楠木新(くすのき あらた)
楠木新の自己紹介

*講演・セミナー・研修および取材などの
お問い合わせは、kusunoki224アットマークnifty.comまでお願いいたします。
※アットマークを@に代えてください

2006年06月

2006年06月30日

7/26 「新現役ネット」の「学びの会」で話します。

7月26日にNPO「新現役ネット」(岡本行夫理事長)の「学びの会」
で話しをさせてもらうことになりました。
題名は、「中高年からライフワークを見つけた人々」です。

きっかけは前にも書きましたように、NPO「新現役ネット」
の元事務局長の船橋利幸さんとお会いしたことでした。
元々は新聞社にお勤めになっていた方で「キャリアチェンジ」
されて、いろいろな分野で活躍されています。

NPOの活動だけでなく、ご自身でラジオ番組のパーソナリティ
をつとめられ「定年後「ひとりビジネス」成功集」(小学館文庫)
も書かれています。

5月に、その山梨放送のラジオ番組「おやじの時間」に2週連続で
出演させていただきました。
つい先日収録したCDを送っていただいたので聞きました。
電話でのインタビューだったので、話す間が難しくて自信が
なかったのですが
「なかなかよくしゃべっている」と自画自賛していると、
横から妻に「聞き手がいいわね」とすかさず言われてしまいました。
船橋さんどうもありがとうございました。
「学びの会」も貴重な機会と感謝しております。

また、実際のラジオのやり取りはこのブログでも紹介します。

「でもなあぁ」(MI優勝のブラックマヨネーズのノリで)、
あのラジオ番組の合間に流れる、風、村下孝蔵、五輪真弓、
オフコース。しかも流されるのはその歌手の一番のヒット曲では
なくて、渋い歌なんですよね。
きっと自分の趣味だけで選んでますよね、船橋さん。
なんと羨ましい。



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2006年06月29日

第四回「キャリアチェンジ研究会」のお知らせ

長雨と夏を思わせる日差しが交互に続く天候ですが、皆さん
お元気でお過ごしでしょうか。
第四回の「キャリアチェンジ研究会」を下記の内容で行います。

今回のゲストスピーカーは、
チャレンジャー・グレイ・クリスマス株式会社 大阪支店長の
上田 俊輔さんです。
この3回は、実際にキャリアチェンジされた方に登場いただき
ましたが、今回は、アウトプレースメント(再就職支援)会社
からみた「キャリアチェンジ」についてお話をいただく予定です。
 
キャリアコンサルの面だけでなく「ビジネスとしての再就職支援」
についてのお話もお願いしております。
 
またとない機会ですので、多くの方の参加をお待ちしております。
出席者の方で話題提供したいという方がおられれば、楠木新まで
遠慮なくご連絡ください。
<申し込みは、kusunoki224@nifty.comまで>

(ご案内)
新現役ネット(岡本行夫理事長)で楠木新が話をします。
題名「中高年からライフワークを見つけた人達」
7月26日(水)18:30〜20:30 
於:大阪駅前第2ビル 5階
詳しくは、下記をご覧ください。
http://www.shingeneki.com/index.html

  記

1.日時:7月12日(水)18:30〜20:45
(第五回は、9月13日(水)で予定しています)

2.場所:大阪産業創造館 (堺筋本町) 研修室
  http://shisetsu.sansokan.jp/access.html

3.当日の内容案:
―仞兵圓隆蔽韻兵己紹介(1人1分)
⊇仞兵圓らの話題提供、
楠木新からの情報提供とインタビュー紹介など
ゲストの上田さんからのお話
そ仞兵圓らの質問、議論。

なお、研究会終了後、近くの喫茶店でお茶を飲みながらの
機会も予定しています。もちろん自由参加です。

4.会費:一般1,000円、学生500円。
5.定員:30名程度(お申込先着順にて受付ております)
*********************
「こころの定年」評論家
楠木新(くすのき あらた)
kusunoki224@nifty.com
http://blog.livedoor.jp/kusunoki224/
*********************


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2006年06月28日

11)自費出版系出版社のスタンスとつきあい方。(「1冊本を書こうよ!」)

<3年前の話です>
(昨日から続く)
3社の出版社の判断について述べたが、全体のビジネスの内容も
ほぼ区分がないほど似通っていた。

3社のスタンスは、下記の点でほぼ共通であった。
出版業界が抱える問題点、流通システムの課題を究明して新たな
システムを開発したとの前提で
・全国の主な書店に並べることができる。
・出版社のHPで紹介する
・新聞紙上でもPRする。
・ISBNコードがつき国会図書館にも納本して永久保存になる
・「企画出版」「自費出版」「共同出版(共創出版、協力出版)」
 があり、全て最後の形態で出版の勧奨が行われた。
・出版に関わる費用は、180万円前後で3社とも同じであった。

サラーリマンが本を出したくなった時にはどうしたらよいのか。
当時の私は、せっかく原稿を書いたのだから企画出版を目指して
その年は動いてみて、それでダメだったら3社のうち一番
丁寧に対応してくれたH社に「頼むかなぁ」くらいに思っていた。

これは各人さんの捉え方次第であろう。
本を書くことの理由も必要性もそれぞれであるからだ。
ただ私が経験した立場からいうと、基本は、やはり企画出版と
いうか商業出版を狙ってチャレンジすべきであろうと思う。

上記に書いたように自費出版(共同出版などの名称も含む)だと
200万円くらいの資金を負担しないといけない。
一般の出版社から本を出せば、資金負担どころか逆に印税を
もらって、全国の書店に置いてもらえるチャンスもある。

サラーリマンが商業出版を狙ってチャレンジする場合は、
1冊目は企画書などと言わずに全部書き上げて自分の原稿が
どの程度通用するかを世の中に問うべきではないか。
長いサラーリマン生活では実感しにくい刺激を感じることが
できるし、結果としてはライフワークを持つための1つの
近道になると思われる(勿論文章を書くことに意味を感じて
いないといけないが)。

「本が書けるくらいの」体系だった知識・知恵は外でも通用
するからだ。

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2006年06月27日

10)自費出版系の出版社の判断は?(「1冊本を書こうよ!」)

<3年前の話です>
(昨日から続く)
このようにしてS社からは、出版の可能性があるとの判断を
わずか2週間足らずでいただいた。

それでは、その前に出版相談会に出向いた「自費出版系」の
3社の判断はどうだったのだろうか?
結論から言えば、
「判断が見えなかった」ということだ。

当時は、原稿を何とか本にしたいとは考えてはいたが、
どうするかは全く決めていなかった。
そこで原稿を送る時に挨拶状とともに、下記をはっきり書いた。
「基本的には、商業(企画)出版にチャレンジするつもりです
のでそのレベルで足りない所を指摘いただきたく存じます。
ー臑蝓β蟶爐量未粘覯莉佝任浪椎修覆里
構成・筋立てはこれでよいのか?もっと新たな観点が必要か?
A澗里良集宗書き方などでアドバイスは?
い修梁彰覯莉佝任妨けて、今後取組むのに留意する点」 

