2011年12月23日探訪。
1935年、除役軍人の結核療養施設として設立された財団法人村松晴嵐荘を前身とし、
1937年、国立結核療養所官制公布により内務省移管、戦中は傷痍軍人療養所として運営されていた。
戦後は国立療養所村松晴嵐荘→国立療養所晴嵐荘病院と名称を変え、
現在は国立病院機構茨城東病院となっている。
茨城東病院の裏手の階段を下り、道に沿って奥へ進むと、かつての病院や看護学校の校舎、
新たに建てられた宿舎棟などが建ち並んでいた。
本来であれば名称を隠すべき良物件だったが、2012年初頭解体された為、
実名称を載せる事にした。
森の中に佇む看護学校旧校舎。

雰囲気のある素晴らしい建物だった。

最近知ったが、これは建物の裏側だったらしい。
玄関がある側を見てみたかったが、その夢はもう叶わない。

入れそうな所から入ると、物置小屋と化した実習教室。

右側のカーテンが掛かった部分は薬品庫。

昔の画像を見るとたくさんの薬瓶が並んでいたが、目ぼしいものはこれだけ。
瓶が散乱しているわけではないので、関係者が撤去したと思われる。

用途不明の医療機器に混じって情報局により発行された『週報』が落ちていた。
戦時態勢下を強く意識させる資料である。

これも戦時中のものだと思われる。

ぐっと時代が上がり、昭和62年の放射線照射記録。

試験管が大量に置いてあった。

奥の廊下へ出てみた。
左側が本来の入口だったらしい。右側に図書室、総務室がある。

奥から。
実習教室と図書室の間にある廊下。ここにも備品が置いてある。
突き当りの部屋はトイレ。
総務室。
歪みで扉がびくともしないので、割れ窓から内部を。
この画はみんな撮るねw

図書室内部はカオス。
2階へ行ってみる。
左に第一教室、右に第二教室。
階段上から。
壁ががっつり落ちているが、東日本大震災の影響だろう。
ひなんはしご。
左の第一教室。
特に何かあるわけではないが、この如何にも戦前建築という雰囲気がたまらない。


医療機器の保管ケースだろうか?唯一の残存物。
小さな黒板。
同業者の落書きが多い。
第二教室。

柱の影に巨大なスズメバチの巣があった。

手洗い場が付いている。

黒板には卒業生のメッセージがびっしり書き込まれている。
女学生が多かったのだろう。恋話絡みが多い。
この学生達も今では40~50代になっていると思われる。
看護師として働いている人も多いだろう。









おそらく,近所の中学生や高校生が卒業間近に集団(おそらく先輩や後輩が入り混じった集団…部活や,あるいはやんちゃな集団)で入り込んで「記念」に書いたものでは? 女学生の恋愛の話にしてはちょっと微妙です。