<はじめに(柳瀬製作所とは?)> についての記事です

2016年11月01日

早朝までで雨も止み、曇りと青空とが混じったヒンヤリとした空気の中で11月1日を迎えた東大阪市東部です。

今日は、先代急逝により残った柳瀬製作所を鎖屋兄弟達が引き継ぎ再スタートさせた記念日になります。

TOPCHAIN柳瀬製作所正面

















引き継いだ1998年から丸18年が経ち、19年目の最初の日を迎えました。

取引規模は先代の時代よりは小さいですが、<お客様との距離が近い>お商売が出来るようになりました。

お使い頂く方の姿が見えたり、想像出来たりする事は、自分達のものづくりに対する責任感を意識する事になりますし、頂いたお声やお写真は励みになります。

人の手を介さず製造から包装まで行われた完成商品が出来上がる、フルオートメーションは日本が世界に誇る素晴らしい技術ですし、我々にはまだまだ導入出来るものではありません。
でも、昔から今も続く、自分の手を通して作り、袋詰めしたものを、待っていらっしゃる方が手にとって下さるモノづくりも素敵だ思います。
効率性という点では劣るかもしれませんが、そこには人の思いや温かみが込められている気がしてならないのです。

今までも、そしてこれからも、そんなものづくりを続けられる鎖屋兄弟達であるよう、努めてまいります。

今後ともTOP CHAIN 柳瀬製作所と鎖屋兄弟達を宜しくお願い致します。


追記、19年目を迎えるにあたり、良い景気を迎えられるよう、良い(美味しい)ケーキを買ってお祝いすることにしました。

19年目を祝う栗のミルフィーユ













鎖屋兄弟達と同じく1998年に洋菓子店を開業された<お菓子の工房 カランリーヌ>さんのマロンのミルフィーユに、無理を言ってプレートを付けて頂きました。
工場からすぐ近くのところにお店があり、2001年に鎖屋兄弟長男のウェディングケーキを作って頂いたことがご縁で親しくさせてもらって(本当は無理ばかり聞いてもらって)います。

最寄り駅などからは少し離れているので、交通の便はあまり良くないのですが、ケーキや焼き菓子の味は、在阪のテレビや雑誌で紹介されたり、高級車のディーラーさんの来場者向けのお茶菓子として採用されていることからもご想像頂けるかと思います。
(繁盛しすぎると、忙しさから、私共の毎回の無理な注文を聞いて頂けなくかもしれないので・・・。でも、お土産でお渡しした先の方々には「美味しかった」と本当に喜んで頂けています。)

花園あいすどらいくん













カランリーヌさんからは、19年目のお祝いだからという事で、アイスどら焼きをプレゼントして頂きました。
(持ち帰り時間のための保冷の役目も果たしてくれ、何倍もの嬉しさです。)

これで19年目の景気が良いこと間違いなし!です。

頑張るぞー!!



2013年11月01日

柳瀬製作所の創業は1967年の2月、現工場の前に広がる貸し工場の1区画に熔接工場として誕生しました。
その後、チャンスがあって鎖製造にも着手。
現在の鎖工場として発展してきました。
今年の2月には46年目を迎え、この地域でも古手の町工場となりました。

1998年の秋、先代社長が病気で急逝したことにより、それぞれ鎖とは違う業界で仕事をしていた兄弟たちが一緒に力を合わせて、この工場を引き継いでいく事を決めました。
子供の頃から家業のお手伝いとして鎖作りに取り組んでいましたが、それはあくまで“お手伝い”レベル。
機械やモノづくりのことを熟知した職人さんのレベルではありません。
実際にはゼロではなくマイナスからのスタートです。

兄弟がそれぞれに持ち場を引き受けて工場を運営してきました。
特に鎖を作る機械を引き受けてくれた一番下の弟の努力には本当に感謝です。

そうして迎えた今日。

まだまだ壁は高く道のりは長いですが、これからも前を向いて、私共の作るチェーンを使って下さるお客様やワンちゃんと飼い主さんの喜んで下さる姿をいつも心にとどめながら、<つなげる つながる モノづくり>を続けていきます。

これからも鎖屋兄弟のTOP CHAIN 柳瀬製作所を宜しくお願い致します。

C-family











(3年前の写真ですが、揃っているものはこれくらいなので)

