2005年06月20日
ゼ二ちゃんが泳いだ!
この間突然どこからかやってきた亀の赤ちゃん、ゼ二ちゃんは、亀のくせに泳げなかった。
体を洗ってやろうと大きな洗面台に水を張って、試しにふわりと落としてみたら、底に沈んで歩きまわるばかりで、泳げないのだ。
思わず足先を見たが、ちゃんと水掻きはついているので、陸亀ということはない。
その状態が続いていたが、三日程前に、突然泳げるようになった。
水底から水面を見上げて、何を思ったのか手足を急に思いきりばたばたやりはじめた。すると、すうっと体が水面に浮き上がってきたのだ。
それからはすいすいと泳げるようになった。
そりゃあ、亀だもんね。
どうも今まで泳いだことがなかったらしい。
よほど生まれたばかりだったのか?
それにしても、どこからやってきたのか、まったく不思議だ。
とにかく、取り敢えずは、泳げるようになって良かった。
ゼ二ちゃん、おめでとう!
体を洗ってやろうと大きな洗面台に水を張って、試しにふわりと落としてみたら、底に沈んで歩きまわるばかりで、泳げないのだ。
思わず足先を見たが、ちゃんと水掻きはついているので、陸亀ということはない。
その状態が続いていたが、三日程前に、突然泳げるようになった。
水底から水面を見上げて、何を思ったのか手足を急に思いきりばたばたやりはじめた。すると、すうっと体が水面に浮き上がってきたのだ。
それからはすいすいと泳げるようになった。
そりゃあ、亀だもんね。
どうも今まで泳いだことがなかったらしい。
よほど生まれたばかりだったのか?
それにしても、どこからやってきたのか、まったく不思議だ。
とにかく、取り敢えずは、泳げるようになって良かった。
ゼ二ちゃん、おめでとう!
2005年05月20日
赤ちゃん亀がやって来た! いったいどこから?
体に泥の干からびたのをくっつけて……。
びっくりして庭の外水道のところにあったコーヒーの空き瓶に少し水を入れて、その中に入れておいた。
あまり動かないので、どうもこれは……と、思いながら。
夜になっておそるおそる瓶をふってみると、どうも動きは鈍いが生きているようだ。
そこで、縁の下から前に金魚を飼うのに使っていたプラスチックケースを取り出してきて、その中に水をはり、そっと入れてやった。
赤ちゃん亀はだんだん元気なり、ペットショップから買ってきた小亀用の餌もぱくぱく食べるようになった。
図鑑を見ると、どうも「日本石亀」ではないか(?)と思うので、その幼体の呼び名「銭亀」からとってゼニちゃんと呼んでいる。
けっこうかわいい。
それにしても、いったいどこからやって来たのか?
家人はカラスがくわえて飛んでいて、落としたのでは? というのだが……。
☆桜堂ホームページ
2005年05月17日
わたしが透明になったわけ---12
「ねえ、キキ、このポシェットを借りていっていいかしら?」
キキが肩から斜めにかけている小さなポシェットを、わたしは見詰める。
「お守りにしたいの。これがあれば、キキと一緒にいるような気分でいられるでしょ? あなたはこれがなくなってしまって困るかも知れないけれど……」
キキの青い目の中を、わたしはそっと覗き込む。
「わたしね、ずっと前にこれに良く似たバッグを持っていたのよ。しかもそれは、母さんにもらったものだったの。どうしてそんな大切なものをなくしてしまったのかはわからない。ただ、なくなってしまったの。とても残念なのだけれど……。そのバッグのことはよく覚えているわ。淡いピンクと紫色の小さなバッグに細いベージュ色の肩紐が付いていて、とれもきれいだったわ。真ん中にお日様の形にビーズ刺繍がしてあって、それがきらきらと光って……」
日の光を反射してビーズがきらめく様が、目の奥に浮かんでは消えた。胸の奥が一瞬きゅっと痛んだが、わたしは急いでそのことを意識の外に追い出す。
「ねえ、キキ、いいでしょ?」
わたしはキキの肩から、そっとその小さなポシェットをはずす。
キキの青い目が、わたしの願いに応えて、きらっと光ったような気がしたからだ。
わたしはそれを大事にポケットにしまう。あとで、一つだけ持っていく予定のデイパックの底にしまえばいい。お気に入りのバンダナにくるんで。
わたしはそっと立ち上がる。そしてキキに敬礼の真似をしてみせる。
「元気でね、キキ」
元気でね、オコ。
キキの細い声が、耳の奥から届いたような気がして、わたしは掌をすぼめて耳に当てる。
「真空堂」の中には、さっきと同じに青白い月光が差している。
ぐるっと回って、わたしは月の光に満たされた店内をながめる。
☆桜堂ホームページ
キキが肩から斜めにかけている小さなポシェットを、わたしは見詰める。
「お守りにしたいの。これがあれば、キキと一緒にいるような気分でいられるでしょ? あなたはこれがなくなってしまって困るかも知れないけれど……」
キキの青い目の中を、わたしはそっと覗き込む。
「わたしね、ずっと前にこれに良く似たバッグを持っていたのよ。しかもそれは、母さんにもらったものだったの。どうしてそんな大切なものをなくしてしまったのかはわからない。ただ、なくなってしまったの。とても残念なのだけれど……。そのバッグのことはよく覚えているわ。淡いピンクと紫色の小さなバッグに細いベージュ色の肩紐が付いていて、とれもきれいだったわ。真ん中にお日様の形にビーズ刺繍がしてあって、それがきらきらと光って……」
日の光を反射してビーズがきらめく様が、目の奥に浮かんでは消えた。胸の奥が一瞬きゅっと痛んだが、わたしは急いでそのことを意識の外に追い出す。
「ねえ、キキ、いいでしょ?」
わたしはキキの肩から、そっとその小さなポシェットをはずす。
キキの青い目が、わたしの願いに応えて、きらっと光ったような気がしたからだ。
わたしはそれを大事にポケットにしまう。あとで、一つだけ持っていく予定のデイパックの底にしまえばいい。お気に入りのバンダナにくるんで。
