2017年02月17日

IMG_0444田舎と言っても 少し車を走らせれば 

コンビニだってあるし セルフのガソリンスタンドも

ドラックストアーも ショッピングモールだってある。

コマーシャルを打っている様なレストランチェーンや 牛丼屋やハンバーガ店も 

ぼく等の子供の頃に比べれば日常的に利用する事が出来る。

日本中どこも同じ状況だと思うけれど 

同じ看板が並び 同じような街並みが出来 同じサービスが提供される。

此れはぼく等が望んだ 地方の姿だったのだろうか?


比例して 個人経営のガソリンスタンドや商店達は閉店し

かつての中心街は寂れ 

バイパス沿いの郊外に 見慣れた看板がズラリ並ぶ

値段が高いから始まって サービスが悪い 遅い 古臭い 

一見もっともそうな理由で 昔ながらの店から客足が遠のく 


地元密着のあらゆる種類の昔ながらの店が消え 

細分化されたサービスを提供するチェーン店が増え続ける

例えば モノを売る店 其れを運ぶ店 其れを修理する店

モノは安いが 運賃が掛かり 修理も別料金 

挙句に買った方が安いと言われる


店の親父が商品を売り 運び 修理もしていた頃に比べ

モノの値段やサービスはそれでも 安くなったのだろうか? 悪くなったのだろうか?

地方の仕事や資金が 最終的には都市に吸い上げられ

地方が痩せ細る結果しか生み出していない気がしてならない。


価格には理由がある


安い店を渡り歩く購入行為は 人口が多く 

競争原理の強く働く都市部では是であっても

企業がその勢いを駆って 地方に市場を求めた場合 暴力的ですらある


人口が減り続け 高齢化し続ける地方に在って

再び小商店が復活する事は難しい。労働力も資金も結局都市へと吸われて行く

企業は経済であり力であるのに対し 小商店は互助で在り生活な気がするのだ。

此処にも 『 力・経済 対 互助・生活 』と云う対立が見え隠れする。


価格の理由を考える 

心の何処かに互助の気持ちを持ち続ける

モノを買うとき 店を選ぶとき 少しだけその事に心を砕く

地方に生きる事の意味 理由 価値 

守ること 護られる事 共に生きる意味 

暮らす理由の”種”が其処に在る。
 








kurumiruku2009 at 06:22|PermalinkComments(0)TrackBack(0)牧場よもやま話 | 社会と農業について

2017年02月13日

疑う

IMG_0515従来 牧場と言う作品を 形作る要素はとても多く

しかも 地域ごと 牧場ごとに 違うもの

この方法が良い とか悪いとか 一律に言う事は出来ない

只、多様性は認めつつも

最新の科学の粋の様な農法が 

必ず農民を豊かに 幸せにするものでは無いのではないか?

