2014年09月
2014年09月26日
9/25(木)雨のち曇り
左は上野駅構内にあるカウンターバーでの「角ハイボール」とベーコンのじゅうじゅう焼きです(am10:30頃)。
超強力炭酸でよく冷えたハイボールを提供するためハイボール専用のディスペンサーが置いてあり、人気の「角ハイボール」をはじめ「響」「山崎」や「メーカーズマーク」「ザ・マッカラン」など、多彩なウィスキーを使った高品質なハイボールが飲めるようになっています。
口当たりがソフトで幾らでも飲める感じですが、普段ストレートに慣れている小生にとってはちょっと物足りない感じでした。
最近気になったニュースではソニーが今2015年3月期業績見通しの減額修正と無配転落を発表したことです。ソニーといえばかつては自動車と並ぶ輸出産業の代表格で、戦後間もなく起業したベンチャー企業がいつの間にか「世界のソニー」と呼ばれた人気会社でした。同社の無配転落は1958年の上場以来初ということです。モバイル・コミニュケーション事業が損失の原因のようですが、何とか心躍る商品を再び生み出して欲しいものです。
■ ■ ■ ■ ■ ■
魏志倭人伝の記述の秘密(その8)
方位時計回りのずれの法則
旅程距離の謎が完全に解けたので、次は方位の改竄をもう少し考えてみた。
20度から70度くらい時計回りにずらしている、と推定したが、魏志倭人伝の記述は、南して、東南、東行、南と方位を45度ずつに区切っている。
ゆえに東といえば真東を中心に45度の範囲を指し、南といえば真南を中心に45度の範囲を指す。
東南といえば東南を中心に45度の範囲を指す。
方位を表す円を描いてみた。
そして、円を16等分するように直線を8本引いた。
真東を零度
東南東を22.5度
東南を45度
南南東を67.5度
真南を90度
南南西を112.5度
南西を135度
真西を180度
真北を270度
として考えた。
東といえばマイナス22.5度〜22.5度の範囲
東南といえば22.5度〜67.5度の範囲
南といえば67.5度〜112.5度の範囲
ということが、お分かりいただけるであろう。
方位の改竄は、20度から70度くらい時計回りにずらしている、と推定したのだが、前記の22.5〜67.5という数字に極めて近いことに気がついた。
これには、なんらかの法則があるのではないか。
そう思って検討したところ、やはり法則があることが分かった。
たとえば、東南の方位にあった国を改竄して「南して」と表記したとしよう。
22.5〜67.5度の東南の方位はすべて南=90度になる。
目的地A点が22.5度の方位にあった場合、90ー22.5=67.5度のずれとなる。
目的地B点が67.5度の方位にあった時は、90ー67.5=22.5度のずれとなる。
東南の方位にあった国を改竄して「南して」と表記した場合、時計回りに22.5〜67.5度のずれが生じるのである。
もう、お分かりだろう。
狗邪韓国から奴国までをたどった際の、時計回りに概ね20〜70度ずらしていると推定したものは、正確には22.5〜67.5度の範囲でずれていたのだ。
魏志倭人伝の種本の作者は、実際には東北の方位は東、東の方位は東南、東南の方位は南と改竄したのだ。
それゆえ、22.5〜67.5度というずれが生じたのである。
このことから、魏志倭人伝において、
「南して」と書かれた場合は実際には東南(22.5〜67.5度の範囲)
「東南」と書かれたものは実際には東(22.5〜マイナス22.5度の範囲)
「東行」と書かれたものは実際には東北(マイナス22.5〜マイナス67.5度の範囲)ということが分かったのだ。
これを「方位時計回りのずれの法則」と名づけよう。(渡部雅史著)
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左は上野駅構内にあるカウンターバーでの「角ハイボール」とベーコンのじゅうじゅう焼きです(am10:30頃)。
超強力炭酸でよく冷えたハイボールを提供するためハイボール専用のディスペンサーが置いてあり、人気の「角ハイボール」をはじめ「響」「山崎」や「メーカーズマーク」「ザ・マッカラン」など、多彩なウィスキーを使った高品質なハイボールが飲めるようになっています。
口当たりがソフトで幾らでも飲める感じですが、普段ストレートに慣れている小生にとってはちょっと物足りない感じでした。