わたしはそっと立ち上がる。そしてキキに敬礼の真似をしてみせる。
「元気でね、キキ」
元気でね、オコ。
キキの細い声が、耳の奥から届いたような気がして、わたしは掌をすぼめて耳に当てる。
「真空堂」の中には、さっきと同じに青白い月光が差している。
ぐるっと回って、わたしは月の光に満たされた店内をながめる。
☆桜堂ホームページ
2005年05月02日
わたしが透明になったわけ---11
灯りはつけていないが、「真空堂」の中には青白い月光が差している。
わたしは小さなスツールにぼんやりと座っている。
目の前には青い目のアンティークドールが、こちらを向いて座っている。まるで生きているかのような深々とした青い目を、わたしはじっと覗き込む。
「キキ……」わたしがつけた人形の名前だ。
「わたしね、ここを出て行くことにしたわ」
ちかっとキキの目が光ったような気がしてちょっと驚く。実際には外を通った自動車のライトの反射だったようだ。
「何故かっていうとね、ここにいちゃ危険なんだって。カインがそう言うの。あなたにカインのことを話したことがあったかしら? カインは金色のトカゲなの。トカゲなんだけど時々フジサワくんっていう男の子の姿になる……。何だかよくわからないよね。わたしにだってよくわからない。いつの間にか、カインはわたしの友達になっていた。友達と呼べるのはロックさんを除けば彼だけだし、わたしには大事な人なの。で、わたしはここを出て行くわ。それも明日の朝早く。ゼリ子おばさんには手紙を書いた。そうするしかないのよ。話したってわかってもらえっこないしね。またいつかおばさんに会って、その時には事情を説明できるといいんだけど……。お金は少しならあるわ。ゼリ子おばさんに貰ったお小遣いは使わないですっかり残してあるし、母さんがわたしのために置いていってくれたものだという貯金通帳もある。でも、知ってた? わたしはまだ16歳なのよ。背が高い方だし、18歳くらいには見えないこともないとは思うけど……。まあ、とにかく、大抵のことは何とかなるものよ。何とかね。キキに会えなくなるのは淋しいけれど、あなたにもまたいつかきっと会えるわ。大丈夫」
キキの目を再び覗き込んで、わたしは小さなため息をつく。
「ロックさんには何も言わないでいくわ。あなたに彼への伝言を頼めるといいんだけど……。まあ、彼にもきっとまた会える。その時にいろんなことを話せばいいわ」
ロックさんの顔が目の前に浮かんで、胸がきゅっと詰まるような感じがした。目の奥の彼の顔は笑っている。
★桜堂ホームページ
わたしは小さなスツールにぼんやりと座っている。
目の前には青い目のアンティークドールが、こちらを向いて座っている。まるで生きているかのような深々とした青い目を、わたしはじっと覗き込む。
「キキ……」わたしがつけた人形の名前だ。
「わたしね、ここを出て行くことにしたわ」
ちかっとキキの目が光ったような気がしてちょっと驚く。実際には外を通った自動車のライトの反射だったようだ。
「何故かっていうとね、ここにいちゃ危険なんだって。カインがそう言うの。あなたにカインのことを話したことがあったかしら? カインは金色のトカゲなの。トカゲなんだけど時々フジサワくんっていう男の子の姿になる……。何だかよくわからないよね。わたしにだってよくわからない。いつの間にか、カインはわたしの友達になっていた。友達と呼べるのはロックさんを除けば彼だけだし、わたしには大事な人なの。で、わたしはここを出て行くわ。それも明日の朝早く。ゼリ子おばさんには手紙を書いた。そうするしかないのよ。話したってわかってもらえっこないしね。またいつかおばさんに会って、その時には事情を説明できるといいんだけど……。お金は少しならあるわ。ゼリ子おばさんに貰ったお小遣いは使わないですっかり残してあるし、母さんがわたしのために置いていってくれたものだという貯金通帳もある。でも、知ってた? わたしはまだ16歳なのよ。背が高い方だし、18歳くらいには見えないこともないとは思うけど……。まあ、とにかく、大抵のことは何とかなるものよ。何とかね。キキに会えなくなるのは淋しいけれど、あなたにもまたいつかきっと会えるわ。大丈夫」
キキの目を再び覗き込んで、わたしは小さなため息をつく。
「ロックさんには何も言わないでいくわ。あなたに彼への伝言を頼めるといいんだけど……。まあ、彼にもきっとまた会える。その時にいろんなことを話せばいいわ」
ロックさんの顔が目の前に浮かんで、胸がきゅっと詰まるような感じがした。目の奥の彼の顔は笑っている。
★桜堂ホームページ
2005年04月26日
わたしが透明になったわけ---10
「オコ、オコったら」
耳のすぐうしろの、きりきりと痛むあたりを揉んでいた手を休めて、わたしは振り向く。
「どうしたの? さっきから何度も呼んでいるのに」
フジサワくんの白い顔が、心配そうにこちらをのぞき込んでいた。
「フジサワくんなのね。ああ怖かった!」
「怖かった?」
「うん。さっき天窓から空を見ていたら、何だか急に空がおかしな具合になって……。妙な濃い霞がかかったと思ったら、得体の知れない不安がに胸を締め付けられそうな気分になって……」
「それで、うずくまって頭を抱えてたのか……」
フジサワくんの大きな目が、ぐるぐると渦を巻いているように見える。
「その奇妙な感じには、何か予兆のようなものがあったのかな」
「あ、そういえば、不思議なにおいがしてきてた」
あの記憶がまた押し寄せて来そうで、わたしは一瞬きつく目をつぶる。
「オコ、今度その予兆を感じたら、あの青い粒を一つ口に入れるんだ」
「え? あの小瓶に入った青い粒を? ジェット・カルにもらった……」
「そう、あれだ」
「どうして?」
