楠木新(くすのき あらた)
楠木新の自己紹介

*講演・セミナー・研修および取材などの
お問い合わせは、kusunoki224アットマークnifty.comまでお願いいたします。
※アットマークを@に代えてください

キャリアチェンジ

2016年03月21日

「すまんのぉー、大金持ちのおぼっちゃまじゃ!」

この土曜日、日曜日は、結構家でぶらぶらしていた。

テレビでは、経歴詐称疑惑で活動自粛中の経営コンサルタントを
取り上げたニュースが多かった。

私は報道ステーションで、彼が古舘氏と話している内容を聞いて、
「冗長でポイントがよく分からないなぁ」と妻と話していたくらいで
事実関係もよくわかっていない。

ただ、マスコミによると、「4月からどうやって生きていけばいいですかね」
と憔悴しているらしい。あのハスキーな声でこのセリフを発したと思うと
切ないですというコメントを書いている人もいた。

今後どうすればいいかの話で、芸能リポーターの井上公三さんは、
「MBAの資格を取得すればいい」とテレビで話していた。

今回の詐称を埋め合わせるという考え方だ。そういう対応もあるのかと
思ったが、たとえMBAの資格を持っても再起は難しいだろう。私には
別のことが頭に浮かんだ。

あの横山たかしひろし師匠に弟子入りするという手もあるのではないか。
誰かが関西のバライティー番組で言い出すかと思ったが、知る限りでは、
そういう意見は出なかった。

「すまんのぉー、大金持ちのおぼっちゃまじゃ!松山城の天守閣で生まれた」

「大学は、アメリカのマサチューセッチュチュ大学。クリントン元大統領と同級生じゃ」

「家の庭の池は琵琶湖なんじゃ」と連発する。

「芦屋からヘリコプターで来たんじゃ」(どこに置いているんだ?)
「路上駐車」

「家には家康が使うた皿があるんじゃ」(ホンマかいな)
「家康という猫がいるんじゃ」

芸名も頭に浮かぶが、ここはこれぐらいにしときましょう。

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2016年03月11日

「55歳までに会社を辞めないと間に合わない」?

久しぶりに、かつての会社の同期が大阪にやってきた。
「同期あり、遠方より来る、楽しからずや」という所だ。

彼はまだ会社勤めをしている。私にとっては、久しぶりに
サラリーマンに会う機会なので、割と新鮮な感じがする。

新たな部長を迎えて、少し経った頃の会議で、部長が何かを
発言すると、「部長、もうお分かりになりましたか」などと部下
が相槌を打つらしい。

彼も私もそういうことは言えないタイプだが、今聞くととっても
面白い感じがする。
もうサラリーマンから離れてしまったなぁ、という感慨も交じる。

彼は結構昔の話をする。
その中で、営業をしていたバブル期に、東京で3人で飲んでいた時に、
私とT氏が、「55歳までに会社を辞めないと間に合わないなぁ」
と意気投合していたというのだ。
まだ私たちが、30歳前半の頃、30年近く前の話だ。

私にはそんな発言をした記憶は全くなかったが、彼ははっきり覚えているという。
翌週に、T氏に会う機会があったので確認すると、彼もそんなことを
言った覚えはないそうだ。

しかし結果として、T氏は、55歳で会社を辞めて独立起業した。
私はといえば、60歳の定年まで勤めはしたが、50歳からは、モノを
書く仕事を勤めと並行してやってきた。
平均すれば、55歳で会社の立場を離れたといえなくもない。

そういう意味では、二人は同期が聞いたという発言通りのことをやっていた。

若い時に話していることは、無意識の願望なので実現してしまうのかも
しれない。もちろん実現することがいいのかどうかは分からない。

ただ、その発言を明確に覚えている彼だけが、今でもサラリーマンを
やっている。
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2015年12月30日

自分の中のある部分が死んで、ある部分が生まれる

昨日に書いた「終活なら、いっそ予行演習を」の続き。
終活の代わりに、生前葬を考える方が良いかもしれないと述べた。

しかし、予行演習の意味ならば、実際に一度死んで蘇えることを
考えてみるのもいいかもしれない。

もちろん本当に亡くなるわけではない。
自分の一部分に死んでもらって、新たな部分を生み出すイメージだ。

例えば、学生から社会人になることは、自分の中のある部分を殺して
(表現が穏やかではないが、)新たな部分が生まれる経験だ。

私だと、会社本位のサラリーマンは死んで、モノ書き+現場で生きる
会社員が生まれた。
その時始めたブログが10年になったということは、10年間これでやって
きたというわけだ。

今年定年になって、会社員の部分が死んだので、(やはり穏やかな表現
ではない、)新たな(モノ書き+Alpha)の自分に取り組んでいる。
形が出てくるのは、2,3年後になりそうだ。本当に変えるつもりだ。

60代は、この新らしい自分で走りたい。

その次の10年(70代)は、地元に根を下ろして、新たな自分を目指すこと
になりそうだ。
でもまずは、60代の新らしい自分だ。
これが輝かないと次が見えてこない。

そして、学生時代の自分、会社本位の自分、モノ書き+会社員の自分、
モノ書き++Alphaの自分、そして70代の地元に根を下ろした自分が
皆で集まる。そして自分の臨終の場面に立ち会って、家族と一緒に、
ワイワイしゃべりあいながら最期の自分を見送る。
にぎやかでいいと思うのだ。

ただ、たとえこの予行演習が実現したとしても、終活は完了できるか
どうかは分からない。

実際に亡くなった人の意見を聞くことはできないからだ。

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2013年12月04日

9日(月)にkatanaオフィス経営塾【大阪】で話します(再連絡)

katanaオフィスの経営塾で、お話しする機会をいただきました。

主題は、
「サラリーマンから起業・独立した人々」
〜「いい顔」の先達からヒントをもらう〜
  です。

今までインタビューしてきた方々と、それに刺激を受けた私の
現在までのキャリアを絡めて語ることができればと思っています。

・X(自分)+Y(世の中のニーズ)=LOVE
などの現在、いろいろ考えていることもお話ししたいと思っています。

詳細は、下記のkatanaオフィスのHPに掲載されています。
https://www.katana.bz/service/incubation/event/page/?id=87

どなたでも参加できるセミナーですので。ご興味がありましたら
是非ともご参加ください。セミナー後の懇親会にも参加できます


                  記

日 時:2013年12月9日(月) 19:00〜20:15  (受付18:30〜)
◆対 象:katana会員、ベンチャーサポートネットワーク会員、
      起業・経営に興味のある方
◆内 容:19:00〜19:05 事務局からのご案内・連絡事項
       19:05〜19:50 経営塾『サラリーマンから起業・独立した
                 人々』(質疑応答含む)
       19:50〜20:00 吉田雅紀の『ちょっといい話』
     ※20:10〜21:30 交流会 &忘年会(別会場へ移動します)
◆定 員:30名
◆参加費:500円(税込)※当日現金払い
◆場 所:株式会社あきない総合研究所 katanaオフィス大阪
     大阪市中央区伏見町4-4-9オーエックス淀屋橋ビル3F
     交流会はセミナー終了後、オフィス近くのお店で予定。
     (交流会費:3,500円程度※会場にて現金払い)
     ※交流会参加を希望される方はメールにてご連絡ください
⇒osaka@katana.bz
◆申 込:ページ下にある申込みフォームからお申込みください。
◆問合せ:katana事務局(大阪)   osaka@katana.bz

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2013年11月09日

「マラソンで言うたら、トップグループにおるでぇ」

以前に、相談を受けたことがあるK君が、ぜひ会いたいというので数年ぶりに大阪の喫茶店でおちあった。

前回会った時に比べると、うって変ったようなエネルギッシュな顔つきになっていたので驚いた。
4年前は、課長職への昇格がかなわなくて、
「会社の同期が毎年毎年、課長職に登用されていくのに、自分だけが取り残されている気持です」と最初に昇格した同期から4年遅れることが確定的になってショックを受けていた。

落ち込んだ様子の彼は、あるアウトドアスポーツをがとても好きだという。しかし仕事が忙しくて時間的な余裕がなく、上司との人間関係もあって休暇も取りづらいとこぼしていた。
ただ会社を辞めるつもりはなく、今の営業の仕事は嫌いではないと話していた。

