楠木新(くすのき あらた)
楠木新の自己紹介

*講演・セミナー・研修および取材などの
お問い合わせは、kusunoki224アットマークnifty.comまでお願いいたします。
※アットマークを@に代えてください

2007年09月

2007年09月30日

若い女学生さんからのインタビュー(父と娘の就活日誌)

「こころの定年」のインタビューも100名を超える方に、ご協力
いただいた。本当にありがたいことである。
ただ、最近は、逆に私の方がインタビューを受けることもある。

印象的だったのは、二人の若い女学生さんから話を聞かれたことだ。
私が「こころの定年」のインタビュー対象者を、どのように見つけ
出し、アプローチして話を聞いているかをアポのとり方なども含めて
教えてほしいとのことだった。
二人とも対象者に話を聞くところで戸惑っているようだった。

一人は「定年後、ボランティア活動でいきいきしている男性」を
卒業論文のテーマにインタビューしている女子学生。私がお世話に
なったボランティアのNPOからの紹介。

もう一人は心理系の大学院で修士論文に取り組んでいる女性。
彼女は「中高年男性の居場所」をキーワードに転進した人に話を
聞いている。二人とも地方から関西に来て学んでいる。

二人が論文を書く本当のきっかけを聞いて驚いた。二人とも
お父さんだったのである。自分のお父さんが、定年になると
元気でやっていけないのではないかと心配して研究内容を
決めたという。

たしかに一人の中高年の男性がどのように仕事に取り組むかは、
その周りの家族にも大きな影響を与える。 
ある転進者は「家族新聞」を作成して危機を乗り切ろうとしていた。
夫の会社での出来事、妻がパートの仕事場で感じていること、
中学生の長女のクラブ活動での話、小学生の長男の将来の夢を、
一枚の大きな紙に「学級新聞」さながら皆で書き込むそうだ。
「家族新聞」を必要としている家庭は多いのではないかと
感じながら話を聞いていた。また転進時にイライラしていたことが
原因で小学生の息子が学校に登校できなくなったと語る方もいた。

私は二人の学生さんに同じことを言った。「自分のお父さんが
心配で、この論文を書いていると率直に話したほうがよい。」
きっと依頼されたおじさん達は身を乗り出して話してくれるに
違いない。



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2007年09月29日

病を機に見つけた新しい道(朝日新聞be「こころの定年」)

本日の朝日新聞be「こころの定年」には、大手メーカーから、
帝塚山大学経営情報学部 教授に転身された高瀬宜士さんに、
ゲストスピーカーをお願いしています。

高瀬さんは、入社以来、順調な会社生活を送られていましたが、
30代半ばに直接の上司と仕事の姿勢が全く合わず、医師から
「自律神経失調症」の診断も受けたそうです。
その後、会社に対する姿勢も転換されて、時間をかけて専門分野
の研究に取り組まれて、大学教授に転進されました。

なお、今週の10月3日(水)「こころの定年/研究会」のスピーカー
をお願いしています。
記事も参考に、議論できればと考えています。
研究会については、9月13日のブログをご覧ください。

      *病を機に見つけた新しい道
コンピューターのシステム監査を専門にする帝塚山大の高瀬宜士
教授(58)は、5年前まで大手企業に勤めていた。

ソフト開発部門を中心に順調に出世街道を歩んだが、30代後半に
会社人生が暗転する。直接の上司と、仕事の姿勢が全く合わなか
ったのだ。販売に重点を置く上司と、ソフトの充実を主張する
高瀬さん。会議のたびに、上司から厳しく批判され、担当を途中
で外されたこともある。

不眠がちになり、微熱が2年余り続いた。医師の診断は「自律神経
失調症」。一時は死も頭をよぎった。妻は退社を勧めたが、
今辞めると自分に負けると、何とか出勤を続けた。資格があれば
転職できると考え、微熱を押してシステム監査の試験に挑戦。
2回目で合格した。40歳の時である。それがきっかけで新設の
職場に異動。体調は回復した。

高瀬さんはこの経験を通じて、自分が出世を重視するあまり、
仕事に比重をかけ過ぎていたことに気付いた。だから体調を崩
したともいえる。同時に、人の喜ぶ顔が見られる仕事を求めて、
専門研究を進めつつ、教師を目指すことを決心した。

論文を書き、学会発表にも取り組んだ。01年には阪大の博士
課程を卒業し、博士号も取得。その後、現在の大学に転進した。

学生と触れ合う毎日は、とても楽しいという。最近、とても
うれしい出来事があった。ゼミの卒業生が、高瀬さんが勤めて
いた会社の関連会社の採用面接で、「高瀬教授が勤めた会社だ
から、自分はここで働きたい」と発言したというのだ。

ストレス性の病の治癒とは、体が元に戻ることよりむしろ、
新しい道を見つけることなのかもしれない。




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2007年09月28日

「男はつらいらしい」(父と娘の就活日誌)

今日、金曜日に紀伊國屋本町店で、読売ウィークリーの記者
である奥田 祥子さんのミニトーク会があった。
インタビューでお世話になったYさんが、紹介してくれた。
私の「こころの定年」にも関係があるかと思い参加した。

奥田さんが書いた新潮新書「男はつらいらしい」の話だった。
本の構成は
第1章 結婚できない男たち
第2章 更年期の男たち
第3章 相談する男たち
第4章 父親に「なりたい」男たち 
から成り立っていて、しんどいのは女や若者だけじゃなくて、
働き盛りの男たちこそ、つらい状態にあることを主張している。

第4章の父親に「なりたい」男たち、の「立ちすくむ父親」の
話に興味を持った。

具体ケースは、50代半ばの大手情報サービス会社に勤める部長職
の父親が主人公。有名私大の4回生である息子に、面接試験に廻る
会社を5社示した。息子は、その会社の面接を受けたが、全て駄目
だったので就活をする気がなくなった。
それを見て、父親は、立ちすくみ、何も言えなくなった。

そこで母親が登場して、自分にあった仕事を探すNPOに参加
させ、翌年、SEの仕事と決めて会社の面接を受けると何社も
続けて内定が出たとのことだった。

なぜ、父親である彼は、立ち往生したのか?
自分の価値観を子供にも押し付けようとしたが、それがうまく
いかないとわかっても、次の手が打てなかったのだろう。

50代半ばまで、一つの価値観で通して来れたのはある意味では
幸せなのだろうが、部長職の立場を自分で客観化できなければ
息子に対峙するのは難しいのかもしれない。

先日、信用金庫の支店長から「ユーモアコンサルタント」に
転じた矢野さんが言っていたように、
信用金庫の支店長でストレスに悩まされていたら、
「おそらく、『信用金庫は、辞めといたほうがよい』
くらいしか言えなかった思う」との回答にもつながっている。

第13回 「こころの定年/研究会」を、10月3日(水)に行います。
多くの方のご参加を期待しています。
今回は、大手メーカーから、帝塚山大学経営情報学部 教授に
転身された高瀬宜士さんに、ゲストスピーカーをお願いしています。
詳しくは、9月13日のブログをご覧ください。


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2007年09月27日

松原泰道師、今年100歳

以前、大手の電機メーカーの方が主宰されていた会で、軽井沢で
座禅と法話をいただいた方がいる。
当時、龍源寺住職だった松原泰道師である。

先日の敬老の日(十七日)を前に、石原慎太郎知事が、11月に
百歳を迎える松原泰道師を訪れ、長寿を祝福したとの新聞記事が
出ていた。
石原知事とは旧知の間柄らしい。

知事が「今もあちこちで講演していますか」と尋ねると、
「ほんのわずかで四、五カ所」と松原さん。
「死ぬまで仕事をしなきゃいけないと思う」と付け加えたらしい。
                     (産経新聞)

当時は確か90歳位だった。明治40年生まれだ。
軽井沢で3日間ほど座禅三昧だった。お孫さんが、座禅の指導を
してくれた。たしか、学生時代アメフトをやっていたという
イケメンのかっこいいお坊さんだった。
その間に、松原師の法話があった。