「きみの身が危険だからだ。あの錠剤が君を守ってくれる。あれはまだ持っているよね」
「うん」
首にかけたロケットを、わたしはそっと持ち上げてみせる。
「この中に入れてあるわ」
フジサワくんが、うなずく。
「いいかい、今度またその予兆を感じたら、その中にある青い錠剤を一粒飲むんだ。いいね」
まだ痛む耳のすぐうしろのあたりを、わたしはぐりぐりと親指で揉む。
「どうして急にここが痛んだのかしら?」
「それは……」
「あんたは、そのわけを知っているのね」
「オコはまだそれを知らない方がいい」
「まだ? じゃあ、いつかはそれを知ることができるってわけ? それは一体いつのことなの? それに、なんであんたにそれを決める権利があるの?」
思わず言ってしまってから、フジサワくんの悲しそうな表情に気付く。
「ごめん。わたし……、つい」
フジサワくんの表情はくもったままだ。どうしていいかわからずに、わたしは痛む場所を揉み続ける。
★桜堂ホームページ
耳のすぐうしろの、きりきりと痛むあたりを揉んでいた手を休めて、わたしは振り向く。
「どうしたの? さっきから何度も呼んでいるのに」
フジサワくんの白い顔が、心配そうにこちらをのぞき込んでいた。
「フジサワくんなのね。ああ怖かった!」
「怖かった?」
「うん。さっき天窓から空を見ていたら、何だか急に空がおかしな具合になって……。妙な濃い霞がかかったと思ったら、得体の知れない不安がに胸を締め付けられそうな気分になって……」
「それで、うずくまって頭を抱えてたのか……」
フジサワくんの大きな目が、ぐるぐると渦を巻いているように見える。
「その奇妙な感じには、何か予兆のようなものがあったのかな」
「あ、そういえば、不思議なにおいがしてきてた」
あの記憶がまた押し寄せて来そうで、わたしは一瞬きつく目をつぶる。
「オコ、今度その予兆を感じたら、あの青い粒を一つ口に入れるんだ」
「え? あの小瓶に入った青い粒を? ジェット・カルにもらった……」
「そう、あれだ」
「どうして?」
「きみの身が危険だからだ。あの錠剤が君を守ってくれる。あれはまだ持っているよね」
「うん」
首にかけたロケットを、わたしはそっと持ち上げてみせる。
「この中に入れてあるわ」
フジサワくんが、うなずく。
「いいかい、今度またその予兆を感じたら、その中にある青い錠剤を一粒飲むんだ。いいね」
まだ痛む耳のすぐうしろのあたりを、わたしはぐりぐりと親指で揉む。
「どうして急にここが痛んだのかしら?」
「それは……」
「あんたは、そのわけを知っているのね」
「オコはまだそれを知らない方がいい」
「まだ? じゃあ、いつかはそれを知ることができるってわけ? それは一体いつのことなの? それに、なんであんたにそれを決める権利があるの?」
思わず言ってしまってから、フジサワくんの悲しそうな表情に気付く。
「ごめん。わたし……、つい」
フジサワくんの表情はくもったままだ。どうしていいかわからずに、わたしは痛む場所を揉み続ける。
★桜堂ホームページ
2005年04月19日
わたしが透明になったわけ---9
耳のうしろのあたりが痛む。きりっきりっと差し込むような感じだ。それが波打ち際に打ち寄せる波のように、近くなったり遠くなったりしながら、だんだんにヴォリュームを上げてやってくる。
耐え切れなくなって、わたしは頭を抱えてうずくまる。
頭を両手で挟み込みながら屋根裏部屋の天窓を見上げる。
群青色の空にさっきまで瞬いていた星に薄くかすみがかかってきている。かすみはどんどん紫色がかって、濃さを増してくる……。
両腕にきつく挟んでうつむけていた頭をまた少し上げる。不思議なにおいが鼻腔をくすぐっているのだ。
ぐわんぐわんと、においもまた、押し寄せたり遠ざかったりする。
何か得体の知れない不安が胸を締めつける。
どきどきと、鼓動が痛む頭に響く。
耳のすぐうしろのあたりで痛みが増してくる。右手の親指を当てて、わたしはその場所をきつく揉む。
揉めば揉むほど、逆に痛みは増してくる。
★桜堂ホームページ
耐え切れなくなって、わたしは頭を抱えてうずくまる。
頭を両手で挟み込みながら屋根裏部屋の天窓を見上げる。
群青色の空にさっきまで瞬いていた星に薄くかすみがかかってきている。かすみはどんどん紫色がかって、濃さを増してくる……。
両腕にきつく挟んでうつむけていた頭をまた少し上げる。不思議なにおいが鼻腔をくすぐっているのだ。
ぐわんぐわんと、においもまた、押し寄せたり遠ざかったりする。
何か得体の知れない不安が胸を締めつける。
どきどきと、鼓動が痛む頭に響く。
耳のすぐうしろのあたりで痛みが増してくる。右手の親指を当てて、わたしはその場所をきつく揉む。
揉めば揉むほど、逆に痛みは増してくる。
★桜堂ホームページ
2005年04月11日
桜
今日は小雨が降っているので、桜も寂しげです。
昨日はお花見日和で、近くの公園にもたくさんの人が来て、桜を見上げては「きれいね」を連発していました。
昼間の桜とはうってかわって、夜の桜も美しいものです。外灯に照らされた桜も、妙な存在感があって見とれてしまいます。
夕暮れの頃の、薄闇に浮かぶ桜も、幻想的で風情があります。物語の一節が浮かんできそうな気がしたりします。
寒い日が多かったせいか、今年の春は花が一斉に咲き始めていますね。
なかなか見事で、やはり春は良いです。
★桜堂ホームページ
2005年04月02日
わたしが透明になったわけ---8
小さな青い小鳥。それは、ほんのうずらの卵くらいの大きさだ。
右の掌の中の、その陶器でできた小さな小鳥を、わたしはそっと頬に寄せる。
「かわいいだろう? 引越のたびに荷物を減らして、ずいぶんいろんな物を処分しちゃったけれど、これだけは取っておいたんだ」
そうロックさんが言っていた。
そんな大事なものを、わたしが貰っちゃっていいの?
