スタジオ・アルバム「オー・マー・シー」の中には、「シューティング・スター」という、ボブ・ディランにしては珍しく清涼感たっぷりの楽曲も収録されています。

今回は、シューティング・スターの歌詞(日本語訳)について、歌詞ごとにどのような内容なのか、どのような意志が込められているのか・・・を検証していきますので、良ければ以下の検証を参考にして、ボブ・ディランのシューティング・スターに詳しくなってください。

まず、シューティング・スターは冒頭から「シューティング・スターに関する内容」が多く見られます。そのため、歌詞の中にも「今夜は流れ星を見られる」といった表現が多く登場します。

なぜ、見られる・・・と断言しているのかは不明ですが、シューティング・スターを楽しみにしていた人物が、毎年でシューティング・スターを眺めている・・・という情景なのかも知れません。シューティング・スターには多くの清涼感が込められていると案内しましたが、このような表現はボブ・ディランにしては珍しいです。

というのも、本来のボブ・ディランであればシューティング・スターというタイトルでも、人の心であり心象風景のようなものを描くことのほうが多いからです。そのため、ボブ・ディランについて詳しい人でも、どのような意志が込められているのか・・・まったくわからないということも珍しくありません。

ですが、シューティング・スターの歌詞には「別の世界に侵入、私が知らなかった世界」というように、まさにシューティング・スターを眺めている人物の心の声が含まれているのです。音楽を聴いていても、心象風景ではなく風景のほうが何度も想像できる・・・という内容なので、ボブ・ディランにしては珍しく清涼感のある1曲というのも本当のことでしょう。

従来のボブ・ディランであれば、「星が流れていく」というように、他人行儀なところが随所に見られるものです。なので、シューティング・スターは子供心を歌っている1曲なのかも知れません。

ただ、シューティング・スターはボーっとして流れ星を見ているだけではありません。よほど流れ星を見たい人物が流れ星を見ているのか、歌詞の中にも「あなたが私になりたかった場合」という歌詞も登場します。

最初は、シューティング・スターをただただ楽しんでいた・・・、だけれど、それだけじゃ物足りなくなった。もしくは、このような心を持っている心が宙に浮いているような人物をボブ・ディランが思い、高いところまで心を飛ばしているのか・・・と想像できるわけです。

基本的にボブ・ディランは、楽曲の中であっても自分という人物を投影することは少ないです。なので、楽曲を聴く上でも他人の気持ちになって聴いてみると良いでしょう。

他にも、歌詞の中には「最後の誘惑、最後の接触」というような、悲しさに満ちた表現も用いられているのです。つまり、シューティング・スターを見ることによって変化していく心だけでなく、長い間、シューティング・スターを見ていられない事情について訴えかけるような内容・・・というのが、ボブ・ディランの歌いたいシューティング・スターなのかも知れません。