楠木新(くすのき あらた)
楠木新の自己紹介

*講演・セミナー・研修および取材などの
お問い合わせは、kusunoki224アットマークnifty.comまでお願いいたします。
※アットマークを@に代えてください

日々の雑感

2017年08月02日

「なんでこんなに分かるんやろ?」

先週の東京への2泊3日の出張?はなかなか実りの多いものだった。
企業の人事担当者向けの講演会2件、雑誌社からのインタビュー2件、
私側の取材1件、出版社、マスコミの人との懇談1件づつ。
それに大学時代のクラスメートとの懇親会、会社の同期との懇談だ。

上京した時は、せっかく来たのだからといつもスケジュールを入れがち
になるが、今回は『定年後』(中公新書)がらみの話も加わってさらに
満杯感があった。全くありがたいことだ。

夕刻のクラスメートとの懇親会では、卒業以来40年間会っていなかった
友人とも語り合うことができた。T君とは学生時代も話した記憶が全くない。
私は彼の一年生当時の姿を記憶しているだけだった。

話してみると、先生のことはお互いに覚えていて、結構同じ授業を受けて
いたはずなのに互いのことは記憶になかった。
「教室も広かったからね」と彼はこともなげに言う。

しかし隣に座って、互いに卒業後の話をしていると、私がモノを書くに至った
経緯の話もすぐに理解してくれる。
「なんでそんなにわかるんや?」と聞いてみると、
「久しぶりだから、かえってわかるのかもしれない」と落ち着いた回答が返ってくる。

全くと言っていいほど、会話も交わしていないのにスムースに理解してくれる
ことに驚くとともに、その理由を頭の中でくるくる考えていた。

やはり似ているというか、何か近いものが互いにあるのかもしれない。
それに互いに話もしないにもかかわらず、同じクラスだった、同じ授業を受けて
同じ場を共有していることが大きいのではないかと感じていた。
しかも若いときにというのがポイントであるような気がする。

会社の同期との話でも、私が取材したり、インタビューされるときとは全く異なる
次元(深く?)で、話ができる。これも「若いとき」というのが絡んでいるような気もする。

もう少し考えてみたい。

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2017年06月26日

最近はツイている?

昨日は、親子三代の一泊旅行から帰ってきて時間があったので、
久しぶりに阪神競馬場に行ってみようと思い立った。

この日は、第58回宝塚記念(GI)だ。芝の2200m。 天気は曇、 馬場は稍重。
自宅からは歩いていくことができるが、長い間足を運んでいなかった。

何か最近ツイテいるのではないかと思っていたこと、昨日は自分の誕生日だ
ということもあって、これはいけるのではないかと勝手に思い込んだ。

馬券の妙味から、圧倒的な人気のキタサンブラックを外して、外国人騎手騎乗を
中心とする人気の4頭を馬連で6点買いすると考えてパドックで馬を見た。

しかしどう見ても、キタサンブラック(牡5歳)がよくみえる。馬体もほかの馬より一回り
大きい。これはどう見ても外せないのではないかと判断した。
パドックにいる北島三郎さんを見たので余計にそう思った。
「まつり」を聞きたいと思ったことも輪をかけた。
気がつけば、馬券はキタサンブラックを軸に買っていた。

しかし、キタサンブラックは、最後の直線半ばで馬群に沈み、単勝1・4倍と断然の
人気に応えることができずにまさかの9着で惨敗。鞍上の武豊騎手もガックリ。

初めの狙い通りにすれば良かったのだが、目の前のライブ、リアルなものを信じる
という私のスタンスからすれば、仕方がなかったかなぁ。

そうは物事はうまくいかない。だからいいのだ、と自らを慰める。

自動券売機で、私の前のゴツイオジサンが購入したのは400円、
横の普通のおばさんに見える女性が買っていたのは5万円。
人は見かけにはよらないことも学んだ。

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2017年06月04日

水田、畑ができた!

昨日は、朝の8時から地域活動として都会の中での農園運営に参加。

何しろこういう活動は初めてなので、ホームセンターで準備。
「ロイヤル」で長靴、軍手などを揃えて参加。日焼け防止のために
麦わら帽子も購入。

都会に住む男性が中心だが、指導にやってくるのは農業のプロ。
ヤンマーのトラクターを持ち込んで工場の横にある土地を
開墾。その手際よさと力強さにプロのすごさを感じた。

彼の指導のもと、土地が水田と畑に変わった。もちろん本格的な
ものになるには時間がかかるそうだが、田植えもまもなくやるらしい。

私なんか、スコップや鋤でわずかながらの土を動かしたり、ポンプの
ホースの片づけをやっただけであるが、両手が少し痛い。スコップの
棒の太さが手にまだ残っている感じだ。

ホースの巻き方で、プロから『ブーっ』とダメ出しがあったが、二回目は
合格と太鼓判。プロは力強くても優しい人だった。
全人格的に生きている感じが伝わってきて一緒にいるのが心地よい。

その後、参加者やほかのグループも加わって懇親と昼食。
横に座った人と楽しい話に興じていると、午後2時が過ぎて次の予定の
時間になった。

地域で定年退職した男性方が、こんなに元気で活動している姿は
他ではほとんど見たことがない。
いろいろなことが学べた半日だった。

でも絶対私には農業はできないことを確信した日でもあった。

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2017年05月07日

「朋あり遠方より来る、また楽しからずや」

連休中に、ユーモアコンサルタントの矢野さんが事務所に来てくれた。
矢野さんは、信用金庫の支店長から40代後半に、「ユーモアコンサルタント」
という一風変わった職業に転身された。

年代が近いこともあって、私が転身者のインタビューを始めた頃に、いろいろな
お話を聞かせていただいて、大変お世話になった。

今回の『定年後』(中公新書)にも、社会とのつながりという文脈のなかで登場
いただいた。

実際にお会いしたのは久しぶりだったので、明太子食べ放題のランチを食べて
梅田に出て別れた。私からお送りした本とは別に、『定年後』を買っていただい
ていて、サインもさせてもらった。気配りの凄い人だ。

面白かったのが、私が、「午前中に大手ハンバーガーショップで100円コーヒー
を飲んでいる定年退職者と思しき男性に、『最近リタイアされたのですか?』とか
聞いた箇所を読んで、『よく声をかけることができますねぇ』という編集者さんもいるのです。
東京は違いますね。関西だったら普通なのに」という趣旨の話をすると、
矢野さんは、「わたしら、そんなんようしませんで」という反応だった。
「えっ!」(私)。

また、「(10年以上前に)初めて楠木さんが事務所に来ることになった時も、電話で
話していたと思ったら、すっと来られたのにはびっくりしました」と続けた。
「えっ!」(私)。

私は、関西人は見知らない人にも、すぐに気軽に話しかけることができると思っていた
のだが、必ずしもそうではないようなのだ。

それで思い出したのは、名古屋出身の学生時代の友人と一緒に、新宿の歌舞伎町
の地下にある怪しい物販店に立ち寄った時に、「お前ようあんなにいろいろ聞けるなぁ」
と言われたことをふいに思い出した。

このギャップは私の自己認識の甘さなのだが、面白いネタにできるかもしれない。
やはり朋(友)と話すと、新たなものが得られる。

下記に、『定年後』(中公新書)に掲載した矢野さんの部分を紹介する。

―得意なことに軸足を移す
ユーモアコンサルタントという一風変わった職業を名乗る矢野宗宏氏さんは、学生時代、関西大学の落語研究会の部長で活躍した。1979年(昭和54年)の卒業時には、お笑いの世界にも魅力があったが、手が届かないと考えて信用金庫に入社した。
支店での預金、融資、渉外を経験した後に、本部の営業部門にも在籍して大阪南部の支店の支店長まで順調に出世した。
支店長としての成績はまずまずだったものの、当時は金融界への風当たりが強いバブル後の時期だった。ストレスが多く、矢野さんは「仕事をこなすことでいっぱいいっぱいだった」と述懐する。
取引先企業に貸出金の返済を迫らないといけないことも多かった。休日も頭の切り替えができず、家でTVを見ながら「あの社長はつらいやろなぁ」とか思った。月曜日の朝に目を覚ますと、首の後ろ側に焼き火箸を押し付けられたような痛みを感じることもあった。不思議なもので、それでもネクタイを締めると何とか会社に行くことができた。
 40代も後半になって今まで頭に描いていた「笑いをビジネスに生かす活動」を本格的にやりたい気持ちが強くなった。矢野さんは信用金庫内に出来た「お笑い研究会」に参加して老人ホームや福祉施設などに出向いて落語などを演じる活動にも長年取り組んでいた。
妻に退職のことを恐る恐る打ち明けると「やりぃ、応援するわ。おとうさんやったらやれるわ」と即座に賛成してくれた。子供の大学までの養育費も何とか見通しがつきそうだったので40代後半に転身を図った。
 還暦を過ぎた現在の矢野さんは、信用金庫での渉外の仕事や支店長の経験を背景に、JA(農業協同組合)などでの研修の仕事もこなしながら、笑いの効能について語る「ユーモアコンサルタント」として全国を飛び回っている。支店長時代に比べるとストレスは格段に少ないという。心配した収入も前職時を上回るようになった。 
矢野氏は「得意なことに徐々に軸足を移しておくことが大切です。私は”笑い“がなければ好きな道に進むことはできなかった」と語る。
時間をかけて、じわりじわりと好きなことに近づいていくことは、組織の中にいても可能であるし、定年後にも有力な武器になる。
矢野さんのように好きなことや得意なことを糧に新たに社会とのつながりを見つけた人はいつも元気だ。