そう聞いたわたしに、ロックさんが答えたのだ。
「ああ、いいさ。オコは僕の妹みたいなものだしね」
わたしは何だか泣きそうな気分になる。
妹……。ロックさんの妹……。
わたしは左の掌をそっと開く。
片方だけの金のイヤリング。ミモザさんにもらったものだ。まだ彼女が病院に入院していない頃のことだ。
「片方だけになっちゃったんだけど、これペンダントにもなるのよ」
そう言って、ミモザさんは白い透き通りそうな耳朶から外したイヤリングに細い金の鎖を通して、わたしの首に掛けてくれた。
右の掌と左の掌を、わたしは交互に見比べる。
ペンダントを薄紙にくるんで、小箱の中にしまってから、わたしはもう一度、そっと青い小鳥を頬に寄せる。
泣きそうな気分になるのに耐えながら……。
「ええ、ロックさんの妹よ、わたし。やっと欲しかった兄弟が現れてうれしい!」
はしゃいでみせるわたしに、ロックさんは片目をつぶってみせた。
わたしには兄弟はいない。それどころか、父も母も。
「あたしは一度会ったきりだからね。よく覚えちゃいないさ。二人で遠い外国へ行ったきり何年も帰ってこないで、突然帰ってきたと思ったら、おまえの母さんが一人でお骨を抱えて、小さなおまえの手を引いてのことだろう? まったく訳のわからない人たちさ。おまけにおまえの母さんは、それからしばらくして行方不明になってしまったんだから。もちろん、おまえをここへおいたまんまでさ」
ゼリ子おばさんに、父さんのことを覚えているか聞いてみた時の、おばさんの返事だ。
ゼリ子おばさんの妹に当たる母さんのことも、おばさんはあまり話してくれない。
「まったく訳のわからない人たちさ。あたしには理解しようったって、土台無理な話さ」
そんな風に言うだけだ。
★桜堂ホームページ
右の掌の中の、その陶器でできた小さな小鳥を、わたしはそっと頬に寄せる。
「かわいいだろう? 引越のたびに荷物を減らして、ずいぶんいろんな物を処分しちゃったけれど、これだけは取っておいたんだ」
そうロックさんが言っていた。
そんな大事なものを、わたしが貰っちゃっていいの?
そう聞いたわたしに、ロックさんが答えたのだ。
「ああ、いいさ。オコは僕の妹みたいなものだしね」
わたしは何だか泣きそうな気分になる。
妹……。ロックさんの妹……。
わたしは左の掌をそっと開く。
片方だけの金のイヤリング。ミモザさんにもらったものだ。まだ彼女が病院に入院していない頃のことだ。
「片方だけになっちゃったんだけど、これペンダントにもなるのよ」
そう言って、ミモザさんは白い透き通りそうな耳朶から外したイヤリングに細い金の鎖を通して、わたしの首に掛けてくれた。
右の掌と左の掌を、わたしは交互に見比べる。
ペンダントを薄紙にくるんで、小箱の中にしまってから、わたしはもう一度、そっと青い小鳥を頬に寄せる。
泣きそうな気分になるのに耐えながら……。
「ええ、ロックさんの妹よ、わたし。やっと欲しかった兄弟が現れてうれしい!」
はしゃいでみせるわたしに、ロックさんは片目をつぶってみせた。
わたしには兄弟はいない。それどころか、父も母も。
「あたしは一度会ったきりだからね。よく覚えちゃいないさ。二人で遠い外国へ行ったきり何年も帰ってこないで、突然帰ってきたと思ったら、おまえの母さんが一人でお骨を抱えて、小さなおまえの手を引いてのことだろう? まったく訳のわからない人たちさ。おまけにおまえの母さんは、それからしばらくして行方不明になってしまったんだから。もちろん、おまえをここへおいたまんまでさ」
ゼリ子おばさんに、父さんのことを覚えているか聞いてみた時の、おばさんの返事だ。
ゼリ子おばさんの妹に当たる母さんのことも、おばさんはあまり話してくれない。
「まったく訳のわからない人たちさ。あたしには理解しようったって、土台無理な話さ」
そんな風に言うだけだ。
★桜堂ホームページ
2005年03月31日
わたしが透明になったわけ---7
「オコーーーー」「オコーーーー」
ゼリ子おばさんが呼んでいる。
読みかけの本をきりの良いところまで読んでから、わたしはゆっくりと腰を上げる。
「のどが渇いたよ。コーヒーを淹れておくれ」
じろっとわたしの顔をにらみながら、ゼリ子おばさんが言う。
「店番をさぼるんじゃないよ、オコ。さっきはロックのところから、なかなか帰ってこなかったじゃないか」
「忘れ物を返しに行っただけよ。それに、おばさんが帰ってきたから、わたしはいなくてもいいと思ったの」
「わたしは疲れて足が痛かったのさ。あんたが帰ってきたら少し横になろうと思っていたのに」
ゼリ子おばさんは足が悪い。昔交通事故で痛めたのだ。外出する時は大抵杖を持って出かける。杖なしでも歩けるのだが、ひどく体が傾いで腰に響いてしまうらしい。
「まったくあのロックときたら、ろくでもないピアノばかり年がら年中弾いてるんだから……」
でも、おばさんがロックさんのピアノを嫌いでないことを、わたしは知っている。辛辣な口調で言いながら、おばさんの目はやわらかい。文句ばかり言うのは、おばさんの一種の健康法みたいなものなのだ。
「ねえゼリ子おばさん、」