ただ、座禅は身体の硬い私には、不向きなのか、軽い40肩の症状
がでて、しばらく大変だった。

でも松原泰道師の法話は、自然体で素晴らしかった。
90歳にもなると存在自体で、説得力があり、オーラを感じたのを
覚えている。あれは一体何なのだろう。

記事で、若い人に伝えたいことは聞かれ
「今の若い人は本を読まず、考えようとしない。根源にかえって、
思索することを勧めたい」と知事に説いたらしい。
若い人には、私も入っている。


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2007年09月26日

2)「好きなことを仕事にする」ことでいいの?(父と娘の就活日誌)

昨日に続いて、エル大阪で「若者論」のシンポジュウムがあり、
そこで、K大学のK教授といくつか議論になったので、
引き続き紹介したい。

K教授は労働経済が専門で、新書も含めて多くの本を書いて
いるが、現場の声を多く集めており興味ある話が聞けた。

<シンポジュウム発言>
楠木:
そうです。まず、自分にとって意味があるということが重要です。
次に、社会の要請に応えているかどうかだと思います。
だから先ほども、若い人が「好きなことを仕事にする」とよく
発言しています。

転身者のインタビューをしていて、ちょっと違うなと思うのは
彼らは好きなことを仕事にするんじゃなくて、自分を使って何が
できるかを考える姿勢があります。自分をいったん客体化して、
自分が役に立つかどうかを測る姿勢がある。


それは介護だとか福祉だとか環境だとか、そういう総論のきれいな
言葉ではなくて、自分がやってることが意味あり、かつ社会的要請
に応えようとしているか。
簡単にいえば「誰かの役に立つ」ということです。その姿勢が
大事かなと思います。だから「好きなことを仕事にする」という
ことだけでは、結果として何もできないのではと私は感じています。

発言(K大学教授):
まったくそのとおりですね。
自分の好きなことを仕事にするというのは、村上龍の
『13歳のハローワーク』の影響もかなりあって、それは一番
耳に入りやすい。ですけど、仕事の過程そのものが面白いとか
好きとか、ほとんどそんな仕事はないと考えていい。

職業構造というのは、やっぱりしんどいことだけど誰かのため
になっているということが人を働かせるのだと思います。

だから若者が仕事に向き合う場合に、あなたの個性を発見しな
さい、自分探しをしなさいを、「自分の好きなことをする」に
結び付ける考えには、社会性がないと思います。

年寄りの説教になって申し訳ないけれども、自分を発見すると
いうことは社会に出会うということであって、それは自分でも
この点では役に立てることを発見することであるというのが、
実は一番健全な労働観だと私は思います。


楠木:
K先生の考え方に、私も近いと思います。
一つの組織でやるのもやり方だし、組織にそぐわないのなら他で
やるのも全然かまわない。
ただ、人事とかで採用をやっていたときの経験でいうと、やはり
若い時に、一定期間組織で働くという経験は、比較的人を鍛える
という感覚を私自身持っています。


一般発言:
お話を聞いていろいろ勉強になったのですけれども、私も来年
就職する予定で、感想なんですけど。
一方でフリーターとかニートとか、そういう職場にとらわれない
生き方みたいなのに憧れるというか、会社人間にならなくても
いいじゃないか、というような思いの一方で、でもまあ3年
ぐらいは会社人間として働いて、組織の中に埋没して、組織と
いうのを見てみようという意識があり、私のなかで両立してる
というか拮抗しているというのが率直な気持です。

司会:
会社人間に埋没してみようかなという感じと、
「留まれ、留まってみよ」とではだいぶ意味合いがちがうの
ではと思うのですが、そのあたりはどうでしょう。

発言(大学教授):
私は、そもそも会社人間になるということが若者たちに語られる
とは、あまり思っていません。
普通の若者は、そんなに強いコンセプトを持って就職するの
ではない、そのことの基本的なとらえ方が大事だという気が
します。


楠木:
学生のうちは、やはり仕事への実感はないでしょう。
「会社人間」とか頭で考えていることは、会社に入って働いて
みるとすぐに吹き飛んじゃうぐらいのものかも知れません。

昔より厳しくなっている状況もありますが、とにかく入って
みて考える、やってみるべきです。どんなビジネススクールに
行くより会社に入る方が、私は勉強になるのじゃないかなと
いう感じは持っています。

もちろん、嫌な上司と毎日飲みに行かなあかんとか、自分の
存在を否定される言葉を投げつけられることもあるかも
知れないけれども、それも現実の社会なのです。
そのなかで意味を見つけることが大人になることだと思って
います。


第13回 「こころの定年/研究会」を、10月3日(水)に行います。
多くの方のご参加を期待しています。
今回は、大手メーカーから、帝塚山大学経営情報学部 教授に
転身された高瀬宜士さんに、ゲストスピーカーをお願いしています。
詳しくは、9月13日のブログをご覧ください。


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2007年09月25日

1)就職時に自分らしさはあるの?(父と娘の就活日誌)

一昨年、エル大阪で、「若者論」のシンポジュウムがあり、
そこでスピーカーとして発言したときに、K大学のK教授と
いくつか議論になったので、紹介したい。

K教授は労働経済が専門で、新書も含めて多くの本を書いて
いるが、現場の声を多く集めており興味ある話が聞けた。

ポイントは、散漫になるが、以下に紹介する。

発言◆複紡膤悖剖擬)
まず若者について考えた場合、
企業との対抗関係で仕立てるような自分らしさというものを、
そんなにいつも意識しているわけではない、ところから
出発した方がいいと、私の大学の体験から思います。

いわば完全にノンイデオロギーなんですね、学生は。だから
できたら真面目に就職して、と考えるのが当たり前で、それで
勉強もするし、特に求人が多かったときには就職する、
こういうことだった。

それで、企業に入ったときに、そういうノンイデオロギーで
どう自分が企業と離れるのか。考えられるのは、一つは、
楠木さんになぜその仕事を続けられなくなったかという内面の
ことをもうちょっと伺がいたい気持はあるのですが、
つまり企業における事業の社会的な意味みたいなものが、
何らかのかたちで世の中のためになっているのでなけ
れば、企業で一生懸命やっていることに疑いをもつのではない
かと思います。
あるいは、自分のやりたいことが命令系統
と違う場合、「降りる」ということになるのでは。もうちょっ
と低位職務の場合だったら、単純労働ばかりでやりたいことが
もっとある、ということですね。

いずれにしても若者の場合に、初めから自分らしさというのが
あるとして、そこから出発するということは率直に言って
できないのではと思います。

そんなに緊張関係なく企業に入って、そこで仕事においての
自分の役割を自覚したりして、誰かのために自分は働いて
いるんだ、役に立っているんだ、というようなことで、
そのままその会社に定着していくということは、大胆に言えば
そういう人は幸せです。それを否定することは誰にもできない。
ただ、それがなかなか難しくなってきているということだと
思います。

b>司会:そうすると、楠木さんにお伺いしたいのは、最初は
ごく自然に、就職するのがあたり前だったということですか。


楠木:
私なんかが入ったときには、みんな定年までいくと思って
いて、実際そんなに辞めてはいない。教師になるとか、家業を
継ぐとかで一部の人は辞めましたが、大半はなんやかや言っても
続けています。

 多分いま入ってきた人が早く辞めるのは、私なんかが企業に
いる立場から考えると、まず先輩がいきいきしていない。
課長クラスの顔つきなんか、私が入ったときと圧倒的に違うと
思います。だから計算する、自分が10年後にはこんなオッサン
になるんか、と。20年後、役職に就いてもこんなオッサンか、
と。もちろん、みんないい人なんですけどね。
でも顔つきがよくない人が増えている。それを若者はものすごく
早く計算するのだと、私なんかは思っています。


私のときは、まだいきいきしていた。仕事が広がるという
イメージが、世の中全体にもあった。給与が多い少ないという
よりも、右肩上がりなのか、右肩下がりなのかが人間の雰囲気に
ものすごく影響を与える、というのはものすごく実感として
あります。
 ですからむしろ企業側のマネジメントがイメージチェンジ
しない限りは、いい人が長く定着できない時代になってきて
いると思います。もう一つは、豊かさもあると思います。
やっぱり貧乏でしたら、しがみついてでもと思っていたのが、
そうじゃなくなってきていることも大きいと思います。