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2017年04月27日

書籍の新聞広告から

今月発売の中公新書は、新著5冊と、改版の1冊を合わせた6冊でした。
内容は下記のとおりです。

・『自民党―「一強」の実像』(中北浩爾著)
・『保育園問題 待機児童、保育士不足、建設反対運動』(前田正子著)
・『謎の漢字 由来と変遷を調べてみれば』(笹原宏之著)
・『ストレスのはなし メカニズムと対処法』(福間詳著)
・『定年後 50歳からの生き方、終わり方』(楠木新著)
・『詭弁論理学 改版』(野崎昭弘著)

今週の23日、24日の両日に、各々読売新聞、朝日新聞の朝刊に新聞
広告が掲載されました。自分の本が掲載されるとなると、少しソワソワします。

私の横にいた知人が、新刊なのに、本によって文字の大きさや枠取りの幅が
異なっているのはなぜかと私に聞いてきました。

たしかに下記の広告を見ると、インパクトの置き方にも相当差異がありそうです。
知人は、初めに出ている『自民党』が幅も大きく写真も入ってかなり目立つといいます。

たしかにそう言われればそうです。
この辺りは、各出版社の販売戦略から工夫をしているのでしょう。
著者がどうこう言える話ではありません。

あと感じるのは、ほとんどが大学教授で、もう一人が、精神科医。
「人事・キャリアコンサルタント」という、何かよく分からない肩書きは君だけだなと
知人が指摘しました。
これも言われてみればその通りです。

彼は、新聞広告の意味合い,重みづけに関心が強かったようですが、書店の棚に
本が並べられれば、書籍の価値を決めるのは、読者であり、買主であるお客さん。

そういう意味では、非常にフェアな世界だと思っています。
出版社がどの本に重点を置いているかどうか、著者の意図や肩書がどうかは、
いずれも決定的な材料にはならず、決めるのはあくまでも顧客、という単純な図式です。

私にとっては、そのオーディションに参加できることが一番うれしい。
いつまでオーディションを受け続けることができるのか、これが私の「定年後」の
最大のポイントであるように思えるのです。

磨いても磨いても光らなくても、やはり磨き続けなきゃ。

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2017年01月01日

年末年始漫才事始め

新年事始
あけましておめでとうごいざいます。

みなさんのお顔が、いとしこいし、
大晦日に行った百貨店は、ダイマルラケット、
大丸は、たかしひろし、タカアンドトシ
横のヨドバシカメラは、やすしきよし、やすこけいこ、やすよともこ
藤崎マーケットに行き、買ったのは、カウス・ボタン、ハイヒール、
とWコロン、かまいたち、トータルテンボス
西宮の、どんきほ〜ては、本当に、安田ダイサーカス、ナイツ。

代金は、テンダーラー、未知やすえやすよ、ビルは綺麗で、
非常階段、あり,でも問題は、外側ではなくて、中川家、
蕎麦屋は、てんやわんや、スタバのコーヒー、ブラックマヨネーズ、
街を歩くは、サンドイッチマン、警察官の腰には、二丁拳銃、

外は、さゆみかつみ、サブロー・シロー、
少し風邪気味で、はな寛太・いま寛大、でも顔は、スマイル

我が家、に帰って風呂に入って、シャンプーハット、
家に帰っての食事は、銀シャリ、クリムシチュー、アメリカザリガニ
、 とろサーモン、レモンティー、ソーセージ、和牛、ワッフル共和国
タンドリーチキン、からし蓮根、はみだしパンプキン、紅しょうが、
ササミストリートで、ハライチ、まんぷくアカデミー、
昨年の反省は中途半端で、チャランポラン、

紅白の総合司会は、武田真一アナ。
一番目立った同世代の郷ひろみさんに負けずに頑張ろう。
テーマは、「言えないよ」
でもどこの同窓会に行っても郷ひろみさんのような人は出てこない。

今年の紅白の鳳(おおとり)啓介・京唄子は、嵐。
勝敗は、視聴者や会場は白組が断然有利だったのに、
なぜか紅組が、かつみ、さゆり

流れるテンポは、ツービート、変ホ長調、ダンシングヒーロー
空には、 流れ星、三日月マンハッタン

時計が、チックタック、除夜の鐘が、ぼん・はやと、ひびき・こだま
街の明かりは、レイザーラモン

昨年は、三球・照代、嫌なことは今日で、捨丸・春代、
時刻は、シンデレラ・エクスプレス、タイムマシーン2号もいらない

新年の敏江・令二で、気分は、ちゃっきり娘、 周囲は紳助・竜介
服装は、ノンスタイル、天気も、雨上がり決死隊で、Hi-Hi
凧が、はるかかなた、大空テント、ひこーき雲、

この気持ちを、南都裕二・ミヤコ蝶々、今年も、のりおよしお、
テレビ番組は、コメディNo.1、フットボールアワー、オリエンタルラジオ
観た映画の女優は、オドーリー、ヘップザ・パンチ,キングコング、
サッカーは、スーパーマラドーナ

雑煮は、やはり日本の、アジアン、
年をとっても、Wヤング、ゆーとぴあ、をみたい。
よゐこは、コタツを囲んで、トミーズの、オセロ、ゲーム、囲碁将棋、

友達が、今喜多代、一緒に初詣に、オール阪神電車で、
レッツゴー3匹、行ってき、ますだ・おかだ、
神社の前は、人が、くにおとおるで、かしまし娘、ウーマンラッシュアワー、

モンスターエンジンの車は、トップリード、スバル、スピードワゴンだが、
とんねるずで、ヘッドライト、パンクブーブー、道は、U字工事、
東京ダイナマイト、通る犬もキャイ〜ン

メイプル超合金の鈴を鳴らすと、ジャルジャルと、こだまひびき、
参道で食べた、こん松・せいべい 、おぎやはぎ、ざぼんち、あげ、
なすなかにし、天津、あまぐり、ビタミンSがいっぱい
ハムは、プリマドンナ、銀シャリ
横山プリン、笑い飯、〆さば、チキチキジョニー、コーヒールンバ、

これではハライチで、無理だよスリムクラブ

引いたおみくじ、今年の、メッセンジャー、
ダイアン吉日、華丸・大吉道、爆笑問題の解答はB&B、
カンニングでも無理、相席スタート、えんにち、で売っている
アメリカザリガニ、ハリセンボン、へびいちご

リアルキッズは、かける・めぐる、時々コロンビアトップライト前の
オジンオズボーンの次長課長は、千鳥あし、で歩く,ダウンタウン
直前、ダイノジ、歌うは、大阪、ベイブルース、馬鹿よ貴方は
歩くは、おしどり、夫婦やサンドイッチマン、

今年もこんなしょうもないことを、南海キャンディーズ、
チュートリヤル、もうこのへんで、エンタツアチャコ。
新年も、人生幸朗・生恵幸子、幸助・福助、スマイルでいきたい。

今年は、会社を辞めて3年目。「芸人一本」でいきます。
「執筆」「講演・セミナー」「新しい自分をつくる」
を目指して、いくよくるよ、
十八番の芸を磨きます。
「人生スイッチ」を入れます。よろしくお願い申し上げます。
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2016年11月28日

加瀬邦彦追悼コンサート ザ・ワイルドワンズ結成50周年

先週は、大阪の新歌舞伎座で、
『加瀬邦彦追悼コンサート ザ・ワイルドワンズ結成50周年』に
行ってきました。

会場は超満員とまではいかないけれど、私よりちょっと上の団塊
の世代と思しき人たちでほぼ席は埋まっていました。

二部構成で、一部は加瀬邦彦さんゆかりの曲が演奏されました。
1968年 『シー・シー・シー』(作詞:安井かずみ 作曲:加瀬邦彦)
1973年 『危険なふたり』(作詞:安井かずみ、歌:沢田研二)
1974年 『冬の駅』(作詞:なかにし礼、歌:小柳ルミ子)
1978年 『女はそれを我慢できない』(作詞:加瀬邦彦、歌:アンルイス)
1980年 『TOKIO』(作詞:糸井重里、歌:沢田研二)
1983年 『ホタテのロックン・ロール』(作詞:内田裕也、歌:安岡力也)
などなど。