コーヒーを一口飲んで、わたしはおばさんに声をかける。
「わたし、ミモザさんによく似た人を見たのよ」
「へえ」
気がなさそうにおばさんが答える。
「どこで?」
「夢の中でよ。不思議な女の人が出てきて、わたしに小さなガラスの小瓶をくれたわ。その人が何だかミモザさんによく似ていたの」
「ガラスの小瓶?」
ゼリ子おばさんの目が、大きく見開かれている。
「ええ。中にきれいな青い小さな粒がたくさん入っているの。ちょうどトパーズみたいな色の……。その人、変なことを言ったのよ。それがわたしの身を守ってくれるとかって……」
「だけど、夢の中だろう? だったらその小瓶だって現実のものじゃないんだし、おまえの身を守るって言ったって……」
「それがね、不思議なことに、目が覚めてからベッドの脇の台の上を見たら、その小瓶があったの。あの女の人を見たのは確かに夢の中でだったわ。だけど、小瓶は実際に台の上にあった。わたしにはわけが分からないわ」
ゼリ子おばさんの目が、さらに大きく見開かれている。おまけに、少し息が荒くなっているのが分かった。
★桜堂のホームページ
ゼリ子おばさんが呼んでいる。
読みかけの本をきりの良いところまで読んでから、わたしはゆっくりと腰を上げる。
「のどが渇いたよ。コーヒーを淹れておくれ」
じろっとわたしの顔をにらみながら、ゼリ子おばさんが言う。
「店番をさぼるんじゃないよ、オコ。さっきはロックのところから、なかなか帰ってこなかったじゃないか」
「忘れ物を返しに行っただけよ。それに、おばさんが帰ってきたから、わたしはいなくてもいいと思ったの」
「わたしは疲れて足が痛かったのさ。あんたが帰ってきたら少し横になろうと思っていたのに」
ゼリ子おばさんは足が悪い。昔交通事故で痛めたのだ。外出する時は大抵杖を持って出かける。杖なしでも歩けるのだが、ひどく体が傾いで腰に響いてしまうらしい。
「まったくあのロックときたら、ろくでもないピアノばかり年がら年中弾いてるんだから……」
でも、おばさんがロックさんのピアノを嫌いでないことを、わたしは知っている。辛辣な口調で言いながら、おばさんの目はやわらかい。文句ばかり言うのは、おばさんの一種の健康法みたいなものなのだ。
「ねえゼリ子おばさん、」
コーヒーを一口飲んで、わたしはおばさんに声をかける。
「わたし、ミモザさんによく似た人を見たのよ」
「へえ」
気がなさそうにおばさんが答える。
「どこで?」
「夢の中でよ。不思議な女の人が出てきて、わたしに小さなガラスの小瓶をくれたわ。その人が何だかミモザさんによく似ていたの」
「ガラスの小瓶?」
ゼリ子おばさんの目が、大きく見開かれている。
「ええ。中にきれいな青い小さな粒がたくさん入っているの。ちょうどトパーズみたいな色の……。その人、変なことを言ったのよ。それがわたしの身を守ってくれるとかって……」
「だけど、夢の中だろう? だったらその小瓶だって現実のものじゃないんだし、おまえの身を守るって言ったって……」
「それがね、不思議なことに、目が覚めてからベッドの脇の台の上を見たら、その小瓶があったの。あの女の人を見たのは確かに夢の中でだったわ。だけど、小瓶は実際に台の上にあった。わたしにはわけが分からないわ」
ゼリ子おばさんの目が、さらに大きく見開かれている。おまけに、少し息が荒くなっているのが分かった。
★桜堂のホームページ
2005年03月25日
わたしが透明になったわけ---6
「ジェット・カル……」
「え?」
ロックさんがこちらを向いて笑っている。
「あ、いつの間に終わっちゃったの? 聴いていたのに」
「嘘つけ。何か考え事をしていたんだろ? 僕のピアノなんか全然聴いていなかったくせに」
ポロロン。
短いフレーズをちょっと弾いてから、ロックさんはパンとでたらめな和音を叩いてみせる。弾みをつけるように腕を大きくはね上げながら。
「驚くじゃない!」
「そう? これでも今の君の気持ちを想像で表現してみせたつもりなんだけど」
「全然だめ。表現できてないって。そんなんじゃないよ。だって……」
「ジェット・カルってなんのことさ」
ロックさんが聞く。
「わたし、そんなこと言った?」
「言ったさ。つぶやいたって言ったほうがいいかもしれないけどね」
突然わたしはあることに気がつく。
「そういえば、あの人、ミモザさんにちょっと似てた」
「ミモザに? へえ。どんな人なのかな。似てるっていっても、僕にはうまく想像できないけれど」
「顔が似てるっていうより、全体の感じがね。なんというか、静まりかえった湖の底に身を潜めているんだけど、実はすごいエネルギー体なんだみたいな……」
「エネルギー体? だってあいつは病気なんだぜ。もともと体が弱い方だし」
「うん。それはそうなんだけど。なんとなくそんなイメージがあるの。そんな風に感じるのは、わたしだけかもしれないけど」
「え?」
ロックさんがこちらを向いて笑っている。
「あ、いつの間に終わっちゃったの? 聴いていたのに」
「嘘つけ。何か考え事をしていたんだろ? 僕のピアノなんか全然聴いていなかったくせに」
ポロロン。
