天の神庫も樹梯のままに。

大田別稲吉の備忘的ノート。ときどきトンデモです。

『物部氏の研究』第二版


IMG_2077

2009年8月に発売された篠川賢氏の『物部氏の研究』。
それから六年経った2015年9月、第二版が発売になっていたのをご存知でしょうか。
刷ったぶんが売り切れたんだねーと思っていたら、なんと第二版で第一版とは別のISBN(書籍を特定するための番号。国際標準図書番号)が取得されています。



つまり、第一版と第二版では別々の本だと、出版元である雄山閣はいっているのです。
これは気になります。
とはいえ、安い本ではないし…と第二版の購入をためらっていると、幸い、北海道立図書館の所蔵になりました。さっそく貸し出しを受け、どこに違いがあるのか確認することにしました。

違いは…
見つけることができませんでした。


左右に並べて1ページ1ページ比べていった私の時間を返せ!雄山閣。

もしかしたら誤字の訂正レベルではあるのかもしれません。そこまで漏らさないよう確認はできませんから。
でも、行単位で増えたり減ったりはしていないのは確実です。

2009年以降、批判されたことについて反論でも付け加わった部分があるかと思ったんですが、無いですね。注もそのままでした。
あとがきも一字一句変化なし、そのままでした。

いや、正確には1ページだけ変化のあった場所を見つけました。
奥付です。
篠川先生の紹介(著者略歴)に、「『日本古代の歴史2 飛鳥と古代国家』吉川弘文館、2013年」が増えていました。それから、印刷所と製本所が変わってるみたいです。
それだけです…

「第二版」ではなく「第二刷」ではないのでしょうか。一文も増えても減ってもいないのに、新たなISBMが取得されたのはなぜなのでしょうか。
謎は深まります。

いずれにせよ、初版を持っているのに第二版を無理に読む必要はなさそうです。
私以外にも、この問題が気になっていた方はいらっしゃるでしょうか。
全国の物部氏マニアの人柱になれたことを光栄に思います。

関係ないですが、北海道立図書館は日本古代氏族研究叢書シリーズを、この『物部氏の研究』初版・第二版の2冊しか所蔵していないのが、公費の使い方として納得いきませんね。第二版は買わずに『紀氏の研究』か『大神氏の研究』を買ってくれればよかったのに。

web拍手お返事

何度見ても、モヤモヤした気持ちになる天孫本紀物部氏系譜第十四世孫〜第十七世孫段物部尾輿連公後裔部分。
tenson

> 匿名さん(2016年2月2日)

いらっしゃいませ。すっかり放置のサイトへようこそおいでくださいました。
ご質問の論点、私なりに何か指摘できることはないか考えてみたのですが、加藤先生の『蘇我氏と大和王権』は精緻な考察と筋道の通った論理で、素人に付け加える点は無いですね。

古代系譜の前提として、古い時代として設定されているほうは作為的で、系譜の成立した時代に近いほうは事実を伝えていることもある、というのは全体的にいえると思います。
天孫本紀物部氏系譜もそうなのですが、ふしぎと饒速日尊以下古い側は整って矛盾の少なく、新しい時代の記述になるにつれ混乱が大きくなっています。古い側は氏族内部でコンセンサスがとれているのに、より現実的な影響の大きい、直接の先祖や係累の記述に関しては、その時々の利害関係が影響して記述に矛盾が起きてしまうのでしょう。

こうして「布都姫夫人」の前後も、事実が含まれているかもしれないし、含まれていないかもしれない、という、史料と見る目が問われる記述になっています。
このあたりの天孫本紀の記述が全面的に信頼出来ないのは、壬申功臣の榎井雄君がその功績により物部氏の氏上に任じられたことにより、守屋大連の子としての位置を獲得しているような点から明らかです。
「布都姫夫人」も虚構に彩られた存在で、事実性をどこまで認めるか難しいですね。

(1)鎌姫大刀自は贄子の娘ではあるが馬子の妻ではない
加藤先生の論調からすると、鎌姫大刀自自体を架空の存在と見るのもいいかもしれません。もちろん馬子の妻でもないのでしょう。

(2)布都姫とされた守屋公の妹(=馬子夫人)は存在する
「布都姫」という名前も、作為が行われた系譜の製作時に案出された可能性が指摘されてましたね。この名前なしには石上神宮の奉斎者としての位置づけは不可能なので、必要になった時に名づけられるということです。
私個人としては、蘇我蝦夷による物部権益(石上神宮祭祀権を含む)の収奪が進行していく段階で、そのような呼び名が作られたことも考えなくてはならないと思いますが、その辺は裏付けができないのでなんとも。もしかしたら石上神宮と無関係な別名「御井(夫人)」は、「布都姫(夫人)」「石上(夫人)」と違って彼女の生前からの通称だったのかもしれません。あえて作為する必要性がありませんので。

(3)崇峻夫人であり石上神宮の斎宮である布都姫は架空の存在であるということで良い?
それが一番すっきりすると思います。布都姫以降でも、石上神宮に女性斎宮がいたことを示す古代史料は存在しません。まして天孫本紀にある「参朝政」とは崇峻天皇の正妃であることを匂わす記述で、信じがたいです。
石上神宮の祭主は代々物部氏によって受け継がれてきたとの主張は天孫本紀物部氏系譜の大きな柱です。その職は男性が大半であり、女性を立てるのは極めて異例です。まさに蘇我氏が「石上神宮の管理に介入した事実」により物部氏の「代々」の継承が途絶えてしまい、それを「糊塗」する目的で創作されたわけです。

