今年は、小学生が多数入塾して頂いております。そのため、少しずつ、私がどのような小学生生活をおくっていたのか、どのように熊本高校合格レベルまで学力を引き上げたのかについて書いていこうと思います。

私の父は、宮崎県の大宮高校出身で、3年間浪人して佐賀大学(法学部)に入りました。大宮高校は、一応県内では一番の進学校でしたが、入学してあまりのレベルの高さに心が折れ、勉強をしなくなったそうです。母は、天草高校出身で、銀杏短期大学(現在の熊本保健科学大学)の検査技師科を出ました。両親は共働きだったため、私は生後間もなく乳児園に預けられていたそうです。学歴的には両親ともに大学にいっていますが、生活は平々凡々とした普通の家庭だったと思います。

小学校に入学する前に、いわゆる低所得者の住む県営団地に移り住みました。保育園では、卒園まで勉強など何も教えてくれませんでした。ただ、父に言わされていたと思いますが、この頃から「どこの大学に行くの?」と聞かれたら、「東大っ!!」と答える大バカ者でした。

このような保育園を卒園したので、小学校に入ると全く勉強についていけませんでした。「くろき」の「き」を逆に書いていたぐらいです。当然授業を聞いてもわからず、ほとんど聞いていませんでした。まぁ、これは高校まで同じなのですが。

第二次ベビーブームのど真ん中の世代で、県営団地に住んでいたので、20人規模で毎日探検をしたり、公園で野球やサッカーをやっていました。勉強に関しては、月一回くる「はつらつ」という教材をやっていました。これは、親戚のまさに「はつらつ」とした叔父さんが、教材販売をしていたので、付き合いで取っていたのだと思います。当然、殆どやりませんでした。今でいう「進研ゼミ」みたいなものです。

転機は小学2年生の秋ごろやってきます。小学校では毎年3回、計算大会・漢字大会が行われていました。クラスの半分以上が100点を取る中、私は当然80点ぐらいでした。100点を取ると賞状がもらえるんですよね。私は、それが欲しくて欲しくてたまりませんでした。

2年生の1学期の計算大会では、母に勉強を少し教えてもらい、自分では勉強したと思っていました。しかし、100点は取れませんでした。私は悔しくて泣いていました。その時母が、「努力賞」という賞状を手作りで渡してくれました。これがきっかけで、「2学期の計算大会では、必ず100点を取る」と覚悟を決めました。

計算カードを、全問解けるようになるまで頑張り、やっと100点を取ることができました。本当の賞状をもらい、勉強は努力をすれば結果が出ると思いました。自分が輝くには勉強しかないと思った瞬間でした。