短いフレーズをちょっと弾いてから、ロックさんはパンとでたらめな和音を叩いてみせる。弾みをつけるように腕を大きくはね上げながら。
「驚くじゃない!」
「そう? これでも今の君の気持ちを想像で表現してみせたつもりなんだけど」
「全然だめ。表現できてないって。そんなんじゃないよ。だって……」
「ジェット・カルってなんのことさ」
ロックさんが聞く。
「わたし、そんなこと言った?」
「言ったさ。つぶやいたって言ったほうがいいかもしれないけどね」
突然わたしはあることに気がつく。
「そういえば、あの人、ミモザさんにちょっと似てた」
「ミモザに? へえ。どんな人なのかな。似てるっていっても、僕にはうまく想像できないけれど」
「顔が似てるっていうより、全体の感じがね。なんというか、静まりかえった湖の底に身を潜めているんだけど、実はすごいエネルギー体なんだみたいな……」
「エネルギー体? だってあいつは病気なんだぜ。もともと体が弱い方だし」
「うん。それはそうなんだけど。なんとなくそんなイメージがあるの。そんな風に感じるのは、わたしだけかもしれないけど」
2005年03月16日
わたしが透明になったわけ---5
何の匂いだろう。
辺りはむせ返るような匂いに満ちている。
耐え切れずに、思わず襟元をかきむしろうとして、指先が木綿の布地に引っ掛かるのに気付いた。
おかしい。わたしは服を着ていなかったはずだ。いや、薄い水着のような布切れを身に着けて生暖かい水の上に浮かび、小さな島に寄りかかっていたはずだ。
首を傾げるようにして目を開けると、目の前にぼうっと白い顔が浮かんで見えた。
「わたし、夢を見ていたのかしら。それともまだ夢を見続けているのかしら……」
白い顔は微笑を浮かべている。
「あなたはさっきまで夢を見ていたのよ。でも今はもう見ていない」
細い指が、わたしの額にそっと触れる。額が汗ばんでいるのが分かった。
「あなたは……」
「わたしの名は、ジェット・カル」
「カインが言っていたのは、あなたのことだったのね」
「そう。カインはわたしの大事な友達なの。だからあなたも同じ」
「わたしも?」
「ええ。だってあなたはカインの友達でしょう?」
「そう。それはそうだけど……」
「これをあなたにあげるわ」
彼女が、ガラスの小さな瓶を差し出すのが見えた。
「これは……」
「あなたの身を守るためのものよ。あなたにわたしの手助けをして欲しいの。そのために、これが役に立つと思うわ」
彼女の顔が少しずつ薄れていく。
「もう行かなければならないの。あとのことはカインが教えてくれる」
「待って。わたしはこれをどうすればいいの?」
小瓶を差し出して、わたしは必死に彼女を見詰める。
彼女の姿がますます薄らいで、しまいにはほとんど見えないようになってしまった。
「カインに……」
声だけが余韻を残して、いつまでも耳に残っていた。
辺りはむせ返るような匂いに満ちている。
耐え切れずに、思わず襟元をかきむしろうとして、指先が木綿の布地に引っ掛かるのに気付いた。
おかしい。わたしは服を着ていなかったはずだ。いや、薄い水着のような布切れを身に着けて生暖かい水の上に浮かび、小さな島に寄りかかっていたはずだ。
首を傾げるようにして目を開けると、目の前にぼうっと白い顔が浮かんで見えた。
「わたし、夢を見ていたのかしら。それともまだ夢を見続けているのかしら……」
白い顔は微笑を浮かべている。
「あなたはさっきまで夢を見ていたのよ。でも今はもう見ていない」
細い指が、わたしの額にそっと触れる。額が汗ばんでいるのが分かった。
「あなたは……」
「わたしの名は、ジェット・カル」
「カインが言っていたのは、あなたのことだったのね」
「そう。カインはわたしの大事な友達なの。だからあなたも同じ」
「わたしも?」
「ええ。だってあなたはカインの友達でしょう?」
「そう。それはそうだけど……」
「これをあなたにあげるわ」
彼女が、ガラスの小さな瓶を差し出すのが見えた。
「これは……」
「あなたの身を守るためのものよ。あなたにわたしの手助けをして欲しいの。そのために、これが役に立つと思うわ」
彼女の顔が少しずつ薄れていく。
「もう行かなければならないの。あとのことはカインが教えてくれる」
「待って。わたしはこれをどうすればいいの?」
小瓶を差し出して、わたしは必死に彼女を見詰める。
彼女の姿がますます薄らいで、しまいにはほとんど見えないようになってしまった。
「カインに……」
声だけが余韻を残して、いつまでも耳に残っていた。
2005年03月11日
わたしが透明になったわけ---4
プーンと耳障りな音が頭の上をかすめて通り過ぎていった。
少しだけ開けてあった窓から、小さな虫が入り込んでいたらしい。
虫は落ち着きなくわたしの頭と天井の間あたりをさまよっている。
「ねえ、フジサワくん」
振り向くと、さっきまで彼のいた場所に金色のトカゲがいた。トカゲは油断なく身構えている。目で虫の動きををじっと追っているのがわかる。
次の瞬間、すばやく動いたトカゲの口に、虫がくわえられていた。トカゲは一瞬のうちにぱくりと虫を呑み込んでしまう。
「あ」
思わず声が出て、苦笑する。
