2017年12月11日

仮説

078ぼくが取り入れている放牧と云う農法は

1頭の牛に対して 必要な面積が決まって居て

それ以上の面積でも それ以下の面積でも 

放牧地が崩壊してしまい 放牧を続けることが難しくなります。


今 最も研究され 多くの農民が取り入れている大規模経営には

そう云った制約は 理論上無いと言われて居ます。

効率化と規模拡大は更なる効率化を産み 利益を最大化するという仮説です。

しかし 大規模農場では拡大に伴う細々とした無駄やミス

牛と云う繊細で複雑で意外と脆く 資金が掛かる生き物を

十羽一絡げで飼うことで生じる損耗率の増加等の

いわば 『ロスの総量』 が無視できないレベルになる事に

ぼくは予てより注視して居ました。

そして 収益を確保し増益させる為に 更に拡大する方法論にもまた

危うさを感じて居ます。


先日 昨今の社会情勢を背景に

もう一つ別の問題が浮上しつつあることを知りました。 

資材の高騰 為替の変化 従業員確保の難しさ 賃金高騰の中

従業員一人当たりの飼養頭数が 

増加せざる負えなくなって居るというのです。

一人の人間を雇用する場合 必要な頭数は 恐らく30~40頭

けれど その頭数で得られる収益が 外的要因で低下すれば

一人当たりの頭数は 増えざる負えず 労働過多の状況を産みます。

しかも 従業員一人が十分目配り出来る頭数もまた 30~40頭と云う事実は

生産ロスの更なる増加を産む可能性を孕んでいます。

制約の無い筈の経営方法に 波状攻撃の様に難題がもたらされる理由は?

工業に倣い分業化し 効率化しているのに 

改善を続け 利益を確保する事が難しい理由は?

時代、社会情勢の変化?運が悪いから?