住宅ローンは抱えていないのかと私が聞くと、将来は故郷に戻ることを考えているので、当面は自宅の取得は考えていないという。

「出世できないことが確定的で、ローンも抱えていない。しかも好きなことがある。キミィ、それはマラソンで言うたら、トップグループを走ってるでぇ」と語り始めた。
その言葉を聞いた彼は、はじめは私が彼のことを茶化していると思ったそうだ。が、だんだん私の話に真剣に耳を傾けてくれた。

彼に話したのは、まず本気でそのアウトドアをやり続けていくかどうかを自分で見極ろということだ。
その分野で、日本においてトップクラスの人にまず会いに行け。
趣味でやっている人はだめで、お金を稼いでいるプロか、それをやりたくてやりたくて仕方がないほどのめりこんでいる人の話だ。しかも一人ではなくて、複数の人を見つけなければならない。

また漫然と話を聞くのではなく、自分の今後の姿をイメージしながら相手と自分を重ね合わせることだ。その人がブログやHPをオープンにしていたら、すべてに目を通し、相手が「こんなことまで調べてきているのか」と驚くような質問を用意してからアポの依頼をすればいいだろう。
トップクラスの人には、同じようなレベルの人が知り合いにいるから、君の真剣さが伝われば、知人を紹介してくれるので、いもズル式に人に会えるチャンスがある。

その時に、大切なことは、いくら「凄い人」や、「憧れる人」であっても、自分に手が届く人なのか、そうでないのかの見極めをつけることだ。あくまでも「自分でもやれる」と思える人が、本当の先達になる。
などと、語った。

現在のK君は、そのアウトドアスポーツのインストラクターをしているという。シーズンの週末になると現場に向かう。自分の持つ技術を人に教えて、相手に感謝されるということがいかに楽しいかを彼は語った。いくばくかの指導料も受け取るらしいが、彼が所属しているスクールの運営費に使ってもらっている。
旅行に来たイスラエル人なんかも友達になって、彼のFACEBOOKに「いいね」もつけてくれるそうだ。。またスクールを終えた若い女性から、一緒に写真を撮ってくださいと依頼される。「今までのサラリーマン生活ではありえなかったことも起こるんです」と笑っていた。

またインストラクターをやっている人たちの大半は、サラリーマンであるということだ。その仲間たちと交流するのが、彼にとってこの上ない喜びであると語る。

また「3ー4年でかなり変わることができました」と語った。彼はまだ40歳前半なので、これからも長く楽しめるだろう。

話の途中で、彼は、「楠木さんのおかげです」と何回か語った。
ただ、彼は私の話はほとんど聞いていなくて、自分がいかに毎日が楽しいかばかりを強調していた。誰かに話を来てほしかったのだろう。

4年前に相談した時よりも、今のほうがいい仕事ができるようになったと語っていたことが印象的だった。2年前に課長職にも昇格していた。

「キミィ、トップグループを走ってるでぇ」といった私の言葉が誤っていなかったことが嬉しかった。

そして蛇足ながら付け加えた。
「たとえ評価されても組織の端のほうにおらなあかんでぇ」というと、
「わかってます」と彼は笑っていた。

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2013年10月26日

12月にkatanaオフィス経営塾【大阪】で話します。

katanaオフィスの経営塾で、お話しする機会をいただきました。

主題は、
「サラリーマンから起業・独立した人々」
〜「いい顔」の先達からヒントをもらう〜
  です。

今までインタビューしてきた方々と、それに刺激を受けた私の
現在までのキャリアを絡めて語ることができればと思っています。

詳細は、下記のkatanaオフィスのHPに掲載されています。
https://www.katana.bz/service/incubation/event/page/?id=87

どなたでも参加できるセミナーですので。ご興味がありましたら
是非ともご参加ください。セミナー後の懇親会にも参加できます


                  記

日 時:2013年12月9日(月) 19:00〜20:15  (受付18:30〜)
◆対 象:katana会員、ベンチャーサポートネットワーク会員、
      起業・経営に興味のある方
◆内 容:19:00〜19:05 事務局からのご案内・連絡事項
       19:05〜19:50 経営塾『サラリーマンから起業・独立した
                 人々』(質疑応答含む)
       19:50〜20:00 吉田雅紀の『ちょっといい話』
     ※20:10〜21:30 交流会 &忘年会(別会場へ移動します)
◆定 員:30名
◆参加費:500円(税込)※当日現金払い
◆場 所:株式会社あきない総合研究所 katanaオフィス大阪
     大阪市中央区伏見町4-4-9オーエックス淀屋橋ビル3F
     交流会はセミナー終了後、オフィス近くのお店で予定。
     (交流会費:3,500円程度※会場にて現金払い)
     ※交流会参加を希望される方はメールにてご連絡ください
⇒osaka@katana.bz
◆申 込:ページ下にある申込みフォームからお申込みください。
◆問合せ:katana事務局(大阪)   osaka@katana.bz

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2013年05月29日

「会社人間だった人こそ転身できる」

この2回、ブログで紹介しました、3月の日本人材マネジメント協会(Japan Society for Human ResourceManagement =JSHRM)主催のHRカフェでは、後半は私の話に対する参加者からの質問を中心に進めました。

一番多かった質問は、「転身した人の性格や背景に共通性はあるか」ということでした。
人事自体の話よりも、会社員人生の構造(ちょっと大げさですが)の話の流れのなかで、転身者の話も出したので質問が多かったのでしょう。

下記の文章にも書いたように、若いときには、がむしゃらに働いた経験を持っていることが共通項として挙げられます。また面白いことに、自分の病気、リストラ、左遷、家族問題、親の介護、友人の死などのサラリーマン生活から見れば、挫折と思えることがきっかけになっている方が非常に多いのです。

会員誌に掲載された内容は下記のとおりです。また当日、講演の資料として配布した中で、転身者の一覧表を示しましたのでこれも最後に添付いたします。

◆会社人間だった人こそ転身できる
 ここからは、皆さんにお書きいただいたご質問に対して、私なりの考え方や感じ方をお話しします。
 まず「転身した人の性格や背景に共通性はあるか」という質問を何人もの方からいただいています。
 ここはとても重要なポイントです。
 転身した方々は出発点も到達点も当然ながら異なっており、一つとして同じキャリアはありません。しかしそのきっかけや転身のプロセスを数多くたどっていくと共通項が見えてきます。
 一つは、転身した人達は、若いときに会社人間だった人が多い。組織に深くコミットしたので、組織との距離感が測れるのでしょう。また会社で一生懸命働いてきて基礎力が身に付いているといえるかもしれません。
 キャリアのプロセスでいえば、自己膨張型から絆重視の働き方に変化するという共通項もあります。「自分が、自分が」という働き方では、人生の後半戦、つまりいずれ訪れる老いや死に対応できません。
 自己膨張型で、組織内で順調に出世をして役員など経営陣に入る人もいます。彼らは雰囲気も明るいので、一見すると絆中心型の人と区別がつきません。しかし組織内を一直線に走っている人は、ふとした合間に疲れた表情がうかがえます。組織内では、どうしても合理性や効率性を求められるので、そこに適応し続けることは自分の内面との間に矛盾を抱えるからです。本当に自分にあったことをやっている人は、いつも顔つきがいいのです。
 私の地元である神戸出身の映画評論家 故・淀川長治氏は、嫌いな人と出会ったことがないと言っていました。自分の好きなことに邁進しているからこそそういう気持ちになるのでしょう。今でいえば、「さかなクン」を思い浮かべてみてください。組織の中で働くサラリーマンは、こういうタイプの人に会い、その謦咳に接することにより、会社員としての立場を改めて客観化できる面があると思います。