なお、加藤先生が参考文献にあげられてもいた、佐伯有清『日本古代氏族の研究』(吉川弘文館、昭和60年)の「蘇我氏と古代大王国家」では、「物部氏の系譜の記載を好意的に受けとれば、布都姫は、はじめ采女となって宮中に仕えたことがあったのを、時代を降らせて崇峻天皇の夫人のごときに言いなしたのではないかということが考えられる」なんて書かれてますね。
確証はないのですが、案外、欽明朝末期か敏達朝前期くらいに尾輿の娘が氏女の類いとして宮中に仕え、このあたりの記述のモデルになる、そんなこともあったのかもしれませんね。もっとも、佐伯先生が「歴史小説の世界でのことになろうから、このあたりで筆を止めておくほかはない」とされた贄古の妻が馬子の妻になるような筋書きは、加藤先生のいわれる「大連の物部氏と大臣の蘇我氏の対立が、政庁内で次第に顕在化する中で、両勢力の一時的な和睦の方策として編み出されたのが、物部守屋の妹(名は不詳)を蘇我馬子に嫁がす政略結婚であった」のほうが正しいでしょうから、成り立たないと思いますが。

とりとめがない上に、解説にもなっていない感じで申し訳ありません。
細かく見ていくとややこしい論点ですが、こりずに考察を深めていってくださると物部厨のひとりとして嬉しいです。


三度目の移転

告知が遅くなりましたが、本体サイトのアドレスが変わりました。
http://mononobe.webcrow.jp/
が新しいものになります。

もう更新してないので、ブックマークの変更をお願いしますとは言いにくい感じですね。
なにか物部氏関係のことを調べたくなられて、Googleあたりで検索されたとき、ウチのサイトが引っかかったら「ああ、まだ閉鎖してなかったんだー」と思い出していただけると光栄です…へへ…

DION(五年八ヶ月)→忍者ツールズ(三年六ヶ月)→デジデジ(四年七ヶ月)、そして今回のウェブクロウと変遷してきました。今度はいつまで保つでしょうか。
あと私はいつまで艦これにハマっているのでしょうか。扶桑ちゃんとケッコンカッコカリするんだ…

続き↓はweb拍手お返事。
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物部氏衰退期に登場した石上地域の有力首長墳、「豊田トンド山古墳(仮称)」

報道されたのが4月27日ということで、ニュース性は皆無なのですが、久々に「物部氏」という言葉がマスコミに報じられた記念にメモっておきましょう。

・7世紀前半の巨石石室 奈良・天理、物部氏関連の墓か(47NEWS)
・奈良の石上・豊田古墳群で横穴式石室が新たに発見(産経ニュース)
・未知の巨大石室古墳 - 物部氏の有力者墓?/天理の丘陵地(奈良新聞)

1997年のハミ塚古墳のときを彷彿とさせますね。
またしても道路工事がらみでの発見だそうですが、今回はしっかり事前に調査ができてよかったです。
道路のために調査が終わったら破壊されてしまうのかどうか、大変気になります。なんとか残していただきたいですね。

仮に保存できるとしても、石室は埋め戻すんでしょうね。
そういう意味で、この古墳の石室画像は貴重です。しかし、ハミ塚古墳のときとは違って、デジカメやカメラ付き携帯電話・スマホの普及とSNS等ネット上で公開するサービスの存在により、現地説明会へ行かれた方による写真が多数見ることができます。
Twitterからいくつか紹介させてもらいます。


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山無媛連公と山梨地名

「山梨」や「山名」の地名を、天孫本紀にみえる「物部山無媛連公(もののべのやまなしひめのむらじきみ)」に関連づける考え方は広く行われています。
たとえば、吉田東伍は『大日本地名辞書』で遠江国山名郡の山名郷について、
「式内山名神は、今山梨牛頭天王ならん。天孫本紀に“物部山無媛連公、軽島豊明宮御宇天皇、為皇妃”、“武諸隅連弟、物部印岐美連公、志紀県主、遠江国造、 久奴直、佐夜直等祖”とあれば、此物部山無媛連公は、本州に生れて、地名を以て其名とせし人なるべし、又山名神社は山無媛連公か、或は物部氏の祖神などを 祀りたるものなるべし」
とします。
加藤謙吉氏の『蘇我氏と大和王権』(吉川弘文館)でも、全国各地の物部分布をまとめた表(P191)の下総国千葉郡に彼女の名が挙げられます。同国同郡の山梨郷に関係すると見られているのでしょう。

これを学術的に取り上げたのが、原秀三郎氏(静岡大学名誉教授、『地域と王権の古代史学』塙書房)です。
遠江国、下総国のほか、甲斐国山梨郡山梨郷、上野国多胡郡山字郷が当てはまり、物部氏の地方進出の足跡を伝えるものだとされます。

しかし、原先生は田中卓氏の史観を支持し、実在に疑問の持たれている歴史上の人物を実在を前提に論を組み立てていることもあって、受け入れる研究者は少なく、その研究成果はあまり活かされてこなかったようです。惜しいことです。

この問題について、ついに専論が登場していたことを知りました。
古川明日香氏の「「ヤマナシ」の地名と物部氏 -「物部山無媛」の系譜成立の背景を考える-」(『山梨県考古学協会誌』第19号)です。

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