3社のそれぞれの結果を見てみよう。

A社:ここは最大手になるのか、東京の本社にも立ち寄った。
   担当者が忙しいようで原稿に対する反応がなかなか
   こなかったので督促をした記憶がある。
   先方から送られてきた文案は、
   ー社の出版事業について
   ∋笋慮狭討砲弔い討僚佝琶針結果
               の二つが書かれていた。
   ,任蓮⊃郡書が年間6万件もあることから本が書店
    に並べることすらできない状況を述べながら、
    書店への直接営業を展開しているとの趣旨であった。
   
   原稿の内容にしたがって、5段落に分けて意見・感想
    良い点、課題点などを指摘している。
    その上で、
    「上記講評に鑑み、具体的な出版方針に基づいて検討が
     行われました。企画出版への採用についてはコスト
     回収の難しさから残念ながら見送らざるを得ません
     でした。(その根拠は、現在の出版業界の,能劼戮
     現状が根拠になっている)。」に続けて
    「<協力出版>枠に推奨させていただくことを正式に
     決定しました。」
    この後、180万円負担の見積書が送られてきた。

B社:ここは最近倒産したとのニュースがあった。
   私を担当した営業の方は丁寧に対応してくれて東京の
   本社に立ち寄った時にも色々話しながら、神田の蕎麦店で
   ご馳走にもなった。
   彼は「詩」を書いているとのことだった。
   今はどうされているのだろう。
   原稿を送付して結果を貰うまでの時間も早かった。
   結論は下記の通りであった。
   「楠木様の原稿ですが、商業的見地から多数の読者を
    獲得する可能性についても考慮しましたが、原稿の
    質や観点が優れていても、それが短期的/爆発的な
    読者獲得につながるわけではなく、誠に残念ですが
    企画出版は断念せざるを得ませんでした」
   その上で「共創出版」を提案するとの内容で、
   見積書では、1000部で175万円と書かれていました。

C社:簡単な感想とともに、
   「審査会議の結果、弊社では楠木さんの作品を「共同
    出版」の形でご支援させていただくことになりました」
    ある種、結論だけがすっきり書かれていた。
    見積書は、B6版と文庫本に分かれていて各々178万円、
    120万円だった。

                      (明日に続く)


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2006年06月26日

9)原稿が「編集企画会議」にかかる。(「1冊本を書こうよ!」)

<3年前の話です>
編集企画会議にかかる
原稿を送付したのが、10月16日、それから2週間ほどした
11月1日に出版社のS社から1通の薄い封書が届いた。

そこには以下の内容が書かれていた。
「原稿拝受。ありがとうございました。原稿は過不足なく、
上手にまとまっていて、文章も達者でよいと思いました。
ただ、売れるかとなるともう少し検討が必要と思います。
企画会議のメンバーで回し読みをしているので時間が
かかっています。
11月中旬に月例会議がありますので提案してみます。
月末までに結果、お知らせ申し上げます。」
               
これは私にとってかなり刺激的な内容であった。
でも実際の見込みの確度ははわからない。

「サラリーマンがここまで書いてあればかなりの確率が
あるのでは」と思う反面、「いやっ、出版社あたりは、
文化が違うかもしれない」など思いをめぐらせていた。

お手紙で御礼をと思ったが、とにかく採用見込みのニュアンス
を知りたかったので、電話をかけることにした。
編集者のIさんに、封書に対するお礼を述べるとともに、
ニュアンスを探った。

電話でのやり取りで、可能性があると感じたので、
「経歴書などを送りましょうか。何かプレゼンするような機会は
ありますか」と思わず聞いてしまった。

彼の反応は「原稿の内容だけがすべてですから、特に必要ありま
せんよ。」と言われてしまった。
考えてみれば当たり前のことだが、長年のサラリーマンの習性か、
またその時は、やや落ち着きを失っていたのかもしれない。

「もうまな板の鯉でしかないか」と観念した。

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2006年06月25日

(突然ですが)世界で一番多くの人に歌われている曲は?

世界で一番多くの人に歌われている曲は何でしょうか?
「ビートルズ」「中国国歌」「喜びの歌」「賛美歌」
どうでしょうか?
私は「ハッピバースディトゥユー」ではないかと思っています。

そうです今日は、私の誕生日です。
この年になると、特に嬉しいということもないのですが、
やはり区切りの日かなという感じもします。

6月25日生まれの有名人では沢田研二さんがいます。
私が中学生の頃、ブームを起こしていたグループサウンズの
トップG・タイガースのボーカルでした。
当時は沢田研二さんと同じ誕生日であることが女生徒の中
で評判になったこともありましたが、最近はそのような
音沙汰は全くありません。

また菅原道真が6月25日生まれだそうです。
旧暦から新暦に変わったときに天神祭りが7月25日になったと
ある落語家さんが説明してくれました。

これらの有名人にはおよびもつかないわけですが、
でも家族が覚えていてくれてポロシャツを買ってくれるわけです
からこれほどありがたいことはありません。

またこの一年を振り返ると、私にとって今までで最高の年でした。
次の一年も更に良い年になるのではないかとの確信のような
ものがあります。本当にありがたいことです。

なお古い人ばかりではありません。
松浦 亜弥さんも6月25日生まれです。




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2006年06月24日

8)出版に関する類書を読む。(「1冊本を書こうよ!」)

<3年前の話です>
この頃は原稿を本にすることを真剣に考えていたので、出版に
関する書物をまとめて読んでいた。
やはりサラーリマン向けのものをよく参照した。
いくつかを紹介すると、

 嶌から作家!―サラリーマン・OLをしながら作家になる
  方法―」(唐沢 明著 総合法令出版,2000/10)
 私からするとかなり軽いタッチの本であるが、簡潔に本を
  書く楽しさが盛り込まれていて元気が出る内容だ。
  すぐに読めるのも良かった。入門的には面白い本だと思う。

◆峅饉匐个瓩鬚靴覆ら3年間で作家になる方法」(野村正樹著、
  青春出版社 2002/7)
  これは買って何度も読み返した。
  著者自身が、サントリーでサラーリマンをしながら8年間、
  作家との二足のわらじ生活を続けて50歳で転進した方なので
  経験からくる説得力もあった。
  昨年、ある研究会でお話をさせていただいた。

「本を書こうよ!」(桝井一仁、小石雄一、同文書院、1994/6)
少し古い本であるが、サラーリマンが本を出すのに基本的な
  ことが分かりやすく書かれていて参考になる。
  フィールドワークの重要さを強調しているのは同感である。
  なお今気がついたのだが、以前に私がこの本を購入していた
  ということは少しは本を書きたいとの願望は以前からあった
  のかも知れない。

ぁ屬呂澆世袈箙團泪鵑量瓦琉税生活マニュアル」(横田濱夫)
  とにかく本当に面白い。読みながら思わず笑ってしまう。
  元銀行員が書いているのでサラーリマンからみると不思議な
  リアリティがある。何回か読み返した。

ァ嵜佑話でも作家になれる―最初の一冊が出るまでの101章」
  中谷 彰宏 ダイヤモンド社 1996/09)
 わかりやすく書かれている。あれだけ本を書いている著者
  であるが、はじめの1冊を出すまでは苦労もしたらしい。
  そのあたりの内容も入っており、これから本を書きたい
  人に対する心構えをうまく説いていると思う。

