丹那隧道と野中山隧道を見てきました。(2021.5)
いつものメンバーと横須賀に遊びに行くつもりでいたが、直前に保育園からコロナの県外自粛の知らせが届いた💦 まぁ県内であればOKなんで、急きょ伊豆へと目的地を変更。
今回も前日入りするのだが、待ち合わせまで時間があるので寄り道することにした。
no title
とりあえず、箱根を越えて丹那隧道に向かってみる。
記録小説、闇を裂く道(吉村昭)を読んでから気になっていたのだ。
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駅でもないのに下り電車が停車している
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昭和9年12月に開業した丹那隧道。開通前は、国府津から北に回り足柄、御殿場を経て沼津に至っていた。延長60.2キロのこの区間は急勾配が続くため、速度が落ちネックとなっていた。
明治44年鉄道院総裁であった後藤新平は御殿場経由から現行の熱海箱根経由をする路線の測量を指示。大正7年 丹那隧道掘削工事が始まった。(函南口:鹿島組、熱海口:鉄道工業)
丹那盆地は富士山、箱根から集まる壮大な雪解け水を、火山地帯である複雑な地層に、温泉余土(粘土質)が堆積し水を受け止めていた。隧道の真上に位置する丹那村では、湧水を利用したワサビが栽培され、水田、水車も回り、村を豊かにしていた。しかし隧道工事が始まると底が抜けたように水はトンネルへと流れだし、丹那村の湧水は無くなった。
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17年に及ぶ難工事は、膨大な水との闘いとなり、落盤、関東大震災、北伊豆地震もあり67人が犠牲となった。
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坑門の真上に建てられた殉職碑 扁額の両側に掘削中の作業員が描かれている
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工事状況(日本国有鉄道100年より)
7.1日本国有鉄道100年2
7.2日本国有鉄道100年1
殉職碑の脇から降りてみる
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柵の支柱はレール筋コンクリート!初めて見た!
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お目当てが見えてきた! 坑門に記された皇紀表記の紀元2578年~2594年(工事期間)
本来であれば中央に丹那隧道の扁額が収まっているはずだが時期が悪く見えない…
函南側の坑門も見たいので再訪しようと思う。
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写真展示もあったが反射でうまく撮れない
12.1
12間組100年史1
(間組100年史より)
13静岡県の100年
(静岡県の100年より)
丹那隧道の開通により、距離11.81キロ、走行時間は40〜50分短縮された。 
なお、渇水の補償として、貯水池、送水管、ポンプの無償譲渡、被害を受けた村に補償金が支払われた。
14.3
さて、すぐ隣に新丹那トンネルがあるのでフェンス越しに覗いてみた。 
弾丸列車計画により、昭和16年8月着工 
昭和18年8月まで工事していたが、戦争により中止、熱海口から647メートル(間組施工)
函南口から1,433メートル(鹿島組)掘り進められていた。
終戦後の昭和34年4月 高速列車計画が始まり工事再開 工事は戦前と同じ、間組と鹿島組が施工
昭和39年1月完工
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15間組100年史2
(間組100年史より)
15鹿島130年史1
(鹿島130年史より)
熱海水力発電所なるものがあったようだが、遺構は一切残っていないという。
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続いて野中山隧道にやってきました!きっかけは丸田祥三氏のツイッター
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車1台ほどの坂道を登っていく
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すれ違い不可の看板が目に留まる
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カーブを抜けると隧道が見えてきた!即曲がっている⁉
扁額もなく詳しことは分からないが竣工は1952年らしい。30.1
(・∀・)ウン!!コレコレ これを見たかったのよ! 左右の高低差が規格外ですな~!シャコタンだと引っ掛かりそうw ちなみに広角レンズ目いっぱいの画角
285A5006
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交通量もそこそこあるようで撮影中に4台ほど登って行った
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原付も来た
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次に向かう
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