2008年12月25日

伸びる時間の皺、言葉の際

だいぶ前ですが、出張でボスニア・ヘルツェゴビナの首都、サラエヴォにいってきました。以下はサラエヴォのホテルで書いたもので、アップロードできなかったものです。なかなかブログという形式に慣れないんですね。困ったものです。
初めての地で、何も知らないものがものを言ったり、書いたりすることには抵抗があるのですが、しかし、「最初の印象」というものには、その人にとっての真実が含まれることもあるので(多くは思い込みが多いけど)、書き留めておこうと思います。

<出張準備>
ばたばた仕事が舞い込むブダペストで出張の準備ができるようになるのは、ほんの数日前からです。ただ、報告書の作成や論文の締切りなど、いろいろな時間の終わりが迫り来る中、本能的に多様な時間の計算ができるようになってきました。
出張に持っていくものなどの準備は、いつも出発の直前で今回の出張でも当日、目を覚ましてから、ばたばたとシャツやら洗面用具やらを準備しました。そのあたりはいつもの仕事なので、するすると通過するのですが、作業が緩慢になるのが「持っていく本を選ぶ」という作業で今回も小説を手に取ったり、読んでない論文を手に取ったり、出発時間10分前まで迷っていました。
最終的にはいろいろ持ってきたのですが、持ってきた本の中に中島由美著『(ことばを訪ねて)バルカンをフィールドワークする』(1997)大修館書店があります。言語政策を専門とする人間なら「バルカン」という言葉には無意識にも目が留まってしまうと思うのですが、さらに「ことばを訪ねて」にも惹かれて、買っておいて本棚にしまってあったものです。 そんなこんなで中島先生の本を片手に小さな飛行機に乗ると、ブダペストから一時間ほどでサラエヴォの街に着きました。

<サラエヴォと「何もしない人」>
午後の2時くらいに着いたのですが、空港から街に入る時、右にも左にも山が見え、隠れ家に入るような、包み込まれるような気持ちがしました。ホテルは旧市街にあるバシチェルシァというところにあり、細い道が入り組み、工房のような狭い部屋が入った低い建物が軒を連ねています。日本で言えば寺町の駄菓子や洋品店やらが雑多に入り組んだような感じで、近代的な意味からすると機能的でないかもしれないけど、商業と政治と宗教が混ざりこんだような生活感のある空間です。私のいる場所はイスラムのモスクが近くにあって、時間になると放送で祈りの声が聞こえて、昔いたウズベキスタンのブハラやヒワを思い出しました。近くの土産物屋ではトルココーヒーのセットが多く、食生活もトルコ的な影響が多く見られます。そんな風景だけ見ても懐かしい感じがしたのですが、私が一番懐かしさを感じたのは、「何もしない人」の存在です。
街のそこここにはタバコをすって、ぼぉと座っている人がたくさんいます。もちろん観光客もいるでしょうが、私にはまだ見分けがつかないので、街で目にする人の多くがただ、座って、通りを見つめているように思えます。今日は11月にしては暖かく、Tシャツの人もいます。空は底抜けに青く、紅葉が目にしみるようで、ぼぉっとするには理想的な秋の人ですが、それにしてものんびりしています。今日は休みなので路地の工房は板戸がしてありますが、それをおろすと縁側のような簡易椅子になるようです。カフェも多いですし、もし「面積に占める腰掛ける場所の比率」という統計があれば、サラエヴォはかなり上位にランキングするのではないでしょうか?ここでならイス取りゲームの音楽が鳴り終わっても、さほどあわてることもなく、「よっこらしょ」と有り余る椅子の一つに腰掛ければいいでしょう。渋谷なんかで音楽が止まったらパニックになるでしょうね・・
でも、なぜ私が「何もしない人」たちを懐かしんでいるかいえば、私もかつて「何もしない人」だったからです。

<伸びる時間の皺とブログの更新>
私の最初の赴任地はメキシコのコルドバ市という地方都市でした。「メキシコ時間」と言われる時間の中で、さらに地方都市ですので、これはもう正に、濃厚なメキシコ時間が漂う街でした。赴任の最初の日、見つけたのも「何もしない人」でした。コルドバの「何もしない人」はソカロという町の中心でハトにぱらぱらとえさをやったり、女の子をじぃぃぃっと目で追ったりしていました。時に知り合いが通りかかれば、大声で声をかけるものの、体はじっと座ったままでした。私は「あー、これがメキシコ時間だ」と思っていましたが、わずか一週間ほどでソカロの石のベンチに座ってハトにえさをやっている自分を発見しました。なんというか、その時は「だって、やることやってるし、ハトにえさをやったっていいじゃん」みたいな感覚で、その時間にするーっと入っていった感じです。
「何もしない人」は違う言い方をすれば「何をしているのかわからない人」なので、視点の転換が必要となります。私はここに来て、「何もしない人」を発見したということは、こちらの時間に溶け込んでいないということでしょうが、懐かしい時間に接して、「かつて自分であった時間」が共振したのかもしれません。そもそもブログを書こうなんて気持ちになった時点で何かが変わっているのです。ほとんど更新されないブログは私の時間の硬度を示しています。本当、毎日、時間が物質のように振ってくるのですが、サラエヴォに来て、時間がやわらかくなり、なんというか時間と時間の間に空間ができてきたようです。カチカチの時間の皺が緩和して、その伸びる時間の中でことばがふつふつと湧いてきたよう感じです。

