楠木新(くすのき あらた)
楠木新の自己紹介

*講演・セミナー・研修および取材などの
お問い合わせは、kusunoki224アットマークnifty.comまでお願いいたします。
※アットマークを@に代えてください

2007年07月

2007年07月31日

東京でのインタビュー

昨日も少し述べたように、インタビューのため東京に滞在した。
前回の名古屋に続き、興味ある方のお話をいただいた。
今までのリストアップの中からアポ入れして伺ったが、ほとんど
快く引き受けていただきありがたい限りである。

・スワンベーカリーというパン屋を障害者の方と一緒に運営して
 いる元養護学校の女性教諭の方
・外資系石油会社から、針鍼灸師で独立された方。
 彼は、中国に留学までして開業している。
・障害者の子供達に、ピアノを教えることで独立した元航空機
 メーカーの技術者の方。
・富士通本部の元営業推進部長から、福祉美容室を開業された方
・リコ−の管理職から、古書店にかかわるネット起業された方
・息子さんとの葛藤を経て、銀行の管理職からカウンセラーで
 独立された方。
の6名の方にお世話になった。

今回は、広い意味での福祉に関わる仕事をしている方も多く、
お話を聞いていて、こみ上げるものを押さえ、平静を確保
するのに往生したのもうれしいことである。

いずれの話も興味あるものばかりで、こちらに大きな元気を
いただける。つくづく「やっていてよかったなぁ」と思う。

ご協力いただいた方に、お返しする意味でも「こころの定年」
のコラムを充実していきたい。 

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2007年07月30日

姉弟だけの新幹線

東京からのインタビユー旅行の帰り途、12時発の新幹線に乗った。
休みの日の新幹線は、かなり空いている。

私の3つ前の2脚の席に、お母さんと子供の姉と弟が乗り込んだが
出発の直前にお母さんは、新幹線を降りた。車掌さんに、言伝
していたように見えた。

どうやら、夏休みに、親よりも一歩先に子供達だけでの里帰りの
ようだ。
お姉ちゃんは、小学校5年生、弟が2年生くらいだろうか。
トイレに行くのも、何かと姉が弟の面倒を見ている。

新幹線が京都に着く前に、車掌さんが来て二人に何か話していた。
駅に到着すると、二人が降りた。
右側の席だったのでプラットの様子が良く見える。

そこにはメガネをかけた65歳くらいのおばあさんが、3歳児
くらいの孫と思しき男の子の手を引いていた。
電車が止まると、そのおばあさんが、嬉しそうな顔でプラット
でぴょんぴょん飛び跳ねた。
その後すぐに二人がおばあさんに抱きつきに行く。

交わす言葉が手に取るように分かる。
「おばあちゃん!」
「二人だけでよく来たねぇ。久しぶりに見ると大きくなったね」
おばあさんの笑顔のよさに驚いた。

私も将来こういう機会を持ちたいと強く思った。


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2007年07月29日

野澤正平さんの講演会(組織の本質の変化)

先々週の土曜日に野澤正平さんの関西での講演会に出向いた。
山一證券の最後の社長で、現在は、日産センチュリー証券
株式会社代表取締役社長である。法政大学経済学部の同窓会
会長も務められてる。

自主廃業を発表する会見の場で、「社員は悪くありませんから!」
と泣きながら社員をかばった画面が頭に焼きついていたし、
インタビュー対象のリストにも過去にあげていたので話を聞いた。

題材は、営業関係で聴衆も比較的若い人だった。
話で興味があったのは、2点。
・若い頃、学校に行かなくなった資産家の娘さんの家庭教師を
 頼まれた。勉強を教えずに「修身」のような話を続けていると、
 娘さんが学校に行くようになって、そこからお金が尽きずに
 出てきて営業成績があがったこと。
・今の会社の若手を育成するのに、徹底的に対面販売を叩き込む。
 具体的には、築地の中央卸売り市場に徹底的に通わせる。
 お金も回っているし、仲買人など相場が好きな人が多い。
 これは、野澤さん自身が若い頃行ったことだそうだ。

質問時間が少なかったので手を上げなかったが、一番の疑問は
山一證券のようなビッグビジネスの社長と現在の会社の社長との
違いである。

一定の人数を超えると、組織の本質は変化していると感じている
ので、その点の確認をしたかった。
引き続きリストの対象にしておく。

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2007年07月28日

「会社人間」捨てて得る物(朝日新聞be「こころの定年」)

本日の朝日新聞be「こころの定年」には、4-5年お付き合い
させていただいている中本さんに登場いただきました。
大阪での「こころの定年」研究会でもゲストスピーカー
としてお話いただいた方です。

    *「会社人間」捨てて得る物 
 今はカウンセリング会社を経営する中本渉さん(61)は、
商社マンだった。「会社人間」を自認し、評価されていた。
息子には厳しく接した。長男が中二の時、勉強や部活動の
頑張りが評価されて市の使節の一人としてオーストラリア
にも派遣されたのも、その成果だと思っていた。

 ところが、その長男が高校3の時、家出した。戻っては
きたが、進学は断念。反発する長男に、中本さんは手を
上げたこともある。医師に相談すると「息子さんを丸ごと
受け止めてあげなさい」と、逆に諭された。

 その後、かつて長男がホームステイでお世話になった
オーストラリア人夫妻が来日した。会うなり長男を抱きし
める姿を見て、中本さんは「自分が間違っていたのかも
しれないと気付かされた。中本さんはこれを機に心理学を
学び、産業カウンセラーの資格も取った。
       
 仕事にも変化が訪れた。勤め先の経営が危うくなると、
人事部長だった中本さんはリストラの責任者に。その後、
監査役に昇格はしたが逆に何の権限もなくなった。
「このままでは会社にすがるだけだ」と数ヶ月悩んだ末、
中本さんは退職した。54歳の時である。

 当初は、商社マンの経験を生かして事業に取り組んだが、
ことごとく失敗した。そんな時、中本さんを救ったのが
カウンセラーの資格だった。仲間に日本産業カウンセラー
協会の仕事を紹介された。そこで数多くの講演、研修の
企画・運営を手掛けた。そうした経験を生かして、今の
会社を起業したのだった。

 仕事、そして家庭との向き合い方を変えて初めて、
中本さんは働く生きがいを見つけることができた。
今は、長男との関係も良好だそうだ。

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2007年07月27日

朝日新聞be「こころの定年」に対する読者の感想(紹介)