別表・参考)転身した方々の例
・地方公務員から耳かき職人に転身
・通信会社から提灯職人に
・電工会社から墓石販売で独立
・鉄鋼会社社員から、蕎麦打ち職人に
・自動車会社の技術者から、自転車会社を起業
・電気メーカーの管理職から、高校の校長に転身
・小学校教師から。市会議員に転身
・損害保険会社の社員からトマト農家で独立
・石油会社の社員からバックパッカーの為の宿泊所のオーナーに
・薬品会社の人事担当役員から、セミナー講師に転進
・石油会社の社員から翻訳家に転身
・小売業の管理職から、口笛奏者に
・総合商社の営業職から十数年かけてモノ書きに転身
・生保会社の部長職から保険の分野の大学教授に転進
・スーパーの社員からNPOの職員に転職
・シティホテルの営業職から「コーチ」で独立
・営業職から地元のNPOの常務理事に転身
・百貨店の店長から、中小企業の役員に転身
・ゼネコンの社員から社会保険労務士の資格で独立
・広告代理店のプランナーから、あこがれていた海外移住を果たす
・旅行社の営業職から個人で温泉旅館を買い取って社長に就任
・通信システム会社の部長職から美容師に転身
・薬品会社の営業職から釣具店を開業
・家電販売店の店長からうどん店を開業
・破綻した損害保険会社の営業職から、環境機器の会社を起業
・銀行の管理職から、四国お遍路のNPOの事務局長に
・小学校の教師から、教師を支援する教育サポーターに転進
・新聞社の経済部長から日本一明るい経済新聞社を立ち上げ
・メーカーの管理職から市会議員に転身
・海運会社の人事部課長職から、社労士、人事コンサルタントで独立
・銀行の営業職から、中小企業数社の財務担当として独立
・銀行の破綻を契機に、研修講師として独立
・NHKの放送記者から、阪神大震災をきっかけにプロの落語家に、
・市役所の職員から、小さい頃から憧れていた大道芸人に転身、
・信用金庫の支店長から、ユーモアコンサルタントで独立
・労働組合幹部から、お笑いプロダクション立ち上げ          などなど。




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2012年01月10日

第38回「こころの定年/研究会」のご案内(再連絡)

今回は、若いながらも、多くの職歴、経験をお持ちの岩瀬 密雄さんに登場いただきます。
ここ数回は、研究会にも参加されているのでご存知の方も多いと思います。

題名は、「巡礼の素晴らしさと私の職歴(キャリア)について」です。
巡礼研究者として、様々な巡礼の道を歩いた経験を踏まえ、
巡礼の素晴らしさについて語っていただきます。

また、これまで紆余曲折のあった職歴(会社員→僧侶→研究者→英語教師→会社員)について、皆様のキャリアプランの一助になればという思いからお話をいただけるそうです。

なお、最近はブログもはじめられました。
http://blogs.yahoo.co.jp/santiago20030724
ぜひご覧ください。

今まで多くの転身者にインタビューしてきましたが、これほどの多彩な職歴をもたれている方は
はじめてです。私も楽しみにしています。

現在、10名少しの出席連絡をいただいております。
多くの方の参加をお待ちしております。どなたでも参加できます。

               記

1.日時:1月13日(金)18:30〜20:45

2.場所:「大阪産業創造館」 6階 C会議室
  http://shisetsu.sansokan.jp/access.html

3.当日の研究会の内容

タイトル:「巡礼の素晴らしさと私の職歴(キャリア)について」

内 容:
1 スペイン巡礼
2 悩みを抱えた若者たちとの四国遍路
3 スリランカ巡礼
4 これまでの職歴
5 街づくりへの思い
6 これからの人生

<プロフィール>
岩瀬 密雄(いわせ みつゆう)
高野山真言宗 高野山駐在布教師
元高野山真言宗布教研究所教化研究員(巡礼研究)
現在はサラリーマンとして法人営業も行っている。

4.会 費:一般1,000円、学生500円

参加される方は、メール kusunoki224@nifty.com にてご連絡ください。

参加者は20名までを予定しております。
お気軽にご参加ください。
*********************
楠木新(くすのき あらた)
kusunoki224@nifty.com
*********************


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2011年12月18日

第38回「こころの定年/研究会」のご案内

今回は、若いながらも、多くの職歴、経験をお持ちの岩瀬 密雄さんに登場いただきます。ここ数回は、研究会にも参加されているのでご存知の方も多いと思います。

題名は、「巡礼の素晴らしさと私の職歴(キャリア)について」です。
巡礼研究者として、様々な巡礼の道を歩いた経験を踏まえ、
巡礼の素晴らしさについて語っていただきます。

また、これまで紆余曲折のあった職歴(会社員→僧侶→研究者→英語教師→会社員)について、皆様のキャリアプランの一助になればという思いからお話をいただけるそうです。

なお、最近はブログもはじめられました。
(私が少し焚きつけたかもしれません)
http://blogs.yahoo.co.jp/santiago20030724
ぜひご覧ください。

今まで多くの転身者にインタビューしてきましたが、これほどの多彩な職歴をもたれている方ははじめてです。
私も楽しみにしています。
多くの方の参加をお待ちしております。
今まで参加された方以外でも、どなたでも参加できます。

               記

1.日時:1月13日(金)18:30〜20:45

2.場所:「大阪産業創造館」 6階 C会議室
  http://shisetsu.sansokan.jp/access.html

3.当日の研究会の内容

タイトル:「巡礼の素晴らしさと私の職歴(キャリア)について」

内 容:
1 スペイン巡礼
2 悩みを抱えた若者たちとの四国遍路
3 スリランカ巡礼
4 これまでの職歴
5 街づくりへの思い
6 これからの人生

<プロフィール>
岩瀬 密雄(いわせ みつゆう)
高野山真言宗 高野山駐在布教師
元高野山真言宗布教研究所教化研究員(巡礼研究)
現在はサラリーマンとして法人営業も行っている。

4.会 費:一般1,000円、学生500円

参加される方は、メール kusunoki224@nifty.com にてご連絡ください。

参加者は20名までを予定しております。
お気軽にご参加ください。
*********************
楠木新(くすのき あらた)
kusunoki224@nifty.com
*********************

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2011年10月05日

井川さんが、「ガイアの夜明け」に登場された

昨日偶然にテレビの「ガイアの夜明け」を見ていると、以前に
インタビューでお世話になった井川重信さんが登場された。

食品を加熱せずに無害で殺菌できる技術を、還暦を過ぎて起業
した大阪のベンチャー会社社長として紹介されていた。

「高電界」と呼ばれる仕組みで、牛乳なら風味を損なわずに賞味
期限を延ばせるので、いかるが牛乳と共同開発中らしい。
現在は、70歳を越えているが、ますます意気軒昂だ。

残念だったのは、奥さまを3年前に亡くされたことだ。
私がインタビューでお世話になったのは4年位前だから、最後に
お会いしてそれほど経っていなかった計算になる。

控え目だが、明るくて、研究に打ち込む井川さんを支えられてい
ることが、話を聞いていて伝わってくる感じの良い方だった。
画面で奥さまの話をされる井川さんの表情から、辛さが伝わって
きた。

井川さんは、これからもずっと研究、開発に没頭されるに違いない。
以前に書いた「朝日新聞be」の記事を下記に紹介したい。

     *自分らしさ貫き生涯現役」2007年の記事

飲料水「郷泉水」の自動販売機を手がけるアキュサイト
(大阪市)井川重信社長(68)は、鉄鋼メーカー役員を退任
して61歳で起業した。

役員になるまで技術者として製造現場一筋で通した。若い
頃から日常の業務をこなしながら、新規事業の開発にも
取り組んだ。部下には、社外でも通用する技術を目指せ、
と発破をかけた。自らも論文を書き、学会発表もしていた。 

役員退任後、セラミックによる水処理分野で起業した。
従業員8人のベンチャー企業だ。当初は赤字続きで資金繰り
も苦しかった。退社する従業員も出て、銀行も冷たくなる。
元気な井川さんも暗い顔になり、眠れない夜が続いた。
これではいけないと、ビジネスプランの組み換えた。
会社設立3年でいったん従業員全員に辞めてもらい、一人で
再出発した。見かねた妻も手伝った。

その後、「郷泉水」の自販機がスーパーマーケットに売れ
始める。評価されるには一定の時間が必要だったのだ。
4年目に黒字転換。その後、福岡に営業所を新設。再び2人
の従業員を雇った。

現在は、井川さんが技術開発、営業などを担当し、経理は
妻がみている。事務所兼研究室にベッドを置き、井川さん
は月に3日しか自宅に戻らないこともある。井川さんの
目標は、今後5年くらいで事業を後継者に引き継ぎ、自分は
好きな商品開発に取り組むことである。

会社員時代は、他社との競争に明け暮れた。今は「自分
ならではのもの」に熱い気持ちを持ち、世の中に貢献でき
ていると井川さんは自負している。

そんな「自分ならではのもの」を持つことこそ、生涯現役
を通すための大切な条件だろう。


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2011年08月07日

「あの日にドライブ」(萩原浩 光文社文庫)