<ことばと国家>
そうそう、このブログは「言語政策」がテーマで、湧き出たことばも中島先生の本に触発されてもいます。ここ数年欧州の言語教育政策の文献を読んでいますが、焦点は「国家」「言語」「民族」の関係をどうするか、にかかっていると思います。欧州評議会は「複言語主義」というようなからくりを準備し、これらの関係の脱構築を目指しているようですが、そもそもなぜそのような政策が必要であるといえば、世界は「国家」「言語」「民族」の概念で構成される利害関係が支配的で、新しい社会体制とどう折り合いを付けていくのか、というプロセスの真っ最中だからです。冷戦の終結からそろそろ20年がたとうとしていますが、この間、世界のシステムの変化の流れが「国家」「言語」「民族」で出来上がった世界の垣根を越えて、ざぶざぶとあふれてきます。この状況を前にあふれるままにしておくのか、もう少し流れがよくするようにするのか、政策にはいろいろあると思いますが、どちらにするにせよ、なんらかの政治的プレッシャーは避けられません。
中央アジアもそうでしたが、バルカンも「国家」「言語」「民族」に関する再解釈を90年代に一挙に成し遂げ、不幸な事件も多く起こった地域です。私はこの点については専門外なので多くは語れませんが、「自分たちとはだれか」について、統合/排除の道具に言語が使われました。しかし、そもそもことばを巡っては中島先生の本の方言地図にもあるように、じわりじわりと変化があり、「言語」となるには政治的な意向があります。このあたりも多くの研究があるので、書きませんが、私が関心があるのは、その政治の中の個人です。中島先生の本の中でもマケドニア語で育った環境の家族が「赤ん坊にマケドニア語ばかり仕込むわけには行かない。セルビア語の侵入である。」(p.143)という家族の例がありますが、このような家族内の言語政策と実際にその政策の中にいる人や子どもたちにはどのようにすればいいのかということです。

<移動する子どもと戦略としての言語教育>
かつてウズベキスタンで「帰国子女コース」というのを運営していたことがあります。これはウズベキスタン人で日本へ行った子供がウズベキスタンへ帰国した際のコースです。ここでいろいろ両親たちにインタビューする中で、ロシア語とウズベク語が交錯するウズベキスタンの状況と、海外を動き回る自分たちの生活環境の中で言語が選択され、その中で子供たちが育っている様子がわかりました。
クラスに日本滞在4年の、いわゆる若者ことばぺらぺらの兄弟がいました。家庭はウズベク語なので、基本的にウズベク語と日本語しかできず、日本滞在が長かったので学習言語は日本語なのに、帰国後は親の意向でロシア語学校に編入されました。ウズベク社会でロシア語を耳からきいて知っていたとはいえ、突然、小6、中1へ編入されれば「私たちがどんなに大変か、先生わかる〜」と言っていた兄弟の本気さはわかります。週に2回、日本語コースには親が許してくれるので来られるが、そのほかは家に帰っても家庭教師が待ち構えていて、ロシア語とロシア語による教科の学習が待っている。「せんせー、お願いだから、この時間、アニメ見せて」と言われ、彼女らが日本から持ってきたビデオを見たり、漫画を読んだりして過ごしました。時間の最後には両親へのアリバイ作りに漢字のシートを一枚持って・・。「今度いつ来てもいいですかー。パパとママに頼んでよ」と完全に休憩所にされていましたが、言語環境が複雑になればなるほど、言語が持つ利害関係の中でくたびれる子どもたちと、のんきに学習する子どもの差は出て来るんだと思います。世界は不平等にあふれているので、理念は絶対不可欠とはいえ、時々、理念の空々しさとむなしさを感じます。特に言語教育政策は言語政策の実践部門でもあるので、このように政治の現場に身をおくことになります。そのときにどんな話をするのかを、教師はそれぞれ準備しておく必要があると思います。
座る人座る人

kurukuruaojihan at 23:12|PermalinkComments(2)TrackBack(0)言語政策 | 出張

2008年05月13日

飴のように伸びることばを切り刻む

去年(2007年)秋ごろ、スロバキアに出張で行って来ました。
ブダペストから首都ブラチスラヴァまでは電車で2時間半程度。
ドナウ川が悠然と流れるのを横目に、その圧倒的な水量に驚きながら、電車に乗っていました。