朝日新聞be「こころの定年」も前週で20回を超えた。
毎週毎週掲載されるのは、喜びでもあり、一本づつ原稿が
減っていくのはプレッシャーでもある。

また、最近は見知らぬ方から感想をいただくこともある。
書き手としては嬉しい限りである。
以下にいくつか紹介したい。

 屬い弔眦斃砲Be「こころの定年」は楽しく読ませて頂いて
います。三月末に希望退職措置に応募して、退職しました。
転職先が中々決まらずに焦っている時に「こころの定年」を
読むと、頑張ろうと言う気持ちが湧いてきました。
お蔭様で、転職先も決まり、来月から勤務する予定です。
これからも、頑張ってください。」
(楠木:新しい勤務でのご発展をお祈りします)

◆崙輿海離瓮奪察璽玄採蕕靴泙后
僕は、朝日新聞の土曜版が好きで、フロントランナーを特に
読んでいました。
今回、楠木さんの記事初めて読ませて頂きました。
すごくヨカッタです♪これからも出来る限り拝見させて頂きます。

御仕事大変かと思いますが、楽しみにしている人もいるんだと
ちょっとでも思って頂いて頑張って頂けたら幸いです!!」
(楠木:本当にありがとうございます)

「実は私も20年近い朝日新聞の購読者の一人で
土曜日のbeは毎週スクラップに残しているくらい好きなのです。
最初は表紙にあるフロントランナーが好きで経営者の考え方や
登場される方の記事を残していたのです。

そのうちに「こころの定年」という記事もいつしか読むように
なり今では毎週目を通すようになりました。」
(楠木:ありがとうございます。表紙のフロントランナーの延長
で読んでいただいている方も多いようです。)

ぁ屬呂犬瓩泙靴董F輿海離瓮奪察璽犬農燭剖化未任后
6月9日朝日新聞「こころの定年」拝読いたしました。
「社員やめ会社と委託契約」新しい働き方だと思いますし、
私も漠然と考えていたことを実行されている方もいらっしゃるんだ
ということで、思わず、ご連絡さしあげた次第です。

私は、ある会社で人事課長職にあります。
今回の田代様のケースは、まさしく自分もそんな働き方ができたら
・・・と考えていた内容とピッタリなので、驚きました。
ただ、私の場合は特に公的資格を持っていませんので、本当に漠然
としたものでしたが、現実の話を聞いて、目からウロコというか
なんというか・・・
もう少し、話を伺ってみたいという気になりました。
本当、ありがとうございました。
これからも毎週土曜日楽しみにしております」
(楠木:こちらこそ、ありがとうございます。田代さんの働き方、
転身の仕方に興味をもたれている方は、ほかにもおられます)

これからも折を見て紹介させていただきます。
今後とも「こころの定年」をよろしくお願いいたします。

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2007年07月26日

「お前のオールをまかせるな」

(昨日から続く)
平成13年12月31日大晦日。
この日は、中学・高校共通の友人4人で三宮で食事をしながら
過去のこと、将来のことを話し合った。

その時の2次会か3次会かで、S君と二人になった。
場所は、三宮のにしむら珈琲店である。
S君は、大阪教育大の障害児の学科を卒業して、手弁当で
活動しながら、重度の障害者をケアする社会福祉法人を仲間と
立ち上げて、その施設の園長だった。

彼は、当時、話題になっていた障害者対する法律の改正問題に
ついて語った。その余りの迫力に圧倒された。
学生運動などもやっている訳でもなく、青臭い議論などよりも
人に優しく寄り添う彼から出た言葉に驚愕した。

その時に、自分の力が僅かで、漕いでも漕いでも船が進まず
たとえ後退することがあっても自分は漕ぎつづける、と話した。
その時に、この『宙船(そらふね)』の歌詞が頭に浮かんだ。

実は、その年に私が関西大学で非常勤講師をやった時に、S君
にゲストスピーカーに来てもらった。
彼が語ると、大きな教室が盛り上がり軽い興奮状態になる。
彼の日常の物語が大きな説得力を持つことに驚いた。

私が理屈の話をしても学生の心に何も届いていないと感じて
いたので、ある意味大きなショックだった。
役職があり、いい収入を得ていても、何か大きな渇望感を
抱えていた私を揺るがすには、十分な衝撃だった。
その翌年に、いったん会社の仕事を投げ出すに至る。

♪その船を漕いでゆけ お前の手で漕いでゆけ
お前が消えて喜ぶものに お前のオールをまかせるな♪


中島みゆきの『宙船(そらふね)』はそれを思い出させて
くれる。

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2007年07月25日

「宙船」のCD

昨日、家に帰ると、中島みゆきのCD「ララバイSINGER」が
かかっていた。妻が、買ってきたらしい。
いつもは、私が中島みゆきを聞いているので驚いた。

今春の選抜高校野球大会開会式の入場行進曲にもなった、
『宙船(そらふね)』の中島みゆきの歌をラジオで聞いて、
TOKIOの宙船とあまりにも違いがあったので、買ってきた
とのことだ。

リフレインの部分は、下記である。
その船を漕いでゆけ お前の手で漕いでゆけ
お前が消えて喜ぶものに お前のオールをまかせるな


私なりに勝手に解釈すると、TOKIOの歌は「船を漕いでゆけ」
に強調点があり、「自分の人生は、自分で切り開け」と歌われて
いる。だから球児の夢である「甲子園」が結びつくのだろう。
でも中島みゆきの強調点は、お前のオールをまかせるな
の個所ではないか。
中島のこの歌は、鬼気迫るまでのパワーがる。それは自分こそが
自分の船の船長になることを歌い上げているように聞こえる。

この歌を思い出す大きな思い出があるからそう思うのかも
しれない。
                  (明日に続く)

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2007年07月24日

河合隼雄さんを悼む

元文化庁長官の河合隼雄氏が逝かれた。
結構ショックだった。
思えば、初めて河合隼雄さんの名前を聞いたのは、もう
30年以上前になる。

学生運動している友人達が「河合のおっさんだけは本当に
食えんなぁ」などと話していた。おそらく、学生側が議論で
子供のようにはぐらされていたのだろう。
当時、法学部と教育学部は道を挟んで隣同士だったので、
その会話を聞いたのである。
その会話に興味を持ってもぐりで授業でも受ければよかった
とも思う。

その後、著書などで興味を持ち、講演会に何回か足を運び
いずみホールでのバイオリン演奏会も聞きに行った。

また、拙著を出した創元社から本をたくさん書いていて、
私のベテラン編集者が「昔、創元社で本を書く場所を提供した
ので今も恩義に感じて書いてくれるのですよ」と言っていた。