Α崙販して成功する!『超』仕事術」(晴山陽一、ちくま新書
  2003/3)
サラーリマン(編集者)から転進した人である。モノを書く
  ことに対する具体的な術が満載である。
  このように仕事をススめるのかという目から鱗のやり方に
  触れることができる。とても参考になる本だと思う。

このほか、リクルートの月刊誌「ダビンチ」も読むようになって
いた。(現在は全く見ていないが)

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2006年06月23日

7)原稿を出版社に送付。(「1冊本を書こうよ!」)

<3年前の話です>
(一昨日から続く)
数少ないこのブログの読者で、これから本の出版を考えている方
がいるので少し詳しく書くことにする。

前日の二社には、送付の挨拶文と企画書、目次、本文の3点セット
を送付した。普通は「本文」全文ではなく一部分を送付すること
が一般のようだ。
私はそのような土地勘もなかったので、原稿の結論をはっきり
させて自分の評価をきっちり把握するには全文が必要かと単純に
思っていた。

S社の元編集者I氏は、
「楠木さんのように全文まで書いている人は少ない。
なんだかだといろいろ講釈をたれる人ほど最後まで書き上げない
ことも多い」と話されたのが印象的であった。

挨拶文も、その時はまだまだ出版まで時間がかかると思っていた
ので下記の文言を入れた。
「私は出版業界のことは何も知らないので、市販の書物にできる
可能性があるのか否か、率直に評価いただければ幸甚に存じます
(中略)
読んでいただいた際の評価、感想について一言でも頂戴できれば
ありがたく存じます。」
送付したのは、会社に復帰してから丸4ヶ月が経ったときだった。

また、この頃、ネットで「5時から作家塾」というのがあって
よく見ていた。
これは素人から企画書を募り、評価付けして、可能性がある
ものを出版社に持ち込むというシステムだった。
今はこのサイトを見てはいないが、どのような内容の企画書が
OKになるのかを興味を持って参考にしていた。

文章を書くことは全く得意でもなかったし、好きでもなかったが
不思議なことに会社を休んでから言葉がでるようになった感じは
ある。
順調な時には、あまり文章(書くこと)を必要としないのだろう。
生意気な言い方になるかもしれないが、やはりある種のギャップ
がないと言葉は生まれてこないのかもしれない。

当時は、サラーリマンとは異なる色々な世界があると感じて、
何か世界が広がったような気分にもなっていた。



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2006年06月22日

(突然ですが)矢野さんが読売新聞に大きく取り上げられました

6/15付けの「第三回キャリアチェンジ研究会」が開かれました」
でご連絡しておくべきところ下記の内容が脱落しておりましたので
補足に書き込みます。

私のインタビューにもご協力いただき、またラジオ関西にも出演
いただいた「ユーモアコンサルタントの矢野宗弘さん」が
このたび6/13の読売新聞に大きく取り上げられました。

題名は「天職は笑いの“伝道師”」で矢野さんのまさに
「キャリアチェンジ」した姿が詳細に紹介さてれています。

丁度研究会のある14日の朝、矢野さんから私の携帯に電話を
いただきました。
「第一回のキャリアチェンジ研究会のゲストスピーカーだったこと
がきっかけで記事につながりました。ありがとうございました。
実は出張でまだ記事を見ていませんがいろいろな方から反響を
もらっています。」
といつもの元気なお声で連絡をいただきました。

私も大変うれしい限りです。これからもますます活躍される機会が
増えることをお祈りしています。
組織で働かれる方に「これしかない」ではなくて
「それもあるかも」を感じていただくためにもっともっと
「売れて」いただかなくてはなりません。

その電話は富山からでした。その前に電話をいただいたときは、
たしか沖縄だったかと思いますが、お身体を大切にされて全国を
飛び回っていただきたいと考えています。

矢野さん、ありがとうございました。

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2006年06月21日

6)ジュンク堂で格闘。(「1冊本を書こうよ!」)

<3年前の話です>
(前日から続く)
東京から戻りどうしょうかと考えていた。
原稿は手許にあっても、出版社はほとんど全て東京に集中して
いて、関西ではなかなか手の打ちようがないことに気がついた。

いずれにしても、まず当たり先を絞るしかないと思い、ある
土曜日に西宮のジュンク堂に行く。
当時は、顧客のために机といすが用意されていた(今は椅子
だけになっているようだ)。

そこに居座り、朝から原稿に近いジャンルの本に徹底的に当たり
始めた。出版社が本を出しているにしても実際に作っているのは
著者と編集者のはずであるから、内容から相性の合いそうな、又
原稿を取り上げてくれそうな編集者(もちろん奥付けには編集者
の名前まではないので頭のなかの『透明人間』である)を探そう
としていた。

「メンタルヘルス」「こころの問題」「人事労務関係」
「自己啓発」「闘病記」「サラーリマンの生き方」などの
ジャンルの本の内容と奥付けをかたっぱしから見て、私の原稿を
取り上げるかどうかを頭でシュミレーションしていった。

講談社などの最大手では、種々の本を出していて全体像がつかめ
ないが、ほとんどの出版社では、かなり顔つきの違いがあり、
得意な分野や特徴のあることが把握でき始めた。
また、本の中に郵送での原稿受付をしている出版社があること
も分かってきた。

その中で「創元社」と「サンマーク出版」の二社を選び出した。
「創元社」の本社が大阪であることをその時初めて知ったし、
「サンマーク出版」は郵送で原稿の受付窓口があることも
分かった。
その作業を終えた時は、もうすでにあたりは暗くなり始めていた。
その日の防犯テレビカメラには、机と本棚を何回も行き来する
私の姿が映っているだろう(もちろん数冊の本は購入したので
念のため)。

このあと、6/17に書いた「▲法璽困聾えた」にあるように
創元社にも電話でアクセスを図った。

結局上記の2社に、A4で100枚を超える分厚い原稿を郵便局から
封書で送った。
その時は、本になるまではまだまだ紆余曲折があるだろうという
ことは覚悟していたので気分的には楽であった。


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2006年06月20日

5)本多信一先生に相談。(「1冊本を書こうよ!」)

<3年前の話です>
(前日から続く)
東京の出版社に足を運んだ時に、新宿区の本多信一先生の
所に相談に伺った。
本多先生は、サラリ−マンの無料相談を30年やっている方で、
以前にもお世話になったことがあった。
最近は、サラーリマンや職業に関する本もたくさん書かれている
のでご承知の方も多いと思う。 

その時は、挨拶もそこそこに事情を話して持ち込んだ原稿に目を
通していただいた。
いくつかの箇所を読みながら、しばらくじっと考えておられた。

「可能性はあるかもしれませんよ。私への相談内容から考えても
『会社復帰』をポイントにすれば面白いと思います。この人に、
私の名前を出して電話をかけてもらってもよいですよ」とある
出版社の方の名刺をいただいた。

私は、多くの本を出されている方に「見込みあり」との判断を
いただいたことが嬉しかった。今までの自費出版をやっている
出版社は、その可能性の判断自体がゆるかった。

コレで次の作戦と言うか、具体的に動きを考えることができた。
拙著の中にも、本多先生のことを紹介した。
出版の前に確認をとった時にも、内容掲載に快諾をいただくと
ともに出版できたことを大変喜んでいただいた。
今も忘れないありがたい瞬間だった。

