2009年5月1日探訪
1971年、田老鉱山の閉山と共に閉校となった小学校。
外観。左側には体育館もある。
明らかにやばい雰囲気の橋。堀の深さは3m近くあるだろうか?ここは迂回だろう。
体育館と校舎を繋ぐ渡り廊下があるが、これもいつまで持つか・・・
この校舎は見た目よりもかなり大きく、横に広い。
鉱山全盛期は相当賑わった学校だったのだろう。
各所に入口がある。
メイン玄関から入ると、体育の予定などが書かれた黒板が転がっていた。
階段の踊り場にはやわらかい春の日差しが差し込む。
病院のような廊下。
↑廊下を歩き入口から見て一番右にある教室。床は穴だらけ。
給食室だろうか?かまどのある部屋。
水場。
入口から見て左側の教室は痛みがかなり激しく、湿気の影響かカビが酷い。
机がまとめて置いてある教室。
2階の教室からは体育館が見える。
窓からは植物が侵入して来ている。
この学校は、廊下から教室までありとあらゆる場所に落書きがされている。
しかし、そのどれもがかつてここで学んだ生徒のもので、
どこと無くせつなさを感じてしまうような、しかし心が温かくなるような、
不思議な気持ちになった。
体育館の入口にある手洗い場。
体育館の内部。
鍵がかかっており内部には入れないので、壊れた板張りからカメラを突っ込んで撮影。
舞台には何かのセレモニーがあったのだろうか、long long ago 35yersと書いてある。
調べてみたら2005年にクラス会があったようだ。