また先生の「何らかのかたちで世の中のためになっているので
なければ、企業で一生懸命やっていることに疑いをもつのでは
ないか」
と言うのは、私には当てはまります。
40代くらいから、そういう課題がありました。
インタビューでも40才くらいから揺れ始める人は多いです。


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2007年09月24日

新開地物語(後編)

劇団四紀会の50周年記念公演「新開地物語・後編」を観た。
新開地の「神戸アートビレッジセンター」で行われた。

面白かった。
自分の昔の頃を思い出し、自分のエピソードもかぶってくる。
遊郭で働かざるを得なくなった小雪と映画評論家になった
男性との恋愛劇である。

当然、映画評論家は、淀川長治さんをモデルにしている。
淀川さんの神戸二中のエピソードも盛り込まれている。

戦前、新開地で毎日、映画ばかりを観ていた淀川少年は、
二中の職員室に呼ばれ、新開地を歩き回ることを注意される。
その時、淀川少年は、注意した若い先生に、いかに映画が
すばらしいかを語る。

数日後、また職員室に呼ばれた。何かと思っていくと、その先生が
「いやぁ、面白かった。世の中にあんな楽しいものがあるとは
知らなかった」それ以後、映画は黙認になったとの話である。

私の小さい頃には、そういう雰囲気があった街である。
「おもろいことやらんで、どうするんや」
最近になって、私も参戦し始めた。

今回の「新開地物語・後編」の劇団が配布したPRのチラシに、
私の文章も載せてもらった。ありがたいことである。
以下に紹介する。
         
          *新開地の「いい顔」

私は、昭和54年に大手企業に入社以来、順調なビジネスマン生活を
続けてきました。ところが、40代半ばで、急に会社に出勤できなく
なりました。病院に行くと「うつ状態」との診断です。
休職して途方に暮れた私に蘇ってきたのは、生まれ育った新開地の
光景と人々でした。聚楽館、お笑いの神戸松竹座、邦画・洋画の
各映画館、春陽軒のぶたまん等々。
つっかけで歩き回れる庶民の街で、人間の素(す)を出しながら生き
ていたおっちゃん、おばさん、友達とその家族、皆の「いい顔」が
たくさん浮かんできました。それは、頭の中ではなく、まるで身体
全体で記憶を取り戻したような感覚でした。

昭和30年代、40年代、僕の周りには、会社勤めの方はほとんどいな
くて、商売人、職人さんが多く、友達も「○○屋さんの○○ちゃん」
がほとんどでした。

ビジネスマンは、会社や上司が求めるあるべき姿に、自分を合わせに
いこうとしますが、当時の新開地の人達には、世界を自分に引き込み、
自分の足でしっかり立っている強さがありました。また今のビジネス
マンに比べて、収入も少なく、老後の保障もなかったのに、圧倒的に
「いい顔」をしていました。どうやら、人の表情が輝いたり、魅力的
になるのは、相対的な地位を上げたり、合理的な思考を高めること
から生まれるものではないのでしよう。

それから、私の「いい顔」探しが始まりました。特に、ビジネスマン
から転身して、新しい挑戦を続けている人の話を聞いて聞いて聞き
まくりました。およそ170名の方にお世話になりました。これだけ
没頭したのは、10年後の自分の姿に対するヒントを探していたの
でしょう。また、既得の利益に胡坐(あぐら)をかかずに、たった
一人で再挑戦する姿に当時の新開地のおっちゃん達の意気込みを
思い出すことがあります。
現在は、朝日新聞be(土曜版)のコラム「こころの定年」で毎週一人
ずつ紹介しています。

今回、たまたま劇団四紀会の「続・新開地物語」の上演を知り、劇団
員の方とも話す機会もいただきました。私の故郷を背景にした、この
劇に大いに期待している訳です。

私の今後の夢は、新開地にゆかりのある人を描きながら、自分自身
のルーツをもう一度掘り起こすことです。映画評論家の淀川長治
さん、漫才の中興の祖 砂川捨丸さん、推理小説の横溝正史さん、
漫画家の水木しげるさん、など多くの方がおられるのです。

第13回 「こころの定年/研究会」を、10月3日(水)に行います。
多くの方のご参加を期待しています。
今回は、大手メーカーから、帝塚山大学経営情報学部 教授に
転身された高瀬宜士さんに、ゲストスピーカーをお願いしています。
詳しくは、9月13日のブログをご覧ください。


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kusunoki224 at 23:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)神戸新開地 | 映画

2007年09月23日

(雑談)今なら、どの会社に訪問するか?(父と娘の就活日誌)

先日、車の中で、私の娘は大学三年生でこれから会社訪問の
時期。今からだと、皆はどの会社に訪問するか?を投かけて
みた。

結構この話は、盛り上がった。
A:44歳。MBA留学。金融機関勤務。関西出身。
B:39歳。金融機関勤務。関西出身。

AもBも大阪府や神戸市などの公務員に対する評価が高い
のに驚いた。
楠「でも、公務員の仕事はおもろいか?」
Å「今の金融関係の仕事は、どこも面白いとは思えない」(笑)
(そうか、仕事をそれほど楽しめてないのだ。=最近そんな
ことも関心外になっている)
B「楠木さんは、どこを廻ります?」
楠「地方公務員には興味はないが、やはり地元志向というか、
  阪急とかの電鉄や、ちょっと大きくなったが、ダイキン
  とか、、、」
Å「僕は、大きくなくてもよいから、これだという圧倒的な
  シェアを持っていたり、特殊なパテントのある会社なん
  なかが、いいなぁ、と思いますね」
B「貨幣の特殊技術を持っている姫路のグローリーとか」
楠「銀行でも、三井住友よりも、池田銀行や尼崎信用金庫の
  方がいいかも入れない。」
Å「メガバンクだと、使い捨てになるような気もしますね」
楠「昔は、大手しか目に入っていなかったが」

Å「就職は結婚と同じで、分からないまま決めざるを得ない」
楠「そういう意味では、人生の早い段階で、後半生に大きな
  影響を与える重大事を決めないといけない。少し不合理
  でもある。また年を経ると会社の景色も変わる。」
Å「誰にとっても、いい会社は存在しない。」
楠「いまだと、どれ位のスパン勤めるとして会社選びをすれば
  よいのかなぁ。娘には5年位で社会常識を身につけるので、
  いいんじゃないかと。それから機能発揮を考えるとして
  10年かなあ。だから社員の育成に、じっくり取り組んで
  くれるところも条件にしたら、と言っている」
Å「企業の下働きを考える位なら、米国のMBAにチャレンジ
  した方がいいですよ。馬鹿らしいと思う人も多いですよ」
楠「彼女はそこまでは、考えていないでしょう。Åさんこそ
  今から何かやれば?MBAも持っているし。」
Å「何もできないでしょう」

楠「では就活には、どんな情報があれば良いのかなぁ」
B「やはり人からだと思いますよ。でも今から考えるとリク
  ルータ−も若い人が中心。もっと僕らのような40歳位の
  社員がニュートラルに話してくれる機会があれば一番いい。
  それでないと、若い人では、わからない。」
A「企業がそんな人に会わせてくれる?」
B「無理です。自分で探すしかない。知人・同窓会を通じて」
Å「確かに、そういう人に会うのは意味がある」
楠「そうだしたら、親と話をするのも重要じゃないか。
  足元に貴重な人がいる」

一般には、親は就活に関わっているのか?
教育に関わるよりも重要だと思うのだが、どうか。



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2007年09月22日

人生は「三毛作」時代に(朝日新聞be「こころの定年」)

本日の朝日新聞be「こころの定年」では、作家の加藤廣さんに
登場いただいた。
数年前「信長の棺」が大ブレイクし、読むとなかなか面白い。
そして経歴を見ると二度の興味ある転身をされているので、
以前から是非話をうかがいたいと思っていた。
このブログにも加藤さんのことを2,3回書いている。