牧村伸郎、43歳。元銀行員だった彼は、上司へのたった一言が
きっかけでコースを外れ自ら退社した。現在はタクシー運転手。

営業成績も上がらず、妻や娘や息子との関係もギクシャクしている。
そんな時に、偶然に学生時代に住んでいた近くを通りかかる。

通った洋食屋も本屋もエロ雑誌の自動販売機もそのまま。
銭湯もあり、アパートもそのままだった。

牧村は、自分が住んでいたアパートの203号室のドアまでノックを
してしまうが、誰も出てこない。

そのとき、
「もう一度、人生をやり直すことができたら。痛いほど強く思う」。

それから、妄想を含めて色々なことを考え始める。
この妄想がリアルで、自分が主人公になりながら本を読み進んだ。
彼は学生時代の彼女ともう一度やり直せたらという思いから、彼女
の実家近くをタクシーで徘徊したりもする。

その結末は、どうなるのでしょうか。
暖かい結末が、なんともいえずいいのです。 

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2011年04月03日

映画「マイレージ、マイライフ」

米国映画「マイレージ、マイライフ」を観た。

年間300日を超える日々をリストラ担当として出張する主人公
(ジョージ・クルーニー)は、「バックパックに入らない人生の
荷物はいっさい背負わない」と言い、カードに貯まったマイレー
ジをためることが人生の目標となっていた。

彼が、女性との出会いや新入職員の教育係を任じられたり、妹の
結婚などを契機に自分の人生に迷い始めるという物語だ。

この映画でまず感じたのは、昨日まで働いてきた社員(仲間)に
一方的に解雇を言い渡すことは、どんな国のどんな企業においても
厳しい仕事だということだった。
だから主人公のようなリストラを言い渡す専門職があるのだろう。

米国では簡単に解雇が行われるという俗説があるが、そんな簡単
な仕事ではないことがクビを言い渡された社員の反応で良く分かる。
そういえば、かつての優良企業だったIBMやヒューレッド・パッ
カードはレイオフをしない会社で有名だった。

以前、コメントを本に書いた労務行政研究所の企業調査で、人事
部員に聞いた「最も大変だったエピーソード」では、リストラに
関することが圧倒的に多かったことも思い出す。

中年になって合理的な生き方に迷い始める主人公の姿も印象的
だった。

邦題では「マイレージ、マイライフ」だが、原題は、「UP IN
THE AIR」(宙に浮いている)である。
彼の生き方と実際に米国を飛行機で飛び回る姿を掛けている題名は
なかなか味がある。
ジョージー・クルーニーの魅力的な作品である。

主人公である彼が、妹のフィアンセに送った次の言葉が印象的だった。
「人生で一番大切な瞬間を思い出してほしい。その時君は一人だったか?」

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2010年06月22日

耳かき職人のあの方が画面に。

先週の日曜日に、テレビ大阪の「日曜ビツクバライティ」
で「やり直し人生列伝」を見た。

何組かの転身したビジネスパーソンが紹介されていた。
その番組の後半には懐かしいお顔を見ることができた。

*市役所職員から耳かき創作職人に転身した加藤さんだ。

愛知県碧南市で、お話を聞いたのは、もう3年も前のことだ。

その時とは、全く変わらない元気な姿だった。

当時、インタビューして朝日新聞be「こころの定年」に
書いたコラムを下記にアップしてみる。


       *やりがい高めた挑戦心
加藤恵一さん(56)は、6年前まで愛知県碧南市役所の職員だ
った。高卒で就職して、市議会の速記者や図書館の建設など
に携わった。役人人生は順調だった。
  
30歳の頃、ヨウカンが入っていた竹の容器の有効活用を考え
、趣味で耳かき作りを始めた。

 転機が訪れたのは49歳の時。東急ハンズの『ハンズ大賞』に
応募したことがきっかけだった。今まで耳かき作りは趣味だっ
たが、出品するとなると力が入る。

作品を作り上げる1ヶ月半の間に、イメージしたものを形に
する素晴らしさを改めて発見した。そして、プロの職人になり
たいという気持ちが高まった。
「初めて迎えた大きな転機、どちらに進むべきか」と自問自答
した加藤さんは、審査結果が出る前に辞表を書いていた。

上司や同僚は、勤めながらやればよいと説得したが、加藤さん
の気持ちは固まっていた。定年まで待てば体力も気力も落ちる。

せっかく、打ち込めるものに出会ったのに、ここでやらなけ
れば後悔すると考えた。

幸い二人の娘は社会人で、借金もなかった。応募作も入賞した。
翌年、50歳で市役所を退職した。

耳かきづくりのお手本になる師匠や先達は誰もいない。たった
一人の船出だったが、自分で切り開く楽しさがあった。

加藤さんの作る耳かきは全部で6種類。サヤに入った精巧な作品
は、従来の耳かきのイメージを覆す。実際に使った時の柔らか
い感触も格別だ。
 
各地の百貨店で催される「日本の職人展」などに呼ばれること
も3年ほど前から多くなった。

人との出会いも広がり、それらも励みに仕事に精を出す毎日だ。



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2010年06月19日

「やり直し人生列伝」を見ました。

先週の日曜日に、テレビ大阪の「日曜ビツクバライティ」
で「やり直し人生列伝」を見た。

何組かのビジネスパーソンが紹介されていた。
(番組を知って、あわてて録画した)。

*農林水産省に同期入省して結婚した夫婦が、農家に転身。
ー妻もキャリア官僚で、家と職場の往復の毎日で、終電まで
 働くのも当たり前だったようだ。

*住宅メーカー敏腕営業マンから漁師に転身
ー偶然インターネットで見つけた漁業体験への参加が人生を
 変える契機となっている。始めは反対していた妻が一緒に
 イキイキ働いている姿が印象的だった。

*小学校校長先生から紙芝居師に転身

このほかにも
*ソニーのエンジニアからカフェレストランをオープン
*音響メーカー社員から、津軽三味線弾き語りのプロに転身
*市役所職員から耳かき創作職人に転身
*保険会社を早期退職して、卓球居酒屋を開店した人

など多くの人が紹介されていた。

転身のインタビューに没頭していた時を思い出して画面を
食い入るように見ていた。

「自分の憧れている仕事に転身したい」と思っても、実際は
頭に浮ぶだけだ。でもなかにはビジネスでの役職や収入を
諦めて、新しい仕事に挑戦する人達が、少数だがいる。

私の「こころの定年」でのインタビュー対象者とは
若干基準は違うように思うが、やはり興味が惹かれる。

テレビ番組にまでなっていることを思うと、転身に興味を
持っている人はやはり少なくないのだろう。

画面を見ていて懐かしいお顔にも出会えた。
(次回にも続く)

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2010年04月09日

自分のオリジナリティと向かい合う

巨人の木村拓也コーチが、くも膜下出血で亡くなりました。
37歳という若さに驚きます。
下記の研修での講義内容を読んで、自分のオリジナリティと
向かい合ってきた同選手の姿勢に感服しました。

読売巨人軍公式HPより。(2010.03.04)
NPB新人研修 木村拓コーチ講義内容
 

高校時代は4番を打っていて捕手でした。19年間プロ野球選手
をやって、最後は2番・セカンドになった。そのいきさつを
話そうと思います。
 
1990年のドラフトで、僕は指名されませんでした。当時は
6位までに指名されなかった選手は、「ドラフト外」で自由競争
でした。
僕は高校通算で35本塁打打っていて、宮崎県のお山の大将で、
ドラフトで自分の名前が出ないでショックでした。
ドラフト外で日本ハムに入団する時に、スカウトから「入ったら
横一線だから。プロの世界は自分が頑張って結果を残せば、一軍
に上がって大変な給料がもらえる」と言われました。
 
でも入ってみるとちょっと違っていた。新人のみなさんはキャン
プを1か月やって、「これならやれるな」と思った人と、
「すごい、ついていけないかも」と思った人がいるでしょう。

僕はキャンプ初日にシートノックでボール回しをやった時に、
「とんでもない所に来た」と思いました。プロのスピードについて
いけない。ドラフト外というのもなるほどな、これはすぐにやめて
田舎に帰らないと、と思いました。
 
当時、開幕前に60人という支配下登録の枠がありました。僕は
登録されなかった。新聞に任意引退選手と出て、故郷から
「2か月でやめるのか」と電話がありました。

今の育成選手は、二軍の試合に出られるし、シリウスやフュー
チャーズがある。僕の時には支配下からもれたら、試合に出られず
、ひたすら練習。「何しにプロ野球に入ったんだろう」。
今の育成は、野球をやるチャンスがある。どんどんアピールして
頑張ってほしい。
 
