ボブ・ディランは活動家としても知られているのですが、正確には応援をするために歌を歌った結果で、活動家としても知られるようになった・・・という一面があります。

というのも、元々活動家として自分を売り込んでいたわけではないからです。1962年12月から1963年1月初めてイギリスを訪れるところから、ボブ・ディランの活動が始まります。その際には、BBCの「マッドハウス・オンキャッスルストリート」というテレビドラマに出演していますが、これはボブ・ディランが行った活動の1つでしかありません。

ボブ・ディランは、音楽だけでなく役者としても活躍している一面があり、さらに世の中を支援するために歌を歌った人物でもあるのです。そのため、時代においては中々ボブ・ディランを支持する人がいなかったこともあります。

時代によって移り変わっていく人の心を察して、ボブ・ディランは自分なりの曲を作り世の中に披露していたわけですが、まだ時代は大きな変革を求めていなかったので、役者として少し知られているだけの時代もありました。しかし、1962年5月12日に全米中継のテレビ番組「エド・サリヴァーン・ショー」に出演してからは、多くの人に知られる人物として有名になっていきます。

それほど、ボブ・ディランという人物が魅力的で、且つ世の中に対して積極的に自分を見せていったというわけなのですが、ボブ・ディランの曲の中には極右政治団体を揶揄(やゆ)した曲も含まれるため、そのような曲を歌うのは好ましくないと言われることもありました。そのため、ボブ・ディランがそのことに腹を立ててスタジオを出て行ってしまう・・・というハプニングも存在します。

今の時代であれば、ちょっとしたゴシップネタかも知れません。当時では、そのような曲の存在が世の中に影響を与えることも知られていたため、このような理由で歌を歌えなかったという人も数多くいたわけです。

自分の意志を曲げることなく、世の中に対して言いたいことをハッキリと言うため、段々と世の中においてもボブ・ディランは評価されていくようになります。活動家としてボブ・ディランが有名になっているのは、このような一面があるおかげでもあるのですが、他にも次のような活動によってボブ・ディランの名が有名になったというエピソードも存在します。

それは、フェスティバルの出演です。今では、テレビ番組で報道されていることが多いので珍しくありませんが、当時では珍しい活動としてテレビ番組で報道、熱狂する若者なども多くいたという時代でした。

つまり、ボブ・ディランは自分流の生き方を貫いた結果として活動家になれ、しかも、自分が世の中に言いたかったことが時代に適していたというわけです。事実、そのような意思も秘められている歌のため、世の中の活動に関連したカバーも存在しますし、その中には大ヒットとなった曲さえ存在するのです。

このような魅力があるので、今でもボブ・ディランの名は音楽だけでなく、エンターテイメント全体で有名となっています。