追記 この写真は1998年に先代社長が工場の机の上に飾っていた写真です。

photo1101

















兄弟4人の子供の頃の写真。
たぶん天王寺動物園で撮ったものだと思います。(1977年撮影?)
先代がなぜこの写真を選んで飾っていたのかは正確には分かりません。

現在は鎖屋兄弟長男が使うPCデスク上に飾ってあります。
あれから15年、今では完全に色褪せてしまったカラー写真ですが、兄弟4人のこの工場での思い出はそれぞれに色鮮やかなままのようです。
兄弟たちを育て、繋いできたこの工場にも感謝です。





2012年02月08日

小雨混じりのお天気で始まった2月。

鎖屋兄弟のTOP CHAIN 柳瀬製作所は1967年2月に、ここ、東大阪市池島町で創業しました。

小さな住居部分が付いた棟続きの貸し工場でのスタートです。
その2年後の1969年に長男が生まれ、1971年以降、住居だけは数キロ北側の賃貸マンション(今で言う鉄筋コンクリート製アパート)、そして八尾市の一軒家へと変わっていきましたが、工場は棟続きの貸し工場や周りに点在する工場や倉庫を借り上げる形で拡大。
1970年代の工場と鎖屋兄弟が写った写真と現在の同じ場所での写真を並べてみました。
1970-1971年頃の柳瀬製作所と鎖屋兄弟長男 2012年2月時点の旧柳瀬製作所2

1970年代後半の柳瀬製作所と鎖屋兄弟 2012年2月時点の旧柳瀬製作所1
1980年代半ばに運良く、工場の前の土地購入のお誘いがあり、そこに工場を建て、一部増床し、1990年代初めに現在の建物の形となりました。
TOP CHAIN 柳瀬製作所 正面写真 
先代社長が1998年初秋に急逝した事を機に、それぞれ違う仕事についていた兄弟達が結集し、再スタート。
先代が自社ブランド名としたものの、国内外のペット商品メーカーへ製品をOEM供給する事業が主体となったために日の目を見る事がなかった“TOP CHAIN”を会社名の頭に追加し、<TOP CHAIN 柳瀬製作所> になりました。

暫くの間は国内メーカーへのOEM供給を継続していましたが、『ワンコのサイズ、ワンコを飼う環境は様々なのに、一定長さの規格品しか流通していない。ワンちゃんの体形にぴったりフィットするチェーン、飼育環境に適した係留用チェーンやお散歩用チェーンを作りたい』という思いから、チェーン長さやパーツ組み合わせ変更依頼が可能なオーダーメイド製作を始めました。

幸か不幸か?メーカー側での中国での生産シフトが進んで来たことも相まってOEM供給は最小限にし、インターネットの普及を追い風にして、以前のような企業向けだけではなく、ネットショップを始められた方や個人の方々まで、多くの方々からお問い合わせやご依頼を頂戴してまいりました。

コツコツとした地味ですが真摯な対応が実を結び、オーダーメイドチェーンは北海道から九州、そして海を渡ったアメリカやアジア、ヨーロッパでもお使い頂いています。(いずれも現地にお住まいの日本人の方々からではあるのですが・・・)
また、いつの頃からか、私達には“鎖屋兄弟”という嬉しいニックネームがつけられるようになっていました。

ここ数年では、遊び心のあるお客様のために巨大なウォレットチェーンをお作りしたり、多頭飼いのお客様用に特製の多頭引きチェーンをお作りしたり、建築デザイン事務所の依頼でチェーンと金具を組み合わせた作品を作ったり・・・お客様の感性を形にするものづくりが出来るようになってきました。
兄弟でのモノづくりに興味を持っていただけ、テレビや新聞の取材に来て頂いた事もチラホラ。
工場内の製鎖機械

昨年初冬には創業の地であった貸し工場が一部を残して取り壊され、現在は賃貸アパートの建設が進められています。
住居部分が取り壊された旧柳瀬製作所のあった貸し工場 取り壊されアパート建設が進む貸し工場跡
短い期間とはいえ、そこで生まれ育った長男にとっては今でも少し心がチクッとする出来事でした。

