ボブ・ディランのウェア・アー・ユウ・トゥナイトは、大人でなければ理解できないような、重く苦しい大人特有の心情を描いている楽曲です。

今回は歌詞も含めて、ウェア・アー・ユウ・トゥナイトの大人らしい表現を追っていこうと思います。

まず、ウェア・アー・ユウ・トゥナイトの中では、「雨の中を走る長距離列車」の表現が何度も登場します。つまり、ウェア・アー・ユウ・トゥナイトに登場する主人公は、雨の中から出ていない・・・それほど時間経過が見られない中で、色々な思索に思いをはせていくのです。

そのため、歌詞の中には「私が書いた手紙」についてが主軸となり、それが、中々完結しないままウェア・アー・ユウ・トゥナイトの歌詞が流れていくわけです。思い悩んで生きている主人公、しかし、このような思いは主人公以外の人も味わっている・・・といった世界観がテーマのように、主人公の気持ちだけでなく、万人の悲しみをウェア・アー・ユウ・トゥナイトで表現しています。

このような表現を行えるのが、ボブ・ディランの素晴らしいところでしょう。ボブ・ディランが伝えたいもの、それは恋心というのは身を焼くようなものに変わることもある、そして、その思いをすぐに相手に伝えられないこともある・・・という心を遠回しに歌で教えてくれるわけです。

ボブ・ディランは、「フォークの貴公子」として世間に知られている人物なのですが、スタジオ・アルバム「ストリート・リーガル」では、今までとは打って変わった表現を取り入れ、バックコーラスを増やすなど、今までよりも数、質ともに高いバンドグループの活動も行っています。

ですが、ボブ・ディランの原点は変わりません。スタジオ・アルバム「ストリート・リーガル」についても、ウェア・アー・ユウ・トゥナイトも含めて出発点と言われています。

そんなアルバム内に収録されているウェア・アー・ユウ・トゥナイトが、「出発を意味するような楽曲」であることが、ボブ・ディランの心の表れのような気がしてなりません。彼女というのは、もしかするとボブ・ディランにとっての音楽なのかも知れません。

ウェア・アー・ユウ・トゥナイトの中では、あらゆる表現で彼女についても歌っています。時には「ネオンライト」という輝かしいもの、時には「恋人」のように親しいけれど、自分の心を上手く伝えられない相手・・・というふうに、まるで彼女というものが沢山いるような・・・、そんな大人の恋心をウェア・アー・ユウ・トゥナイトで表現しているわけです。

また、バンド活動が大規模なものに変わったことで、ボブ・ディランの気持ちが昔とは変わってしまったのかも知れません。新しい活動をワクワクしているという背景もあれば、今では新しい活動の一部は過ぎ去ってしまったもの・・・として、しみじみと感傷にひたっているという一面が、ボブ・ディランの心にはあるというわけです。

そのような多くの心情をひとまとめにしたものこそ、ウェア・アー・ユウ・トゥナイトという楽曲のように感じるのです。