新入社員二年目の時に聞いた『TOKIO』は衝撃的でした。
歌詞は、阿久悠さんがまたやったなと思ったのですが、テレビの
テロップで「糸井重里」とあったのが意外だったので今も覚えています。

ザ・ワイルドワンズの3人のほかに、4人の若いミュージシャンが一緒に
演奏していました。その中のギターを聞いていた男性に観客の視線が
向けられていました。
途中で、「加瀬邦彦のDNAを引き継いでいる」と紹介されました。
「あぁ、やっぱり」と観客席は安堵した感じでした。

第二部は、新曲も含めたザ・ワイルドワンズのナンバーでした。
1966年 『想い出の渚』(作詞:鳥塚繁樹、歌:ザ・ワイルドワンズ)
1967年 『青空のある限り』(作詞:安井かずみ、歌:ザ・ワイルドワンズ)
1969年 『赤い靴のマリア』(作詞:山口あかり、歌:ザ・ワイルドワンズ)
などなど。

そしてアンコール曲は、
1968年 『愛するアニタ』(作詞:山上路夫、歌:ザ・ワイルドワンズ)
この曲が出ないことには終わりません。

植田さんのドラムが際限なく続くように、『愛するアニタ』が熱唱されました。
この歌だけで、モトは取れます。

この曲を聴くと、急に中学時代のドキドキワクワクした感情が戻ったり、
当時の運動場の匂いまで思い出します。
この一点のために、芸名を持って毎日活動しているようなものです。
『楠木 新』は、私の通った中学校と、当時過ごした地名から拝借しています。

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2016年10月02日

洋の東西結ぶ「翻訳者」 鈴木大拙、再び脚光

昨日の日本経済新聞の文化欄に、
「洋の東西結ぶ「翻訳者」 鈴木大拙、再び脚光
20世紀の米文化に影響 」と紹介されていた。
大拙は、没後50年を迎えた仏教哲学者である(1870〜1966年)。

およそ30年前のバブル期に東京で仕事をしていた時に
中野の会議室で、大使館に務めている若い大使館員と
の集まりがあった。私的な会合だったと記憶している。

欧州やアジアの大使館員たちが軽食を取りながら話し合った。
その日の話材提供者は、たしか韓国のプランクトンを研究している
人の話だったという、うっすらした記憶がある。

その後自由な話し合いになって、各国の大使館員が一番知っている
日本人のことを語り合うという話題になった。

その時に圧倒的に多く会話に出てきたのが、鈴木大拙だった。
私は名前くらいしか知らなかったので、その後、何冊か彼の本を
読んだ。

昨日の記事で、そのことを思い出した。

『禅の核心にも通じる日本語の「無心」を、英語にどう翻訳したらいいだろうか。
文字通り「no―mind」とすればいいのか。それとも「mindless」か。』
と悩み、
『「無心」の境地を「Childlikeness(子どもらしさ)」という単語で表した。」とある。』

『大拙ははじめ「無心」を「no―mind」としたこともあったが、後に自ら「不正確な
表現だ」と認めたという。「no」や「less」など否定を含んだ語を使うと、どうしても
「心が無い」というニュアンスがつきまとう。「子どもらしさ」とすることで、
「何事もあるがままに受け止める」積極的な意味合いが前面に出てくる。』
と書かれていた。

この箇所を読んだ時に、その30年前に読書した感じが浮かび上がってきた。

そうそう。言葉を使うにも日本人の生活や思想に根差していたという感じだった。

『「無心」の境地を「Childlikeness(子どもらしさ)」とするなんて思わず膝を打つ。
こういう人がきっとグローバル人材と呼ばれるべきなのだろう。

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2016年07月13日

あの日の短冊

先日、近所を散歩していたら、保育園の玄関のところに七夕の笹と短冊が
飾られていた。

もうかれこれ、10年以上になるだろうか。
保険関係の案内のために、大阪府内の病院に訪れた時のことだ。

病院の事務長や看護婦の婦長さんにあいさつした後に、病院の玄関先に
立ち寄ると一緒に保険の案内に来た女性が、玄関の七夕の笹竹のところにいた。

話しかけようと思って近づくと、彼女はハンカチで顔を覆って泣きながら次々と
短冊を熱心に読んでいた。

「げんきになりたい」「おとうさんはやくよくなってね」「ともだちといっしょにあそびたい」
といった子どもが書いたものから、大人の願いごとも綴られていた。

しばらく横で読んでいると、彼女も私がいることに気がついた。
「この病院の担当者は、あなたじゃなきゃだめだね」とか言ったような記憶がある。

また盲学校を訪問した時に、担当だった別の女性は、点字を一所懸命勉強していた。
先生の中に目の不自由な人がいて、約款を一緒に読んだり説明するときに
必要だからと言っていた。

また、駐車違反で反則金切符をきられたお巡りさんに、保険に加入してもらった
という成績優秀な女性もいた。
反則金の手続きをしている間に、生年月日を聞きだしたのだろうか。

定年退職すると、ときどきこのような過去の思い出がよみがえってくる。
自分が何かをやり遂げたといったことは全然思い出せないのはなぜだろうか。

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2016年05月30日

声に出して読まれた文章はすごい

有名な文学賞の選考委員もされている作家さんが登場する会に出席した。
もう30年以上も第一線で活躍されてきた人で、若い時の作品を読んだ
ことがあったので興味を持った。

彼は朗読の大切さを強調していて、マーク トウェインも自身の作品を
売り込むときには朗読を前提に書いていたと説明された。

カフカのサロンでの朗読、ドストエフスキーの話もされた。
谷崎潤一郎も声に出して読むことを前提に書かれていると話されていた。

そのうえで、自分の作品を朗読された。
2編ともエッセイ的な内容だったが、身の回りのことを、ある時は大きく、
または小さく分析したり、国境を越えた例も挿入しながら面白く書かれた
作品だった。

明らかに自分が黙読したよりも興味がわいたことは間違いない。
もちろん作品自体もいくらこれから修行をしても、死ぬまでには
絶対書けないレベルなのだが。

今回学ぶべきことは、とにかく朗読の大切さだ。
今から雲の上までは登れない。

以前に、浅田次郎さんの講演会に出席したときに、原稿を書き上げると、
声を出して読み上げるということを聞いてから、私もおそれながらマネを
している。

浅田次郎さんは、一冊読み終えるのに4時間かかり、それ以上
時間がかかるともう一度文章を見直すという趣旨のことを語られた。

その時に浅田さんの「勇気凛凛ルリの色 福音について」 (講談社文庫)
を声にだして読んでみると、今まで以上に文意が伝わってきた。

リズムが良くて文章が勢いよく流れる感じがした。また一文一文がきちんと
区切られていて、間延びしたセンテンスがなかった。

もちろん私の本を声を出して読まれる読者はいないだろう。
ただ、自分と読者との間にある障害物を取り除いたり、その通りを良くする
には声を出して読み上げるというのは良い手だと思う。

門前の小僧はお経を読まなければならない。
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2016年03月06日

やっぱり「冬眠」だった。

2016年01月24日のブログ「ホンマの定年と生活リズム」で、
二つの仮説を出した。

36年間の会社生活では、毎朝7時には起きて会社に行く準備を
してきたが、定年退職した冬の1月は、朝早く起きれなくなった。

NHKの「あさが来た」(午前8時)が目覚まし。それから二度寝
することも珍しくなかった。
まぁ、絶対に起きなければならないという理由もないので、「二度寝
注意報」は出さなくて良かったのだが。
そこで二つの仮説が生じた。

〆までの36年間の生活リズムが崩れだして、今のような遅く
  起きる生活習慣に移行する。
 (学生時代の生活は、結構宵っ張りの生活だった)。

寒いときと、温かいときとは、生活リズムが違う。
  会社員当時は、それにもかかわらず無理して合わせていた。
  温かくなれば、自然と朝型に戻る。
 

温かくなってきた3月になって分かった。
やはり早く目が覚めるようになった。
プチ冬眠に入っていたわけだ。

<冬眠とは、狭義には恒温動物である哺乳類と鳥類の一部]が活動を
停止し、体温を低下させて食料の少ない冬季間を過ごす生態のことだという>

そういう意味では、会社員時代は、自然のリズムに逆らっていたと
言えなくもない。
しかし寝覚めのリズムは、そうであっても、生活リズムという意味では
会社生活は、素晴らしい機能を果たしている。