それよりも何よりも、学生時代の親しい友人が役所で河合隼雄
さんと一緒に仕事をしていた。彼に「どうだった」と聞くと、
彼は、「とにかくあの人と一緒に仕事ができる機会がもてた
のは 本当に良い経験だった」と語った。

「何がそんなにすごいねん」(私)
「いやぁ、とにかく色々なことに感動するんや。もちろん
レベルの高い芸術に携わる人は勿論やけれども、そうでない
人でも変わりなく、いつも感動している。
また、講演で話す時にも何も準備をしない、その日の会場の
聴衆の雰囲気や顔つきを見て内容を決めているようだった」
「お前それ、芸人やんけ!寛美さんみたいやな。」(私)
「そうなんや、まさに芸人なんや。普段は、冗談ばかり言って
いるが、文章を書いている時などは打って変わった表情で
取組んでいる場面に遭遇したこともある。」

そういえば、NHKの「ようこそ先輩」で後輩の篠山の小学生に
授業をした後に、感想を求められたときに、目に一杯涙を
ためて、答えていたのを思い出した。

実は、その友人も役所でのエライさんだが、少しも偉ぶる
ところがなく、明るい面しか他人には見せない。

彼がそこまで評価している人か、と思うと、やはりもぐりで
授業を聞きに行けばよかったと思うのである。



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kusunoki224 at 23:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)訃報 | 上方演芸

2007年07月23日

4)インタビューを受けました。(メンタルヘルスの対応ー組織対応編)

(昨日から続く)
昨日述べたように、個人の先達が重要であるとすれば、
管理者や組織側が、頭に入れておくべきことは、体験者
(メンタル不全だけではなく、病気などで休職した者も含む)
の活用であると思われる。

私の場合でも、生身の経験を持つ先輩のアドバイスこそが
一番説得力があった。
体験者の経験を早期発見がうまくできたり、部下の状況を
把握しやすくなるということにとどめるのではなく、
組織管理者として活躍してもらう視点も重要である。

病気などで休職体験を活かしながら活躍されている管理者も
思ったよりも多い。また、銀行の支店長経験者がメンタル不全
で休職した後、数年して支店長に復帰して業績を挙げている方
、また拙著(注)でも紹介したIT著名企業で自己の体験を
活かしながら部下の対応をきめ細かく行う上司などもおられる。

上司や組織管理者が、「会社本位スタイル」を緩めた生き方を
することは、自分一人のためにだけでなく、必ず周囲の人も
息苦しくない状況に置く。
私たちの息苦しさの多くは互いの眼差しが作りあっているもの
だからである。メンタルヘルスにおける本来の予防活動の
ヒントがここにもある。

(注)「ビジネスマン『うつ』からの脱出」(創元社)

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2007年07月22日

3)インタビューを受けました。(メンタルヘルスの対応ー個人対応編)

(個人対応編)
先週に、メンタルヘルスのインタビューで話した重要な
もう一つの点は、個人の側からのものだ。それは、先達の
重要性であり、組織側ももっと有効に打てる手立てがある
ということだ。
聞き手にもある程度の納得感を得られた思うがどうだろう。

私が、会社に復帰してから(もうずいぶん前の話になるが)は、
実際に体験された先輩のアドバイスが回復の過程で随分役に立
った。

医師やカウンセラーの方々によるメンタルヘルス対策は少し
極端に言うと『マイナスからゼロの世界』である。もちろん
これも大切であるが、本格的な回復という観点からみると
やはり自分のライフスタイルを変えないと、同じ状況に
陥る可能性が大きいと思う。

人生全体を考えたり、仕事に対する姿勢や心構えを変えること
によって初めて次のステップが見えてくる。その意味で実際に
経験された方の存在がありがたかった。

以前同じ職場だった先輩が、「私も本部異動になった時に、
過労と十二指腸潰瘍で3ヶ月休んだよ。でも入院した時は
『これで楽になれる』と思って、正直ほっとしたことを
覚えていますよ。また、きっちり治せば、もう会社で恐いもの
はなくなりますよ。」
会社の廊下でこれを聞いた時救われたような気持ちになった
ことを覚えている。

これはメンタルヘルスに限らず、がんなどの病気や思わぬ事故で
従来の働き方ができなくなった方も共通性がある。
むしろ会社復帰という意味では、長い育児休業後の復帰などとも
同じ平面で捕らえる課題かもしれない。

こういう見方は、個人にとって重要だ。また組織もそういうこと
を活用する視点が求められている。
                      (明日に続く)       

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2007年07月21日

自分の内なる声を聴け(朝日新聞be「こころの定年」)

今週の朝日新聞beの「こころの定年」では、銀行から、
上方文化評論家に転身した福井栄一さんに登場いただきました。
下記に文章をアップします。

       *自分の内なる声を聴け

上方文化評論家の福井栄一さん(40)は、8年前まで大手銀行
に勤務していた。小さい頃から無類の本好き。大学卒業時には
研究者になる道も頭に浮かんだが、経済的なことも考えて
銀行を選んだ。

当初は順調に業務をこなした。また母校である京大大学院法学
研究科に、勉強のため派遣されたこともある。
ところが、その後の東京勤務で体調を崩した。海外との折衝が
多く、毎朝早くから終電がなくなるまで働いた。上司との折り
合いもよくなかった。次第に睡眠不足で疲弊。勤務中に意識を
失って倒れ、半月ほど休職。大阪に転勤となった。

その後、たまたま日本舞踊のひとつである上方舞に出会った。
見に行った舞台で「扇一つですべてを表現する」吉村雄輝夫師の
芸に触れ、なぜか涙が止まらなくなった。演者は、きっと舞いが
三度の飯より好きなのだろう。「それに引き換え自分は、、、。
私は自分の、内なる声を聞いてきただろうか。いや、むしろ耳を
閉ざしていたのではないか」と思い、その夜に辞表を書いた。

いきなり辞めたので仕事も何もない。敬愛する吉村雄輝夫師に
アドバイスを受けながら上方文化の研究を始めた。以来8年で
8冊の本を刊行。週に1、2回は講演する機会もある。
伝統芸能だけでなく、陰陽道や上方言葉、地域問題など話題も
多い。話が面白くなければ、お客は席を立つ。すべてが自分の
責任だから、生きている実感があるという。収入は行員時代とは
比較にならないが、やりがいは逆である。
孤軍奮闘だが迷いもない。

