膜下血腫。でもそれは急性硬膜下血腫であり、原因は動脈瘤が破裂したことでその血液がクモ膜下ではなく硬膜下へ流れ出ていたというとてもレアなケースだったとのことです。
この時になっては、もうタラレバですが、水曜日に女医さんに診てもらっていた時にもう一歩検査をし、クモ膜下出血となって手術をしていれば、癒着などは起こっていなかっただろうとのことでした。
難しいケースではあるけれど、結果的には誤診と言えば誤診ともなります。

状況として、クモ膜下出血となったため、手術は生命が優先されました。
麻痺など後遺症を残さないでほしいとのことで術前に話していた太い血管の後交通動脈も残そうとして下さったそうですが、残そうとすると結局また出血が別の場所から起こってしまい、その血管も含めて動脈瘤をクリップで留めるしかなかったとのことでした。

それゆえに、おそらく間違いなく麻痺は残ってしまうとの話でした。

思ってもいない手術の内容に驚きもしましたが、命が助かったことと、麻痺も父が脳梗塞で右半身に麻痺がありながらも生活することは出来ていたので、リハビリしながらどんどん良くなっていくものだろうと思っていました。

でも、その2日後の検査で、術後に動きのあった左手の麻痺は進んでほぼ動かない状態であること、
また意識をつかさどる脳の部分が手術自体の影響で脳梗塞を起こしていることがわかり、それによって意識障害が起きていることを説明受けました。
脳梗塞が起きているということは、その部分の脳の働きはゼロではありませんが、まず働きの回復は見込めません。
まして意識の部分となると、たとえ言語の部分の脳が問題なくとも話もできませんし、リハビリも自ら自発的に動かすことが出来ません。

先生からは「まだまだ、この状態から復帰した人もいますからわかりませんし、可能性はまだまだありますが、現状では寝たきりになる可能性が高いです。」と言われました。

その時は主人も一緒に話を聞いていましたが、私はメモを取っていたペンを投げつけるか折ってしまいそうな、一気に早くなった心臓の動きに、落ち着け、落ち着け、と冷静でいようと思うことが精いっぱいでした。

術後2週間がヤマと言われるのがクモ膜下出血なのだそうで、そこまではICUで管理されます。
先生からの説明を診察室で受け、廊下へ出てきた私は発狂したくなる気持ちを自分の両手で髪の毛をわしづかみにしてこらえるのがギリギリでした。出た言葉は「何で・・・」でした。

何で??
元気な様子で話もできていた母が、もぉ話せない?意識も戻らない?
それなら手術をしたことは間違いだったの??と・・・。

今もまだ、さまざまなことを受け入れきれない自分がいます。
それでも、現実を受け入れていかなくてはならず、昨日も術後1週間後のお話を先生からいただきました。

母は手術室に入る直前まで、美らと琉那のことを一番心配していました。
夕方に近かったので、手術になったらワンズの「晩ごはんは大丈夫なの?一度帰ったら?」とか
「点滴は今日はいいの?薬もあるでしょ?」と・・・。
看護師さんは母の家にいる犬の話かと思ったのに、私の家にいるワンズの心配だったので「ワンちゃんのこと大好きなんですね」と言っていたことを思い出します。

美らは我が家では『治癒ワンコ』と言われています。
体調の悪い人に寄り添ってくれる子です。
わらにもすがる思いで、ワンズの写真を印刷し、病院のベッドに貼らせてもらいました。

母は無理やり目を開けさせたりすると、少しの間目を開けることが出来るようになり、何か話そうともしますが聞き取れません。
何となく「おはよう」とか「ありがとう」と言っているような感じとしか聞き取れていませんが、こちらの言うことはぼんやり理解できているようです。

19日はパパと琉那の誕生日でした。
20日に「昨日は琉那の誕生日だったよ。琉那は14歳になったよ」と言ったら、何か言いたそうにしていました。
私との会話の中では、やはりワンズのことが一番のようです。
大きな進歩はありませんが、今は見守るしかない状況です。

私は一人っ子なので、父もいないですし、母のことは私がすべてやるしかありません。
正直なところ、精神的にいっぱいいっぱいです。
でもそれを誰より癒してくれるのは美らと琉那の存在です。
この子たちがどれほど癒してくれているか・・・。