休日のホテルのロビーで1時間弱のインタビューだった。

       *人生は「三毛作」時代に
「信長の棺」「秀吉の枷(かせ)」「明智左馬助の恋」。爆発的な
ヒットになった本能寺3部作の著者である加藤廣さん(77)の小説
デビューは75歳である。

これまでに二度大きな転機があったと加藤さんはいう。大卒後、
中小企業金融公庫に入った。当時は、中小企業の資金需要が
旺盛で、審査が遅れがちだった。それに対応するため、企画課長
だった加藤さんは審査の迅速化案を作成した。しかし、伝統的な
審査方法を否定するものだと、上司や同僚から批判され、加藤
さんは四面楚歌に陥った。ところが半年後にトップが変わると、
加藤さんの案はすんなり採用された。
 
この時、加藤さんは一つの組織に依存していてはいけないと
思った。10年後に公庫を辞めると決意した。38歳の時である。
退職後も通用するスキルを身につけるため、ゴルフやマージャン
を控え、会計学や語学を学んだ。意識して人脈を広げ、貯金も
した。計画より、少し遅れたものの、51歳で辞表を提出。経営
コンサルタントに転身した。

それなりに楽しい日々だったが、加藤さんの中で積年の夢が頭を
もたげた。小説家になる夢だ。60歳を超えて「こんなことは
していられない」と思い、歴史小説を書き始めた。それから10年
かけ「信長の棺」を出版した。今後の執筆予定を尋ねると
「書きたいことはエンドレスですね」という。70代後半にして
ますます意気軒高である。
 
人生80年時代を考えれば、2度の転身もあり得る。加藤さんは、
51歳の時の転身がなければ、次の作家への途も開かれなかった
だろう。人生は「三毛作」時代に突入している。

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2007年09月21日

2)それでは、就職活動には、どんな情報があればよいのか?

9/18のブログでは、就職活動には、採用HPだけでは余り役に立たず、
もっと自分の足で情報を稼ぐことが必要と述べた。
一つの例として、社員通用門で、出勤、退社する人の「顔つき」を
見ることを書いてみた。
読んだ方から、好意的な感想もいただいたので嬉しく思っている。

それでは、そもそも就職活動には、会社側のどんな情報があれば
よいのか?を少し考えてみたい。
現在、娘は、英国に短期留学中というか、旅行中なので、まず、
一人でつぶやくことにして帰国してから話そうと考えている。

現在会社から提供されている情報の中心は、貸借対照表、
損益計算書などの財務諸表である。
これらは、13世紀頃の複式簿記の原理で作成、公開されている。
しかし、これだけ会社の存在や経営環境が変わっているのに
内容はそれほど変わっていない。
例えば、「ヒト」については、損益計算書の「給与」に現れて
いる位だ。決算書類の「従業員の状況」も職種別の在籍数、
採用数や従業員の平均年齢、平均勤続年数、職種別の平均給与
が載っているだけだ。

でも現在のソフト化した時代では「人材」自体が、自己資本に
なったり、資産だったり、また負債であったりするだろう。
それらを全く考慮していないのは、どうなのか。

私は、若い頃、決算書類を作成して、総会の想定問答集を
取りまとめる部署にいたのだが、会社側の関心は、数値が中心
で、「ヒト」には向わないなぁ、と感じていた。

それでは、「就活情報」はどうだろう。
試しに、「就職四季報(女子版)」を見ると、興味ある項目が
並んではいる。
「勤続」「既婚率」「3年離職率」「平均ボーナス」「平均残業時間」
「遊休消化年平均」などだ。
でもNA項目が多く、中には全項目出していない企業もある。
まぁ、企業側から見れば当たり前でもある。

それでは、就活する学生に役に立つ客観情報とは、どのような
ものか勝手に上げると、下記の通りである。
このほかに、面白いものがあれば、お教えください。

<人材フロー情報>
転勤回数(男女別)、
毎年の入社退社の状況、
年間の退職者状況(男女別、勤続年数別、職種別)
年間の休職者数(男女別)
一人当たりの年間総労働時間、
サービス残業量(これは無理だ)
有給休暇の取得率(男女別、職種別)
単身赴任数と比率
勤務時間後の接待日数(宴席、ゴルフ別)

<人材ストック情報>
従業員の年齢別人員構成(男女別、職種別)
年齢別、職種別の給与体系
管理職の比率

<ライフプラン系情報>
早期定年退職の取り扱い、優遇制度。
転籍出向制度など。
育児休業制度の取得率。
リフレッシュ休暇などの長期休暇制度。これも結構重要。
ライフプラン研修。
社宅、住宅制度補助(経済的には住宅が大きい)
結婚、出産の退社率(女性には、特に重要か)

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2007年09月20日

2)追突事故の示談が終りました

(昨日から続く)
私は、交通事故など、自分の示談書にサインするのは初めての
経験だった。

昨日も述べたように、車の損傷など、事故の状況でどれ位の
入院日数になるかは、見当がつくらしい。
ただ具体的な慰謝料を算定するときには、入院や通院日数が
基本の基準になる。

私は、金額は全く気にならなかったが、通院日数だけで見ると
勤め人や忙しくてなかなか病院に行けない人には不公平になる
のではないかという点だけを確認した。

そこは、事故の状況なども勘案して決めるという回答だった
ので、示された額にサインした。
評価は、1週間だったようだ。
私の場合は、診断書も、1週間の頚椎捻挫だったし、痛みが
なくなったのもちょうど其の頃だ。

やはり、中にはそれほどひどいと思えない事故で長く通院する人
もいるらしい。病院に行くほど慰謝料が積み上がるからだ。
ただ、最近はその筋の怖い人達は、一時期に比べると減って
いるらしい。ほかにもっと儲かる商売が出てきているからとの
ことだった。

「こういう仕事ばかりだと大変ですね」と聞くと
「いやっ、営業のように何かよくわからないものを対象とする
よりも面白い」と担当者は話していた。
社内の人間関係は、すっきりしているし、会社にベトベトしなく
でも良く、会社を離れても生きていけるからとの回答だった。

あまり会社への帰属意識は、高くないようだった。
こういう人は、、相当増えているのだろう。

いずれにしても、後遺症もなく、元気でいることが何より嬉しい。



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2007年09月19日

1)追突事故の示談が終りました

今年の6月に追突事故に遭った話を書いたが、3ヶ月を経て
示談書にサインした。

事故は、私にはとばっちりで、2台後ろの四輪駆動の3500ccの
車が交差点で待っている私の後ろの車に追突し、その先頭に
いた私の車に玉突きで衝突した。

示談も、私は別にもめて長引いていた訳ではなく、おそらく
私に追突した真ん中の車と四輪駆動の運転手との示談が終っ
たので、私の番が来たのだろう。

間の車にいた人は、事故当時は、元気で私と変わらないように
見えたが、やはり衝撃が大きかったのだろう。最近やっと
治療が終ったらしい。ほぼ3ヶ月かかっている。

事故査定一筋で、20年やってきた担当者の話によると、
40-50キロでブレーキをかけずに追突されたのだろうという
推測だった。
大体、車の損傷の度合いを確認すれば、どれ位の入院期間に
なるかが分かるとのことである。そういう意味ではプロである。

車の配列で、彼の車が私の後ろにいなければ、私が3ヶ月の
治療を受ける羽目になっていた。そういう意味では私の恩人
でもある。
やはり運や偶然というのは、人生で結果として大きな要素に
なるのだろう。
その後、簡単な示談交渉に入った。
                  (明日に続く)

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2007年09月18日

1)採用HPって、いいことしか書いていない?(父と娘の就活日記)

「企業の採用のHPは、いいことしか書いていないので、読ん
でも良くわからない。」と娘は言っていた。そういう人は
多いと思う。

これは、ある意味当たり前で、その企業が出すパブリシティ
で自社の良さを書かないと、担当者はサラリーマンとして
失格の烙印を押されるわけだ。

採用のHPに比べたら、会社の説明会や会社訪問の機会は重要
である。文字情報で得られるものは所詮限られている。
それに比べれば、直接顔を見ることは大きな情報量がある。

