2021年03月

2021年03月29日

ここは天国

IMG_3409椿も見ごろを過ぎ ぽたぽたと落ち始めると

桜の便りが聞こえ始め 

やがて ケヤキに若葉が吹きだす

牛達が揃って放牧地に顔を向け「 若草が食べたい 」と鳴き始め


放牧地では 

草達がそよそよとなびき やがて水面のように光りだすころ

ヒバリが太陽に吸い込まれるように駆け上がり

足元から むせる様な草の匂いと 土の香りが立ち上ると

いよいよ 放牧の季節がやってくる


若草の放牧地に 白黒の牛が跳ね回り 命がはじける

生きてる。生きてるなぁ


良いとか 悪いとか 正しいとか 間違ってるとか 儲かるとか 損だとか

とかく 小さなことに人は拘るけれど

生きてる牛達と 大地を見たら 何とかなると思える

その思いは 初めて牛を放した時から変わっていない


今年も放牧が始まり

まもなく 牛の身体も草の匂いに包まれる

生乳もバターの色は 黄に変わり

やがて バニラの香りのする生乳になる。

楽しみで愉しみで ぼくらが一番待ち焦がれてる。


ここが 乳と蜜の流れる天国 になる





kurumiruku2009 at 06:49|PermalinkComments(0) 花鳥風月 | 放牧よもやま話

2021年03月22日

地上から消える


CIMG0461草が伸び始め 放牧開始迄秒読み

開始日が決まらないようです。

放牧を始めるにあたり 

牧柵の修理 水回りの確認 漏電個所の探索・対処は欠かせません。

早いうちに日にちを大まかに決め 其処に向かって仕事を組み立ててゆく

誰かの指示がある訳では無いこの仕事は 全てを自分で決め 行動しなくてはなりません。


「 今時の若い子は・・・・・・」 良く聞きます。

親よりも 社会が子供を育てる部分が 意外に大きい事もよく分かります。

けれど 有史以前から続く放牧という農法において 

” 今時の若い子 ” だろうが 老人だろうが 求められることに違いはありません。

今時の若い子だから出来なくて 老人には出来る訳でも またその逆も

若者だろうが老人だろうが 人であることには変わりなく 

地球が人に求めている役割は 有史以前から変わってはいない

其の意味でも 非常に希少な仕事です。


むしろ 即効性や高い収益 前年対比などと言って 

必要以上に成果や速さや高さ を求める社会風潮の弊害の方が大きい

『 育てる余裕が無い社会 』 『 大人が保身の為に若者を追い詰める企業 』 

人と地球の間に立つ仕事からは 今の人間社会がそう見えます。


今年上手く行かない理由は 本人が一番わかってる。はず(笑)此処は信じようと思います。

今年より来年が 再来年が 10年後が 人も牧場も良くなっている そう云う姿をイメージする。

軸をもって 次の世代に繋ぐことを 大人も若者も共にイメージするのです。

長い時間軸と 信じる余裕だけが牧場を育てます。

これは変わらないのです。


こういうことが尊ばれない社会だから

それを伝えるのが 大人の(親の)務め

ただ 昔より寿命が延びてしまった事は 悩ましい事でもあります。

先人が地上から消える事が 何より人の成長を促しますから。

旧世界に在っては 死もまた よくできた仕組みなのです。

死ねない事が 人の成長を遅らせている。現代的な悩みです。


人は何処に向かうのでしょう?

地球にとって人とは何なのでしょう?