母が最後まで気にしていた美らと琉那。
だから、美らと琉那のケアも私はしっかりやらなくてはなりません。
それが母の望みでもあると思います。

今、母自身もぼんやりした意識の中で、「どうしてこんなことになってしまったの?こんな風になるなら手術しなきゃよかったのに」と思っていると思います。
そして母の思いの中にはきっとマリアの手術をしたときに、そのままマリアが旅立ってしまったことも思い出されていると思います。
手術前にはちゃんと立って母を見つめていたマリア。手術が終わったらまた抱っこできるからと、ケージの柵越しに会って「手術頑張るのよ」と言ったのが最期になってしまったマリア。
同じようになってしまったじゃない。。。と思ってもいると思います。
そんな風に母が思っていることが、私としてはとても辛いです。
それこそ、完全に昏睡状態であれば、左半身が動かないことを気が付くこともないかもしれないのですが、ぼんやりある意識の中では、左側が動かないことに気が付いていると思いますし、私も状況は耳元で話したので理解しているかもしれません。

なぜ、母に手術を受けさせたのだろう?受けたことは母にとって幸せなのだろうか?
そんなことも考えます。
そして、もしどこかで倒れて…の上での手術だったら、私も母も想定していたので手術をして後遺症がこうやって残ることも納得できるのにと。
母も倒れる寸前に「あぁもしかしたらこのまま死んでしまうかもしれない」と一瞬でも思う時間があって納得できたのに・・・と。

でも、今日になってやっと少し違う考えが出ました。
もしかしたら、11日の火曜の夜に母はそのまま倒れて、気が付くこともなくいたかもしれないと。
それを、その病状のことで水曜日にも母と会って話すことが出来、さらに金曜日にもまた話す時間があったのは、覚悟していたとはいえ、いきなり動かなくなった母を私が見つけるようなことがないようにと、神様が導いて下さったことかもしれないと思う気持ちが出ました。

少なくとも、手術ということ自体はリスクが伴います。
全てが成功して結果がよいということばかりではないと了承していても、そんな万が一は無いだろうと思うのが普通なのだと思います。
だから、母も成功することを信じていたとしても、手術室に入るときに万が一ということも心のどこかで持っていたのでは?と思うのです。

でも、これは私が自分の気持ちを少しでも楽に考えられるようにするために生み出した考え。

現実は、もぉ動くこともできず、大好きな料理をすることもできず、どこかに美味しい食べ物を食べに出かけることも出来なくなってしまった母です。

今度の金曜日までは2週間のヤマの中でもよりリスクの高いヤマとのこと。
それさえ乗り切ってくれると、意識の覚醒ももっと積極的にやっていくことが出来るのだそうです。

母の病院までは自宅から約1時間。
面会時間も限られていますが、この後の1週間は仕事はどうにかみんながサポートしてくれて、面会時間には行くことが出来るようになっています。

あとは、83歳ではありながら、そのバイタリティは60歳くらいと思えるほどに活動的だったので、そのもともとの体力や気持ちにかけていくしかありません。

主人もとても支えてくれています。
感謝の気持ちです。

でも、主人も心臓の疾患を抱えていて、決して健康ではありません。
母の経過は報告しますが、私は精神面で主人に甘えることはできない、というか心配をかけたくないので、「辛い」とか「疲れた」とかは言わないようにいるつもりです。

そう、私はそういう意味では一人です。

でも私や母を心配してくれて連絡をしてくれる人もたくさんいます。
元々、私とのつながりはそれほどなかった人でも、母の人望もあってか、母のことをお祈りしてくれて、私のことも心配してくれます。
なんでもいってこい!と言ってくれた友達もいました。
話を聞いてくれたり相談に乗ってくれる人がいるだけでも幸せなのだとは思います。

でも、もっともっと現実的なこと・・・お金のことや実家の管理のこと、保険のことや税金など公的なことについては、母が自立して行って管理していたので、ほぼわからず、それらを考えると気が遠くなりそうです。
でもやらないわけにいかない・・・。 
そんなことを考えている時、トコトコとやってくる美ら。
ずっと私の顔を見つめている琉那。
この子たちをなでることで、私の気持ちは本当に落ちつきます。