この4年前にうかがった時には
「サラリ−マンの顔つきが良くなることに貢献する」ために、
ラジオのDJ、大学の非常勤講師になりたいことを相談した。

その時も私の興味の内容をじっくり聞いてくれて、
「変身するのに50歳(当時43歳)というのは、良い区切りですよ。
目標をそのあたりに置くと良いかもしれない。
ラジオは、敷居が低いので、企画がしっかりしていれば可能性は
充分ありますよ。但し、収入は期待できません。
また、会社から一定の距離をとるためには、ある程度の貯金を
持っていることも大切ですよ」と具体的なアドバイスいただいた。

この機会は私にとっても大きかった。結果として、この後、
種々の行動の中で大学の非常勤講師もできることになった。
今から考えると8年も前に私の先を見通されていた感じでもある。
やはり具体的な一つ一つの相談に丁寧に応じられていることが
そのよう力につながっているのだろう。


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2006年06月19日

4)自分の足で動く。(「1冊本を書こうよ!」)

<3年前の話です>
(前日から続く)
出版相談会とその結果から自費出版のような形態は、いつでも
可能だと判断したので、とりあえず商業出版にチャレンジ
しようと考えた。
ところがどういう風に取組んだらよいかがわからない。
(実は、1冊本を書いた現在でもよく分かっていないのだ)

関係した本を読んでみると、素人がいきなり原稿を持ち込んでも
門前払いだとか、一般の人に門戸を開いている出版社はほとんど
ないとか、印税がもらえるような企画出版の可能性は限りなく
低いなどの悲観的な内容のものが多かった。

ただ、編集者は、新しい書き手や、コンテンツを常に求めている
等の一見矛盾するような表現もあった。

その時は、企画書などのことは頭に浮かばず、原稿を書き上げ
ないと話にならないだろうと思いとにかく書き上げた。

さてどうするか。
ここは私の得意の「自分の足で稼ぐ」動きが始まった。
外見からは抽象思考や論理的な風に見られるが、実は自分の
感じたことしか信じないところがある。
インタビューに没頭するのもそのせいだ。

おそらく小さい頃に、商売人、職人さん、やーさん、おかまさん
ヒモさんなど各論で生きている人しか周囲にいなかったことが
大きく影響しているのだろう。
友達もサラーリマンの子供はほとんどいなくて、「めがね屋」
「八百屋」「お菓子屋」「材木屋」など「OO屋」のOOちゃん
ばかりだった。
ちなみに私は「クスリ屋」で「イロハ薬局の兄ちゃん」だった。

具体的には、無勝手に何人かに会い始めた。

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2006年06月18日

3)出版相談会に行きました。(「1冊本を書こうよ!」)

<3年前の話です>
(前日からの続き)
新聞によく出ている広告を頼りに、書きかけの原稿を持って
出版相談会に出かけた。
当時は3社が広告を出していて、大阪のホテルや会議室で
立て続けに相談会が開催されていた。

初めに行った先は、市内のホテルの会議室だった。
相談者は1時間ごとに時間が決められていて、3つのブースで
それぞれ相談が行われている。
待合のスペースでは、
「この出版社から出された本がテレビ番組になりました」という
内容のビデオが流されていた。

時間が来て私のバンになり、担当者が出版について色々な話を
してくれた。私のことも比較的じっくり聞いてくれた。
それからしばらくして出来上がった原稿を送ったがすぐには
連絡はなかった。

その後、たまたま東京に行く機会があったので、アポを取って
本社に顔を出した。
都心の真ん中に立派な自社ビルがあって、その1階の広いスペース
は書き手との相談ブースになっている。
そこで多くの担当者と書き手が話し合っている。
かなり壮観な光景だった。

しばらくして私の担当者は上の事務所から降りてきた。
彼はかなり忙しそうで
「ひと月に、多くの原稿を読まないといけない」と嘆いて自ら
メンタルヘルスにも気をつけないといけないと話していた。

私は、商売人の感覚が強いので、このビルの維持経費や人件費
はどこから出ているのだろう、お客さんはだれだろうと、
ぼんやり思いながら話を聞いていた。

その後、担当者からは原稿に対するコメントがついて
「評価は『共同出版』で作成には約190万円必要」との見積もり
がついたメールが来た。
当然ながら「高いなぁ」という感覚だった。

他の2社も対応にはそれぞれ大きな差があったが、いずれも
出版社と書き手が共同で本を作成しますとの評価で、その
作成金額はそれほど変わらなかった。

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2006年06月17日

2)ニーズは見えた。(「1冊本を書こうよ!」)

<3年前の話です>
創元社さんに電話を入れた時は、唐突だったのと
「結果はいつごろお教えいただけますか?」など相手の
忙しさや事情も把握していない失礼な電話であったため
「急ぐなら、他の出版社を廻ってもらってもいいですよ」
と冷たく言われた。
その相手は、後に原稿を取り上げてもらったIさんだった。

「そういう言い方もないんじゃないか」とここに送るのは
辞めようかと思ったが、結局は翌々日に郵便局から送付した。
ここは結構私にとって分岐点だった。

それまでの状況を説明すると、
会社を休んでいる間、よく本屋や図書館にも通った
(コレくらいしか行くところがなかったのも事実である)。

メンタルヘルス関係の本は棚に並べられていたが、当時の私に
実際に役立つ情報は殆ど見当たらなかった。
私の経験を書くことが少しはお役立ちになるかもしれない
と思い、復帰した当初時間的にも余裕があったので一気に
書き上げた。

またニーズは、はっきり見えたので原稿を書けば本にできる
のではないかという計算も働いていた。
書き上げるには、一ヶ月半くらいかかったと思う。

今から考えるとその時に求めていたのは、同じような経験を
された先達からのヒントであった。もう少し言えば、
「自分の心構えを切り換えるヒント」を捜していたのだと思う。

でも今まで原稿など書いたこともなく(文章を書くのは興味が
なかったし、苦手だった)、また出版社にツテがあるわけ
でもないので、どうすればよいのか全く分からなかった。

それでまず新聞によく広告・掲載されている出版社の相談会に
出向いた。

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2006年06月16日

1)拙著が第三刷になりました。(「1冊本を書こうよ!」)

拙著「ビジネスマン『うつ』からの脱出」(創元社)が、6月で
第三刷になりました。

もともと大きく売れる本ではないと思っていたのですが、
第一刷で終わる本が7割であるという話を聞くとまずまず順調に
きたのかと思っています。
またこの本を通じて多くの人との出会いがありましたし、色々
な機会もいただきました。
これも創元社さん、支持いただいたお客さんのおかげであると
感謝しています。

先日の6/5からのブログ「文章上達カウンセリングを受けました」
を読んで声をかけてくださる方が多かったので、結構関心もある
のかと思い、この本を書いたきっかけや出版までの経緯について、
これから触れてみたいと思います。

何の縁もない郵送で送った原稿を取り上げていただいた創元社の
編集者Iさんは、昨年退社されました。
退職の日に御礼のお電話を入れると
「本を出すのもなかなかよいものでしょう」と笑いながら答えて
いただきました。
この方に取り上げてもらわなければ、現在の私の立場も異なって
いたかなぁ、と思うと何かか不思議な感じと感謝の気持ちで一杯
でした。

