2013年7月14日探訪。
明治7年、西尋常小学校として開校。
明治42年、旧曽呂村内にある4校が統合、曽呂尋常小学校が開校した際に分教場へ鞍替えとなり、
主に曽呂尋常小学校への通学が困難な1~4年までの低学年によって利用されたようだ。
昭和42年閉校。
城西大学を創設した水田三喜男氏がこの場所で学んでいた縁で、
大学の手により石碑の建立や周辺の植樹などが行われている。
校舎全景。
閉校から40年以上が経ち痛みがかなり目立つ。
入口付近。
職員用の部屋?から入ってみた。
床は殆ど抜けている。
おそらく畳敷きの和室だったのだろう。
古い朝礼台が置いてある。
隣が現役の公民館の為か、それらに使われたような備品も見受けられる。
寄贈品などを記した木札。いずれも昭和1桁年代のモノ。
廊下。左奥に見える建物はトイレ。廃墟のトイレ!その4にて載せる予定。
奥から。
教室。
2部屋に分かれていた様だ。
窓は殆ど抜け落ちている。
当時の生徒が書いたものだろうか。