感謝してもしきれない気持ちです。
もちろん、クリンにも話をして助けてもらっています。

神様は乗り越えられない試練は与えない…と言います。
だから、今の状態も乗り越えられると。
そしてきっと意味があることなのだと・・・。

頑張りすぎるなと言われても・・・・
頑張らないわけにいかない・・・

きっと、いつか・・・
明かりが見える時が来ると信じて。


美ら、琉那のその後と、我が家の近況

気が付けばもぉ9月。
めまぐるしい日々が過ぎています。
仕事で時間がとられることもあるけれど、お誘いを受けた木管のアンサンブル、
ご縁あってご依頼受けた中学校の吹奏楽フルートさんへの指導、
母校の野球部の吹奏楽応援や9月末の演奏会の練習など、楽器を吹くことでの忙しさもあり、
それはそれでひとつ息抜きになるので、拘束される時間はあっても、日々の活力となります。

美らと琉那ですが、夏の始まる前にステロイドで咳はほぼ消えていました。
美らの股関節脱臼は週に何度も外れては病院で整復してもらうということを繰り返し、
頻発していたので、今後の美らのQOLのためにも手術するかを相談するため、
足のことではお世話になっている、整形外科の専門の先生の所へ。
レントゲンを確認し、手術はしなくてもよいのでは?との判断もありながら、手術することも想定して説明を受けました。
美らはかつてリウマチ因子が陽性だったこともあり、先生が念のためにと血液検査をして下さったところ、
まさかの尿素窒素が90越え・・・。腎臓の疾患ありです。
この数値では、とてもでないけれど手術は厳しい・・・とお話しいただきました。
足は。。。たとえ三本足だとしても生きていける、命に影響があることではない・・・という判断ということです。
血液検査も定期的にやっていたのにと、信じられず、かかりつけ医にも相談しようと思っていたらまた脱臼・・・。
ところが病院へ向かう間に自然に整復・・・。
血液検査の結果だけみていただき、やはり手術は厳しいとの判断でした。

美らの股関節脱臼は、3日に一度くらいの割合で起こって、その度に病院へ連れて行き整復してもらっていました。(もちろん麻酔無しです)
手術できないとなれば、この脱臼が整復しても帰り道には脱臼するようになってしまうまでは、歩いたりするためにも、整復をお願いしようと思っていました。
腎臓の数値はやはり悪く、琉那と同じく、点滴をすることになりました。
それをわかってか??またはサプリメントが効いたのか、ほどなくしてから股関節の脱臼は見られなくなりました。

腎臓の数値も50台になり、安定してきたところ、減薬してきていたステロイドの副作用なのか、
今度は抜け毛と油脂分のフケがひどくなり・・・。
調べていただいたところ、やはりステロイドの影響で増えてしまうニキビダニが活発に動き、マラセチアもあるとのこと。薬用シャンプーでの治療が始まりました。

IMG_6420いつもの美らは、こんな感じなのに。。

(お鼻にちょっと仕込みを付けててパパを笑わせる準備完了のお顔)









IMG_6515こんな状態に。
このあと、もっと毛が抜けてしまい、先生も心配くださって甲状腺ホルモン検査もして下さいました。
結果はグレーゾーン。
このあと毛が生えてくるか??をみて治療をどうするか考えます。


皮膚と毛がこんな状態になったので、もちろんステロイドは終了。
お咳も出てなかったので、大丈夫!と・・・。
ところがステロイドを切ったら、最近また咳が出始めました。
あまりにひどくなると、また肺炎になってしまうのでステロイドを使わないわけにいきません。