私より先輩で、「退社したら何もせずにゆっくりしますよ」と
言われていたが、お元気に過ごされているだろうか。

この方への一本の電話から私の原稿が動き出した。

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2006年06月15日

「第三回キャリアチェンジ研究会」が開かれました。

昨日、第三回のキャリアチェンジ研究会が開かれました。
今回のゲストスピーカーは、
 「40歳を目前に商工中央金庫から転進されて、小規模企業数社
のCFO(財務最高責任者)として活躍されている」森谷和郎さんでした。

森谷さんを楠木新がインタビューする形式で進めましたが、参加者
からも各立場から色々な意見が出て、当初の目論見に近い議論が
できたのではないかと大変喜んでいます。
以前のインタビューの補足ができたのも嬉しいことです。
皆さんありがとうございました。

参加者は20名で、中小企業の経営者、退職や転職経験者、キャリア
コンサルタント、団塊の世代で次のステップを考えられている方、
フリーのライター、大学院生、大学生など比較的多彩な方に参加い
ただきました。

その時にもお話したのですが、このような会合ではやはり一世代
違う方で集まることは大事であると考えています。
昔のヒッピーのユートピア構想が長く続かなかったり、高級な
老人ホームを見学して「ここは違うなぁ」と感じるのも、同世代
だけでの世界や会合ではかなりの限界があると思っています。
やはり世代を継いで行く作業は重要であるし私がこだわりたい
部分でもあります。

林家竹丸さんの兄弟子のお話
「落語の師匠は月謝も取らずに、弟子に稽古をつけてくれる。
 それでは、弟子は師匠から受けたご恩にどのようにお返しする
 のか?それは、自分が弟子を取った時に、師匠から受け継いだ
 ものを下へ下へ稽古をつけることで恩返しするのです。
 親子みたいなものですな」

会社の執行方針の最大の舞台である部長支店長会が、中年以降の
男性ばかりでかつ紺の背広一色の人達で構成されているのも違和
感があるし豪華客船が年配の方々のみの旅行になっているのも、
本当に楽しめるのか疑問が残ります。

ここは、自分自身の原風景へのこだわりでもあるし、会社人生から
転落したきっかけでもあります。

本当は昨日の充実した議論のことを書くつもりでしたが、なぜか
ひとりごとになりました。
昨日のことはまた別の機会に。

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2006年06月14日

「10年後の私への手紙」(その4)

楠木:引き続きて、後半は、木村さんの10年後の自分自身に宛てて
   書いた部分を読んでいただきます。

「10年前に出版した「逆境にまさる師なし」は3刷りに
なり1万部になった。その続編も好評である。わが社のオー
プンブック経営を題材にした経営戦略本も日経から出版された。
その影響もあり一般からの講演依頼が多くなった。喜んで全国
を行脚している。
当社の竹内社長が動く広告塔になっていると言ってくれたが
会社の役に立っているなら嬉しい。

この10年間は、私の人生を仕上げる大切な期間であった。
フィットネスで汗を流し、六甲山へも毎週のように登山へ出掛
けているため健康は維持できている。早朝英会話も57歳から
本格的に初めてから18年になる。亀のようにノロノロとした
歩みであったが、曲がりなりにも英会話の講演も可能になって
きた。妻の敬子も簡単な旅行会話なら楽しめるようになって
きた。

70歳の古希に米国船での世界一周の旅をしたが、敬子は
英会話が通じて自信をつけている。ホームスティならぬシッ
プスティが英会話実践の場として効果があった。
続けると本物になるというが常に現在進行形でいることが
大切だ。今年あたり再度世界一周にチャレンジしたい。

まだまだ若い。心身とも健康である。常に前を向き、生涯
学習・生涯チャレンジャー・生涯現役・生涯青春の人生を
歩んで生きたい」


木村さんのお話を聞いているうちに、私もこれから
「10年後の私への手紙」を書いてみようと思いました。
今回の取材は、楠木新でした。


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2006年06月13日

「10年後の私への手紙」(その3)

第3回「キャリアチェンジ研究会」ご案内
6月14日(水)18:30〜20:45(大阪産業創造館)
(5/31のブログ参照)ご参加の方は楠木まで。


楠木:(それでは、この手紙の一部を紹介していただけますで
    しょうか?)

この木村さんの「10年後の私への手紙」は、前半は今までの
ご自身が経験してこられた人生を、後半は10年後の自分自身の姿に
ついて書かれています。
まず、前半は、これまで歩んでこられた半生の部分を読んでいただ
きます。

木村:「思い起こせば父の死により15歳で社会に出た。
17歳で大阪へ出稼のためにやって来た。

金もなかった。知識もなかった。学歴もなかった。技術も経験も
信用も無かった。大阪には知人もいなかった。とにかく何も無い
無いずくしであった。それでも私には家族を養う責任があった。
一生懸命であった。粘り強かった。好奇心が強かった。抜群の
行動力があった。情熱があった。ハングリー精神が強かった。
何も知らなかった。何も頼るものが無かったので、自律心や
自立心が育った。

高度成長経済が後押しをしてくれた。日本と言う大きな市場が
あった。チャレンジ精神が強かった。いつも人生に問いを持って
いた。向学心が強かった。プラス思考であった。負けたくなか
った。沢山の素晴らしい人に出会うことができた。多くの人から
応援してもらった。強運の持ち主であった。

創業は文字通りゼロからの挑戦であったがゆえに、
「やってみなわからん!やったことしかのこらん!」と、半世紀
にわたるチャレンジを続けてきた。積み重ねた経験が、経営の
コツや勘を養った。
バブル経済の崩壊は、人生最大のピンチであったが、自社の再建
を図る過程で、企業再生ノウハウを身につけた。」


                      (明日へ続く)

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2006年06月12日

森谷さんが本に紹介されています(突然のご連絡ですが)。

明後日の「キャリアチェンジ研究会」でゲストスピーカーをお願い
している森谷さんが、「正社員時代の終焉」(大久保幸夫編
日経BP社)P187〜 に紹介されています。

「この調査結果からは、企業経営者でも被雇用者でもない、独立し
た個人事業主という働き方への志向がみえてくる。
さらに専門職を生かしきれず、管理職としての昇進昇格が主流で
ある日本の人材マネジメント自体も、結果として、個人の業務委託
の選択を促しているようである。
例えば、小規模企業財務担当者という独自サービスを新たにスター
トさせたCFOソリューションズの森谷和郎氏は、商工組合中央金庫
に16年勤め、2003年9月に独立。インディペンデント・コントラクタ
ーとして仕事の幅を広げている。独立に当たっては、40歳前の選択
を意識していたという。

『40歳を過ぎると、管理職として企業の中のマネジメントの仕事が
増えてくることがわかっていました。管理職になれば専門性が鈍っ
てしまうかもしれない。今の仕事を続けていきたいのであれば、
現場の第一線の実務担当者であるときにその選択をしなければ
ならないと感じていました。また、、一つの企業の中に30年、
40年といたのでは人間としての対応力が鈍るのではないかと、とも
漠然と思っていました。たまたま住んでいたこの神戸で家族と暮ら
していきたいという気持ちの強まりが重なり、40歳前、39歳で独立
の決断をしました。』
と森谷氏は独立のタイミングについて語る。」

