楠木新(くすのき あらた)
楠木新の自己紹介

*講演・セミナー・研修および取材などの
お問い合わせは、kusunoki224アットマークnifty.comまでお願いいたします。
※アットマークを@に代えてください

2007年05月

2007年05月31日

出張・カーナビの世界

最近は、四国への出張が多く、レンタカーを借りて結構
長い距離を走る。
車には、余り興味がなく1500CCの走りやすい車で動く。
家の車は、必要がないのでカーナビをつけていないが
見知らぬ土地を走り回るには必須である。

一番長く付き合うのもカーナビであるともいえる。
また方向音痴の私には特にこころ強い味方である。
道を間違えて入ると、すぐに慌てて検索しだす。

目的地は変わらないのに、プロセスで試行錯誤する。
かわいいものでもある。
時間に余裕があるときには無理に間違ったところに
入るとそのあわてぶりも面白い。
正反対の方向に走るときはもうパニック状態だ。
そういうカーナビは、かわいい。

でも決まった道を決められて走るより、
迷路に入ったり、どうしたらいいか分からなくなる
ことを経て、目的地に着きたいと思うのは私だけでは
ないだろう。
そういうカーナビは開発できないか。

学校では、浪人も留年もあり、それを経験した。
会社には、浪人も留年もないのはちょっと残念。

*第11回「こころの定年研究会」を6月13日(水)に行います。
多くの方のご参加を期待しています。
今回は、機械メーカーの技術職から臨床心理士に転進された
谷口秀樹さんにゲストスピーカーをお願いしています。
(詳しくは、5月25日ブログを確認ください)





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2007年05月30日

「ここにも読者がいた」(61)一冊本を書こうよ!) 。

今日、知人と二人で喫茶店で話していた。
彼は、私よりもはるかに会社人間(当たり前か)だったのだが、
最近は色々あって自分の道を探さないといけないと思うように
なったとのことである。

彼は、そういう話が新聞にも取り上げられていることを述べた。
何気なしに「どういう記事だった?」と聞いてみると、そごうの
支店長が云々と話し始めた。

少し話を聞いて「それ朝日新聞?」と聞くと、「別刷りの」
もう間違いない。「あれ書いているのは俺」。
突然何を言い出すかと彼。
(「何を言うやらみかんやら」:昔の原田伸郎)
かなり驚いたようだった。驚愕していたのかもしれない。

でも私はすごく嬉しかった。
私が書いた文章が、新聞だけを通して目に前にいる彼に
伝わっている。しかも4月の初めの記事が鮮明に残っている。
こんなに嬉しいことはない。

彼は、そごうの元支店長の高橋さんが「社用車を持ち秘書も
いた立場から、自分で鉛筆を買うのを自分に納得させるのに
2年かかった」ということにすごく反応していた。

彼はまだ信じられない様子だったので、今週の土曜日の登場人物
を教えた。
でもまだ信じちゃいないかもしれない。

*第11回「こころの定年研究会」を6月13日(水)に行います。
多くの方のご参加を期待しています。
今回は、機械メーカーの技術職から臨床心理士に転進された
谷口秀樹さんにゲストスピーカーをお願いしています。
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2007年05月29日

人間ドッグを受けました

久しぶりに人間ドッグを受けた。
おそらく5年ぶり位ではないか。

その後の行動のことを考えてナンバで受ける。
以前よりもサービスが良くなっていると感じた。
おそらく周囲との競争が激しくなっているのではないか。
レントゲンのバリュウムにイチゴ味、レモン味がある
のには驚いた。しょうもないと思いながらイチゴ味に。

老齢化になるとドッグ自体は衰退するのだろうか?
自営業と勤め人の受診率はどれくらい違うのか?
そもそもドッグはいつ頃から始まったのか?
など疑問も沸く。

私は、元々人間ドッグ自体の意味合いをそれほど感じていない。
人間ドッグで、本当に病気が発見される確率は高いのか?
がんが発見されて切除の手術自体意味があるのか?
レントゲンを多く浴びるのは問題はないのか?

なんだかだと疑問ばかり感じているから5年ぶりになる
のだろう。今日の拙文は「?」ばかりだ。

*第11回「こころの定年研究会」を6月13日(水)に行います。
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谷口秀樹さんにゲストスピーカーをお願いしています。
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2007年05月28日

大阪西区を廻っています

仕事で大阪西区の阿波座から弁天町あたりを廻っている。
このあたりは大阪港にも近く、戦前戦中は、川沿いに従って
軍需にも使われた管やバルブなどの機材を生産する中小企業
が多かった。
最近はマンションも増えているが、よく見ると金属製品に
関する中小企業、中小工場が多い。

多くが工場というか現場の横か、階上に事務所があり
スリッパに履き替えて話をしている。
事務所も大きな企業や事務やサービス業に比べて何か
ホンワカとしたムードのところが多い。

先週行ったS工業も直感的にはストレスは少なそう
だった。
「昼食を自分で選べるのも、後7000回」など、得意ネタで
経理主任に話すと思いのほか笑ってくれて反応がいい。
こうなると次から次へと「しょうもない」ことの
オンパレード。

S工業から出ると、重そうな管機材を両肩にかけて足を
ふらつかせながら運んでいる30代くらいの男性の姿を見た。
小さなライトバンの荷台に載せるためである。

その姿になぜか心動いた。
男性の姿を見て、働く実感は、どちらがあるのかなぁ、
と思った。

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kusunoki224 at 23:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)ビジネス | 新観光

2007年05月27日

転身者の「きっかけ」分析

昨日の朝日新聞be「こころの定年」では、「転身動機は様々だ」と
書いたが、インタビューした方の「きっかけ」をSPSSを使って
分析した。もっとも修士論文にする際のテクニックでもあったが。

最終的には以下の6グループに分かれた。
簡単に概略を示すと下記のとおりである。

*第一グループ:「こころの定年」(PART1)
会社で働くことの意味を感じられなくなり、次のステップへの
転進を目指した人達。但し「会社人間的要素の高い方」

*第二グループ:「こころの定年」(PART2)
会社で働くことの意味を感じられなくなり、次のステップへの
転進を目指した人達。但し「会社人間的要素の低い方」

*第三グループ:「偶発的・外部事象(会社破綻・合併など)
 をきっかけ」


*第四グループ:「IC(独立業務請負人)的働き方―
 組織内キャリアを着実に」
 
 時間をかけてキャリアを積み上げながら転進したグループ

*第五グループ:「会社制度・運営との関係で転進」
 会社の制度や運用(リストラ、定年まじか)との関係などで
 転進を決めたグループ。以下の4つのパターンに分かれる
  顱縫螢好肇蕕垢詢場で転進
  髻縫螢好肇蕕気譴禿梢
  鵝鵬饉卆度の定年をまじかに控えて転進
  堯房分から進んで転進(「こころの定年」には陥らず、
    比較的淡々と)