IMG_6524琉那は、腎臓は相変わらずですが、右の後ろ足の脱臼(もともとパテラのグレードは3くらいでした)が内側に外れたままになっている感じで、ちょっとかばいながら布団の上を歩いたりする様子が見られました。
それでも後ろ足で立ったりもするので、痛みはないのだと思います。
診察の結果は、やはり外れているけれど、もちろん手術もできないし・・とのこと。
琉那は美らより食べていないのに、体重が重く、それが原因で足が悪くなってしまったのかとお聞きしたのですが、肥満でもないし、琉那の場合、腎臓が悪く今後食べられなくなってくる可能性があるので、これくらいの体系のほうがよいのでは?とお話しいただきました。
IMG_6528琉那は本当に不思議な子で、犬らしい喜怒哀楽がほとんどありません。
そして女の人が苦手・・・。
呼んでも来る時と来ない時があって、まるで猫みたいに気分でスリスリしてきます。
最近は、耳も遠くなり、前のクリンにもみられていたように、私たちが家に帰ってきても気が付かずに寝ていることも・・・。
ぽんやり〜としているので、慢性的に出ている咳も苦しそうに見えないのです。

そんな表現方法があまりない琉那でしたが、先日遠出した先でトウモロコシを買ってきてネットの袋のまま台所の柵のあたりに置いておいたら、柵越しにクンクン!
美らは全く興味なし。。。
生でもいただくことのできるトウモロコシ。
よほど良いにおいがしたようです。
レンジで皮ごとチンして、実を取って包丁で細かくしてあげたところ大喜びでした。

やっぱり採れたてのお野菜は美味しいよね。
琉那はスロージューサーでのリンゴジュースも好き(美らはなぜかスロージューサーのジュースは苦手)
自然派な琉那です。

昨年は主人が心臓を患い、この病気とはカテーテル手術をしたとしてもお付き合いしていかないといけないようで、主人も自分で無理しすぎないように・・・とだいぶ気にかけて生活するようになりました。
一時は良くなったから「もぉ大丈夫!」と言って、控えていたお酒の量が少しずつ少しずつ増えていったりもしていましたが、今年の春の終わりごろに、仕事の忙しさからか、体調に不安を感じ、仕事も無理しないようにペースを落としたり、お酒も控えるようになりました。
ただ仕事柄、懐かしいアルバイトの子などが夏休みだからと、わざわざ顔を出しに来てくれたりすると、お付き合いとしてのアルコールが必要となってしまいます。
自分で、「今、心臓を患っているから、コップ2杯までね」等が言えればよいのですが、そこはオトコとしての面子もあるのか注がれるビールを断れません。
私が横で「もぉやめておいたほうがいいよ」と言っても「大丈夫、大丈夫!」と言い、結局翌日体が重い。。。となります。
断りにくい主人の気持ちもわかるので・・・、私がそばにいて「今日はお酒は無しね」と言えるのがいいんですけど・・・。
そこは一緒に働いている者同士なので、フォローするしかありません。

私はこの夏に自宅階段で滑り落ちてしまいました。
何度かやっているのですが、いつもは尻もちつくところが、今回は体が斜めだったのか、お尻が付く前に左腰部から階段のヘリに着地したらしく、強打してしまいました。
寝る前だったのですが、歩けたから大丈夫と思ったものの、翌朝ワンズのご飯をあげてから痛みが増してこれは仕事はできない。。。とお店は休業して病院へ。
運悪くお盆休みで、いつも行く整形外科はお休み。。。近場の整形外科もお休み。。。
救急ダイヤルに電話をし、病院を紹介してもらいました。
ここでも、お盆休みなので診察はしているけれど先生は代理の先生。。。
そのため、かえって病院は空いていました。
レントゲンを撮ったところ、異常はないとのことでしたが「ぶつけてから時間がたってないから、もしかしたらヒビとか入っていると、これからみられるようになるので、痛みが強くなるようだったらまた来てください」といわれました。
内出血もそんなにないし、まだ動けたのですが・・・
次の日にはぶつけたところの内出血は10兒擁くらいに濃くなっていました。
痛みは増し、トイレも着替えも四苦八苦。。。
ベッドのほうが立ち上がりやすいだろうと、2階の寝室で休んでいたのですが、階段を上がるのにも腕の力だけであがる状態。。。
翌朝には階段から下りようとしても激痛が走ってしまい、うめきながら時間をかけてやっと下りてきました。
こんな状態の私なので、主人はお店も開けられず、再度病院へ。。。
今回はちょうど2日前の診察のとき対応くださった看護師さんがベテラン先生についていてくださり、
2日前はもぉちょっとサクサク動けていた私との明らかな違いに驚いて
車いすを用意してくださいました。そして内臓の検査も・・・とのことでCT検査。人生初の車いすとCT・・・。

