2011年4月24日探訪。
その歴史は古く、1540年頃藤田康邦により築城、1590年小田原の役により落城したとされる。
1970年、観光目的として本丸跡に模擬二重櫓が建設され、宴会場なども併設された。
が、当然の如く採算が合わず、築城から数年で廃墟になってしまったようだ。
現在も築城当時の石垣や堀といった遺構を、至るところで目にするが、
ここで話題にするのは、当然1970年の模擬天守の廃墟である。
倒木や、やや急峻な登りもあるが、比較的歩きやすい登山道を20分ほど登る。
ピンポイントで辿り着いた。
建物全景。
これを見た時、入口封鎖されたのかと思った。
先駆者の仕業だろうか?御丁寧につっかえ棒がしてある。
扉を開けた。これが1階部分の全景である。
現役時代は展示室だったそうだが、正直言って見るべきモノが何もない。
入った途端著しく床が抜けている。
床板はいつ抜けてもおかしくないほどグズグズな状態なので、梁の部分を慎重に見極めて進む。
入口から左の小部屋。この画はちょっといいと思った。
右の部屋。倉庫がわりか?
左の壁には何故かヒエログリフの額が飾られている。
奥から入口側を。
箪笥。
右側。
左奥の屋根は完全に抜けてしまっている。
耐久性があやしい階段を上り2階へやって来た。
展望室だったそうだが、あまりにもしょぼい。
筋交いむき出しとか、プレハブ小屋かよ!
建物を1周するベランダがある。
1階部分を見下ろすと・・・
のどかな町並みが見える。
最後に階段の途中から1階部分を。
箪笥、神棚、消防ポンプetc・・・全く一貫性のない展示物である。
ベランダから屋根が見えたので行ってみた。藪に埋もれたトイレ。
かつてはこの辺りが駐車場だったそうだが、そんな痕跡は全く残っていない。
どうもここを登って来るのが正規のルートっぽい。
この橋は城の堀に架かっている。
更に下ると用途不明の櫓があった。
このルートを下ると宴会場とプールの廃墟があるみたいだが、
道が藪に埋もれよくわからなくなった為、探索を断念した。
どうも直前まで車で行けるルートがあるようなので、近々行ってみたいと思う。
私は10年ぐらい前かな。