*第六グループ:「若いころの好きなことへ戻る」 
 自分の若いころからの好きなことを実現するために転進した
 グループ。落語家、ちょうちん職人、大道芸人などキャラが明確

これらの分析を元に、コラムを書いた。



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2007年05月26日

「チェンジアップ」(朝日新聞be連載「こころの定年」)

朝日新聞beの「こころの定年」の連載もこれで12回、3ヶ月が
経ちました。今回は、各人さんのキャリアを紹介するのを離れて
多くの人のインタビューから、感じたことを書きました。
時々、このようなチェンジアップも入れたいと思っています。

      *「働く物差し」はどこかにある

「転勤の辞令」「会社との意見の相違」「阪神大震災」・・・・。
私が会った人の、転身動機は様々だ。
興味の対象や目標、役職や家族の事情も異なる。
皆、違う場所からスタートして、各自が次のステップに到達する。
ただ、その「転身プロセス」には共通項がある。

組織で働く意味に悩む時期(こころの定年)が来たことが、
きっかけになる人は少なくない。
「ここでは成長できない」
「誰かの役に立っているのか」
「このままでよいのか」。
この3つの本音を口にする時、人は「こころの定年」に差し
かかっている。仕事も順調、経済的にも不安はなさそうに見えても
、心中では欠乏感を感じている人は多い。

もちろん能力を徐々に高めて転身を果たす人もいる。
一方で、会社の倒産や突然のリストラ、病気など、自分では
どうにもならない事情で転身を迫られる人もいる。
組織で働く誰もが、予測できないリスクを抱えている。

60歳を間近にして、改めて自分の人生の持ち時間を意識する人。
落語家や職人など、若い頃にあこがれた仕事を中年になって
思い出し、再挑戦する人もいる。

転身した人のプロセスを丹念に追うと、その価値観や評価の基準は
多様だ。100名を越える人にインタビューして感じるのは、
組織の中で、たとえ自分らしく仕事を進めることが困難になったと
しても、自分に合った「働く物差し」は、必ずどこかにある
ということだ。

選択肢や評価基準が一つしかないと思い込むことは、危険な状況だ
たくさんの「物差し」があることをお示しするためにも、転身して
、いい顔で働く人々の紹介を続けたい。

*第11回「こころの定年研究会」を6月13日(水)に行います。
多くの方のご参加を期待しています。
今回は、機械メーカーの技術職から臨床心理士に転進された
谷口秀樹さんにゲストスピーカーをお願いしています。
(詳しくは、5月25日ブログを確認ください)


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2007年05月25日

第11回「こころの定年研究会」のご案内

第11回「こころの定年研究会」を6月13日(水)に行います。
多くの方のご参加を期待しています。
(キャリアチェンジ研究会から名称を変更しました)                 
               記
今回は、機械メーカーの技術職から臨床心理士に転進された
谷口秀樹さんにゲストスピーカーをお願いしています。

当日は、
仝什澆謀るまでのキャリアのプロセスを紹介いただき。
∋臆端圓らのインタビュー、質疑。
C口さんからの課題提起いただき、全体での議論など。
   で進める予定です(添付のレジメを参照ください)
   
1.日時:6月13日(水)18:30〜20:45
2.場所:大阪産業創造館 (堺筋本町) 研修室
     http://shisetsu.sansokan.jp/access.html
3.当日の内容案:
―仞兵圓隆蔽韻兵己紹介(1人1分)
⊇仞兵圈楠木新からの話題提供
C算間名刺交換
っ口さんからの発表

4.会費:一般1,000円、学生500円
(どなたでも参加できます。メール:kusunoki224@nifty.com
にてご連絡ください)
5.定員:30名程度

<追伸 
この3月3日から朝日新聞のbe版(土曜版)のキャリア欄で
「こころの定年」を毎週連載しています。
この研究会でお話いただいた、矢野宗宏さん、吉岡俊介さん、
森谷和郎さん、木村勝男さん、高橋貞夫さん、
に登場いただきました。
<追伸◆
次々回は、7月11日(水)に
「サラリーマンが新聞の週刊連載をするとどうなるか」(楠木新)
の予定です。
*********************
「こころの定年」評論家
楠木新(くすのき あらた)
kusunoki224@nifty.com
http://blog.livedoor.jp/kusunoki224/
*********************

<谷口秀樹さんの当日のレジメ>
1.危機を迎えるまで (1977〜91:24〜38歳)
‘社後の葛藤
⊂鎖
仕事のやりがい
・銅メッキラインの量産技術開発
・携帯電話用フィルターの量産展開
・脱オゾン層破壊物質技術の開発と量産化(フロン、トリクレン)
・量産安定化技術開発

’然とした不全感
=劣等感/平凡な人生への抵抗/関わりへの渇望
・出世競争での遅れ
・見えない希望
・部下との気持ちのギャップ

2.危機(1991〜2001:38〜48歳)
管理職試験の失敗
=変化のきっかけ
・突然の受験
・研修方式の試験
・面接試験での立ち往生
・不全感の表面化
J向転換への試行錯誤
=脱却と出会いの始まり
・依願しての出向
・能力開発訓練への参加
いΔ直態の中で
=思い留まる
・転勤後の上司との葛藤
・カウンセラーとの出会い
・逃避行と妻
ソ亳
=価値観の転換、仕事からの脱却と新たな出会い
・仲間
・ゲシュタルトワークショップ
・英会話教室
・自分を信じてくれる上司

3.転進(2001〜2006:48〜53歳)
‥承
=突き動かされるものと、偶然の積み重ね
・出向の解消と新たな職場での葛藤
・事件
・閑職へ
・退職への決意
受験
ぢ膤惘\験
スクールカウンセラーと臨床心理士受験

4.これからの展望(2007〜)
|翡の危機の研究と男性会社員の支援
⇔彎何翰学の勉強と受験者支援
スクールカウンセラー
た靴燭閉戦


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2007年05月24日

どう超える「こころの定年」(議論◆屬海海蹐猟蠻」意見交換)