結果は骨にも腎臓にも異常はありませんでした。ただ、打撲といっても筋肉を損傷しているのと
落ちた時に腰自体を痛めているようで、痛みはまだしばらく残るとのことでした。
骨折などないのであれば。。。と「とにかく一番よく効く痛み止めを下さい、湿布もたくさん貼るのでもぉ少し下さい!」とお願いして、強めのお薬をいただきました。

そう、私は寝込んでられないんです・・・。
人間の食事は主人が作ってくれますが、美らは薬浴をさせなくてはなりません。ただの薬浴なら主人でも出来るかも?なのですが、美らは股関節を脱臼していることもあり、獣医さんからも「お風呂、気を付けてくださいね〜」と言われているので、主人は「無理」と。。。そして美らも琉那も点滴が必要。
点滴の用意も針を刺すのも、主人は出来るわけなく・・・
主人に「私がもし骨折で入院だったらどうするの?」と聞いたら「病院で全部やってもらう」と言っていました。

薬が効いたのか、翌日には痛みもかなりひきました。
半月が過ぎましたが、まだ前のように自由に動いたり、重いものを持ったりが出来ません。
もぉしばらく、この怪我とおつきあいです。


この夏は、我が家のワンズにとっては昔からのお付き合いのあった世代の子たちが、お空へずいぶん引っ越してしまいました。
シニアの年代になれば、いつ何が起きるかわからないことだけれど、たとえ覚悟しているつもりでも、喪ってしまう寂しさは、胸の中から心を引き抜かれてしまうようだと思います。
まして、ケアを日々しながら、レントゲンも、エコーもと、健康診断もしっかりしていたのに、元気な様子での健康診断で悪性腫瘍が見つかり余命いくばくと言われてしまうことや、突然の体調の変化での旅立ちは、本当にお辛いと思います。
かける言葉がみつからないです。

でも・・・・
看取るまでが私たち人間の使命。
どんなに辛くても、それを乗り越えることが、この私たちを心からたよっている小さな命を迎えるときに神様のよって結ばれた『契り』なのだと思います。
そぉは思っていても・・・
気が変になってしまいそうです。

推定1歳半で迎えた美らも年明けには12歳です。
5歳で迎えた琉那は間もなく14歳になります。
すっかりシニアさんの年齢。。。。
でも、私たち家族にとってはいつまでも小さなお子ちゃま。
美らも琉那も食欲はあるし元気そうなので、シニアとは思えないけれど、
本当はそれなりの年齢なのよね。

息子は大学2年に。。。
前期のテストもなんとかクリア。でも検定がまだ取れず、このままだと来年度教職課程を履修できないことに。。。
でも、良い仲間に恵まれて、部活も硬式野球を続けて頑張っています。
車の免許もとったので、ワンズを病院へ一緒に連れて行ってくれたり・・・。
免許は役に立ったけど、車を岩にこすって3年目の新車がサヨウナラ・・・。
相手が岩で保険も下りず、修理代がバカ高くなるので、仕方なく買い換えました。
本人の怪我もなく、また相手もいないことで良し!としようと思いましたが、仕事上、車がないわけにはいかず、
車を見ることもなく、最短で納車できる車を・・・と、購入。。。
早く社会人になって自分で車買ってください(泣)


私たち夫婦も病気や怪我でちょっと年齢を感じずにはいられない近頃。
ワンズと一緒に体に良いものをとりながら、健康でありたいと願います。

続き・・・美らの災難。気管支炎から肺炎へ。。。

咳が気になり撮影したところ、前回のレントゲンで異常はみられていなかったのに(股関節脱臼の際、お世話になった病院のレントゲンでも)、まさかの気管支炎・・・・。

そりゃ、咳も出るよ・・・・。
幸い、熱もないし、食欲もある・・・。
とにかく効くであろうと思われる抗生剤を出していただき、1週間様子を見ようとなりました。
ところがまたまた咳はひどくなる一方。
レントゲンは変わらず・・・。
先生から吸入(ネブライザー)をすすめられ、とりあえずそれで咳が軽くなるならと、毎日病院へ通いました。
でも・・・夜も寝られないほどの咳・・・。

