ボブ・ディランの楽曲には、不気味な世界観を表現しているものも含まれています。

今回紹介する黒いコートの男についても、オー・マー・シーというスタジオ・アルバムに収録されている1曲なのですが、他の曲とは違った表現が多く用いられている楽曲となっています。特筆すべきは、ボブ・ディランにしては珍しく、最後まで雰囲気が明るくならない、また、登場する人物が何度も多彩な表現で描かれているというところでしょう。

ボブ・ディランの音楽というのは、他のアーティストと比較しても珍しい表現が多いです。人と人とが情報を交換しているような、抽象的な表現も用いられている会話・・・のような、そんな感じの表現が目立つものですが、黒いコートの男については、そのような表現も見当たりません。

例えば、歌詞の中には「後方からハリケーンの風が」といった表現が用いられているのですが、この表現は最初に登場するだけで、後半からはまったく用いられることがありません。つまり、映画の冒頭とも言えるような表現が最初は登場するのですが、この表現以降は個人の視点に切り替わっているのです。

そのため、次の歌詞からは「別れもないの一言、彼女は長い黒いコートを着た男と共に去りぬ」というように、登場したはずの人物が矢継ぎ早に退散する・・・という流れになっています。ボブ・ディランの音楽は、少しずつ状況がハッキリとしていく・・・という表現が多いので、聴いている人も大まかに状況を理解できる楽曲が多いです。

しかし、黒いコートの男では「彼がハンギンアラウンドを見て」という表現に切り替わったり、「町の郊外の古いダンスホールで」という表現が用いられているのです。肝心のシーンの切り替わりが一節の最後に置かれている・・・というものでもないので、まるで夢の中をさまよっているような感じになってしまいます。

そのため、黒いコートの男についても正体不明のままで黒いコートの男という楽曲は終わってしまうのです。ただ、最後まで黒いコートの男という楽曲を聴いてみるとわかりますが、悲しい男の生き様を歌ったものではありません。

何度も歌詞の中には、「黒いコートの男、彼女」というキーワードが登場するからです。今回の楽曲は黒いコートの男が主役・・・なのではなく、あらゆる場所を旅している人物(黒いコートの男)が、彼女と出会うまでの経緯について歌っているもの・・・と理解すると、ボブ・ディランがどのような場面について歌っているのかを容易に想像できます。

最初は、彼女のいる土地が荒れ果てていたのかも知れません。もしくは、彼女が自分の住んでいる土地に対して、吹き荒れているような、荒んでいくような感情を抱いているのかも知れません。

しかし、外からやってきた黒いコートの男が彼女の心を元に戻すのです。それは、出会いによる恋かも知れませんし、もしかすると、まったく外から人がやって来ない土地であることを、遠回しに表現しているのかも知れません。