ブダペストからのコンパートメントにはハンガリー人のおばあさんが一緒でした。相変わらずハンガリー語のできない私はどうしようもなく、仕事の資料を見ていました。ただ、コンパートメントのドアの止め具が緩んでいて、電車が揺れる度にドアが開いてしまうので、ドアが開くたびに共同でドアを固定することになりました。
身振り手振りと単語のハンガリー語、彼女は英語を話そうとするとドイツ語になってしまうらしく、もう、2人は言葉でコミュニケーションをするのをあきらめて、タクス達成のために、もくもくと身振り手振りでドアを固定しました。
でも、うまく固定すると決まって車掌さんやパスポートコントロールがやってきて、私たちの大事な「閉じたドア」を威勢よく開けるのでした。私たちは「やれやれ」という表情をしながら、ごそごそと切符やパスポートを探しました。

ブラチスラヴァの一つか二つ前の駅で、おばあさんがハンガリー語で「さようなら」と言って別れてからは、入れ替わりにスロバキア語(だと思う)の世界に変わりました。耳を澄まして聞いていると「むむ・・なんだか聞いたことがある・・」
スロバキア語(かどうか分かりませんが)は、ロシア語に似ていて、目の前にある文脈と耳慣れた音を聞くと、話している内容は想像がつくのでした。
スロバキア語を何一つ知らない私ですが、ロシア語の知識を使えば、少なくとも概要は理解できるので、世界が開ける気持ちがしました。
「複言語能力」というのは、いろいろな言語の知識を使って意味を想像したりする能力も含みますが、まさにこのときがそうだったのです。

私はいろいろな人に話しかけたい衝動に駆られましたが、一つ問題は私が知っているのが「ロシア語」であることです。
中欧ではロシア語が暗い歴史につながっていることがあり、あまり使いたがらない、逆に積極的に忘れたがっている人がいる、ということを聞きました。これはいまだにソ連人としてのアイデンティティを持つ人がいる中央アジアの人々は全く違います。
ただ、最近ではロシアの目覚しい経済発展から、ハンガリーではロシア語話者が減ってしまうことを懸念するレポートが出ています。( Language Policy Profile, Hungary) http://www.coe.int/T/DG4/Linguistic/Source/Profile_Hungary_EN.pdf
最近の若いハンガリー人の間でもロシア語の人気が高まっている話も聞いたことがありますが、私の周りの人は「ロシア語ね・・」という感じです。

「ロシア語」「スロバキア語」と書きましたが、その違いはハンガリーから出てきた私が「わかる」と思わせるほど近いものです。むしろ連続体であるような印象も受けます。ただ、「ロシア語」「スロバキア語」という区別の中には、長い歴史から形成され、制度化された「違い」があります。近代以後、言語を制度化したことで、この違いは決定的なものとなりましたが、本来は緩やかな連続体の中に人は生きていたのでしょう。

ハンガリー人のおばちゃんも私とは言語的には絶望的に接点が見つかりませんでしたが、あのやっかいなドアについての思いは共通していたと思います。私たち2人はいくつかの言語を発しましたが、それを「日本語、ハンガリー語、ドイツ語、英語を使った」と見るか、「2人だけの言葉を使った」と見るかで、言語研究の視点は随分変わるだろうなと思いました。
ブラチスラヴァドナウ川

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2007年11月25日

ある種の人間

今、ハンガリーでの教材作りのお手伝いをしています。
「CEFRに準拠した教材を」ということで、Can-Do-Statementをデータベースにして、場面に貼り付けるような作業が進んでいます。
こういった作業をしながら、また、CEFRを読みながら、A1からC2に段階付けられた人間はどんな存在なのかを考えてしまいました。

CEFRは欧州言語を想定して作られていて、日本語の基準はこれから作っていく必要があることは、今年のヨーロッパ教師会での発表を見てもよく分かりました。とりわけ漢字の存在が「読む」「書く」について大きな変更を強いることは容易に想像がつきます。今後、これらの項目につき日本語の特殊性や日本語がおかれている文脈に従い、様々なCan-Doが生まれるのでしょう。