最近は、メールでのやり取りが普通になっているが、顧客と
電話で話すとニュアンスでも多くのことがわかる。
ましてや会うとかなりのことがそこから導き出せる。
そもそもHPや紙面で会社のことを知ろうということ自体が
無謀だと思う。

だから会社近くの喫茶店ではなく本社や支店に直接入って話
すことが大切だ。採用する企業側は、近くの喫茶で十分
だが学生はそうではない。

それでは、訪問機会がなければ、どうしたらよいのか?
私なら、希望する会社の社員通用門の前に立って、朝出勤する
人の顔つきを見たり、退社する社員の時刻とやはり顔つきを
見てみるというのはやりそうだ。
今は、派遣の人も多くなっているので、必ずしも全体感を
得られないかもしれないが、大体はわかる。
勿論、文字や数値には表せない、雰囲気が重要なのだ。
どんな人が社員で、どんな顔つきをして、何時ごろ出勤して
どういうい顔つきをして帰宅するのかを見るわけだ。
結構多くのことが掴めるのではないか。

私は昔、労働組合や人事に在籍していたときに、早朝から
ビラを配っていたことがあったが、朝早く来る人は元気な
顔をしている人が多く、始業時間ぎりぎりに入る人は
不機嫌な顔をしている人が多かった。時間差でも異なる。

今から10数年前に、勉強会で大阪のR社の大阪支店に
入ったことがある。
6時くらいだったと思うが、社員通用門から入ると廊下で
私に向かって「ご苦労さま」と帰社する女性の二人連れが
声をかけてくれた。
仕事から帰ってきた社員と思って声をかけたのだろうが
こういう会社はすばらしいと思ったことがある。

そういうことが会社を見るには大事だと思っている。

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2007年09月17日

親が生き生きしているのが、一番の就職活動支援(父と娘の就活日記)

久しぶりに、ユーモアコンサルタントの矢野さんに会う。
講演の仕事の前の30分、ホテルのラウンジで話した。

矢野さんは、私がインタビューを始めた頃に、ご協力を
いただいた方で、朝日新聞beのコラムにも登場いただき、
大阪市の教育公社のセミナーでもゲストで来てもらった。

矢野さんは、信用金庫支店長からユーモアコンサルタント
に転じた方で、関西大学の時は落語研究会の部長でもあった。
講演や研修に加えて、先月「笑わせ力」という概念をたて仲間
と一緒に発信しようとしている。

最近は、マスコミから、働き方の面で、人の紹介依頼
が来ることもあって、一度矢野さんの近況を伺っておこうと
思ったのだ。

話は、多方面に及び充実した30分だったが、矢野さんの
息子さんも大学3年生で、そろそろ就職活動に入る頃だと
聞いた。
私大で演劇をやっていてマスコミが志望とのことである。
就職先のことについて、息子ともいろいろ話すらしい。

矢野さん自身、落語研究会の部長で、一時はプロもと
考えたが、結局、信用金庫のサラリーマンを選んだ経緯
もあって、息子さんを応援したい気持ちが強いとのことだ。

独立せずに、信用金庫の支店長のままで、気分的に
しこっていたら、どうだっただろう、と質問すると、
「おそらく、『信用金庫は、辞めといたほうがよい』
くらいしか言えなかった思う」との回答だった。

「今、自分の思っていることを、やっていないと息子にも
何も語れないような気がする」というのは、私も同感だ。
また子供も、そういう親の生き方を見ているのだと思う。

親が生き生きしているのが、一番の就職活動の支援に
なるのかもしれない。
矢野さんには、おりを見てまた話を聞いてみよう。

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2007年09月16日

秋葉原を歩きました

先々週、東京に行った時に、インタビューの合間に秋葉原を
歩いてみた。
勘ぐる向きは、すぐにメイド喫茶でも行ったんだろうと思う
かも知れない。実は見つけられなかったのだ。

私は、神戸の繁華街、歓楽街の真ん中で育ったので、地理には
すごく疎いが、そういう街のどこにどういうものがあるかは、
直感的にわかる部分がある。
例えば、歓楽街にはこのあたりに、薬局が(実は、実家は薬局)
このあたりにはタバコ屋が、パーマ屋や散髪屋はどうかという
のは、各歓楽街では似ているのだ。

新宿、渋谷くらいになると大き過ぎるが、それでも、この辺は
どういう店が多くて、、、とかの検討をつけるのはうまい。
(それがどうしたといわれれば、なにもないのだが)

でも秋葉原の電気街は、そういう基準が通じないのである。
旧来型の遊ぶ場所があり、演芸場があったり、食べ物屋が
あるという基準が、異なっていると思えるのだ。

ゲームやパソコンなどの影響は、旧来の繁華街の町並みも
変えているのではないかと考えている。
(単に、メイド喫茶を見つけられなかった言い訳に過ぎない
のかもしれないが)

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2007年09月15日

働く実感を求めて起業(朝日新聞be「こころの定年」)

本日の朝日新聞be「こころの定年」には、石油会社のサラー
リマンから、バックパッカーズホステルのオーナーに転身した
飯田章仁さんに登場いただきました。

「ジェイホッパーズ京都」に取材に行った時に、初めて海外の
バックパッカー達とも出会いました。
色々な仕事があるのだと改めて感じました。

        *働く実感を求めて起業
京都駅近くのバックパッカーズホステル(簡易宿泊施設)
「ジェイホッパーズ京都」のオーナー飯田章仁さん(43)は、
元石油会社のサラリーマン。入社5年後に、国内のビジネスス
クールに留学。その夏休みに、アジアへ初めてのバックパックを
背負って旅に出かけ、国境を超えた人とのつながりに心が動いた。

 2年間の留学を終え、会社の本部機構に戻ったが、そこでの
仕事の中心は流通コストの削減だった。働いている実感が得られ
ず、会議でも空虚感がぬぐえなかった。自分のやったことが直接
跳ね返ってくる仕事がやりたい。そう思った飯田さんは、3年後
に迷わず退社した。

 1年以上かけ、ヨーロッパからアジアまでをバイクで走り回った。
各地で様々な刺激を受けるうちに、日本にはバックパッカーが
気軽に泊まれる宿が少ないことに気づいた。

日本に戻ってホステルを立ち上げる準備を始めるが、法律上の
規制や許認可の壁は厚く、思いのほか難航した。退社から4年
たった02年に、なんとか開業にこぎつけた。

飯田さんは、バックパッカーの役に立つことを心がけている。
ガイドブックには載っていない京都の伝統行事の案内や、お薦め
のお好み焼き店のメニューを英訳して渡す。周囲には競争相手も
いるが、1泊2500円からの30人のベッドは、常時9割以上が埋まり、
銀行への借入金の返済も順調に進んでいる。

昨年11月には広島にも進出。京都から広島に訪れるバックパッカー
が多いことを知っていたからだ。
受付に立てば、利用者から「サンキュー」と感謝される。会議で
提案が出れば、即実行できる。飯田さんは今、働く実感を感じて
いる。



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2007年09月14日

2)「3年3割退社は本当?」

今年の初めに、首記課題で、フリーライターさん、経済誌の方と
三人で話したことを書いた。

先日東京で会うと「なぜ3年3割退社するのか」という趣旨の本
を出版するらしい。
これは私にも興味がある。自分が人事で責任者をしていた時には
考えられない数字でもあるからだ。

私の「こころの定年」のインタビューは、中年まで組織に適応して
きた方が大半だが、この「3年3割」で参考になる方もいる。

下記に紹介してみよう。

     *「すぐに結果を求めてはだめ」
「最低3年働かないと会社のことはわからないよ。」
社会保険労務士の飯塚篤司(34)さんは、若者のキャリア相談に
応じて、そう応えることが多い。