鎖屋兄弟として13年と3ヶ月、進む道はまだまだ険しいですが、私共を必要として下さる方々の存在を力に、依頼される方の思いに応えるモノづくりに励んで行きます。

ワンちゃんにピッタリサイズのしつけ用チェーンが欲しい、ワンちゃんのために手作りでリードや首輪が作りたい、外で繋いでおく為に長いチェーンを作って欲しい、などなど、ご希望やお困りごとがありましたらいつでもお気軽にお問い合わせ下さい。
鎖屋ファミリーの写真(2008年頃)
ワンコ飼育歴30年超の鎖屋兄弟が一緒に考え、ご提案させて頂きます。



2006年07月14日

現在、私を含め兄弟3人が鎖工場である“柳瀬製作所”に従事していますが、このうち、工場で育った経験を持つのは私だけです。
私が生まれた頃は、今も現在の工場の前に残る貸工場で鎖の熔接業を営んでおりました。
以前の貸し工場

 

 

 



工場の作業スペースの隣には、畳の部屋が1つに、トイレと小さなお風呂場、そして小さな台所という構成の小さな居住スペースがあり、当時はここで暮らしていました。
ですから、私にとっては工場の機械の音が半分<子守唄>になっていたようです。

実際にこの場所で私が暮らした期間は2年半ほどらしいのですが、今でも機械の音を聞くと心のどこかがホッとしている自分に気付きます。
逆に機械の音が全くしない休みの日などに出て来たときは、ラジオをつけていても、工場の雰囲気のどこかに空虚感を感じてしまいます。
つい数年前まで、ふとした瞬間に、機械の出すガチャガチャ言う音が、何か話をしているように聞こえたものでした。
最近ではそんな風に聞こえなくなったので、<素直な心が失われてしまったのか?>と、ちょっとショックを受けていたのですが、機械担当の弟(直紀)曰く、「鎖の精度UPの為、機械のガタつきを極力無くしたから機械の音に変化が無くなっただけ」と、有り難い様な、でも、冷静な(と言うか、何だか冷めた)コメントが帰ってきました。

当然、町工場の子供ですから、兄弟揃って小学生の頃から、土曜日、日曜日の午後からや、学校がお休みになる時期には、工場の仕事のお手伝いに来ておりました。
まあ、小さな子供の出来る仕事は限られていますし、長続きしにくいですから、半分は工場の周りに広がる田園風景の中で遊ぶのが仕事のようなものでした。

その頃は、小学唱歌に出てくるような小鮒の泳ぐ小川や、メダカの泳ぐ池、田んぼにはザリガニやカエル、草むらにはたくさんの虫達、と言った具合で、虫取り網や釣り糸程度のお金しか掛からない遊び場が一杯でした。
おかげで兄弟揃って動物好きに育ってしまいました。

今も変わらず田舎ではありますが、宅地化と遊水池公園整備計画で小川や池の面影は全く失われてしまいました。
すぐ傍まで宅地化の波が遊水池公園予定地の長い柵

 

 

 



生き物も殆どいない環境です。
そのまま残していれば、自分達の子供にも同じ体験をさせてやれたでしょうし、それ以上に地元の観光資源として十分活用出来たでしょうに、とても残念な事です。

現在の工場これからもこの場所を見つめながら、皆さんに喜んで頂ける鎖を作り続けていきますので、宜しくお願い致します。



2006年07月03日

はじめまして

2007年に満40周年を迎えようとしている柳瀬製作所がどういう所か?またどのように変わって行こうとしているのかを、この工場に携わる兄弟達がそれぞれに発信して行きたいと考えてこのブログを立ち上げました。

柳瀬製作所って?
TOP CHAIN 柳瀬製作所は、大阪府東大阪市にある金属製の鎖や関連パーツを製造販売している工場です。

いつから?
創業は1967年の2月。先代社長が小さな貸し工場を借り、金属鎖の溶接を引き受ける下請工場として柳瀬製作所はスタートしました。

1970年代に入り、鎖の溶接だけでなく鎖自体の製造にも着手し、鎖メーカーとなりました。

その後、係留用チェーンなどのペット用の鎖製造に主軸を置き、国内外の有名ペットメーカーさんの鎖商品を委託製造するOEMメーカーとして活動しております。


どのような経緯で現在に至ったかや商品についてなどもこれから順次お話して行こうと考えています。

柳瀬製作所遠景 時々お読み頂ければ幸いです。宜しくお願い致します。