スタジオ・アルバムの新しい夜明けには、新しい夜明け(NewMorning)というタイトルの楽曲も収録されています。

新しい夜明け(スタジオ・アルバム)がリリースされてから、過去と大きな違いのある楽曲についても、聴くことができるようになります。というのも、それまでのボブ・ディランの楽曲というのは、どちらかと言うとカントリー・ミュージックではなく、フォーク・ロックであり、プロテスト・ソングのようなものが多かったからです。

カントリー・ミュージックというのは、何気ない素朴な日常、もしくは田舎を感じるような音楽などが該当します。近年のボブ・ディランは、昔に比べて穏やかな音楽が多い・・・と言われていますが、元々のボブ・ディランは、聴いている人が驚くような、感心するようなフォーク・ロックが中心でした。

フォーク・ロックはカントリー・ミュージックと対照的な音楽性のため、人によっては、ボブ・ディランの荒々しさに驚く人もいます。人の出会いだけでなく、愛憎劇のようなドロドロとした心模様も音楽に取り入れているので、中には、実際に起きた事件なのでは?と思ってしまうものもあります。

そして、ボブ・ディランと言えばフォークの貴公子と言われている通りで、プロテスト・ソングで有名になった人物です。プロテスト・ソングというのは、歌の中に訴えを据えるもの・・・と思ってください。

つまり、世の中に対して多くの人が感じていることを、ボブ・ディランは代わって歌に変えて訴えてくれていたわけです。このような活動も、シンガーソングライター時代には行っていたため、「社会の代弁者」のような扱いをボブ・ディランが受けることも多くありました。

そのような過去を理解していると、新しい夜明けの歌詞については色々と考えさせられるものがあります。

新しい夜明けの歌詞には、「聞こえるかい、鳥の鳴き声、うさぎが道を駆け下りてる、橋の下には川がゆったりと流れ、きみの笑顔がまぶしい」という、爽やかさが目に見えるような感じで伝わってくる内容となっています。そのような情景をありありと想像してしまうのですが、今までのボブ・ディランの音楽性とかけ離れているところが多く存在します。

例えば、全体的に抽象的な表現をボブ・ディランが使っていません。例えば、「聞こえるかい」という表現がそうです。

従来のボブ・ディランであれば、ストーリー立てて歌詞を綴っていくため、「聞こえてくる」といった抽象的な表現が目立つものです。そのため、新しい夜明けはボブ・ディランの心の声を歌っている1曲としても有名です。

さらに、新しい夜明けの中には「青空をうけとめて、この新しい、新しい朝、きみと一緒にいる、この朝」というように、新しい夜明けというタイトルのためか「朝」という単語がところ狭しと出てきます。朝という印象を強めるために使用されているのか、それとも朝をボブ・ディランが何かしらの体験で感じ取り、遠回しにその表現を使っているのか?と考えさせられます。

ただ、先ほどの歌詞は「きみの笑顔がまぶしい、青空をうけとめて、この新しい、新しい朝、きみと一緒にいる、この朝」と続いているので、きみの笑顔を思って朝を連想しているという・・・、そのような情景を想像することもできるほど、朝というワードが色々と変化する1曲でもあるのです。