2023年05月29日
ただ暮らしたいだけ

未だ昼放牧が続いている。放牧のイメージは夏だけれど
例年ならば関東の夏は厳しすぎて 日中放牧することは不可能
緑の木立の中の牛達を見る事が出来るのは早朝だけになる。
けれど今年はそれがまだ出来ていて 日々楽しんでいる。
放牧そのものは手段だし 生活の糧として牛を飼ってもいるけれど
其れと同じかそれ以上に この暮らしが好きなんだと思う その気持ちが文化を育むのだろうと思う
日本に本格的な畜産が拡がったのは戦後だから その歴史は僅か70年余り
欧米の数百あるいは数千年の歴史や伝統と比べれば 足元にも及ばない。
その意味では全てがこれからなのだとも思う
日本酪農は産業として効率化を追求し続けた結果
飼料生産を外部化する方法で今日まで来たけれど
世界の潮流が変わり その効率化手法が難しくなってしまった。それが今。
効率化とは反対の方向性だと思われていた放牧は
飼料を含め内製化 牛が施肥と収穫をすることで投下労働時間や経費を節約する
ただ農地面積当たりの頭数を増やすことは出来ない為
収益に上限が出来てしまう事は今迄も散々書き続けてきた。
昔と現代で変わった事と言えば 機械化が進み耕作できる面積が増えた事で頭数も増え
それに伴い経費も掛かるようになったこと
そして 人の暮らしにお金が掛かるようになったことだろうか
大古から 人一人が食べられる量は知れたもので
それ以外の諸々が 人の悩みを増やし続けている。そんな気がする。
生きると云う一点においてならば むしろ人に悩みなどないのではないかとすら思う。
経費上昇速度と生産物の価格上昇速度が揃えば 何の問題も無いけれど
生乳取引はそういった反映がし難いうえに遅い 其れも今の状況の厳しさの原因でもある。
一般的な生産者の上を行く生産コストの削減をし
いつ来るかも判らない乳価上げを待つ為に 多角化を進めたりする。うちも仕方がないからやってる
けど 本業の生乳生産で十分な暮らしが立たない事の重大さを
何故 酪農組織はもっとはっきりと強く言わないのか疑問。
我々は牧場と暮らしと家族を護るために必死。そりゃ何でもする けれど
酪農家に いろいろやらせ過ぎじゃないのかな と最近ホントに思う。
何屋だかわからなくなってきている。
ぼく等は 酪農家として
放牧されてる牛を眺める位の余裕を持ちながら 暮らしたいだけなんだよ。
2023年05月22日
国内に食糧危機はあるのかないのか

その花を牛が食べ 乳がほとばしり 蜂が蜜を集め 台地は肥沃となり
そのサイクルが永遠に続く。この世の天国が再生を繰り返す。
『 乳と蜜の流れる地 』はロマンチックな夢物語では無い。
青い鳥は何時だってすぐ近くにいて それを青い鳥だと気付けるか気付けないかの違い
人の悲喜交々の全てが其処に在る気さえする・・・・・・
飼料高騰が続いている。しかし畜産界に危機が続いていることの理解は
表面上は知られていても 深まっていない気がしている。
官僚やそのOBも 多くの識者も 直接国民が飢える状態ではない事
日本は先進国であることからエンゲル係数も低く
現状 食料危機はではないし 今後も食料危機は起こり得ないという見解のようだ。
エリートが大局から見ればそうなのかもしれないが
貧しい人々や畜産業界への眼差しが どこか冷淡に感じるのは気のせいだろうか・・・・・・
畜産の飼料であるトウモロコシは99%輸入に依存。他の穀物資源もほぼ輸入品で
都府近郊の畜産農家の粗飼料(草飼料)の多くも輸入に依存 これら全てがほぼ高止まりしている。
酪農に関して言えば 平時であっても飼料代が経費の半分以上を占める。
言い換えれば
牛達はエンゲル係数が常に非常に高い貧しい家庭 そこに食料高騰が圧し掛かった状況
あるいは
輸入トウモロコシが主食の発展途上国の人々(牛達)が高騰に喘いでいる状況に近く
そういう状況の人々(牛達)と共にあるのが 酪農家なのだ。
間接的に食料危機が日本の畜産家には起こっている。その結果が酪農危機と言われている現象を
収益性だけを見る事は 木を見て森を見て居ないのと同じことになる。
その裏にある構造にまで思いを馳せる必要がある。
元々 酪農は利益率が低く かつ生産環境を反映しづらい産業構造にある。
薄い利益が飼料高騰で無くなってしまい 買取価格に反映されないでいる
酪農に関して言えば 確実に食料危機(飼料危機)が起こっていて
将来に対して非常に不安感が募っている。
解決策は産業構造を変えるか 飼料価格を下げる息の長い努力をすることになるが
多くの生産者自身にその体力は無く準備もできていない 高騰鎮静化の神頼みの状況と言っていい
農水・識者の見解は上記の通りなので
改革ともいえる改善策を講じる事への 国民的共感と本気を感じる事は出来ない。
国民は飢えて居ない=食料危機は無い ではない。
危機感を煽る事は本意ではないが 産業構造上そうなっている産業があり
その産業の弱体化は国内乳業界を含めたサプライチェーンを崩壊させ
関係産業をも消滅させることになる。
酪農界は今や小さな集団ではある。けれどこの見落とし、見誤りは大きな波紋を生むであろうことの
農水官僚や識者やエリート達の 過小評価が問題だと感じる。
もう一度言う 局所的ではあるが食料危機は国内に存在している。
2023年05月15日
冒険家達へ

1つは民間の勉強会に参加する 農業とは何の接点もない働き盛り人たち
もう一つは 隣県の私立大学 危機管理学科1年生の視察研修
大人の勉強会からの依頼題は「 酪農危機 」について
学生には「 放牧酪農総論 」的な話をした。
過去から今に続く世界情勢や貿易協定の中で翻弄された日本酪農界の話をすれば
今の危機の話になり 日本の酪農家の置かれた不安定さと 食の不安定さの話になる
そして 補助金を取る為に経営を組み立てる農家と
補助金に掠りもしない 独立独歩の経営があるを知ることになる。
大きな波の無い安定を採用した ぼくらのような農家は少ない
少ない理由は収入で それを求め ある種の冒険に出たグループが今危機と言われている。
問題なのは 自分達がそれを冒険とは捉えていない事
感覚を麻痺させたのは
国の出す補助金と 取引手数料が欲しい農協の指導体制という”麻酔”で
酔って『 みんなで渡れば怖くない 』と渡った道は 高速道路だった・・・・・・
ぼくらのグループは長く冒険家と言われていたのだけれど
冒険家の意識が実はぼく等には在った
そこに立ち向かう心積りも想定も根拠もあって
安定と継続と循環とを護る事の代償に 多くの収入を求めない暮らしを採った
多分共通認識として
収入と暮らしはイコールではなく 収入は暮らしの道具に過ぎない
無ければ辛いが それを目的にしてしまうと何かを見失う
そう思って暮らしている。
行き過ぎた資本主義の問題と このあたりの感覚はリンクするし
足るを知る知性や 暮らしを見直す必要性は
現役のビジネスマンにも 若者にも感じてもらえたと思う。
後は それを自分と自分の家族の暮らしに どう落とし込むか
それが難しいのだと思う。
けれどそれは 冒険ではない。