組織で働く人々の悩みや惑いの中には、その人の本来の可能性が
宿っていることがあるのだ。


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2007年07月20日

2)インタビューを受けました。(メンタルヘルスの対応ー具体事例)

昨日からのメンタルヘルスの話での具体例を示してみたい。

1000名を超えるIT企業で、人事部に所属して、メンタルヘルス
専任者で活躍しているA氏の話を伺った。
内容が、非常にシンプルで、共感できる部分が多かったので
紹介させてもらう。

メンタルヘルス面での休職者も多くなったので、会社はA氏を
メンタルヘルスの専任者に任命した。
勿論A氏が興味を持っていたからである。

いくつかの具体的な対応、考え方を挙げると下記のとおりである。
(私自身の解釈も入っている)

・従来、年配の産業医だったのを、比較的若い精神科医に変えた。
 (PR効果は大きいと思う。精神科医には、組織の状況を開示
  すると更に効果は高まる)
 主治医も産業医が精神科医だと復帰の際などに連携が深まるとの
 こと

・長時間労働では、「うつ」にはならない。
 (同感で、むしろ課題は、「仕事に対する意味づけ」である)

・若手層のうつと中高年層とは分けて考える必要がある。
 彼は、若手の場合は、仕事に対する不適合が多く、治癒は困難。
 中高年は復帰しやすいという。
 (同感。一度組織に同化した経験がある人とそうでない人は、
  対応も異なると思う。年齢的には35歳くらいが一応の分かれ
  目と考える)

・メンタルヘルスの専任者になったが、休職者に対しても全て
 A氏が、自宅などで面談をして会社の状況や考え方を説明している。
 また、会社復帰プログラムも自ら作り、運用も自ら行う。
 (対応では、これが最も本質的な点である。私の経験からも
  これが一番効果があると思う。このレベルを期待するには、
  やはり専任者でないとできないだろう。しかも人事などポ
  ジションを持っている人がやらないといけない。
  大企業でも専任者は殆どいない。それほど関心がないこと
  を示している、ともいえる。)

・社外のEAPは、それ自体は余り評価していない。
 (私は、治療行為などは、外部でやったほうがよいと思うが、
  内部のマネジメントの筋が通っておらなければ、やはり意味
  がないと思う)

・(彼が、活躍している背景には、現場のSEの経験があること、
 採用を長くやり、従業員の個々人を良く知っていること、
 メンタルヘルスに興味を持っていることなど、経験的にも
 メンタルヘルス専任者の適格性が高い。)

気がついた主なものは以上である。
大手企業がやるべきことは一杯ある。

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2007年07月19日

1)インタビューを受けました。(メンタルヘルスの対応ー会社の主体性)

今週、メンタルヘルスに関してインタビューを受けた。
拙著の「ビジネスマン『うつ』からの脱出」(創元社)が
あるからだろう。
かつては週刊文春や週刊ダイヤモンドなどの取材を受けたが
今回は久しぶりだった。

最近も書店のメンタルヘルスのコーナーには、多くの新刊も
出て、雑誌にも取り上げられるが、残念ながら、本質を
外している議論が多いと思っている。
インタビューでは、そのあたりも意識しながら話した。

まず、大きなポイントは、会社の人事なり、経営が主体的に
動かないと効果は出ないと思い定めることだ。

私の場合もそうであったが、たとえば休職に入ると、周囲の
心使いも確かに大事であるが、会社との関係を外しては
それらも大きな意味を持たない。

仕事や会社にどれだけ傾注しているかは、人によってさまざま
だろうが、休職している立場からみると、
会社がどういう風に考えているか?、
リストラの可能性は?
元の職場に戻れるのか?
今後の会社での位置づけはどうなるのか? などなど。

このあたりの対応を具体的にできるかどうかがポイントである。
もちろんこの議論は、休職者の復帰を観点にしているので
組織防衛的なリスクマネジメントとは別物として扱わなければ
ならない。

抽象的な議論になっても理解を得ることはむつかしいので
現実にある具体ケースで述べてみることにしたい。

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2007年07月18日

名古屋で出会った「いい顔」の人達

最近いくつか名古屋のことを書いたが、行った目的は、
「こころの定年」に登場いただく方のインタビューである。

3人の方にお会いしたが、いずれも、こちらが元気をもらえる
方々で、本当にありがたい機会だった。
勿論、3人の「いい顔」が、大きな説得力を持っていたのは
言うまでもない。

・大手電気メーカーから独立して、墓石などの訪問販売で
 新たな世界を切り開いた方
・市役所の勤務を経て、50歳から「耳かき」職人に転じた方
・損害保険会社から、トマト農家に転じた方

プロセスは、各人各様であるが、いずれもその人のオリジナ
リティが、話の中に入っている。
また、長時間にわたり、丁寧に色々な話をいただいた。
全く頭がさがる思いである。
その分、「こころの定年」の内容を、いいものにするぞ、
という良循環ができる。

これからは、関西だけでなく、東京や名古屋にも足を
伸ばしながら、「いい顔」に会う旅を続けていきたい。


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2007年07月17日

「朋は、やはり良いものだ」

この春に私の変化に驚き、名古屋からやってきた
大学時代の友人と、同じくC電力に勤めている友人の
3人で名駅で会い、飲んだ。

待ち合わせは、「ナナンチャン」人形前。
ご承知の方も多いと思うが、東京のハチ公前や
大阪のロケット広場のような待ち合わせスポットである。
20数年前の新入職員時代もここでよく待ち合わせをした。
友人の軽い演出だ。

話していると、3時間くらいがあっという間だった。
会社生活の前から知っているので、話題はその頃の思い出
とこれからどうするかだった。
仕事の内容はほとんどなく、家族のこと親のこと、終の棲家
の件、など生活に根ざしたことが中心だ。

