2010年2月13日、2011年2月20日探訪。
1873年、内務省勧業寮屑糸紡績所として開設された官営模範工場。
富岡製糸場から出る屑糸や製糸出来ない屑繭を紡績して絹糸を作る工場であった。
1975年、絹糸紡績を停止し100年近い歴史に幕を閉じた。
詳細はクラシエのサイトやwikiに出ているので割愛。
外国人技術者の手が入った富岡製糸場とは違い、日本人だけの手による日本初の洋式工場であり、
それが現在に至るまで殆ど手を加えられる事なく残っている。
近代化産業遺産群選定されているとはいえ、個人的にはこの要素だけで世界遺産になった
富岡製糸場以上の価値がある産業遺構だと思うが、
その歴史的、文化的意義がイマイチ評価されていないように感じている。
以前は保存団体主催の見学会が行われていたが、
老朽化し危険な為、上記探訪日以降原則非公開となっている上、
航空写真を見る限り大半の建物は既に解体されているようだ。
正門から入ると大正10年に建てられたシルクハウスの洋館がある。
操業当時の工場と明治40年に増築された部分。雪混じりの天候が残念。
のこぎり屋根の工場。
左側部分は屋根に大穴が開き廃墟化している。
ガイドの目を盗んでその廃墟部へ行こうとしたのだが(ry
工場内部。
明治10年建築と40年増築部分がある。
柱が規則正しく並ぶ。
明治30年に原料繭倉庫として建てられた煉瓦建築。
後に製品倉庫に転用された。
白いペンキで新町絹糸工場と書かれている。
明治末~大正に掛けて建てられた繭倉庫。この建物は現存していない。
基礎を煉瓦アーチで組み、上部は木造で建てられている。
中央部には防火壁がある。
内部。
柱には戦前に書かれたと思われる標語が残っている。
操業当初の雰囲気を一番残した建物。
非常に貴重な建物だが、これも解体されたようだ。
窓枠の黄色のペンキは操業時に塗られたもの。
明治30年に建てられた大煙突の煉瓦基礎部分。
明治10年に建てられたボイラー室と動力室。明治31年に改築されている。
大正末~昭和初期、蒸気機関から電力に移行する際に建てられた変電所。
一見RC建築のようだが、木造のようだ。
工作室。
内部にはアメリカから輸入された工作機械が今もあるそうだ。
当時 大きな食堂があり美味しいうどんが懐かしいなぁー。