ボブ・ディランというと、シンガーソングライターとして有名な一人物のため、歌についても万人受けするものが多い・・・と思われがちですが、実際は「ジョーカーマン」のような楽曲についても、数多く作曲していることで有名です。

なぜ、ボブ・ディランのような有名な人物が、道化について歌っているジョーカーマンのような楽曲も作曲するのか?というと、定期的にこのような楽曲を作るのがボブ・ディランらしさでもあったからです。そのため、ジョーカーマンのような楽曲をのぞいてみると、社会事情、恋愛、悲劇といった世間を歌っている、万人受けするような音楽をボブ・ディランは多く手がけている・・・、という事実のみが残ります。

そこで、ジョーカーマンといった楽曲では、ボブ・ディランがどのようなことを伝えたくて歌っているのか不透明なため、今回はジョーカーマンに綴られている思いについて検証していこうと思います。

歌詞については、日本語訳をネットで行ったものをそのまま使っておりますので、不適切に感じる日本語訳が出てくるかも知れません。そのことを理解した上で、歌詞の案内を見ていただけると助かります。

ジョーカーマンでは、前述の道化が何度も登場するのですが、正確には道化という存在をボブ・ディラン特有の視点で追いかけている・・・という内容になっています。歌詞についても、「水面に立ってみせ、パンを投げ与え」という歌詞が印象的です。

また、道化と言っても日本人が良く知っているような道化とは違うようです。というのも、歌詞の中には「鋼の頭を持つ偶像の眼、爛々と光る眼」といった表現が多く見つかるからです。

要するに、非日常を生きている空想的な存在を道化として、ボブ・ディランは表しているのです。そのため、「霧の中で消えてゆく」という表現も存在すれば、「ハリケーンが吹き荒ぶ」といった表現も道化の中には多く見つかります。

ジョーカーマンというよりは、多くの人が思い描くような不思議な人物であり、異様な力を持つジョーカー(切り札)に相応しい人物のように思ってしまいます。また、ジョーカーマン自体にも考えのようなものはあるようなので、これは空想的なものを並べ立てているだけではないようです。

例えば、ジョーカーマンは「すべてを手に入れる」、そして「真実を遠ざける」という道化なのです。道化というと、この世を笑っているような人物(世俗からかけ離れた人物)、もしくはこの世そのものから笑われている道化者を想像してしまいますが、ジョーカーマンのような道化を想像できるのが、ボブ・ディランの凄いところでしょう。

ボブ・ディランにしてみると憧れの存在なのかも知れません。ですが、話が進むに連れて道化というものが漠然としたものに変わっていきます。

つまり、ジョーカーマンは人物と見立てることもできるが、もしかするとハリケーンが吹き荒ぶような事象、つまり天候を見て想像を広げていくボブ・ディランが、ジョーカーマンという存在を生み出しているのかも知れません。