最近気になったニュースではソニーが今2015年3月期業績見通しの減額修正と無配転落を発表したことです。ソニーといえばかつては自動車と並ぶ輸出産業の代表格で、戦後間もなく起業したベンチャー企業がいつの間にか「世界のソニー」と呼ばれた人気会社でした。同社の無配転落は1958年の上場以来初ということです。モバイル・コミニュケーション事業が損失の原因のようですが、何とか心躍る商品を再び生み出して欲しいものです。
■ ■ ■ ■ ■ ■
魏志倭人伝の記述の秘密(その8)
方位時計回りのずれの法則
旅程距離の謎が完全に解けたので、次は方位の改竄をもう少し考えてみた。
20度から70度くらい時計回りにずらしている、と推定したが、魏志倭人伝の記述は、南して、東南、東行、南と方位を45度ずつに区切っている。
ゆえに東といえば真東を中心に45度の範囲を指し、南といえば真南を中心に45度の範囲を指す。
東南といえば東南を中心に45度の範囲を指す。
方位を表す円を描いてみた。
そして、円を16等分するように直線を8本引いた。
真東を零度
東南東を22.5度
東南を45度
南南東を67.5度
真南を90度
南南西を112.5度
南西を135度
真西を180度
真北を270度
として考えた。
東といえばマイナス22.5度〜22.5度の範囲
東南といえば22.5度〜67.5度の範囲
南といえば67.5度〜112.5度の範囲
ということが、お分かりいただけるであろう。
方位の改竄は、20度から70度くらい時計回りにずらしている、と推定したのだが、前記の22.5〜67.5という数字に極めて近いことに気がついた。
これには、なんらかの法則があるのではないか。
そう思って検討したところ、やはり法則があることが分かった。
たとえば、東南の方位にあった国を改竄して「南して」と表記したとしよう。
22.5〜67.5度の東南の方位はすべて南=90度になる。
目的地A点が22.5度の方位にあった場合、90ー22.5=67.5度のずれとなる。
目的地B点が67.5度の方位にあった時は、90ー67.5=22.5度のずれとなる。
東南の方位にあった国を改竄して「南して」と表記した場合、時計回りに22.5〜67.5度のずれが生じるのである。
もう、お分かりだろう。
狗邪韓国から奴国までをたどった際の、時計回りに概ね20〜70度ずらしていると推定したものは、正確には22.5〜67.5度の範囲でずれていたのだ。
魏志倭人伝の種本の作者は、実際には東北の方位は東、東の方位は東南、東南の方位は南と改竄したのだ。
それゆえ、22.5〜67.5度というずれが生じたのである。
このことから、魏志倭人伝において、
「南して」と書かれた場合は実際には東南(22.5〜67.5度の範囲)
「東南」と書かれたものは実際には東(22.5〜マイナス22.5度の範囲)
「東行」と書かれたものは実際には東北(マイナス22.5〜マイナス67.5度の範囲)ということが分かったのだ。
これを「方位時計回りのずれの法則」と名づけよう。(渡部雅史著)
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2014年09月18日
9/16(火)晴れ
左は帰宅途中、JR御徒町駅近くの大衆酒場での寛ぎの一時です。酒は焼酎のお湯割りと肴は牛スジの煮込み、ほうれんそ草炒め等。(am10:30頃)
この店の注文係りは中国人がやっていました。現在都内の大衆酒場などの従業員は大半が外国人のようです。少子高齢化に苦しむ我が国にとっては外人労働者が増えることは大いに歓迎すべきことと思います。
国内では婚活や子育て支援を当然充実させていくと同時に、発展途上国には若者がたくさんいるわけですから、我が国で働きたい若者をもっとたくさん受け入れて日本で定住しやすいように環境を整えていくべきです。外国人労働者は日本は賃金が高いから来ているのであって生活しやすいから来ているのではないと思います。日本経済の活性化は外国人が握っていると言っても過言ではないと思います。
魏志倭人伝の記述の秘密(その7)
旅程距離五倍の法則(二)
ためしに秦漢代の一里=415.8メートルを、私が魏志倭人伝上で規定されていると推定した一里=83.3333メートルで割ってみた。
すると、どうだろう。
415.8÷83.3333=4.9896
五に極めて近い数字だ。
次に魏晋代の一里=435.6メートルを、私が魏志倭人伝上で規定されていると推定した一里=83.3333メートルで割ってみた。すると、
435.6÷83.3333=5.2272
やはり五に極めて近い数字だ。
なんということだ。皆さん、もうお分かりだろう。
