昭和の歌姫と言われる山口百恵。女性ファンが多く、ドラマや映画で沢山共演した俳優の三浦友和と交際報道があってからは「結婚が近いのではないか?」とよくマスコミに騒がれていました。

実はその通りになり、1980年(昭和55年)3月婚約発表をします。人気絶頂期の時に自ら山口百恵は歌手という仕事を全面的に辞めて、家庭に入り専業主婦への道を選びました。同じ年の11月にめでたく三浦友和と結婚し、完全に芸能界を引退し、家庭に入りました。

彼女はレコード大賞は受賞こそしてませんが、今でもテレビでたまに「百恵さん」と取り上げられることがあります。引退してすっかり主婦の顔になり、2人の息子を授かって幸せになれた山口百恵はまさに今後も忘れられることはありません。

さて、山口百恵の引退した1980年(昭和55年)はアイドル歌手に変化が生じ始めた時期でもあります。テレビドラマ「3年B組金八先生」で生徒として出演していた若手の俳優たちがどんどんアイドルとして登場しつつあったことです。

近藤真彦、田原俊彦、野村義男、杉田かおる、三原じゅん子などが続々デビューし始めました。特に近藤真彦(マッチ)、田原俊彦(トシちゃん)、野村義男(よっちゃん)は「たのきんトリオ」と呼ばれ、フォーリーブス以来のジャニーズ系アイドルとして、一世風靡する形となります。

一番最初に歌手デビューしたのはトシちゃんこと田原俊彦です。「哀愁でいと」でレコードを出すや否や、人気が急上昇し、甘いマスクと活発な踊りで女性ファンをあっという間に増やしました。

トシちゃんは同期に松田聖子、河合奈保子、柏原芳恵、岩崎良美など女性ばかりのアイドルライバルがいます。特に松田聖子は新人賞レースでは最大のライバルでもあり、仲の良い友人でもありました。

山口百恵の結婚・引退により、アイドル路線が変化を始めたのもそれが原因でしょう。その為、今まで昭和50年代前半のアイドル歌手として人気を保ってきた沢田研二、西城秀樹、郷ひろみなどは若手新人に追われる立場となりつつありました。

河合奈保子は秀樹の妹がキャッチフレーズで、「大きな森の小さなおうち」でデビューしました。ぽちゃぽちゃした体系と大きなバストが彼女の売りとなり、男性ファンが多くなりました。

岩崎良美は岩崎宏美の実の妹ですが、姉には負けない歌唱力で「赤と黒」でデビューしました。

柏原芳恵は「スター誕生」で見事合格し、「No.1」の曲でデビューしました。

実に男性アイドルが少ない中でトシちゃんは1人奮闘していたんですね。同じ年の年末にはマッチこと近藤真彦が「スニーカーぶるーす」でデビューを果たしています。

トシちゃん、マッチが歌手デビューしたことによって、ジャニーズ系の人気度はますます上昇しました。男性アイドルはまさしくジャニーズ系が独占するような運びになったと言えます。

こういうことから昭和55年はアイドルの変化期と言えるのです。