楠木新(くすのき あらた)
楠木新の自己紹介

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2017年08月18日

日経新聞(夕刊) 「私のかんさい」に掲載いただきました

8月16日の日本経済新聞の夕刊(関西版)に掲載されました。
タイトルは、
『命に感謝「いい顔」目指す 新書「定年後」著者 楠木新さん(私のかんさい)
阪神大震災 人生の転機に』です。


記事では、中学一年生当時に実家の薬局前で撮った写真も掲載されました。
よくこの写真が残っていたものです。

また、この記事は日本経済新聞のweb版でも見ることができます。
命に感謝「いい顔」目指す 新書「定年後」著者 楠木新さん

                         記

■発売4カ月で20万部のベストセラーとなった「定年後」(中公新書)の著者、楠木新さん(63)は神戸の新開地で生まれ育った。京大卒業後に入社した大手生命保険会社で勤務する一方、50代から「働く意味」をテーマに執筆活動にも取り組むようになった。きっかけは1995年の阪神大震災だった。


40歳の時に兵庫県宝塚市の自宅で被災した。うちに遊びに来たこともある娘の同級生が亡くなったことが最もショックだった。当時は大阪・豊中支社の次長職。昇進で同期のトップクラスを走っていたが、震災を機に「このまま会社で仕事をするだけでいいのか」と心が揺らぎ始めた。ただ、ほかに何をすべきか見当がつかず、疑問を持ちながらも働き続けた。次の転機は45歳。関連会社への出向が決まった日に父が亡くなった。その後、働く意味を見失い、47歳の時に出社できなくなった。

今後の生き方のヒントを得ようと、会社員から転身後に「いい顔」で生きている人に片っ端から会って話を聞いた。「いい顔」にこだわった原点は新開地で薬局を営む家庭の息子に生まれ、歓楽街の近くで育った少年時代に遡る。休職して苦しかった時に頭に浮かんだのは、幼いころに接した近所の商店主たちがみないい顔つきをしていたことだ。話を聞いた転身者は150人。次第に、彼らの話を題材に組織と個人の関係を本に書いて世に発信したい気持ちになってきた。

■50歳から執筆活動を開始し、2011年に出版した「人事部は見ている。」(日経プレミアシリーズ)は約13万部のヒット。その後も多数の著作を通じ、会社人生で挫折した人などに向けて「組織の外にも輝ける居場所を持とう」と提唱してきた。


執筆というもう一つの活動を始めたことで気力が戻り、再び会社でも元気に働けるようになった。会社の外に出てみると、組織の良さもよく分かった。会社は同僚と助け合いながら働き、「自分は一人じゃない」と実感できる場だ。自分が働く組織の価値を再発見する意味でも、会社一筋の人生に行き詰まりを感じている人には別の生きがいを見つけてほしい。

現役中に会社とは別の世界とのつながりを作れば定年後への準備にもなる。定年後の自由時間は21〜60歳までの総労働時間を上回る8万時間もあり、人生は後半戦が勝負だ。その時間を有意義なものにするには助走期間が必要。私も50歳から生き方を見直したことが結果的に備えにもなり、15年に会社を定年した後も夢を持って生きることができている。その夢は、故郷をテーマにした本の出版。同じ新開地の薬局で育ったダイエー創業者の中内功さんやミステリー作家の横溝正史さんら傑物を通して新開地について書いてみたい。


■近著「定年後」では「いい顔」で定年後を過ごすことを自身の目標に掲げた。カギを握るのは命への感謝と郷土愛だと考えている。 

私が本を書くためにインタビューしてきた人の中には、阪神大震災が転身のきっかけとなった例も少なくなかった。彼らは生きることができなくなった人々への思いを語っていた。命を失った人の分まで真剣に生きようとする気持ちがエネルギーとなって人を突き動かすのだと思う。

 関西人は大阪出身者なら大阪、京都人なら京都、神戸の人は神戸をナンバーワンだと思っている人が多い。和歌山などほかの地域も同じだろう。自分が誇りに思える、居心地のいい場所で暮らすことが何よりも幸せなこと。だからこそ、関西人にはその強い郷土愛を大事にしてほしい。

(聞き手は大阪地方部 田村城)

くすのき・あらた 1954年、神戸市生まれ。79年京大法学部卒業後、大手生命保険会社に入社し、人事や営業、企画などを経験。50代から執筆活動を開始し、「『こころの定年』を乗り越えろ」(朝日新書)など著書多数。
 
日経夕刊写真2


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