いずれにしても、ほぼ毎日、大阪市内の事務所に出ることは、やめて
はいけないと思っている。とにかく現役でいなければならないからだ。

全然関係のない話だが、今日、家族といった丸亀製麺の「あさりうどん」は
素晴らしかった。まだこの辺りでは、宝塚の小林店でしか出していないらしいが、
私の好物のアサリがいっぱい入っていて、数えると25個もあった(よう数えるわ)。
ほかにも、エビフライや、ちくわの天ぷら、ハムカツなどを皆でトッピングして一人700円。

う〜む、丸亀製麺さん、ありがとう。
全店に広がればいいなぁ。毎日行くかもしれない。


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2016年02月04日

一本の電話から始まった「友あり、遠方より来る」

先日東京からお客さんがやってきた。
ビジネス誌社員のMさん。
淀屋橋近くの日本酒の美味しい店に連れて行ってもらった。

Mさんとは、考えてみれば不思議な縁だ。
もう13年か、14年前にもなる。

それは一本の電話から始まった。
私が会社で働く意味を失って休職していた時に、M氏は、
ビジネス誌の記者として、「サラリーマンが壊れる時」という
特集を担当していた記者だった。

書店の店頭でたまたまその記事を読んで目を疑った。
私と同じような人達が何人も具体的に紹介されていた。
その時に、私が見出しの横に書かれていた記者の名前を見て
電話をかけた。それがM氏との出会いだった。

「ビジネスマンに焦点を絞った本格的な取材だと思ったのですが、
特にこの分野での専門家はいるのですか」と私が聞くと、
「記事に協力いただいた医師は皆さん信頼できる方々ですが、
特にビジネスマンだけを専門にしていることはないと思います。
ご自身で体験されたのなら、何か書き残されるのもいいのでは
ないですか」とM氏。

「これから考えてみます。また連絡を取らせてください」と調子が
戻りつつあった私が述べると
「元気で長期の休暇があるということは、悪くはないですね」と返してくれた。
「そうです。出かける時の近所の目さえなければ最高です(笑)」と
言って私は電話を切った。

話を聞いていた、その日本酒の店の女主人に向かって、
「記事を見て、直接編集部に電話をかけてくる人は、95%くらいは、オカシナ人だ」
と話していた(私は、95%?、5%?)。

興味深いのは、私が連載していた朝日新聞beの「こころの定年」のテーマに
最も近かったのが、当時週刊Dに掲載されていた「転→展→天職」という記事
だった。脱サラして新しい仕事を見つけたサラリーマンを二人の女性ライター
が写真つきで一人ずつ紹介していた。

脱サラに成功した物語というよりも、その人がどのようにして天職をつかんだか
にポイントがおかれていた。
他の媒体では、転職に成功したとか、年収数倍とかをうたうものが多かった。
または自然に帰ろうとか、ボランティアに取り組んでいるといった転身後の仕事
の意味合いを強調するものが目立っていた。 

転身前から転身後に至るその過程を重視していたのは、私が書いていた
「こころの定年」とこの連載記事くらいしかなかった。
実はこの「転→展→天職」の企画を立ち上げたのはM氏だったのである。

会社員の「メンタルヘルス」と「転身」という一見すると全く異なる事柄に二人の
課題意識は奇妙に符合していた。

またそれだけではなく、ネットのビジネス誌に、「父と娘の就活日誌」の連載する
場を与えてくれたのもM氏なのである。

私は、昨年も「就活は最後の子育て」というタイトルで、大学の父母会の講演会に
呼んでもらったのであるが、M氏も同様なセミナーで講演することがあるという。

つまりすべての課題意識がつながっている。不思議と言わざるを得ない。
一本の電話だけで、二人にはそれ以外のつながりは全くない。

日本酒の美味しい店に行くくらいだから、酒豪で毎日飲んでいると思われるM氏と
、下戸でほとんど飲めない私。また考え方や趣味や価値観も相当違うというのは
お互いに分かっているのに、発信するときの関心が気持ちの悪いくらい符合している。
こんなことってあるのかと思ってしまう。

会社勤めの中では、こういう出会いや出来事は絶対に生じないはずだ。
そして来阪の時に、声がけいただけるのもありがたいことだ。

日本酒の美味しいお店は、見つけたので、ご興味のある方はお声がけください。

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2016年01月24日

ホンマの定年と生活リズム

寒い日が続くが、最近しみじみと感じることがある。
昨年の3月まで、36年間の会社生活では、毎日8時半には、
会社の事務所に出勤する生活を続けてきた。

名古屋の20分で通える時もあれば、京葉線が通っていなかった
浦安では1時間、関西では、40~50分かけて通勤していた。

毎日、毎日、7時には起きて会社に行く準備をしてきた。
特に、最後の5年間ほどは、梅田の喫茶店で原稿を書いたり
推敲したりしてきたので、6時には起床していた。

会社に通わなくなっても、温かい間は、会社員当時と変わらず、
早寝早起きの生活が続いた。

ところが今年の初めくらいから、朝早く起きれない。
会社に行かないといけない、喫茶店で書かないといけない
といった、「しなければならない」ことがなくなると、朝起きれない。

NHKの「あさが来た」が、今の私の目覚ましで、それから二度寝
することも珍しくない。

仮説は二つ。
〆までの36年間の生活リズムが崩れだして、今のような遅く
  起きる生活習慣に移行する。
  学生時代の生活は、結構宵っ張りの生活だった。

寒いときと、温かいときとは、生活リズムが違う。
  会社員当時は、それにもかかわらず無理して合わせていた。
  温かくなれば、自然と朝型に戻る。
  たしかに、遅くまで寝ている時には、昼間に眠たくなることは
  ない。勤めていた当時は昼食後に眠たくなることがあった。

どちらの仮説が正しいかは、4月になれば分かる。

でもいずれにしても、ほぼ毎日、大阪市内の事務所に出ることは
やめてはいけないと思っている。
とにかく現役でいなければならないからだ。

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2016年01月17日

あれから21年

*順風満帆な会社人生だったが(阪神大震災)/

自分で言うのもなんだが、それまでの私の会社員生活は非常に順調だった。
上司にも恵まれ、課長職や支社長に登用されたのも同期入社の中で最も早かった。
ただ、私の中で何も疑問がなかったかというとそうではない。
私が四十歳の時に生じた阪神・淡路大震災は神戸出身の私には大きな影響を与えた。
いくつものドラマがあった。

家が崩れるのではないかと思われる激しい揺れの中で、一人別室にいた長女を
抱きかかえて寝室に連れ戻った時の記憶は鮮明だ。
震災当日は、神戸市灘区に住む父母の消息は分からなかったし、友人の自宅が
潰れたという話も伝わってきた。

我が家にも遊びに来たことがある娘の同級生が家の下敷きになって亡くなった話が、
翌日飛び込んできた。その子と玄関先で話した記憶がよみがえってきた。
彼女と私の娘が入れ替わっても決して不思議ではなかったのだ。

自宅周辺も被害が大きく、水やガスもすべてだめで二日後にやっと電気がともった。
会社に顔を出すことができたのも地震から三日経ってからのことだった。

ただ震災は、厳しいことや苦しいことだけではなかった。
親の安否を確認するために、神戸の実家へ向う途中、阪神の青木駅から歩いて
御影公会堂に着いたときには驚いた。講堂には多くの被災した家族が、床が見え
ないほどフトンを敷き詰めて生活していた。
その玄関の前ではボランティアの炊き出しが行われていた。

小さな石屋川を隔てたラーメン店では皆が整然と並んで、発泡スチロールのお椀で
食べていた。順番を争うこともなく、むしろ譲り合いながら並ぶ姿に感動して、
喜びがこみ上げてきたことを覚えている。

震災の数日後、給水車が来ている小学校に車で行くと、愛知県岡崎市の消防士が、
徹夜で駆けつけてくれたことを知った。

校庭では、両手に重いバケツを持って家まで帰るおばあさんが多かったので、車で
来ていた名前も知らない人たち同士で手分けをして、おばあさん達を家まで送った
こともあった。

仕事に追われていた普段の私には思いも寄らない行動だったが、それを自然に
できる自分が嬉しかったことを覚えている。

また、誰もが震災当時の話を語っていて、一つ間違えれば自分も死んでいたかも
しれない、もし自分が崩れた家の下敷きで生き埋めになったとしたら、何を考えた
だろうかと自問した。

震災によって日常的には意識されない死という課題が活性化されて、観念的な「死」
のイメージが現実的な考察に転化したのである。

震災との遭遇は、私の会社中心の働き方を揺るがしたのは間違いなかった。
おそらく「死」や「想定外の出来事」は、会社を中心とするシステムの中では意味づけ
できないものだからであろう。
                            (「会社が嫌いになっても大丈夫」から)