このあたりのお話も研究会でお聞きする予定です。
多くの方のご参加をお待ちしています。


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2006年06月11日

「10年後の私への手紙」(その2)

第3回「キャリアチェンジ研究会」ご案内
6月14日(水)18:30〜20:45(大阪産業創造館)
(5/31のブログ参照)ご参加の方は楠木まで。


楠木:(木村さんの「10年後の私への手紙」を拝見しまして興味を
   持ったのですけれども、元々こういうことを書くきっかけは
   ありましたか?)
木村:はいっ、実は私の人生には二つの大きなターニングポイント
   がございまして一つは、「10年後の私への手紙」の中にある
   父親の死ですね。
   2つ目は、バブルの崩壊という大きな壁にぶつかりました。
   このバブルの崩壊という大きな壁は乗り越えていけないだろ
   うと自分では思っていました。
   しかし神さんは、必要な時に必要な人をあてがってくれる、
   しかも一時もはやくなく、一時も遅くなく。そういうことが
   ありまして、ある研修との出会いがありました。その時は
   5年後の手紙だったのですが、問題が大きかったので、5年は
   無理だが10年後であれば夢を描けるなと思って書いてみた。
   そこにはすべての問題をクリアーしている自分がありました。
   ずっとビジュアル化して書いた。
   (実は)それを忘れていました。ところが4-5年前にその
   手紙が出てきまして、実はその手紙に書かれた通りのことが
   実現していたのですね。驚きました。
   それから毎年毎年10年後の手紙として書いています。
   今書いているのが、10年後の私75歳への手紙として書いています。
楠木:(バブルの後の苦しい時期に書かれたのですね?)
木村:そうです。
楠木:(それでは、この手紙の一部を紹介していただけますでしょ
   うか?)



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2006年06月10日

「10年後の私への手紙」(その1)

今回は、ラジオ関西で4/30にオンエアーしました木村勝男さんの
インタビュー(10年後の私への手紙)を紹介させてもらいます。
木村さんは大学院の同級生で、サラリーマンの私にとっては大い
なる刺激を与えていただいている先輩であり学友でもあります。

大学院の授業のあと、喫茶店での木村さんとのお話で驚いたのは
「いままでサラリーマンを全く知らなかったが、大きな会社に
在籍している人がどのような考え方をしているのかが、初めて
少しわかった」との発言でした。

木村さんは50年間実業界で活躍されて、今も上場を目指している
会社の現役の会長ですが、サラリーマンは昔取引先だったOガスの
関係会社の現場監督くらいしか知らないとのことでした。
それを聞いたときに私は飛び上がらんばかりに驚くとともに
そういうことに子供のように疑問を持たれる姿勢に心が動きました。
(私がお会いした多くの中小企業の社長は、どちらかといえば
 人の話をじっくり聞かない人が多かった)

それでは、番組の内容を紹介させていただきます。

(枠アナ紹介:毎年10年後の自分に手紙を書き続けている方のお話
を楠木新がお送りします。)
木村勝男(きむら かつお)さんは、65歳。韓国から日本に渡って
暮らしていた両親の長男として島根県に生まれました。中学3年生の
時にお父さんが亡くなり、その後17歳で大阪に出て働かれました。
色々な仕事を経験された後に、現在は、アーバンベネフィット株式
会社の会長として、主にビルの再生と企業再生を中心に活躍されて
います。
また、木村さんは、31歳で定時制高校を卒業され、2005年4月には
大阪府立大学大学院経済学研究科に入学されました。
同じ2005年4月には「致知出版社」から、ご自身の経験も踏まえた
「逆境にまさる師なし」を出版されています。
今回は、木村さんが10年後の自分自身、つまり75歳の自分に対して
書いた「10年後の私への手紙」のお話をおうかがいしました。


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2006年06月09日

林家竹丸さんの噺を聞きました(その2)

以前にも書いたが、インタビューにもご協力いただき、ラジオにも
登場いただいた林家竹丸さんは、この1月に大阪で開かれた新進
落語家競演会(産経新聞社主催)で、新人奨励賞を獲得された。
このことを知ってとても嬉しくなった。

先日の「めふ乃寄席」でもそうだが、落語家になった経緯のお話を
お聞きした竹丸さんの高座を近くで味わえるのは至福の時間だ。
人間国宝の桂米朝師匠の「地獄八景亡者の戯れ」をサンケイホール
で聞くのもすばらしい。でも、米粒のような姿を見ながらマイクの
音声で聞くのとは違い、目の前でまさにかぶりつきで聞ける。

山口百恵や中島みゆきのような何万人というファンクラブの一員では
なくて、自分ひとりのファンクラブの会長として演目を楽しめる。
テレビに登場して何万人という方を喜ばせることもすばらしい。
でも応援の形態はいろいろあってよいと思う。

以前、障害のある方の作業所のバザーで並んでいたときに、前にいた
おばちゃん同士が、
「そんなにたくさんお菓子を買って大丈夫?」
「だって、お菓子が食べれて、おまけにこの人達の活動を応援できる
 のよ。こんなに安いものはないわよ」
そうか、モノを買うのにこのような意味づけができるのだとその会話
に痛く感動した。
昨日のテレビで聞いた
「ルールに従ってお金儲けすることは、そんなに悪いことですか!」
との元お役人の発言が頭に浮かんだ。

少しはあのおばちゃん達に近づけたかもしれない。
これも竹丸さんはじめインタビューにご協力いただいた方のおかげ
である。

寄席が終わったあと、竹丸さんと少し言葉を交わす。
ひとりファンクラブの会長として。

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2006年06月08日

林家竹丸さんの噺を聞きました(その1)

第3回「キャリアチェンジ研究会」ご案内
6月14日(水)18:30〜20:45(大阪産業創造館)
(5/31のブログ参照)ご参加の方は楠木まで。


先月、宝塚の「めふ乃寄席」で私のインタビューにもご協力いただ
いた林家竹丸さんの噺を聞いた。
午前の部の演題は「天災」。

かんしゃく持ちの主人公が、「心学者」である紅羅坊なまるに相談
する。
「さいぜん、小僧が掛けた水、これも雨で濡れたのだと思って諦め
てご覧なさい。殴られたら、いや殴られたのではない、屋根から
瓦が落ちて頭に当たったんだ、と諦めてご覧なさい。屋根から瓦が
落ちたときも、おのれがここを通ったという身の不運だと諦めて
ご覧なさい。
何事も大きく考えてみるのだな。」
確かに、運動会で雨が降ったからといって天に文句を言う人は
いないということか。

なまるは、さらに付け加える
「仏説で申しますところの因縁、運命などということばもあるが、
われわれ心学ではこれは天がわれわれに与えたところの災難、天が
為したところの災いという意味で「天災」などというが、何事も
天災だと諦めることはできませんかな。
そうすれば人といさかいをするようなことが自然と無くなる。」