昨日の「こころの定年」に対する提起に対して、いただいたご意見を
紹介します。

「楠木さん、
私も50代前半..。おっしゃっていることがとてもよく理解できます。
仕事をしている反面、このままでいいのだろうか、
他にすることがあるんではないだろうか...
と自問している自分に気がつきます。
親の健康や、天災などを経験しないことには、もうひとつの世界に
踏み切れないのかと思うとちょっと悲しいです....。
アップしていただいたブログもゆっくり読ませていただきますね」

「Cさん、
ご興味をお持ちいただきありがとうございます。
>親の健康や、天災などを経験しないことには、
>もうひとつの世界に踏み切れないのかと思うと
必ずしもそうとまでは言い切れません。

ただ調子のいい時は、未来は一本道に見えますが、
問題は先が見えないときです。
その場合、自分の能力を高めたり、資格を取得することで
対応しがちです。
でも実際のインタビュー例では、人との出会いによって
打開される場合が多いのです。
つつがなく進んでいるときには、人との出会いの重要性に
気づきにくいだけだと思います。

能力アップを目指して自己を修正するよりも、自己に
含まれている人間と人間との関係性、他人とのつながる力
が重要ではないかと思っています。

そういう意味では、キャリア課題を安易に個人の問題だけ
に還元してはいけないといえるかもしれません。

人との出会い・接触が、人を新しい世界に誘う。
では、人と人が出会う交差点に立つにはどうすればよいか。
この点に興味を持ちながらインタビューを続けています。」

「楠木さん、
コメントありがとうございます。
>必ずしもそうとまでは言い切れません。
>ただ調子のいい時は、未来は一本道に見えますが、
>問題は先が見えないときです。
>その場合、自分の能力を高めたり、資格を取得することで
>対応しがちです。

まったくもってその通りです。調子がいいときは
「このままでもいいかぁ」なんて思えてしまうんですよね。
でも、調子のいいときだけそんなに続くわけがないですね。

人との出会いですか....。ありがとうございます。
心して毎日を過ごすようにします。 」




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2007年05月23日

どう超える「こころの定年」(議論 屬海海蹐猟蠻」課題提起)

「どう超える「こころの定年」」
という提起に対してご意見をいただいた内容を参考に紹介します。

<課題提起>
「こころの定年」という概念を立てて現在インタビューに
取り組んでいます。
昨年は、「こころの定年/評論家」の商標登録を取得し
現在朝日新聞be(土曜版)のキャリア欄で「こころの定年」
という連載しています。
以下に「こころの定年」について私自身の捉え方を少し書きます。

「こころの定年」というのは、少しわかりにくいかも知れない。
一定期間組織に所属した後に、キャリアを変えられた方々の
長時間のインタビューを通じて出てきた概念である。

いままで約170名の方々にお話を聞いた。
就業規則上の定年は、ほとんどが60歳である。
でも、それまでに、組織で働くことの意味に悩む
「こころの定年」に陥る方が思いのほか多いことに
気がついた。

言葉にすると、
「このまま組織にいても、自分は成長できない」
「会社に多くの時間と労力をかけているが、本当に
 人のため、誰かの役に立っているのだろうか」
「人生は、有限なのに、いつまでもこのようなことを
 やっていてよいのだろうか」
と自問する。
また、阪神大震災の体験やご本人の病気・ご家族の介護、
リストラをする側の立場に立つなど、自分ではどうにも
できない偶発的な事情が、きっかけで、「こころの定年」
におちいる方も多い。

それを乗り越えて、「いい顔」で次のステップに進まれて
いる方を中心にインタビューしている。
お話を聞くことによって、私が一番元気になれるので、
やめられなくなっている。

転進先も、起業やコンサルタントだけでなく、資格をとって
独立した方やNPOや教育関係、地域活動に進まれる方,また
「落語家」「大道芸人」「ユーモアコンサルタント」など
多方面にわたっている。

ただ、私は、キャリアをチェンジすることが、すばらしいと
主張するつもりは、全くない。

組織で元気で楽しくやっている方はすばらしい。
それとともに、たとえ組織にいることが辛くなっても、
「選択の余地はいくらでもありますよ」ということが
分かっていただければという思いでやっている。
疑問をもたれた方が、立ち止まって、自分のキャリアを
振り返る機会が提供できればと。

そのためには、具体的な生きたプロセスが必要だ。
「この人のここは、自分でもやれる。あそこまでは
 自分にはできない」この往復運動が大事である。
多くの方に、インタビューをご協力いただいているのは
このためである(本当にありがとうございます)


会社で実績を上げている方は、現在の組織を支えている。
「こころの定年」になられた方は、未来の組織のあるべき姿に
貢献していると考えている。 」


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2007年05月22日

10年以上かけて転進

先日東京に行った時に、10年以上かけて「モノカキ」に転進した
人にインタビューした。朝日新聞beの原稿のためでもある。

大手企業に勤められていた団塊の世代であるが、時代の流れと
ともに自分が担当している仕事がジリ貧になるとの見通しから
43才のときに、「モノカキ」になる決意を固め、取り組みだした。

転進した人の話でいつも感じるのは、すぐに具体的な行動を起こ
していることだ。彼の場合には、文章の通信教育を始めている。
その後は公募ガイドやコンクールにも何度もチャレンジしている。
そういう試行錯誤が次のステップを明確にし、再び取り組むと
いう繰り返しだったようである。

また経済的な課題もあったので、計画を立て自ら発展途上国の
赴任に手を挙げた(収入が多くなるから)とのことである。
感心せざるを得ない。

そういう中で現在は実務書も含めて10冊を出版している。
組織にいる定年を目前に控えた方々と比較するとやはり
お元気である。

私がインタビューした中でも最も長く、計画的に転進した方の
お一人だ。
いずれ朝日新聞で紹介します。

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2007年05月21日

図書館はやはり楽しい

昨日久しぶりに大阪市立図書館へ行った。
日曜日だと受験生とおぼしき若い人達と年配の男性
(なぜか年配の女性は図書館にはいない)で
椅子席はほぼ一杯で座る場所を探すのに苦労する。

