愛知県安城市に残る海軍航空隊 明治基地の遺構を見てきました。(2014.9)
明治基地は、昭和18年4月に建設が始まり翌年5月から使用された。
当初の目的は初期の飛行訓練を終えた搭乗員の練成教育だったが、19年に入ると名古屋を空爆するB-29の迎撃や、沖縄特攻作戦にも参加していた。
まずは、老人ホームの入り口に保存されている遺構を見に行く。
燃弾庫と言い、航空燃料をドラム缶に入れ保管していたようだ。
案内板
それなりに暗いのでライトオン
公開されているだけあって内部は良好
砕石が敷いてあるからか? 音が響かない。
通気孔は塞がっている
ロープでも引っ掛けていたのだろうか
少し南にある八剱神社の中には、慰霊碑が立てられている。
近くにもう一つあるはずなので、農作業している方に訪ねると、まさかの地主さんだった(^ω^)
数年前まで半地下式の壕があったが、住宅を建てる時に解体したそうだ。
遅かったか… (´Д`)
南にいくと燃弾庫が見えてきた
老人ホームにあった物と同型だ。
手前にも不明な煉瓦の遺構 油蒸留所か?
北に向かうと、覆土されてる非常用発電所が現存していた。
立入禁止の立札があるし、農作業している方もいないので内部は諦める。
上部には通気孔がみえる。
南に戻って、弾薬庫に行く。
一つは倉庫に再利用されている
もう一つは、崩壊していた。
リアカーがいい感じに侵食されている。
老人ホームにあった案内板によると、まだ2つの燃弾庫と、防空壕が有るはずだ。
かなり探したつもりだが見つけられなかった…。
解体されたのか? やはり、行ける時にいかねば(´Д`)
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明治基地は、昭和18年4月に建設が始まり翌年5月から使用された。
当初の目的は初期の飛行訓練を終えた搭乗員の練成教育だったが、19年に入ると名古屋を空爆するB-29の迎撃や、沖縄特攻作戦にも参加していた。
まずは、老人ホームの入り口に保存されている遺構を見に行く。
燃弾庫と言い、航空燃料をドラム缶に入れ保管していたようだ。
案内板
それなりに暗いのでライトオン
公開されているだけあって内部は良好
砕石が敷いてあるからか? 音が響かない。
通気孔は塞がっている
ロープでも引っ掛けていたのだろうか
少し南にある八剱神社の中には、慰霊碑が立てられている。
近くにもう一つあるはずなので、農作業している方に訪ねると、まさかの地主さんだった(^ω^)
数年前まで半地下式の壕があったが、住宅を建てる時に解体したそうだ。
遅かったか… (´Д`)
南にいくと燃弾庫が見えてきた
老人ホームにあった物と同型だ。
手前にも不明な煉瓦の遺構 油蒸留所か?
北に向かうと、覆土されてる非常用発電所が現存していた。
立入禁止の立札があるし、農作業している方もいないので内部は諦める。
上部には通気孔がみえる。
南に戻って、弾薬庫に行く。
一つは倉庫に再利用されている
もう一つは、崩壊していた。
リアカーがいい感じに侵食されている。
老人ホームにあった案内板によると、まだ2つの燃弾庫と、防空壕が有るはずだ。
かなり探したつもりだが見つけられなかった…。
解体されたのか? やはり、行ける時にいかねば(´Д`)
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市や国で文化財、土木遺産等の認定をしない限り、土地管理者の自由に破壊、埋没出来るのが現在の状況です、日吉連合艦隊司令部壕ですら、破壊されてしまったのですから・・・・