ただ、忘れてはならないのはCEFRが想定している人間とはどんな人間か、という点です。CEFR基準のランク付けは、これが一人歩きすると、そのまま新たな差別構造につながっていくからです。特に「多言語主義」を「複言語主義」に転換したことで、言語間の差別を回避した結果、それが個人間の差別化につながっていきます。もちろんすべての個人の「違い」が尊重されることはいいことですが、それがある尺度によって指示されることには十分な注意が必要だと思います。

Can-Do を読むと、C2を頂点とする人間は言葉を「理解する」「話す」「書く」ことができます。さらに抽象的なもの、文学作品、テレビや映画、時事問題やニュースも理解できます。
これは様々なリテラシーが集結したモデルで、確かに「ある種の」社会参加には必要なリテラシーであることは確かです。ただ、この「ある種の社会への参加」が個々人にとってどれだけの意味があるかは、全く別の話であることは再確認が必要だと思います。CEFRにしたがって教育、評価する時、私たちは「ある種」の社会的存在をモデルにし、それを再生産しているという意識は必要でしょう。

言語政策はこのような「違い」を作り出すシステムのせめぎ合いです。そのポリティクスが個人のレベルに落としこまれたときに、私たちは自己を規定するシステムを批判的に判断する能力が必要です。これはアイデンティティ・ポリティクスともいえるものでしょうが、言語政策はこのミクロの視点が非常に重要であると私は思っています。

kurukuruaojihan at 16:43|PermalinkComments(0)TrackBack(0)言語政策 | CEFR

2007年10月24日

ウイーンのウズベク人と巻き戻される時間

 週末にかけてウィーンに行ってきました。
 ブダペストから3時間あまりで、まったく違う言語空間に来たので、ヨーロッパ言語地図の複雑さを実感するとともに、その「あいだ」がどうなっているのかが、とても気になりました。
 しかし、そもそも「あいだ」なるものは存在せず、国境という架空の線引きからついつい想定してしまうのですが、それでもなんらかの「あいだ」があるように思えるのはやはり頭がモダニズムに汚染されているのかもしれません。
 私は子供のころ12月31日の11時59分あたりから117に電話をかけて、新年になるのを確認していました。
「0時、ちょうどを、お知らせします、プ・プ・プ・ブー」
の後に、何か劇的な変化が起きるような気がしていました。
 しかし、そこには昨日(去年)と変わらぬ時間が流れていました。
 確実に新年になったのに関わらずです。
 国境を超えたとたんに言語が変わるとは思えませんが、何か、区切りのようなものが存在するような気がするのもそれと似ているような気がします。

 ウィーンへの往復で柄谷行人の『探求機戮魑廚靴屬蠅貌匹瀛屬靴泙靴拭
 初版からもう20年もたってしまった『探求』ですが、このような「あいだ」にいて読み返すと、柄谷が問題としたコミュニケーションの地平がEUの現実問題として取り上げられているのを目の当たりにして、時間がくるりと裏返る気持ちがしました。
 柄谷はコミュニケーションにおける「意味」や売買における「価値」は内在するものでなく、話し相手や買う相手が了解して初めて決まると、述べています。

 なぜいかにして「意味している」ことが成立するかは、つにいわからない。だが、成立したあとでは、なぜいかにしてかを説明することができるー規則、コード、差異体系などによって。いいかえれば、哲学であれ、言語学であれ、経済学であれ、それらが出立するのは、この「暗闇の中での跳躍」(クプリキ)または「命がけの飛躍」(マルクス)のあとにすぎない。規則はあとから見出されるのだ。『探求機拗崔娘匈惱冓幻p.50

 CEFRの「複言語」もヨーロッパを形作る言語政策、思想の一つですが、多言語主義を捨てて、個人の言語、つまりパロール実践に軸足を置いた時点で、この「暗闇の中での跳躍」を見越したコミュニケーションモデルを採用していると思います。このように不確定性を含んだ社会形成を進めるのは当然「不経済」ではありますが、EUの言語の複雑さを目の当たりにした時、これは遠回りであるが、仕方がないのだと思いました。言語教育もこの中に含まれるムーブメントゆえに、これからもコミットして行きたいと思います。

 さて、ウィーンでお茶を飲んでショッピングモールを歩いていると、どこか見慣れた顔に出会いました。
 あちらも私を見ています。
 ある瞬間を境にして互いにそれが2007年ウィーンで会った人間ではなく、1998年にウズベキスタンのタシケントで会った教師/学生ということが分かりました。
 10年ぶりくらいの再会でうまくことばが出ませんでしたが、世界はそのような出会いを用意し、時間を巻いたり、緩めたりしながら、さまざまな関係を形成しながら構成される集合体であるようです。

 出会うはずでない人に、出会うはずでない場所、時に会う。

 「あいだ」における暗闇は楽しむしかないのだと思います。


kurukuruaojihan at 05:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0)ハンガリー | 言語政策