この実践道徳というか心構えを説いたのが「心学」という学問で、
紅羅坊なまるという人は実在の心学者であったらしい。
今で言うと、心理学、カウンセリング、心理療法あたりに近いか、
江戸時代にもこのような職業があったというのが興味深い。
柳家小さん師匠の噺も聞いた記憶があるがこのようなことは感じ
なかった。
年とともに私の感じ方も変わるということか。

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2006年06月07日

「文章上達カウンセリング」を受けました(その3)

第3回「キャリアチェンジ研究会」ご案内
6月14日(水)18:30〜20:45(大阪産業創造館)
(5/31のブログ参照)ご参加の方は楠木まで。


(昨日から続く)
<追伸>
 村松先生の「秘伝」を読み、質問状を送ったことを契機に文章
カウンセリングを受けました。そもそもこのメルマガを知ったのは、
「秘伝」でも余り評判の良くない自費出版の相談会を覗いた時に
お土産に「文書王」を貰ったことがきっかけでした。
そういう意味では助け舟をくれた慈悲出版を高く評価しています。

<村松先生のコメント>
●楠木さんは、「こころの定年」評論家という新しいジャンルで
たくさんの方を自主的に取材なさっています。
そのフットワークの軽さそのタフな行動力には脱帽しました。
この日も、カウンセリングを含めていくつかの用件をこなすために
関西から上京していらっしゃいました。

たくさんの素材を一冊の本に詰め込もうと汲々としていたので、
切り口別に、6冊も7冊も本が書けますし、そうしたほうがむしろ、
わかりやすく受け入れられやすいでしょう、ということを中心に
お話ししました。(村松)

*文章カウンセリングを受けて改めてほかの人の目を通して自分の
 文章を見ることが大事であるかを実感しました。
 先生は、私のインタビューの内容から、
 「ライターがやると百数十万円の仕事をされていますね」と言って
 いただきましたが、
 「イエ、1億円です」との冗談回答は、初めてであったので飲み込
 みました。

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2006年06月06日

「文章上達カウンセリング」を受けました(その2)

第3回「キャリアチェンジ研究会」ご案内
6月14日(水)18:30〜20:45(大阪産業創造館)
(5/31のブログ参照)ご参加の方は楠木まで。


(昨日からの続き)
自分なりに得心のいくことが多くありました。特に、
「ひとつにまとめようとするのではなくて、テーマをいくつかに
分けてシンプルに整理して企画書を何枚か書いていけばよい。
本は少しスカスカくらいのほうが、読みやすくて売れることも多い」
とのアドバイスは、まさに目から鱗、コロンブスの卵でした。

情報が多いだけに、考えていることを一つに詰め込もうとして無理を
していた自分に気がつきました。
たとえば、「こころの定年」「中年からのライフワークの見つけ方」
「50歳からのセカンドキャリア」、「転進のプロセス研究」
「転進者の共通姿勢」「良い転進、悪い転進」「転進と年齢」など
少し違った角度の受け皿を作ってシンプルに盛り込んだほうが自分
にすんなり入ってくることに気がつきました。
 
また26年間のサラリーマン生活で染み付いているのか、言葉の使い
方をもう少し柔らかくというか、わかり易くすることについても
具体的な指摘をいただきました。
例えば、
『「自意識の基準はひとつ=インテグレイト」「やるべきこと、
やりたいこと、やっていることの同心円の重なりが大きい」』
の表現について、「下の部分をメインに持ってくるべきだ。」
 確かに人事労務雑誌という性格もあって硬い表現をそのまま使っ
ています。
そういう目で見ると、気になる言葉がいくつか出てきました。
この他にも出版社に売り込む際の「企画書」のフォームや書き方
のポイント、プロフィールの要点についても指導いただきました。

今回のカウンセリングで企画書作りに着手できる具体的ヒントを
いただいたと大変喜んでいます。
村松先生どうもありがとうございました。
近年中には作品として世に出していきますので少々お待ちください。




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2006年06月05日

「文章上達カウンセリング」を受けました(その1)

第3回「キャリアチェンジ研究会」ご案内
6月14日(水)18:30〜20:45(大阪産業創造館)
(5/31のブログ参照)ご参加の方は楠木まで。



先日、上京した際、プロの編集者でライターの村松恒平先生の
「文章上達カウンセリング」を受けました。
その時の内容を紹介したいと思います。
Q&A形式になっています。

【目から鱗、コロンブスの卵】
楠木新さん (関西在住 50歳 会社員/評論家)

私は、関西での勤務の傍ら「組織に一定期間以上在籍した後に転進
して、次のステップで『いい顔』をされている方」に長時間の
インタビューをしています。
例えば、NHKの記者から落語家に転じた方もおられれば、鉄鋼会社
から蕎麦屋を開業された方等等。
 また転進先も、起業、コンサル、資格で独立、NPOなどさまざま
です。総数で約150名、うち転進した方はおよそ90名にご協力いた
だきました。

私の中では50名を越えたあたりから化学反応といいますか、何か
全体感が手の内に入ったような感覚が出たので、昨年の秋口から
発信に取組み始めました。
人事・労務雑誌に寄稿、ラジオでインタビューを発信、ブログを
毎日書き、この4月には、自ら「キャリアチェンジ研究会」を立ち
上げました。
 今後は、組織で働いている方に「これしかない」ではなくて
「それもあるかも」を感じていただく、もう少し大きく言えば、
「働かせる側が働き方を決めるのではなくて、働く側が働き方を
選択する仕組み」の推進に貢献したいと思っています。

自分としては、50歳にしてやっとライフワークを見つけたつもりで
いますが、その思いや内容を上手く伝えることは、一筋縄では
いきません。同時に自分自身を売ることの必要性も感じています。

 このため出版することで対応していくつもりです。過去に自分の
経験を中心に書いて本を出した(「ビジネスマン『うつ』からの脱出」
(創元社)ことはありますが、今回のような多人数のインタビュー
をどのように料理していくかについてはアレコレ考えながら悩んで
いました。
そういう中で村松先生の文章上達カウンセリングを受けました。



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2006年06月04日

キャリアチェンジ研究会のご意見から

第二回のキャリアチェンジ研究会の感想の中で下記の見解があった。
少し私の興味のある内容であったのでコメントしたい。

「本当に心豊かで幸せな人生は『仕事』『家庭』『地域』『個人』
の4つの面のバランスが取れて初めて実現されるものであろうと
想う。四角錐だから一つの面が崩れても全てがダメになるのだ。」

確かに企業で定年を見据えた人を対象に行われる「ライフプラン
研修」や書店に並んでいる「定年本」を見るとこのようなバランス
が強調されている。
最近流行の「ワークライフバランス」にも同様の論調が見られる。

でも果たしてこのようなバランスを取ることで長い定年後をイキ
イキと暮らせるものだろうか。
もう少し言えば、「悠々自適」とはこのようなものだろうか。

人それぞれであり、各人の人生に口を挟むつもりは全くないのだが
インタビューにご協力いただいた方を見ていると違うニュアンスを
感じる。
それはバランスをとるというよりも自分が意味があると思う一点に
時間と労力を集中することによって、手が届く範囲を広げて新たな
分野に取組んでいる方が多い。
あたかもうず潮が周囲のものを巻き込んでいくように、過去の会社
での仕事やキャリアを活かし人的ネットワークも築いていく。
むしろ一点集中突破型であることを強く感じる。