そんな飯塚さんも過去に二度、離職経験がある。大学で就職した
従業員1千人規模の食品スーパーは一年で辞めた。
理由は「勤務時間が長く、仕事が面白くなかったから」。
今では「甘かった」と笑う。その後入った服飾卸会社は
入社4年後に倒産した。総務担当だった飯塚さんは倒産処理を
しながら、同僚の失業保険などの面倒もみた。

倒産後、自宅に社労士の看板を掲げた。資格は最初の会社を
辞めた後に取得していた。開業して5年で、顧問先は20社を数える。
狭いながらも大阪市内に事務所を構えた。収入も順調に伸びて
パートの事務員も雇っている。

飯塚さんは「自分から営業したことはがない」という。
初めての仕事は元の同僚の依頼だった。仕事は人脈をたどって
向こうから来た。独立後に学んだ経理学校の講師だった税理士は
「君になら」と自分の顧問先を紹介してくれた。
キャリアカウンセラー養成講座の受講者仲間からの紹介もあった。
その時は契約に到らなくても、紹介してくれた人のためだと思って
相談に乗っているうち、2.3年してから仕事に結びつくことも
多いという。

飯塚さんは、相談しに来る若者に「仕事では、すぐに結果を
求めないことだよ」と、よく助言している。周りで悩んでいる人が
いれば、手を差し伸べる。自分を頼ってくれた人には、
キチンと対応する。
「働く」とはそういうことなのだと、飯塚さんは伝えたいのではないか。
(朝日新聞be「こころの定年」平成19年5月12日)

*いかがでしょうか
飯塚さんの例を見れば、慌てなくても良いというのが、わかります。
それに加えて、大切なのは、人の出会いと日常のやり取りで
信頼を得れば十分だと思うのです。



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2007年09月13日

第13回 「こころの定年/研究会」のご案内

第13回 「こころの定年/研究会」を、10月3日(水)に行います。
多くの方のご参加を期待しています。

今回は、大手メーカーから、帝塚山大学経営情報学部 教授に
転身された高瀬宜士さんに、ゲストスピーカーをお願いしています。

高瀬さんは、入社以来、順調な会社生活を送られていましたが、
30代半ばに直接の上司と仕事の姿勢が全く合わず、医師から
「自律神経失調症」の診断も受けたそうです。
その後、会社に対する姿勢も転換されて、時間をかけて専門分野
の研究に取り組まれて、大学教授に転進されました。

私の朝日新聞be「こころの定年」のインタビューにもご協力
いただき、たまたまですが10月3日(水)の直前に掲載予定に
なっています。
記事も参考に、議論できればと考えています。

1.日時:10月3日(水)18:30〜20:45
2.場所:大阪産業創造館 (堺筋本町) 研修室
     http://shisetsu.sansokan.jp/access.html
3.当日の内容案:
―仞兵圓隆蔽韻兵己紹介(1人1分)
⊇仞兵圈楠木新からの話題提供
C算間名刺交換
す眄イ気鵑らの発表と質疑応答・議論

4.会費:一般1,000円、学生500円
(どなたでも参加できます。メールkusunoki224@nifty.com
にてご連絡ください)
5.定員:30名程度
*********************
「こころの定年」評論家
楠木新(くすのき あらた)
kusunoki224@nifty.com
http://blog.livedoor.jp/kusunoki224/
*********************

<次回以降のご案内>

‖14回 「こころの定年/研究会」
 10月30日(火)18時30分から。於:大阪産業創造館
 ゲスト:大手都市銀行から転身されて、お遍路に
     関するNPOの事務局長、大学生をされて
     いる山下正樹さんです。
     当日は、お遍路の姿で来ていただく予定です。

朝日新聞be「こころの定年」にも登場いただきました。
http://blog.livedoor.jp/kusunoki224/archives/50943624.html


◆屬海海蹐猟蠻/研究会」特別編 
 11月18日(日)14時から。 場所:弁天町市民学習センター
 日本笑い学会主催 「笑いとメンタルヘルス」(題名は未定)
 で、楠木新が、講演(「ビジネスマン『うつ』からの脱出」)
 とシンポジュウム出席予定。


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2007年09月12日

3)妻も発言してきた(父と娘の就活日記)

(昨日からの続き)
妻が話の中に入ってきた。
「でも、私は、結婚しても、子供を生んでも、長く仕事を続け
ることができるところがいいと思うの。だから地方公務員とか
教師とか」(妻)
「確かに、今までの話とは次元は違うが、ひとつの考え方かも
しれないなぁ」(私)

20年少し前に、妻が、私と知り合って結婚したときは、入社3年
足らずだったが、彼女の会社の中に、結婚すれば辞めるとの
不文律があり、会社に残る選択はなかったことを思い出した。

「私の周りを見ても、子育ての後に、職を探してもなかなか
良い所が見つからない人もいるし、離婚した人で経済的に
大変な人もいる。私はたまたまラッキーだったけど。」(妻)

「でも、それを一番に考えるのかなぁ」(娘)
「それも選択の一つの条件にはなるかもしれない。前提には
社会に出て働く内容を中心に考えるのか、その後の自分の
生活を優先して考えるのか、というような問題もある」(私)

「お母さんの基準を重視するのであれば、会社選びは、かなり
合理的に考えられるし、どの企業や職業がいいかということも
相対的な評価ができそうだ。就職ランキングも十分に意味を
持ちうるね。」(私)

「『仕事に意味づけなんてしなくていいのよ。楽しければ
いいじゃない』といつもお父さんが注意を受けていることも
反映されているなぁ。
確かに言われることは良くわかる。でもそれでも意味づけしよう
とするのが、お父さんなんだ(笑)」(私)


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2007年09月11日

2)それじゃどんな企業にいけばいいと思うの?(父と娘の就活日記)

(昨日から続く)
私の話に対して、娘は、
「それじゃどんな企業にいけばいいと、お父さんは思っているの」

これは、なかなか難しい課題でもある。
「お父さんが、20数年間会社に勤めてきて、いろいろな仕事に
携わった経験から感じるのは、一律に、いい企業なんてものは
ありえないということだね。

まず年齢を経れば、会社の景色も変わる。
会社も変化するが、働く人も年を経るにつれて変わるわけだ。
実際、お父さんも入社以来順調に来たが、40代半ばで、会社の
仕事を一度投げ出している。

それに、会社には、やはり社風というのがあって、好き嫌いや向き
不向きもある。また配属される部署は思い通りにならない。
特に、新入社員の場合、そこでの人間関係が大きな影響力を持つ。
20代前半で、自分に合う企業を手繰り寄せるのは、すごく難しい。

そういう意味では、就職ランキングというのは、あくまで
参考にしか過ぎないと思うよ」と私。続けて、
「でもそれだけでは、回答にならないので、あえて定義をすれば
『伝統のある関西の大手の会社』位になるかな。

日本の多くの会社では、20代で裁量のある重要な仕事は任せて
もらえないのが現実だ。

そうだとすると、入社して5年位は、自分のキャリアでの研修期間
と位置づけたらどうかな。
前にも話したように、実家が商店街の真ん中で育ったお父さんと
違い、実社会の感覚は、有美の場合は薄いと思うんだ。

この研修に適しているかどうかは、会社に研修会館や制度が揃って
いるという意味ではなく、組織の持つ風土みたいなものなんだ。

だから、普通はそれを言葉で定義することはできないが、あえて
いえば「長く伝統のある」というのは、長く世の中に存在して
いること自体、この研修期間に適していると言えるのではないか
という意味合いで使っている。だから絶対的なものではなく、
5年から10年位自分のキャリアを磨くのにより適している場合が
多いのではないかということだ。

「関西」というのは経済的な意味もある。これはまた話すよ。」

「とにかく『好きな仕事をしないと』と慌てることはないわけだ。
30代になってからでも十分間に合うよ。お父さんも本当にやりたい
ことが見つかったのは50代目前だし。有美も見てきたように、
仕事を投げ出して初めて手に入れたものなんだ。
娘が、そんなに簡単に見つけたら困るじゃないか。
親の面目がない(笑)」