C電力の部長職も私が組織でうまくやっていくと思っていた
らしい。でも彼は「好きなことをやらないと、おもろないで」
という学生時代の私の言葉と結びつくという。

彼は昔、山野辺の道を歩いたり、剣豪小説が好きだったのだが
今も変わっていないことを知り、互いに大笑いだ。

どうやら、年をとるのは、成長している訳ではなく、かさぶた
みたいなものがつくだけで、人間の根元は変わらないという
ことに結論は落ち着いた。

こういう友が数人いれば、十分だなあぁ、と感じながら
ホテルのベッドに入った。


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2007年07月16日

山本屋本店の味噌煮込み(名古屋コーチン)を食べました

山本屋本店の味噌煮込うどんを名駅で食べた。
これも20年ぶりくらいだ。
食べると当時の新入職員時代の思い出がよみがえるから
不思議なものだ。

山本屋本店の煮込うどんは、岡崎産の八丁味噌(赤味噌)と、
名古屋産の白味噌の調合がミソだ。
社内でも味噌に関わる人しか知らないノウハウらしい。

食べ方も面白い。オリジナルの土鍋のふたを取り皿の
ように使う。そこにうどんや卵、だしを混ぜて食べる。
そうしないと、土鍋の中は熱くて舌がやけどする。
だからふたには、ほかの土鍋と違い、小さい穴がついていない。

上質の味だ。名古屋コーチン入りでご飯がついて1950円。
素材もいいが、値段もする。B級グルメに入るかどうか
微妙だが、思い出込みでOKとしよう。

「どえりゃ〜、うみゃ〜でいかんわぁ」
「どえりゃ〜高ヵいでいかんわぁ」


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2007年07月15日

テント師匠、テレビに現わる。

今日の「行列の出来る法律相談所」の番組放送中に、
テント師匠が突然現れた。
新助さんの前振りも面白かったが、出演者もどういう
対応をとったら良いか、分からない光景が興味があった。

「人間パチンコ」、「ウィ、ウィ、ウィ」といつものギャグ、
「ここで笑わないと後で笑うところはありませんよ」との
テント節が出ていた。

以前にも書いたが、昨日行った名古屋での新入職員時代を
思い出す。当時、坂東英二さんが、プロダクションを持って
いて、よく今池の芸音劇場に、上方の芸人さんを招いていた。

上岡龍太郎さんが来名する時に、弟子のテントさん
が一緒だった。
二人が舞台の上で、
「君の『年収』は、源泉徴収表でいくらだった」(上岡)
「それは、言えません。が、3万円くらいです」(テント)
とか、話してギャグにしていた。
そのあとの、テントさんの漫談を聞いていて、
「かっこいいなぁ」と感じたことを今も思い出す。

舞台の上で、自分の名前で、自分の芸だけで、お客さんに
対峙していたテントさんは、サラーリマンで安定ある
生活に落ち着いた私には、羨ましい存在だった。

最近、組織のバックや肩書きのない世界に来て、やっとのぞむ
入り口に来たような感じがある。
同時に、まだよちよち歩きどころか、立ち上がれていない自分
を感じてもいる。

50歳からと少し遅くなったが、「意味あること」を見つけること
ができたことを喜び、時間をかけて「芸」を磨いていきたいと
思っている。

テントさん、最近はどこに行けば、ステージを見ることができる
のでしょうか?


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2007年07月14日

「出る杭」になって開いた現在(朝日新聞be「こころの定年」)

本日の朝日新聞be「こころの定年」では、初めて女性に
登場いただきました。
下記に紹介します。

     *「出る杭」になって開いた現在
三井貴子さん(仮名49)は、ビジネス分野の研修講師。
勤めていた銀行の破綻を機に5年前に転身した。

銀行では、まず都心部にある支店に配属された。同期の
男性は転勤も頻繁にあったが、女性は全員が事務の仕事で、
異動もなかった。三井さんは、次第に同じ事務処理の
繰返しに飽きてきた。業務検定試験を受験して合格すると、
先輩女性のみならず、男性同僚からもよく思われなかった。
上司との面談で、転勤したいと大泣きしたこともある。
いつも、新たな世界を見たいと思っていた当時を
「出る杭でしたね」と、笑顔で振り返る。

応援もあった。上司しか出てはいけない電話を、三井さんが
取ってしまったことがある。たまたま職場の全員が席を
外していたためだ。夕刻、本部から「女性が応対に出た」と
次長に長い小言の電話があった。
次長は「部下を信頼していますから」とガチャンと電話を
切った。その時のことは、うれしくて今でも覚えている。
その後、担当の仕事がローテーション化されて、外回りの
営業も経験できた。

チャンスが巡ってきた。男女雇用均等法への対応もあって、
銀行は女性行員に業務研修を実施することになった。色々な
職務を経験し、業務検定にも合格していた三井さんは、
人事の研修担当に異動。活躍の場を与えられたのである。
なのに、銀行はバブルの後遺症で破綻してしまった。しかし、
三井さんは銀行時代に培った経験を生かし、現在は企業など
から研修業務を受託している。「70歳まで現役で働きたい」
とも語る。
「出る杭」となって格闘した経験は、必ず次の道を開いていく。


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2007年07月13日

「どえりゃー元気でいかんわぁ」

転身者のインタビューで名古屋にやってきた。
新入職員時代に過ごした土地なので思い出も多い。
駅前に出て驚いた。
大名古屋ビルヂングは昔のままだが、ツインのタワー
ビルを初め迫力ある建物が増え、JRから地下鉄東山線
までの人の多さにも戸惑った。
友人によるとトヨタが駅前に本社を構えてから、変わった
とのことだった。

その後、インタビュー先の大須観音に行く。
ここも大きく変貌した。20数年前は、寂れた感じが強か
ったが、マンションや電気店、新しい店も増えている。
元々中心街からも便利な地域だったが。

その中で「コメ兵」も完全に姿を変えていた。
確か、大須に本社があり、私がいた当時は、
「いらんものは、米兵に売ろう!」
のコマーシャルが頭にこびり付いていた。
中古衣料品などのイメージが、高級ブランドもの店に
変貌している。大阪の心斎橋でも店をみたことがある。

名古屋駅前の賑やかさ、大須観音の変貌、「コメ兵」
の転身、これらは、関連があるのだろうか、
それともたまたまなのか。

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2007年07月12日

神戸新開地の「いい顔」

昨日の「こころの定年/研究会」では、「いい顔」「顔つき」の
話が出た。少し自分のことも書いてみる。

<思い出>
私は、大学卒業後大手企業に入社以来、順調なビジネスマン生活を
続けてきた。ところが40代半ばで、急に会社に出勤できなくなった。
病院に行くと「うつ状態」との診断。

休職して途方に暮れた私に蘇ってきたのは、生まれ育った神戸新開
地の光景と人々だった。聚楽館、お笑いの神戸松竹座、邦画・洋画
の各映画館、春陽軒のぶたまん等々。

つっかけで歩き回れる庶民の街で、人間の素(す)を出しながら生きて
いたおっちゃん、おばさん、友達とその家族、皆の「いい顔」が
たくさん浮かんできた。それは、頭の中ではなく、まるで身体全体
で記憶を取り戻したような感覚だった。