かわいそうになり、先生へ症状をお伝えし、もう一度レントゲンを撮ると・・・左の肺上部が真っ白。
肺炎になっていました。
抗生剤・・・効かなかったのです。。。

さすがの進行の早さに先生も飲み薬での抗生剤2種、吸入での抗生剤1種を前の薬と入れ替え。
これ以上進行していけば、肺炎も命とりの病気。。。
何が原因の肺炎かがわからないので、抗生剤にしても抗菌剤にしてもおそらく・・・という範囲で使うしかありません。

ここで、私が不安になることが・・・・。
肺炎とわかったのがGW前の26日水曜日。
動物病院は翌日の木曜日と祝日はお休み。
つまりは…28日、29日が連休。。。そして当然、5月の3日4日5日も連休・・・・。
抗生剤はきちんと続けなくては意味がないし。
飲み薬はともかく、吸入(ネブライザー)で使っている抗生剤がもし美らの肺炎に効くものだったら、このGWの連休で合間に吸入をしても意味がないのでは???と。。。

吸入器については、毎日通っていたので購入を検討していました。

事前に吸入器を使われたことのあるラビペンさんにもお伺いしていましたが、吸入器もタイプはいろいろ。そしてお値段もいろいろ・・・。

獣医さんにも相談し、薬がきちんと気管支の中まで浸透できる粒子を保てる超音波式で購入することを決めました。

ネットでとにかく急いで探し、翌日の配達が可能なところとして吸入器.COMさんのこちらの吸入器http://item.rakuten.co.jp/kyunyuki/10000012/を購入。

美らは病院のアクリルかプラスチックかで作られているいわゆる酸素室には大人しく入って、そこで吸入をしているので、酸素室のレンタルを考えたのですが、そこで目に留まったのが株式会社ユニコムさんの酸素室http://www.unicom-co.jp/shop/products/view/193/category:34でした。

もともとは酸素室として販売されており、酸素自体のレンタルもされている会社ですが、とにかく明日の配達が可能か、配達が無理なら、取りに伺えないかを聞くためにお電話したところ、明日到着での発送が可能とのこと。


吸入器の購入に際しても、酸素室の購入に際してもどちらのショップの方にもとても快く対応をしていただきました。

病院へも吸入するための用意が整ったと連絡をし、お薬を用意していただきました。

翌日、諸々が宅配でとどき、吸入がスタート

BlogPaint吸入薬はこの5種。もともとシリンジでいただいたもの以外はすべて注射針を使って用意します。

 

 

IMG_5990写真右奥にあるのが吸入器。

酸素室にホースを入れていざスタートすると、やっぱり出たいとがりがり。。。

 

でも真っ白になってしまうと見えないからなのか、落ち着く時間も増えました。吸入時間は約30分。

初日は無事に終わったものの、吸入器のホースを下から入れるとあまりよくないことがわかり。。。

翌日は、上下を反転させてみました。

IMG_6028ご覧のようにチャックで開け閉めできます。

酸素吸入の時はきちんと酸素チューブがジョイントできるように穴とジョイントの部品が側面についているのですが、吸入器のホースはそこからというわけにはいかず、その穴はテープでふさぎ、また、本来空いてしまう一面(今は上部)にはビニールの袋を取り急ぎ取り付けて、テープで留めました。

IMG_6029完全密閉は酸素がいかなくなるのでほどほどの密閉です。

吸入の薬が漏れてしまうと、抗生剤も含まれているので、人間にもあまり良い影響はないとのことで(抗体が出来てしまうことも考えられるので)なるべく漏れないようにとしましたが、ホースを入れている隙間などからどうしても漏れてしまうので、100%は無理かと思われます。

吸入が終わって出てきた美らは雨に濡れたワンコ状態。。。

いつも病院ではドライヤーで乾かしてくださっていましたが、表面が濡れている程度なので、タオルドライしてあげます。

 