娘には、少しは説得力もあったようだが、どうだろう。
その時に、横で話を聞いていた妻が、話し出した。
                   (明日に続く)

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2007年09月10日

1)自分は、どういう仕事に向いているの?(父と娘の就活日記)

今年7月に、娘が、鉄鋼系の商社の会社説明会に参加した
話を聞いて、
「どんな会社(仕事)がいいと思っているのか?」
との会話から話が広がった。

娘は、A大学の経営学部の学生だ。高校を卒業した年は
、私立K大学に入学して1年間演劇のサークルをやりながら
翌年に今の大学に入った。

現在、大学の3年生。そろそろ就職のことも考え始めている。
たしか、昨年「就職のことも考えているのか」と聞いた時には
私にははっきり言わなかったが、「エンタメ系かな」という
ニュアンスだった。
あまり私には、言いたくないような口ぶりでもあった。

よく意味が理解できなかったのだが、どうやらギャガ・コミュ
ニケーションズの映画配信会社などが頭にあったらしい。
正直言って、私には理解できない世界だ。
かつて「Usen」に、仕事で足を運んだことがある。受付の
近くで待っている間、入れ替わり立ち代りの来客を見ている
と、まず世代、服装が違うことに驚いた。

その後、娘は、2回生、3回生になって、コンビニのローソン
とユニクロでバイトを経験した。
結構一生懸命やっていたらしい。
その上で「どんな会社がいいと思っているのか?」の話題になった。

娘は言う。
「ローソンやユニクロで仕事をしてみて、自分はサービス業で
前面に立つよりも、周りの人と一緒に何かを作り上げるような
仕事のほうが向いている気がするようになった」

「お父さんも、その方が君に向いていると思うよ。実は、お父さん
も人は好きだし、サービスもしたいとは思うが、ホテルや百貨店
のようなサービス業は自分にはできない。」と私。
「就職の採用面接で、『人と対面するのが好きだから、云々』と
話す学生さんも多かったが、仕事でやるのとは違うよ、と
いつも感じていた。特に一般職の採用のときにね。」
                     (明日に続く)

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2007年09月09日

「ヨーロッパには新世界はないやろ」

東京に長くいた反動からか、昨日は、妻と娘と3人で、大阪の
新世界に行ってきた。
最近ブームになっているというのを聞いていったが、驚いた。

通天閣の前には、大型の観光バスが3台停まり、中に入るのに
長い行列ができていた。それよりも驚いたのが、その横に
タクシーが5台ほど客待ちをしていたことだ。
新世界には、タクシーは似合わないと勝手に思い込んでいた
のだ(本当は今でもそう思っている)。

通天閣からじゃんじゃん横丁に向かうと、串カツ屋に多くの人
が入っていて、「だるま」などは長蛇の列だ。
もちろん若い人と家族連れが多い。
昔ながらのおっちゃんは、やはり昔風の店で食べているようだ。

3人で、じゃんじゃん横丁の中にある並ばなくて良い串カツ屋に
入る。掘りごたつの4人席に座る。

妻も娘も、こういう串カツ屋は初めてだ。
ソースの二度付け禁止を教え、キャベツはいくらでも食べれる
ことも話す。店自体も結構新鮮だったようだ。

99円から199円の間で多くの種類から串を選べる。
なかなか味も良い。
妻はパン粉の目が細かいと言っていた。

3人で満足してお腹いっぱい食べても4000円少し。
やっぱりええなぁ。

その後は、「スパワールド」でプールと温泉に入り、
足裏マッサージもする。
もう極楽ですな。

関西には、銀座や青山はないが、東京には、新世界みたいな
ところはないやろ。
ドヤッ、阪神は首位になった(何の関係や!)

英国に語学留学にいっている娘から国際電話があり、妻が
串カツの話をすると羨ましい声を出していたらしい。
「ヨーロッパにも新世界はないやろ」(からみだしたか)



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2007年09月08日

辞めて生きた会社員経験(朝日新聞be「こころの定年」)

今日の朝日新聞be「こころの定年」には、外資系自動車
販売会社から、ボサノバ・ギタリストに転身した木村純
さん登場いただきました。

大阪のライブを聞いた後、インタビューに応じていただき
ました。

     *辞めて生きた会社員経験

ボサノバ・ギタリストの木村純さん(57)は、東京都公認の
ストリートパフォーマー。ライブハウスでの公演のほか、
路上もステージにする。

木村さんは以前、外資系自動車販売会社で営業と管理職を
兼ねていた。会社生活が暗転したのは40代半ば。取引先の
倒産の責任を巡って会社と対立。自ら退職した。転職は
困難を極めた。家のローンがあり、子供の教育費は借金で
まかなった。家族離散も頭をよぎった。

人の縁、そして中学生の時から手放さなかったギターが
木村さんを救った。知人で、サックス奏者として知られる
三四朗さんが「ギタリストとしてやってみたら」と声を
かけてくれた。組織で働いた経験のある木村さんは、自分
一人で事務所やマネジャーの業務も担える。自分で直接、
プロモーションもできた。その丁寧な対応が「縁」を
広げていった。三四朗さんは「ミュージシャンにも、木村
さんのように社会に出て働いた経験が必要だ」と言う。
年収も、最初の25万円から、今や食べていけるだけのレベル
に達した。

自分の出発点であるストリート演奏に、木村さんはこだわ
っている。以前は、企業の名刺や肩書きがあって初めて自分
を認めてもらえた。今は何者とも分からない自分の演奏に
人が足を止め、音楽を聴いてくれる。その人たちからいた
だく投げ銭は「重い」という。ある日、ギターケースの
投げ銭の中に、小さなメモが入っているのに気付いた。
「死のうと思っていました。でも癒やされました。頑張り
ます」と書かれていたという。

同じお金であっても、会社の給料と、ストリートでもらう
投げ銭は、値打ちが違うようだ。



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2007年09月07日

台風9号と首都圏で遭遇

昨日の夜から今日にかけての、台風9号の雨と風は相当な
ものだった。
久しぶりの首都圏直撃の大型台風だったそうだ。

今日の午前中に予定していたインタビューは、電車が不通に
なったので、先方がアポの場所に行けないとの連絡があって中止。
ホテルで台風情報と交通機関の情報を伝えるテレビを見ていた。

交通網が、東京の仕事や生活を支えていることが理解できる。
鉄道情報、空の便、道路情報。日常は、よくもまぁ、これだけの
システムが動いていると感心する。

大阪に比べて、駅での列の並びや人の流れもキチンとしている
一つの理由は、この大動脈といえるシステムをうまく動かす
知恵なのかもしれない。

昨日、夕刻に出版社との話を終えて、神宮前から原宿に歩くまで
雨でずぶぬれになった。
それよりも閉口したのは、帰宅を急ぐ人たちで満員の電車だった。
関西にいるとこの電車はないだろうという位混んでいた。

ホテルは、駅のターミナルにあったので、とてもラッキーだった。
10分歩かないといけなかったら大変だった。


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2007年09月06日

「東京湾アクアライン」を初めて利用

今日は、サラリーマンから乗馬クラブを立ち上げた方に、
インタビューをお願いした。
大森から千葉の市原市に向ったが、品川から「東京湾
アクアライン」を初めて利用して対岸に渡る。

東京湾アクアラインは、川崎市から、東京湾を横断して
千葉県の木更津市へ至るトンネルとブリッジがつながった
高速道路である。

品川から木更津市まで、あっという間についた(約40分弱)。
その便利さに驚いた。15年前に東京に住んでいたときは、
浦安にいたので木更津あたりにはゴルフでたびたび来て
いたが、土地勘の帳尻がつかなかった。

料金が高いせいか、車の数は少ない。
でもバスだと片道1200円でいけるので、電車を使って首都圏
をぐるりと廻ることを考えると利用価値はある。

月曜日からインタビュー旅行を続けているが、東京は交通機関
が発達しているので、他の地域と異なり色々な選択肢がある。
それをどのようにつないで、効率的でかつ観光にもなる
動き方をするかは大きな楽しみだ。

