「しかし歴史認識が昨今ほど政治問題化するまでは、先の大戦に関するいわゆる『平和報道』の際、研究者や平和運動活動家から提供される資料の裏とりなどはせずに記事にするのは当たり前だった。とくに東京大空襲や広島・長崎など、日本人の被害に関する記事では体験者の証言をそのまま掲載しても、その正確性を問われることはまずなかった。」
彼らのいい加減な報道姿勢が歴史認識の政治問題化をまねいたとも言えるのですけど、少し前に、「裏づけ調査などしなくても誰からも批判されることがなく、いえ、批判されたとしても公にされることがない時代がずっと続いてきたのです。」と裏づけ調査などせずに断定していた私、大勝利でした(笑)。
慰安婦報道や吉田調書報道で窮地に陥った朝日新聞ですが、現役記者やOBたちが朝日新聞の問題体質を赤裸々に語った内容となっています。基本的に、現在の朝日執行部に対する批判的な内容なわけですが、突っ込みどころが満載で、執筆意図とは違ったポイントが楽しめます。
「右派陣営の朝日批判は的外れ」
などという記述もあるので、思想的には左に寄っているグループでしょうか。2012年の若宮主筆の「プライベート旅行不正請求スキャンダル」に関して、「不正請求分は会社に戻して一件落着した」と書いているあたり、若宮派なのかもしれませんが、お金を返したら一件落着するという朝日内部の倫理観が凄い(笑)。普通はそこで懲戒解雇ですよ。
「自分の肉親の写真を判別不能なピンボケに加工して被害者写真として代用」だの「アルバムを遺族から何冊も借りっ放しにして他社が写真を掲載できないよう妨害」だの「ひそかに交通取締りのポイントを耳打ちされ、飲酒運転を見逃してもらえたり」とやや自慢気に書いているあたりはさすがのマスゴミぶり。
吉田調書問題などでは調書の入手先に関する推測なども書かれてあったり、慰安婦報道の検証に関しては当初は謝罪するつもりだったのだが社長の指示で「謝罪なし」になったりした事など、内部告発的な内容はなかなか読み応えがありました。
ところがごく常識的なツイッター使用時の規定を「スパル中学でもやらないようなアホらしい規定」などと書いたり、「あるエース記者は『会社から自宅までの距離(タクシーの金額)と一致しない』と執拗に追求された」と会社としてごくあたりまえの内務監査を「非常識」、「ゲシュタポ」と呼ぶなど、朝日新聞記者の感覚が一般社会とは乖離しているのがよくわかります。
その彼らが作る新聞を日本のリーディングペーパーともてはやした時代が長く続いたわけですが、彼らが持っていた傲慢さが日本における「新聞」という報道手段を終わらせようとしているのがよくわかる一冊とも言えるでしょうね。
彼らのいい加減な報道姿勢が歴史認識の政治問題化をまねいたとも言えるのですけど、少し前に、「裏づけ調査などしなくても誰からも批判されることがなく、いえ、批判されたとしても公にされることがない時代がずっと続いてきたのです。」と裏づけ調査などせずに断定していた私、大勝利でした(笑)。
慰安婦報道や吉田調書報道で窮地に陥った朝日新聞ですが、現役記者やOBたちが朝日新聞の問題体質を赤裸々に語った内容となっています。基本的に、現在の朝日執行部に対する批判的な内容なわけですが、突っ込みどころが満載で、執筆意図とは違ったポイントが楽しめます。
「右派陣営の朝日批判は的外れ」
などという記述もあるので、思想的には左に寄っているグループでしょうか。2012年の若宮主筆の「プライベート旅行不正請求スキャンダル」に関して、「不正請求分は会社に戻して一件落着した」と書いているあたり、若宮派なのかもしれませんが、お金を返したら一件落着するという朝日内部の倫理観が凄い(笑)。普通はそこで懲戒解雇ですよ。
「自分の肉親の写真を判別不能なピンボケに加工して被害者写真として代用」だの「アルバムを遺族から何冊も借りっ放しにして他社が写真を掲載できないよう妨害」だの「ひそかに交通取締りのポイントを耳打ちされ、飲酒運転を見逃してもらえたり」とやや自慢気に書いているあたりはさすがのマスゴミぶり。
吉田調書問題などでは調書の入手先に関する推測なども書かれてあったり、慰安婦報道の検証に関しては当初は謝罪するつもりだったのだが社長の指示で「謝罪なし」になったりした事など、内部告発的な内容はなかなか読み応えがありました。
ところがごく常識的なツイッター使用時の規定を「スパル中学でもやらないようなアホらしい規定」などと書いたり、「あるエース記者は『会社から自宅までの距離(タクシーの金額)と一致しない』と執拗に追求された」と会社としてごくあたりまえの内務監査を「非常識」、「ゲシュタポ」と呼ぶなど、朝日新聞記者の感覚が一般社会とは乖離しているのがよくわかります。
その彼らが作る新聞を日本のリーディングペーパーともてはやした時代が長く続いたわけですが、彼らが持っていた傲慢さが日本における「新聞」という報道手段を終わらせようとしているのがよくわかる一冊とも言えるでしょうね。