昭和30年代、40年代、僕の周りには、会社勤めの方はほとんどいな
くて、商売人、職人さんが多く、友達も「○○屋さんの○○ちゃん」
がほとんどだった。
ビジネスマンは、会社や上司が求めるあるべき姿に、自分を合わせに
いこうとするが、当時の新開地の人達には、世界を自分に引き込み、
自分の足でしっかり立っている強さがありました。また今のビジネス
マンに比べて、収入も少なく、老後の保障もなかったのに、圧倒的に
「いい顔」をしていた。
どうやら、人の表情が輝いたり、魅力的になるのは、相対的な地位を
上げたり、合理的な思考を高めることから生まれるものではないの
だろう。

それから、私の「いい顔」探しが始まる。特に、ビジネスマンから
転身して、新しい挑戦を続けている人の話を聞いて聞いて聞き
まくった。およそ170名の方にお世話になった。これだけ没頭した
のは、10年後の自分の姿に対するヒントを探していたのだろう。
また、既得の利益に胡坐(あぐら)をかかずに、たった一人で再挑戦
する姿に当時の新開地のおっちゃん達の意気込みを思い出すことが
ある。現在は、朝日新聞be(土曜版)のコラム「こころの定年」で
毎週一人ずつ紹介している。

私の今後の夢は、新開地にゆかりのある人を描きながら、自分自身
のルーツをもう一度掘り起こすことだ。映画評論家の淀川長治
さん、漫才の中興の祖 砂川捨丸さん、推理小説の横溝正史さん、
漫画家の水木しげるさん、など多くの方がおられる。


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2007年07月11日

第12回「こころの定年/研究会」を実施しました

本日は、第12回「こころの定年/研究会」を実施しました。
今週の朝日新聞be「こころの定年」に
「「お接待」に学ぶ交流の原点」に登場いただいた
山下正樹さんにも出席いただきました。

山下さんは、大手都市銀行から、四国のNPOに転身,
それから「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋をつくる会」の
事務局長に再転身されました。

お遍路についての色々なお話も披露いただき大変楽しい
会合となりました。やはり団塊の世代が定年を迎える
こともあって、お遍路に参加する方も増えているとのことです。

バブル時は、副支店長として、夜の宴会、休日のゴルフと
接待攻勢をかけられてもいましたが、今はお遍路の
「お接待」に魅せられています。

印象的だったのは、銀行の現役時代と今と顔つきが
違うと周囲から言われるとのことでした。
参加した女性から、「今度各々の写真を見せてください」
との要望もありました。

秋には、この研究会でお話していただこうと思っています。
転身の話とお遍路と一回で二回美味しいことは間違い
ありません。お楽しみに。

なお、「顔つき」「いい顔」と言うのは、本当に重要だと
思っています。少し書いてみます。

*第12回「こころの定年/研究会」   
1.日時:7月11日(水)18:30〜20:45
2.場所:大阪産業創造館 (堺筋本町) 研修室
     http://shisetsu.sansokan.jp/access.html
3.当日の内容案:
―仞兵圓隆蔽韻兵己紹介(1人1分)
⊇仞兵圈楠木新からの話題提供
「サラリーマンが新聞の週刊連載をするとどうなるか」
C算間名刺交換
て鑢攷靴らの発表

4.会費:一般1,000円、学生500円
(どなたでも参加できます。メールkusunoki224@nifty.com
にてご連絡ください)
5.定員:30名程度
*********************
「こころの定年」評論家
楠木新(くすのき あらた)
kusunoki224@nifty.com
http://blog.livedoor.jp/kusunoki224/
*********************


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2007年07月10日

『誕生/中島みゆき』

(昨日からの続き)
昨日の「課外授業ようこそ先輩」の映画監督原一男氏が、
「生まれた時に、自分が求められ、喜ばれていたことを知って
いたら、苦しいことがあっても前に向って進むことができる」
とTV画面で述べていた時に、一昨日の高校の同級生U君のことを
考えながら聞いていた中島みゆきさんの『誕生』の歌詞が、
聞こえてきた。
全く同じことを述べていたのだ。
以前にも紹介したが、再び下記に記す(太線部分が完全に共時した)。

『誕生/中島みゆき』
【作詞】中島みゆき
ひとりでも私は生きられるけど
でもだれかとならば人生ははるかに違う
強気で強気で生きてる人ほど
些細な寂しさでつまづくものよ

呼んでも呼んでも とどかぬ恋でも
むなしい恋なんて ある筈がないと言ってよ
待っても待っても 戻らぬ恋でも
無駄な月日なんてないと言ってよ

 めぐり来る季節をかぞえながら
 めぐり逢う命をかぞえながら
 畏(おそ)れながら憎みながら いつか愛を知ってゆく
 泣きながら生まれる子供のように
 もいちど生きるため泣いて来たのね

Remember 生まれた時 だれでも言われた筈
耳をすまして思い出して 最初に聞いた Welcome
Remember 生まれたこと
Remember 出逢ったこと
Remember 一緒に生きてたこと

そして覚えていること

ふりかえるひまもなく時は流れて
帰りたい場所がまたひとつずつ消えてゆく
すがりたいだれかを失うたびに
だれかを守りたい私になるの

 わかれゆく季節をかぞえながら
 わかれゆく命をかぞえながら
 祈りながら嘆きながら とうに愛を知っている
 忘れない言葉はだれでもひとつ
 たとえサヨナラでも愛してる意味

Remember 生まれた時 だれでも言われた筈
耳をすまして思い出して 最初に聞いた Welcome
Remember けれど もしも思い出せないなら
私いつでもあなたに言う
生まれてくれて Welcome


Remember 生まれたこと
Remember 出逢ったこと
Remember 一緒に生きてたこと

そして覚えていること


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2007年07月09日

「課外授業ようこそ先輩」を観て

7月7日の土曜日の放送は、「母を撮る」で、奥崎謙三を追った
「ゆきゆきて、神軍」(ベルリン国際映画祭カリガリ映画賞、
パリ国際ドキュメンタリー映画祭グランプリ受賞)など異色の
ドキュメンタリー映画を撮った映画監督原一男氏が先輩だ。