魏志倭人伝のもととなっている種本の作者は、実際に報告された距離を五倍して旅程距離を改竄したのだ。
呉(会稽東冶)の東方海上、すなわちトカラ列島〜沖縄付近にたどり着かせるために。
ということは、魏志倭人伝上での一里は、正確には、魏晋代の一里を用いれば435.6÷5=87.12メートルである。
秦漢代の一里を用いれば415.8÷5=83.16メートルである。
今後は一里=83.16〜87.12メートルと規定して考察しよう。
あるいは、これを「旅程距離五倍の法則」と名づけ、魏志倭人伝に記された旅程距離の五分の一を実際の距離と考えよう。
七千里は1400里。
千里は200里。
五百里は100里。
百里は20里。水行20日も実際には水行4日だ。
水行10日も実際には水行二日なのだ。
陸行30日は実際には陸行六日だ。
さらに驚くべきことに、今、旅程距離を計算していて分かったことだが、旅程距離はすべて五で割り切れる。五の倍数だ。これは、やはり、実際の旅程距離を五倍して作り出した数字だからに違いない。
感動した。完全に謎は解けた。今、解けたのである。
さらに言えば、帯方郡からトカラ列島〜沖縄付近までは約1000キロメートル。
これが当時の里制で何里かといえば、1000キロメートル÷415.8メートル=2405.00里である。
これを五倍してみると、1万2025.01里。みごとに、万二千余里と合致するのである。(渡部雅史著)
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左は帰宅途中、JR御徒町駅近くの大衆酒場での寛ぎの一時です。酒は焼酎のお湯割りと肴は牛スジの煮込み、ほうれんそ草炒め等。(am10:30頃)
この店の注文係りは中国人がやっていました。現在都内の大衆酒場などの従業員は大半が外国人のようです。少子高齢化に苦しむ我が国にとっては外人労働者が増えることは大いに歓迎すべきことと思います。
国内では婚活や子育て支援を当然充実させていくと同時に、発展途上国には若者がたくさんいるわけですから、我が国で働きたい若者をもっとたくさん受け入れて日本で定住しやすいように環境を整えていくべきです。外国人労働者は日本は賃金が高いから来ているのであって生活しやすいから来ているのではないと思います。日本経済の活性化は外国人が握っていると言っても過言ではないと思います。
魏志倭人伝の記述の秘密(その7)
旅程距離五倍の法則(二)
ためしに秦漢代の一里=415.8メートルを、私が魏志倭人伝上で規定されていると推定した一里=83.3333メートルで割ってみた。
すると、どうだろう。
415.8÷83.3333=4.9896
五に極めて近い数字だ。
次に魏晋代の一里=435.6メートルを、私が魏志倭人伝上で規定されていると推定した一里=83.3333メートルで割ってみた。すると、
435.6÷83.3333=5.2272
やはり五に極めて近い数字だ。
なんということだ。皆さん、もうお分かりだろう。
魏志倭人伝のもととなっている種本の作者は、実際に報告された距離を五倍して旅程距離を改竄したのだ。
呉(会稽東冶)の東方海上、すなわちトカラ列島〜沖縄付近にたどり着かせるために。
ということは、魏志倭人伝上での一里は、正確には、魏晋代の一里を用いれば435.6÷5=87.12メートルである。
秦漢代の一里を用いれば415.8÷5=83.16メートルである。
今後は一里=83.16〜87.12メートルと規定して考察しよう。
あるいは、これを「旅程距離五倍の法則」と名づけ、魏志倭人伝に記された旅程距離の五分の一を実際の距離と考えよう。
七千里は1400里。
千里は200里。
五百里は100里。
百里は20里。水行20日も実際には水行4日だ。
水行10日も実際には水行二日なのだ。
陸行30日は実際には陸行六日だ。
さらに驚くべきことに、今、旅程距離を計算していて分かったことだが、旅程距離はすべて五で割り切れる。五の倍数だ。これは、やはり、実際の旅程距離を五倍して作り出した数字だからに違いない。
感動した。完全に謎は解けた。今、解けたのである。
さらに言えば、帯方郡からトカラ列島〜沖縄付近までは約1000キロメートル。
これが当時の里制で何里かといえば、1000キロメートル÷415.8メートル=2405.00里である。
これを五倍してみると、1万2025.01里。みごとに、万二千余里と合致するのである。(渡部雅史著)
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2014年09月11日