2007年10月10日

生活の基本は記号と数字と絵

言語生活の話をします。

実は私のハンガリー語能力はこの2ヶ月で後退しています。
ほとんどゼロから後退するのですから、これは単細胞動物が細胞分裂をやめてしまうようなものです。
理由としては「それで生きていけるから」です。
前回、EUのシティズンシップが、社会参加を基本としていて、それを支えるのが複言語主義だ、というようなことを書きましたが、私は困らないくらいここの社会で暮せていけてます。(もちろん制限がありますが)

しかし、すべてうまくいっているわけでは当然ありません。
福島家にはクリアしなければならない課題がありました。
そしてその障害を越えるためには若干のハンガリー語能力が必要でした。
それは、「インターネットショッピング」です。

福島家には車がありません。
車がなくて何が困るかというと、
「買い物」です。

特に水やビールなど「重いもの」、また、トイレットペーパーなどの「かさばるもの」は車のない人間にとって憎むべき仇です。
福島家の子ども2人は毎日、それこそ湯水のごとく水を飲みます。
そして、私も律儀に毎日ビールを飲みます。
日々、買い物に苦しむ妻に苦渋を強いるがごとく、買えども買えども家の液体は消費されていきます。
そこで聞きつけたのが、インターネットショッピングです。
ここで買い物ができれば、生活がぐっと楽になるというものです。
そしてサイトに繋いだ結果、私の目の前に現れたのが、この画面です。

この画面を見て、「なんとなくいける」と思う人は少なくないのではないでしょうか?
少なくともこれがインターネットショッピングのサイトである限り、「登録」「ログイン」「商品選び」「支払い方法の選択」などという「インターネットショッピングスキーマ」が通用すると思うのが自然な発想です。
皆さんもやってみるとわかると思うのですが、「記号」「数字」「絵」のほかにウェッブページいあるボタンの位置とか、窓とかも大きなヒントになります。

インターネットショッピングを日常的に行う私の妻は、「インターネットショッピング画面読解」については上級レベルのスキルを持っていました。
妻もハンガリー語は限りなくゼロに近いのですが、ハンガリー語で構成されたウェッブページの読解にかけてはほ満点でした。
ハンガリー語が書かれているボタンを示し、「これはキャンセル、これは確認」などというので、一つ一つ辞書で引いてみると当たっていました。

とりあえず、私たちは水を3ダースとビールを20本、トイレットペーパー16個をカートにいれ、住所を登録し、(たぶん)「購入」というボタンを押して、指定した時間に商品が届くのを待ちました。

そして、その当日。
商品は届きました。
「インターネットショッピングサイトは注文した商品を届けてくれる」という当たり前のことですが、とても不思議なことのように思いました。
こうやって福島家は一歩ハンガリー社会に参加できたのでした。

ハンガリー語が皆目分からない私にとって、言語の代わりとなっているものは「記号」「数字」「絵」そして、さまざまな場面で持っているスキーマです。
と、考えると、「複言語」もいいですが、「記号」「絵」などの国際的な基準があるとかなり楽に暮せるようになるだろうと思います。
ウェッブページのデザインや自動販売機も同じようなものであれば、スキーマが使えます。
そうすることで、言葉が分からない人間は生活しやすくなるでしょう。
もちろん、均質的な世界は退屈でしょうが、これもバランスの問題でしょうね。

kurukuruaojihan at 06:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0)ハンガリー 

2007年10月09日

CEFRだけだとなかなか難しい、と思う

 ハンガリーに来て二ヵ月が過ぎましたが、ハンガリーの日本語教育現場はEUの言語政策とそれに伴うハンガリー政府の教育政策に大きく影響を受けていて、ハンガリーの先生方もこの動きを強く意識して活動されているようです。
ハンガリーの外国語教育政策は欧州評議会のガイドラインにそって明文化されていて、読むことができます。

 ハンガリーのMinister of Education, Department of International RelationsによるLanguage Education Policy Profile 2002-2003を読んでいて面白かったのは、外国語教育が民主的シティズンシップ(democratic citizenship)との関連で語られているところです。社会の成員として、十全に参加を達成するためにコミュニケーションが保証されていなければならず、ハンガリーを含むEUが人の移動を促進する限り、それに適したことばの教育が必要になってくるのです。そして、このコミュニケーション空間の前提になっているのが、多言語主義(multilingualism)ではなく、複言語主義(plurilingualism)です。