そのヒントは 自然の摂理に適う頭数だけで 経営をしなければならない放牧の 

拡大阻害要因である『制約』にあると考えて居ます。


制約の中で 如何にロスをそぎ落とし 最小資源から最大効果を引き出すか

草と云う 未利用資源から 蛋白質と脂肪を生産する魔法の様な偉業は 

欲望を超えた 強い制約がある事で最高の効率を産み

限られた土地面積と 其れに適う 頭数を如何に無駄なく大切に飼うか

と云うことでしか達成できないのではないかと云う

もう一つの仮説が存在する事を意味します。


また モノや情報が溢れた現代社会で 

限られた糧の中で 生き 喜びを見出す

家族経営は 経営とも言えない小さいレベルではあるかも知れないけれど

力を合わせ事態に立ち向い 最も有効に機能する

最小単位だからこその最大効率を産む 

強く柔軟な経営単位であると思っています。


次なる投資を考える若い酪農家の 

大きな選択をする為のヒントになることを祈念して居ます。




kurumiruku2009 at 05:41|PermalinkComments(0)社会と農業について | 牛と生きるということ

2017年12月04日

永業

画像 013師走に入ってしまいました。

 この時期 毎年こう書き出している気がします。

なかなか成長出来ないのですね・・・・・・


今年はもう無いだろう。と思っていた土地を 

先日 地主が突如預かってくれと言って来ました。

夏に 今の預かり主が放したがっている という話は聞いて居ましたが

師走間近になってそう云う話をするのは 

本来 礼儀を欠く行為

この時期は 此方の播種作業はほぼ終わって居るので 

一度片付けた機械のセッティングや 掃除を再度しなくてはならないし 

種蒔きには遅すぎるのです。

ただ、事情も また在ったのでしょう。

其れをなじる事もまた 気の毒なような気がして

「 預からせて頂きます。」と言っていました。


地域にとって 土地は本人の資産であると同時に 

景観を含め地域共有の資源である。

ぼくはそう思って居ます。

集落の誰かが 必ず守らなければ 

殆どの農家の子弟達に 農業や農地、景観への想いが殆ど無い昨今 

アッ!と云う間に切り売りされ 或は耕作放棄地として荒れ果て 

集落の保持は不可能になってしまいます。


それぞれの土地には歴史が有り その歴史は語り伝えられ 文化の礎となります。

都市部で言う処の 不動産と農地は 別と考え無ければ為りません。

個人資産では無く 景観を含め 公共資源と云う意味は そこにも表れます。

政府がその辺の姿勢を あやふやにしたままなので 行政もあやふやで

簡単に異業種の人間に売る事を推奨してしまう様な事が まかり通ってしまう。

農業の本質を解る人が 中枢に居ないと言う事なのでしょう。

哀しい事です。


農業は成長産業などでは無く 永業産業

がっぽり稼ぐぜ!と云うのはごく一部のことで 

本来は永続性と 維持管理がその役割の多くを占めると ぼくは思っています。

けれど世間一般の常識では 未だに右肩上がりに成長しない産業は 

生産性が悪い 効率が悪い産業と言われます。

けれど 

使い続けることで肥沃度が増す 土が良くなる という観点に立てば

永遠に成長できる夢の産業とも言えます。だから永業なのです。

その分 単年度収益が低い事を織り込めば 

会計上もバランス出来る筈。そう云う評価は 殆どされませんけどね。
 

必ずしている 目に見えない程の成長や 

自分や土の中の 小さな進歩に気付けなければ 

只々 辛くて辛くて 仕方が無い仕事 

農業者が増えない理由には そう云った側面もあります。

農業の優位性である 時間軸の長さ 『永業性』 を

本当の意味で理解出来て居ない事が起因でしょう。

情報過多の時代 自分と全国の優秀な経営者たちとを比較し

増々 苦しみを深めてしまう 難しい時代と云う背景が

拍車を掛けているのかも知れません・・・・・・


詰まる所 自分自身の生き方や哲学が無ければ 

何処まで行っても 辛くて辛くて 苦しくて苦しくて  

グルグル道に迷い 出口が見えなくなってしまう

『 社会常識 』と云う一見正しい尺度に照らし合わせてしまうと  

農村・農業の悪循環から脱出 出来ないという思い込み 刷り込みが深まり 

それが 出口を見つけ難くしてしまっている・・・・・・ と言えはしないでしょうか。


生き方や哲学は 技術では無く 教育の分野

基礎である家庭教育や読書によって身に付くものです。 

其れが身に付いて居ないと云うことは 

日本の教育の方向性 あるいは社会通念が何処かで逸れ 

結果 永業産業としての農業の魅力と 乖離しまったからでは?と感じて居ます。


もし、視点を変える事が出来たなら 

そして世間の常識に囚われる事が無くなれば 

そして その土地に合った農法や作物が見つけられたなら

日本中何処ででも 本当の意味で 豊かで瑞々しい 営みが生まれるはず

そう考えて居ます。


ぼくには この農場と 集落を守る義務と責任があります。

その先には 必ず未来が拓けると信じて居ます。

この未来は 日本中の農村集落に繋がると信じて居ます。
 


kurumiruku2009 at 07:28|PermalinkComments(0)社会と農業について | 牧場の夢

2017年11月28日

牛の眼差し

IMG_1488行き着く処 人は脳で食べ始める

味の探求は ある意味際限が無くなってしまう。

旨い物 旨さの追及と云うのは やがて飽和してしまうものだ

飽和後の探究心は 旨い理由 を求め始める。
 

旨い理由探し は消費行動の一つでありながら 

実際の処 生産者の探求心と変わりが無い気がするのだ

食通と言われる人と エッジの効いた生産者には

『 親和性が有る! 』 と思っている。


同時に 食に対する探究心の在る人々と 全く無い人々が居て

その間には 

深くて広い川が流れていると云う 現実 も強く感じるのだ

とにかく安く!と云う人に 

良い物への対価として 高額な金銭を払う余裕は無い

その事実に対する想像力を 社会は無くすべきではない

両方の人々が社会には混在しており

この現実もまた 認めざる負えない現実なのだとも・・・・・・

食とは根源的であるが故に 難しい問題も孕んでいる


『 海外事情に左右されず 国内の草資源で 安価に生産できる 』 なのに  

『 季節ごとに欧州と比較しても 遜色がない希少な生乳が生産できる 』

食に対して相反する人達の要求を 放牧と云う手法は等しく満たす。

あらゆる価値観が飽和してしまった人々にも

日本社会に徐々に広がりつつある 格差に抗う事が出来づに居る人々にも


我々が 生きる為に生産した生乳は 

生きる為に食べる人にも それ以上を求める人にも

等しく提供され 等しく感謝される。

放牧は その価格 その味 あらゆる階層の あらゆる社会的使命に対して 

呆気なく応える事が出来てしまう。


何故 社会に牛が必要なのか?なぜ牛乳は人類に必要とされ続けて来たのか

其の答えを 静かに牛は語り掛ける。

其の答えは一つでは無く 一つにする必要も無い。

其処には 差別も区別も無く 

今日も牛は 静かに反芻し続けて居る。



kurumiruku2009 at 06:11|PermalinkComments(0)放牧よもやま話 | 牛と生きるということ