2012年02月23日

雲雀(ヒバリ)が上がりました

2011 10 003今日は朝から雨です。
『 雨の日は尿散布 』
これが早春のお決まりの仕事
ただ、今日は風邪気味で体調が今一
熱は無いようだけれど、鼻水と倦怠感がここ3日抜けません。
畑で牧草が肥料を待ってますから
完全武装でトラクターに乗るつもり
まるでミシュランマンの様な恰好で働きます。

昨日は育成牛舎の敷料交換をしました。
寒い朝もこれでホカホカでしょう。
育成達も大きくなり敷料の交換ペースも速まっています。
成牛牛舎の牛達の淘汰率が下がっているから仕方が無いのですが
もう少し育成保有数を減らすか、淘汰率を上げるか微妙なバランス感覚が求められるところです。

牧場経営で最終的に求められるのは
トータルバランスです。
ただ農水や農協、例えば普及員や乳販関係の組織が求めるのは
どうしても乳量となります。
ここら辺の目的の違いが相互理解の足かせになっています。
不毛な議論を避けたくて、一定の距離を取らざる負えないのが現実です。
孤立とまでは言いませんが一人立つ場面が多くなりました。
そこに来て、昨日も書きましたが、メーカー側が自給飼料の使用に神経質になっている現実があります。
牧場のトータルバランスは地域や集落のバランスでもあり
そこらへんのバックグラウンドにまでメーカー側が思いを寄せているとは思えないところが
今の様な自給飼料を重視し、放牧を取り入れているぼく等には不安で仕方がありません。
移線を徹底し出来るだけの事をして行くだけです。

昨日の日中
雲雀が上がってました。初鳴きです。
天気のいい日は、日差しの強さに春が近づいている事を感じます。
ぼく等の心配などは小さな事で地球は今日も回っています。
今はまだ『 沈黙の春 』では無いのです。

kurumiruku2009 at 06:14|PermalinkComments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!

2012年02月21日

『食品セシュウム4月厳格化』に思う

2011 10 008ノンビリとぼく等の牧場や放牧について
改めて書こうと思っていたのですが
今日は少し違う話を差し込みます。
後日、放牧や牧場についてはまた書きますのでお待ちください。

違う話を差し込まなければならなくなったのは
ここ最近の新聞紙上で
4月からの食品セシュウムの数値が厳格化されるとゆう記事が頻繁に出ているから。
牛乳の生産者であり他の多くの食品は消費者であるぼくたちは
この事について違和感を感ぜずにはいられないのです。

具体的にはぼく等の生産する牛乳は1キロ当たり200bqから50bqに引き下げられ
それに伴い牛に給与する粗飼料の基準値が300bqから100bqに引き下げられました。

違和感とゆうか不安になる事は1つに
”それにより自給飼料の生産、給与を諦めなければならない場所が少なからず出てくるのではないだろうか”
とゆう事。
それと原乳を買う乳製品メーカーの反応
ぼくの読んでいる毎日新聞紙上では雪印メグミルクの話として
検査で問題の無かった原乳だけを使うとしたうえで
「 牛の飼料は自家製では無く、安全な物を購入して」と要請している。
と書いてある。
原乳は安全な物しか受け入れないは良いとして
自給粗飼料を使うことそのものを控えさせる圧力が生まれようとしてはいないだろうか
少なくともこの記事を読むと、そう取れる。

前にも書いたけれど
出来もしないゼロリスクを求め続ける感情は分らないではないけれど
内部被ばくの原因を食品だけに限定し、環境由来については黙殺しているように取れないだろうか?
関東圏内に生きるとゆう事は、
環境由来と食品両方から内部被ばくのリスクがあるとゆう認識に立たなければ
いたずらに、生産者と消費者の対立を生みそれを増長させる事になる。
その部分を相互理解で打ち破る努力を、お互いの立場に立って考える機会を作らなければ
関東、東北の生産者は干上がってしまう可能性だってある。

国の動きももどかしい
19日、毎日朝刊社説「 食と放射能 」で
『 健康リスクを最低限に抑えながら、被災地の生活を再建し
バランスを取りながら国全体で一つの方向を示すべきなのに
包括的議論がなされていない 』
と書かれている。正にその通り。

ぼく等生産者の苦悩、そして生産者、消費者のそれぞれの不安は
何時解消されるのか、今年もそんな事を考えながら放牧を始める。

ちなみに放牧をし自給粗飼料を使いながらでも
幸いにも我が家の乳中セシュウムは基準値以下であり
家族全員がその牛乳を飲んでいる。

今日も最後まで読んで頂きありがとうございました。
少しずつでもこの問題を皆で考える材料になればと思います。

kurumiruku2009 at 06:06|PermalinkComments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!

2012年02月19日

ぼく等の放牧物語

2009 06 004放牧を経営の中心に置いて6年目の春が間もなく訪れます。
夢中で走ってきた6年でしたが
何とか今まで生き残る事が出来ました。
牧場を取り巻く環境も、社会における農業、酪農の意味も
この間少しずつ変化してきています。

変化に対応しながら
農業の普遍性を追求するスタイルを確立できたことが
放牧を始めた最も重要な事だったと思っています。
農業とは2面性がある仕事です。
経済を中心に捉える人間の生業としての面と
与えられた環境の中で地球と対話しなければならない面
ともすれば相反するこの事を酪農とゆう仕事の中で両立できる農法が
放牧であり、循環農法であるのだと
それを、関東で在っても出来るのだと実証できたことが、
最も大きな成果であったと思うのです。

ぼく等の先代までは経済と対峙し
環境と戦う酪農でした。
牛乳需要拡大を背景に
海外や国内の先進地の農法を無理やり当てはめ
多額の補助金や、アメリカを中心とする海外の余剰穀物の問題etc・・・など
外的要因が中心に進められました。
( もしかしたら、海外の事情の為に国内の事情を作って行ったのかもしれませんが・・・)
それによって特に首都圏では粗飼料の生産がないがしろになり
糞尿は資源から廃棄物に貶めるられてしまいました。

ぼくらの世代は
国内では牛乳需要は人口減や、栄養満点からダイエットへのニーズの変化等により減り続け
海外では、人口爆発による食料の需要拡大、
異常気象による食糧供給減や水不足などにより穀物価格の高騰が加速します。
そんな背景の中
産廃となった糞尿を、資源化して公害を緩和する為に
国は法律を作り堆肥舎の義務化がすすめます。
そんな混沌とした時代に牛を飼い始めたのが
ぼくらの世代でした。
ぼくはそれを酪農界の第3世代と呼んでいます。

第3世代が置かれた環境の中で
如何に生き抜く(サバイバル)のかその方法の一つとして
ぼく等の牧場では放牧を取り入れる事にしました。

今日はこれ位にします。
小難しい話になってしまいすみません。
最後までお付き合い頂きありがとうございました。



kurumiruku2009 at 06:12|PermalinkComments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!放牧よもやま話