 多言語主義と複言語主義の違いについてはWeb上のいろいろな場所で語られているでしょうからここでは書きませんが、この変更により言語教育はだれかが話す言語ではなく、言語を話す個人と、その個人がどのような人間関係を作るかに関心が向けられるようになりました。この個人の社会への参加の仕方がシティズンシップとして問題となるのです。
 複言語主義は個人が持つ言語チャンネルの複数化を促進することにより、そのような個人が形成する社会のコミュニケーションネットワークをより柔軟にし、社会への参加を容易にしていく理念であると思います。ここでいう「ことば」は「言語」という近代を前提とした実体としての言語ではなく、コミュニケーションという機能が果たされた時に出来上がるネットワークのようなものです。そして、その場合どの「言語」でつながったかは問題でなく、ネットワークが出来上がった時点での「私とあなた」の関係性が問われます。この関係に「言語」による差別がなくなるように「複言語主義」はコミュニケーションの効果的な機能と、このような平等な社会を作っていこうという理念的な側面を持っていると思います。

 さて、このような枠からハンガリーにおける「日本語」を見ていくと、非常に小さなものに見えてしまいます。そもそも「日本語」を部分的にでも使って人間関係を形成しなければならない人はハンガリーでは非常にわずかです。上記のLanguage Education Policy Profile, Hungaryでは近年増加している中国人移住者の言語についての記述は見られますが、わずか1000人あまりの在留邦人と1500人の日本語学習者のシティズンシップについては触れられていません。
 ハンガリーに来て「少数言語としての日本語」というような表現をハンガリーで長く活躍される先生から聞いたことがありますが、EUの公用語でもなく、ヨーロッパ言語でもない日本語の教育を続けていくには、「日本語教育」自体のエンパワメントが必要で、実際に切実な問題です。これは「海外の日本語教育」という日本からの視点では見落とされやすい点であると思います。

 限られた予算の中で効果的ななコミュニカティブ・インテグレーションをハンガリー政府が目指すなら、日本語教育の優先度はかなり低いでしょう。もしかしたら増える中国系移住者のための「中国語教育」に予算を食われてしまうかもしれません。
 日本からの視点から見ると「なにもわざわざ無理に続けなくても」といった意見も出るかもしれませんが、ハンガリーで生活をしている先生や、学生にとってはこれは死活問題です。
 また、わたしはわずか二ヶ月ですが、ハンガリーで日本語を学習したことによって、非常にユニークな存在になっている人たちを見ました。「日本語教育」とは言葉を教えるだけではなく、それをとりまくすべてのものを学習者がアイデンティティに取り込んでいくような作業ですが、客観的にみてヨーロッパの人が日本テイストを取り込んで行くことは、新しい可能性を孕んでいると思います。そういう意味でもハンガリーの日本語教育が衰退しないように努力をする必要がありますが、CEFRとは違ったフレームも必要だろうと、この文を書きながら思いました。


kurukuruaojihan at 05:42|PermalinkComments(4)TrackBack(0)言語教育政策 | ハンガリー

2007年09月26日

床屋シラバス

私は今までアメリカ、メキシコ、ウズベキスタン、ロシア、ハンガリーと暮してきましたが、言葉ができようができまいが、一番最初にインタラクションを求められる場所は「床屋」でした。
買い物であれば、ほしいものをレジに持っていったり、市場で指差せば、次は値段の提示か交渉なので、あとは数字との戦いです。
ただ、「床屋」だけは店に入って、椅子に座れば自動的に散髪が開始されるということはありません。今までの経験から言って、何がしかの指示がないと床屋さんは髪を切ってくれません。また、髪は「説明できるようになるまで伸びないでほしい」というような要求は受け入れず、毎日、着実に伸びていきます。

というわけで、私もハンガリー語がほとんど分からないままに、先週末、床屋に行くことになりました。
とりあえず「短い」「長い」という言葉だけを辞書で調べて、職場近くのおばちゃん2人がやっている店に行きました。
椅子に座りましたが、英語は通じませんでした。
私は「短い」「長い」と身振り手振りでなんとか意思を伝え、後は「まぁどうでもいいや」と思いながら座っていました。
私は特に髪型に思い入れはなく、所詮私の髪型など身振り手振りで伝わるものです。ただ、最近の若い男の子のおしゃれな髪型を見るとかなり複雑な説明ができないと散髪にいけないということになります。
ですので「床屋」はサバイバル言語教育シラバスには比較的早い段階で必要となってくると思います。

ところで、日本の「床屋シラバス」ですが、「前髪」「横」などは比較的何をさしているのが分かると思いますが、日本の床屋に行って確認されるのでユニークだと思うのは
 屬發澆△欧呂匹Δ覆気い泙垢?」と
◆嵌毛の下をお剃りしますか?」です。

