2020年05月25日

酪農とは? 6

IMG_1350麦の穂が色づき 穂を揺らす風のうねりと サワサワという音

関東の麦の収穫はこの時期 天候が安定しない今年

農民は ”また” 気をもむのです。


放牧地の面積と 其処に放てる牛の頭数には

厳格な決まりがあり 人の欲望のままに

牛の頭数を増やすことは出来ないと 先週書きました。

それは 地球との契約であり 

其の範囲で人は暮らし 時間を掛け少しづつ牧場を成長させ続ける為に

人ありきではなく働き 生る事の本質を感じること

それは いち生産技術を超えて 

現代において唯一 自然に対し謙虚である事の必然を 

肌身で感じる事が出来る 方法で かつ生き方なのだと思うのです。


ある朝 放牧に出た牛が ”ボトン” と落とした牛糞は 

先ず 蠅を呼び蛆を育て それを餌にする鳥を呼び育みます。

糞の周り数センチは 其の匂いと窒素による草の苦みがあり 牛は食べませんが

窒素は草の栄養源なので 草は食べられることなく大きく成長

その間 30日程かけ昆虫や微生物が糞を 豊かな土に変え

草は大きく成長 花をつけ 実を実らせる頃

あるものは直接 その土に子孫である種を落とし 

あるものは苦みや臭いが消えるタイミングで

牛が種ごと食べ 離れた場所に また ”ボトン” と落しそこで芽吹き繁栄する。

牛も草も共存し 決して奪い合うようなことはせず

しかも緻密に計算されているように けれど極自然に 連綿と繰り返される。


糞が分解され 牛が食べてしまうまでの暫くの間 

糞はさながら生命のゆりかごの様に ネズミや小鳥や昆虫や微生物やカビの多様な生物を育み

其処で繰り返される 小さな食物連鎖は 

地球上の全ての連鎖の始まりを感じさせるのです。


糞をする牛 牛を育む草 草を育てる土の 関りのなか

人も暮らし 種を繋げる。

糞を巡る旅から見えるのは

人は人である前に生物であった事を 

何時しか忘れてしまったような 昨今の振る舞いが

あらゆる苦しみの根源では無いのかと

放牧地で糞を見ながら思うのでした。





  


kurumiruku2009 at 06:11|PermalinkComments(0) 牛と生きるということ | 牛乳の未来

2020年05月18日

酪農とは? 5

写真この時期 早朝の風のない放牧地は

野ばらの香りに満ちていて

シロツメクサの 白い花絨毯に座ると

天国はこんなところなのかもしれないと思えてくる

1番草の収穫の緊張から 身も心も解れての このひと時は

今だけの とっておきの時間


何時の頃からか 

酪農という仕事は 休みも無く過酷な仕事といわれるようになった。


出稼ぎに行かなくても 1年を通じての仕事と収入で 家と農地を護れるという

農民の仕事に対する需要が やがて社会の変化と共に 

如何に休みを取り 経営者として家長としてよりも そして農地は捨てて 一労働者として 

更には家族経営よりも 夫婦共働きで 

如何に多くの収入を得るか に変わっていった 外的側面である社会の変化

そして 農民が農民で居続けようと そういった中で足掻き  

その解決策として 出口無き拡大神話に憑かれて行った 

内的側面の2つがあると思っている。

ぼくは農民で居たかったし 規模拡大の可能性も信じ切れなかった

だから放牧に可能性を見出そうとしたけれど

その分ではぼくもまだ 収入を得るという1点に 当時 憑かれていたのだと思う。


放牧の最も優れているところは 効率や環境負荷の低さでは無く

人の欲望を 地球的秩序によって制御する事にあると思っている。

経営を維持するためには 放牧地と家畜の頭数に厳密な決まりがある。

これは地球 或いは神との契約とも言える。

これを守れず 欲望のままに牛の頭数を増やせば 放牧地は崩壊してしまう。

放牧を続ける限り その中で最大の効率化を選択する以外に道は無く

人の暴走は制御される。

それを選べば その時は必ず訪れる。


幸せになりたい 人はそう望む

多くの収入を得るのは そのための手段である筈が 何時しか目的化し

制御不能となった時 人は今でも餓鬼になる。

餓鬼であることをも受容する今の社会は

寛容なのではなく むしろ壊れているのだと思う 

その時 は決して訪れることは無い


如何に稼ぐのかという以前に

どう生きたいのか どう暮らしたいのかを問い続け 

それが 少しづつ ほんの少しづつ叶う その時々こそが その時なのだと思う  

そうありたいし そう暮らしたいし そう必然的に思わせる放牧という手法は

酪農らしさ という意味で ちょっと違うな 

人として生きる方法として 考え得る中で最高峰だと思う。


酪農は辛く 苦しいの?と問われたら

愉しくて 面白くて けれどちょっぴり厳しい仕事だよ。

と答える。


もう少しつづく





kurumiruku2009 at 07:13|PermalinkComments(0) 牛と生きるということ | 牛乳の未来

2020年05月11日

酪農とは? 4

CIMG1053採草地のイタリアンライグラスが 出穂し始めました。

雲雀は 巣から雲に向かって飛び立ちあがり

ホオジロが気持ちよさそうに 放牧地を渡る風に向かって鳴いています。

数日前には オオヨシキリの声が聞こえて来ましたし

オオセッカもきっと採草地に来ている事でしょう。

最も牧場が輝く季節は 小鳥も繁殖や子育ての為に忙しそう


牛を飼うには 多くの経費が必要です。

餌代だけでも収益の半分以上 その他に光熱費やトラクタなどの機械費用

細々としたものを入れると 多くの場合 純益は1割か1割5分

労働の対価としては率は良くないどころか むしろ悪い仕事です。


だから 大規模化や機械化で利益率を上げようとすると

1頭1頭の牛に目が行き届かなくなり

事故率の上昇や 繁殖率の低下が起こり 

多くの場合 利益は寧ろ下がってしまいます。

これを補うために 拡大し続ける 終わりなき拡大局面に陥ってしまいます。

泳ぎ続けないと死んでしまうサメの様に・・・・・・


鶏や豚は 規模拡大に耐えられるように 

品種改良が高度化し 個体差が殆どなくなっています。

成長が早い 多くの子が得られる 繁殖サイクルが早い事がその背景にありますが

乳牛の場合 成長が遅い 子牛が年間1頭しか増えない他に 

子を産んだ後 乳を年間300日泌乳させながら

繁殖をさせなければならない等 身体への負担が重い事が挙げられます。

端的に言えば 病気になりやすく 個体ごとの対応が必要なのです。


なので 多頭飼いすれば事故が多発するか 人が疲弊してしまう事は目に見えています。

まして 高泌乳を追求するにはさらに高度な管理が必要 

牛の管理以外の仕事を機械化すれば 

其の経費が収益を圧迫する悪循環に陥ります。


ではどうすれば良いのか?

牛の健康管理に目が届き 事故率を下げる事の出来る頭数や乳量にまで抑える。

これに尽きると思うのです。

牛の頭数に制限があるという事は 最初から収入に限界を設ける事になります。

これはある意味とても難しい判断です。

何故って 人は欲張りだからです。

あと少し もう少し あとちょっと ほんのちょっと・・・・・・ 増やそうとします。

それを続けると 牛たちの管理の何処かがが疎かになり 

じわじわと 事故率や繁殖率が下がるのです。

下がらないまでも難解な 職人技に依存するようになり 

人に任せる事が出来なくなり疲弊します。


『 一番の敵は自分自身 』を絵にかいたような仕事

それが酪農です。



続きます。





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