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2016年01月01日

年末年始漫才尽くし

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新年事始
あけましておめでとうごいざいます。

今年は、会社を辞めて、「芸人一本」でいきます。
「執筆」「講演・セミナー」「新しい自分をつくる」
を目指して、いくよくるよ、
みなさんのお顔が、いとしこいし、

大晦日に行った百貨店は、ダイマルラケット、
大丸は、たかしひろし、タカアンドトシ
横のヨドバシカメラは、やすしきよし、やすこけいこ、やすよともこ
藤崎マーケットに行き、買ったのは、カウス・ボタン、ハイヒール、
とWコロン、かまいたち、トータルテンボス
西宮の、どんきほ〜ては、本当に、安田ダイサーカス、ナイツ。

代金は、テンダーラー、未知やすえやすよ、ビルは綺麗で、
非常階段、あり,でも問題は、外側ではなくて、中川家、
蕎麦屋は、てんやわんや、スタバのコーヒー、ブラックマヨネーズ、
街を歩くは、サンドイッチマン、警察官の腰には、二丁拳銃、

外は、さゆみかつみ、サブロー・シロー、
少し風邪気味で、はな寛太・いま寛大

我が家、に帰って風呂に入って、シャンプーハット、
家に帰っての食事は、銀シャリ、クリムシチュー、アメリカザリガニ
、 とろサーモン、レモンティー、ソーセージ、和牛、ワッフル共和国
タンドリーチキン、ササミストリートで、ハライチ、まんぷくアカデミー
昨年の反省は中途半端で、チャランポラン、

紅白の総合司会は、ウドさん。
一番目立った同世代の郷ひろみさんに負けずに頑張ろう。
テーマは、「ギンギラギンにさりげなく」

今年の紅白の鳳(おおとり)啓介・京唄子は、昨年に続いて松田聖子。
曲は、「赤いスイートピー」で、勝負も、紅組が、かつみ、さゆり

流れるテンポは、ツービート、変ホ長調
空には、 流れ星、三日月マンハッタン

時計が、チックタック、除夜の鐘が、ぼん・はやと、ひびき・こだま
街の明かりは、レイザーラモン

昨年は、三球・照代、嫌なことは今日で、捨丸・春代、
時刻は、シンデレラ・エクスプレス、タイムマシーン2号もいらない

新年の敏江・令二で、気分は、ちゃっきり娘、 周囲は紳助・竜介
服装は、ノンスタイル、天気も、雨上がり決死隊で、Hi-Hi
凧が、はるかかなた、大空テント、

この気持ちを、南都裕二・ミヤコ蝶々、今年も、のりおよしお、
テレビ番組は、コメディNo.1、フットボールアワー、オリエンタルラジオ
観た映画の女優は、オドーリー、ヘップザ・パンチ,キングコング、
サッカーは、スーパーマラドーナ

雑煮は、やはり日本の、アジアン、
年をとっても、Wヤング、ゆーとぴあ、をみたい。
よゐこは、コタツを囲んで、トミーズの、オセロ、ゲーム、囲碁将棋、

友達が、洋介・今喜多代、一緒に初詣に、オール阪神電車で、
レッツゴー3匹、行ってき、ますだ・おかだ、
神社の前は、人が、くにおとおるで、かしまし娘、
ウーマンラッシュアワー、

モンスターエンジンの車は、スバル、スピードワゴンだが、
とんねるずで、ヘッドライト、パンクブーブー、道は、U字工事、
東京ダイナマイト、通る犬もキャイ〜ン

メイプル超合金の鈴を鳴らすと、ジャルジャルと、こだまひびき、
参道で食べた、こん松・せいべい 、おぎやはぎ、ざぼんち、あげ、
なすなかにし、天津、あまぐり、ビタミンSがいっぱい
ハムは、プリマドンナ、銀シャリ
横山プリン、笑い飯、〆さば、チキチキジョニー、コーヒールンバ、

これではハライチで、無理だよスリムクラブ

引いたおみくじ、今年の、メッセンジャー、
ダイアン吉日、華丸・大吉道、
爆笑問題の解答はB&B、カンニングでも無理
えんにち、で売っているアメリカザリガニ、ハリセンボン、
へびいちご

リアルキッズは、かける・めぐる、時々コロンビアトップライト前の
オジンオズボーンの次長課長は、千鳥あし、で歩く,ダウンタウン
直前、ダイノジ、歌うは、大阪、ベイブルース、馬鹿よ貴方は
歩くは、おしどり、夫婦やサンドイッチマン、

今年もこんなしょうもないことを、南海キャンディーズ、
チュートリヤル、もうこのへんで、エンタツアチャコ。
今年も、人生幸朗・生恵幸子、幸助・福助、スマイルでいきたい。
今年は本気で芸人目指して頑張ります。

十八番の芸を磨きます。

よろしくお願い申し上げます。


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2015年12月28日

本名を誰も呼んでくれない

最高裁大法廷は16日、結婚の際に夫婦は夫か妻の姓に合わせるとした
民法の規定は合憲とする判断を示した。
職場などで旧姓を使う女性が増えている現状を踏まえ、選択的夫婦別姓
制度を採用するかどうか、国会で議論するよう求めた。

判決の内容は、司法の範囲という意味では、リーズナブルだろう。

しかし、ここでの問題は、誰も自分の名前を呼んでくれないという課題だ。
定年退職して、どこにも勤めず、プータロ―になってみると、自分の名前
が全く呼ばれないことに驚く。

会社では、「〇〇さん」、「〇〇調査役」、「〇〇ちゃん」など声がかかった。
それがいかにありがたいことだったか。

定年になると、全く呼ばれない。
病院で「〇〇さん、こちらでお待ちください」というのが唯一といっても良い。

先日、あるところで面接を受けたが、その時に本名が呼ばれると、新鮮で
嬉しくなった。また自分から本名を名乗る機会もないと気が付いた。

幸い、私の場合は芸名があるので、それで何とか安定を保っている。

その面接のときに頭に浮かんだことがある。
たしか、callingというのは、職業という意味だった。

研究社 新英和中辞典を見ると、

*calling

【名詞】
1【不可算名詞】 [具体的には 【可算名詞】] 呼ぶこと,叫び; 点呼; 召集.
2【可算名詞】
a天職; (神の)お召し.
b職業.
用例
by calling 職業は 《★無冠詞》.
3【可算名詞】
a〔職業・義務・活動などに対する〕強い衝動,欲求; 性向 〔for〕.
用例
have a calling for the ministry 聖職につきたいという欲求をもつ.
b〈…したい〉強い衝動,欲求 〈to do〉.
用例
have a calling to become a singer 歌手になりたいという欲求をもつ.

やはり、呼ばれなければならない。
callingされるよう、本名も芸名も育てていかなければならない。

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2015年12月08日

定年後は手帳はいらない?

最近は、書店に入っても、ロフトや百貨店に行っても、手帳コーナーが
ドカッと居座っている。

私にも手帳の切り替えの時期が来た。
でも、いつも購入していた能率手帳には、まったく関心が向かない。
今までは、背広のポケットに入る一番幅が広いタイプを使っていた。

3月の定年後も結構忙しくて、おかげさまで元気にやっているのだが、
いかんせん、スケジュールはあまり入らない。

今週は、夜に3日、人に会う約束があるが、これは非常に多い方だ。
昼はほとんど真っ白。

現在使っている手帳の3月と11月を比較すると、その違いがてきめんだ。
3月のマンスリーのページは、定年前で各種の送別会も入っている。
引き継ぎや新年度に向けての打ち合わせがぎっしり。
一方で11月は、余白と中身の区分がつきづらい。スカスカだ。

最後は、調査役というラインではない仕事だったが、それでもこれだけ
スケジュールが入っていたわけだ。

たしかに40代のライン長のときは、1時間刻みで予定が入っていた。
手帳が真っ黒になるのが何かうれしい気分でもあった。
定年の直前でも、毎朝手帳を眺めて1日のスケジュールを確認するのが
日課だった。

手帳が必要なのは、組織で働く特徴だといえそうだ。
そういえば、私は関心はなかったが、手帳術や手帳活用法といった
雑誌の特集などがあった。

定年になると、会社勤めの時と比べていろいろ落差があることに
気が付く。定年というよりも、どこの組織にも属さないことが大きいのだろう。

考えてみれば、5歳以降は、どこかの学校か、会社に属していたが
いまは全くの無所属の時間を味わっている。

もちろん、居心地の良い面もあるし、そうでないこともある。
両方経験することがよさそうだ。
またどこかで組織に戻ってみよう。

来年の手帳は、開くとA4判の大きさになる日本生産性本部の手帳を
購入した。マンスリーだけなのでペラペラに薄いが、ここしばらく使っても
何の問題もない。

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2015年10月23日

ブログを初めて10年。

この10月で、このブログを初めて丸10年になった。

それだけ人の話を聞いているのなら、何か発信したほうが良い
と先輩に背中を押されて書き始めた。

社会人大学院の友人に、ネットカフェで教えてもらいながら
立ち上げた。

第一回目の2005年10月16日に書いた全文は最下段の通りだ。

はじめのうちは、文章修業も兼ねて、毎日書いていた。
あのころは、本当にエネルギーに満ちていた。

第一回目の文章の内容を読むと、
「キャリアや第二の人生、メンタルヘルスなど「個人と組織の関係」
 から何か話すかなぁ。
 −本当は、これをライフワークにするつもりなのだがー」を書いている。
この点はありがたいことに、10年間続けることができた。