と云う疑問は常に持ち続けている。

最新の科学研究を基にしている事を 全面肯定するばかりでは無く

数値や平均の裏側にある前提 或は 研究の背景や環境要素

あらゆることを疑い 疑った上で自分の環境との共通項を挙げ

矛盾が無ければ取り組むくらいの 

慎重な姿勢が必要ではないかと思っている。


更には 

幸せの本質 生き方 哲学を常に求める姿勢を 忘れては成らないと思っている。

酪農と云う仕事に於いて

どんな仕事の仕方をするのかと言う事は どんな生き方をするのかと同じ事で

牧場と言う作品は 

その人・家族・一族の歴史 そのものを映す壮大な作品だと思うのだ。

これ以降は 

規模拡大に舵を切った牧場関係者にとっては不愉快な話しもあると思う。

読む事はお勧めしない。

未だ どの方向に舵を切ろうか迷っている層にのみ書く事にする。


ここ数年 

地域資源利用・放牧と云う飼養法・牛の長命化の優位性と同時に

牧場を農業以外の産業に開放する事で

地域に人を呼び込み 地域を維持する事に注力している

此れは、20年以上アイスの加工販売を続けた経験のある立場から

農業者自らによる 6次産業化への難しさを知ったこと

また急激に限界化する集落をどう護るかという問いへの

1つの挑戦でもある。


以前から続けている発信に

近年の酪農界の問題点として 

急激に大型化が進み 牛の高騰も相まって投資額も大きくなり続け

たとえ上手く行かなかったにしても 

一度切った舵を戻す事は 非常に難しくなっている。

切った舵は戻せないのを前提に 

ならば 未だ切らずにいる層 方向性に悩んでいる層に対して

規模拡大『 以外 』の選択肢 

或は 出来るか出来ないかを試し 

出来なければ直ぐに戻ることの出来る選択肢として

放牧や地域資源利用による低投入型酪農でのリスク回避を

実践者の視点から勧める為に書いている。


放牧と云う飼養は 実践者以外には その有利性は評価し難い。

乳量は増えず 餌は買わず 施設は小さく昔ながらのなまま

あくまでも 維持を前提とし 

土地の肥沃度や 牛の適応性を上げる事での 

穏やかな成長だけで満足する 

農法と云うよりも生き方 或は哲学 と思っている。


この事は

常に拡大し 膨張し続ける事を是とする 

科学や経済学の論理とは一線を隔す。

科学や経済学には 前提として感情の入る余地は無く

其処に重きを置く農法 例えば規模拡大や効率化を是とする

近年の最新型酪農は 

放牧や資源循環型の農法を 本当の意味で理解する事は出来ない思っている。

それは人生の構成要素である哲学の相違であり 仕方の無い事だとも思うのだ。


理解されない事を前提として 

更には その方向性が大勢を占める状況であるからこそ

違った意見を書く必要性を強く感じている。

どの農民も一生懸命だ。みんな仲間だ

だからこそ 特に若い 可能性の塊の様な若者が

固定観念に囚われず あらゆる可能性を検討し

継続する事の価値と 持続と云う価値に対して

希望を見出してくれることを望む。


あらゆる可能性を過去に試し辛酸を舐めたからこそ 書ける話もある。

先ずは 常識を疑う事から始めよう。




kurumiruku2009 at 14:43|PermalinkComments(0)TrackBack(0)牛と生きるということ | 牧場よもやま話

2017年02月05日

虚ろ

IMG_1176茨城県と云う処は

首都圏と云う大消費地に位置している

その為 食糧供給基地としての役割を宿命的に負っている

その温暖な気候と 肥沃な土壌 豊な水は

豊か過ぎる程の恵みをもたらし

あくまでも 食糧生産基地としての地位に甘んじ続けている。


酪農も同じ傾向であり 乳価の低い地域でもある

北海道の生産者に気の毒がられる程の・・・・・・

原因の多くは 県組織の将来への対応の遅れと 

現状への柔軟な対応 そして高コスト体制 更に地域格差の是正の対応不足等 

それによる 組織と農民の関係悪化と疑念の悪循環が

20年以上も続いている事にあるが 此処では多くは語るまい。


乳価が低いことを前提に いかに収益を安定確保するか

その事だけに16年以上腐心し続け

11年前 この地で最も低コストと思えるような経営を編み出した 

が 間も無く 乳価が反転 肉値 仔牛値 の高騰が始まった

極普通の酪農家が 再生産可能な価格 になった 

その事は喜ばしいことだ 酪農界全体にとって待ちに待った状態だ

ただ ぼく自身がPTSD患者の様に 

何も事が起らない ぬるま湯 の様な現状に 脱力して居る事を 薄々感じている。


そして この仕事の大きな潮目の変化を感じている。

少なくも ぼくのもがいた一時代は 終わろうとしている。


そんな 虚ろな目で 今の酪農界を見る

20年来変わらづ 未だに低コスト・高効率を追求し 業者を叩き値下げ要請する

其処から出ない 出ることの出来て居ない そう感じる

それは ようやく出来た経営的余裕を 

何処に振り向けるかを 完全に見失っているようにも見えるのだ

ぼく自身が虚ろになるのだから 言える立場に無い気もするが・・・・・・


この余裕を 何処に振り向けるか 何を成そうとするのか

その目標設定と方向性で この後数十年を決める そう感じている。

















kurumiruku2009 at 06:42|PermalinkComments(0)TrackBack(0)牛乳の未来 | 社会と農業について