今週インタビューする方の本を借りようと思ったが、
ほとんどが貸出中で、かつ予約も入っていたのに驚いた。

また先日なくなった横山ノックさんの本や資料にも目を通した。
やはり私の中学の先輩であることも確認できた。

また、マーケッティング本の古典で意識下の世界を探求した
「隠れた説得者」(パッカード)を借りた。以前から読みたいと
思っていた本だ。その著者が、中内ダイエーについて論文を
書いていた林周二氏の訳であることに驚いた。
興味の内容がどこかでつながっていることに興味が沸く(これ
だけでは何も分からないだろうが。これについては以後まとめて
書く)。

また拙著「ビジネスマン『うつ』からの脱出」を機械で検索
すると「貸出中」になっていた。これはやはり嬉しい。
でも予約までは入っていなかった(欲張ってはいけません)。

図書館はやはり楽しい。

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2007年05月20日

リストラする人が傷む

昨日の朝日新聞be「こころの定年」に登場いただいた平田さんの
記事から。

*リストラする人が傷む
いま、企業の管理職の顔つきが悪くなっていると思う。
最近、キャリアのインタビューを続けていて、ふと3年前の女性臨床
心理士の言葉を思い出した。
「リストラを背景とした異動や退職勧奨を実施した場合に、それを
言い渡す立場の方が傷んでいます。」当時、新聞紙上では連日リスト
ラされた人が取り上げられていたので意外に思ったことを覚えている。

「自分の信条と違うことをやらされる。でも役員でもあったから
全力で取り組んだ。私は『50名』という数字のうえのリストラを
したのではない。あったかい血の通った一人一人とのやりとりだ。
今でも全員の名前と顔を覚えている。面談では、社内運動会に来て
いた奥さんや子供の顔も浮かんできた。」(平田)
「(病気になった)原因はストレスだと思う。気分的には、滅入った
状態が2年くらい続いた。いつも眉間にしわを寄せていて、
瞬間湯沸し的に家族にあたることもありましたね。」(平田)

機械メーカーの工場長を兼務する役員であった平田さんは、リストラ
をやり遂げた直後に病に倒れて役職を離れた。その後数ヶ月の入院
生活を経て、新たな転進の途に向かわれている。

もちろんリストラを宣告される方も大変である。
でも自分は被害者の立場で、まだ納得する理由を見つけやすい。
ところが、リストラする側は、
・まず自分の本意ではない仕事をするという葛藤がある。
・加えて仲間だったメンバーに厳しいことを言い渡すプレッシャー
 に直面する。
・かつそれらが組織で働いている対価として本当に値するものか
 どうかを自問する。
私のインタビューでも、リストラをする側に立ったことがきっかけで
組織から離れた方は多い。


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2007年05月19日

平田哲夫さんに朝日新聞be(「こころの定年」)に登場いただきました

今朝の朝日新聞beの連載では、人事コンサルタント・社会保険
労務士である平田哲夫さんに登場いただきました。
このコラムは基本は、実名ですが、平田さんの場合はご病気の
こともあり仮名表記にしています。

     *リストラ・大病を乗り越えて

リストラは、する側の当事者もつらい。特に部下との面談。
機械メーカーの工場長を兼務する役員だった平田哲夫さん(仮名)は
当時49歳。部下の人事記録を見ていたら、社内運動会で見た家族の
顔を思い出してしまう。夜中になれば、うなされることもあった。

会社の従業員は400人。役員会で人員整理の案が承認されたのは
6年前だ。平田さんの工場では、人員の3割、約50人が対象だった。
妻は「いつも額にシワ寄せて、怖かった」と、当時を語る。

2年がかりのリストラを終えた翌朝、平田さんは突然、自分で
起き上がることができなくなった。病院に行ったら、大腸がんとの
診断。即手術を受けたが、医師から「5年生存率は70%」と言われた。

「5年経ったら、10人中3人は死ぬのか」病院のベッドの上で、
「働く意味」を問い直していた。
「リストラで悩む経営者や従業員の相談相手になれないか」と思った。
人事など、業務経験は豊富だ。子供二人もまもなく社会人。
夫婦で食える位の蓄えはある。会社を辞めた。

平田さんは社会保険労務士の試験に一発で合格。現在は、人事
コンサルタントをしている。顧問先の会社で人事制度策定の
プロジェクトにもかかわる。経営者と従業員が共に成長できる
関係づくりに役立ちたいと思っている。

手術から4年経ったが、がん再発の兆候はない。収入も安定した。
その額に、もうシワはない。笑顔だ。
平田さんのように、病気が働き方を変えるきっかけになる方は多い。
そして、そうなった人は例外なく自分の仕事人生に真剣である。



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2007年05月18日

「ちょっと待ってね」 (はな寛太さんを悼む)

はな寛太さんが亡くなられた。
松竹系の個性派のベテラン漫才師だった。
ボディビルもしていたのに寿命はまた別ということか。

神戸の松竹座では「はな寛太・いま寛大」が出ていたという
記憶がほとんどない。
最後に舞台を見たのは、2004年11月の
「なにをいまさら横山ノック〜ノックとその仲間たち〜」だった。

最近の舞台で印象に残っているのが
「何周年記念で、僕たち英語で歌をレコーディングしました」
どんな歌や何か、講釈がエンエンと続くが会場は歌詞を明らかに
予想していた。
♪「ジャスト・モーメント・プリーズ」♪
♪「ジャスト・モーメント・プリーズ」♪
♪「ジャスト・モーメント・プリーズ」♪
この連呼で漫才が続く。
もう終わるかと思っても時間いっぱいまでやっていた。
笑いはだんだん大きくなってくる。あきれた笑いだ。

しゃべくりで笑かすというよりも、存在感がおかしい二人だった。
そういう意味では昔の芸人さんを思い起こさせるコンビだった。
ありがとうございました。




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kusunoki224 at 20:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)上方演芸 | 訃報

2007年05月17日

文章を推敲しているときが一番楽しい」(60)一冊本を書こうよ!) 。

東京に行ったときに二人の人に立て続けに会ったが同じ
言葉が続いたので興味を持った。
「文章を推敲しているときが一番楽しい」

一人は私のキャリアチェンジインタビューの対象者で、
総合商社から文筆業に転じた男性、もう一人は、
女性のライターさんで、キャリア関係の記事も
書かれている方だ。

文脈は違う中で話が出た。
男性は物書きになりたくて転進したが、推敲して文章が
出来上がるプロセスに喜びを感じる。
女性は、取材の合間の時間は何をしているかの私の質問に
対する回答である。