関心のあることはあまり変わらない。

執筆でいえば、組織の側からの視点で書くことは頭になかった。
あれは「人事部は見ている。」(日経プレミアシリーズ)からだ。
取材よりも、実際の仕事で長く取り組んだことの方が、伝わるのかなぁ
、と感じたことを思い出す。

項目を見ながら、今に至るまで、いろいろな偶然に遭遇したことを思い出す。
またそれについても書いてみたい。

最近はそういうエポックになるような偶然と出会うことが少なくなった。
新しいことに取り組めという啓示かもしれない。


*『ブログデビュー(2005年10月16日)

昨日、社会人大学院の友人に教えてもらいながら、ブログを設定した。
IT音痴の私には、大変ありがたいサポートだった。

さて、何を書くか。どういう方々が対象なのだろう。

まあ、妻から「三日坊主亭主」と言われている私のことだから、続けば
良しとしょう(でも「三日坊主」でも何もしないよりも、3日分は進歩している)。

思いつくままに、どんな内容になるのか考えてみると、

・日常に感じたこと
・キャリアチェンジインタビューに応じていただいた方々の紹介
 (現在、およそ120名の方に、御協力いただいた。
  いつも私にエネルギーを与えてくれる大切な人々)
・キャリアや第二の人生、メンタルヘルスなど「個人と組織の関係」から何か話すかなぁ。
 −本当は、これをライフワークにするつもりなのだがー
・上方演芸(昔、神戸の新開地「松竹座」に入りびたっていた)
・関西のB級グルメ(1000円以内で食べることが出来る美味しいもの)
・むかし新開地に生息していたおもろいおっちゃんの話
・社会人大学院の仲間のこと
・ラジオ関西「げんきKOBE」の番組作りのこと
                       くらいかな。

まあ、はじめてみます。よろしくお願いします。』
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
10月13日に、新刊
『「こころの定年」を乗り越えろ 40歳からの「複業」のススメ』 (朝日新書)
が発売になりました。
ぜひ一度、手に取ってみてください。

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2015年10月10日

「嫁さんが家にいることを許してくれない?」

先々週に事務所のパソコンがダウン。画面が現れなくなった。

定年退職した3月からは、週に5日位は、事務所に来て、執筆
などに取り組んでいたが、パソコンが使えないので、ここ2週間
くらいは家で書いたり、作業することが多かった。

家にいると、朝起きて寝巻のまま書いたりしていることがあった。
そうすると、どうも妻がハッピーではないような感じである。

「お茶、食事」などと、顎で人を使うタイプではなく、カサが高い
わけではないと思う。
しかし私がずっと家にいると昼食を作らないといけないかどうか
など、なにかしら気になるという。

ニュアンスを手繰ると、やっぱり事務所に行ってもらったほうが
助かるということらしい。

どこかでこういう文章を書いたような気がして、検索してみると、
東洋経済オンラインで、下記の文章を書いていた。

その時は、自分のことは一応棚上げで考えていたのだが、
わが身に降りかかってきたというわけだ。

こういう状況に置かれている男性諸氏は結構多いかもしれない。
「定年退職者もつらいよ」といったところか。

昨日、新たに購入したパソコンが到着。
さぁ、これから事務所に行こう。

                  記

*「嫁さんが退職することを許してくれない」
(東洋経済オンライン、『定年延長は「働かないオジサン」を量産した』
 2014年08月07日より 抜粋)

N君の会社では誕生日で定年退職を迎えるが、60歳を迎える年度の
3月末日をもって退職としている会社も少なくない。
そういった会社では、労働条件や仕事内容の提示はまだ少し先だ。

先日、筆者も含め、年度末に定年を迎える5人が居酒屋で話し合った。
Aさんは、60歳の年度末で退職して区切りをつけたいと思っているが、
妻が許してくれないという。話を聞いていくと、彼が退職して毎日家に
いることに耐えられないと主張しているらしい。
そのためAさんは、やむなく65歳までのコースを選択するつもりだという。

また、「退職しても、行くところは地元の図書館くらいしかない。会社に
勤めているほうがまだ健康にもいい」と言っている人もいた。

経済的には働かなくていい立場なのに、彼らのように消極的な選択として
働き続けることを決める人も少なくない。会社にとっては、働きたくない
のに妻に言われて出社する社員や、家にいるより健康にいいからという
理由で居残る社員を雇い続けなければならないことになる。

「働かないオジサン」になる可能性が高いにもかかわらず、雇用を続け
なければならないのだから、非常に頭の痛い問題だろう。

居酒屋での会話で、皆が一瞬静まり返った瞬間があった。

妻の希望を受け入れて、60歳以降も働くつもりだと話していたAさんが、
「自分の親を見ていると、80歳まで寿命があっても、外に出て元気に
やれるのは70歳までだ。そう考えると残りはあと10年だ」と語ったのだ。

その発言を聞いたときに、5人の頭に浮かんだのは「エッ、あと10年?
残りの人生はそんなに短いのか」という共通した思いだった。

「妻が許さないから」「まだ健康にいいから」といった理由で惰性的に
働き続ける選択が、残りの人生の短さに見合ったものではないことを
各自が感じ取ったのである。
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10月13日に、新刊
『「こころの定年」を乗り越えろ 40歳からの「複業」のススメ』 (朝日新書)
が発売になります。
ぜひ一度、手に取ってみてください。

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2015年10月02日

「この喫茶店には何人宮沢りえがいるんじゃぃ!」                          (福山雅治さんの結婚の話で思い出したこと)

昨日の昼、家の近くのタイ料理の店に行くと、3人の女性が、歌手で俳優の福山雅治さんと、
女優の吹石一恵さんの結婚に関する話を延々と続けていた。
「残っているのは、佐々木 蔵之介くらいしかいないね」
「彼も焦っているらしいよ」(?)
「あとは伊勢谷友介かな」
「でも彼は危ない感じがする」(?)
突っ込みどころ満載の話がどんどん展開していく。

知人のFACEBOOKの中に、この結婚に関する話が、面白いということで
紹介されていた。

「福山さんが結婚しちゃったー!」と騒いでいる女友達の投稿を発見して、
「でもお前と結婚する可能性ゼロだったじゃん(笑)」となぐさめたところ……。
フルパワー鬼ギレをしてきたとの話だ。

「この豚野郎! だからお前はダメなんだよ! なんでアタシが福山さんと結婚出来ない
って言い切れるわけ? 根拠は? 証拠は? 
いつの間にか未来でも見えるようになったんですか? 
ノストラダムスでも乗り移ったんですか!?
じゃあ未来を教えてください。100年後に地球はありますか? 戦争はなくなりますか? 
はいどうぞ。わからないだろ!! それと同じなんだよ! 福山さんが未婚でいる限り、
アタシが福山さんと結婚できる確率だってゼロじゃないんだよ!! 
日本では法律上、多重婚は出来ないから、もう終わりなんだよ! 
そんなこともわからないのかよ!! 
だからお前はモテないの! 
福山さんと違うの!! 坊さんにでもなって修行して来い、この未熟豚野郎が!!」

古い話だが、これを読んで思い出したことがある。

貴乃花関と宮沢りえさんの破局報道が流れた時に、神戸三宮のこじゃれた喫茶店に
入ると、一杯の店内のアチコチで、女性の誰もが宮沢りえさんになりきって話をしてした。

「この喫茶店には何人宮沢りえがいるんじゃぃ!」と叫びそうになったが、この記事を
読んでやめておいてよかったとあらためて思った。

デモ思い込みも大事な時があるんだよなぁ。
活力や突破力にもつながっているから。

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2015年09月10日

司法試験問題漏えい

学生時代の友人の息子さんが、今回の司法試験に合格した。
4回目の正直。32才だったそうだ。
「おめでとう。よく頑張ったなぁ。オヤジ達よりもスゴイじゃないか」と
言った。

もう40年前のことになるが、私も一時期司法試験の勉強をしていた。
結局は、5回生になって、これ以上チャレンジするよりも実社会の方が
向いていると思ったので、会社に就職した。
与えられた課題をやるのは不得意な私には、グッドな決断だったと思っている。

