ボブ・ディランの親指トムのブルースのようには、ボブ・ディランらしい独特の世界観で歌詞が綴られている楽曲です。

ボブ・ディランのアルバム「追憶のハイウェイ 61(1965年)」に収録されている楽曲なのですが、「親指トムのブルースのように(JustLikeTomThumb'sBlues)」は歌詞に入っていません。

また、親指トムのブルースのようにの「親指トム」とは、イギリスの童話とその主人公の名前です。ボブ・ディランの伝記作家は、アルチュール・ランボーの詩「わが放浪」の一節に由来しているのでは?と推測しています。

このように、ボブ・ディランの親指トムのブルースのようになど、一部の楽曲というのは内容が不透明であったり、抽象的な表現が用いられているので、詩そのものの意味を読み取れないものも数多く存在するのです。

歌詞についても、曖昧に訳すると「あなたがイースター時代、フアレスの雨の中で迷子になったとき、そしてあなたの~は失敗し、否定性はあなたを引き抜かない」という部分が存在します。~については重力と訳することもできますが、歌詞とどのようにつながっているのか不透明だったので、~には明確な訳を入れない形で、歌詞全体を訳しました。

他にも、親指トムのブルースのようには、「あなたがRueMorgueAvenueを下っているときには、どんな空気も入れないでください。」といった歌詞が綴られています。

前述を参考にすると、何かしらの状況を歌っていることは確かなのですが、1人の人物として状況を見続け、それを歌に変えているのでは?というふうに理解を進めることができます。ボブ・ディランはプロテスト・ソングを歌うことが多いのですが、親指トムのブルースのようにについては難解過ぎるので、正確な翻訳は行えませんでした。

ただ、歌詞の中には1人の人物として周囲を見渡し、「彼らはそこにいくつかの空腹の女性を持っていて、彼らは本当にあなたを混乱させる」といった一節が登場します。つまり、嘆いている人々の中で何かしらの対応を行っている人物がいるのでしょう。

周りの人は施しを要求しているのか、歌詞の中でも特定の人物に寄り添っているような内容が確認できますし、歌詞の中では、「彼女に多くのことを教えてください、私は動かすことができない、私の指はすべて結び目にあります」という一節まで登場します。

そのまま訳してしまうと、立ち上がることができないような窮地に置かれている人物、そしてそのような人物を頼りにしている人物、そしてそのような人物たちより優先される女性がいる・・・ことがわかります。

親指トムのブルースのようにの中盤では、「私は立ち上がって別のショットをとる力がありません。そして、私の親友、私の医者は、私が持っているものを言うことさえしません」という歌詞に続きます。万事休す・・・のように見て取れるのですが、精神的に複雑な状況で悩んでいる人物でもある・・・と推察できるのが、親指トムのブルースのようにの魅力かも知れません。