私は文章を書くことについては、二人には全く及ばないが
これは同感である。
初めの原稿を書いて、次々と赤で直しながら完成に至る
までの間、本当にうれしい。
どちらかといえば口先人間の私はしゃべりは得意であるが
書く方は面倒くさいとつい最近までは思っていたが、
この推敲の喜びを知ってからはそういう気持ちはなくなった。
子供が時間を忘れて積み木で色々な物を作っていくのも
同じだろう。



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2007年05月16日

六本木に行きました。

東京に行った日曜日に六本木に立ち寄る。
ミーハーではあるが「六本木ミッドタウン」をのぞいて見た。
東京時代も何故か六本木にはほとんど行かなくて、防衛庁の
跡地といわれともピンとこない。

2年毎位に、家族と東京に行くがその度に名所が出現する。
・数年前のお台場「ビーナスフォート」
  チーズ・バーに驚いた。
・東京駅の丸ビル。
  昔営業で歩いていたころに比べて雰囲気が一新していた。
・六本木ヒルズ
  ライブドアの社名がかかった受付のボードの前で写真をとった。

今回の「六本木ミッドタウン」ではカジュアルなファーストフード
的な店を除いてレストランの混みようは凄かった。
私などは待っている列を見て食欲を失うが、待つのは当たり前という
姿に驚いてしまう。
その後六本木ヒルズまで歩いていると日曜日でもあったのか閑散と
していた。ゆったりと食事も取れる。ある意味お勧めかもしれない。

これだけの変化を見ると昨日のディズニーランドが20年間変わらず
集客している姿は特筆すべきものかもしれない。
ゆっくり食事を取れないことも変わっていない。


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2007年05月15日

久しぶりのディズニーランド

休日を利用して、久しぶりにディズニーランドに行ってきた。
昔は浦安にいたので、関西から友人が来ればいつもここに来ていた。
妻は年間のパスポートまで購入していた。

ゴールデンウイークの次の週だったので空いていることを
期待していたがなかなかの混雑振りだった。
特にバギーを連れた子供連れが多いことに驚いた。
何か催し物か、団体が入っていたのかもしれない。

夜の指定席のあるディナーは直ぐに予約が埋まり、パレードを
待つのもすごく前から準備する。
ディズニーランドの楽しみの一つは、いろいろな人の姿が
見れるということだ。
海外からの入場者を含めて、地方から来た人、年齢層も幅広い。
「いろんな人がいるなぁ」と感じるにはよい場所である。

以前、「イッツアスモールワールド」で並んでいる時に、丁度
前にいた若い男性?の二人組みが、女装して待っていた。
それだけでも不思議だったが、二人の話が何気なく聞こえてきて
「うちの会社ではね」と。

「いったいどんな会社や!」というのを堪えながら20分くらい
付き合ったことがある。
やはり世の中は広い。



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2007年05月14日

続・社労士の飯塚さんに朝日新聞be(「こころの定年」)に登場いただきました

今回の朝日新聞be「こころの定年」に登場いただいた
飯塚さんに会ったのも比較的古く、私がインタビューを
初めてまもなくの頃だった。

大阪の本町の事務所で、丁寧にお話いただいた。
丁度私が書いた「ビジネスマン『うつ』からの脱出」にも
興味を持ってもらったので依頼すると快諾してくれた。
一番初めの出会いは、ある研究会というかゼミナールだった。

今回は朝日に書くということで2年ぶりに話を聞いた。
やはり時間を置いて何回か話を聞くことは重要である。
初めてのときは周辺状況を調べていても、はじめは互いに
見合う時間や労力がいる。

2回目、3回目になると、前に感じた部分と重ね合わせること
で新たに見えてくる面がある。
飯塚さんの「自分から営業したことはがない」というのは、
前回も同じトーンで強調されていたので、キーワードとした。
それに若者のキャリアのことで話が弾んだので、それを組み
合わせて書いた。

余程、わかっていないと一回でコラム記事を書くのは難しい
というのが実感である。




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2007年05月13日

社労士の飯塚さんに朝日新聞be(「こころの定年」)に登場いただきました

今週の朝日新聞beの連載では、社会保険労務士の飯塚さんに
登場いただきました。

*「すぐに結果を求めてはだめ」
「最低3年働かないと会社のことはわからないよ。」
社会保険労務士の飯塚篤司(34)さんは、若者のキャリア相談に
応じて、そう応えることが多い。

そんな飯塚さんも過去に二度、離職経験がある。大学で就職した
従業員1千人規模の食品スーパーは一年で辞めた。
理由は「勤務時間が長く、仕事が面白くなかったから」。
今では「甘かった」と笑う。その後入った服飾卸会社は
入社4年後に倒産した。総務担当だった飯塚さんは倒産処理を
しながら、同僚の失業保険などの面倒もみた。

倒産後、自宅に社労士の看板を掲げた。資格は最初の会社を
辞めた後に取得していた。開業して5年で、顧問先は20社を数える。
狭いながらも大阪市内に事務所を構えた。収入も順調に伸びて
パートの事務員も雇っている。

飯塚さんは「自分から営業したことはがない」という。
初めての仕事は元の同僚の依頼だった。仕事は人脈をたどって
向こうから来た。独立後に学んだ経理学校の講師だった税理士は
「君になら」と自分の顧問先を紹介してくれた。
キャリアカウンセラー養成講座の受講者仲間からの紹介もあった。
その時は契約に到らなくても、紹介してくれた人のためだと思って
相談に乗っているうち、2.3年してから仕事に結びつくことも
多いという。

飯塚さんは、相談しに来る若者に「仕事では、すぐに結果を
求めないことだよ」と、よく助言している。周りで悩んでいる人が
いれば、手を差し伸べる。自分を頼ってくれた人には、
キチンと対応する。
「働く」とはそういうことなのだと、飯塚さんは伝えたいのではないか。



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2007年05月12日

(2)X氏への思い・気づき・回答(「こころの定年」に対して)

(一昨日から続く)
その上で、
⇒「満たされない」は贅沢病か。
>明日食う米に困っている人は
>「お腹が満たされない」と感じても、
>「(心が)満たされない」とは感じない」

食うに困っている人は、働いて家族を食わすという最高の
「誰かの役に立つ」で満たされるのです。
食うに困らなくなったから「満たされない病」が生じたわけです。
物事には、陽の部分があればその裏に陰の部分を持ちます。

⇒「いい顔」に少しでも近づくために、何か「プチ転進」と
  いったことはできないか。
やり方は色々あります。
でもノウハウにはなりにくいのです。
「満たされる」「いい顔」は、「お金」のような客観的な価値観
の世界ではなく、その人の固有の物差しに基づくからです。