当時は、合格者数は450人くらいで、今よりも合格者は相当少なかった。
現役の4回生で合格する人もいたが、ほとんどは留年なり、働きながら
取り組んでいた。

今は法曹界で活躍している友人も、6回生、7回生で合格した人が多く
最難関の試験であることは間違いないだろう。

当時も、大学を卒業してアルバイトをしながら勉強していた人も多かった。
私が利用していた大倉山にある神戸中央図書館でも大学の受験性のほかに、
司法試験を受験しているグループの人たちもいた。

当時、司法試験浪人と呼ばれていて、いろいろな大学の出身者が集まって
一緒に勉強していた。

一度、ゼミのグループに入れてもらった時に、30歳を超えて電話番のアルバイト
をしながら取り組んでいた人が、「このままどうなってしまうのか、と思うと怖くて
仕方がない」と語っていたことをなぜか今でも思い出す。
結局は、途中であきらめた人が大半だっただろう。

テレビでは、明治大法科大学院教授の試験問題の漏えいが報じられた。

私自身は、それほどの憤りも感じないが、真剣に取り組んだ一人一人に
とっては何とも言えない気分になる報道だろう。

それは今年の受験生だけではなく、40年前に大学を留年しながら、または
司法試験浪人をしながら、取り組んだ人たちにも大変失礼な話だ。

法務省のHPに、合格者の受験番号が、下記のように掲載されている。

単なる数値だけだが、この番号の中に一人一人の物語が含まれている。
冒頭の息子さんにも、いろいろな思いがあったはずだ。

この番号には表れていない合格しなかった人たちの物語もあることは言うまでもない。
 

《東京都試験地合格者受験番号》:一部抜粋
00005 00201 00385 00535 00749 00911 01042 01196 01362 01623
00010 00202 00389 00536 00752 00914 01044 01198 01364 01625
00012 00204 00390 00546 00763 00915 01045 01202 01369 01626
00022 00205 00401 00548 00770 00919 01049 01206 01372 01635
00027 00206 00406 00549 00771 00922 01056 01207 01373 01636
00029 00218 00413 00550 00777 00923 01059 01216 01381 01638
00032 00222 00415 00551 00779 00928 01061 01217 01383 01656
00035 00229 00417 00553 00781 00929 01068 01219 01385 01660
00036 00232 00419 00557 00783 00937 01070 01222 01402 01665
00048 00236 00422 00558 00786 00946 01071 01226 01414 01671


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2015年09月03日

映画『ボーイ・ソプラノ』の試写会に行ってきました

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昨日、会社員当時の同僚のお誘いで、映画『ボーイ・ソプラノ ただひとつの歌声』
の試写会に行ってきた、

「ボーイ・ソプラノ」、それは少年が声変わりするまでのわずか数年の間だけしか
出せない“奇跡の歌声”。その一瞬に仲間たちと音楽に打ち込んでいく少年たちと
それを支える大人の物語だ。

久しぶりに映画を見たが、上質な内容で、爽やかな感動があった。

最も印象的だったのは、なんと言っても、厳しさと優しさを同居させる
ダスティン・ホフマンの熱演だ。彼ばかりに注目してしまった感じだ。

私が中学生の頃の『卒業』は、その音楽とともにラストシーンは忘れられない。
また個人的には、彼が主役の『クレイマー、クレイマー』のVHSのテープを購入して
英語の聞き取りの教材にしたことだ。
おそらく数十回は繰り返して再生した記憶がある。
バブル期に東京で働いていた頃だから、もう30年位前の話だ。

その彼がまだ現役として、俳優を勤めている。
彼が映画の後半で語った、「キャリアでなくて、生き方なんだ」という言葉には
思わず引き込まれた。
役柄よりも、第一線をずっと走ってきたダスティン・ホフマン個人の言葉のように
受け止めた。

一緒に鑑賞した女性が後の食事の時にネットで彼の年齢を確認してくれた。78歳!
3人ともがなぜか唸ってしまった。なんと格好いい78歳なんだ。

映画の試写会というのは初めてだった。
淀屋橋の朝日生命ホールは、大きな会場にもかかわらずほぼ満杯だった。

大きなビルの階段に、多くの人が並んでいる。
こういう経験は、中学の時の神戸新聞会館で「ローズマリーの赤ちゃん」を
見た時以来だ。

やはり多くの人と一緒に見る映画は、家でDVDを見るのとはちょっと違う。
映画の後の、イタリアンも美味しかった。
昼食に新たに行ける店の開拓というおまけもついてきた。

時々は、映画にも行ってみよう。



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2015年08月25日

仮歯を飲んじゃった!?

土曜日の昼食後に、仮歯が取れていることに気が付いた。

歯の治療で歯科に通っているのだが、型どりをして差し歯を入れる前に
暫定的に仮歯をはめていた。

舌触りで何かおかしいと思ったのだが、やはりなくなっている。

口の中から出した覚えがないので、昼食時に飲み込んでしまったようだ。

でも全く分からなかった。
普段からもっとよく噛んで食事をした方がいいと、妻によく言われていたが、
今からではもう遅い。

通っている歯科がすぐそばで、土曜日の昼までは空いていたので飛び込むと、
「気管の中に入ったのではないでしょうね」と聞かれるが、自覚症状は何もない。

歯の一つ分の大きさなので決して小さくはないのであるが、金属ではなく
プラスチックのようなものなのでレントゲンなどでは映らないらしい。
まるくなっているので、金属片を飲み込んだ場合とは違うという。

先生と話しているうちに何か胃のあたりに異物感があるような気もしてきた。
でもこれは気分的なものだろう。

体外に排出されるのを待つしかなさそうだ。
取り出すのに体に傷をつけるのも嫌だし。
ネットで調べてみると、やはり歯科医が質問に便として
排泄されるのを待つしかないと答えている。

昔、「清濁を合わせ飲みますね」と言われた記憶があるが、
自分の仮歯まで飲まなくてもいいのにと思いながら
無事身体から排出されることを願っている。

もう出ているかもしれないが。
とにかく痛くならないように。

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2015年08月09日

「朋あり遠方より来る、また楽しからずや」

先週は、平日に相次いで、会社当時の先輩と後輩が事務所に
訪れてくれた。

旧知の人と話す機会は格別に良いものだ。
特に、定年退職したのちは、人に会う絶対量は相当落ちている。

というよりも会社で、出会う人の数が半端ではないということだろう。
勿論すべての人と話す機会があるわけではないのだが、顔を合わせる
だけの機会も今から考えるといいもんだったと感じている。

共同オフィスの事務所で私のデスクを見てもらっていた時に、
先輩が、
「この事務所には、週にどれくらい来ているの?」

「週に、5回くらいですかね。意識してこちらで作業などもするように
しているのです」と答えると、
「それじゃ、生活のリズムがついていいなぁ」と返ってきた。

後で、近くのカフェで、いろいろと話し込んだ。

私から「生活のリズムをつけるのは大変ですか?」と尋ねてみると、
やはり、朝起きてすぐに自分でやることがないときは、朝食を食べて
横になっていると、ついまた寝てしまうこともあるそうだ。

一度無所属の立場になると、生活のペースを立て直すのが大変だった
という人の話も聞いたことがある。

よく「定年後は、失業保険の支給される半年はゆっくりしてから何かやる
ことを探すよ」と言っている人もいる。
しかしサラリーマンを長くやった人で、悠々と時間を使える人は多くない
のじゃないかと思っている。

学生時代の友人から、有り余る時間を処理できなくて、仕事を探しに
ハローワークに通い出した人の話を聞いたことがある。

私は、どこにも所属しない、無所属の時間をあえて過ごそうとしているが、
やはり生活リズムを失ってしまう怖さがあるので事務所に通っている
ともいえる。まぁ、家で邪魔者扱いされないためもある。

長くサラリーマンを経験した人は、少なくても週に2日くらいは拘束される
時間を持っている方が安定した気分でおれるのかもしれない。

私は執筆などがあって何とかもっているが、これがなかったら結構
大変な状況になっていただろう。

定年後のためには、現役のうちに助走すべきだと、辞めてさらに感じている。
先輩の一言で、結構いろいろなことを考えさせられた。

また後輩との話は、非常に刺激的な内容に終始した。
3時間半、互いにしゃべりつくした。

やはり「朋あり遠方より来る、また楽しからずや」である。
これも定年になって、より強く感じることである。


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2015年07月17日

スーツ姿の女子学生が走っている

一昨日、淀屋橋の事務所に向かう途中で、3人のスーツ姿の女子学生が走っていた。
時計を見ると、10時10分前だったので、企業の説明会か、先輩に会う
時間に間にあわせるために走っていたのだろう。