琉那の点滴も含め、あちこちに医療器具のある我が家・・・。

それでも、この酸素室と吸入器があったことで、私の気持ちも少し落ち着きました。

 

GWあけまで吸入をつづけ、咳はだいぶ良くなった美ら。
でも薬がいろいろあるからなのか、なんだか元気もないような気がして。。。
レントゲンは真っ白になっていた肺が少し快方へ向かってきていたので、おそらくどれか薬は効いたのだろうと。。。
先生から「一度、吸入をとめてみましょう」と言われました。

ところが、吸入を止めた途端、やっぱり咳が出始めてしまい・・・

2日後に病院へUターン状態・・・。

先生から「大学病院へ行ってみますか?」と言われました。

大学病院へ行き、麻酔をかけて気管の組織を採取すれば、おそらく病原体を特定でき、その病原体に適した薬の投与が可能となることはわかっていましたが、この年齢でのまたの全身麻酔と、何より病院のケージが大嫌いでトラウマを抱えている美らに、ただでさえ体調が悪いところ連れて行っても、どうなのだろう?と、先生にステロイドのことをお願いしてみました。
先生からは、ステロイドも選択肢としてあることはお聞きしていましたが、やはり副作用などは心配するところです。

ステロイドを使って、それでもダメなら大学病院へ行くしかないだろうと、ステロイドを始めました。
ステロイドと、喉の潤いのために生理食塩水のみでの吸入。

すると。。。
今までの咳が嘘のように消えていきました。
そしてレントゲンも、ほぼ影がなくなるところまでになりました。

キャンキャン吠える声も、足取りも、いつのころからか忘れてしまうほどお年寄りになったと思っていたけれど、ステロイドの副作用もあってか、元気いっぱいに跳ね回れるようになりました。

レントゲンも良好、吸入も終了となり、今はステロイドの減量へ入っています。

琉那も咳がちょっと気になり、レントゲンを撮ったけれど、琉那はレントゲンは特に問題もなく、ただ呼吸音から、慢性的な気管支炎だろうとのことでした。
吸入器があるのだから・・・・と、吸入も試してみたのですが、効果はなく、さらに腎臓でみられる嘔吐を酸素室の中で吸入中にしてしまうので、ストレスなのかも?と思い、琉那は現在、ラビペンさんにご紹介いただいた漢方のラッセラを飲ませて咳は経過をみています。

毎日、今日は吸入、今日は点滴、薬はこれ。。。とバタバタで〜

それでもやーーっと咳が落ち着いたので、数か月ぶりにお風呂にも入れてあげられてやっと一息でした。

1年中お休みのない動物病院へかかっているなら良いのでしょうが、病院がお休みの時にかぎってこの子たちの体調って悪くなったりするもの・・・。

病院嫌いなワンズ達・・・、家で何とかできるものならばやってあげたいと思うまりにゃんです。

我が家のワンズ、今年は狂犬病の注射も病気があるため打てず・・・。手続きもしました。

まだまだ経過観察ですが・・・。

皆様の少しでもお役にたてるならと情報としてもアップしました。

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クリン あたちクリン♪ レスキューされた『ママ命!』のポメラニアンの女の子。よろちくね♪ 誕生日:登録日にあわせて1997年8月2日にしました。 クリンはスーパーワンコです。クリンにお願いごとをすると叶います〜
美ら(ちゅら) あたし美ら。動物愛護センターからレスキューされて妹になりました。(前の飼い主は、右前足を骨折させたまま2ヶ月くらい放置していて、レスキュー時3本足で歩いていました。でも脅威の力で4本足で歩けるようになりました。)誕生日は2005年1月18日にしました。にぃにぃと同じ日よ。 よろしくね♪ 2008年、3月5月に膝蓋骨脱臼の手術をしました。 リウマチ因子陽性です。 URLに手術の様子を綴っています。 ポメラニアン『美ら』の闘病記
Profile