わたしはトカゲに向かってウインクしてみせる。
ぱしっと尻尾を振って、彼は次の瞬間にはわたしの目の前から消えていた。
ふう。
わたしは小さく溜息をつく。
「まだ聞きたいことがあったのに」
ジェット・カルって一体誰なの? ねえ、フジサワくんったら……。
少しだけ開けてあった窓から、小さな虫が入り込んでいたらしい。
虫は落ち着きなくわたしの頭と天井の間あたりをさまよっている。
「ねえ、フジサワくん」
振り向くと、さっきまで彼のいた場所に金色のトカゲがいた。トカゲは油断なく身構えている。目で虫の動きををじっと追っているのがわかる。
次の瞬間、すばやく動いたトカゲの口に、虫がくわえられていた。トカゲは一瞬のうちにぱくりと虫を呑み込んでしまう。
「あ」
思わず声が出て、苦笑する。
わたしはトカゲに向かってウインクしてみせる。
ぱしっと尻尾を振って、彼は次の瞬間にはわたしの目の前から消えていた。
ふう。
わたしは小さく溜息をつく。
「まだ聞きたいことがあったのに」
ジェット・カルって一体誰なの? ねえ、フジサワくんったら……。
2005年03月03日
わたしが透明になったわけ---3
「ねえ、カイン……」
うつむいて考え事をしながら、知らないうちに声を発していたらしい。
「何さ。ねえ、何さったら!」
驚いて振り向くと、フジサワくんの白い顔が少しいらだったように、こちらを見ていた。
「カインって呼ぶの、やめてくれない? 今は僕、フジサワマオなんだからさ」
「ごめん」
「そう素直に謝られてもなあ……」
フジサワくんがいつもの癖でとんとんと指先で壁をたたく。
とん、とん。とん、とん。
「それで、用は何だったのさ」
わたしは首をかしげる。何を言おうとしていたんだっけ。
実際のところ。まったくこのごろのわたしは少しどうかしている。
と、ふいにロックさんの顔が頭に浮かんだ。そうだ、ミモザさんのことを考えていたんだった。
「ねえ、ミモザさんってさ、ミステリアスな雰囲気がある人だよね」
「何を言うかと思えば……。ミモザさんって、あのロックとかいう人の奥さんのことだろう? 確か入院してるっていう」
じっとわたしの顔を眺めていたフジサワくんの顔に笑みが浮かぶ。その笑みが、ふわっと漂ったと思うと、次の瞬間にはぎゅっと固まる。
「あのなあ、オコ、もしかしてロックさんにいかれてるんじゃない?」
「え?」
思わず大きな声を出して、その自分の声に驚く。
「な、何さ、そんなわけないじゃん。フジサワくんったらどうかしてるんじゃない?」
「ったく、その慌てふためくところが、ますます怪しい!」
「ばかねえ、あんたがあんまりばかみたいなこと言うからよ」
無理につくってみせた笑顔が不自然になりはしなかったかと、恐る恐るフジサワくんの顔をながめる。彼の白いつるっとした顔からは何も読み取れない。何だか上の空の顔で、フジサワくんがつぶやく。
「そうだ、明日はジェット・カルがやってくる日だったんだ」
ジェット・カルがやってくる日……。
フジサワくんの顔に奇妙でやさしげな表情が浮かぶ。
うつむいて考え事をしながら、知らないうちに声を発していたらしい。
「何さ。ねえ、何さったら!」
驚いて振り向くと、フジサワくんの白い顔が少しいらだったように、こちらを見ていた。
「カインって呼ぶの、やめてくれない? 今は僕、フジサワマオなんだからさ」
「ごめん」
「そう素直に謝られてもなあ……」
フジサワくんがいつもの癖でとんとんと指先で壁をたたく。
とん、とん。とん、とん。
「それで、用は何だったのさ」
わたしは首をかしげる。何を言おうとしていたんだっけ。
実際のところ。まったくこのごろのわたしは少しどうかしている。
と、ふいにロックさんの顔が頭に浮かんだ。そうだ、ミモザさんのことを考えていたんだった。
「ねえ、ミモザさんってさ、ミステリアスな雰囲気がある人だよね」
「何を言うかと思えば……。ミモザさんって、あのロックとかいう人の奥さんのことだろう? 確か入院してるっていう」
じっとわたしの顔を眺めていたフジサワくんの顔に笑みが浮かぶ。その笑みが、ふわっと漂ったと思うと、次の瞬間にはぎゅっと固まる。
「あのなあ、オコ、もしかしてロックさんにいかれてるんじゃない?」
「え?」
思わず大きな声を出して、その自分の声に驚く。
「な、何さ、そんなわけないじゃん。フジサワくんったらどうかしてるんじゃない?」
「ったく、その慌てふためくところが、ますます怪しい!」
「ばかねえ、あんたがあんまりばかみたいなこと言うからよ」
無理につくってみせた笑顔が不自然になりはしなかったかと、恐る恐るフジサワくんの顔をながめる。彼の白いつるっとした顔からは何も読み取れない。何だか上の空の顔で、フジサワくんがつぶやく。
「そうだ、明日はジェット・カルがやってくる日だったんだ」
ジェット・カルがやってくる日……。
フジサワくんの顔に奇妙でやさしげな表情が浮かぶ。
2005年02月21日
わたしが透明になったわけ---2
「真空堂」。 ゼリ子おばさんのやっているお店の名前だ。