 屬發澆△押廚脇本語能力試験一級の語彙にも入っていないと思いますが、日本に来て床屋に行くと聞かれると思います。もちろん今回、ハンガリーでは身振り手振り状態ですので「もみあげ」をどう処理するかなど、おばちゃんは私に聞きませんでしたし、そもそもハンガリーの床屋が「もみあげ」に関して関心を持っているのかどうかは分かりません。メキシコでは「ここはまっすぐにするのか」と一応聞かれました。
「もみあげ」に関してうるさいのは日本だけかどうか分かりませんが、サバイバル日本語「床屋シラバス」では、「日本の床屋はもみあげをどうしたらいいのか聞きたがっている」という情報はあったほうがいいのかもしれません。
◆嵌毛の下をお剃りしますか?」は、最近日本に帰って質問される項目です。最初はなぜそんなことを質問されるのか分かりませんでした。私が子供のころは「大坂屋」(床屋の名前です)のおっちゃんが有無を言わさず、じょりじょり剃っていました。最初、聞いた時は「眉毛の下=目の上」だから、安全上の問題で聞いているのかと思いました。ただ、いつも聞かれるので、ある日、床屋に「眉毛の下を剃るとどうなるのですか?」と聞いてみました。
すると
「顔がきりっと締まって見えます」
といわれました。
つまり、「きりっと引き締まって見えたくない場合」は剃らないんでしょうが、すると、なんだか「あ、じゃ、剃らないで下さい」ともいえなくなって、剃ってもらいました。
と、話がずれましたが、「床屋シラバス」には「日本の床屋は眉毛の下をそりたいのか知りたがっている」という情報もあったほうが、無言で目の上をじょりじょりされるよりいいと思います。
また、いろいろな国の床屋にいきましたが、日本の床屋はやはりかなり繊細にできていて時間も長く、値段も高いです。
何も知らないで行くと、いろいろ質問された挙句、こちょこちょ長い時間をかけて散髪をして、かなりの金額をとる、ということになり、「ぼられたんじゃないか?」と思う可能性が出てきます。
そのあたりも「床屋シラバス」には必要かもしれません。

さて、先週、ハンガリーの床屋に行って、「短い」「長い」の他に使った表現がありました。
店に入って椅子に座ると、最初におばちゃんが
「ハンガリー語分かる?」と聞きました。
私は「分からない」と答え、その後、「短い」「長い」を駆使し、散髪を開始してもらいました。
ただ、「分からない」といってしまったので、その後、おばちゃんも無言、私も無言でした。おばちゃんは無言でバリカンをジージー使いました。
無言の世界にバリカンの音だけがこだまするので、非常に気まずかったです。
私は「でも数字は数えられるぞ。少なくとも1から1000万ぐらいまでいける。でも数字を数えるわけにはいかないな・・天気の話・・う、できない。年齢はいえる。でも、なぜ突然年齢?日本人です、もOKだけど、聞かれてないしな・・」と何も話せないながらも「分からない」と言ってしまった事に後悔しました。

初級で、「日本語分かりますか/話しますか?」「分かりません」というのも教えますが、「分かりません」と日本語で答えている時点で少しは分かるんですよね。あの気まずい時間を埋めるためも「少し分かります」とでも言えばよかったと思いました。

言語活動を通じてあるべき人間関係を作るのが「言語政策」であるとすれば、コミュニケーションのチャンネルを開いておくストラテジーも「個人的な言語政策」として必要だと思いました。
次に髪が伸びるまで何らかの方略を考えておきます。

kurukuruaojihan at 04:57|PermalinkComments(0)TrackBack(0)ハンガリー | 言語政策

2007年09月24日

「靴べら」を初級語彙に!!

驚きから立ち直って少し私の言語事情を書きます。
というのも赴任して一ヵ月半、この期を逃すと「言葉がまるで分からない外国人」である新鮮な不便さを忘れてしまうからです。
「言語政策」といっても、政府が行うもの、地域がやるもの、学校や家庭、個人がするものなど様々です。他者同士が一緒に生活するのに、どのような言語空間を目指すのかが、その根本にあります。その「他者」のレベルの違うだけです。
私も久しぶりに「言葉がまるで分からない外国人」になりましたので、私の言語使用状況と生活から、期待する言語サービスと言語教育について記しておきたいと思います。

◎私のハンガリー語
ちなみに私のハンガリー語ですが、赴任前にハンガリー語を少しかじった程度で、ほとんど分かりません。また、ハンガリーに来るのは今回が初めてです。
ですので、言語的、文化・習慣的にハンガリーは私にとって異質な世界で、唯一「記号」「数字」「絵」「写真」「ハンガリー語の中の外来語(英語など)」が生活をする手がかりになっています。