9/10(水)くもり
この2ケ月間は、嫁に行った娘が自宅で里帰り出産し、予期せぬいろいろなことがありました。実際は7月8日に来て8月11に出産し(女児)9月13日に帰る予定です。
7月の中旬に私が頭に疱疹ができてしまい、頭や喉が痛くて微熱がある状態でした。近くの皮膚科で診察を受けたのですが、帯状疱疹と診断され普通の生活では家族への感染はしないとのことでした。しかし妊婦は免疫力が低下しているので感染して胎児に悪影響を及ぼしてはいけないと考え急遽娘の自宅に帰ることになりました。その間、私から妻へ感染していないか調べたり水疱瘡の抗体があるかを調べたりして大騒ぎでした。7月の下旬には私の症状も完治したので娘も戻ってきました。
今は出産時に夫が妻に付き添うのが普通と知り、我々の時と随分変り驚いた次第です。産気付いた時に妻が娘を車で自宅から近くの産科へ連れて行ったのですが(早朝の4時頃)、娘の夫が来ていて妻はすぐ返されたと言っていました。
出産時に私は勤務中で妻とは携帯電話で連絡しあっていたのですが、肝心の時に仕事中で出れなくて、妻からは散々でした。
出産してからは娘の夫の両親が見舞いにきたり、夫も週に一度は子供を見に来ていました。孫一人が生まれたことで急に親戚が増えた感じでした。
上の写真は晩酌の酒と肴です。ストレートのウイスキーと肴は生野菜(レタス、たまねぎ、ワカメなど)の上に生のシャケとホタテをのせてドレッシングをかけた簡単なものですがあっさりしていて酒に合います。
魏志倭人伝の記述の秘密(その6)
旅程距離五倍の法則(一)
・南、投馬国に至る、水行二十日。
・南、邪馬台国に至る、水行十日陸行一月(水行なら10日、陸行なら1月)。
ここで考えなければならないことは、不弥国から水行く30日かけて作者がたどり着かせたかったのは、呉(会稽東冶)の東方海上、すなわちトカラ列島〜沖縄付近だということだ。
地図上で計測すると、博多湾東岸からトカラ列島〜沖縄付近までは約600キロメートル。作者は600キロメートルの距離を水行30日かけてたどり着かせたのである。
600キロメートル÷30日=20キロメートル
水行一日約20キロメートルと考えて30日という日数を導き出したようだ。
中国古代の一日の旅程は陸行50里、水行45里と秦漢以来、『唐六典』に定められているそうである。
・秦漢代の一里=415.8メートルを用いると、
水行45里×415.8メートル=18.7キロメートル
・魏晋代の一里=435.6メートルを用いると、
水行45里×435.6メートル=19.6キロメートル
なんと、みごとに一致するではないか。
やはり魏志倭人伝の種本の作者は、水行一日約20キロメートルと考えて30日という日数を導き出したのだ。
もう、間違いはない。魏志倭人伝のもととなっている種本の作者は、実際に報告された邪馬台国への道程を机上で操作して呉(会稽東冶)の東方海上、すなわちトカラ列島〜沖縄付近にたどり着かせたのだ。
それゆえ、魏志倭人伝に記されたそのとおりに邪馬台国を探しても、見つかるはずがないのである。(渡部雅史著)
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この2ケ月間は、嫁に行った娘が自宅で里帰り出産し、予期せぬいろいろなことがありました。実際は7月8日に来て8月11に出産し(女児)9月13日に帰る予定です。
7月の中旬に私が頭に疱疹ができてしまい、頭や喉が痛くて微熱がある状態でした。近くの皮膚科で診察を受けたのですが、帯状疱疹と診断され普通の生活では家族への感染はしないとのことでした。しかし妊婦は免疫力が低下しているので感染して胎児に悪影響を及ぼしてはいけないと考え急遽娘の自宅に帰ることになりました。その間、私から妻へ感染していないか調べたり水疱瘡の抗体があるかを調べたりして大騒ぎでした。7月の下旬には私の症状も完治したので娘も戻ってきました。
今は出産時に夫が妻に付き添うのが普通と知り、我々の時と随分変り驚いた次第です。産気付いた時に妻が娘を車で自宅から近くの産科へ連れて行ったのですが(早朝の4時頃)、娘の夫が来ていて妻はすぐ返されたと言っていました。
出産時に私は勤務中で妻とは携帯電話で連絡しあっていたのですが、肝心の時に仕事中で出れなくて、妻からは散々でした。
出産してからは娘の夫の両親が見舞いにきたり、夫も週に一度は子供を見に来ていました。孫一人が生まれたことで急に親戚が増えた感じでした。