「真空堂」にはいろいろなものが置いてある。ふちが欠けたやたら古くて何やら由緒ありそうな壺や、宝探しの地図の巻物や(本物かどうかは不明だが)、まるで生きているかのような深々とした青い目のアンティークドールや……。まあ、つまり骨董屋さんというわけ。どことなく西洋風なね。
ロックさんは「真空堂」の管理人をしている。
管理人といっても別に何かをしているわけではない。開いている二階の部屋を安く貸してあげる代わりに、ちょっとした留守番やお掃除なんかをしてもらっている。
もちろんロックさんは他に仕事を持っている。ピアニストだ。坂上の道の奥にある古いジャズクラブや、駅前通りのイタリアレストランや、その他何軒かのお店で、夜ピアノを弾いている。
だから「真空堂」の二階のロックさんの部屋からは、大体毎日ピアノの調べが聞こえてくる。古い古いピアノが一台置いてあるのだ。ロックさんの弾くピアノの調べは「真空堂」の雰囲気にもよく似合っている。それでゼリ子おばさんはロックさんのピアノに文句をつけたことはない。
ロックさんのピアノは、辺りの空気を微妙に細かく震わせながら、ずうっと遠くまで突き抜けて流れていく。じっと聴いていると、わたしは何だか気絶してしまいそうな気分になる。知らないうちに、涙だって流れてくる。空気の震えはわたしの体の中にまで染み入ってきて、いつまでも消えない余韻を残していく。
「真空堂」にはいろいろなものが置いてある。ふちが欠けたやたら古くて何やら由緒ありそうな壺や、宝探しの地図の巻物や(本物かどうかは不明だが)、まるで生きているかのような深々とした青い目のアンティークドールや……。まあ、つまり骨董屋さんというわけ。どことなく西洋風なね。
ロックさんは「真空堂」の管理人をしている。
管理人といっても別に何かをしているわけではない。開いている二階の部屋を安く貸してあげる代わりに、ちょっとした留守番やお掃除なんかをしてもらっている。
もちろんロックさんは他に仕事を持っている。ピアニストだ。坂上の道の奥にある古いジャズクラブや、駅前通りのイタリアレストランや、その他何軒かのお店で、夜ピアノを弾いている。
だから「真空堂」の二階のロックさんの部屋からは、大体毎日ピアノの調べが聞こえてくる。古い古いピアノが一台置いてあるのだ。ロックさんの弾くピアノの調べは「真空堂」の雰囲気にもよく似合っている。それでゼリ子おばさんはロックさんのピアノに文句をつけたことはない。
ロックさんのピアノは、辺りの空気を微妙に細かく震わせながら、ずうっと遠くまで突き抜けて流れていく。じっと聴いていると、わたしは何だか気絶してしまいそうな気分になる。知らないうちに、涙だって流れてくる。空気の震えはわたしの体の中にまで染み入ってきて、いつまでも消えない余韻を残していく。
2005年02月10日
わたしが透明になったわけ---1
ゼリ子おばさんが呼んでいる。
「オコーーーー」「オコーーーーー」
声はこの屋根裏部屋の薄い床の下からきーんと突き抜けてきて、梁に薄いベニヤ板を貼付けただけの天井のあたりで行き場を失う。
オコというのはわたしの名前だ。漢字で書くと緒子。なおこという名の「な」の字を「奈」にしようか「那」にしようかと迷っているうちに面倒くさくなって「緒子」になってしまったというわけらしいよ。
ゼリ子おばさんがそう言っていた。おばさんは、わたしの母の姉に当たる。
母の顔を、わたしは知らない。何しろ二歳の時に別れたきりなのだ。どうしてそういうことになったのかも、わたしは知らない。誰も教えてくれななかった。父はわたしが生まれる前に死んだということだけ、聞かされている。
とにかく、わたしはずっとゼリ子おばさんと二人でこの家に住んでいる。わたしがおばさんにこき使われるのを見て、あなた、この家のお手伝いさん? と聞く人もいる。それにしては若いわね、という言葉をのどの奥に閉じこめて。
まあ、わたしは別に構わない。こき使われている分、おばさんに恩義を感じなくていいと思えば気楽だ。体を動かすのはそんなに苦にはならないし。
「オコーーーー」「オコーーーーー」
声はこの屋根裏部屋の薄い床の下からきーんと突き抜けてきて、梁に薄いベニヤ板を貼付けただけの天井のあたりで行き場を失う。
オコというのはわたしの名前だ。漢字で書くと緒子。なおこという名の「な」の字を「奈」にしようか「那」にしようかと迷っているうちに面倒くさくなって「緒子」になってしまったというわけらしいよ。
ゼリ子おばさんがそう言っていた。おばさんは、わたしの母の姉に当たる。
母の顔を、わたしは知らない。何しろ二歳の時に別れたきりなのだ。どうしてそういうことになったのかも、わたしは知らない。誰も教えてくれななかった。父はわたしが生まれる前に死んだということだけ、聞かされている。
とにかく、わたしはずっとゼリ子おばさんと二人でこの家に住んでいる。わたしがおばさんにこき使われるのを見て、あなた、この家のお手伝いさん? と聞く人もいる。それにしては若いわね、という言葉をのどの奥に閉じこめて。
まあ、わたしは別に構わない。こき使われている分、おばさんに恩義を感じなくていいと思えば気楽だ。体を動かすのはそんなに苦にはならないし。