◎よく使う構文
さて、よく「サバイバル○○語」という言葉がありますが、実際、私が今直面しているのが、そのサバイバル状況です。そこで、私がハンガリー語を使用する場面から、必要なサバイバル要件を考えて見ます。

まず一番多いのは、やはり「挨拶」です。
「おはよう」「こんにちは」「さようなら」「ありがとう」「失礼ます」
私から発せられるハンガリー語のほとんどがこれです。
これを知らないとなかなか生活が難しいです。

次に多いのは、「これは〜ですか?」です。
スーパーや市場でほしいものがあるのですが、野菜などは日本のものとは形が違います。「これは何ですか?」と聞いても返ってくるハンガリー語が分からないので、分からないままです。ですので、知りたいものの名前を辞書で引いて、「これは〜ですか」と聞きます。そして「はい」ならお礼を言ってそれを買います。「いいえ」の場合はたいてい店の人が、それを持ってきてくれますので、それを買うことができます。

私が操れる言葉で最後のものは「〜は(どこ)にありますか」です。
これなら「ある/ない」「あっち/こっち」なので、大体機能は果たします。
「これはいくらですか」は、だ数字がよく聞き取れないので、聞いても紙に書いてもらうことになります。
今後の当面の目標は「数字が聞き取れる」です。

◎使いそうで使わない構文
初級教科書で一番に出てくる「私は福島/日本人です。」というのは、実はまだ一度も使ったことがありません。きっと学校に通ったり、仕事でハンガリー語を使う場合は必要なんでしょうが、私のように街でしかハンガリー語を使わない場合は、なかなか使つ機会がありません。
別に八百屋さんに「私は福島です。よろしく」といってもいいのですが、店の人も忙しそうなので、なかなか相手にしてくれないでしょう。
「サバイバル」と一言で言ってもその人がどこでサバイブするのかで、優先順序が変わるのだな、と思いました。

◎サバイバルに必要なもの
私のように街の買い物などしか話す機会のない人にとって必要なのは「語彙リスト」もしくは「辞書」です。
今までスーパーで見つからず私が探していたものに「靴べら」「缶切り」「子どものバレーシューズ」「加湿器」がありました。
およそ初級ではお目にかからないものですが、だれも「あー俺はまだ初級だから、缶詰は食べられいないなー、仕方ないなー。」とは思いません。
もちろんその人が必要な語彙というのは個人的なものですので、カスタマイズが必要です。そのためには辞書がいいですが、分野別の語彙リストがあると、とりあえず必要なものは手に入ります。
後は必要に応じて自分のリストを作っていくしかないと思います。語彙の場合、いわゆる初級も超級もありません。その人が必要なものから並べていく必要があります。

「文脈化」で有名な早稲田大学の川口義一先生が「語彙というのは非常に個人的なものだ」とおっしゃったのを思い出しますが、そういえば「ビール」「灰皿」という単語を数ヶ国語知っている人は多いですよね。

◎もう一つ大切なもの
あとは、聞いてくれる人の態度です。おかげさまで今まで、会ってきた店の人は親切に教えてくれます。きっと、あと何回が通ったら「名前は何?」と聞かれるかもしれません。そうなったら、ようやく「福島です」の構文は日の目を見るでしょう。さて、いつのことになるやら。




kurukuruaojihan at 03:56|PermalinkComments(0)TrackBack(0)言語政策 | ハンガリー

2007年09月21日

ようやく家にネットがつながりました3

福島青史@ブダペストです。
引っ越して一ヵ月半ですが、ようやく家にネットを繋ぐことができました。
そして、大学のHPを覗いてみると、なんと一文字も書かれていないこのブログにリンクが張ってあるではありませんか!!!
http://www.gsjal.jp/lep/

と、肝をつぶした福島ですが、この驚きを期に、今日から少しずつ言語教育政策について様々な観点から書いていこうと思います。

そもそもこのブログは早稲田大学日本語教育研究科で2007年前期に行われていた「言語教育政策勉強会」の成果を載せようという趣旨で始めたものでした。この勉強会ので参加者の皆さんで調べた「日本政府の言語教育政策」についても、追って整理して載せていきます。皆さん、遅れてすみません。

現在、私はハンガリーのブダペストにいます。ヨーロッパといえばCEFRが言語政策として有名で、日本でも注目されています。このブログでもCEFRをはじめとするEUでの言語政策や、ハンガリーにおけるCEFRの取り入れられ方、日本語教育への影響についてもレポートしていきたいと思います。

びっくりした勢いで、ここまで書きましたが、今日はここでおしまいです。
いやー、本当にびっくりした。

kurukuruaojihan at 06:06|PermalinkComments(0)TrackBack(0)言語教育政策 | 早稲田大学