だから転進した人のプロセスを提示して「参考にしてもらおう」
というのが「こころの定年」のコンセプトの一つです。
ポジションは、あくまで受け取る側にあるのです。
ただ共通したことも多いので具体的事例を元に一定のまとめは
やっています。

>何か「プチ転進」
に戻ると、

まずは、リスクをとることです。
自分が大事であると思っていることに。
(先日の元そごう店長(朝日新聞be記事)の
「私は組織に従属しすぎていた」はキーワードです)
そうすれば相当景色が変わります。
また「人の出会い」も大きく増えます。
独立は、まだまだ後の問題でいいのです。

このあたりを意識しながらインタビユーを続けています。
最近も「スーパーの次長から口笛奏者」「住友銀行から
上方文化評論家」に会いました。
この病気は治りそうにもありません。

また昨日も朝日新聞beの記事で、ご縁ができた知人から
好意的なメールをいただきました。
とても嬉しく、多くの人と知り合えるのも余分なものを
捨ててよかったところです。

書いていることは分かりにくいかも知れないので、
また機会があれば話しましょう。

では、またお元気で。      」


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2007年05月11日

(1)X氏への思い・気づき・回答(「こころの定年」に対して)

From X さま
こんばんわ。
「こころの定年」に対する詳細なご意見ありがとうございます。
さて、私も脈絡ないというのでは同じですが、

>「仕事に熱中できる」「出世が生きがい」と思える人が
>羨ましいとつくづく思う時があります。
私にはこれはありません。
現在の仕事で「誰かの役に立つ」「細胞が震えるほどの喜び」は
感じないからです。

役所の規制や独占的な立場で、運営をしていけば、余剰利益が
出るような会社(組織)では、「誰かの役に立つ」は
最終的にはありえないと心の中で感じていました
(商売人の感覚です)。

一方会社はとても居心地の良い場所でもありました。
友達はできる、色々なところに行ける。人との出会いの面白さに
触れることができる、などなど。

でもなかなか自分の中に「これだ」というのもなかなか見つかり
ませんでした。
色々ありましたが、最終的には
「もうええか。好きなことだけやろう」とやけくそになった時
(捨てたときに)に新しいものが入ってきました。
中年になって自分の持ち時間を意識したからだと思います。

でもこれは、偶々かもしれないので、他の人に安易に転進する
ほうがいいなどと主張するつもりは全くありません。
むしろ「年功序列」と「成果主義」との対比で言うと「年功序列」
をとるのです。
昔からの儀式や習わしも、同じことを続けます。
それで安定している社会の方が健全であると考えています。
「つつがなく」が神道の中心概念であるのも共通しています。

元々制度の問題ではなく、「定常系」と「進化系」の対比で行く
ことが大事であると考えた上で、前者を採ります。
大きくいえば人間は成長するものではなくて、循環していると
感じているわけです。

その上で、(明日に続きます。)


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2007年05月10日

X氏の思い・疑問・質問(「こころの定年」に対して)

「こころの定年」に対して、いただいたメールです。
少し長くなりますが紹介します。

「楠木 新様
はじめまして。
私は某大手会社の子会社に出向中の年齢定年まであと約10年を
残した会社員です。

楠木さんの新聞記事やブログを拝見して、いろいろなことが
心に浮かんだので、脈絡はありませんが、そのままをメール
させていただくことにしました。

私も楠木さんが言われる「こころの定年」を既に迎えている
のだろうと思います。ただキャリアチェンジする勇気も術もなく
(と言うよりそんなことを考えることもなく)
「このままでいいのかな」とか
(具体的に何がいいことなのかも分からないまま)
「何かいいことないかな」が口癖のようになっています。

こういう中、自分なりに足掻いてはいます。
楠木さんのブログに出てくる色んな出来事などでも
実にオーバーラップすることが多く自分でも驚くほどです。

三丁目の夕陽を見て私も自然に泣けました。
あの時代の「大人として」戻りたいとも思いました。

ラヂオの時間 > 有頂天ホテル も同感です。

「鴻華園」は一度だけしか行ったことはありませんが、
福建料理の「小小」には思い出したようによく出かけます。

「何かしなければ・・・」
「何か熱中できるものはないか・・・」と
焦燥感にも似た思いに駆りたてられてはいますが、
実際には仕事もあり、なかなか見出せないという状況です。

心の中では「そうなりたくはない」と思いつつ
「仕事に熱中できる」「出世が生きがい」と思える人が
羨ましいとつくづく思う時があります。

でもそういう時に自分に問いかけるQがあります。
それは「それじゃ君は不幸なの?」と。

このQに対するAは、ハッキリNOです。
幸いなことに(・・・と、こう書くことだけでも不幸じゃない
ですよね)生活には困っていないし、行きたいところに出かけ、
食べたいものを食べている。

家族関係も順調、娘も伸び伸びと育っている。
自家用車(これも古い表現ですが)も当然のように持っている。
会社だってそれなりの地位を得ている。
平日も土日もやりたいことや行きたいところが一杯あって、
結構忙しい。
逆に(客観的にみても、あるいは主観的にみても)
「どこに、何の不満があるの?」という感じです。

ただ「満たされない」
そう「満たされない」という表現がピッタリなのです。

こう考えると「こころの定年」って贅沢病のような気も
して来ます。
大変失礼な言い方ですが、
明日食う米に困っている人は
「お腹が満たされない」と感じても、
「(心が)満たされない」とは感じない

「何かいいことないかな」についても
日々の生活で「いいこと」は結構起こっている筈で
「旬の美味しいものを食べた」
「通勤の道で金木犀のいい匂いがして来た」
「たまにガールフレンドとご飯を食べた」
そして仕事でも
「してやったり。ということがあった」とか・・・
結構たくさんあります。

一つ一つのことを「いいこと」だと気づく。
「幸せ呆け」しない。
こういったことがとっても大切なのではないか・・・
なかなか「転進」できない我が身に当てはめて
これが今の自分に出来る精一杯のことなのでは、
と思っています。

小泉元首相が安部首相にアドバイスとして贈った言葉として
「鈍感力」という言葉が有名になっていますが、
「こころの定年」を迎えた私には、
「現状をいかにそのまま受け入れるか」という「受入れ力」
を磨く必要があるのではとも思っています。
(言い聞かせている、と言った方が正確かも知れませんが)
そうすれば「いい顔」に近づけるのではないかと。