2年目に、一軍にけが人が多く出ました。二軍の野手が一軍に呼ば
れて、二軍監督から外野を守るよう言われました。
試合に使ってもらえるならと外野手をやり、まず第一歩を踏み出し
ました。そしてファームで1番を打っていた選手が米国に野球留学
し、他はけが人も多く「1番がいないから、お前が打て」とコーチ
に言われ、何て運に恵まれているんだろうと思いました。
そして9月、一軍にけが人が多く、初めて一軍に上がりました。
結局、2年目は3本ヒットを打ちました。
 
3年目は開幕一軍でしたが、ほとんどが守備要員でした。
1か月ほどで二軍に落ちて、それ以降は一軍に上がらずでした。
3年目のオフに転機がありました。9月末から12月末の4か月間
、ハワイのウインターリーグに参加し、イチロー選手といっしょで
した。1歳下のイチロー選手に衝撃を受けました。4か月間同じ
部屋で、朝起きたらいない。

朝からウエートトレーニングをしていたのです。このウインター
リーグでイチロー選手は首位打者を獲りました。自分はこんなん
じゃだめだなと思い、イチロー選手が僕の野球人生を変えてくれた
一人になり、感謝しています。
 
4年目は、1年間一軍にいましたが、守備要員でした。しかし
やっと「野球選手になれたな」と思っていたのですが、広島にトレ
ードになった。正直「何でおれが」と思いました。

広島は当時、野村、江藤、前田、音、緒方、金本の名選手ぞろい
……僕に入り込むすきはなかった。
移籍1年目は数試合に出て7打数で安打なし。
「これはクビになるな」と思い、
「どうやったらここで生きていけるか」と考えました。
一軍のレギュラーの中では、セカンドが確か34、35歳のベテ
ランだったので、セカンドをやるしかないと練習するように
なりました。
 
移籍2年目は、一軍を行ったり来たり。それまでは右打席でのみ
打っていましたが、左投手の時には代打で出られるけれど、右投手
だと代えられる。どうしたら代えられないようにできるか。
左打席で右投手が打てるようになればと、スイッチヒッターに
取り組みました。自分が生きていくためには必要だと。
 
スイッチヒッターになって、1つ気づいたことがあります。
例えば右打者の時、右投手の外の真っ直ぐと左投手の外の真っ直ぐ
は同じではなく、角度が違う。スイッチヒッターは、練習は人の
倍やらないといけないが、右打席の右投手のような、自分の体に
近いところから来る球がなくなりました。
球種が半分になったようなものです。打つのが一番難しいのです
が、体に近いところから遠いところに逃げていく球がなくなった。
それに気づいてからは打てるようになりました。プロに入って
9年かかって、10年目に136試合フル出場しました。
野球選手の平均寿命が8、9年で、自分がそこまで生き残れました。
 
今、みんなは希望にあふれて「レギュラーを獲って生き残って
やる」と思っているだろうが、必ず壁にぶつかる。
そんな時、少し言葉で考えると、僕みたいに生き残れる。
ざ折してあきらめるのか、そうでないのか、自分で考えないと
いけない。
 
そして34歳の時、トレードでジャイアンツに来ました。広島が
若手選手への切り替えを図っていて、僕は出場機会が減りそう
だったのですが、子供はまだ小さく、家のローンも残っている。

「トレードに出してください」と球団にお願いしたのですが、
決まったのが(戦力が充実している)ジャイアンツ。
「出番を求めているのに、何でジャイアンツなんだろう」と
思いましたが、入団してみると、けが人が続出してチャンスが
もらえた。
 
最後にジャイアンツに入って、3連覇や日本一を経験し、勝つ
喜びを知った。今までは自分の事だけを考えていました。
プロ野球選手になると自分が成功するために、どうしても自分
の事ばかり考えてしまう。
しかし勝つ喜びはものすごくて、言葉では言い表せない。
みなさんも、自分が活躍して優勝するんだという気持ちを
持ってほしい。
 
自分は「こういう選手になろう」と思ってここまで来た選手
じゃない。こうやるしか思いつかなかった。
それが「ユーティリティープレーヤー」、「何でも屋」で、
それでもこの世界で食っていける。「レギュラーになる、
エースになる」だけではない。
巨人の藤田宗一投手は、中継ぎ登板だけで自分と同じ歳まで
やっている。それで飯が食える、それがプロ野球。
「俺が一番うまい」と思って入団して、一番得意だった事が
うまくいかない。
それもプロ野球。その時にあきらめるのではなく、自分の話
を思い出してほしい。投げ出す前に、自分自身を知って
可能性を探るのも必要ではないか。




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2009年11月08日

大丸神戸店で、「くるみ割り人形」を見てきました。

案内状をいただいたので、大丸神戸店の7階洋食器売り場に
ある「ドイツ木製工芸展」に行ってきました。

二年前に、朝日新聞beのインタビューにご協力いただいた
中村一行さんが、特別展に参加されていたものです。

中村さんは、50歳の頃「残る人生が30年あるなら、もう一回
別のことに挑戦したい」と考えるようになって、以前から
興味があったくるみ割り人形などの木工製品の世界に第二の
人生を踏み出されました。

私が到着すると、女性の親子連れと年配のご夫婦が続けて
購入されていて、忙しそうだったので、ひと段落つくまで
待ってご挨拶させていただきました。

直前にお話しされていたご夫婦は、中村さんが阪神大震災の
時に、ボランティアに入った時に知り合った方がご案内に
応じて来られたのだそうです。

現在も全国の百貨店の催しに時々参加されていて、相変わらず
お元気で活躍されています。
お客さんに案内する時の中村さんの柔らかい笑顔をみていると
こちらまで嬉しくなるものです。
また、くるみ割り人形も見ているだけで気持ちが落ち着いてき
ます。
この催しは、大丸神戸店で、11月10日まで行われています。

参考に、朝日新聞beの「こころの定年」の記事を下記に
紹介します。

            記

      *くるみ割り人形でリセット

アートギャラリーとショップを兼ねた「小さなミュージアム」
(東京町田市)は、中村一行(59:当時)さんの自宅の一部を
改造して03年にオープンした。約40センチのくるみ割り人形
が300体以上も、ずらりと並んでいるのに驚かされる。

中村さんは、旧東洋信託銀行の行員だった。国際業務を希望し、
入行4年後には支店の開設準備でニューヨークに赴任。その後
も国際部門一筋で17年勤めたあと、引き抜かれた外資系投資
銀行の東京支店で財務責任者を長く務めた。 

しかし、外資系銀行は、競争が激しく、精神的に疲れる職場
だった。上司は20歳も年下で、仕事のスタイルも違った。
50歳ごろ、残る人生が30年あるなら、もう一回別のことに
挑戦したいと考えるようになった。

残りの人生をどう燃やすかを考えた時、人の心の琴線に触れる
アートの仕事が頭に浮んだ。ニューヨークのドイツ人街に住ん
でいた時、ある店でくるみ割り人形に出会い、その精巧さと
木のぬくもりに魅了された経験が大きかった。
妻も大賛成だった。

退職した2日後には、くるみ割り人形の故郷ともいえるドイツ
のザイフェン村へ妻とともに飛び、半年後、自宅に「小さな
ミュージアム」を開いた。以来5年。販路開拓に力を尽くした。

最近は、百貨店の催事場での展示も年20回を数え、売り上げ
も右肩上がり。といっても収入は退職前には及ばない。でも、
本物に触れる喜びと感動にかかわっている実感がある。今後
は、海外の人形職人を紹介したり、日独の木工作家のシンポ
ジュウムも企画したりしたいという。中村さんにとって、
世界を股にかけた第二の人生なのだ。



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2009年07月02日

「違う名前で過ごすなんて今まで考えたことはありませんでした」

先日、会社の人と話していて、これだけ世の中の動きが激しく
なったら、同じ名前や一つの役割で人生80年を過ごすのは
難しくなる趣旨を私が話すと、ある若い女性は、
「違う名前で過ごすなんて今まで考えたことはありません」
と応えてくれた。

ライフサイクルの変化を考えると、一つの自己イメージで
一生を過ごすのには無理があるのだろう。

昔は、成人(イニシエーションを終えて)してから幼名と
異なる名前を名乗ることもあった。
芸の世界では、襲名披露で名前を変えるのはよくあることだ。
最近は、「○○研究家」など自分の目指す役割を個人名刺に
書くビジネスパーソンも増えてきている。