旧世界の住民は考え込んでしまうのです。





kurumiruku2009 at 06:35|PermalinkComments(0) 牛と生きるということ | 社会と農業について

2021年03月15日

自然は恐ろしく そして温かい

2010 11月 001啓蟄も過ぎてはいるものの

まだまだ寒い3月11日は 言わずと知れた東日本大震災が起こった日

茨城県もそれなりの被災をし

水道が止まり 停電が続き 

道が崩れ 裂け 土地が陥没し マンホールが道路から飛び出し

電柱が土にめり込み 倒れ 傾ぎ 計画停電に右往左往し 

老人ばかりで 酪農家が多い 身動きの取れなく 情報格差の酷いこの地域の脆弱さを知り 

福島の原発から飛散した放射性物質が降り 風評被害が拡散し

サプライチェーンという言葉を知り 生乳出荷が1か月止まり


ある友人は すべての牛を失い

ある友人は 新天地に「故郷の春を見せられなかった」と言いながら新妻を連れて移り 

ある友人は 被災地で何かできる事を探すと言って身を投じ


自然災害の甚大さを知り

原発廃炉の難しさを知り 

原発依存からの脱却の困難さを知り

人の本性を知り それでも関りを持たなければならないことを知り


自然の恐ろしさと同時に 

強さ柔軟さを知り

再生の力を知り 

可能性を知り

希望を拾った


そんな10年だった気がします。

「 この先どうなるんだろう?」 と思いながら

なるべく正確な情報を収集し 近隣にアナウンスし励ましながら 

餌をやり 乳を搾り 糞を捨て 堆肥を作り 生乳を捨てていた

通常と異常の 混在した生活をしてたなと思い出しました。


もう10年と思う事も 未だ10年と思う事も 

良くなったと思う事も 後退したなと思う事も 

これからも混在しながら進むのでしょう。

それでも 少しでも 希望の持てる未来に向けて 考え行動して行くのでしょう。


自然は恐ろしく そして優しい それは変わりませんから。

kurumiruku2009 at 06:11|PermalinkComments(0) 牧場よもやま話 | 牛乳の未来

2021年03月08日

周回遅れの開拓者

104ぼくは 開拓者一家の生まれ

父方祖父達は終戦後 此処に入植

水浸し沼地を干拓し 先ず地面を作るという一大事業を成した。

母方の祖父は 北海道開拓者の2代目で

維新後入植した曾祖父たちが 原生林を切り拓き

北国の厳しい気象と 難しい土地条件を突破するために

当時 需要もはっきりしない草創期の酪農に取り組んだ


北と関東  新旧開拓史の合作ともいえるぼくは

農地を創り出したり 原生林を切り拓いたり


そう云う 開拓者然とした時代には生きていない


生まれた時代は高度経済成長期  育った時代 国の経済は常に右肩上がりで

就農した時代はバブルの尻尾

酪農界も社会に呼応するように  派手に景気良い事が善の時代 

開拓者の末裔であることを意識する 意味はまるでなかった時代に生まれ育った。

ただ  幸いだったのは 両親が開拓者の出であった事

其の出自に誇りを持っていたこと

そのおかげで  浮かれた時代に  何処か冷めていられたこと。


学生時代  全国大会出場の為に訪れた渋谷を歩きながら

「 お金が無ければ何も出来ない此処よりも
          必要なものは自分で作り出せる田舎はなんと豊かな事か 」  

周回遅れの此の想いは  開拓者の意地なのか  やせ我慢なのか

何れにしてもその十数年後

放牧に切り替えるという  関東酪農のセオリーを無視した暴挙に至ることになる

其の意味で  ぼくも開拓者であろうとしていたのかもしれない。


昨今 今よりも 未来を見つめるという視点が  軽く見られることが多い

質が悪いのは 未来を見つめる事を口先だけで語る広告が多い事

カッコ付きで 出来ない理由を見つけては  今を食い潰すことを正当化し

それを見ている子供たちは「 将来の夢はお金持ち 」と言ってはばからない。

豊かさとは何なのか 生きる意味は何なのか

それを考える意味は失われ ただ欲望のままに生きる事を

口に出さずとも誰もが正当化している。 



豊かさの意味が変わってしまった様に 貧しさの意味も変わり

日増しに貧しくりなり やせ細り続けているこの国で

周回遅れの開拓者は朽ちるしかないのだろうか・・・・・・

次の世代に残すものは? 次の世代に伝えなければならないのは?

祖父達の様に 両親の様に 

開拓者の心を ぼくは伝える事が出来るだろうか・・・・・・




kurumiruku2009 at 06:58|PermalinkComments(0) 社会と農業について | 牧場よもやま話

2021年03月01日

だから止められない

IMG_2930弥生3月を迎えました。

春本番も間近 そして放牧再開まで秒読みです。

雨の少なさから草の伸びが遅く感じますが

経験から それは十分取り戻せると思っています。

気温や雨も大切ですが 日一日と伸びる日照を草は確実に感じて

小さな青い花のオオイヌノフグリが 日向で青い絨毯を拡げ

スズメノエンドウが可愛らしい葉を出し始めています。


今年は 繁殖のずれ込みもあって2月の分娩が多い事は織り込み済みでした。

放牧開始直前のこの時期に分娩が集中する事は 収益が上がる事でもあります。

ただ 分娩は病気ではありませんが 最大のリスクでもあります。


スムーズな分娩は それ自体が産後の肥立ちを促し 次の繁殖にも大きな影響を与えます。

出来るだけ そうなる様に母牛の状態を整える事で

8〜9割は自分で産み落とす通常分娩です。 

放牧直前であれば その効果と相まって産後も順調に推移する事が多いのです。


しかし 過肥 初産牛 何らかの治療中の牛はどうしてもリスクを孕みます。

その他にも 逆子や双子 子宮捻転(子牛ごと子宮が捻じれてしまう)等も

そして今回は・・・・・・


初産牛に和牛受精卵のスノーが パドックで破水

触診の結果 本来万歳するように産道を進む筈の子牛の左前脚が

球節の処で折り曲がり骨盤を通過できない事が判明。

初産なので狭い産道で 生み出したくて生み出したくて息む母牛に逆らって 

産道に手を入れ子牛を押し戻し 曲がった前足を延ばして整復

破水を発見してから5時間を超えようとしている状態 

子牛はほぼ絶望していたのだけれど 牽引を始めると舌に弱い反応が!

大急ぎで引き出し 心臓マッサージをしながら マウスtoノーズで羊水を吸い出し 

「 帰って来い! 帰って来い! 」と話しかけながら続ける事10分位

弱いながら呼吸を確保! 「 いける! いける!! 」

熱めのお湯を張った タライに入れ体温を上げると 徐々に心音が強くなり 呼吸も安定

首を動かせるまでに回復 


仮死状態からの回復術の成功率は 実はそんなに高くはない

そもそもここまでの悪い状態は 10年に1回あるかどうか

このくらい時間が掛かってしまうと 子牛は勿論 母牛も廃用になる確率が高い

子牛の身体を拭き 服を着せ 湯たんぽ替わりのオイル缶を抱かせていると

母牛がやおら立ち上がり 餌を食いだす!!!!!思わず万歳!

2日後の朝 足腰に力が入らず寝たきりだった子牛も 

繰り返し行ったリハビリの甲斐があり ぼくの目の前で自立

電話中だったこともあり 会話上の空で 一人踊る(笑)


命は 時に脆く 時に強い

逝く命があれば 帰ってくる命もある

日常的にそれらを預かるぼくらにとっても それは奇跡のひと時だった気がする。

「 仕事だから 」と言えばそれまでだけれど

それだけじゃない何かを 其処にいた家族や友人や実習生と 

言葉に出来なくても共有できた気がする。


この仕事が好きだ。この仕事を続けていて良かった。 

たまにこういう事があるから やめられない。(笑)

kurumiruku2009 at 06:50|PermalinkComments(0) 牛と生きるということ | 牧場の四季