ヤフーの路線では効率化の面では、勿論大いに役立つが
観光の視点を入れるとちがう道筋が見える。
今後も楽しみながら、動いてみたい。

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2007年09月05日

今日も刺激ある一日

今日は、まず翻訳家に転進された方の自宅に伺いお話を聞く。
きっかけは、夫婦が働いている中で、育児休業後の子供さんの
世話をどうするかという中で、夫が会社を辞めて家でフリーランス
になることによって対応した例だ。

午後は、一般企業の経営スタッフから、小学校の校長先生に転身
された方である。
経営スタッフの上位役職になると、どうしても後方からの指導や
管理、教育などの立場になる。

ただ多くの人は反応がすぐに得られる立場に立つことで、意味を
感じることができるのではないか。
インタビューに応じていただいた方は、二つの立場の違いとして
「現場感」の重要さを述べられた。

「いい顔」でいるためには、形式的な役職を高めたり、権限を
持ったり、合理的な思考を高めることではないものが必要だと
改めて感じた。

また小学校に行くだけで、楽しい気分、元気が出るから不思議だ。
以前、仕事で保育所を訪問して、園長先生と話していると
小さい子供たちがまとわりついてきた時に、なんともいえない
幸福感に包まれた。
家に帰って今から専門学校に通って保育士になろうかというと
家族からは「無理、無理」と言われた。

なぜだろう。



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2007年09月04日

怒涛の一日

今日は予想通り、怒涛の一日となった。

午前中に、三井系の大手企業から、中小企業の社長に自ら手を
挙げて転身した方。
幼い息子さんが、亡くなったことと合併に浮き足立つ社内を見て
仕事の意味をもう一度問い直して転進した。
息子さんの話の時には、自分で平静を保つのがやっとだった。

12時からは、有名企業の上席常務まで経験して、次のステップで
興味ある活動をされている方。
私の活動の大きなヒントをもらった。
ただ、コラムにして書き上げることができるかの疑念もあるが
既にそれ以上のものをいただいた。
よしとしよう。でも書けるかなぁ。

それから議員会館で、代議士の秘書に「サラリーマンから、公募で
代議士になったオモロイ人いませんか?」との依頼をする。
秘書も「こんな依頼しに来る奴はおらんやろ〜」(こだまひびき)
議員会館と国会が地下でつながっているのをはじめて知った。

昨年まで、連載させてもらっていた労務関係の専門誌の研究所。
たらふくしょうもないことを話す。
「朝日の連載はいつまで続けるのですか?」
「永久」(私)
「こちらで書いているときに比べて、文章がこなれてますね」
「こちらとは力の入れ方が違います」(私)
などと話しながら、新しい仕事をいただく話になる。

その後、会社の元先輩に会う。
いつも刺激を与えていただける。
今は新しい会社を立ち上げている。
私を雇えるかどうかを聞くと、
「わかったようなわからんことをいいながら、相手に入っていく
姿勢は、十分通用する。但し、きちんと仕事をするとは思えない
ので完全歩合制にする」
私のことをよくご存知である。

朝日新聞beのビジネス欄のコラムを長く続け、私の前任者である方
と朝日新聞の記者との3人で懇談。
ここでも、しょうもないことをたらふく話すが、「書くこと」や
組織から離れたビジネスに関しては、大先輩であり、勉強になる。
真摯に耳を傾ける話が多かった。ありがたいことである。


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2007年09月03日

ここにも読者がいた!

東京へのインタビュー旅行の一日目。
今日は、東京駅から立川〜多摩センター辺りを動き回る。
私は東京に住んでいた時は、浦安だったので、この西部の
多摩地区に来たのは、初めてだった。
丘陵地帯にニュータウンが、広がっているさまは壮観だった。
モノレールで移動したので全体感が把握できた。
大阪の千里ニュータウンとは、規模が圧倒的に違う。

50代で起業して、軽い折りたたみの自転車を開発、販売
されている社長と40代で、地元の地域活動に取り組むNPOの
代表に転進した方の話を聞いた。

やはり面白い。

社長は自分の車で駅まで迎えに来てくれた時も笑顔で、こちらに
駆け足で向かって来られた。今取り組んでいることの楽しさが、
それだけで伝わってくる。

NPOの代表は、私の「こころの定年」を読んでいてくれて、
淡々とその人のキャリア人生を捕らえていることに好感を
持っていただいていた。多くのマスコミやジャーナリストから
取材を受けるらしいが、結構、話を大袈裟に書いたり、誇張する
例が多いとのことだった。
私も大いに話し、2時間を軽く越えるインタビューになった。
ありがたい限りである。

明日は最もハードスケジュール。
これから、質問内容をメモして早く休もう。

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2007年09月02日

明日から東京にインタビュー行脚です

明日の3日から7日までの5日間、夏休みを利用して、東京に
インタビュー行脚に向う。

一応、12名程度にお話を聞き、関係のところをグルグル廻る。
これだけ、まとまったインタビューは初めてなので、結構旅立ち
の前の準備も大変だ。

・依頼内容の再確認
・インタビュー場所の確認と乗り継ぎなどの路線、所要時間確認
 (東京は複数の選択が可能。ヤフーの路線は助かる)
・各スケジュールと準備の一覧表(HPの打ち出し)
・人によっては、質問メモの作成・整理
・マスコミ登場者の場合は、著書、資料確認や番組のテープ確認
 (できるだけ、本やテレビやラジオのテープは残している)
これを15通りくらいの準備をするので、日にちごとに、ファイルで
整理する。

また、5日間ともなると、宿泊場所の心地よさ、アクセスの便利さ、
周辺の利便性(朝食、コンビニ、パソコン利用)なども大切だ。

私は、比較的安く、駅ターミナルにある場所にした。
荷物を抱えて動ける距離は、限られるし時間も節約できるからだ。
また駅周辺では全てが揃っている。

長期間の取材旅行で、準備するものやポイントを書いている書物
などはあるのだろうか。これらは、全て我流なので、もっといい
方法があるかもしれない。




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2007年09月01日

夢を追うことが楽しい(朝日新聞be「こころの定年」)

今日の朝日新聞be「こころの定年」には、商社マンから
物書きに転じた布施克彦さんに登場いただきました。
10年を超える取り組みから、次のステップに進まれました。

東京でお話を伺いました。

       *夢を追うことが楽しい
布施克彦さん(60)は、三菱商事の元商社マンだった。鉄鋼
貿易部門にいて計4回、15年間の海外勤務も経験した。

 入社当時は高成長期。若い社員にもどんどん仕事が任せら
れた。だが、30代後半になると円高、貿易摩擦などで急速に
組織の活力が失われた。将来の自分の働く姿が見えにくくな
った。
 
 もっと情熱を持てるものはないかと探し始めた。アフリカ、
欧州、米国で働いて気付いたことを人に伝えたいと思い、
物書きになろうと決意した。43歳の時だ。サラリーマンを50歳
で引退する計画を立て、通信講座で文章を学び始めた。希望者
が少ない、発展途上国での勤務を希望した。手当てが多く、
収入を増やす現実的な手段だと思ったからだ。その結果、インド
勤務を命じられ、現地の支店長を務めた。

 51歳で商社を早期退職。物書き修行を続けた。しかし、出版
社に原稿を持ち込んでも、なかなかよい返事は得られなかった。
その後、ミニコミ誌への投稿が縁で、出版社の編集者と知り合っ
た。彼の助言で企画を練り上げ、本を出せた。タイトルは
「54歳引退論」。団塊の世代に向け、自分の体験も多く盛り込ん
だ。その後、貿易関係の実務書も入れると4年間で10冊の本を
出版している。

 本を出すまでの10年を超える準備期間は、そのプロセス自体
が楽しかったという。だから布施さんは、還暦を迎えても意気
軒昂だ。

 現在、商社時代の貿易業務の経験を生かして、NPOのコー
ディネーターや大学の非常勤講師も務めている。しかし名刺に
ある四つの肩書きの一番上にあるのは、「ノンフィクション作家
」である。

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kusunoki224 at 09:30|PermalinkComments(1)TrackBack(0)