琉那
あたしは2007年10月26日にロンチーのティダくんと一緒にレスキューされました。
ずっと一緒に飼われていたんだけど、お家の人の事情でお家の人がセンターって言うところにつれて来ちゃったの…。
ティダくんに里親さんが決まった後、すっかりこのお家のお兄ちゃんが大好きになっちゃったので、ここのお家の三女に迎えてもらいました。
おトイレ失敗率はとっても高いけど、フレンドリー度も高いのよ。ただし、相手はお兄ちゃんと一緒の男の子が一番よ♪



livedoor プロフィール

まりにゃん

子供の頃、迷子のポメラニアンを保護したのがきっかけで犬のいる家庭で育ちました。2代目迷子のポメラニアンのパイスが虹の橋に渡ったことがきっかけで、里親を捜していたクリンと出会い、保護犬のこと、犬を取り巻く現実の世界を知りました。その後、美ら、琉那を迎えました。日常のことを交えながらブログを綴っています。

↓これって大切です♪

パイス(παιζ) 14年前に迷子になって我が家にやってきたパイス。 ギリシャ語で『子供』って言う意味です。だから『παιζ』。 推定7ヶ月のポメの女の子でした。ママの青春時代をすべて知っていつも励ましてくれたパイス。 2005年6月虹の橋にお引越ししました。 その後出会ったクリン。運命的なものを感じました。クリンの中にパイスの魂が入っているように感じています。 今の私があるのもパイスのおかげ。感謝してます。 在りし日の愛するパイス
クリス ぼくクリス。14歳になるおじいちゃん。 クリンちゃんのママの実家でレコママ、ジジと暮らしています。もぉ足腰が弱くて歩いてのお散歩は難しいけれど、レコママに溺愛されてます。1993年7月24日生まれ。 2008年3月26日、お星様になりました。
ランキングに参加してます♪


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幸せになった子♪

ブリーダーの崩壊現場からレスキューされた瑠璃海。最初はボイルのササミさえ食べる物ということがわからなず、お散歩もまったくできませんでした。9年間、狭いケージの中だけで生活し、交配するためだけに生きてきた彼女。彼女の子供たちは、ライトをあびながらショップのケースの中で売られています。バックヤードの現実です。
日を重ね、瑠璃海が犬としての本当の幸せを感じ始めた頃、パパママたちが瑠璃たんを見つけ出してくれて、本当のお家へとお嫁入りしました。
ブログ『瑠璃海 風を感じて』
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幸せなお姫様生活を送っていましたが、2009年10月13日可愛い可愛いその笑顔の瑠璃たんは、命の炎を消してしまいました。



幸せになった子♪

名前『ティダ』
沖縄の方言で太陽という意味です。
ロングコートチワワ♂推定5歳、体重2.7キロ
2007年10月26日にセンターからレスキューしました。我が家の三女になった琉那ちゃんと一緒に飼われていた子。持ち込み処分でセンターに収容されました。
2007年12月、正式譲渡となり妹も出来ました。今はラブラブ恋人同士かな?
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幸せになった子♪

2009年7月10日からお預かり。
推定2歳前後と若く、やんちゃさいっぱいの一平君へは多くのご希望をいただきましたが、人間と共生するためのマナーを学んでいただくことや膝蓋骨脱臼や前立腺肥大などのケアが必要だったため、我が家で長期のお預かりとなりました。
まるで幼稚園児の男の子とような一平君。
約9ヶ月の預かり期間を経て、一平君のために5ヶ月近くも待ってくださった優しい里親様と所へ巣立ちました♪
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迷子から幸せになった子♪
4月18日に町田市内で保護されました。 ♀・生後6ヶ月くらい(保護当時) 3ヶ月を経ても飼い主が見つかりませんでしたので(遺失物法の拾得物扱い)、保護してくださったご家族が正式に登録の手続きをし、苗字ができました。 ありがとうございました。
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チャル 我が家、初代のワンコが迷子で我が家に来たポメラニアンの女の子チャルでした。 私が高校1年生の夏、虹の橋へ旅立ちました。 当時は、知識もなく、情報もなく、今思うともっとできることがあっただろうに・・・と思います。 引越しで飼えず、里親になった狆のアンジュも私が大学生のとき虹の橋へ。彼は最期まで面倒をみてくれたおじいちゃんと虹の橋を一緒に渡っていったでしょう。
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