上の写真は晩酌の酒と肴です。ストレートのウイスキーと肴は生野菜(レタス、たまねぎ、ワカメなど)の上に生のシャケとホタテをのせてドレッシングをかけた簡単なものですがあっさりしていて酒に合います。
魏志倭人伝の記述の秘密(その6)
旅程距離五倍の法則(一)
・南、投馬国に至る、水行二十日。
・南、邪馬台国に至る、水行十日陸行一月(水行なら10日、陸行なら1月)。
ここで考えなければならないことは、不弥国から水行く30日かけて作者がたどり着かせたかったのは、呉(会稽東冶)の東方海上、すなわちトカラ列島〜沖縄付近だということだ。
地図上で計測すると、博多湾東岸からトカラ列島〜沖縄付近までは約600キロメートル。作者は600キロメートルの距離を水行30日かけてたどり着かせたのである。
600キロメートル÷30日=20キロメートル
水行一日約20キロメートルと考えて30日という日数を導き出したようだ。
中国古代の一日の旅程は陸行50里、水行45里と秦漢以来、『唐六典』に定められているそうである。
・秦漢代の一里=415.8メートルを用いると、
水行45里×415.8メートル=18.7キロメートル
・魏晋代の一里=435.6メートルを用いると、
水行45里×435.6メートル=19.6キロメートル
なんと、みごとに一致するではないか。
やはり魏志倭人伝の種本の作者は、水行一日約20キロメートルと考えて30日という日数を導き出したのだ。
もう、間違いはない。魏志倭人伝のもととなっている種本の作者は、実際に報告された邪馬台国への道程を机上で操作して呉(会稽東冶)の東方海上、すなわちトカラ列島〜沖縄付近にたどり着かせたのだ。
それゆえ、魏志倭人伝に記されたそのとおりに邪馬台国を探しても、見つかるはずがないのである。(渡部雅史著)
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2014年09月05日
9/3(水)くもり
9/3〜9/4は霞ヶ関内回り料金所に就きました。
ラジオからは第二次安倍内閣の改造人事が聞こえていました。経済産業大臣に小渕優子氏(40)と少子化担当大臣に有村治子氏(43)が選ばれ、今後の日本の重要なポストに若い女性大臣が担当することになり、驚きとともに大いに注目し期待したいと思います。
日本は世界で唯一の原子力の戦争被爆国であり、また大震災による原子力発電の被爆では今もなお多数の避難生活が余儀なくされています。早い復興を願うとともに、安全で環境にやさしいエネルギーを一日でも早く開発して世界に貢献していくべきだと思います。太陽光、水力、風力、地熱、液体水素、バイオなど。日本は地下資源がないのでこれらの再生可能エネルギーで賄える見通しがついた時点で原子力発電を廃止するべきだと思います。
上の写真は朝の5:10頃、出勤途中での日の出です。近頃はだいぶ日が短くなり秋らしくなってきました。
■ ■ ■ ■ ■ ■
魏志倭人伝の記述の秘密(その5)
魏志倭人伝の誇張・曲筆を修正する旅(四)
・南して一海を渡る、千余里、「末盧国」(佐賀県唐津市周辺)に至る。
1000余里×83メートル=83キロメートル
少し距離は不正確である。
狗邪韓国から対馬までは100キロメートル以上あり、対馬から壱岐までは70キロメートル程度、壱岐から唐津市周辺までは50キロメートル足らずである。
だが、地図上で直線に狗邪韓国から末盧国を結ぶと約230キロメートル、概ね3000余里に相当する。
それぞれ千余里というのは3000余里を三等分してしまったからであろう。
また、地図上で直線に狗邪韓国から末盧国を結んでいて気がついたが、その方位は南というよりも東南寄りを指している。
角度にすれば20度〜40度の範囲であろうか。倭人伝中には、南して・・・と記されているのだが、方位の曲筆があるのかもしれない。
邪馬台国を呉の東方海上に位置させるために、東南寄りを南に、すなわち20〜40度、時計回りに方位をずらしている可能性が考えられる。
次に、
・東南、陸行500里「伊都国」に到る。
500里×83メートル=41.5キロメートル
伊都国は福岡県前原市(現、糸島市)東部付近、近くには怡土城跡もある。
距離はほぼ一致している。
方位はさらにずれ東北東であり、60〜70度のずれが見られる。
・東南、奴国に至る、100里。
100里×83メートル=8.3キロメートル
怡土城跡付近から福岡市西部までの距離にほぼ一致する。
方位は45度のずれがある。
・東行、「不弥国」に至る、100里。
100里×83メートル=8.3キロメートル
