1980年(昭和55年)に続き、2年後の1982年(昭和57年)も新人アイドルデビューが目白押しでした。中でも男性アイドルと言えば、田原俊彦、近藤真彦のジャニーズ後輩に当たるシブガキ隊が「2年B組仙八先生」から出てきたことです。やっくん、もっくん、ふっくんの3人組が歌手デビューを果たしました。

それから女性陣では松本伊代、中森明菜、堀ちえみ、三田寛子、早見優、小泉今日子がアイドルデビューしました。この同期たちを「花の82年組」と呼んでいます。

人気が目だってスバ抜けていたのは何といっても中森明菜です。明菜は小泉今日子と同じく「スター誕生」で合格し、「スローモーション」でレコードデビューを果たしました。歌唱力もデビュー当初から優れており、82年同期の中では一番最高でした。

セカンドシングル「少女A」で人気に火が付き始め、デビュー当初はシンプルな曲、ツッパリ系な曲と交互にリリースしていました。

「セカンドラブ」~「DESIRE -情熱-」までオリコンランキングでは常に1位を獲得し、聖子の最大のライバルとなりました。

明菜のデビューのきっかけはやはり憧れの山口百恵の影響です。同じオーディションで合格出来た明菜にとっては山口百恵は尊敬する先輩でもあったのです。そんな彼女も聖子に続くアイドル路線を走るようになりました。

聖子は可愛い、ぶりぶりアイドルでしたが、明菜はどちらかというと山口百恵を意識して大人びたアイドルを目指していたように見えます。聖子が同じアイドルで2年先輩であっても、明菜は聖子をライバル視してたことは間違いありません。

夜のヒットスタジオで聖子と明菜の両方が出演した時に、他の歌手が歌ってる最中でも2人は親しげに話してる様子は見たことがありませんでした。ザ・ベストテンで司会者の久米宏が聖子と明菜を交えてインタビューした時に、明菜は「聖子さんは良い先輩です。」とコメントしています。ですが心の底では「私の方が上よ!」みたいなオーラを出していたようにも見えました。

明菜の恋愛相手はマッチでしたね。でも2人の仲はなかなか進展せず、結婚の噂もたつことはありませんでした。「愛・旅立ち」で明菜はマッチと共演しましたが、それでもマッチとの恋愛がしっくりいかないので、何だか影を潜めたような雰囲気が出ていました。

それでも彼女はヒット曲はどんどん出て、昭和60年、61年と2年連続でレコード大賞を受賞しました。明菜はまさしく輝かしき山口百恵に続く第二の歌姫になりました。

が、しかし…!!どこでどう彼女の歯車が狂ったのか、恋愛相手のマッチの自宅で彼女は何を思いつめたのか、自殺未遂を図ってしまったのでした。ヒット曲にも恵まれ、レコード大賞2年連続受賞の輝かしい記録を達成したのに、明菜はどうなってしまったんでしょう?

自殺未遂を起こしてから、明菜はテレビに姿を現すことがどんどん減っていき、芸能活動を休止するようになりました。1989年(平成元年)の大みそか、NHK紅白の裏番組で明菜はマッチ同席の上で謝罪会見を行いました。

その時明菜は声を詰まらせて、涙ながらに「近藤さんにも迷惑かけて本当に申し訳ないと思っています...!」と語っていました。長かった髪をバッサリ切った彼女の表情は何とも言えませんでした。もう言葉が出ないくらい憔悴しきっていたのが分かりました。

謝罪会見の後、マッチと明菜は握手しましたが、その後彼女はテレビに出る回数は絶頂期だった頃と比べると遥かに少なくなっていき、体調を崩してしまいました。アルバムは出してはいるものの、テレビには出てこない明菜。

今後どうなっていくのでしょうか。