でもそう言い聞かせつつもなかなか難しいのが現実です。
このごろ「プチ整形」「プチフランス料理」のように
「プチ」という言葉がはやっています。
本来的には「小さな」という意味で使われているのだと
思いますが、使用感としては
「本来的なものではなく、とりあえずお手軽に」といった
意味合いがあるように思います。

本当に脈絡がなくて恐縮ですが
⇒「満たされない」は贅沢病か。

⇒「いい顔」に少しでも近づくために、何か「プチ転進」
といったことはできないか。
といったことについて、何かお考えをお聞かせいただければ
大変ありがたいと思います。

「こころの定年」を迎えている多くの人がこういう同じ
「こころの叫びを持ってるねん」 (一応シャレの積もりですが)
と思って聞いていただければ幸いです。

From X 」


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2007年05月09日

「学歴と落語家」(めふの寄席)

鶴部さんの話に出たのが、落語家の学歴のことだった。
「灘中、灘高、京大の学生が福団治師匠のお弟子さん
でっせ。どないなってまんねん。」から始まり
落語家と学歴の話になった。

「昔は大卒が少なくて、文枝師匠、米朝師匠などは
当時から三枝師匠や枝雀師匠、大卒の弟子がいたが、
松鶴師匠のところは誰もいなかった。それで京都産業大
中退の俺が入門できたのかぁ」などと話を進めていた。

めふの寄席のメンバーも、林家竹丸=神戸大、
桂阿か枝=岡山大、林家染左=大阪大、という紹介もしていた。
学歴自体はともかく、昔より裾野が広がっているとは言えそうだ。
「食えないから」という言葉の響きが豊かになって変化して
きたこともあるのだろう。

「めふの寄席」から帰り際、掲示板にレギュラーの3人を
取り上げた新聞記事などが張られていた。
私の竹丸さんを取り上げた朝日新聞の「こころの定年」を
見つけたのはやはりうれしかった。

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2007年05月08日

笑福亭鶴瓶さんは凄い(めふ乃寄席)

今週の日曜日に、宝塚のめふ乃寄席に足を運ぶ。朝日新聞の連載
「こころの定年」に登場いただいた林家竹丸さんが地元でやって
いる落語会である。
今回は大物ゲストとして笑福亭鶴瓶さんが登場した。
朝席はいつも50名程度であるが、この日は150名で満員だった。

鶴瓶さんは、落語はやらなかったが、その話術には感服した。
45分くらい続けて話し、観客を飽きさせることなく笑いを誘った。

私が初めて鶴瓶さんの落語を聞いたのは今から30年位前で
東灘文化センターで「24時間マラソン落語」が行われていた時で
「壷算」をはなして自分がとちったのをネタにして笑いを
とっていた。その頃から会場の沸かせ方は群を抜いていた。

今回も面白い話が爆発した。
・松鶴からなぜか落語の稽古を付けられることはなかったこと。
・唯一「いらちの愛宕参り」を覚え、古典落語にオートバイに乗った
 人物を登場させるなどして演じた。
 落語コンクールの審査員だった松鶴から
 「こいつのは落語やありまへん。」と酷評されたが、帰りのタク
 シーに乗るときに「お前のが一番よかった」と尻をたたかれた話。
・入門当時の小学六年生の兄弟子とのやり取り。
・NHK「家族に乾杯」の裏話

最近は落語への回帰をしているようだ。

私は彼の凄さは、人情味のある雰囲気とハチャメチャ振りの動きが
その話術でシナジー効果を発揮する部分だ。
私は西条凡児の後継者であると勝手に思っている。
どうだろう。

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2007年05月07日

深江文化村

朝日カルチャーセンターの講座で「阪神間」を扱った地域の
セミナーを受講している。

私が取り組みたい「新開地から三宮」の地域に比べると阪神間は
最も対照的な場所ではあるがすぐ隣であり「地域学」的な取り組み
をどうするかのヒントを得たくて参加した。

講師は、阪神学の提唱者・河内厚郎氏である。
私も知らなかったが、芦屋との境の場所に、かつて「深江文化村」
と呼ばれた場所があった。海辺に立ち並ぶ洋館には、革命から
逃れたロシア人音楽家などが暮らし、バイオリニスト貴志康一らを
育てた場所である。

クラッシックには全く暗い私なので、バイオリニスト・音楽家
貴志康一といわれても分からないが、彼もここから育ったらしい。
河内氏によると、湯川秀樹のノーベル物理学賞受賞の後の晩餐会
の時に彼の曲が流れたことが有名とのことである。
また、朝比奈隆の師メッテルが住んでいたと説明があった。

昔は10数件の家が庭を囲むように建っていたらしいが、今は
4件の西洋館があるとのことである。

話しを聞いて思い出したのは、母校の神戸高校の私の年代は、
3年連続コーラスの部で全国で金賞をとっていたことだ。
高校に入学したときに、クラッシックを語り、バイオリンなど
の楽器ができる友人が多かった。勿論、東灘や芦屋の子弟が
中心だった。村上春樹氏の小説でも思い出すのは同じ
ニュアンスだ。

西部の私達は「ダボッ、しばいたろうか」しか言えないので
情操分野では全くかなわなかった。

でも最近はそれが武器になっている。世の中は面白い。

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2007年05月06日

「サラリーマンを初めて知った」朝日新聞be(「こころの定年」)

昨日の朝日新聞be(「こころの定年」)に登場いただいた木村勝男
(きむら かつお)さんは、アーバンベネフィット株式会社の現役の
会長として、主に企業再生を中心に活躍されています。

また、木村さんは中学を卒業して働かれ、31歳で定時制高校を
卒業、2007年3月には大学院を卒業されました。
実は私とは大学院での同級生です。

授業のあと、喫茶店での木村さんとのお話で驚いたのは
「いままでサラリーマンを全く知らなかった。大きな会社に在籍
している人がどのような考え方をしているのかが、初めてわかった」
との発言でした。