言葉尻を取るつもりも全くないのだが、バランスか一点集中突破か
の議論には、老後の生き方に対する重要な課題が潜んでいると
思っている。




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2006年06月03日

「癒し」より「嬉し」

第3回「キャリアチェンジ研究会」ご案内
6月14日(水)18:30〜20:45(大阪産業創造館)
(5/31のブログ参照)ご参加の方は楠木まで。


「いやし」「やつし」「うれし」を聞いてどう思われるだろうか?
神戸弁なのだろうか、子ども頃よくこのような言葉が飛び交って
いたのを思い出す。
その時は「いやし」は、「卑しい」の略語で食べモノ等に目がない
というか、欲が大きいというニュアンスだった。

現在の「いやし(癒し)」は別の意味で完全に定着している。
もう流行語を超えて当たり前のように使われている。
この言葉は、ストレスが多い社会を前提に、落ち込んだ人を抱きし
めてあげる、肩をたたいてあげるといった、主体が受身で一方が
手を差し伸べるイメージが強い。
「癒し」の言葉の裏側にある気持ちは「満たされたい」では
ないかとも思う。

もう7年前になる。関西大学で非常勤講師をしていた「飲み会」
で学生さんが「ウチの姉は、何でも喜ぶ『うれし』の人なんで
す。今は運転免許が取れてすごく喜んでいるのです。」を聞いて
「いい言葉だなぁ」と思った。
彼のお父さんも嬉しの人らしい。

「癒し」は孤独だが「嬉し」には周りに笑顔の仲間がいる感じが
ある。自分がまず嬉しがることで世界がすこし新鮮に見えたり、
笑顔を伝播させることになる。
そして結果としてまわりの人が手をさしのべてくれるおまけまで
ついている。言葉はささやかな違いかもしれないが私は大きいと
思っている。
「癒し」より「嬉し」ではないか。

ちなみに「やつし」は、格好を気にして服装や化粧などに凝る
ことを言う。これも私には必要なものだ。


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2006年06月02日

インタビューされてしまった(その2)

*プラスの世界へ

 休職し二週間経たある日、母と話をしていた楠木氏は子供の頃を
思い起こし、
「会社のことはもういい。とにかく昔好きだったことを徹底して
やろう」と開き直った。そして好きだった漫才や吉本新喜劇を見に
行き、存分に笑う。以前からやっていた呼吸法にも前向きに取り組む。
これらが回復へのきっかけとなり、少しずつ快方へと向かっていっ
た。また楠木氏の場合は、家族の理解もあった。同時に、会社も
リストラの対象にするといった厳しい対応はなかった。

「家族の配慮には助けられました。また、住宅ローンもなかったの
で、経済的なプレッシャーも少なかった。もし、そういった問題が
重なっていたら、もっと大変だったでしょうね。私の場合は、恵ま
れたケースだと思っています」(楠木氏)

また、回復の過程で役に立ったのは先達のアドバイスだと楠木氏は
言う。
「医師やカウンセラーによるメンタルヘルス対策は『マイナスから
ゼロの世界』です。これも大切ですが、自分のライフスタイルを
変えないと、同じ状況に陥る可能性が大きい。人生全体を考えたり、
仕事に対する姿勢や心構えを変えることによって初めて次のステッ
プが見えてきます。そのためには、実際に経験された方のアドバイ
スが役に立ちました。」(楠木氏)
同様な経験があり、自分の悩みをわかってくれ、さらに次のステッ
プへのみちすじになる人と話すことである。楠木氏の場合、その
ような先輩がいて励みになったと言う。

 現在、楠木氏は復職して業務をこなしている。アフター5や週末
には、一定期間組織にいて、その後キャリアを変えて『いい顔』で
次のステップに転進された方への長時間インタビューに取組んで
いる。その一部をラジオ番組で発信することも始めた。

「将来は、ビジネスパーソン向けのラジオ番組を作り、パーソナリ
ティーをやりたい。組織で働いている人が、『立ち止まって、自分
のキャリアを見つめなおすことの出来る機会』を提供できればと。

私の経験でも『これしかないと思い込まないこと』が、職場のメン
タルヘルスで最も大切だと思っています。キャリアいろいろ、選択
肢はいくらでもあります。」(楠木氏)

今後は、博士課程まで進み、人事・労務の経験をもとにキャリア論
をさらに深めていきたい意向である。
「肩書きや資格を取り払ったところでは、自分を磨くしかないです
からね。」(楠木氏)

こう話す楠木氏の顔は生き生きとしている。プラスの世界を見つけた
人の顔だ。




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2006年06月01日

インタビューされてしまった(その1)

いつもは私がインタビューばかりしていますが、昨年ダイヤモンド
社系の「リスクマネジメント」誌に私に対するインタビューが掲載
されたので、今日と明日のブログで紹介します。
「侵食するメンタル不全」という特集記事の中に掲載されました。

*楠木新氏(五一歳)略歴
京都大学法学部を卒業し、大手企業に入社。人事・労務関係を中心
に企画、営業、支社長などを経験後、本社営業開発本部次長に就任。
その四月にうつ状態になり(四七歳の時)、約二カ月の休職を経て
復帰。うつ状態から復帰するまでの経緯をまとめた「ビジネスマン
『うつ』からの脱出」(創元社)を出版。
キャリア・コンサルタント、産業カウンセラーの資格を取得。
現在、勤務する傍ら夜間の社会人大学院に通いつつ、ラジオ関西
「げんきKOBE」の番組制作にも参加。

*異動を契機にうつ状態に
 うつ状態の症状があらわれ始めたのは新しい職場に次長として
異動して三週間ほどしてのことだった。「それまで兆候はまったく
なかった」と、エリートコースを歩んできた楠木氏は言う。
新聞も集中して読めず、食事も砂を噛んでいるような感じに。
頭重感や倦怠感、不安感もあり、眠りも浅く、仕事に対する集中力
がなくなり、判断力も鈍ってきた。
心療内科で「うつ状態」と診断され、休職する。

「今から振り返ると、組織で働くことに対する葛藤があったと思い
ます。40歳を越えてくらいから、組織の中での役割発揮だけで良い
のかという漠然とした疑問を感じていましたね。
うつ状態になる前、勤務の傍ら非常勤講師として大学で教えてい
ました。その授業でNPOの代表の方などをゲストスピーカーと
して招くと、学生は熱心に耳を傾ける。『自分の足で立っている
彼らは、若い人に語れる特権を持っている』と感じました。
自分にはそれがない。役職もあって、収入にも恵まれているが、
これでいいのかと。結構ショックでしたね。」(楠木氏)

これまでの自分のライフスタイルに限界を感じてきていたのだ。
同時に中年になり体力面の衰えもあったのだろう。このような中、
人事異動という環境変化が引き金となってうつ状態になったと
楠木氏は考える。

「組織に対しても自分に対しても生真面目なところがあるんでし
ょう。今から考えると不器用だったかなと思っています」(楠木氏)
仕事のことを案じつつ、市立病院の心療内科に通い、また、セカンド
オピニオンとして自宅近くのクリニックも受診した。
当然、産業医の診察も受ける。
                      (明日に続く)

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