「お母さんのことを知ることは、自分について知ることだ。」
と語り原一男氏が出した課題は、お母さんをテーマにドキュ
メンタリービデオを撮ることだ。

自分が生まれた時、母親は何を感じたのかを記録することも
勧めた。原氏は、自分の生まれた時のことを聞かないまま、
母親を亡くした。

撮影した映像を子どもたち自身が編集して、お母さんを迎えての
上映会が始まる。母と子の対話が、スクリーンに広がる。

課題の途中で、原氏は、自分の息子が中学生の時に自ら命を
絶ったことも率直に話す。
「生まれた時に、自分が求められ、喜ばれていたことを知って
いたら、苦しいことがあっても前に向って進むことができる」

と画面で述べる。

今回の課題の要点は、ここではなかったか。
昨日の「高校時代の同級生U君を悼む」を書きながら、一つの
歌詞が浮かぶ。
                     (明日に続く)



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2007年07月08日

高校時代の同級生U君を悼む

高校2年生の時の同級生U君が亡くなった報を聞いた。
東京の葬儀では、愛する家族と、多くの上司、同僚、
素晴らしい友人達に囲まれて幸せに旅立ったとの
同級生の話を聞いた。

昨年の10月に癌の告知を受け、余命に限りがあることを
知りながらも、彼らしくがんばっていたとのことである。

彼とは一年だけ同じクラスになっただけで、大学も東京と
京都に分かれていたし、殆ど会ったこともなかったが、
ショックは大きかった。

もう20数年前の新入職員の時に、日曜日に神戸から勤務先の
名古屋に戻って新幹線のプラットホームに降りて歩き始めた
ときに、私に向って社内側から窓をドンドン叩いく人がいた。
U君だった。
二人で左側の降車口を互いに合図して、出入り口で1分くらい
話した。

互いの勤務地・就職先、「神戸に帰えっとんか」位の会話だった
が、凄く楽しい気分になったことを思い出した。
そういうことを感じさせてくれる人柄だった。
東京の大学では、アメリカンの主将もやっていた。

彼の誕生日は、6月24日で、家族、同僚が盛大なお祝いを行って
彼は心から感謝の気持ちをあらわしていたらしい。
亡くなったのはその翌日。私の誕生日でもある。

闘病生活は抗がん剤の副作用等でとても苦しかったとのことである。
50年少しの人生を考えるとその無念さはいかばかりかと思う。
でも幸せの物差しは、その人の心の中にしかないので、気持ちを
推測するのは失礼なのかもしれない。

高二の時は、彼はアグネスチャンの大ファンだった。
今日の私は中島みゆきのCDをひたすら聞いた。

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kusunoki224 at 00:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)生老病死 | 訃報

2007年07月07日

「お接待」に学ぶ交流の原点(朝日新聞be「こころの定年」)

本日の朝日新聞be「こころの定年」には、大手都市銀行から
「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋をつくる会」の事務局長に
再転身した山下正樹さんに登場いただきました。

2年前と今年の春と2回お話を伺いましたが、その度に触発
されることが多く、お遍路さんについても、もう少し先には
始めようかと妻と話しています。

     *「お接待」に学ぶ交流の原点 
山下正樹さん(62)は、元は大手都市銀行に勤めていた。
バブル期には副支店長として、早朝から深夜まで働き、
休日はゴルフ接待。そんな毎日が続いた。

45歳の時、突然、リース会社への出向を命じられた。
出世レースから外れ、2年ほど悶々としていた。でも、
時間ができたので、地域の市民活動にも自発的に参加する
ようになった。

それが縁で、高知県で環境教育や自然保全活動を展開する
NPO団体の立ち上げに誘われ、転身を決意。58歳で早期退職
した。生活に区切りをつけるため、四国霊場をお遍路姿で
巡った。この体験が山下さんを思わぬ方向に導いていく。

お遍路を通じて人脈が広がり、お遍路さんが気軽に休める
小屋づくりに取り組む「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋をつく
る会」の事務局長に再転身した。

お遍路で山下さんの心をとらえたのは「お接待」だった。
見知らぬ人が、歩き疲れた自分にお茶や食事を提供してくれた。
手伝っている四国の短大の「歩き遍路体験実習」では、単に
大学の単位が欲くて参加していたはずの学生たちが、
「お接待」を経験して変わっていくのを見た。皆、なぜ
自分にこんなに親切なのかと驚き「誰かの役に立ちたくなった」
と感想文に記していた。

企業での「接待」は見返りを期待する。だが「お接待」は
自ら進んで与える無償の行為である。「人にしてあげる」
ではなく「人にさせていただく」という気持ちが、人との本当
のつきあいを生む。これはボランティアの原点であるともいう。

山下さんは現在、大学で学んでいる。
卒論のテーマは、「お接待」である。


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2007年07月06日

南方熊楠の脳(特別展「脳!−内なる不思議の世界へ」 )

この5月まで大阪歴史博物館で行われていた、
特別展「脳!−内なる不思議の世界へ」の話が職場で
出た。前にも書いたように、やはり南方熊楠の脳の
ことが話題になった。

私も、熊楠の脳の展示の前で、近くにいた大学生と思しき
グループが「普通の人と並べてもらわないと分からない」
と話していて「普通の人とはどんな人?」と突っ込みたく
なった。

当然ながらソフト部分、おそらく好奇心の強さが熊楠の
ポイントでそれは形や形状のような目に見える差異では
ないのだろう。

これで思い出したのが、鶉(うずら)の脳を鶏(にわとり)に
移植したら、どうなるかという実験がある。
いわゆるキトラを人工的に作り出す実験である。

泣き声は鶉(うずら)の声になるが、数日すると、その生物は
死んでしまうらしい。

東大名誉教授の多田富雄氏は、免疫学の見地から身体の細胞が
異物が侵入したということで、脳を排斥するとの説明をしている。

脳は万能ではなくて、やはり身体全体が本質ではないかと
いうことだろう。
そういう意味では、熊楠の脳自体を取り出して、議論する意味は
何か、という問題にもなりそうだ。

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2007年07月05日

再び・映画「こんばんは」

先週、インタビューに、ご協力いただいた方と一緒に、映画
「こんばんは」を近江八幡市の会場で観た。

以前にも、紹介したが、やはり素晴らしい映画だったので
過去の感想をもう一度、書いておきたい。

「2年ほど前に、神戸新開地の神戸アートビレッジセンターで
開催された映画会に足を運んだ。
上映されていたのは東京の墨田区にある夜間中学を扱った
「こんばんわ」というドキュメンタリー映画であった。
その中で一番驚いたのは、早く生徒に会いたくて、毎日
最寄の駅から駆け足になる先生の姿だった。
その先生は「周りから見たら、いつも走っている人だと
思われているでしょう」と笑いながら語っている。