木村さんは50年間実業界で活躍されて、今も上場を目指している
会社の現役の会長ですが、大学院に入るまでサラリーマンは
全く知らなかったそうです。

それを聞いたときに私は飛び上がらんばかりに驚くとともに
そういうことに子供のように疑問を持たれる姿勢に心が動きました。

また木村さんは、自ら経営研究会を主宰されるとともに、中小企業の
経営者向けの講演やセミナーでも全国を飛び回って活躍されています。

木村さんと話していると私の気持ちの底にあるものが目を覚まします。


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2007年05月05日

木村勝男さんに朝日新聞be(「こころの定年」)に登場いただきました

大学院の同級生でもあった木村勝男さんに朝日新聞be
「こころの定年」に登場いただきました。

まずは内容をアップします。

*こころの定年  「経営社員」と呼び自覚促す

今春MBA (経営学修士)を取った木村勝男さん(66)は、
企業の再生に取り組む会社の会長だ。
韓国から日本に渡った両親の長男である木村さんは、1
4歳で父を亡くした。家族6人を支えるため17歳で島根から
大阪に出て働いた。ガス配管工事などの事業を立ち上げ、
高度経済成長を背景に多くの困難も乗り越えてきた。

不動産事業も手がけていた木村さんにとって、バブル崩壊は
人生最大のピンチだった。大きな負債を抱え、自分を失い
かけたが、亡父を思い出して気を取り直した。「おやじに
比べれば、おれは健康だ。読み書きもできるじゃないか」と。

自ら金融機関と交渉。事業を整理しながら借入金の返済を
続け15年かけて立ち直った。その経験が今の仕事に生きる。
木村さんは、2年前に社会人大学院に入学した。
人に雇われたことのない木村さんは、サラリーマンの同級生と
一杯傾け合う中で「サラリーマンの大変さ」を知った。
そして、会社では、本当にやりたいことをしている人が
少ないことに驚いた。

同級生は、木村さんに触れ合うと元気になる。皆、自分では
属する組織と日々格闘していると思っている。
だが、そもそも木村さんにはその組織に頼る発想が全くないのだ。

木村さんは、会社での仕事を通じて、互いに成長することを
目指している。だから従業員を「経営社員」と呼び、経営者の
気概を求めている。木村さんの頭の中には、組織で働く意味に
悩む「こころの定年」は存在しない。

「年を重ねる毎に、やりたいことが増えている。リタイヤして
悠々自適なんて私には考えられないよ」と、木村さんは
笑っていた。



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2007年05月04日

驚きました。中山寺の奥の院。

今日、中山寺の奥の院に家族と一緒に歩く。
知らなかったのだが、中山寺は、聖徳太子の創建によると
つたえられている、わが国最初の観音霊場だそうだ。

初めから、前関西大学教授の植島教授が、一般の寺社は
後年になってそこに拝む場所を造っているが、本当に祈りや
信仰の場所は、もっと奥にあり巨岩や水のある場所が多い
と言われていたのを思い出していたので意識して奥の院まで
歩いた。

駅前から2キロくらいの初心者向きの道だ。
中山駅から−中山寺−夫婦岩園地−中山寺・奥の院。
中山寺からの登山道は、隣接する住宅のフェンス沿いを登る。
参道の両脇には、あちこちにお地蔵さんが祭られている。
途中で、夫婦岩という展望所に着きます。
「やはり巨岩か」と言いながら歩く。

少し奥深くなった山道を登った所に奥の院があり、その本堂の脇
には伝説の大岩・白鳥石がありこの下から大悲水(白鳥石の水)
が湧き出している。立て札は生水での飲用は不可とある。

その本堂の裏を見て驚いた。
本堂の真後ろが大きな巨岩にひっついていたからだ。
丁度本堂の前を掃除していた若いお坊さんに聞くと
「本堂の後ろは、大きな岩で小さな洞穴があります。
ここで聖徳太子が修行した言い伝えがあります。」
植島教授の言う通りだった。
妻にも話していたので彼女もとても驚いていた。
奥の院のすぐ手前に岩と水のあるなんともいえず
雰囲気のある場所がある。

もう少し色々なところも歩いてみたいと思っている。


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2007年05月03日

横山ノックさんを悼む

昨日インタビューを終えて家に帰ると、横山ノックさんが
亡くなったとのニュースが飛び込んできた。

その時は正直言って「しまった。なぜ手を打っていなかったのか」
という思いが頭をよぎる。

勿論、彼の大ファンでもあるが、色々話を聞く機会をお願い
したかったのだ。
記憶に間違いがなければ、ノックさんは神戸市出身とあるが
私の中学の先輩だったと思う。当時は高等小学校だが。
米軍で働いていたというのも神戸駅近くの進駐軍ではなかったか。

今後、新開地と芸能、特にお笑い、漫才との関係を調べるつもりの
私にとってはキーマンだと思っていた。
(彼の師匠は、横山エンタツである)
一昨年「何をいまさら横山ノック」というワッハ上方での公演が
私が見た最後の舞台になった。その時には多くの芸人さんが
特別ゲストで来ていてノックさんの復帰を祝っていた。
会場にいた上岡龍太郎さんも舞台に上がった。

また神戸の御影にある、にしむら珈琲店でたまたま隣の席に
い合わせたことがある。息子さんと奥さんと一緒だったと思うが
息子さんに対する態度が凄く自然で「いいお父さんだなぁ」
と感じたことを今も覚えている。
もう10年位前になるかなぁ。

とにかく色々な意味で残念至極。
ご冥福をお祈りしたい。



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2007年05月02日

初めて「コーチング」を受けました

先週、インタビューをお願いした女性から、コーチングを
初めて受けた。
詳細は一度テープを書き起こして検討してみようかと思って
いるが、改めて自分の調子がよいことも確認できた。

現在「こころの定年」のインタビューを深めながら、神戸新開地
の歴史を自分なりに掘り起こしたいという欲求も強い。
(人的には、淀川長治、中内功、砂川捨丸、水木しげるさん
あたりを取り上げる)

これら二つは別々であると思っていたが、実はつながっている
のだということに話しながら気がついた。

やはり他の人との関係がないと視点を変えるのは難しいことを
実感した。頭に浮かんだのは、現在連載しているコラムのことだ。
力量不足なので、自分の視点を変えて書きたいと思っても、
なかなかそれができない。
プロの文章を読むとそれをいとも簡単にやってのけているようだ。

実は、家族に読んでもらうことで何とか対応している。
妻と娘に嫌がられながらも「読んでくれ」「読んでくれ」
と頼み込んでいるのが実情である。

全くの直感であるが、「コーチング」の最も大きな点は
自分の中にある、普段(一人)では気がつかない、他人性の
取り込みにあるのではないか。
これは実はインタビューでも同様である。
人の話を聞いているようで自分の中の見えないものを探している。
本来の自己啓発とは、そういうものではないか。



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