人は本来多くの自己イメージを持つものだと思う。
会社の部長が家庭に帰っても、部長のようであるとは限らない。
私達は、社内でさえ「私、わたくし、僕、自分は、俺は」の
ように自分の呼び名を変えて、相手や場面に応じて自己の位置
づけを変化させている。

作家の遠藤周作氏は、「孤狸庵」なんて名前をつけていて、
ずいぶんバランスをとっている趣旨を対談で語っていた。
同時に、三島由紀夫は、自分を一つに限定して、しかも
トップを走るというイメージで自分のスタイルを決めてしまった。
これは苦しいだろうなと思ったという旨を話している。

この道一筋ではなくて、あれもこれも的なところがあるほうが柔軟
な対応が可能である。また年を経るのに応じて、一生のうちに多様
な自分を経験することは、人生を深く味わうことにつながると思って
いる。

しかしこれはある程度年齢を経ないと感じられないことかもしれない。


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2009年02月24日

3)自分の可能性を広げよう(「賃金事情連載第四回)

(昨日から続く)
*自分の可能性を広げよう

一般には、年をとると成長が止まり、若い頃に比べて可能性も限定
されると考えがちです。しかしインタビューでは、むしろ成長して
いる実感をもっている人が多いのです。
例えば40代半ばに、信用金庫の支店長から「ユーモアコンサル
タント」で独立した人は、「この三年間で得たものから考えると、
信金にいた二十年よりも自分は成長している」と話しています。

新しい自己イメージにチャレンジすることが、自らの可能性を広
げる作業になっているのです。同時に、この作業は、個性化の
プロセスを辿るので、その人なりの「物語」の発見につながります。

これは、会社から離れて転身した人だけではなく、組織に在籍して
いても可能なのです。自分の話で恐縮ですが、休職を経て取組んだ
インタビューや執筆を通じて、私はこの数年が人生の中で最も充実
しています。
五十歳からこういうことに出会えるとは思ってもいませんでした。
この自らの可能性を広げるプロセスは、全人格的に生きている実感
や自分のかけがえのなさを取り戻すことにつながり、
「なぜ満たされないか」の回答を得ることができます。

常に勝ち組を続けることはできません。いつも通常の意味の幸福は
続かないでしょう。

しかし、このプロセスが、その人の中心に深く位置づけられれば、
ライフワークを手に入れたといえるのではないでしょうか。
ライフサイクルの変化に応じて、異なる役割を経験しながら、人生
を反芻するという生き方の中に、私は人間の可能性を感じるのです。
転身者のインタビューで学んだ最も貴重な点です。
                           以 上



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2008年11月13日

(3)なぜ偶然に人に出会うのか?(人事労務雑誌連載) 熊楠

(昨日から続く)

熊楠の「縁起」の考え方について、土宜法竜への手紙
から引用してみよう。
(ここでの「土宜法竜」とは、当時の高野山の管長であり、
当時の仏教界の第一人者の一人である。熊楠は、「やぃ、
土宜法竜、君達は縁起の前提の因果ですら分からない」
などの表現も手紙で見られる。「土宜法竜」に熊楠が
甘え、「土宜法竜」も熊楠を可愛がったらしい)

「因はそれなくしては果が起こらず。
また因異なればそれに伴って果も異なるもの
縁は、1因果の継続中に他因果の継続が竄入し来たる
もの、それが多少の影響を加うるときは起、(熊楠
、那智山にのぼり小学教員にあう。別に何のこともなきとき
は縁)(その人と話して古え撃剣の師匠たりし人の聟と
きき、明日尋ねる時は右の縁が起)

故にわれわれは諸多の因果をこの身に継続しおる。縁に至り
ては一瞬に無数にあう。それが心のとめよう、体に
ふれようで事を起こし(起)、それより今まで
続けて来たれる因果の行動が、軌道をはずれゆき、また
はずれた物が、軌道に復しゆくなり。」

手紙でも熊楠は、「これを実例を挙げて演繹せんには、なか
なかむつかしく、一生かかるも言い尽し得うべからず」と
いっているので彼自身も説明も難しいと思っているらしい。


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2008年11月12日

(2)なぜ偶然に人に出会うのか?(人事労務雑誌連載)

*転身者のインタビューから見えた「人との出会い」
ーなぜ偶然に人に出会うのか?―


(前回からの続き)
*南方熊楠の書簡
その課題を抱えていた時に、ふとしたきっかけで(これも
「偶然」なのです)、生物学者、民俗学者の南方熊楠の書簡
を読んで疑問が氷解しました。

次回の資料の中で、熊楠は、「縁起」の説明を「人との出会い」
に絡めてズバッと書いています。

彼は、原因―結果の関係にある「因果」と「縁」の関係を整理
した上で「人の出会い」を「縁起」の例として述べています。
左図で那智山に登って小学校の先生にあって何も起こらないとき
は「縁」、彼とあって剣の師匠の話を聞いて翌日尋ねる時は
「起」と説明しています。

また、その縁起(「偶然」と言ってもいいと思います)は、
「心のとめよう、体にふれようで、事をおこし(起)」と、
単に人は偶然に翻弄されるだけではなく自分の心構えや姿勢に
よって「縁」に働きかけて「起」を起こしうることを「人の
出会い」で説明しているのです。

一般には、偶然は個人の手の届かないものだとか、偶然か必然
かの二者択一で論じられがちです。でも限られた範囲では心
構えや姿勢で偶然を変えることが可能であって、そのひとつの
例が「人との出会い」だと考えられないでしょうか?
転身者のインタビューの中で、「○○さんとのご縁で」と発言
する人が多いことにとても興味が惹かれます。

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2008年11月07日

(1)なぜ偶然に人に出会うのか?(人事労務雑誌連載)

*転身者のインタビューから見えた「人との出会い」
ーなぜ偶然に人に出会うのか?―

私は、一定期間会社で仕事をした後に、起業や独立を果たして
「いい顔」で活躍する人達、200人にインタビューしてきました。

彼らの転身のプロセスを丹念に追うと「人との出会い」の大切さが
よくわかります。
しかも現在の会社の同僚は、ほとんど話に出てきません。

会社勤めの範囲外にいる人から刺激を受けて展開する場合が多く、
しかも偶然に支配されているとしか思えない状況が語られます。

転職の研究で有名な社会学者のグラノヴェダーは、「弱い紐帯
(ちゅうたい)」という仮説を主張しています。
いつも会っている会社の同僚や家族は、同様な情報を共有する
傾向があるので、転職を目指す人は、それほど親密でない人から
新しい情報を得て次の仕事に移ると想定するのです。

日常的に付き合っている範囲外の人が大きな役割を果たすという
結論は一緒ですが、情報というキーワードで説明するのは、
インタビューで得た私の実感とは相当隔たりがあります。

「人との出会い」には、情報とその人との関係性、つまり転身
する人の姿勢や心構えが大きく関係していると思うのです。
ただそれをうまく説明する考え方がなかなか見当たりませんでした。

(次回続く)


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2008年06月23日

第17回 「こころの定年/研究会」のご案内 (再度のご連絡)

下記に、第17回 「こころの定年/研究会」のご案内(25日実施)
をさせていただきます。
今回は、浜端さんの話材提供に加えて、銀行から転身された山下
さんから『歩き遍路入門講座』のご案内もあります。
どうぞお楽しみに。

            記

第17回 「こころの定年/研究会」を6月25日(水)
に行います。多くの方のご参加を期待しています。

今回は、現在「コーチ」として活躍されている浜端久美さんに
「コーチングで人がどのように変化していくのか」、
「変化」をテーマにして話材提供いただき参加者で議論する
予定です。

前回までの研究会では、
 屬覆漆佑40歳から揺らぐのか」、
◆崋\ぢ紊坊僂い任いもの(その重要性)」 
について意見交換を行ないました。

前回の「自分自身が柔軟で、色々なものを受け入れ、変化し
続ける必要がある」との議論を継いで話材提供いただきます。

なお、浜端さんは、私の朝日新聞be「こころの定年」の連載
にも登場いただいています。
http://blog.livedoor.jp/kusunoki224/archives/51003407.html


1.日時:6月25日(水)18:30〜20:45

2.場所:大阪産業創造館 (堺筋本町)6階のD会議室
 (従来の研修室は5階でした)
  http://shisetsu.sansokan.jp/access.html
  (今回も、議論しやすいように従来の研修室から会議室に
   変えています。1階の掲示板で部屋を確認ください)