ここで初めて東行と出てきたが、20〜70度ずれていることが確認できているので、実際は東北の方向になる。
不弥国は福岡市(西部〜中心部)から6〜10キロメートルの範囲で東北に位置する所である。すなわち、福岡市中心部からみごとに東北の方位に延びた博多湾東岸のいずれかの位置におさまってしまうのである。
さて、ここまでは方位の改竄が認められたが、距離は1里=83メートルをあてはめるとほぼ一致している。
方位は20〜70度時計回りに改竄されていた。
なんのために?それは邪馬台国を呉の東方海上、トカラ列島〜沖縄付近に持ってくるためである。方位は、狗邪韓国から邪馬台国に至るまでの方位がすべて、20〜70度時計回りにずらされているようである。
それでは不弥国〜投馬国〜邪馬台国ではどうだろう。博多湾東岸の不弥国から船出しよう。(渡部雅史著)
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9/3〜9/4は霞ヶ関内回り料金所に就きました。
ラジオからは第二次安倍内閣の改造人事が聞こえていました。経済産業大臣に小渕優子氏(40)と少子化担当大臣に有村治子氏(43)が選ばれ、今後の日本の重要なポストに若い女性大臣が担当することになり、驚きとともに大いに注目し期待したいと思います。
日本は世界で唯一の原子力の戦争被爆国であり、また大震災による原子力発電の被爆では今もなお多数の避難生活が余儀なくされています。早い復興を願うとともに、安全で環境にやさしいエネルギーを一日でも早く開発して世界に貢献していくべきだと思います。太陽光、水力、風力、地熱、液体水素、バイオなど。日本は地下資源がないのでこれらの再生可能エネルギーで賄える見通しがついた時点で原子力発電を廃止するべきだと思います。
上の写真は朝の5:10頃、出勤途中での日の出です。近頃はだいぶ日が短くなり秋らしくなってきました。
■ ■ ■ ■ ■ ■
魏志倭人伝の記述の秘密(その5)
魏志倭人伝の誇張・曲筆を修正する旅(四)
・南して一海を渡る、千余里、「末盧国」(佐賀県唐津市周辺)に至る。
1000余里×83メートル=83キロメートル
少し距離は不正確である。
狗邪韓国から対馬までは100キロメートル以上あり、対馬から壱岐までは70キロメートル程度、壱岐から唐津市周辺までは50キロメートル足らずである。
だが、地図上で直線に狗邪韓国から末盧国を結ぶと約230キロメートル、概ね3000余里に相当する。
それぞれ千余里というのは3000余里を三等分してしまったからであろう。
また、地図上で直線に狗邪韓国から末盧国を結んでいて気がついたが、その方位は南というよりも東南寄りを指している。
角度にすれば20度〜40度の範囲であろうか。倭人伝中には、南して・・・と記されているのだが、方位の曲筆があるのかもしれない。
邪馬台国を呉の東方海上に位置させるために、東南寄りを南に、すなわち20〜40度、時計回りに方位をずらしている可能性が考えられる。
次に、
・東南、陸行500里「伊都国」に到る。
500里×83メートル=41.5キロメートル
伊都国は福岡県前原市(現、糸島市)東部付近、近くには怡土城跡もある。
距離はほぼ一致している。
方位はさらにずれ東北東であり、60〜70度のずれが見られる。
・東南、奴国に至る、100里。
100里×83メートル=8.3キロメートル
怡土城跡付近から福岡市西部までの距離にほぼ一致する。
方位は45度のずれがある。
・東行、「不弥国」に至る、100里。
100里×83メートル=8.3キロメートル
ここで初めて東行と出てきたが、20〜70度ずれていることが確認できているので、実際は東北の方向になる。
不弥国は福岡市(西部〜中心部)から6〜10キロメートルの範囲で東北に位置する所である。すなわち、福岡市中心部からみごとに東北の方位に延びた博多湾東岸のいずれかの位置におさまってしまうのである。
さて、ここまでは方位の改竄が認められたが、距離は1里=83メートルをあてはめるとほぼ一致している。
方位は20〜70度時計回りに改竄されていた。
なんのために?それは邪馬台国を呉の東方海上、トカラ列島〜沖縄付近に持ってくるためである。方位は、狗邪韓国から邪馬台国に至るまでの方位がすべて、20〜70度時計回りにずらされているようである。
それでは不弥国〜投馬国〜邪馬台国ではどうだろう。博多湾東岸の不弥国から船出しよう。(渡部雅史著)
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