ボブ・ディランが評価したことのある人物を抜粋したのですが、ボブ・ディランはかなりの人物を評価している人物としても知られているので、今回はこのような人物もボブ・ディランは参考にした、尊敬していたという案内をさせていただきます。

ボブ・ディランは、今までに数億枚ものレコードを売り上げている人物として有名ですが、ボブ・ディラン自身は「自分にとっても謎」というだけで、そのことにはあまり言及しません。ボブ・ディランは、社会に対して自分らしさ、人らしさ・・・というものを自分なりに学び、そして、それを歌に活かすという人生を歩んできました。

ですが、若い時のボブ・ディランは、それほど自分の価値について明確なものを持っていたわけでは無かったのです。現に、シンガーソングライターとして活動を始めたばかりの頃は、「有名なアーティストが多い中でどのように活動すれば・・・」といった苦言も数多く残しているのです。

これは諦めから出た言葉ではなく、ボブ・ディラン自身が自分の活動に対して謙虚であったこと、それと1950年代、1960年代は自由をこよなく愛する人物が多かったため、メガヒット曲が数多く誕生した時代でもあるのです。ビートルズ、ローリング・ストーンズ・・・など、音楽やロックが好きな人物にとっては、本当に輝かしいとしか言えないような時代が続いていきます。

ですが、ボブ・ディランにも心機一転できる時が来ます。それが、とあるサーカス団との付き合いです。

ボブ・ディラン自体、芸術、音楽というものを結びつけることが好きな人物のため、情熱的である、もしくは情熱そのものを表現しているもの、人を尊敬しているところがあります。サーカス団のパフォーマンスについても、正にボブ・ディランが望むような内容となっていたため、最初は一人の観客としてスタートしたのですが、最終的にはサーカス団の何人かとは言葉を交わすようになっていくのです。

このような付き合いに対して、ボブ・ディランは「エキセントリックなものだった」とコメントしています。当時には、エキセントリックと言えるようなものが少なかった時代でもあります。

現代であれば、サーカス団のパフォーマンスなどもネットで公開されている動画、もしくはSNSなどで拡散されている情報を元にして知識を得られます。ですが、過去ではそのような便利な機器、サイトも存在しませんので、どれほどこの時代のサーカスが強い影響を放っていたのか・・・は、当時を知る人でなければ知ることができないでしょう。

実際に、ボブ・ディランは今でもそのことを鮮明に覚えているため、「サイド・ショウのパフォーマー、ブルーグラス歌手、ごわごわした手でロープの手品をする黒人カウボーイ・・・」というように、どのような人物に自分は影響を受けたのかを正確に語れるのです。他にも、「ミス・ヨーロッパ、背中に大きなこぶのある男、ひげの生えた女性、ハーフマン・ハーフウーマン(身体を半分ずつ男と女に扮装した人)」といった人物のことを、「今起きたことのように思い出せる」と語っています。

このような生活、エンターテイメントに打ち込んでいる人は、ボブ・ディランにとっては非日常を切り取ったような人物のため、どこか自分と接点のある人物のように感じていたわけです。なので、ボブ・ディランという人物であっても、人生の中では数多くの恩師、尊敬できる人物がいるということも、この話をまとめていくと良く理解できるようになります。

ボブ・ディランがどうして多くの人に影響を与えられたのか?というのは、このような素朴さ、本質を見抜く力に隠されているのでしょう。