3.当日の内容:
―仞兵圓隆蔽韻兵己紹介
短時間名刺交換
I傭宍徃さんからの話題提供
そ仞兵坡銅で意見交換

4.会費:一般1,000円、学生500円
(どなたでも参加できます。メールkusunoki224@nifty.comにて
 ご連絡ください)

5.定員:22名



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2008年04月04日

第16回 「こころの定年/研究会」のご案内

第16回 「こころの定年/研究会」を4月24日(木)に
行います。多くの方のご参加を期待しています。

朝日新聞be「こころの定年」の連載が本日で終了しま
した。1年余りの間、多くの方にお世話になりました。
どうもありがとうございました。

さて、今回も前回に引き続き、楠木新から話材提供させて
いただき、その後出席者で自由に話す機会にしたいと思い
ます。(会場は、一緒ですが、議論しやすいように従来の
研修室から会議室に変えてみました)

一応、話材提供は、楠木新から下記の2点を考えています。
)榮の「こころの定年」最終回にも書きました「転身者
 の人の出会い」について
∩芦鵑竜掴世涼罎能个拭崋\ぢ紊坊僂い嚢圓もの」に
 関する点

また、参加者からの話材提供も募集します。当日までに
ご連絡ください。

なお、前回の「お遍路のお話」「歌声喫茶の紹介」などの
情報提供も大歓迎ですのでよろしくお願いいたします

            記

1.日時:4月24日(木)18:30〜20:45

2.場所:大阪産業創造館(堺筋本町)6階のC会議室
 (従来の研修室は5階でした)
     http://shisetsu.sansokan.jp/access.html

3.当日の内容:
―仞兵圓隆蔽韻兵己紹介
⊇仞兵圈楠木新からの話題提供
C算間名刺交換
そ仞兵坡銅で意見交換

4.会費:一般1,000円、学生500円
(どなたでも参加できます。メールkusunoki224@nifty.com
にてご連絡ください)

5.定員:22名
*********************
「こころの定年」評論家
楠木新(くすのき あらた)
kusunoki224@nifty.com
http://blog.livedoor.jp/kusunoki224/
*********************


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2008年03月09日

背中で語れる父親めざして(朝日新聞be「こころの定年」)

今回は、三井石油化学工業の部長職から、息子さんが
亡くなられたことを契機に、転身された釘宮和也(60)
さんに、登場いただきました。

新宿にある松下産業の本社でお話を伺いました。

       *背中で語れる父親めざして
総合石材販売会社の松下産業(東京都新宿区)の社長で
ある釘宮和也(60)さんは、元は三井石油化学工業の社
員だった。京大大学院で高分子化学を専攻し、同社の
総合研究所に10年勤務した後に、営業も経験して順調に
出世の階段を上がっていた。

しかし、香港駐在をしていた時、次男が難病に侵された。
闘病生活の末、次男は翌年亡くなった9歳だった。両手を
合わせ「育ててくれてありがとう」とのおの言葉を、妻に
残したという。

帰国後、釘宮さんは、三井東圧化学との合併を控えて動揺
する社内の雰囲気に驚いた。自分の将来も不透明になった。
49歳の時だ。「何のために働いてきたのか」と、放心した
ように自問自答する日々が続いた。

それを見てか、長男が「子は父の背中を見て育つというけど
、僕はお父さんの背中が見えない」と話していたと、妻から
聞いた。「これではいけないと」と思い直した釘宮さんは、
以前から誘われていた松下産業に自ら転職する道を選んだ。
松下産業は従業員170人の規模だが、働いてみると財務内容
もよく、社員にも活気があった。気分を切り替えて仕事に
取り組み、取締役を経て2年後に社長に就任した。

以来8年。部長職だった三井化学工業時代に比べると、会社
の規模は小さくとも責任は重い。自分の決断が、社の経営
を左右する。日々厳しい場面もあるが、今はやりがいを感
じて経営に取り組んでいる。

釘宮さんは、家族こそが自分の精神的の支えだという。
「死ぬ時には『お父さん、よう頑張ったね』と家族に褒め
てもらえるようになりたい」と語る。もちろん、天国で待
ってくれているだろう次男にも、、、、、。




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2008年03月02日

人々を励ます笑いを広める(朝日新聞be「こころの定年」)

昨日の朝日新聞be「こころの定年」では、労働組合の
委員長から、お笑いプロダクション「笑工房」代表
に転身した小林康二さん(68)に登場いただきました。

小林さんお話は、その元気な笑顔も伴い、こちらにも
元気を伝染する効果があります。とても60代後半とは
思えない雰囲気です。


     *人々を励ます笑いを広める
大阪のお笑いプロダクション「笑工房」代表の小林康二
さん(68)は、中学校を出て鉄工所に就職。24歳で労働運
動に身を投じた。

大阪の千人規模の労組で書記長、委員長を歴任。会社側
と交渉する一方、倒産や解雇にあった労働者の相談に乗り
、権利確保に取り組んだ。

小林さんは小さい頃から文学が好きで、小説家を夢見る
一方、ラジオにかじりついて好きな講談や落語に親しん
でいた。中二で父を亡くなってからは「いかに死ぬか」と
の思いがずっと頭の中にあったという。だからこそ、
40歳を過ぎた時、定年の60歳からさらに約20年ある平均
余命を何とか輝かせたいと考えた。勉強すれば、落語の
台本が書けるのではないかと思い、55歳で退職。大阪シ
ナリオ学校の演芸台本コースに入学した。夫婦共稼ぎで、
子どもも就職していたので迷いはなかった。

学校で、新作落語を書いているグループを紹介され、
プロの落語家とも知り合った。ある時、労組から労働基
準法の改正を落語で説明してくれとの依頼を受けた。
学者の話では難しくて、多くの人が寝てしまうからだ。
その「労働落語」が新聞に取り上げられ、全国各地から
問い合わせや依頼が相次いだ。  

小林さんが「笑工房」を立ち上げたのは10年前。そこ
には、一緒に演じてくれる落語家や作家がいつも出入り
している。過労死やリストラ、子育てなどをネタにした
新作落語は約60本。主に労組や学校を中心に興行を行い、
年間の売り上げは3000万〜5000万円にもなる。落語を
上演するたびに、作家にもきちんと台本料を支払っている。
「人々を励ます笑いを広めたい」と語る小林さんの笑顔は
輝いている。

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2008年02月24日

地元に生きがいを見つける(朝日新聞be「こころの定年」)

昨日の朝日新聞be「こころの定年」では、飲料パッケージ
メーカーの社員から、NPO「フュージョン長池」の理事長に
転身された富永一夫さんに登場いただきました。

取材で、多摩ニュータウンに行きましたが、その緑の多さと
丘陵の大きさに驚きました。
富永さんからは長時間にわたってお話を伺いました。


    *地元に生きがいを見つける
東京の多摩ニュータウン(NT)にある長池公園の管理を八王子
市から委託されているNPO「フュージョン長池」の富永一夫
理事長(55)は、元は飲料パッケージメーカー、日本テトラパッ
クの社員。営業畑を中心に実績も上げたが、40歳頃から会社生
活に行き詰まりを感じ始めた。自分の「馬力」が強過ぎたせい
か、組織の中での自分の納まりどころが見えなくなっていたのだ。

44歳の時、多摩NTに引っ越した。そこで、団地の管理組合役員
を手始めに、アニメ上映、ミニコミ誌の発行などに取り組むと
、どんどん人の輪が広がった。自分の住む地域が、自由に絵が
描ける真っ白いキャンパスに見えた。また活動を通じて「地元
の子どもたちにとっては、ここが故郷なのだ」と思い知った。

富永さんは当時、工事中だった長池公園と建設中の自然館の
管理運営を地元民が受託できないかと考えた。普通なら市か
その外郭団体が受託するものだ。しかし、当時はNPO法も制定
され、地域活動を重視する機運も盛り上がっていた。富永さん
は99年にNPOを設立。会社を退職した。47歳だった。当面は無
収入を覚悟したので、決意を固めるに半年かかった。妻も不安
そうだったが、同意してくれた。

曲折はあったが、01年7月、NPOは八王子市から自然館の管理運
営を受託した。後の「指定管理者制度」のはしりである。現在、
富永さんは自然館の館長だが、いろいろな地域活動や提言も行い
、他の地域との交流にも積極的だ。かつて会社の中では、自分の
「納まりどころ」をみつけられなかった富永さんだが、本当の
力のふるいどころは、自分の足元にこそあったのである。