この夜間中学では、さまざまな理由で義務教育を受けることが
できなかった人達が学んでいる。
家が貧しくて学校に行けなかった年配の男性、在日コリアンで
文字の読み書きを学んでいる年配の女性、日本語がままならない
アジアから来た若者、不登校で引きこもりの中学生など年齢も
15歳から91歳までさまざまな生徒さんが集まっている。

教室も落ち着いた雰囲気で、そこでは不思議なやさしさと
暖かさに包まれたゆったりした時間が流れている。
勉学に一生懸命取組む姿に胸をうたれるとともに、宮沢賢治の
「雨にもマケズ、風にもマケズ」の一節の「一日に玄米四合
と味噌と少しの野菜を食べ」のくだりでは、
「そらっ、食べ過ぎや」など思わず笑ってしまう光景もある。

不登校で一言も話さない「しんちゃん」に、年配の生徒が
いつも声がけをすることによって、少しずつ表情が緩み、
言葉を発するようになった姿が印象的であった。この教室では
「先生が希望を語り、生徒が喜んで学ぶ」というシンプルな
教育の原点が息づいていることを感じた。

この映画が神戸の新開地という淀川長治さんを生んだ映画の地
で上映されたことに意味を感じるとともに、どなたが企画した
のだろうかと思った。
またこの駆け足になる先生は、山田洋次監督の映画「学校」の
モデルの一人でもある。いずれにしても、この地で育った私は
誇りのようなものを感じた。

神戸や大阪で電車を降りたサラーリマンや学生が、改札口を
出ると会社や学校に向って駆け足で走り出すような時代が来れば
面白い。
その実現に向けてささやかでも貢献したいと思っている私です。


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2007年07月04日

続「書くことで何がしたいのか」

正面から聞かれると、戸惑うが、今の所下記の内容くらいか。

「私は、「組織に一定期間在籍した後に転進して、次のステップで
『いい顔』をされている方」に長時間のインタビューをしている。
例えばNHKの記者から落語家に転じた方、鉄鋼会社から蕎麦屋を
開業された方等々、総数で150名にご協力いただいた。

「次はサラーリマンが動く(転進する)番」だと思っており、
その流れに貢献できるよう一定のポジションをとるつもりである。
まずはインタビューを基礎に、組織で働いている方々に「これしか
ない」ではなくて「それもあるかも」を感じてもらう取組みから
始めている。

具体的には一昨年の秋口から、人事・労務雑誌などに寄稿、市民
セミナーで講演、ラジオでインタビューを流し、ブログを毎日書き
、自ら研究会を立ち上げた。
しかしその思いや内容をうまく伝えることは一筋縄ではいかない。
同時に自分自身を売ることの必要性も感じている。 本を書くことも
重要な選択肢の一つである。

このため弱点である「書くこと」を充実させないとどうにもなら
ない。過去に自分の経験を中心に本を著したことはあるが、多人数
のインタビューを料理していくには、50歳を超えてひと皮むけな
ければならない。」

*第12回「こころの定年研究会」を7月11日(水)に行います。
多くの方のご参加を期待しています。
今回は、私、楠木新が、出版に到った経緯やコラム連載になった
経緯を示して、参加者で「書くこと」などについて、意見交換
ができればと考えています。
(詳しくは、下記ブログを確認ください)
http://blog.livedoor.jp/kusunoki224/archives/50938160.html


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2007年07月03日

「書くことで何がしたいのか」

先月、本の出版やコラムの連載に到った経緯を示して、
皆で議論してみたいとの話があった。
それで、次回の「こころの定年/研究会」では、私が、
問題提起することにした。
その時に、同時に「書くことで何がしたいのか」
とも聞かれた。

私はライターでもないし、勿論作家を目指している
のでもない。また書くことが好きでもない。
どちらかと言えばめんどくさがりである。
しゃべりの方が、はるかにレベルがあると思う。
面接試験に落ちたことはない。

でも話すことでは、後に残らない。伝えるのに限界がある。
自分お考えを伝えるには、やはり「書くこと」は欠かせない。

最近、朝日新聞be「こころの定年」のコラムに対して、
読者の方から感想をいただくと本当に嬉しい。
私が、書いたことが、全然見ず知らずの、遠く離れた人に
何らかのことが伝わる。
考えてみれば、これは凄いことだ。
子供の頃の雑誌に「OO先生に励ましのお便りを送ろう!」
という文言を見たが、あれは本当に励まされるのだと言うことが
よく分かった。

一応「書くことで何がしたいのか」を書いてみよう(明日に続く)

*第12回「こころの定年研究会」を7月11日(水)に行います。
多くの方のご参加を期待しています。
今回は、私、楠木新が、出版に到った経緯やコラム連載になった
経緯を示して、参加者で「書くこと」などについて、意見交換
ができればと考えています。
(詳しくは、下記ブログを確認ください)
http://blog.livedoor.jp/kusunoki224/archives/50938160.html


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2007年07月02日

映画「フラガール」

昨日は、家族と映画「フラガール」を見た。
結構、評判だったので、前から観たいと思っていた。

舞台設定は、昭和40年。
この時代は、高度成長によって大きく生活様式も変わった
分岐点に近い時期だと思う。
パッチギの背景も、昭和45年あたりだと思う。

エネルギー需要が、石炭から石油へとシフトして、炭鉱の
閉山が続く時代背景である。
そこで、福島県の炭鉱会社は、地元の温泉を活かしたレジャー
「常磐ハワイアンセンター」の計画を進めるシナリオ。

「このままでは炭鉱がなくなる」と言う危機感から、困難を
乗り越えて、センターを発展させた。
 
展開、トピックとも興味ある内容が続く。
私が興味を持ったのは、南海キャンディーズの山崎静代も
面白かったが、富司純子、岸部一徳などの配役である。

昭和40年代は、富司純子は「藤 純子」として、「緋牡丹博徒」
シリーズが大ヒット。「緋牡丹のお竜」こと矢野竜子役の
人気は凄かった。新開地の映画館、新劇などでよく見た。
高倉健と並ぶスターだった。
また、岸部一徳は、昭和40年代を席巻したグループサウンズ・
タイガースのリーダーである。

この二人は、この時代を呼び起すため、潜在意識に訴える
役割を果たしているのではないか。

私は「パッチギ」に軍配を上げたが、娘は「フラガール」だった。



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kusunoki224 at 23:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)映画 | 神戸新開地