そのうちの二人は手に地図らしきものを持っている。
慣れないビジネス街を歩くのは、場所の確認だけでも大変だ。

以前に採用の責任者をやっている時に、会社訪問をしてきた男子学生が
面談表に記載しながら、ふいに顔をあげて、
「えぇ!ここはT海上ではないのですか?」と突然大きな声を出したことがあった。
隣のビルの会社と間違っていたのだ。
面白そうな学生さんだったので、
「何かの縁だから面接を受けていったら」
といってそのまま面接に移行したことがある。

話を元に戻すと、その三人の女子学生は、三人ともリクルートスーツに身を固めていた。
それにこの暑さだ。
本当に気の毒になってくる。

そう思って見ると、歩いている学生さんはすべてスーツ姿だ。
一人上着がないと見えた人は、カバンのとってのところに上着を挟んで歩いていた。

今年から八月が採用の本番になるが、もっとクールビズを徹底できないのだろうか?
すでに、そういう話は連絡されているのだろうが、大半の学生が上着を着ている。
やはりなかなか外せないのだろう。

「上着を着ている学生は、面接しない」というくらいのルールが必要かもしれない。
ビジネスパーソンのクールビズも、ある程度広まると、一気に全体に定着した。

通り沿いの喫茶店では、開襟シャツの会社員が、スーツ姿の女子学生二人と
話している。

夏の就活には、クールビズは、本当に必要な対応だと思う。

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2015年06月29日

「四角い仁鶴がま〜るくおさめまっせ〜」

先日、NHK大阪放送局の「バラエティー生活笑百科」のスタジオ観覧に
行ってきました。
その時の放映がこの土曜日にありました。

長寿番組で皆さんもご承知だと思いますが、身近なトラブルを漫才で紹介し、
相談員やゲストがユーモアたっぷりのトークで進めるバラエティー番組です。
法律的な問題を易しく説いてくれます。

「四角い仁鶴がま〜るくおさめまっせ〜」が看板の決まり文句です。
今回のゲストは、宝塚の元トップスター 真琴つばささん、
相談員は、桂吉弥さん、三倉佳奈さんといったメンバーです。

当日のスタジオとテレビの番組の画面を比較して感じたのは、
画面のほうが明るくてくっきりしているということでした。
スタジオの中も決してくすんだではなかったのですが、
テレビ画面のほうがはるかに映えるな、という印象でした。
技術的な進歩が大きいのでしょう。

仁鶴さんもまだまだお元気で、司会を仕切っています。
10年以上前の岡八郎さんの葬儀の時にお見かけして以来ですが
若さは健在です。

最も印象に残ったのは、宮川大助・花子さんの漫才のうまさです。
ミヤコ蝶々南都雄二さん、唄子・啓助さんにひけをとらない、というか
私にはそれ以上に完成した面白い漫才に聞こえました。

会場の説得力も相当なものでした。

また時々画面は、観覧者のほうを映しているので、そのたびに自分は
いないかと探してしまう自分でした。

家族からは、「一二度テレビに出ているのに」と言われますが、カメラが
観客席を映すたびにキョロキョロしていました。

このほかにも気になることがいっぱいありました。
時間があればまた書きます。


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2015年06月05日

天満は活気あり

先週の金曜日の夜に、梅田から天満に足を延ばした。
天満駅周辺やその近辺の天神橋商店街に行くとなぜか
気分が落ち着く。

いろいろな仕事をしている人が、多く行き交っている。
しかも個人個人が自らのエネルギーを出しながら歩いている
ところが何ともいえずにいいのだ。
今宿泊している東京の浅草に近いかもしれないが、もっと雑踏という感じだ。

定年退職して初めてきたが、「やはりいいなぁ」と思ってしまう。

駅の近くの立ち呑みの店はどこもいっぱいだ。
ダークダックスの形を取らなければとても入り込めない。

給料日が出た金曜日というのも影響しているのだろう。

家路につくために天満駅に戻ると、私よりも一年前に定年退職した
女性のHさんにばったり会った。

彼女は役職者だったが、そういう人は普通は会社の仕事に身体全体で
取り組むか、そうじゃないかという働き方の人が多い。
しかし彼女は感情だけを仕事にぶつけると言う特異なタイプである。

オフィスの電話では、金曜日になると声を荒げることが多かった(ように思っていた)。
私は、ストレス解消のために会社に来ているのではないかと推測していた。

面白い個性的な人物だった。
基本的には、大阪にしかいないタイプである。

「久しぶり、今からどこ行くの?」と聞くと、
「友達3人と焼肉食べに行くんです」と答えてくれた。

定年退職してもますます意気軒昂と言った感じだ。
Hさんのような人が一杯いるから、天満に来ると落ち着くのであろう。



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2015年05月06日

オンとオフの区分

テレビなどでは、ゴールデンウイークをふるさとなどで過ごした人たちの
Uターンラッシュのニュースがずっと報じられている。

高速道路では、数十キロの渋滞も出ているそうだ。

この連休の始まりの人も多かったと思われる、1日(金)の夜にナンバに出た。

夜の8時頃だったが、各種の居酒屋、飲み屋、レストランは、会社員で
溢れ返っていた。どこもかしこも満員だ。

明日からの休みを前に、仕事を終えて皆と一緒に繰り出していたのだろう。
その姿を見ていて、少し羨ましい気分になった。

プータローになった私には、このような大きなオンとオフの区分は存在しない。
定年になって思うのは、この区分がなくなったことだ。
会社員は、自分で工夫しなくても、会社とカレンダーが自然とスイッチを
入れてくれる。これは組織の良い点かもしれない。

自分も連休前は、まっすぐ家に帰らず、いろいろなところに立ち寄ったことを
思い出す(連休前だけにとどまらなかったが)。

ナンバのブックオフを出たのちに、一人で一風堂でラーメンと餃子を食した。
ラーメン禁止令を自らに課していたのだが、皆がこんなにリラックスしている
のに、自分も我慢していてはいけない気持ちになったからだ。

今日から、有馬温泉で宿泊だ。
逆張りのオンとオフでやってみよう。


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2015年04月25日

定年退職すると、出張がなくなる

タイトルの「定年退職すると、出張がなくなる」
当たり前のことだが、私のように右往左往したり、知らない土地を
歩くのがきらいでない人間にとっては、「出張」がなくなるというのも
結構大きなことなのだ。

この4日間、東京であちこち回っている。
先輩から話を聞く、お世話になった人に挨拶、自営の人から退職した
後のヒントを得る、、自分の売り込み、出版社の編集者との打ち合わせ、
先輩のセミナーに参加、ライターさんとの情報交換、学生時代の友人と
の久しぶりの会同、などなど
ほぼフル回転で人に会っている。

最後の内部部門の仕事でも、月に一回くらいの出張があったのだが、
退職を前にして、ここ数カ月そういう機会がないことに気がついた。
自分で動かなければ、これからも出張はずっとない。

出張と言うのは、仕事とはいえ、やはり素晴らしいものだった。

月曜日に移動の時は、前日の日曜日に現地に入って、その土地を
めぐることも可能だった。
若い時は、そうでもなかったが、特に定年の2年前からそれを意識していた。

これからは、自分出張を作るように心掛けなければならない。
そうしないと自分自身が色褪せてしまう。
書いていると、昨年、恐山のイタコさんにもあったことも思い出した。

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kusunoki224 at 09:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2015年04月20日

曜日感覚がなくなってきたぞ!

定年退職後、3週間余りが経過したが、だんだん曜日の感覚が
なくなってきた。

もともとテレビはそれほど見ないので、それを手掛かりにはできない。
土曜日、日曜日の番組は、まだしも平日の曜日が分かりにくくなってきた。

先日出かけた作家さんのセミナーは何曜日だったかなとか、松竹座の
観劇は、昨日だったか、一昨日だったかが明確でなくなってきた。

原因は、比較的はっきりしていて、手帳を頻繁に見なくなったことだ。
日によっては一回も見ないことがある。

ほとんど頭の中で把握できるくらいしか予定がないのである。
今までは、最低一回は、社内の打ち合わせがあったりとか、
仕事での締め切りが週にいくつかは並んでいた。

そのため朝一番に手帳を見ながら、一日の仕事段取りを考えることが
30数年の習慣だった。

手帳も、日本能率協会の幅広の手帳を使ってきた。
初めの月ベースの予定表に、項目だけ書いて、待ち合わせ場所や
相手の携帯番号、店舗の名前などを、週単位のページに記載して
いた。
今は初めの月の予定表だけで十分なので、手帳の中身もスカスカである。

手帳を見なくなったために、かえって予定を忘れそうになって、ちょっと怖い。

今までの感覚で一番近いのは、年間の目標額を終えた後の営業時代、
試験休みに入った大学生の頃だ。

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