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2008年02月17日

「収入よりやりがいを優先」(朝日新聞be「こころの定年」)

今回は、リコーの社員から、古書店をつなぐサイトを
運営する会社「紫式部」(横浜市)を起業された
河野真(51)さんに登場いただきました。

    *「収入よりやりがいを優先」
古書を求める人と、古書店をつなぐサイトを運営する
「紫式部」(横浜市)の社長である河野真(51)さんは、
元はリコーの社員。主にファックスとコピーの複合機
などを開発する新規事業畑を歩んできた。

40歳の頃、知人から古書店開業の相談を受けたのが
きっかけで、古書店案内サイトを立ち上げた。90年代
末にネット社会が本格化すると、サイトの反応にも
手応えを感じた。サイトに加入する古書店は30を超え、
アクセス数も増えた。帰宅後、サイトの手当てに深夜
まで取り組み、睡眠時間が3時間程度の生活が続くと、
勤務中に時々意識が飛ぶようになり、本業に専念するか
、独立して起業するかの選択を迫られた。

当時は、東京支店の課長職。安定した地位と収入が
あった。だが、「やりがい」を優先させ、44歳で退職
した。社内結婚だった妻と大げんかになり、妻は一年間
口をきいてくれなかった。

独立直後の年収は1/5に激減。でも、翌年からは順調に
業績を伸ばした。その後、アマゾンなどの大手ネット
会社の古書分野への参入で打撃を受けた。だが、大手が
参入できないきめ細かなアクセス解析や、古書店の経営
指導などで盛り返した。

従業員は4名ながら約250の古書店が加入している。
最近、東京の大手書店とも提携。加盟古書店の特色ある
本を新刊書と並べて販売する事業にも乗り出した。  

変化の激しい世界なので、事業の将来に保証はない。
でも独自サービスで社会の役に立っている実感は強く
感じている。先日も、「長年探していた祖父の著書に
やっと出会えた」という人から、お礼のメールが届いた
のだそうだ。



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2008年02月09日

転身して得るもの、失うもの(朝日新聞be「こころの定年」)

今回は、川崎市にある「蕎麦会席 一(いち)」の主人
稲葉武生さん(63)に登場いただきました。

とても元気な方で、楽しくお話を伺いました。
最後の部分(「独立して、やっぱり組織が一番面白いこと
が分かった」)は、自分でも意外な話で大変興味を持ちま
した。少し考えてみようと思います。

    転身して得るもの、失うもの
川崎市の住宅地にある「蕎麦会席 一(いち)」主人の稲葉
武生さん(63)は、繊維関係の中堅企業に35年勤務していた。
ニット服の製造販売一筋。全国の問屋などを回り、月の半分
は出張していた。

転身のきっかけは50代半ば、足の炎症による一ヶ月の入院
だった。妻らと話しながら、このまま家庭も地域も顧みず、
仕事中心の暮らしを続けてよいのかと考えた。繊維業界の
不況で、限界も感じていた。

退院後「そば屋をやろう」と決意した。そば好きの稲葉さんは
、出張先では名店で食べ歩き、自宅では仲間と15年もそば打
ちを続けていた。98年には会社を退職。55歳だった。

しかし趣味と本職は全く違う。駅前の場所を物色しつつ、
ソバ畑がある丹沢と浅草のそば屋で1年半修業。ソバの収穫
から店の運営まで学んだ。でも、なかなか空き店舗が見つか
らない。そこで自宅1階を30席とそば打ち台を備えた店舗に
改装して開業にこぎつけた。当初は反対した妻も、手伝わな
いことを条件に承諾してくれた。 
 
開業8年、地元の知り合いの来店も多く、商売は予想を超え
て順調だ。忙しい時は、妻も店に立ってくれるようになった。
稲葉さんは、今も朝4時に起きて仕込みにかかる。

転身の経過を笑顔で語る稲葉さんから意外な言葉を聞いた。
「独立して、やっぱり組織が一番面白いことが分かった」と
いうのだ。営業成績に一喜一憂し、仕事の後で酌み交わす同
僚との酒やゴルフの楽しさ。今も付き合いのある取引先も多い。

人は同時に二つのことはできない。転身して得るものもあれば
、失うものもある。そして、立場を変えて初めて見えてくる
ものもある。


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2008年02月02日

「組織で得た基礎体力が生きる」(朝日新聞be「こころの定年」)

今回は、リクルートの人事課長、編集長などを経て、
人材コンサルタントと、映像、出版プロデュースを
手がける会社を設立した田中和彦さんに登場いただ
きました。

インタビユーの中での「なぜ?」との疑問も文中に
入れました。

    *組織で得た基礎体力が生きる
田中和彦さん(49)は、リクルートの出身。同社では
希望とは違う部署への配属が続いたが、目の前の仕事
に全力で取り組み、人事、広報課長を歴任。「就職ジ
ャーナル」など3誌の編集長も兼務していた。

ところが、新聞で「映画プロデューサー募集。未経験
者可。40歳まで」との求人広告を見て、迷わず応募した。
映画好きで、いつかは映画ビジネスに携わりたかった
からだ。40歳の時である。

一からの出発を覚悟したが、プロデューサーの仕事は
雑誌編集長のそれと共通点が多く、以前の経験が活きた。
2年で20本の映画を手がけ、会社の邦画部門撤退を機に,
フリーに転じた。失業保険を受給していた時期もある。
3年後、再び映画関係の2社に勤めた末、人材コンサル
タントと、映像、出版プロデュースを手がける会社を
設立した。何より「自分が動きやすい環境」を優先した。

モナコ国際映画祭では、プロデュースした「受験のシン
デレラ」(和田秀樹監督)が最優秀作品賞を獲得。
幸先のよいスタートを切った。

お気づきの方もあろうが、田中さんは以前、このbeで
「複職時代」という連載を5年間続けた人だ。会社に
しがみつかず、自分らしい働き方を主体的に選択した
事例を多く紹介してきた。

田中さんの歩みも、組織に帰属するより、好きな仕事
を追ってきた面が強い。なぜそれが出来たのかを聞くと
「好きなことがあれば、それに飛び込む性格」「いざ
となったら、何をしても食べていく覚悟」を挙げた。
ただ忘れてはならないのは、そのキャリアを支えている
のが、40歳までに組織の中で培ったビジネスの基礎体力
だということだ。



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2008年01月26日

「空飛ぶ自転車の夢」(朝日新聞be「こころの定年」)

本日は、トヨタから転身して、軽量の折りたたみ自転車で
起業された白井健次社長に登場いただきました。

昨年、「ガイアの夜明け」に紹介されたのをみてインタ
ビユーをお願いいたしました。

        *空飛ぶ自転車の夢
有限会社バイク技術研究所(東京・八王子)の白井健次社
長(60)は、小学生の頃から乗り物好き。孫悟空の雲に乗る
術のように、自転車で空を飛ぶ夢をよく見たという。

大学は機械工学科を卒業して、あこがれの国産旅客機YS-
11を開発した日本航空機製造に入社。やがてYS-11の生産
が終わると、上司の誘いでトヨタ自動車に転職した。

それ以後、50歳過ぎまで車の開発一筋。車体の強度や
ブレーキ開発の仕事に取り組んだ。52歳の時、社内ベン
チャー制度に自ら手を挙げて、車に積み込む折りたたみ
自転車を開発する会社を設立。社長として出向した。

昔の同僚は「やっぱり自転車ですか」と、笑いながら
声をかけてきた。覚えていないが、酔えばいつも自転車
をつくる夢を語っていたらしい。会社は3年の間に所期
の目標を達成できず、撤退を余儀なくされた。だが、
自転車開発に関する多くのノウハウと人脈を得た。

トヨタは57歳で早期退職。自転車メーカーに転職して
研究開発をするか、独立するかで迷った。出向で、
起業の難しさは身にしみていたが、結局、自分のイメー
ジに合った自転車を開発したい気持ちを優先させ、
今の会社を立ち上げた。05年のことだ。

起業当初は厳しかったが、超軽量の折り畳み自転車
「YS-11」を、06年秋の東京国際自転車展に出展したのを
機に、マスコミで評判となり、注文も増えた。

トヨタでは、本当にいい上司に恵まれたと語る白井さんは
、組織で働く意味に悩む「こころの定年」状態に陥った
経験はなかったという。
それは「空飛ぶ自転車の夢」を忘れていなかったからだろう。



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